このページには、いわゆるジャーナルを掲載します。
リンク・ページ「芝居」と「推理小説」では、一人の鑑賞者としての勝手な思いを書きつづってみます。
評論家でもエッセイストでもない者がこんなことを公表できるとは、インターネットとはありがたいメディアです。
このホームページで開設者本人が一番楽しんでいるのは、このリンク・ページかも知れない。
いずれの分野も「好き嫌い」の世界ですから、来訪者の意に添わなくとも、ご勘弁願いたい。
「芝居」で取り上げるのは、11代目団十郎など、主に1970年頃の古い話題です。
「推理小説」のマニアとして自分自身をランク付けすると、「中の下」か「下の上」といったところか。
松本清張と宮部みゆきは一通り読んでいるが、赤川次郎、西村京太郎、内田康夫は読まない。
「綾辻以後」にも興味ない。
ホームズとルパンは小学校以来、何年かおきに読み返して楽しんでいる。
2025年2月19日(水)トレフィラヌス研究
1週間前から断続的にRichards(2002)を読んできたが、ようやく第3章と第8章のシェリング自然哲学論を読み終えた。著者によれば、有機体論は『イデーン』(1797)執筆の最終段階で着想されたものである。『イデーン』本文には有機体論が登場せず、「序説」に記されているだけであるという。『世界霊』(1798)の「序説」の最後で「本書は『イデーン』の続編ではない」と記されていることを文字通りに受け取るべきであるという。『イデーン』(『考案』)の邦訳者、松山寿一も訳書の「解説」で、「これが『考案』そのものよりはむしろその後の著作への序説となっている」(p.341)と指摘している。
『イデーン』「序説」の最終節に登場する「自然は見える精神であり、精神は見えない自然である」はよく知られている。リチャーズによると、アレクサンダー・フンボルトはこの自然に精神があるという思想に感動し、『南アメリカ旅行記』を執筆する動機になったという。後にチャールズ・ダーウィンは『南アメリカ旅行記』に感動し、南米への旅を願うようになった。間接的にではあるが、シェリングはダーウィンにも強い影響を及ぼしていたことになろう。
さて、リチャーズによると、有機体論三部作の『世界霊』(1798)、『第一草案』(1799)、および『草案序説』(1799)は短期間に執筆されて十分な吟味を経ておらず、論理の飛躍もあり、互いに矛盾した主張も放置されているという。たとえば、ブルーメンバッハの形成衝動を生気論として非難する一方で、新たな説明原理として高く評価しているという。
第8章の最後に生物進化論が取りあげられている。『世界霊』では明白に生物進化論が説かれている。それは有機体論に基づくもので、普遍的有機体である自然は絶対的存在へ向けて「進展」(Evolution)をし続けるが、それに伴って構成要素の種も「進展」(Evolution)をしていくという。同時代のエラズマス・ダーウィンやその孫のチャールズ・ダーウィンの進化論とは全く異質なものであった。また、これは発生前成説の用語であった“Evolution” を「生物進化」の意味で用いた最初の例であろうという。『第一草案』には生物進化論を否定していると読める所があるが、これはエラズマス・ダーウィン『ゾーノミア』(1794-96)の進化論を批判していると解釈すべきであろうという。
第9章の「まとめ」(Conclusion: Mechanism, Teleology,
and Evolution)ではアリストテレス以来の哲学を簡略にたどり、カントは目的論が不可欠な生物について科学が成立しえないと主張した。それに対してシェリングは、有機体論(organism)によって生物と無生物とを含めた科学体系を樹立しようとしたという。その有機体論は科学研究に基づくものではなく、当時、流行していたロマン主義と個人的生活環境から生まれたものであったという。生活環境が思想形成に決定的な影響を及ぼすというのが、本書全体を貫く著者の立場である。
2025年2月15日(土)デイサービス
午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。いつものメニューをこなす。帰宅後の疲労感はほどほどだったが、文献に取り組むのは無理だった。
2025年2月13日(木)トレフィラヌス研究
Richards(2002)を桃大図書館に返却する前にシェリング自然哲学についての議論だけでも読んでおきたいと、月初めから取り組め始めた。しかし、シェリングの自然哲学はフィヒテの自我論を基礎にしており、フィヒテの主張をそのまま受け継いでいるところもある。ひとまずRichards(2002)を脇に置き、岩崎武雄などの邦語文献でフィヒテ自我論とシェリング自然哲学について勉強しなおしてきた。本日からRichards(2002)のシェリング論に取り組みなおすことになった。
同書の第3章と第8章がシェリング自然哲学に当てられている。第3章では最初の自然哲学書『イデーン』(1797)と最後の自然哲学書『草案序説』(1799)が取りあげられ、、第8章では『世界霊』(1798)と『第一草案』(1799) が取りあげられている。
2025年2月10日(月)入金
昼前にバスで河内長野駅前へ。カードの引き落とし日なので、どうでも出かけなければならない。さいわい、寒さも少しは和らいできた。帰りはタクシーを利用したので帰宅後の疲労も軽くて済み、文献に取り組むことができた。
2025年2月8日(土)デイサービス
午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。今期一番の寒さではなかろうか。早朝は雪という予報ははずれたが、土の上に雪が残っていた。夜中に雪が降ったのであろう。道路には雪が無いので、ゴミ出しもデイサービスの送迎もいつも通りであった。この寒さを乗り切ることが今の最大の課題である。
2025年2月6日(木)内科医
とにかく寒い。とはいえ、降圧剤が切れるので隣町の福岡内科へ行かねばならない。昨日も昼前にシニアカーで出かけかけたが、突然、かなりの降雪となったので中止した。本日は雪の心配が無さそうなので、電熱チョッキにカイロ、コートなど、できるだけの防寒仕度で出かけた。帰宅後はぐったりして、なにもできない。
2025年2月2日(日)恵方巻き
テレビのニュースでは東京に雪の恐れがあると騒いでいたが、当地では夜の雨が朝のうちに止んだので、昼前に巻寿司購入のためシニアカーで隣町のスーパーへ出かけた。店は同じ思いの客で混雑していた。節分に特定の方角を向いて巻寿司を食べるという風習は、大阪に来た翌1978年の節分で初めて知った。今では関東にも広がっているらしいが、東西で文化の違いのある方が面白い。
2025年2月1日(土)デイサービス
午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。いつものメニューを問題なくこなす。帰宅後の疲労感もほどほどであった。体調は良いようだ。
2025年1月29日(水)散髪
朝、散髪に外出。家を出る時は雪がちらついていたが、まもなく止んだ。散髪後は久しぶりに難波へ。といっても駅ビルの外へ出ることはなく、地下街のユニクロで買い物をしただけ。それだけでも一仕事した気分である。
2025年1月28日(火)エルゴノミクスマウス
左腕にまだ違和感が残っているというのに、右腕にも異変を感じ始めた。このままではマウスが使えなくなり、パソコンが利用できなくなる。ネットで検索すると、腱鞘炎を防止するエルゴノミクスマウスがあるという。早速、有線で手ごろな価格のエレコム製品をアマゾンで購入した。マニュアルはネットで見よとなっているが、とにかく使い始めてみた。まだ慣れないが、本当に腱鞘炎防止になることを強く願っている。
2025年1月25日(土)デイサービス
午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。いつものメニューをこなす。本日は帰宅後もかなり動くことができた。
2025年1月24日(金)トレフィラヌス研究
ここ数日、体調不良が続いていたが、本日は文献に取り組むことができた。『キールマイヤー論集』(2021)に掲載されている「1793講演録」の英訳を一気に読了。細部の検討にはドイツ語原文を参照するとしても、英文で通読する方がはるかに楽である。
「講演」では長い挨拶の後、本論の最初の部分で、生物の特徴は定常状態を保つことにあるという。これはトレフェラヌスが『生物学』の冒頭でそのまま受け継いでいる論点である。「講演」ではこれをもたらす力として5種の力を列記するが、後の議論に登場するのは、ハラーに由来する「感覚力」(Sensibilität)と「興奮力」(Irritabilität)、それとブルーメンバッハの「形成衝動」に由来する「生殖力」(Reproductionskraft)の3種の力である。この3種の力のバランスによって生物界の諸現象を統一的に説明しようとする。講演の最終部分では、それを人生、さらには社会にまで広げている。壮大な試みであった。
「講演」では系統発生に言及していない。したがって、いわゆる「発生反復説」を明示的には説いていないが、これを含意しているという解釈も可能であり、科学史家の見解が分かれている。しかしこの件に議論が集中するのはキールマイヤーの本意ではあるまい。「講演」は「生物学」成立に向けた重要な一歩と評価すべきであろう。
2025年1月18日(土)デイサービス
午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。いつものメニューをこなす。ただし右膝の軽い痛みが続いているので、一部の運動は制限した。テレビで得た知識によると変形性膝関節症である。なんとか悪化を止めたい。
2025年1月17日(金)トレフィラヌス研究
当面は『キールマイヤー論集』(2021)に集中するつもりでいたが、3月までに桃大図書館に返却すべき図書が数冊あることを思い出した。Richards(2002)などを優先しなければならない。
2025年1月15日(水)トレフィラヌス研究
昨日、アマゾンから届いた下記の洋書に着手した。年金生活の中で7千円の出費はつらいが、キールマイヤーについて語るには不可欠と判断した。
Lydia Azadpour and Daniel Whistler, eds., Kielmeyer and the
organic world: texts and interpretations. Bloomsbury Academic, 2021. pbk,
2022.
巻頭の第1章「編者序論」によれば、キールマイヤーに関する初の英語の単行本である。「英語圏のキールマイヤー・ルネサンス」(this anglophone Kielmeyer-renaisance. p.2)のきっかけになったのが、Andrea Gambarotto, Vital forces, teleology and organization. Springer
2018. であるという。同書は前年の2017年にハードカバーで刊行されているので、2017年と記載すべきではなかろうか。
2025年1月13日(月)トレフィラヌス研究
昨日と違って体調良好。電熱チョッキを着用することもなく、朝から機嫌よく動いていた。手元にあるキールマイヤー二次文献を調べてみた。DSB第7巻(1973)に項目があり、コールマンが執筆しているが、NewDSB(2008)には立項されていない。Coleman(1973)以降、キールマイヤー研究に進展は無いとみなされていたのである。グールド『個体発生と系統発生』(1977)ではキールマイヤーにさしたる関心は向けられていない。1793年の講演録が文献欄に記載されているが、実際にはColeman(1973)を読んだだけではなかろうか。
2025年1月12日(日)寒波
とにかく寒い。暖房を効かせ、ヒートテックの下着と靴下、さらに電熱チョッキで身を覆い、要所にカイロを張り付けていても、身も心も凍る。文献に取り組める状態ではない。夜になって少しは心身が動くようになったので、年末から放置していたアマゾンへの発注を済ませ、3日分のジャーナルを書いている。
2025年1月11日(土)デイサービス
午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。前日の午前は積雪のため休業したとのことだが、本日は送迎に問題はなかった。
2025年1月10日(金)内科医
夕刻5時前に隣町の福岡内科へ。数日前から降圧剤が切れていたが、雨雪のためシニアカーでの通院が無理だった。今朝も道路に積雪があったが、昼までに溶けたのでシニアカーで行くことができた。一昨日の外出の疲れもあるのだろう、帰宅後は疲れ果てていた。
2025年1月8日(水)文楽劇場「忠臣蔵八段目・九段目」
2時15分開演の初春公演第2部へ。朝、当地では雪がぱらついていたので交通機関に不安があったが、通常通りに往復することができてほっとした。
床直下の席なので、八段目の「道行」では清治に率いられた五丁の三味線が耳元で鳴る。わくわくする。「山科閑居」の前半が千歳太夫・富助、後半が藤太夫・燕三。たっぷり楽しんできた。
観客席は満席にはほど遠いものの、半分以上は埋まっていたと思う。かなりの客が第3部「本朝廿四孝・四段目」を観るために居残っていた。残念ながら今の自分にはそれだけの体力がない。4月公演も3部構成で「千本桜」の通し。第1部「大物浦」、第2部「すしや」、第3部「吉野山」。さて、どれを観に行こうか。
2025年1月5日(日)トレフィラヌス研究
Richards(2002)でキールマイヤーの項を読んだ後、キールマイヤー生前唯一の刊行物である1793年の講演録をネットからプリントアウトした。当時のドイツ語文をひげ文字で読むのはつらいと思っていたが、google books では不完全ではあるがテキスト化も可能であった。トレフィラヌスは直接、およびシェリングを介してキールマイヤーから決定的な影響を受けていた。トレフィラヌス研究にはブルーメンバッハとキールマイヤーの理解が欠かせない。当面は、キールマイヤー1793年講演録を読み取っていきたい。
2025年1月4日(土)デイサービス
午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日が事業所の仕事始め。といっても土曜日なので世の中はまだ正月気分。住宅地では依然として路上駐車が目立つ。スタッフによると一般道路は走りやすく送迎が楽だとのこと。本日は運動量をほんの少し増やしてみたが、帰宅後の疲労はほどほどであった。
2025年1月2日(木)ホームページ更新
我がホームページの更新に取り組んだ。昨年分のジャーナルを新規のページに移動。ついでに「芝居」のページに加筆し、少々早いがトップページの年齢を修正しておいた。
2025年1月1日(水)ジャーナル執筆
穏やかな元旦を迎えた。本日は電熱チョッキを着用することなく過ごすことができた。早朝、数通の年賀状が届いた。業者からのほか、昨年、年賀状仕舞いの挨拶を送った方からも届いている。どう対処すべきなのか悩んだが、何もしないことにした。
午後は31日付のジャーナルに「今年は何をしたか」を書き、本日付で「今年は何をするか:生物学史に思う」を執筆した。公開のジャーナルに書くことで自分の考えをきちんと整理することができ、意欲を高めることにもなる。
夜はNHKEテレの「ウィーン・フィル、ニューイヤーコンサート」で新年気分を味わっている。
2025年1月1日(水)今年は何をするか:生物学史に思う
既存の生物学史には重大な過失が二つある。一つは遺伝学の成立をメンデル個人の天才的着想とみなし、まともな研究がなされてこなかったことである。メンデルは伝統的な植物雑種の研究をしていただけであった。このメンデル神話については拙著「総説・メンデルは遺伝学の祖か」」(2016)でも指摘しておいた。他の一つの過失は、「生物学史」といいながら19世紀初頭に「生物学」が成立した経過をなおざりにしてきたことである。その現れがトレフィラヌス『生物学』が無視されてきたことといえよう。とはいえ、業績の積み上げを要請される現役世代の研究者には、膨大なトレフィラヌス『生物学』に取り組む余裕はないだろう。ここは業績など気にしない世代の出番と考えたい。
アリストテレス以来の生物学通史を書くことを、定年退職後の大きな目標としていた。その場合、多くを二次資料に頼ることになり、時間もかかる。これを諦めて、トレフィラヌス『生物学』を中心に生物学成立の経過をまとめておきたい。その前後の生物研究の状況を語ることで、通史に代わるものが書けるのではないかと期待している。何年掛かるか分からない。寿命、体力、それと視力しだいだが、なんとか完成させたいと思う。
2024年12月31日(火)今年は何をしたか
2月末に紀要論文「ジョフロア=サンチレールの生物学思想:『プランの一致』の歴史的意義」を投稿し、掲載誌が10月に刊行された。4月からはジョフロアの背後に見え隠れする「ドイツ自然哲学」の生物学に取り組んだ。その過程でトレフィラヌス『生物学』のことを知り、6月末からは同書の研究に集中することになった。当初は「9月末脱稿を目指す」としていたが、とんでもない。年単位で取り組まなければならないテーマであった。
高齢になると心配なことの一つが、判断力が低下し、研究者としても、晩年のジョフロアのように、迷惑な存在になってしまわないかということである。11月に頭部裂傷で救急搬送されたおりのCTスキャンによると、脳の状態は85歳とは思えない若々しさであるという。自信をもって科学史研究に取り組むことができる。問題は、体力低下と緑内障による視力障害だが、今のところ日常生活に支障はない。あまり気にせず、研究を進めていきたい。