2025年1月1日(水)今年は何をするか:生物学史に思う
 既存の生物学史には重大な過失が二つある。一つは遺伝学の成立をメンデル個人の天才的着想とみなし、まともな研究がなされてこなかったことである。メンデルは伝統的な植物雑種の研究をしていただけであった。このメンデル神話については拙著「総説・メンデルは遺伝学の祖か」」(2016)でも指摘しておいた。他の一つの過失は、「生物学史」といいながら19世紀初頭に「生物学」が成立した経過をなおざりにしてきたことである。その現れがトレフィラヌス『生物学』が無視されてきたことといえよう。とはいえ、業績の積み上げを要請される現役世代の研究者には、膨大なトレフィラヌス『生物学』に取り組む余裕はないだろう。ここは業績など気にしない世代の出番と考えたい。
 アリストテレス以来の生物学通史を書くことを、定年退職後の大きな目標としていた。その場合、多くを二次資料に頼ることになり、時間もかかる。これを諦めて、トレフィラヌス『生物学』を中心に生物学成立の経過をまとめておきたい。その前後の生物研究の状況を語ることで、通史に代わるものが書けるのではないかと期待している。何年掛かるか分からない。寿命、体力、それと視力しだいだが、なんとか完成させたいと思う。

2024年12月31日(火)今年は何をしたか
 2月末に紀要論文「ジョフロア=サンチレールの生物学思想:『プランの一致』の歴史的意義」を投稿し、掲載誌が10月に刊行された。4月からはジョフロアの背後に見え隠れする「ドイツ自然哲学」の生物学に取り組んだ。その過程でトレフィラヌス『生物学』のことを知り、6月末からは同書の研究に集中することになった。当初は「9月末脱稿を目指す」としていたが、とんでもない。年単位で取り組まなければならないテーマであった。
 高齢になると心配なことの一つが、判断力が低下し、研究者としても、晩年のジョフロアのように、迷惑な存在になってしまわないかということである。11月に頭部裂傷で救急搬送されたおりのCTスキャンによると、脳の状態は85歳とは思えない若々しさであるという。自信をもって科学史研究に取り組むことができる。問題は、体力低下と緑内障による視力障害だが、今のところ日常生活に支障はない。あまり気にせず、研究を進めていきたい。

2024年12月31日(火)家事雑用
 この二日間は家事雑用であたふたしているうちに過ぎてしまった。二人だけの生活でもお正月様を迎えるとなると、それなりに忙しい。夜になって年越しそばを食べ、NHKEテレで第九を聴き、大晦日気分を味わっている。

2024年12月29日(日)「元禄忠臣蔵 仙石屋敷」
 夜、NHK「古典芸能への招待」で南座「顔見世」の「元禄忠臣蔵 仙石屋敷」を見る。真山青果「元禄忠臣蔵」のうち「御浜御殿」は何度か見ている。長十郎・翫右衛門による前進座の公演が記憶に残っている。「仙石屋敷」は初めてである。もっぱら内蔵助の長台詞を聴かせるだけの芝居で、「御浜御殿」のような劇的展開はない。今回、仁左衛門の語りはさすがだと思うが、芝居としての面白みには欠ける。中継録画を見ていて気になったのは、拍手ばかりで掛け声がないこと。ここで「まつしまや」の声がなければしまらないではないかと、いらいらした。最近の歌舞伎ではこうした状況が通例になっているとしたら悲しい。

2024年12月28日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日が事業所の仕事納め。欠席者も多く、静かであった。いつものメニューをこなしたのに、昨日とは打って変わって帰宅後に寝込むこともなく、シニアカーで隣町のスーパーまで買い物に出かけた。来訪されたケアマネも「お元気ですね」と驚いていた。自分でも体調の変化が把握できていない。

2024年12月27日(金)散髪
 朝、散髪に外出。前日まで、散髪後に大阪市内の美術展に行くつもりで準備していたが、当日になって億劫になり、そのまま帰宅した。その分、午後は自宅で一仕事できると期待していたが、とんでもない。はなはだしい疲労感に襲われ、ぐったりしていた。バス停まで往復しただけなのに、自分でもあきれている。

2024年12月26日(木)トレフィラヌス研究
 Gambarotto(2017) の最終第5章「ヘーゲルの評論」(Conclusion: Hegel on Vital Forces, Teleology and Organization)3日がかりで読了。 第1節「概説」では、ヘーゲルはカントと自然哲学について第三者的立場からの公正な評価をしており、それによって自然哲学の歴史的意義が明確になるという。ヘーゲルは、自然哲学が目的論についてのカントの主張を乗り越えたことを高く評価するが、それが中途半端に終わり、重大な欠陥が残っていると指摘しているという。第2節では、『精神現象学』(1807)と『エンチクロペディー』(1817)における自然哲学批判を紹介している。トレフィラヌス『生物学』については、その生物進化論を厳しく批判しているという。第3節では『論理学』(1812 – 1816)におけるカント批判を紹介している。それによって、目的論を統整的とみなすカントの立場から構成的とみなす立場に転換したことの歴史的意義が明確になったという。
 第4節「総括」(General Conclusion)は本書全体の結論になっている。ルノアはゲッチンゲン学派と自然哲学との結びつきを認識しながらカント哲学との関係を重視する過ちを犯したと述べ、この件での先行研究としてZammito(2012)を挙げている。
 トレフィラヌス『生物学』を読み進めていくうえで、よき手引きとなる論考であった。いずれトレフィラヌス論を執筆する際には繰り返し引用することになるだろう。

2024年12月23日(月)トレフィラヌス研究
 Gambarotto(2017) の第4章「トレフィラヌスの生物学」の第5節、第6節、および最終第7節を読了。第5(Ecology and Transformism)では『生物学』第3巻前半の第3編「革命」の進化論を紹介している。トレフィラヌスは当時の地質学の成果をもとに連続的な生物進化を説いている。Gambarottoによれば、その前提になっているのが『生物学』第2巻における生物分布論であり、環境と生物との関係に注目したことが進化論に結びついたという。また、その進化論はシェリング流の有機体論を前提にしている。生物の理解に歴史性を取り入れたことが『生物学』の最大の貢献であるという。
 第6(Teleology and Organization)では、トレフィラヌス後年の著書『有機的生の出現と法則』(Die Erscheinungen und Gesetze des organischen Lebens)2(1831-1832)にトレフィラヌスのあからさまなカント批判が見られるという。ここでも文献引用がずさんである。第5節に引き続いて『生物学』第3巻からの引用のように記載されているが、この節における引用(nn65-71)はすべて『有機的生の出現と法則』第1(1831)の冒頭部分からのものである。
 この章の最終第7(Concluding Remarks)では、まず、トレフィラヌス『生物学』による独立した科学分野としての生物学の樹立は、目的論を統整的とみなすカントの立場から目的論を構成的とみなす立場に転じたことを意味しており、これはシェリングの自然哲学に由来するという。『生物学』の最大の功績は生物学を「歴史科学」(a historical science)として基礎づけたことである。ドイツ観念論は生物学の樹立に決定的な役割を果たしていた。「これを否定するのは歴史的先入観に囚われている者だけである」(Only a historiographical bias could lead us to think otherwise. p.113)という。

2024年12月22日(日)来年の美術展
 アマゾンから取り寄せた『日経おとなのOFF』で来年の美術展を見る。今年は出かけてよかったと思う展覧会は奈良博の空海展だけであった。年々、外出するのが億劫になっているが、下記の展覧会は見たいと思う。大阪市立美術館リニューアル記念「日本国宝展」(4-6)、奈良博開館130年記念「超国宝―祈りのかがやき―」(4-6) 、京博「日本、美のるつぼ」(4-6)、大阪中之島美術館「日本美術の鉱脈:未来の国宝を探せ」(6-8)

2024年12月21日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。いつものメニューをこなす。2日続けての外出となったが、その割には帰宅後も体が動いた。

2024年12月20日(金)近大眼科
 朝、近大病院へ。追加の検査の後、診察。眼圧も視野も好調とは言えないが、日常的には困ることがない。

2024年12月19日(木)トレフィラヌス研究
 Gambarotto(2017) の第4章「トレフィラヌスの生物学」の第4(The Levels of the Organic)を読了。この節では主として『生物学』第4(1814)の第5編「栄養」(Die Ernährung)に説かれている階層性とシェリングの思想とについて論じている。シェリングは『第一草案』(1799)で自然界には機械論、化学的親和力、そして目的論が適用される三層の体系があると述べている。トレフィラヌスはこの思想を受け継ぎ、目的論が適用される有機体は機械論だけの無機的体系より高度な体系を構成しているという。
 著者Gambarottoによれば、シェリングの主張の背後には目的論を統整的とするカントを否定して目的論も構成的とみなす思想があるという(p.102)。逆に言えば、シェリングは『第一草案』で正面からカントを批判していたのではないということになる。かねてからGambarottoは、シェリングが『第一草案』で目的論も構成的としているというが、これはGambarottoの解釈であり、シェリングがそのように述べているのではなかった。10月18日に書いた疑問がやっと解消した。トレフィラヌス『生物学』も事実上、カント第三批判第二部における生物学論を否定しているが、あからさまにはカント批判を展開していないと思う。この点にも留意して『生物学』を読んでいきたい。

2024年12月17日(火)東映映画「忠臣蔵 桜花の巻・菊花の巻」1959
 夜、BS12で標記の映画を見る。春日太一『忠臣蔵入門』によれば、「本作が作られた59年は東映時代劇の絶頂期」で、「そうした栄華の象徴ともいえるのが、この作品です」(p.148)とある。画面がシネスコとなり、セットや集団の画面が豪華になったというが、テレビではその豪華さが味わえない。数多くのエピソードを「丁寧に描いています」(p.153)というが、今の目から見ると冗長ともいえる。たとえば「畳替え」の場面。不必要に長いのは職人頭のエノケンを見せるためか。結局は、「スターたちの活躍と見せ場をどう作るか、ひたすらそれに腐心した作品」(p.154)ということのようだ。

2024年12月16日(月)近大眼科
 正午から視野検査の予約なので、昼前に近大病院へ。本日は検査だけなので遅い昼食をとってから帰宅。これだけで一日が終わった感である。

2024年12月14日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。今期、初めて電熱チョッキを着用した。運動量はいつもと変わらないのに、帰宅後の疲労感がはなはだしい。寒さが関係しているのかもしれない。

2024年12月13日(金)トレフィラヌス研究
 Gambarotto(2017) の第4章「トレフィラヌスの生物学」の第3節を読了。この節では『生物学』第3(1805)後半の第4編「生物の生殖、成長、および衰退」(Erzeugung, Wachsthum und Abnahme der lebenden Körper)について解説している。
 トレフィラヌスはヴォルフ、ブルーメンバッハ、そしてキールマイヤーと受け継がれてきた後成説を展開する。その限りではトレフィラヌスにオリジナリティはないが、彼らの後成説における生命力の概念がトレフィラヌス生物学の重要な要素になっていることに注目すべきであるという。
 ダイアナの木のように無機物の場合は原料があれば無限に成長するが、有機体では栄養物質が与えられても成長に限界がある。トレフィラヌスはそこに有機体と無機物の決定的な違いがあると見ているという。
 トレフィラヌスはトレンブリーの実験(1744)について詳細に語っており、この時期になっても後成説にとってトレンブリーの実験が重要な意義を持っていたことを示しているという。
 トレフィラヌスはキールマイヤーの思想を受け継ぎ、この編の最終部分(pp.552-555)で個体の生殖と成長を普遍的有機体と結び付けて論じている。
 『生物学』第4編はまだ読んでいないので、良き手引きになる。ただ、トレフィラヌス『生物学』からの引用ページの記載がずさんなのには困った。第4編冒頭部の問題設定のページを“299(n21)としているのは“229”の誤記である。無機物の成長については“464(n24)としているが、“463-464”にすべきである。トレンブリーの実験については“519(n26) としているが、“518-519”にすべきである。こういうことがあるので、引用を確認しないで孫引きするのは危ない。

2024年12月12日(木)内科医
 昼前に隣町の福岡内科へ。インフルエンザ予防接種の予約時間と重なったため、1時間待ちとなってしまった。降圧剤と整腸剤を受け取った後、スーパーで買い物。寒さの中をシニアカーで移動していたこともあるのだろう、帰宅後は疲れ果てていた。

2024年12月11日(水)トレフィラヌス研究
 Gambarotto(2017) の第4章「トレフィラヌスの生物学」の第2節を読了。この節では『生物学』の「まえがき」(Vorrede)と「序論」(Einleitung)の第2章によって、トレフィラヌスの基本的立場を解説している。トレフィラヌスの原文も参照しながら、Gambarottoの論点を整理しておきたい。
 「まえがき」では従来の自然史が記述に終始していることを批判し、科学は根本原理に基づいたシステムとして構成されなければならないと説く。「まえがき」には文献引用はないが、著者Gambarottoはこうした科学観の典型としてカント第一批判の第2部「先験的方法論」第3章「純粋理性の建築術」を引用している。カントの科学観はフィヒテとシェリングに引き継がれた。フィヒテ『全知識学の基礎』(1794)とシェリング『第一草案』(1799)にそれを見ることができる。トレフィラヌスはこうした科学観の影響を受けているという。
 「序論」第1章「生物学の対象と重要性」(Gegenstand und Wichtigkeit der Biologie)の冒頭部(p.4)で、新たな科学分野として「生物学」(Biologie)が提唱される。
「序論」第2章「生物学の基本命題」(Fundamentalsätze der Biologie. pp.16-83)では、カント『自然科学の形而上学的基礎』(1786)の物質論が基になっている。カントは引力と斥力によって諸現象を説明している。しかしそれだけでは外部からの影響に対して自己を一定に保とうとする生物の特徴が説明できない。生きている有機体に特徴的な第三の力があるとして、これを「生命力」(Lebenskraft, vis vitalis)と名付けるという(p.52)
 この章にはシェリングの『イデーン』(1797)と『第一草案』が引用され(p.33 & p.54)、自然界を一つの有機体(普遍的有機体、der allgemeine Organismus)とみなすシェリングの有機体論が取り入れられている。「序論」は5章まであるが、Gambarottoが取りあげているのは最初の2章だけである。
  Gambarotto(2017) のこの節(pp.94-98)には6日に取り掛かった。正味4ページ分に時間がかかりすぎている。一つには、できるだけ引用文献を確認していたことがある。カントの著作には通常、全集類の掲載ページが付記されているが、トレフィラヌスは単行本から引用している。さいわい、現在ではこれもネット上で確認できるが、手間がかかる。また、この間、日常生活で今まではなかったようなミスが続き、気落ちしていたこともある。気を取り直して先に進みたい。

2024年12月10日(火)東映映画「赤穂浪士 天の巻・地の巻」1956
 夜、BS12で標記の映画を見る。春日太一『忠臣蔵入門』によれば、東映創立5周年を記念する東映初の忠臣蔵映画であり、カラーの忠臣蔵としては日本初であったという。製作を指揮したマキノ光雄は、従来の忠臣蔵から脱するため意図的に大佛次郎『赤穂浪士』を原作に用いて現代性を盛り込んだという。たしかに、堀田隼人(大友柳太郎)はほぼ原作通りのキャラクターになっている。しかし、蜘蛛の陣十郎(進藤栄太郎)は千坂兵部の走狗のような役になっており、天下の大泥棒という原作の設定から離れている。ないものねだりだが、宇野重吉演ずるところの蜘蛛の陣十郎をもう一度見たいものだ。

2024年12月7日(土)デイサービス。文楽予約。
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。3ヶ月ごとの体力測定の後、いつものメニューをこなす。
 帰宅後、昼食をとってから1時過ぎに文楽初春公演を予約。本日は会員先行予約日。通常なら10時になるのを待ってネット予約に取り組むのだが、本日はデイサービスがあるのでこの時間になってしまった。それでも楽に希望の座席を確保することができた。ほっとする一方、チケットが売れていないことを残念に思う。
 初春公演は三部構成で、第二部が忠臣蔵の八段目と九段目。九段目の切が千歳太夫。これは行かねばなるまい。八段目「道行」では清治以下、五丁の三味線が鳴る。これも楽しみである。

2024年12月4日(水)整形外科
 午前中に三日市町駅筋の田中整形外科へ。隣の薬局で骨粗鬆症の薬を受け取って帰宅。医院でも薬局でもマイナ保険証の利用者が目立って増えていた。認証に手間取っているケースもあり、面倒なのでつい紙の保険証を使うことになる。
 本日は歩く距離が長くなったので、帰宅後はぐったりしていた。

2024年12月3日(火)東映映画「赤穂浪士」1961
 夜、BS12で標記の映画を見る。大佛次郎『赤穂浪士』が原作とはいえ、蜘蛛の陣十郎は出てこないし、堀田隼人は大石内蔵助の甥という設定になっている。原作とはほぼ無関係である。そればかりでなく、忠臣蔵としてのストーリーは軽視され、スター俳優を見せることに重点が置かれている。それを象徴するのが内蔵助(片岡千恵蔵)と立花右近(大河内伝次郎)との対決の場。右近が去った後、突然、千坂兵部(市川右太衛門)が現れ、内蔵助と無言のまま見つめあうのである。忠臣蔵映画というよりも、忠臣蔵を利用したスター顔見世映画であった。
 春日太一『忠臣蔵入門』によれば、「東映時代劇黄金期の最後を飾る作品」(p.154)であり、その方法論が完成された形で示されているという。これが受け入れられなくなり、翌年から東映時代劇には全く観客が入らなくなったという。

2024年12月2日(月)トレフィラヌス研究
 Gambarotto(2017) の第4章「トレフィラヌスの生物学」は103日までに読み終えているが、改めて読み直してみたい。本日は第1節「概説」を読了。最初に、Mclaughlin(2004)の論考を基にして18世紀における“Biologie”の用例について論じている。“Biologie”の用例は1760年代から確認できるが、明確に「生物学」の意味で用いたのは1802年のラマルク(1744-1829)とトレフィラヌス(1776-1837)が最初であった。ラマルクに比べてトレフィラヌスの貢献が軽視されてきたのは、科学史家が膨大な『生物学』を敬遠してきたためであるという。
 トレフィラヌス『生物学』6(1802-1822)の内容構成を紹介した後、トレフィラヌスの経歴を語っている。1793年、ゲッチンゲン大学医学部に入り、ブルーメンバッハのもとで学位を取得した後、ブレーメンで開業する傍ら地域のギムナジウムで教鞭をとっていた。『生物学』はゲッチンゲン学派の成果を総括したものであり、画期的成果とみなすのは過大評価であろうという。『生物学』の最大の貢献としては、第3(1805)冒頭の第3部「革命」で歴史的観点を取り入れたことに注目すべきであるという。
 著者のトレフィラヌス評価は通常の科学史に引きずられて低すぎるのではないだろうか。彼の『生物学』は新たな学問である「生物学」の内容を具体的に提示したものであった。そこには、伝統的な自然史(分類と分布)、興隆してきた古生物学、基礎医学であった発生学と生理学諸分野が体系的に配置されている。歴史上初めての生物学概論であり、画期的成果として評価されるべきであろう。正当に評価されてこなかった理由の一つはその経歴にあるのではないだろうか。フランス国立自然史博物館の教授であったラマルクに対し、トレフィラヌスは地方都市の町医者に過ぎなかった。それが科学史家の評価に影響していたのであろう。

2024年12月1日(日)一斉清掃
 午前中は団地自治会の一斉溝掃除、ついでに自宅庭の落葉掃除。一日分のエネルギーを使い果たした感がある。

2024年11月30日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。無事、メニューをこなすことができた。帰宅後の疲労感もいつもと変わらず、普段の生活がもどってきた。

2024年11月29日(金)トレフィラヌス研究
 5日ぶりに文献に取り組むことができた。Gambarotto(2017) 3章第6節「オーケン」を読了。第1項では『自然哲学講義』(1809-1811)などの代表作を紹介し、シェリングやブルーメンバッハとの関係を論じている。第2項では1806年の論文を基にオーケンの動物分類論を解説している。オーケンは外部形態による分類は不適切であり、動物群によって特徴的な器官系によって分類すべきと説き、全動物界を呼吸器系動物(無脊椎動物)、消化器系動物(鳥類、魚類、両生類)、および頭脳系動物(哺乳類)に分け、それぞれを器官の特徴によってさらに細分化していった。オーケンによれば、全動物界は一つの有機体であり、各動物群はその器官である。ヒトにはすべての器官が完全な状態で備わっているという。
 『自然哲学講義』では鉱物界、植物界、動物界のすべてを一つに体系にまとめようとしている。トレフィラヌス『生物学』もこうした総合を重視する思想によるものであったという。
 巻末文献一覧によると、『自然哲学講義』の英訳が1847年にロンドンのレイ協会から刊行されている。オーケンの思想が長期にわたって影響を及ぼしていたことを示している。ほぼ同世代のトレフィラヌス(1776-1837)とオーケン(1779-1851)との関係についても注目していきたいと思う。

2024年11月27日(水)散髪
 朝は理髪店へ。医師から許可が出ていたので10日振りの洗髪となり、気分も良くなった。遠出する気力はないので、北野田のダイソーでカレンダーを購入。セルフレジなるものを初めて体験することになった。なんとなく恐れていたが、慣れれば問題なさそうだ。河内長野駅前でも買い物をして昼過ぎに帰宅。一昨日より動いたはずなのに、今日は帰宅後も体が動き、雑件を片付けることができた。その日の体調が影響するようだ。

2024年11月25日(月)近大病院、抜糸
 朝、予約時間前に近大病院の救急防災センターへ。ホチキスで止めていた頭部裂傷の抜糸である。処置は数分で終わり、珍しく昼前に帰宅することができた。しかし帰宅後は異様な疲労感でなにもできない。バス停まで歩いて往復しただけなのに、情けない。

2024年11月23日(土)トレフィラヌス研究
 寒さにやられたか、体調に不安があったので、デイサービスを休むことにした。暖房を入れっぱなしにして文献に取り組む。Gambarotto(2017) 3章第5節「シェリング」の第2項を読了。『第一草案』(1799)における動物分類論を扱っている。三部構成の同書のうち、動物分類論は第3部にあるが、残念なことに邦訳『シェリング著作集1b』では第1部しか訳出されていない。著者はここでも近年の版から引用しているので、引用箇所の原版掲載ページを確認するのが厄介であった。
 シェリングはキールマイヤーの説に基づき、形成衝動、被刺激性(興奮性)、および感覚性の3種の生命力の比率によって動物が分類できるとみていた。遺稿として刊行された「ヴュルツヴルク講義」の『全哲学の体系』(1804)では、Reproductionstiere(ポリプ、軟体類、昆虫), Irritabilitätstiere(魚類、両生類、鳥類), およびSensibilitätstiere(哺乳類)という分類体系を提唱しているという。
 このようなアプリオリな原理に基づく分類体系は空虚な形式主義とみなされがちである。しかし歴史的に見れば、このシェリングの思想がオーケンの比較解剖学に受け継がれていったという。

2024年11月22日(金)トレフィラヌス研究
 Gambarotto(2017) 3章第5節「シェリング」の第1項を読了。『宇宙霊』(1798)の第2部「普遍的有機体の起源」ではハラー、カント、ブルーメンバッハ、およびキールマイヤーが高く評価されているという。『宇宙霊』については引用箇所を確認することにしているが、困ったことに著者は近年の版から引用している。引用文の内容から邦訳書で原版の掲載ページを探すことはできたが、手間がかかる。原版の掲載ページを記載しないなど、哲学書であれば許されないことだろう。

2024年11月21日(木)トレフィラヌス研究
 Gambarotto(2017) 3章の第4節「ゲーテ」を読了。第1項では「原植物」を取り上げ、これは理念的なもので、ゲーテも実在するとは考えていなかったという。第2項では「動物のメタモルフォーゼ」が取りあげられ、キールマイヤーに大きく依存していることが指摘されている。最後に、比較解剖学における先験的形態学の影響はゲーテによるものではなく、キールマイヤーやオーケンによるものであるという。

2024年11月20日(水)研究再開
 1週間前からなんとなく気力が失せていたうえに頭部裂傷に見舞われ、文献から遠ざかっていた。ようやく気力がもどり、Gambarotto(2017)の読解を再開した。しかし集中力が続かず、思うようには進展しない。第3章の第3節までを読み終えた。
 この章では種の変化をめぐる1800年前後の議論を扱っている。第1節「序論」では生物学の成立について啓蒙思想を重視する科学史家を批判し、ロマン主義的自然哲学の重要性を強調している。第2節ではブルーメンバッハ、第3節ではカントを扱い、両者ともビュフォンの説を受け入れ、種はその種の範囲内で変化するだけで、別の種に変化することはないとしていたという。この後、ゲーテ、シェリング、オーケンというロマン主義的自然哲学の原型論が扱われるはずである。

2024年11月16日(土)頭部裂傷で救急搬送
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅時、いくつかのミスが重なり、転倒して後頭部をコンクリの地面にぶつけた。大量の出血があったので救急車を依頼し、近大病院へ。CT撮影によると脳に異常はないとのこと。裂傷部位をホチキスで止めて帰宅することになった。我ながら、あまりに馬鹿げたミスを重ねた結果である。傷は大したことなかったものの、判断力の鈍っていることにがっかりしている。

2024年11月14日(木)「ゴジラ」第一作
 NHKBS「プレミアム・シネマ」で「ゴジラ」第一作(1954)を見る。高校一年生だった自分は怪獣映画にまったく興味がなかった。しかし今、見ると、これは反戦反核映画であった。都心部の破壊は米軍機爆撃の再現だが、今はガザの現状を思い浮かべてしまう。破壊と殺戮をよしとするゴジラ政治家が海外だけでなく、現在の日本にも存在する。暗い気持ちになる。
 この映画で気になったのは、古生物学の常識からあまりに逸脱していること。ゴジラが生息していたジュラ紀を200万年前とし、三葉虫も同時代としている。ジュラ紀は2億年前であり三葉虫はそれより古い古生代の生物であることを脚本家たちが知らなかったはずはない。ゴジラ出現にリアリティを出すための工夫ではあろうが、観衆を馬鹿にしているともいえる。

2024年11月11日(月)内科医
 昼前に隣町の福岡内科へ。休み明けのためか、いつにもまして混雑していた。降圧剤と整腸剤の処方に加えて、先月の検診の結果を聞いてきた。大きな問題はない。塩分をできるだけ控えるようにという注意も毎年のことである。

2024年11月10日(日)その2。トレフィラヌス研究
 6()から断続的に読んできたGambarotto(2017)2章「ゲッチンゲン学派」を一応、読了した。「一応」というのは、十分に理解できているとはいえないからである。第1節「概説」の後、第2節「ハラー」、第3節「ブルーメンバッハ」、第4節「キールマイヤー」、第5節「リンク」、第6節「キールマイヤーの自然哲学批判」、そして第7節「まとめ」に続く。
 ハラー、ブルーメンバッハ、それとキールマイヤーは生物学史でおなじみの名前だが、ブルーメンバッハに学んだリンク(Heinrich Friedrich Link)が科学史に登場することはめったにない。「ゲッチンゲン学派」を提唱したLenoir(1981)にも記載されていない。我が蔵書の中ではDSB8巻に立項されていただけである。本書でもキールマイヤーの理論をより正確にしたというだけの位置づけなので、リンク抜きでも著者の主張は伝わる。
 ハラーについては1752年の講義録『感覚性と被刺激性の人体部分』(De partibus corporis humani sensilibus et irritabilibus. 1753)、ブルーメンバッハについては1787年刊の『生理学教程』(Institutiones physiologicae)の序論、キールマイヤーについては1793年の講義録(Ueber die Verhältniße der organischen Kräfte unter einander in der Reihe der verschieden Organisationen. 1793)に注目している。ブルーメンバッハはハラーの感覚性と被刺激性とを含めた5種の生命力を想定したが、その中でも重要なのが「形成衝動」(Bildungstrieb, nisus formativus)であった。キールマイヤーはこれを受け継いでいる。ただし、ブルーメンバッハの形成衝動は個体ごとに働く力であったが、キールマイヤーでは有機体全体を統一的に理解する概念になっている。ここに「生物学」樹立への道が開かれたという。キールマイヤーは反復説の提唱者として知られているが、より広い視野で評価すべきであるという。
 キールマイヤーは弟子のキュヴィエへの書簡(1807)でシェリングの自然哲学を否定していたとみなされているが、これは書簡の一部だけを見たためであり、書簡全体を読めば自然哲学の意義を認めていることが分かるという。
 引用文献をネット上で読むことも可能だが、それよりも今は本書全体の通読を優先したい。

2024年11月10日(日)冬支度
 朝から暖房を入れているのに、午前中は寒さで身も心も動かない。午後になってようやく動けるようになった。本格的に冬支度をしなければならないと、しまい込んであったヒートテック下着と電熱チョッキを探し出した。
 ところで、最近、「チョッキ」は死語になったという話をどこかで聞いた気がするが、知るか。使い慣れた言葉を使っていきたい。

2024年11月9日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、午後遅くにシニアカーで隣町のスーパーへ出かけることができた。本日は体力に余裕があったようだ。

2024年11月6日(水)トレフィラヌス研究
 午前中に河内長野駅前の銀行へ。帰宅後、体力が残っているか心配だったが、文献に取り組むことができた。バス停までの往復計20分の歩行だけだったので、体への負担が軽かったのだろう。
 Gambarotto(2017)2章「ゲッチンゲン学派」の第1節「概説」(Introduction and Outline: The Göttingen School as a Historical Category. pp.33-35.)を読了。Lenoir(1981)が新興のゲッチンゲン大学医学部関連の研究者を一つのまとまりとして提示したことを、著者は高く評価する。ただ、啓蒙思想、とくにカントとの関係を重視したことに誤りがあったという。
 同学派はハラーとブルーメンバッハによって基礎付けがなされ、その影響下にアレクサンダー・フンボルト、キールマイヤー、リンク、そしてトレフィラヌスらが現れた。第2節以降に順次、彼らが取りあげられていく。Lenoir(1981) Richards(2002)も参照しながら読んでいきたい。
 なお、Lenoir(1981)でゲッチンゲン学派の一員とされているライルがここには記載されていない。著者によると、ライルはゲッチンゲン大学に短期間、在籍しただけなので同学派とみなすべきではないという(p.27)Richards(2002)によると、ライルは1779年秋にゲッチンゲン大学に入学したものの、大学に失望し、翌年にはハレ大学に移り、メッケルの影響を受けるようになったという(p.253)。  

2024年11月4日(月)トレフィラヌス研究
 Gambarotto(2017)1章の未読部分を読了。第2節「ヴォルフとブルーメンバッハ」(Diverging Views of Epigenesis: Wolff and Blumenbach on Teleology)では、ヴォルフ(1759)の「根本力」(vis essentialis)と、ブルーメンバッハ(1781)の「形成衝動」(Bildungstrieb)との根本的な違いを指摘している。ただし、両者の洗練された後年の論文、ヴォルフ(1789)とブルーメンバッハ(1791)に注目している。著者によれば、両者とも有機体に特有の力とされているが、ヴォルフの根本力には合目的性の要因が設定されておらず、ブルーメンバッハの形成衝動は有機体の合目的性の根拠とされているという。カントは目的論ではデザイナーを想定せざるを得ないとみなしていた。ブルーメンバッハの思想がカント哲学に由来するというルノアの解釈は明らかに誤りであるという。

2024年11月2日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。台風21号の影響による大雨が懸念されたが、当地では心配するほどのことはなかった。

2024年11月1日(金)トレフィラヌス研究
 トレフィラヌス研究をどう進みていくか。主著『生物学』全編を読まなければならないが、その前にGambarotto, Vital forces (2017)を読了することにした。本日はまず「序論」(Introduction. pp.xv-xxii.)に取り組んだ。「本書は、19世紀初頭のドイツで統一的な科学として生物学が成立したことを扱っている」という文で始まる。生物学の成立がカント哲学によるというLenoir(1982)の説が30年間にわたって定説となっていたが、著者はこれを厳しく批判する。カントの第三批判(1790)によれば、目的論が欠かせない生物についてはまともな科学が成立しえないと指摘する。著者は問う。第三批判(1790)からトレフィラヌス『生物学』第1(1802)までの間になにがあったのか(p.xviii)。それはシェリングの自然哲学であったという。
 Lenoir(1982)以前の生物学史ではシェリング自然哲学か重視されていた。ルノアがこれを否定してカント哲学に注目し、それが広く受け入れられてきたのはなぜか。著者によれば、現代科学の立場から見て非科学的な自然哲学が科学的な生物学の基礎になったとは認め難いかったためであるという。現代の科学の基準を過去の科学に適用したための誤りであった。

2024年10月31日(木)初暖房
 毎日測定している起床後血圧が、今朝は異常に高い。寒さの影響であろう。今季初めてエアコンの暖房を入れた。暑さとの闘いが終わり、寒さとの闘いが始まった。

2024年10月30日(水)歯科検診
 午前中は隣町の迫川歯科で半年毎の検診。大きな問題はなし。シニアカーで出かけたので、ついでにスーパーで買い物。これだけで一日のエネルギーを使い果たした感がある。

2024年10月27日(日)トレフィラヌス研究
 21()から断続的に読んできたGambarotto, Vital forces (2017) の第1章第3“Kant on Teleology.”(pp. 14-26)をようやく読み終えた。Lenoir(1982)は第三批判がブルーメンバッハらの生物学の基礎になったとみなしたが、Richards(2000)に始まるルノア批判によれば、カントは機械論では説明できない生物についてはまともな科学が成立しえないとみなしていたという。この件に関する近年の研究を紹介した後、著者自身の立場でカントの目的論批判を考察する。『神の存在証明』(1763)、『自然科学の形而上学的原理』(1786)、『判断力批判第一序論』(1790)、そして『判断力批判』第二部「目的論的判断力」の第65節に注目する。結論として著者は次のようにいう。ライプニッツやハラーは有機体の合目的性が神に由来するとみなしていたが、キールマイヤーやシェリングは有機体の合目的性が有機体自身の内部にあるとみなし、これがトレフィラヌスらによる生物学成立の根拠になった。機械論は構成的だが目的論は統整的にすぎないというカントの立場は上記の二説の中間の位置(An Unstable Middle Position)にあったという。説得力のある分析と思われる。

2024年10月26日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。会場のテレビは大リーグのドジャース・メッツ戦。デイサービスは12時に終了するので、10回裏の大逆転を見ることはできなかった。

2024年10月25日(金)健康診断
 朝早くに隣町の福岡内科へ。年1回の健康診断である。当日に判明した範囲では問題なし。ついでにインフルエンザ予防接種も済ませた。帰宅後は体がだるく、パズルで過ごすのみ。

2024年10月23日(水)散髪
 朝、まず三日市町駅前で衆院選の期日前投票を済ませてから理髪店へ。ついでに遠出することも考えたのだが、体調が芳しくないし、雨模様なので、今回も寄り道せずに帰宅することにした。

2024年10月19日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。2週間ぶりにいつものメニューをこなす。帰宅後になにもできないのも、いつもと同じ。

2024年10月18日(金)トレフィラヌス研究
 Andrea Gambarotto のオープンアクセス論文(2014)によれば、カントが機械論は構成的判断だが目的論は統整的判断に過ぎないと断じたのに対し、シェリングは『第一草案』(Erster Entwurf, 1799)で目的論も構成的であり、有機体については目的論が適用されなければならないと主張したという。ところが『第一草案』のどの部分なのかが明記されていない。『シェリング著作集1b(灯影舎、2009)に収められている抄訳を読んでもそれらしき内容がない。Google Books でドイツ語原典について書籍内検索を試みたが、“Teleologie”の語は存在しないという。『第一草案』ではなく『イデーン』(1797)、『宇宙霊』(1798)、あるいは『草案序説』(1799)の可能性もあるので『著作集』の抄訳に目を通したが、それらしき内容はない。Gambarotto は著書(2017)でも強調している重要な論点だが、このままでは引用するわけにはいかない。だからといってこの件にこだわっているとトレフィラヌス研究が頓挫してしまう。関連文献を読み進めるうちに判明することを期待して一旦、この件を棚上げし、先に進むことにした。

2024年10月13日(日)カント『判断力批判』
 数日前から『判断力批判』第二部「目的論的判断力の批判」を篠田英雄訳の岩波文庫(下巻)で断続的に読んできたが、おおむね読み終えた。
 第一篇「目的論的判断力の分析論」では、有機的存在者、すなわち生物については目的論が欠かせないとして次のようにいう。「目的論的な判定の仕方を自然学の原理として、この学の対象の特殊な部類に関して使用することは、有機的存在者における自然目的の経験的法則については許容されるばかりでなく、また是非とも必要なのである」(p.51. 原版306)。さらに付け加えていう。「自然における合目的性という語は、反省的判断力の原理を意味するだけであって、規定的判断力の原理のことを言っているのではない、それだから我々はこの語によって原因性の特殊な根拠を新たに導入するというのではなくて、機械的法則に従う研究の仕方とは異なる研究の仕方を理性の使用につけ加えるにすぎない。」(p.52. 原版308)
 第二篇「目的論的判断力の弁証論」では、生物研究における機械論と目的論との併存が説かれる。目的論については次のようにいう。「自然目的の概念は規定的判断力に対する構成的概念ではなくて、反省的判断力に対する単なる統整的概念にほかならない」(p.75. 原版331)。第二篇の結論部分では次のようにいう。「たとえ我々が機械的説明方法を頼りにどこまで進んでみたところで、この説明方法では我々がいったん自然目的として承認したところの物を説明するにはけっきょく不十分であるに違いない、それだから我々は、我々の悟性の性質に従って、これらの機械的根拠を挙げて目的論的原理に従属させねばならない」(p.107. 原版362)
 付録「目的論的判断力の方法論」では、まず生物研究の価値について次のようにいう。「自然的所産が目的論的概念に従って一つの体系を成す限り、これらの所産における自然の目的を指摘することは、特殊な手引きによって纏められた自然記述に属するにすぎない。(中略)自然形式の発生や内的可能についてはいささかも解明を与えものではない、ところがこのことこそ理論的自然科学の本務なのである」(p.107. 原版362)。すなわち、カントは生物学が物理学のようなまともな科学には成りえないと断じているのである。
 この後、当時の生物学における諸問題、すなわち、自然発生、種の変化、前成説・後成説などについて論じている。
 カント第三批判の後半は生物学論であった。しかし通常、同書は第一部「美学的判断力の批判」で知られている。東京大学の文学部では、第一批判は哲学科、第二批判は倫理学科、そして第三批判は美学科の担当であった。美学者が第三批判後半の生物学論に関心を向けるはずがない。哲学畑の学者によって執筆される概説書では、『判断力批判』後半の生物学論が紹介されることはない。これからしばらくは、科学史家によるカント生物学論の分析を追ってみたいと思う。

2024年10月12日(土)その2。行きたい美術館アンケート
 朝日新聞朝刊に、読者アンケート「行ってみたい美術館」の結果が掲載されていた。上位20のうち、訪れたことがないのは「金沢21世紀美術館」、箱根の「彫刻の森美術館」と「MOA美術館」、それと長野県上田市の「無言館」の4館だけであった。桃山学院大学では学芸員課程も担当していたので、できるだけ博物館・美術館に行くようにしていたおかげである。第1位「東京国立博物館」は納得できるが、第2位が「足立美術館」とは意外であった。広大な敷地で散策にはよいだろうが、美術館としては我が好みではない。「生の掛軸・生の額絵」は愚劣。我が好みとしては、「大阪市立東洋陶磁美術館」を入れたいと思う。「興福寺国宝館」や「東大寺ミュージアム」も美術館とみなせると思うが、100件の選択肢には入っていなかったかもしれない。

2024年10月12日(土)内科医
 本日はダンジリ曳行で送迎が困難なため、デイサービスは休業。午前中に隣町の福岡内科へ。ついでにスーパーで買い物。穏やかな秋晴れで、絶好の行楽日和である。東京にいた時なら「8時ちょうどの、あずさ2号で」八ヶ岳に出かけるところだが、今ではとうてい無理。シニアカーで往復しただけなのに、帰宅後はデイサービスに行った時と変わらぬ疲労感で体が動かない。
 夜になって心身が動くようになったので、ジャーナルのまとめ書きに取り組んでいる。

2024年10月11日(金)ジョフロア研究
 新刊の『桃山学院大学人間文化研究』21号と拙著「ジョフロア=サンチレールの生物学思想:『プランの一致』の歴史的意義」 (pp.1-36)の抜刷が送付されてきた。2月に投稿した論文なので、気分としては過去の業績である。ジョフロアは記述の学である自然史から脱皮した自然哲学としての動物学を確立しようとしていた。トレフィラヌスの目標はさらに大きく、物理学と並ぶ生物学の確立を目指していた。その点でいえば、我がトレフィラヌス研究はジョフロア研究を発展させたものということもできる。

2024年10月5日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。いつものメニューをこなす。帰宅後はなにもできない。

2024年10月3日(木)トレフィラヌス研究
 820日に届いたAndrea Gambarotto, Vital forces, teleology and organization : philosophy of nature and the rise of biology in Germany.( Springer, 2017. pbk, 2018) の第4章“Biology: Treviranus and the Life Sciences as a Field.(pp. 91-113.)をようやく読み終えた。先月26日から断続的に読んできたが、意外と時間を要した。
 815日に読了した同著者のオープンアクセス論文(2014)と趣旨は変わらない。すなわち、カントが第三批判で機械論は構成的判断だが目的論は統制的判断に過ぎないと断じたのに対し、シェリング(1799)は目的論も構成的であり、有機体については目的論が適用されなければならないと主張した。トレフィラヌスはこの立場を受け継ぎ、構成的判断としての目的論が適用される独自の分野として「生物学」を確立しようとしたという。シェリングにおいて生物の多様性は論理的なものに過ぎなかったが、トレフィラヌスは化石を根拠に地球生物の変遷を説いている。トレフィラヌスが歴史的観点を取り込んだことは、生物理解の画期となったと見ている。こうした趣旨に変化はないが、論文(2014)と比べて著書(2017)ははるかに充実している。トレフィラヌス『生物学』からの引用も多い。
 ただし、この著書には不可解なところがある。まず、洋書の学術書としては珍しく索引がない。また、出版元Springerのサイトやciniに掲載されている「目次」が実際のものとかなり違っている。アマゾンから取り寄せた紙装版の末尾には、「Printed in Japan. 落丁、乱丁本のお問い合わせはAmazon.co.jp カスタマーセンターへ」とある。どうやら通常の出版物ではないようだ。

2024年10月2日(水)コロナワクチン接種
 午前中に隣町の福岡内科へ。昨日から始まったコロナワクチン接種を受けるためである。昨年までは無料だったが、今年から一部自己負担となった。当地では3,000円。妥当な額のように思う。帰宅後、なんとなくだるい状態が続いたのは副作用かもしれない。夜になって左腕の接種箇所が痛みだしたのは、明らかに副作用であろう。しかしそれも短時間で収まった。まずは無事に終わったようだ。

2024年9月29日(日)藪本勝治『吾妻鏡』中公新書 2024
 一昨日、病院からの帰り道で購入した標記の新書を、おおむね読了した。北条家による執権政治を正当化するために創作されたもので、多数の虚偽記事が盛り込まれているという。義経鵯越や頼家暗愚将軍説などが虚偽あることは、すでに別の史書や雑誌、テレビなどで知っていたが、初めて知ることも多かった。なかでも義経腰越状が偽書であるとはショックであった。このとき義経は頼朝と対面していたという。「もしこの時期にすでに決裂していたならば、頼朝は義経を帰京させずに拘束・処罰していたはずである」(p.75)という指摘ももっともである。屋島合戦も強行突破的な軍事行動ではなく、義経は一か月前から入念に準備していたという。なんとなく信じ込んできた義経像は間違いだらけだったようだ。

2024年9月28日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。いつものメニューをこなす。外出が続いたためか、帰宅後の疲労感も大きい。

2024年9月27日(金)近大眼科
 午前中に近大病院へ。本日の滞在時間は5時間。帰途、バスで直接、河内長野駅前にもどれたので、書店に立ち寄ることができた。

2024年9月25日(水)散髪
 朝、散髪のため外出。バス停までの往復がこたえたか、帰宅後は何もできない。12月の学会参加も無理な気がしてきた。バス停近くで数少ないヒガンバナを見ることができた。元気なころなら飛鳥の里の群生地まで出かけるところだが、今やそんな気力、体力は失われている。

2024年9月21日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。いつものメニューをこなす。運動しながら考えていたのは研究会のこと。昨日、今年の科学史西日本研究大会が127()に関西大学千里山キャンパスで開催されるとのメールがあった。場所的には参加可能である。ここ数年、研究会などに参加していないので、トレフィラヌス研究を発表しに出かけようか。しかし、外出自体が面倒くさい。行くか、やめるか。発表申込締切 の113日までに決断すればよいだろう。

2024年9月20日(金)トレフィラヌス研究
 ようやく『生物学』第3編「革命」を読み終えた。内容のほとんどは当時最先端の化石研究をウェルナー学説に基づいて解説したものである。地質時代による化石の変化と分布を大洪水、陸地・海底の隆起・沈降という「激変」(Catastrophen)によって解釈し、激変による化石の変化を「革命」(Revolution)と呼んでいる。
 地質学史の資料としては有益だが、生物学史の資料としては、うんざりする内容であった。当方が期待していた生物進化についての議論はやっと最後の3ページになって登場する。
 著者は問う。「生物の多様な形態はいかにして、もたらされたのだろうか」(Aber wie sind die mannichfaltigen Formen der lebenden Natur entstanden? p.224)。土から直接、生まれたのか。アフロディテのように海の泡から生まれたのか。「それとも単純な植虫類だけがそのような方式で誕生して、そこから複雑な有機体が生まれる一方、単純な基本形も世代から世代へと引き継がれてきたのだろうか」(pp.224-225)。結論として次のようにいう。“Wir glauben daher, daſs die Encriniten, Pentacriniten, Ammoniten, und die übrigen Zoophyten der Vorwelt die Urformen sind, aus welchen alle Organismen der höhern Classen durch allmählige Entwickelung entstanden sind.(p.225)。したがってトレフィラヌスは「連続的進化」(allmählige Entwickelung)を説いていたといってよいが、進化の仕組みについてはこれ以上の議論がない。ただし、個体に寿命があるのと同様、種にも寿命があるという。現在のヒトは生物の階梯の最高位に到達しているわけではなく、「いずれ、より高貴な形態がもたらされるであろう」(noch edlere Gestalten einst hervorbringen wird. p.226)と述べてこの第3編を締めくくっている。
 シェリング流の有機体論と結び付けた形で進化論が展開されると期待していたが、当てが外れた。とはいえ、世界最初の生物学概論で、化石の変遷に基づく明確な進化論が説かれていたことは、もっと重視されてしかるべきだろう。

2024年9月14日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。いつものメニューをこなす。帰宅後はなにもできない。

2024年9月13日(金)トレフィラヌス研究
 月曜日から断続的に『生物学』第3編「革命」に取り組んできたが、ようやく第12(§12.pp.42-69)まで進んだ。この第3編は他の編(Buch)とは違って部(Abschnitt)、 章(Capitel)に分けられておらず、番号だけの節(§)が設定されているだけなので、読んでみないと内容が分からない。第7節までは地表と生物相の変化を説き、第8節から化石の変遷を説いている。第1編「分類」と同様、当時の関連文献を丁寧に紹介しているため、なかなか本論に進まない。現在の概論書なら、詳しくは参照文献を見よとするだけだが、「生物学」の確立を目指して世界で初めて生物学概論に取り組んだトレフィラヌスとしては、基礎となる個別研究を記載する必要があると考えたのだろう。

2024年9月9日(月)整形外科、トレフィラヌス研究
 朝、バスで河内長野駅前の銀行へ。明日の口座引き落としに備えて入金。三日市町駅筋にもどり、田中整形外科へ。案の定、月曜日で混雑していた。隣の薬局で骨粗鬆症の薬を受け取り、三日市町駅前へ。スーパーに寄ってから帰宅。
 本日は意外と体力が残っていたので、トレフィラヌス『生物学』の次の課題に着手できた。第3(1805)の冒頭にある第3編「革命」(Drittes Buch. Revolutionen der lebenden Natur. pp.3-226.) である。全体の目次を見た時から最も気になっていた部分である。先日の「生物の漸次的移行」の時は“die lebende Natur”を「生物」と訳したが、今回はおそらく、一つの有機体としての全自然界をも含意していると思われるので、「生きている自然」と訳すべきかもしれない。

2024年9月7日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。3ヶ月ごとの体力測定の後、いつものメニューをこなす。帰宅後はなにもできない。

2024年9月6日(金)トレフィラヌス研究
 『生物学』第1部「分類」の最終第7編「生物の漸次的移行」(Gradationen der lebenden Natur. pp. 446-475.)にざっと目を通した。主として動物を材料に、最下等(滴虫類)から最高等(ヒト)まで、さまざまな形質が漸次的に高度化していることを示している。最後の2ページでは、全生物の関係がボネの説くように「階段」(eine Stufenleiter)なのか、他の研究者が説くように「網目」(ein Netz)なのかを問題としている。

2024年9月4日(水)近大眼科
 朝、近大眼科へ。予約日ではないが、不足してきた目薬をもらいに行ってきた。午前中に終わるので、327日の時は午後、桃大図書館まで足を延ばしたが、本日はとうてい無理。帰宅後は疲れ切って寝ているだけ。わずか半年で体力が衰えたのか。それとも異常な暑さのためか。

2024年9月3日(火)トレフィラヌス研究
 『生物学』第1部「分類」第4編「植虫類」(Zoophyten. pp. 399-425.)に取り組んだ。植虫界は「植物性動物」(Pflanzenthiere)と「動物性植物」(Thierpflanzen)2綱に分けられている。植物性動物6目の最初の5目には、現在の用語でいえば、棘皮動物、腔腸動物、海綿動物が配され、最後の第6目が「滴虫類」(Infusoria)となっている。動物性植物では第1目に最下等の真菌類が置かれ、順次、藻類、地衣、苔類、蘚類、羊歯が配され、最後の第8目に、現行のイバラモ目の植物が置かれている。見かけ上は藻類に似たイバラモ類を隠花植物と顕花植物をつなぐ位置に置いていることになる。
 トレフィラヌスは動物界と植物界の間に植虫界を置いているが、その必要があったとは思えない。通常のように、「植物性動物」は動物界の下位に配置し、「動物性植物」を植物界の下位に配置してもよかったのではなかろうか。

2024年9月2日(月)トレフィラヌス研究
 結局、当地では台風10号による大きな影響はなかったといえるだろう。朝から『生物学』第1編「分類」第3部「動物」第9章「蠕虫」(Würmer. pp. 384-398.)に取り組んだ。4目に分けられており、第1目「カンザシ目」、第2目「ゴカイ目」、および第3目「ミミズ目」までは、プラナリアなどが含まれているといった問題点があるにせよ、おおむね現行の環形動物に該当している。ところが第4目「内臓寄生虫目」(Eingeweidewürmer. Intestinales)には、線虫、鞭虫、回虫、鉤頭虫、吸虫、条虫など、現在の分類法によれば多様な生物群が含まれている。トレフィラヌスはこの内臓寄生虫類を動物界の最下等の位置に置いているが、これと他の生物群との関係をどのように考えているのか。先を急ぎたい。

2024年9月1日(日)トレフィラヌス研究
 雨風の無い穏やかな午前中に隣町のスーパーへ。午後は『生物学』第1部「分類」第3編「動物」第7章「甲殻類」(Crustaceen. pp. 340-352.)に取り組んだ。
 キュヴィエ(1798)の分類では「甲殻類」が軟体類綱の次のインセクタ綱の中の一つの目に位置付けられているが、ラマルクの分類(1801)では無脊椎動物の第2綱として軟体類綱の次に置かれている。トレフィラヌスはラマルクの分類を採用していることになる。ミジンコ、カニ、エビの類が含まれている。ヒザラガイも含まれているという問題点があるにせよ、おおむね現行の「甲殻類」に該当しているといえよう。
 上で見たようにトレフィラヌスの無脊椎動物4綱のうち、軟体類綱と甲殻類綱は形質の共通性によって設定されているが、残りのインセクタ綱(insecta)と蠕虫綱(vermes)は事情が異なっている。いずれもリンネ『自然の体系』(1835)以来、用いられてきた分類群だが、伝統的には雑多な無脊椎動物群のうち、比較的高等なものをインセクタ綱に、下等なものを蠕虫綱に配しただけであった。ただし『生物学』第1部「分類」第3編「動物」の第8章「インセクタ」(Insekten . pp. 353-383)には下記の10目が記載されている。
 1.クモ、2.ムカデ、3.ダニ、4.ナンキンムシ、5.イナゴ、6.トンボ、7.チョウ、8.ハチ、9.カ、10.甲虫。
 おおむね現行の昆虫綱に該当しているので、ここでは「インセクタ」を「昆虫」と訳しても差し支えないだろう。

2024年8月31日(土)トレフィラヌス研究
 デイサービスは台風10号のため休業。ただし、当地では雨、風とも被害をもたらすほどのことはなく、本日も日中は穏やかであった。そのため朝から『生物学』第1編「分類」第3部「動物」に取り組むことができた。脊椎動物4綱を扱っている第2章から第5章は素通りして、第6章「軟体類」(Mollusken. pp.175-184.)に進んだ。「軟体類」はキュヴィエの分類表でも無脊椎動物の筆頭に置かれており、トレフィラヌスが参照しているラマルク『無脊椎動物体系』(1801)でも無脊椎動物8綱の筆頭に置かれている。イカ、タコ、二枚貝、巻貝の類が含まれている。ナマコやフジツボも含まれているという問題点があるにせよ、おおむね現行の「軟体動物」に該当しているといえよう。トレフィラヌスもこのグループには明白な共通点が多いことを強調している。トレフィラヌスはフランス語の最新の研究も参照しており、彼の『生物学』が優れた概説書であったことを示している。

2024年8月29日(木)トレフィラヌス研究
 体調不良というよりも気力喪失のため文献から離れていたが、ようやく『生物学』第1編「分類」の第3部1章「動物一般」(Thiere überhaupt. pp.175-184.)を読了することができた。同書では動物界を下記の8綱に分けている。
 Säugthiere. Vögel. Amphibien. Fische.  Mollusken. Crustaceeu. Insekten. Würmer.
 この章では前半4綱の共通点が記載されているが、後半4綱については共通点が見られないとして議論されていない。著者が参照している文献の一つがキュヴィエの分類表(Tableau élémentaire de l'histoire naturelle des animaux .1798)である。同書では動物界を下記の9綱に分けている。
 HOMME. MAMMIFÈRE. OISEAUX. REPTILE(AMPHIBIA,Lin.). POISSON. MOLLUSQUE. INSECTE. VER. ZOOPHYTE.
 キュヴィエは1812年に画期的な動物界四部門を提唱するが、1798年のこの段階では伝統的な動物分類に忠実であることが分かる。ちなみに、トレフィラヌスも参照しているグメリン編のリンネ『自然の体系』第13版の第1巻第1(1788)では動物界を下記の6綱に分けている。
 MAMMALIA. AVES. AMPHIBIA. PISCES. INSECTA. VERMES.
 第6VERMESには下記の5目が含まれている。
 INTESTINA. MOLLUSCA. TESTACEA. ZOOPHYTA. INFUSORIA.
 動物界と植物界と並んで「植虫類」(Zoophyten)を一つの界とみなしたのはなぜなのか。トレフィラヌスの生物観を探るテーマの一つであろう。

2024年8月26日(月)メールのシステム変更
 朝、パソコンを開けたが、メールを読むことができない。桃山学院大学でシステムを変更したようなので、情報センターに電話すると、本日からの新しいシステムに対応するにはパソコンのほかにスマホが必要とわかった。こちらはガラケーと告げると、我がメールについては設定を変更してくれることになった。なんだかんだで、ようやく昼前にメールが利用できるようになった。一日分の仕事を終えた気分である。夕刻になって気力が回復してきたので、4日分のジャーナルを書いている。

2024年8月25日(日)体調不良
 終日、異常な疲労感でぼんやりしているだけ。文献は愚か、趣味の本を開く気も起きない。見たくもないテレビを見ているだけ。2日続きの外出が響いたのか。困ったことだ。

2024年8月24日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は疲労でなにもできない。

2024年8月23日(金)散髪
 朝、散髪のために外出。散髪後にどこかに出かける気力はない。今回は河内長野駅前の百均とドラッグ店に寄っただけで帰宅。それでもかなり疲れている。

2024年8月21日(水)トレフィラヌス研究
 トレフィラヌス『生物学』第1編「分類」の分類総論に該当する第1部(pp.155-159)と第2部(pp.160-174)とを読了。第1部「生物と無生物の境界」(Gränzen der lebenden Natur) では、生物と無生物との厳密な区分は困難であると述べ、この問題は最下級の生物についての各論で扱うという。キノコと滴虫類は無生物とみなす者もいるが、両者とも繁殖能力があるのでここでは生物とみなすという。第2部「生きている有機体全体の分類」(Classifikation der lebenden Organismen Überhaupt)では、生物を大きく、動物(Thiere)、植虫類(Zoophyten)、それと植物(Pflanzen)の三つの界(Reich)に分けている。この「植虫類」には、ヒトデなど通常、植虫類とされる生物のほか、一般には隠花植物とされるものを含めている。隠花植物を顕花植物から切り離したのは卓見ともいえるが、植虫類の仲間としたのには無理があろう。

2024年8月20日(火)文楽か洋書か
 アマゾンからAndrea Gambarotto の著書(2018)が届いた。ペーパーバックで¥11,561はつらい。購入を決意したきっかけの一つが、文楽劇場の11月公演。二部構成で、昼の部が忠臣蔵の大序から四段目。夜の部が五段目から七段目。文楽の忠臣蔵は必ず見に行くことにしてきたが、演者一覧を見て今回は意欲がわかない。その料金で洋書が買えると思いついたのである。正月公演では八段目と九段目が出るのだろうか。九段目を千歳太夫が語るようなら、行かねばなるまい。

2024年8月18日(日)トレフィラヌス研究
 72日にダウンロードしたDe Jagerの学位論文(1991)の抄録と序論を通読。著者によれば、トレフィラヌスは「生命力」によって生物のダイナミックな世界をとらえているという。当時の生命力に関する諸議論のなかでトレフィラヌスの立場を理解しようとしている。論文の時期からいってもLenoirの業績が基礎になっている。いずれは精読するとしても、現段階では一旦、打ち切り。先へ進もう。

2024年8月17日(土)トレフィラヌス研究
 事情があってデイサービスは休んだ。文献読解も一休みすることにして、科学史でトレフィラヌスがどのように扱われてきたかを調べてみた。中村禎里『生物学の歴史』(1973)には全く登場しない。『科学技術史事典』(弘文堂、1983)にも立項されておらず、索引項目にもない。八杉竜一『生物学の歴史』(1984)には“biologie”の造語者の一人として記載されているが、その著書についての言及はない。
 イヴ・ドゥランジュ(ベカエール直美訳)『 ラマルク伝』(1989、原著は1984)ではトレフィラヌス『生物学』について、「これは実際には、分類学の著書であった」(p.222)とある。著者は第一巻の目次を見ただけであることが分かる。「ラマルクの方はこの学問の創始者であったことを、覚えておこう」(p.223)とあるが、ラマルクには「生物学」と題した著書はなく、トレフィラヌスこそ、この学問の創始者であった。フランス人の原著者がラマルク贔屓になるのは無理ないが、トレフィラヌスについてはお粗末に過ぎる。
 DSB.vol.13(1976)に「トレフィラヌス」(pp.460-462)が立項され、研究歴が簡潔に記載されているが、その歴史的意義についての議論はない。NewDSB(2008)には立項されていない。
 欧米の科学史でトレフィラヌス研究が目立つようになるのは、2010年代以降である。ドイツ自然哲学派について定番となっていたTimothy Lenoirの業績への批判が進む中で、トレフィラヌスへの関心が高まったのではないだろうか。

2024年8月15日(木)トレフィラヌス研究
 Andrea Gambarottoのオープン・アクセス論文「トレフィラヌス生物学におけるシェリング有機体論の影響」(2014)を読了。Timothy Lenoir1980年代の論考で、トレフィラヌスらのドイツ自然哲学の生物学はカント主義によるものであってシェリングによるものではないと主張したのに対し、著者はシェリングの影響を重視する。カントは第三批判の第二部で、機械論は構成的判断だが目的論は統制的判断に過ぎないと断じたが、シェリングは『第一草案』(1799)で目的論も構成的であり、有機体については目的論が適用されなければならないと主張した。トレフィラヌスはこの立場を受け継ぎ、構成的判断としての目的論が適用される独自の分野として「生物学」を確立しようとしたという。シェリングにおいて生物の多様性は論理的なものに過ぎなかったが、トレフィラヌスは『生物学』第三巻(1805)で化石を根拠に地球生物の変遷を説いている。現今の生物学史においてトレフィラヌスは軽視されすぎている。その要因の一つは、トレフィラヌス独特のドイツ語で書かれた膨大な『生物学』を科学史家も敬遠したためであろうという。
 現在では18世紀における“Biologie”という単語の用例は多数、確認されているが、これを明確に「生物学」の意味で用いたのは1802年のラマルクとトレフィラヌスであった。ラマルクには「生物学」と題した著書はなく、トレフィラヌスが初めて『生物学』(Biologie)と題した生物学概論を刊行した。自然史から脱皮した生物学の確立者として、トレフィラヌスはもっと重視されるべきだろう。

2024年8月11日(日)トレフィラヌス研究
 49日に通読したオープン・アクセスの論文、Berg & Demarest (2020)の最終章、トレフィラヌス『生物学』に関する議論を再読した。トレフェラヌスはカントの物質論とシェリングの有機体論を修正し、生物学を独自の科学分野として確立することを目指していたという。『生物学』の「序論」に目を通した後なので、著者たちの議論がよく理解できた。「序論」の内容を的確にまとめていると思う。

2024年8月10日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は疲労でなにもできない。オリンピックの男子マラソンを見て終わり。

2024年8月9日(金)トレフィラヌス研究
 ネットに公開されている英文の二次資料、 Sophia Ruppelのトレフィラヌス研究(2023)を一気に読了。独文を読むよりはるかに速い。自然界の諸要素が互いに深く関係し自然全体が一つのシステムになっているというトレフィラヌスの自然観を、著者は高く評価する。こうした自然観は当時の自然神学に由来するが、トレフィラヌスの体系からは神が消えているという。シェリングの影響については否定的で、「『生物学』全6巻の中で明示的にシェリングを参照していることはほとんどない」(p.120)という。これは重大な事実誤認である。「序論」では繰り返しシェリングが明示的に参照されている。自然界全体について「普遍的有機体」(der allgemeine Organismus)というシェリングの用語をそのまま流用していることからも、シェリングの影響は明らかである。査読を通過したのが不思議なくらいである。

2024年8月8日(木)高齢者の契約不可
 朝、河内長野駅前の銀行へ。13()のクレジット引落に間に合わせるには今日しかない。バス停までの道、太陽光が目につらい。午後、来宅した某社の社員と契約を結ぶ段になって、高齢者だけでは契約不可であるといわれた。高齢者保護のためとはいえ、高齢者には面倒なことになってきた。

2024年8月6日(火)トレフィラヌス研究
 『生物学』第1巻の「序論」(Einleiting)に目を通し終えた。十分に理解したとはいえないが、ドイツ語特有の哲学的議論にうんざりしてきたので、一旦、打ち切ることにした。著者の自然観はシェリングに基づいており、生物学の内容についてはハラーの生理学を重視している。シェリングもハラーの生理学をその自然哲学の根拠の一つとしている。その意味では、『生物学』の「序論」はもっぱらシェリングに基づく生物学論であるといえよう。

2024年8月4日(日)蜂除け
 朝、ウッドデッキの上でスズメバチが一匹、飛んでいた。怖い。アマゾンから取り寄せてあった虫除けオニヤンマをウッドデッキや玄関前に吊り下げてみた。効果のほどは分からないが、何もしないよりましだろう。

2024年8月3日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。阪神タイガース好調のおかげで、みなさん、ご機嫌であった。帰宅後は疲れていたが、7時になってからシニアカーで隣町のスーパーまで行くことができた。体力がいくらか回復しているのか。

2024年8月1日(木)トレフィラヌス研究
 ようやくトレフィラヌス『生物学』の「序論」第2章「生物学の根本命題」(pp.16-83)に、一通り目を通すことができた。といっても理解しにくいところは素通りし、とにかく何を論じているのか把握することを優先した。前半の「生とは何か」とか、カントに基づく物質論のような空理空論にはうんざりしたが、後半になって生物学概論らしくなり、面白くなった。トレフィラヌスはシェリング『宇宙霊』そのままに、自然全体を一つの有機体とみなし、これを「普遍的有機体」(der allgemeine Organismus)と呼んでいる。それによれば、動植物、すなわち個々の有機体は普遍的有機体の生命原理を分有しているという。この章の最終部分では有性生殖の問題が取り上げられ、新しい個体は最低段階の生物(die vita minima)からしだいに高等な生物に移行すると述べ、当時は有力であった前成説を明白に否定している。シェリング流の有機体論によるなら、機械論的な前成説は成り立たないだろう。

2024年7月29日(月)内科医
 夕刻6時過ぎにシニアカーで隣町の福岡内科へ。いつもののように降圧剤と整腸剤を処方してもらった。スズメバチの件を報告すると、極めて危険な行為であったとあきれられた。

2024年7月28日(日)トレフィラヌス研究
 猛暑が続いているが、なぜか気分は良い。もしかしたら昨日までは蜂の毒が影響していたのかもしれない。カント『自然科学の形而上学的原理』(大竹正幸訳)に目を通すことができた。ニュートン力学の正当性を哲学的に証明しようとしたものだが、訳者の解説によれば、当時の物理学にはなんらの影響ももたらさなかったという。ただシェリング流の観念論の中で同書の物質論が利用されたが、それは同書の本来の趣旨から逸脱した方向であったという。精読する必要はないので、第2章「動力学」の物質論にざっと目を通した。トレフィラヌス『生物学』の「序論」第2章で、運動論から物質論へ進むのはカントに倣っていることが分かった。こうした議論が生物学概論とどのように結びつくのか。とにかくトレフィラヌス『生物学』を読み進めるしかない。
 本日はなぜか近頃になく体調良好なので、鈴木善次さん追悼文を見直し、若干の手直しの後、『生物学史研究』の担当者に送信することができた。

2024年7月27日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。我が手の平の腫れているのを見たスタッフが心配し、医者に行くよう忠告された。しかし、手と足が腫れて痒い以外、困ることもないので、猛暑の中、出かける気にならない。しかし帰宅後は疲れ切ってなにもできない。

2024年7月26日(金)トレフィラヌス研究
 猛烈な暑さとスズメバチに襲われたショックでここ数日は文献に取り組む気力も失せていた。今日になってやや回復し、シェリング『宇宙霊』(松山壽一訳)に目を通すことができた。1週間前にトレフィラヌス『生物学』の「序論」第2章「生物学の根本命題」(Fundamentalsätze der Biologie)に着手した。「生とはなにか」(Was ist Leben? p.16)から始まって、運動論、物質論へと進む。こうした議論をドイツ語で読むのにうんざりしてきたので、著者が引用しているシェリング『宇宙霊』とカント『自然科学の形而上学的原理』を翻訳で読むことにした。『宇宙霊』にも、光についての議論など、今になってみれば頓珍漢な内容が多く抄訳をさらに飛ばし読みしたが、トレフィラヌスが根拠にしている内容は把握できたと思う。

2024年7月21日(日)スズメバチ
 朝、ウッドデッキでスズメバチに襲われた。存在しない巣を守ろうとしているのか。やっかいなことになった。蜂に刺された痛みと暑さで何もする気にならない。夜になって痛みも治まり、やや元気になったので、2日分のジャーナルを書いている。

2024年7月20日(土)スズメバチ
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日は自治会の廃品回収日なので、帰宅後、ウッドデッキに積んであった段ボールを門扉の外に運んだ。ところが、段ボールの下の隙間にスズメバチの小さな巣があった。玄関に近い場所なので、玄関前でスズメバチが飛び交っている。アマゾンや生協の配達に迷惑なので、巣を放り出して水攻めで破壊した。スズメバチに手の甲と足と頭を刺された。段ボールの処理をあきらめて、蜂駆除の専門業者を呼ぶべきだったかもしれない。

2024年7月17日(水)あべのハルカス美術館「広重」
 散髪で外出したついでに阿倍野の美術館へ。半ば危惧していたことではあるが、入場者は切れ目なく続き、すべての作品の前に人がいる。NHKが繰り返し宣伝しているのだから、当然といえば当然である。展示品を見るのはあきらめた。そもそも混雑する展覧会場で浮世絵を見るのは無理なのだ。それでも出かけたのは、この美術館は駅に直結している百貨店の中にあるので、外歩きをしないでたどり着けるから。今の自分には極めて重要な要素である。今回の収穫はゼロであったが、東海道五十三次への興味が復活した。画集を見ながら、『膝栗毛』を読み直してみよう。

2024年7月15日(月)トレフィラヌス研究
 『生物学』(1802)の「序論」(Einleiting)の第1章「生物学の対象と重要性」(Gegenstand und Wichtigkeit der Biologie. pp.3-15)を読了。冒頭で、自然界の非生物と生物のうち、非生物については早くから学問が成立し、「自然学」(Physik oder Naturlehre)という極めて包括的な名称で呼ばれている。しかし、生物については本格的な学問が存在しないという(p.3)。著者が目指す生物についての新たな学問の対象を、目立つ表記で、「生物の多様な形態と現象、その状態が維持される条件と法則、および、それをもたらす原因」(die verschiedenen Formen und Erscheinungen des Lebens seyn, die Bedingungen und Gesetze, unter welchen dieser Zustand statt findet, und die Ursachen, wodurch derselbe bewirkt wird. p.4)と規定する。この新たな学問を「生物学」(Biologie oder Lebenslehre)と呼ぶという。この生物学によって従来の自然史にも新たな意義が付与され、また、医学にも寄与するという。
 「まえがき」と比べると、はるかに冷静な書きぶりである。自然史にもそれなりの価値を認めている。なぜこのような違いが生じたのだろうか。「まえがき」は通常、本体を書き終えてから最後に執筆される。おそらく、著者の新たな取り組みに対してナチュラリストたちから厳しい批判があり、それへの反発から激烈な「まえがき」が書かれたのではないだろうか。このあたりの事情も文献を読んでいくうちに判明するだろう。

2024年7月13日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。運動中や休憩の間、昨日、トレフィラヌス『生物学』の「まえがき」についてジャーナルに書いた内容を反省していた。利用した電子図書館を書くべきだし、引用ページも記載しておきたい。我がジャーナルには投稿論文の下書き的な役割もある。帰宅後、しばらくは疲労で動けなかったが、夕刻になってパソコンに取り組むことができた。なすべきことが明確なら、体も動きやすいのだろう。

2024年7月12日(金)トレフィラヌス研究
 『生物学』(1802)の「まえがき」(Vorrede. pp.iii-xii)を読了。英文なら1時間程度で読める分量だが、2日がかりになってしまった。独文を読むのは久しぶりなので、単語を忘れている。慣れてくれば、もっと早く読めるようになるだろう。電子図書館はベルリン=ブランデンブルク科学アカデミーが運営するDTA (Deutsches Textarchiv)を利用した。連邦政府のDDT(ドイツ電子図書館)より便利である。
 全体に喧嘩腰というか、挑発的な「まえがき」である。冒頭で、「富は所有していることに価値があるのではなく、活用することに価値がある」(p.iii)という。動植物の種と属を記載するだけの自然史は人類に役立つのか(p.iv)。「単なる事実の集成(blosser Complilationen)を書いたり読んだりすることほど、悲しくて気落ちする作業(traurigeres und geisttödtenderes Geschäft)を私は知らない」( p.vii)という。ジョフロア=サンティレールのアカデミー論争における自然史批判より厳しい。当時のフランスの研究者が本書を読んだとしたら、ジョフロアの自然史批判についてプライオリティを疑うのも無理はない。
 本書で著者は、既知の事実に基づいて自然を理解するための「体系」と「理論」と「意見」を提唱しているが、そのための作業を8年前から始めたという(p.vi)
 「全ての自然研究の最終目的は、我々が自然と呼んでいる巨大な有機体(grosse Organismus)が永遠に規則的な行動を維持している仕組みを明らかにすることである」(p.v)という。シェリング自然哲学の影響が読み取れるが、「8年前」とは時期が合わない。そのあたりの事情は文献を読み進めていけば判明するだろう。  著者は最後に、本書は多数派から無視されるだろうが、正しく真理を求める少数の人々の注目(die Aufmerksamkeit der wenigen ächten Wahrheitsforscher)を得ることだけを願っているという(p.xii)。既成の大勢力に反抗する切り込み隊長を思わせる「まえがき」である。当時としてはなじみのない“Biologie” を書名に用いたことにも、著者の意気込みがうかがえる。

2024年7月10日(水)入金
 午前の早い時間帯に河内長野駅前へ。カードの引き落とし日なので、どうでも出かけなければならない。隣町にあった銀行の無人出張所が廃止されてから面倒なことになった。バス停までの往復で計30分ほど歩いただけなのに、疲れ切ってしまった。

2024年7月8日(月)その2.アマゾン未配
 買い物には不便な団地なので日常的にアマゾンを利用しているが、今回、初めて、業者から配送完了のメールがあったのに実際には届いていないという事故に出合った。配送先を間違えたのだろう。至急、アマゾンに知らせようとしたが、連絡方法が分からず途方に暮れた。ネットで検索し、ようやくチャットで問い合わせる方法を見つけた。商品再送の手続きまでに数時間を空費してしまった。次は間違いなく届くことを願っている。

2024年7月8日(月)鈴木善次さん
 鈴木善次さん追悼文をなんとか書き上げた。延べ4日を要したことになる。あくまでも個人的な思い出を書いただけなので、学会誌の追悼文としてどうかという気もするが、当方から見た善次さんの姿を伝えることはできるだろう。原稿はしばらく寝かせた後で確認し、送稿することにしたい。

2024年7月6日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日は帰宅後、疲労で何もできない。

2024年7月4日(木)鈴木善次さん
 トレフェラヌス『生物学』については長丁場となるので、その前に鈴木善次さん追悼文を書き上げることにした。19世紀のドイツから数年前の思い出に頭を切り替えるのは簡単ではない。単なる追憶ではなく年月日や場所を確認したいし、論文執筆とは異なる疲労感がある。

2024年7月3日(水)内科医
 昼前に隣町の福岡内科へ。降圧剤と整腸剤を受け取り、ついでに近くのスーパーへ。これだけで疲れ果ててしまう日も多いが、本日は不思議と体が動く。臨時給付金の手続きをネットで済ませ、3日分のジャーナルを書くことができた。

2024年7月2日(火)トレフィラヌス研究
 トレフェラヌス『生物学』について論じている生物学史の文献は多いが、これを主題とした論考はほとんど存在しないようだ。ところが1991年トロント大学の学位論文に同書をテーマとしたものがあるのを知った。これは引用しなければならないだろう。ProQuest に発注し、本日、PDFをダウンロードすることができたが、30()に取り掛かり、延べ3日もかかってしまった。20222月にProQuestを利用した時は数十分で発注することができたのに、今回は何度も無効とされた。最初は電話番号の前に81を付けるのを忘れていたことが原因らしい。次に、VISA での支払いを入力すると、データに違いがあるとして認められない。間違いなく正確なデータを入力しているのに、どうしたらよいのだ。ふと思いついてVISAのホームページを見ると、出金が正しいか確認されるまで支払いが中止されることがあるという。確かにVISAから出金確認のメールが来ていた。確認の返信を済ませて、ようやく論文を取り寄せることができた。無駄な時間を費やしたものだ。円安で高い買い物になってしまったが、やむを得ない。これで準備は整った。後、数か月はひたすらドイツ語を読んでいくことになろう。

2024年6月28日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、少しは文献を読むことができた。ルノア(1981)はトレフェラヌス『生物学』を論じているが、言及しているのは第1巻と第2巻だけ。他の巻は読んでいないのではなかろうか。

2024年6月27日(木)トレフィラヌス研究
 研究方針を変更。ドイツ自然哲学派生物学の概要をまとめておくつもりだったが、一旦、これを中断し、トレフィラヌス『生物学』全6(1802-1822)に集中することにした。
 自然哲学派の全体を見るには時間もかかるし、文献も足りない。近年の研究を確認するには洋書の購入が欠かせないが、円安の現状ではますます困難である。その点、トレフィラヌスに限定すれば手元の資料とネット利用でまとめることができる。
 本日はまず、Biologie の目次を整理してみた。全6巻は下記の10の編(Buch) から成っている。第1(1802) は第1編「分類」。第2(1803)は 第2編「分布」。第3( 1805) は第3編「革命」と 第4編「生殖と成長」。第4(1814) は第5編「栄養」。第5( 1818) は第6編「熱と光」、第7編「運動」、および第8編「神経系」。第6(1822) は第9編「霊魂」と第10編「感覚」。各編(Buch)は、部(Abschnitt)、 章(Capitel)、節(§)へと細分化されているが、第3編「革命」(Revolutionen der lebenden Natur)だけは細分化されず、特殊な編になっている。第9 (Verbindung des physischen Lebens mit der intellectuellen Welt)では「霊魂」(Seele)がテーマになっており、シェリング『世界霊』(Weltseele. 1798)との関係がうかがえる。
 同書はゲッチンゲンで刊行され、ゲッチンゲン学派のブルーメンバッハやフンボルトが引用している。少なくともドイツ語圏では、“Biologie”が「生物学」の意味で定着するのは本書によるものであった。一応、9月末脱稿を目指すが、焦ることなく、じっくりと読み解いていきたい。

2024年6月23日(日)ジャーナル執筆
 本日はほったらかしにしていた雑事を一気に片付けるつもりだったが、体が動かない。躁状態が解け、外出の疲れが出てきたのだろう。それでも夜になって回復してきたので、5日分のジャーナルを書いている。

2024年6月22日(土)デイサービス
 朝食前に庭ではみ出した草を刈り取った。躁状態が続いている。午前中のデイサービス「ポラリス大矢船」では阪神タイガース打撃不振への嘆き節。帰宅後はいつもより元気に動くことができた。

2024年6月21日(金)近大眼科
 雨の中、傘をさしながら杖で歩くのはつらいので、福祉タクシーで近大病院へ。眼圧はいま一つという結果だったが、あまり気にするのはよそう。本日の滞在時間は4時間。帰宅後、疲れているはずなのに奇妙にも軽い躁状態になり、ネットで電化製品や古書を発注することができた。

2024年6月20日(木)無為
 案の定、昨日の疲労で終日、なにもできない。

2024年6月19日(水)大阪市立東洋陶磁美術館
 散髪で外出したついでに、中之島の東洋陶磁美術館リニューアルオープン記念特別展へ。館蔵の安宅コレクションなどから中国・韓国・日本の各時代を代表する作品が展示されている。「飛青磁花生」など、この美術館でおなじみの作品に出合える。中でも「油滴天目茶碗」が特別扱いされている。個人的好みとしては、高麗青磁や定窯白磁、色鍋島などをもっとたっぷり見たかったが、展示の趣旨からいってないものねだりだろう。十分、楽しめる展覧会であった。
 新しくしゃれたカフェが併設されていたが、コーヒー一杯が650円。場所柄と物価高でやむを得ないのか。
 この美術館へはいつも御堂筋線・淀屋橋駅から歩いていたが、その距離に不安が出てきたので本日は堺筋線・北浜駅から歩いてみた。少しは短かった気がする。美術館の目の前に中之島線・なにわ橋駅があるが、京橋回りで遠くなる。現実的な選択肢ではない。帰りは淀屋橋に出たが、無事、歩くことができたのでほっとした。

2024年6月15日(土)デイサービス。雑誌処分
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、本日は自治会の廃品回収日なので2009年以来、保存していた『科学史研究』バックナンバーを処分することにした。『生物学史研究』は16(1969)から揃っているはずなのに、今回、鈴木善次さんの件で整理したら、かなり欠本のあることが分かった。おそらく研究室の資料を移転する時のどさくさで失ったのであろう。単行本は二重三重に詰め込んでいるが、しばしば、あるはずの本が見つからない。処分した資料が必要になることもあるが、スペースがないので諦めるほかない。

2024年6月14日(金)鈴木善次さん略年譜
 いずれ『『生物学史研究』に詳細で正確な年譜が掲載されることを期待しているが、現在、ネット上には間違った情報があるので、ここまでに確認できたことを掲載しておきたい。

1933年、横浜市に生まれる。
19563月、東京教育大学理学部生物学科(植物学専攻)を卒業
19564月、同農学部農学科に学士入学
19583月、卒業
19584月、同研究補助員に就任
19604月から6年間、神奈川県立高校3校の教員を歴任
19664月から19739月まで、神奈川県立教育センター勤務
197310月、山口大学教養部助教授に就任。後に教授に昇格
19844月、大阪教育大学教育学部教授に就任。枚方市香里ケ丘の公務員宿舎に入居
19993月、定年退職。高槻市の公団住宅に転居
20018月、横浜の実家に帰還。後、東京都八王子市、次いで東京都多摩市に転居
2024124日、逝去

資料
 鈴木善次「生物学史研究会の歴史」『生物学史研究』31(1977)1-5.
 鈴木善次「石川純君の死をいたむ」『生物学史研究』35(1979)48-49.
 鈴木善次「日本におけるミチューリン運動のある側面~一人の生物学・農学学徒によるドキュメント~」『生物学史研究』88(2013)5-13
 鈴木善次「僕の生物学史研究(モドキ)の旅」『生物学史研究』100(2020)55-60.
 私的資料(手帳、日誌、書簡など)

2024年6月13日(木)鈴木善次さん
 鈴木善次さんの追悼文は急いで執筆しなくてもよいのだが、基礎データが不明のままだと落ち着かない。本日は我が手帳と一行日誌をたどって鈴木さんに関する事項を拾い集めてみた。
 1999326日には玉造で定年退職の送別会があった。東京から江上さんが参加するなど、生物学史関係者もいたが、それよりも環境論の関係者が多かったように記憶している。鈴木さんは公務員宿舎から高槻の公団住宅に移った。当面は大阪にとどまる意向だったのである。
 2001619日には、鈴木さんが「科学史」の非常勤講師として出講している同志社大学へ授業参観に行っている。これで思い出した。鈴木さんはご家庭の事情で急遽、横浜の実家にもどらなければならなくなり、同志社大学の「科学史」の授業は後期から松永が引き継ぐように松尾さんが手配したのであった。
 200399日には、桃山学院大学大学院の夏季集中講義で来阪した鈴木さんと大学近くの割烹料理店で夕食を共にしている。鈴木さんとお会いしたのは、これが最後だったかもしれない。

2024年6月12日(水)ドイツ自然哲学
 体調は芳しくないが、なんとかLenoir (1981) Richards (2002)でキールマイヤー論を読み比べることができた。今は丁寧に読むより概要の把握のため、ざっと読み取ることを優先している。ここでもルノアがキールマイヤーをカント主義とみなすのに対し、リチャーズが真っ向から否定する。リチャーズによれば、キールマイヤーとシェリングの関係も微妙なようだ。

2024年6月11日(火)体調不良
 昨日の疲れが取れない。生協宅配の処理など、最低限の家事をこなすだけで、ほとんどぼんやりしていた。ついこの間まで飛鳥の里を歩き回っていたのに、体力低下が著しい。

2024年6月10日(月)整形外科
 朝、三日市町駅前の田中整形外科へ。案の定、月曜日は混雑している。隣りの薬局で骨粗鬆症の薬を受け取り、銀行で10日の引き落としを確認し、郵便局によって帰宅。バス停からの帰り道、鶯の声を聴きながらの登り坂は「乙なものでげす」といいたいが、疲れた。帰宅後は何もできない。

2024年6月9日(日)鈴木善次さん
 一昨日、追悼文の序論部分を書き終えたが、気に入らない。我がホームページに掲載するだけならともかく、『生物学史研究』に掲載するには不適切ではないかと思うようになった。そこで本日は冒頭部分の書き直しに取り組んだ。ドイツ生物学史研究はまたしてもお預けである。

2024年6月8日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。いつものメニューをこなした。

2024年6月7日(金)鈴木善次さん
 4()から研究を中断し、鈴木善次さん追悼文に着手した。困ったのが正確な時期などがなかなか判明しなかったことである。『生物学史研究』のバックナンバーを見てもはっきりしない。ようやく1974年の自分の日誌が見つかり、また、鈴木さんの『生物学史研究』投稿文に山口移住が「昭和48年の秋」とあるのを見つけた。鈴木さんが山口大学に就任されたのは197310月であり、当方が初めてお会いしたのは1974520日、国際科学史会議の会場でのことであった。
 この追悼文に石川純君のことを書いてよいか、避けるべきか迷ったが、鈴木さんが高校教師時代の教え子であった石川純君について痛恨の追悼文を掲載しているのを読み、石川君について書くことは、むしろ鈴木さんの意向にも沿うものと判断した。
 本日はいわば序論。1984年以降の大阪時代については改めて取り組むことにして、しばらくは科学史研究にもどるとしよう。

2024年6月5日(水)内科医
 午前中に隣町の福岡内科へ。降圧剤と整腸剤を受け取ってから、スーパーへ。シニアカーでの移動だったが、これだけで疲れ切ってしまった。

2024年6月3日(月)ドイツ自然哲学
 先月の30日以来、断続的にブルーメンバッハとカントに関する文献に目を通してきた。Lenoir (1981)は両者の関係を重視し、ブルーメンバッハによって確立したゲッチンゲン学派をカント哲学に基づく先験的自然哲学派と呼んでいる。ところがRichards (2002)はこれを真っ向から否定し、ブルーメンバッハはカント哲学を理解していないと指摘する。ブルーメンバッハは「形成衝動」(Bildungstrieb)による生物現象の統一的説明を試み、有機体における「形成衝動」は天体における引力と科学的に同等の位置にあるという。Richards (2002)の指摘する通り、これは到底、カントが認める立場ではない。しかもブルーメンバッハがカントに関心を向けるのは、1790年にカントから第三批判を贈呈され、それに添えられていた書簡で「形成衝動」を称賛されてからである。それまでにブルーメンバッハの立場は確立しているので、彼をカント派とみなすのは無理だろう。ずばりこの問題を扱ったJohn H Zammito (2012)の論文はネット上で抄録を読んだだけだが、同様の理由で両者の関係を否定している。
 Lenoir (1981)は第三批判におけるカントの生物学論を詳しく紹介している。当方も哲学科の学生時代には当然のことながら、カントの三批判のドイツ語原文を所蔵していたが、定年退職を機に手放してしまった。置いておくべきだった。

2024年6月1日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。3ケ月ごとの体力測定の後、いつものメニューをこなすことができたものの、帰宅後はなにもできない。

2024年5月26日(日)ドイツ自然哲学
 ルノア「ゲッチンゲン学派」(1981)を一応、読み終えた。22()23()と読み進めていたが、本日で打ち切ることにした。Timothy Lenoir,The Göttingen School and the development of transcendental Naturphilosophie in the Romantic Era , Studies in History of Biology, 5(1981) 111-205. 掲載書は年刊の論文集で、1977年に第1巻、1984年に最終の第7巻が刊行された。掲載論文が通常の学術誌よりも長文なのが特色になっていた。このルノアの論文も100ページに近く、冗長の感がある。抄録もないので趣旨が分かりにくい。通読の途中でじっくり読むことを中止し、全体の構成を把握することにした。
 論文の冒頭ではVon Engelhalt(1975)の説によって自然哲学派を、カント哲学に基づく「先験的自然哲学」、シェリング哲学に基づく「思弁的自然哲学」、およびヘーゲル哲学に基づく「形而上学的自然哲学」の3派に分けている。ゲッチンゲン大学における先験的自然哲学の展開を説くのが本論文の趣旨である。それによると、ブルーメンバッハによって基礎付けがなされ、キールマイヤー、アレクサンダー・フォン・フンボルト、およびトレフィラヌスに受け継がれたという。思弁的自然哲学にはオーケンとカルスの名を挙げているが、形而上学的自然哲学としてはヘーゲル『自然哲学』に言及するのみである。
 近年の研究ではブルーメンバッハをカント主義とみなすことには異論があり、トレフィラヌスの「生物学」とシェリング哲学との関係に注目する論文もある。したがって、ルノアの主張を鵜吞みにすることはできないが、ドイツ自然哲学の全体像を見わたすうえで有益な論文であった。

2024年5月25日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。昨日と同様、帰宅後はなにもできない。

2024年5月24日(金)皮膚科
 午前の早い時間に河内長野駅前の木田皮膚科へ。乾燥性湿疹の治療効果を確認。百均で文具類を購入してから帰宅。同様の行動だった先々週は帰宅後に動けたが、本日は疲れ切って何もできない。

2024年5月25日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。昨日と同様、帰宅後はなにもできない。

2024年5月24日(金)皮膚科
 午前の早い時間に河内長野駅前の木田皮膚科へ。乾燥性湿疹の治療効果を確認。百均で文具類を購入してから帰宅。同様の行動だった先々週は帰宅後に動けたが、本日は疲れ切って何もできない。

2024年5月18日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。相変わらず左肩の異常が残っているが、運動の妨げになることはなかった。

2024年5月17日(金)ドイツ自然哲学
 Roe(1981)の第4章「哲学論争:ニュートン主義と理性主義」と第6章「エピローグ」とを読み終えた。第5章「ヴォルフ後年における変異と遺伝の研究」では、ヴォルフがサンクトペテルブルクで実施したが未発表で稿本のまま残された研究を紹介している。さしあたり、この第5章は省略してよいだろう。
 ロウによると、ハラーがなによりも重視したのはキリスト教信仰であり、神の力を無視するような理論は認めなかった。そのうえで、ニュートン主義に基づく機械論によって実験結果を解釈していたという。創世時の神による入れ子状の卵原説を支持したのも信仰と機械論によるものであった。それによると、精液の刺激で心臓の irritability が発動して栄養分が送られるようになり、小さな体が成長していくという。
 ところで、生理学ではハラーの“irritability”に「被刺激性」の訳が定着しているが、妥当な訳語だろうか。“irritability”が意味するのは、「刺激されること」ではなく、(刺激されて)「動くこと」だろう。川喜多愛郎(1977)が、「ハラーの意を汲めばそれを収縮性と言いかえてもよいだろう」(p.370)と述べているように、「収縮性」あるいは「活動性」といった訳の方が適切ではなかろうか。また川喜多は、ハラーが「その本性については決定的な言葉を控えている」と述べているが、ロウによると、ニュートンの万有引力がそれ以上の説明を要しないように、生体物質の“irritability”もそれ以上の説明を要しないとみなしていたという。
 ヴォルフは、自然法則が神の設定したものだから自然法則のみによる解釈も信仰に抵触しないとみなしていたが、それはハラーが容認する立場ではなかった。ヴォルフは哲学者クリスティアン・ヴォルフの影響で論理的推論を重視し、論文でもそれを多用していた。動植物の成長や生殖を理解するためには無機物にはない力を想定しなければならないとし、それを「根本力」(vis essentialis)と名付けた。胚の形成を推進するのもこの力によるとしたが、どのように働くのかの説明がなく、ハラーから批判された。
 このように、ハラーとヴォルフの論争の根本的な要因は、それぞれが信奉する哲学思想の違いによるものであったという。19世紀になると前成説は無視され、ドイツ自然哲学、広くはロマン主義の生物学者たちによって後成説が確立されるが、それは万物が発展するという自然観によるものであり、ヴォルフの研究を受け継いだものではなかった。ここでも科学研究が哲学思想に依存していることが明らかであるという。
 Roe(1981)はこれで一旦、打ち切り。次は同書でも引用しているGould(1977)に目を通しておく必要があるだろう。

2024年5月15日(水)奈良博、空海
 散髪のため外出したついでに奈良国立博物館へ。2度目の空海展である。今回は駅前のコンビニでチケットを購入していったので、すぐに会場に入ることができた。
 前日の14日に展示替えがあり、第一会場では「血曼荼羅」に替えて久修園院(枚方市)の両界曼荼羅が展示されていた。宝永5(1708)に住職の宗覚律師が東寺のものを転写したという。色鮮やかで、一般向けの展覧会としてはこちらの方が適していると思う。
 仏像館では今回、おなじみの薬師如来立像(元興寺)と阿弥陀如来立像(浄土寺)に集中した。第8室は実質、この阿弥陀さんのための部屋になっているので、阿弥陀さんも満足気であった。薬師さんは中央第6室の脇の壇上に他の仏さんたちと並んでいる。もったいない。堂々と部屋の真ん中にいてほしい。
 帰宅後、ネットで調べると、久修園院(くしゅうおんいん)には宗覚律師作の地球儀と天球儀が保存されているという。真言律宗の僧として活躍する一方、地理天文にも通じていたことになる。丈六の愛染明王坐像(愛染堂)も宗覚律師作だという。この僧のことをもっと知りたくなった。

2024年5月13日(月)ドイツ自然哲学
 昨日からの2日でRoe(1981)の第3章「発生学論争」を読み終えた。ヴォルフ『発生論』(1759)をきっかけとしたハラーとの論争が紹介されている。鶏卵の発生初期における血管域内の血管の形成、心臓の形成、卵黄膜と初期胚の腸膜との関係についての応酬が詳細に記述されている。後成説のヴォルフは心臓などがしだいに形成されてくるという観察結果を重視するが、前成説のハラーは発生の初期に諸器官が観察されないのは透明で見えないだけだという。こうした見解の違いには両人の科学観の違いが反映しているので、それを次章で扱うという。ようやく同書の核心に至ることができる。

2024年5月11日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。2週間ぶりである。左肩の異常はかなり回復し、いつものメニューをほぼこなせるようになった。昼間はほとんど意識することがなくなったが、夜、床に就いてから痛くなるのがつらい。

2024年5月10日(金)皮膚科。ドイツ自然哲学
 午前の早い時間に河内長野駅前へ。銀行で10日の引き落としを確認した後、木田皮膚科へ。半年以上前から左わき腹に大きな、あざのようなものができていた。一向に自然治癒する気配がないので皮膚科を受診したところ、乾燥性湿疹と診断された。これも高齢化のためか。塗布用のステロイド剤と保湿剤を駅前の薬局で購入し、昼前に帰宅。3日続けての医者通いとなったが、その割には元気で、少しだけRoe(1981)に取り組むことができた。軽い躁状態に入っているようだ。
 Roe(1981)の第2章「ハラー発生論の変化」の冒頭部分よると、ライデンでブールハーフェに学んでいた当時のハラーはブールハーフェの精原説を奉じていたが、ゲッチンゲンに移った後、トランブレー(1744)の実験をきっかけに前成説を否定して後成説を支持するようになった。しかしビュフォン(1749)の発生論への反発がきっかけになって後成説を否定して前成説を唱えるようになったという。当時でもクレバーなハラーから見れば、ビュフォン発生論は、あまりに馬鹿馬鹿しかったのではなかろうか。

2024年5月9日(木)歯科検診
 昼前に隣町の迫川歯科へ。半年ごとの歯科健診である。本日は歩いて往復した。最近は自宅近辺でこれだけ歩くことはほとんどない。十分な運動になったであろう。その分、帰宅後はなにもできない。

2024年5月8日(水)内科医。ドイツ自然哲学
 朝の遅い時間に隣町の福岡内科へ。予想していたことではあるが、連休明けでかなりの混雑であった。帰宅、昼食後、しばし、ぐったりしていたが、夕刻になって回復。少しだけRoe(1981)に取り組むことができた。
 第1章・第3節「後成説と引力」では、モーペルチュイ(1745, 1751)とビュフォン(1749)の後成説を取り上げている。両者とも、雌雄の精液に含まれる身体各部由来の粒子が集合して胚が形成されるという。粒子が整然と集合することを説明するため、モーペルチュイは粒子に知性と記憶を付与し、ビュフォンは「内部鋳型」なるものを設定した。これは単純な機械論の弱点を克服して後成説を強化するものであったが、ハラー、ボネ、スパランツァーニがこれに対抗して前成説を復活させたという。
 夕刻7時に北海道の古書店から、ゆうパックでGould, Ontogeny and Phylogeny(1977)が届いた。ネットで検索し、最安値(¥1,650)のものを発注したが、書き込み皆無の美本であった。邦訳書もあるが、論文での引用には原書を参照しなければならない。現役時代なら大学図書館を利用するが、交通費と体力消耗を考慮すると今回のように購入した方が得なことも多い。しかし円安もあって新刊の洋書は高額で、よほどの必要性がない限り、購入するのは無理になった。

2024年5月7日(火)ドイツ自然哲学
 Roe(1981)の第1章・第2節「淡水ポリプの再生」では、トランブレー(1744)の実験は前成説に致命的なはずだったが、ボネのアド・ホックな説明によって見過ごされ、前成説の優勢は変わらなかった。これは観察より哲学的考察が優先されたことを示しているという。

2024年5月6日(月)ドイツ自然哲学
 前成説・後成説論争に関するシャーリー・ロウ(Shirley A. Roe)の著書(1981)に着手。ドイツ自然哲学より前の事件だが、無関係ではない。購入してから実質的にツンドクショになっていたが、この機会にじっくり読みたいと思う。
 「まえがき」によると、科学理論に哲学が深く関わっている好例としてハラーとヴォルフとの論争を取り上げたという。第1章「序論」の第1節「前成説の興隆」では、17世紀に前成説が有力になるのは観察によるものではなく、機械論のもとで神の力を認めようとすれば、入れ子状の卵原説によるほかなかったという。

2024年5月4日(土)家事
 ゴールデンウィークのためデイサービスは休業。午前中は家事、午後は隣町のスーパーへ。これで一日のエネルギーを使い果たした感がある。

2024年5月3日(金)ドイツ自然哲学
 この一週間、なぜか疲労感が続き、文献に取り組めたのは連日、わずかな時間だった。ドイツ自然哲学の生物学に取り組む前に、シェリング哲学の歴史的意義を確認しようと、なんとか哲学史の概説書を読み直してみた。哲学科の学生時代に読んだものには多くの書き込みが残っていたが、ほとんど忘れている。山崎正一や岩崎武雄はシェリングの自然哲学に軽く言及するだけであった。現在、松山寿一がシェリング自然哲学に注目しているのは、哲学畑では珍しいのかもしれない。その松山も当時の生物学がシェリングに及ぼした影響には言及しているが、その逆、シェリング自然哲学がドイツ生物学に及ぼした影響には触れていないようだ。哲学研究者の限界か。

2024年4月27日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。左肩の異常はかなり改善され、訓練メニューはすべてこなせるようになった。ラジオ体操の腕の動きもすべて可能になったが、痛みは残っている。明らかに快方に向かっているが、完治しないことには日常生活で新たな課題に取り組む気力が湧いてこない。

2024年4月25日(木)奈良博、空海
 奈良国立博物館の空海展へ。新館入り口のチケット売り場前には行列ができていた。展示会場もかなりの混雑だったが、展示品を見るのに苦労するほどではなかった。注目の展示品、「高雄曼荼羅」と「血曼荼羅」は真っ黒で我が目には何も見えない。これは予想していたことなので、実物を見たということでよしとしよう。第一展示室では京都・安祥寺の「五智如来坐像」が収穫であった。西新館の展示をざっと見た後、仏像館へ。現在、目玉の展示となっているのが金峯山寺・仁王門の「金剛力士立像」。「あ・うん」の二体を間近に見て、大きさも仏像の迫力の要素であると実感した。
 おだやかな観光日和ということもあってか、駅前と博物館前を結ぶ市バスは行きも帰りも観光客であふれるほどだった。ゴールデンウィークの混雑が思いやられる。

2024年4月23日(火)鈴木善次さん
 午前中は文献に取り組み、午後は鈴木善次さんの思い出を書き溜めておこうと計画したものの、結局、頭が動く時間帯は午前も午後も文献に取り組む結果になっている。これではいかんと、とにかくファイルを作り、鈴木さんの基礎データを入れておくことにした。ところがネット上には鈴木さんの年譜的なデータがなかった。手元の資料や『生物学史研究』のバックナンバーなどで確認するほかあるまい。

2024年4月20日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。左肩の異常は快方に向かっているものの、まだまだ痛い。フロアでの話題は昨夜のタイガースの快勝。帰宅後、このジャーナルを書いていると、タイガースの猛打爆発。それもよしよし大極上。

2024年4月19日(金)ドイツ自然哲学
 文献に取り組むのは10日振りである。二次資料はひと休み。シェリングを読むことにして、まずは松山寿一編『シェリング著作集』1b『自然哲学』に収められている『イデーン』(1797)。しかし『イデーン』は「序言」(Vorrede)と「序論」(Einleitung)しか訳されていない。「序論」はほとんどギリシア以来の哲学を批判することに費やされており、当時の生物学者たちが影響を受けたとは思えない。訳文を読んでいくとドイツ語原文を確認したくなるが、今は我慢。とにかく邦訳を読み進むことにしたい。

2024年月16日(火)ジョフロア研究
 紀要原稿「ジョフロア=サンチレールの生物学思想:『プランの一致』の歴史的意義」の初校に取り組んだ。桃大の担当者からは5日に送られてきたのだが、掲載誌『桃山学院大学人間文化研究』21号の刊行は10月なので、校正も急ぐことはないと今日になった。今回は特に文献注で表記の不統一が目立った。執筆時のミスである。36ページの校正刷りの一字一句に注意しながら読んだので、精根尽きた。明日、返送して一区切りである。

2024年月14日(日)駒井卓は「日本のダーウィン」か、鈴木善次さんの宿題
 20221225日の夕刻、鈴木善次さんから長文のメールが届いた。826日の「生物学史・夏の学校」に関するもので、次のようであった。

研究発表の一つに田中花音さん「日本におけるダーウィンと呼ばれる教育者駒井卓」というものが目に留まりました。<中略> 松永さんは上のように駒井卓が呼ばれているということをご存知でしたか。僕はこのプログラムを見て初めて知りました。

とりあえずの返信に、「駒井卓の件ですが、かつてその業績を一通り調べたことがあります。しかし『日本のダーウィン』といった評価に出会ったことはなかったと思います」と書き送った。さらに、追伸メールで次のように書いた。

『近代日本生物学者列伝』(平河出版社、1988)に大島長造と木原均が駒井の小伝(pp.427-434)を書いていますが、「日本のダーウィン」という表現はありません。京都市指定有形文化財の駒井家住宅(駒井卓・静江記念館)のホームページには下記の紹介記事がありました。<駒井家住宅は、「日本のダーウィン」と称され遺伝学等に大きな功績を残した駒井卓博士(京都大学名誉教授)の私邸として、1927年、ヴォーリズ建築事務所の設計により建てられました。> 発表者はこれを引用しただけではなかろうか。「日本のダーウィン」という呼び名は一般的ではなかったし、そのように評価するのも無理だと思います。

鈴木さんからは下記の返信があった。

貴兄のご指摘が妥当なようですね。確かに彼の記念館の紹介記事に「日本のダーウィン」という表現がありますね。ただ、発表のタイトルに「教育者駒井卓」とある点が気になります。機会を得て、ご本人に聞いてみます。次号の「生物学史研究」に「夏の学校」の記事が載るはずですので、誤解されないようにする必要があります。

この件に関するメールのやり取りはこれで終わったが、鈴木さんは著者に手紙を送ったはずである。先日、届いた『生物学史研究』103号に問題の論考(pp.74-78)が掲載されている。文末の注で田隅本生(1990)が “京大のなかのダーウィン”と形容していると指摘しているが、「日本のダーウィン」という表現の事例を示していない。結論としていえることは、駒井が「日本のダーウィン」と呼ばれたことはなく、あくまでも著者個人の評価に過ぎないということである。
 この件は鈴木さんが残された宿題の一つと思うが、『生物学史研究』や科学史MLに投稿するのは仰々しい気もするので、ここに記すことにした。それでも、今後、駒井が「日本のダーウィン」と呼ばれていたと早合点されることを、いくらかでも防ぐことができるであろう。

2024年4月13日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。左肩の異常は快方に向かっていると信じたいが、本日もかなり痛い。完治まではまだまだ時間がかかりそうだ。フロアでの話題の一つが阪神タイガースの不調。優勝の翌年が最下位という悪夢の再来か。

2024年4月12日(金)近大眼科、内科医、歯科医
 朝、近大病院へ。本日は視野検査や眼底写真などの検査の連続。診察は午後になったが、視野に変化はなく、当面、手術は不必要との医師の判断で、ほっとした。眼圧は十分に下がっているとはいえないが、とにかく、めでたい。
 会計を済ませた後、薬を受け取るまでに2時間を要した。8時半に家を出て帰宅したのが4時。そのままシニアカーで隣町の福岡内科へ。降圧剤を受け取り、近くの迫川歯科で歯科検診の予約を取って帰宅。医院めぐりの一日であった。

2024年4月11日(木)鈴木善次さん訃報
 朝、パソコンを開けて昨日のメールを確認したら、科学史MLに鈴木善次さんが124日に逝去されていたとの知らせがあった。愕然とした。思うことが多くて何を書けばよいか分からない。まずはご冥福をお祈りしたい。

2024年4月10日(水)文楽「絵本太功記」
 朝、家を出て文楽劇場4月公演の第一部へ。南海「天下茶屋駅」でも地下鉄「日本橋駅」でも、大きなキャリーケースの外国人観光客を何組も見かけるようになった。
 劇場の2階ホールに上がって目についた掲示に、「千歳太夫、急病のため休演」とある。今回は久しぶりに千歳太夫を聴くのが主目的だったのに、なんということだ。ついてないと思うしかない。「尼ヶ崎の段」は代役の靖太夫で十分、楽しむことはできたが、できれば、「現れ出でたる武智光秀」や「女童の知ることならず」 を千歳太夫で聴きたかったな。
 全体に充実した舞台だったと思うが、座席はガラガラ。埋まっていたのは2割程度か。磨き上げた芸を多くの人が見ないというのは、もったいない気がする。そういう自分も、肝心の第二部「若太夫襲名」を見ないで第一部だけで帰宅したが、これは体力の問題でやむを得ない。
 売店で織大夫が企画したという『文楽名鑑2023』を購入した。千歳太夫だけがアンケートに答えず、「私の答えはすべて舞台にあります」という。確かにそれは正しいが、技芸員一人一人を憶えるきっかけにもなるので、協力すべきではなかったろうか。

2024年4月9日(火)ドイツ自然哲学
 オープン・アクセスの下記の論文を昨日からの2日間で読み終えた。H. van den Berg & B. Demarest, Axiomatic Natural Philosophy and the Emergence of Biology as a Science, J Hist Biol. 53 (2020).
 カスパー・ヴォルフの発生論(1759)は哲学者クリスティアン・ヴォルフの科学論に基づいており、トレフィラヌスの“Biologie”(1802)はシェリングの『イデーン』(1797)と『世界霊』(1798)の科学論に基づいており、いずれも公理体系として提唱されているという。ヴォルフ発生論がヴォルフ哲学に基づいていることはRoe(1981)にも説かれており、著者もこれを引用している。トレフィラヌス生物学論の分析がこの論文の最大の特色だろう。
 生物研究がヒストリー(記述)から脱皮してフィロソフィーになるには先行の物理科学に倣うのは当然の成り行きといえよう。問題は、ヴォルフ発生論とトレフィラヌス生物学論がその後の生物学の成立にどこまで影響を及ぼしたのかだろう。この論文にその点の考察はない。しかし多数の文献が引用されており、自分の不勉強が思い知らされる。生物学史全体を見渡すにはまだまだ知見が足りない。
 今回、44ページの論文を2日で読了することができた。著者がオランダとドイツの研究者であるためか、英文が明快で解釈に悩むことは皆無であった。自信喪失と自信確保の両面をもたらしてくれた論文であった。

2024年4月7日(日)桜並木
 穏やかな暖かい日なので、昼過ぎにシニアカーで隣町のスーパーへ。さしたる用事はなく、本当の目的は途中の桜並木。散り始めた木もあるが、十分に満開の桜を楽しむことができた。ただし、これだけで一日のエネルギーを使い果たしてしまった。それが分かっていても出かけるのは、満開の桜を見ないとなんとなく落ち着かないからである。日本人の習性か。明日は雨の予報なので、今年の桜は今日で終わりであろう。

2024年4月6日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。左肩の異常は少しずつ快方に向かっているようだが、痛みは消えない。メニューの一部は中止したまま。これが完治しないことには何をするにも意欲が減退する。 

2024年4月4日(木)ドイツ自然哲学
 Robert J. Richards, The Romantic Conception of Life2002)の第1章「序論」を読了。ドイツ自然哲学の生物学を総合的に扱っていると期待していたが、違っていた。本論はシュレーゲル兄弟とノヴァーリスから始まり、ゲーテが議論の軸に据えられている。生物学者としてはブルーメンバッハとキールマイヤーに詳しいが、オーケンは短い。トレフィラヌスは注の中で “Biologie” の提唱者として登場するが、本文では全く言及されていない。部分的に参照すべき箇所があるにせよ、通読する必要はないだろう。
 なお、本書の結論として、ダーウィンの進化論をもたらしたのはドイツのロマン主義生物学であるというが、ドイツ語を不得手としていたダーウィンがドイツのロマン主義から大きな影響を受けたとは考えられない。この結論には無理がある。

2024年4月1日(月)新年度
 昼前にシニアカーで隣町のスーパーへ。昨日までの黄砂の心配もなく、暖かい日なので気分も良い。途中の桜並木が一挙に開花。満開も間近だろう。テレビ番組では新年度、新学期とさわいでいるが、年金生活には関係がない。とはいえ、本日の好天気のもとで、なんとなくわくわくしてきた。鬱の状態から躁状態に転じたようだ。
 新たな研究テーマとしては、ジョフロアの背後に見え隠れしていた「ドイツ自然哲学」の生物学に取り組むことにした。半年でまとめられるだろうという見込みで下調べをすると、それほど簡単ではないことが判明してきた。まず、だれが「ドイツ自然哲学の生物学者」なのかが文献によって異なる。また、その歴史的意義についても、生物学発展の妨げになったとする見解もあれば、19世紀生物学の基礎になったとする見解もある。ドイツ自然哲学を包括的に扱った文献は見当たらないし、邦語文献には有益なものがない。まず、手元にある英語の二次文献を読んでいくことから始めるとしよう。

2024年3月30日(土)手すり工事
 午前中は階段に手すりを付ける工事が入ったので、デイサービスは休んだ。年金生活の中で工事費を工面するのはつらいが、階段から落ちて骨折するよりましであろう。

2024年3月27日(水)近大眼科、桃大図書館
 午前中は近大眼科へ。予約日ではないが、不足してきた目薬をもらいに行ってきた。午後は桃大へ。図書館でハードカバー3冊を借り出したが、これを持ち帰るのが一苦労だった。かばんを右肩に掛け、右手に杖、左手に本を入れたバッグを持つと左の肩が痛い。杖を左手に持ち替えても左肩が痛む。タクシーも利用してなんとか帰宅したが、交通費を考えると借用より購入の方が得なことも多くなった。

2024年3月23日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。左肩の関節の異常が一向に良くならない。日にち薬の効果を待つしかないと思うものの、日常生活に支障が出るし、憂鬱な日々が続いている。

2024年3月16日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。左腕の筋肉痛は治まったものの、肩関節の痛みが続いている。一部の運動は中止せざるを得ない。全治までにはまだまだ時間がかかるようだ。

2024年3月15日(金)内科医
 夕方の5時前に隣町の福岡内科へ。本日はこの時間になっても気温が落ちない。シニアカーでも寒くなかった。帰宅後、血圧手帳をもらうのを忘れていたことに気が付いた。最近、こうした「うっかりミス」が増えているようだ。

2024年3月13日(水)散髪
 朝、散髪のために外出。ついでに北野田駅周辺の百均とスーパーで買い物をして帰宅。これだけで本日のエネルギーを使い果たした感がある。深夜、両足の痙攣で二度も起きることになった。直接の原因は昼間の外出だが、根本的には体力低下と運動不足ためであろう。わかってはいても、どうにもならない。

2024年3月9日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。打ち身の痛みは消えたが、左腕の痛みがひどくなっている。まさに、一難去ってまた一難。これも日にち薬に期待するほかあるまい。

2024年3月8日(金)文楽予約
 文楽劇場4月公演の予約を済ませた。昨日が会員先行予約日で、本日から一般予約開始だったのを勘違いしていた。しかし座席はほとんど埋まっていなかったので、いつもの床直下の席を楽に確保することができた。それは嬉しいが、観客が少ないのが心配である。コロナで激減した観客がもどっていないらしい。世間の耳目を集めるような思い切った企画がないものだろうか。襲名披露程度では話題にならない。
 三部構成のうち、今回は第一部「絵本太功記」にした。「尼ケ崎の段」の切は千歳太夫。現在の太夫陣の中では千歳太夫が好みなのだが、なぜか出演はいつも第一部。当方はほとんど第二部に行くので、ここ数年、千歳太夫を聴いていない。久しぶりの千歳太夫に期待している。
 第二部が「豊竹呂太夫改め十一代目豊竹若太夫・襲名披露公演」。若き日、文楽に通い始めたころ、呂太夫の祖父、十代目若太夫の豪快な語りに魅せられていた。当時、すでに視力を失っており、その語りを楽しめたのは短い期間だったが、しっかり記憶に残っている。呂太夫の風貌には祖父を思わせるところもあるが、語り口はまるで違う。呂太夫が襲名に際し、どこかで、祖父の語り口も復活させたいと語っていたと思うが、そうであるなら、これも期待したい。

2024年3月7日(木)英文校閲
 桃大の紀要担当者から、論文「ジョフロア=サンチレールの生物学思想」の英文抄録についてのネイティブチェックの結果が送信されてきた。修正案を見て、なるほどと納得することが多いが、そうでもないこともある。英書の表現をそのまま利用していても修正されることがある。とくに冠詞が必要か、必要なら定冠詞か不定冠詞か、となると微妙である。ネイティブにとってもこの判断は容易ではないようだ。
 とにかく英文抄録の修正を終えたので、明日、確認して担当者に通知したい。ここ数日、だらけた時間を過ごしているので、久しぶりに仕事らしいことをした気分である。

2024年3月3日(日)図書返送
 桃大図書館から借り出していた洋書をクロネコヤマトで返送した。Russell(1916), Appel(1987), Guyader( 1998)の英訳( 2004), それとGould(2002) 4冊である。ジョフロア研究で参照した文献整理は終了した。
 これまでは「ゆうパック」で返送していたが、今回はクロネコヤマトを利用してみた。あらかじめ利用登録しておくとネット上で送り先も入力できる。集荷時に料金を支払うだけなので便利だった。

2024年3月2日(土)体調不良
 体調不良でデイサービスは休んだ。昨日は体中に痛みがあり、腹具合も芳しくなかったので、予め休むことを事業所に伝えておいた。風邪であろう。一年と半年を要したジョフロア研究に区切りがついて、心身の緊張感が緩んだことも影響しているかもしれない。
 昨晩は寝苦しかったが、明け方、起床すると、体中の痛みは消えていた。一気に回復に向かっているようだ。ただ、左腕の痛みが続いているのが憂鬱である。異変を感じた時、すぐにマウス操作が原因と気づくべきであった。
 体が動くので、ジョフロア研究に関連して出しっ放しになっていた文献類を片付ける一方、次のテーマに向けた準備の、そのまた予備調査にも着手した。ジョフロアが終わったら、しばらくは日本の古典の世界を楽しむつもりだったのに。これは余裕に乏しい貧乏根性か。それとも、科学史研究の魅力というべきか。

2024年2月28日(水)ジョフロア研究
 昼の間に紀要論文「ジョフロア=サンチレールの生物学思想:『プランの一致』の歴史的意義」の原稿整理が済んだので、夕食後に桃大の担当者にファイル添付で送信した。順調にいけば、10月刊の桃山学院大学『人間文化研究』第21号に掲載されるはずである。原稿を送信し終わった瞬間、しばし気が抜けたようになった。
 ジョフロア研究に着手したのは20229月であった。ダーウィン研究の一環として『種の起源』第3版以降に掲載されている「歴史的概要」を整理する計画を立て、その一番手にジョフロアを選んだ。だが、すぐに、ジョフロアについては独立した論考にすべきであると気が付いた。当初は後世への影響なども論じるつもりだったが、時間的、空間的(字数制限)にとうてい無理であった。
 この研究を通じて新たに知ったことも多い。生物学史の重要なテーマについては概説書のレベルではなく、原典に基づく理解を深めていきたいと思う。

2024年2月26日(月)ジョフロア研究
 ようやく紀要論文の英文抄録を書き終えた。500語の英文に延べ4日も要したのは情けないが、集中力が持続しないのでやむを得ない。

2024年2月25日(日)腕の痛み
 階段から落ちて腰の打ち身に悩むようになる以前から、左腕に痛みを感じていた。近頃、それが激しくなってきたが、原因が思い浮かばず困っていた。今日になって、ふと思い出した。現役時代、右腕が痛むので医師に相談したら、原因はマウス操作と診断された。それ以来、マウスは左腕で操作し、極力、腕を浮かさないようにしてきた。それでも長年の操作で左腕が痛みだしたのだろう。本日から右腕の操作に変えたので、左腕の痛みは消えていくと期待している。今後は適宜、左右交代すべきかもしれない。

2024年2月24日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。通常のメニューをほとんどこなすことができた。打ち身の痛みは解消せず、姿勢によっては激痛が走る。まだまだ日にち薬が必要なようだ。

2024年2月23日(金)ジョフロア研究
 昨日から紀要論文の英文抄録に取り掛かり、本日中に終える予定だったが集中力が切れたので中断した。後一日で終わるだろう。焦ることはない。

2024年2月21日(水)還付申告書送信
 eTax送信を済ませて、ほっと一息。申告書作成に例年よりも時間を要した。医療費計算が2日になったのは一気に片付ける気力がなかったからだが、eTaxの入力に時間を要したのは操作ミスのためだろう。とっさの判断力が鈍っている。極端な寒暖差に心身が追い付いていないが、老化進行の影響もあるかもしれない。

2024年2月18日(日)医療費
 パソコンを開ける体力気力が復活してきたので、午前中は時刻表廃止への恨みつらみをジャーナルに綴った。午後は還付申告書のために医療費を計算するつもりだったが、領収書を整理し終わったところで嫌になった。計算は明日に延ばして、少々のんびりしよう。

2024年2月17日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。通常のメニューをほとんどこなすことができた。
 先月30()に階段から落ちて背中を痛めて以来、回復の兆しが見られず不安だったが、ようやく一昨日あたりから楽になってきた。打ち身の中心部位の痛みは続いているが、周辺の痛みは消えたようだ。睡眠時の困難は消えておらず寝汗にも悩んでいるが、昼間の日常生活には支障がなくなってきた。

2024年2月16日(金)時刻表印刷
 半日を費やして、南海バスと南海電鉄・泉北高速の時刻表をネットから印刷した。いままでも数ヶ所のバス停留所の時刻表と、数ヶ所の駅のポケット時刻表をカバンに入れていた。我がプリンターはほとんど文献のプリントアウトに使うだけなので、黒インクしか用意していない。電車の時刻表では急行、準急、各停などを色で区別しているが、モノクロ印刷ではそれが分からない。不便なことになった。スマホもパソコンもプリンターも持たない乗客も少なくないだろう。弱者切り捨ての社会になってきたことを、切実に実感している。

2024年2月14日(水)時刻表が消えた。
 
散髪のため外出。驚いたことに、南海電鉄の駅から時刻表が消えていた。120日のダイヤ改定に合わせて、紙の時刻表も廃止したという。ネットで検索してみると、すでにJRなどで実施されているらしい。スマホを利用しろということだが、スマホを持たない乗客を無視している。時刻表の掲示は基本的サービスだろう。信じられない事態が起きたものだ。

2024年2月12日(月)ジョフロア研究
 祭日といっても、普段と何も変わらない。投稿原稿の点検を続けているが、打ち身の痛みがつらい。文献注の点検は、重要とはいえ楽しい作業ではない。これからの作業で苦労するのが、英文抄録の作成である。

2024年2月10日(土)ジョフロア研究
 体調不良でデイサービスは休んだ。打ち身の痛みは消えていない。風邪も引いているようだが、ロキソニンで症状は抑えられている。なにをするにも休み休み。それでも投稿原稿を一応、書き終えることができた。後は、形を整え、ミスがないか点検する作業が残っている。2月中にはその作業も完了するであろう。

2024年2月4日(水)整形外科
 午前中に三日市駅筋の田中整形へ。レントゲン写真によって骨に異常のないことを確認。デイサービスでの運動に差し支えないかとの判断であった。隣接する薬局で湿布と鎮痛剤を受け取り、河内長野駅前で所用と昼食を済ませてから帰宅。これだけで疲れ果てた。

2024年2月4日(日)ジョフロア研究
 
起床後、数時間は打ち身の痛みで苦しんだ。じっとしていても痛い。動けば余計に痛い。姿勢によっては激痛が走る。ところが朝食後に服用したロキソニンの効果もあったのか、昼前にはかなり治まり、午後は投稿原稿の作成に取り組むことができた。
 ジョフロアの進化論論文を一通り紹介した。下書きには加筆のためのメモ書きもいくつかあったが、すべて無視。とにかく原稿量を削減しなければならない。ふくらみの無い論文になるが、やむを得ない。

2024年2月3日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。打ち身の痛みはあるが、いつものメニューはこなせると判断して出かけた。ところが事業所のスタッフが用心して軽いメニューに変更となった。事業所としては運動に差し支えないか、医師の判断を待ちたいようだ。医者には行かず、日にち薬で治すつもりだったが、そうはいかなくなった。

2024年2月1日(木)咲太夫死去
 ネットのニュースで知った。休演が続いていたので心配だったが、残念な結果となった。196611月、国立小劇場での襲名披露公演以来、注目してきた太夫である。綱太夫襲名を楽しみにしていたが、本人にその気はなかったらしい。新橋演舞場や三越劇場での文楽公演で中心となっていた技芸員たちがこの世を去り、東京在住のころからのなじみといえば咲太夫だけになっていた。自分が生きてきた時代が消えていく気がする。享年79歳。もう少し、活躍してほしかった。

2024年1月31日(月)ジョフロア研究
 背筋の痛みは続いているが、投稿原稿の作成を再開し、主著『解剖哲学』についての入力を終えた。文献注などを加筆する一方、フランス語原文の引用などを削除して分量の削減を図った。ニュートン『光学』設問31の引用と解説を削除したのも心残りである。

2024年1月30日(月)打ち身
 二階から降りるとき、階段から滑り落ちて背中を打った。後、数段というところで、一瞬、意識が遠のき、滑り落ちたようだ。さいわい、骨に異常はないが、右側の背筋が痛い。医者に行くほどではないが、しばらくは不自由になる。かねてから不安だったが、とうとう、やらかしたか。今後も気を付けねばならない。

2024年1月27日(土)デイサービス
 朝のうちは昨日と変わらぬ寒さだったが、体も意識も正常に動いた。土曜日はゴミ出しとデイサービスがあるので、無意識のうちに張り切っているのかもしれない。午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後の疲れもいつもほどではない。夜にはジャーナルを書くこともできた。

2024年1月26日(金)寒波
 寒さで体も頭もまともに動かない。ヒートテックの下着と電熱チョッキで身を包み、暖房を効かせた部屋にいるのに、寒い。体力に基本的な問題があるのだろう。

2024年1月24日(水)田淵久美子『百人一首』岩波新書
 寒波襲来。こちらでも朝、雪がちらついたが、すぐに止んだ。とにかく寒い。
 アマゾンで予約しておいた標記の新刊書が昨日、届き、本日、通読。中学生の時、一度は「百人一首」を全部、憶えたと思う。数年前から、橋本武『解説 百人一首』(ちくま学芸文庫、2014)を常に手元において、和歌と作者と番号と出典の記憶に努めている。何の役にも立たないが、記憶力を試す一人遊びである。橋本は個々の和歌を丁寧に解説しているが、「百人一首」の成立についてはほんの一言(p.318)あるだけである。「百人秀歌」への言及もあるが(p.313)、説明はない。
 田淵『百人一首』によると、定家が作成した「百人秀歌」が、後世、別人によって改変されて「百人一首」になったが、改変者が誰なのかは不明だという。小倉百人一首の伝説は連歌師の宗祇が捏造し、二条派によって強化されたというが、「二条派」とは何。どこにも説明がない。もしかしたら編集担当者も国文の出身で、彼らにとっては説明するまでもない用語なのかもしれない。

024年1月21日(日)ジョフロア研究
 投稿原稿の作成を続行。1796年のキツネザル論文まで終了。これからがいわば本論になるが、その前に一息つきたい。といってもどうすれば気分転換になるのか。外に出るのも億劫となると、テレビを見るしかないか。

2024年1月20日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は疲れ果てて何もできない。

2024年1月18日(木)ジョフロア研究
 終日、小雨が降ったりやんだり。部屋に閉じこもって投稿原稿の作成を続行。後回しにしていたキュヴィエについての執筆を終了した。ジョフロアとの関係で落とせない事項に限定し、動物界の四部門、「生存の条件」、それと自称経験主義についてだけ、簡潔にまとめておいた。スペースが限られているので、やむを得ない。

2024年1月17日(水)内科医
 早朝は寒いので昼近くなってから隣町の福岡内科へ。降圧剤をもらい、ついでにスーパーで買い物。これだけで今日一日のエネルギーを使い果たした感がある。

2024年1月14日(日)ジョフロア研究
 朝のうちは今季一番の冷え込みではなかろうか。身も心も縮んで何もできない。昼近くになって、ようやくパソコンを開けることができた。ジョフロア論の投稿原稿作成を続行。文献注などを補足する一方、本文を大幅に削らなければならない。それでも3月末に投稿という目標は達成できそうなので、なんとなく気が緩んでいる。

2024年1月13日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は昨日の疲れも重なって、ぼんやりしているだけ。

2024年1月12日(金)近大眼科
 午前中は近大病院。眼圧の状況に変化なし。帰途、理髪店に寄ってから帰宅。とにかく無事、85歳を迎えられたことに感謝すべきか。

2024年1月10日(水)ジョフロア研究
 一次原稿を書き終えたので、投稿用の原稿に取り掛かった。補足しなければならない部分もある一方、紀要の規定を大幅に超えているので、いったん書いた原稿を大量に削らなければならない。つらい作業だが、やむを得ない。

2024年1月7日(日)ジョフロア研究
 一昨日からの疲れが抜けず、日中はぐずぐずしていたか、夕刻になってようやく普通の状態になった。ジョフロア論は時間をさかのぼって原猿類論文(1796)についての執筆に着手した。ジョフロアの思想を理解するには冒頭2ページの「プランの一致論」を全文、引用すべきだが、紀要論文の限られたスペースでは無理。どれだけ引用するか、決めかねている。

2024年1月6日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。いつものメンバーでいつもの訓練が始まった。帰宅後は昨日の疲れも重なり、ただただ休むだけ。

2024年1月5日(金)外出
 朝はまず三日市町駅筋の田中整形へ。隣の薬局で骨粗鬆症の薬を受け取り、近くのローソンで市のゴミ券を購入。河内長野駅前まで足を延ばし、百均でコーヒーフィルターを購入。マツモトキヨシでロキソニンを購入した時には店長が呼び出されて来た。薬剤師の資格がないと販売できないらしい。書店で気分転換になる本を探し、結局、矢羽野孝雄『大学・中庸』(角川ソフィア文庫、2016)を購入。本はアマゾンで購入することが多くなっているが、書店の棚を見て回るのも楽しい。銀行に寄ってからバスの時間までミスドで一服。8時半に家を出て正午に帰宅。
 年末30日のゴミ出し以来、一歩も外に出ていなかった。暖かい日だったので、気持ちの良い時間を過ごすことができた。

2024年1月4日(木)ジョフロア研究。ホームページ更新
 午前中にジョフロアの最後の講演(329)について入力を終了。午後、我がホームページの更新に取り組んだ。昨年分のジャーナルを新規のページに移動し、トップページの年齢を修正しておいた。

2024年1月2日(火)ジョフロア研究
 今年もカミさんの二尊院詣のお供をケアサービスの事業者にまかせたので、終日、家に閉じこもり、1830322日の両人の講演をなんとかまとめることができた。両人の講演は繰り返しが多く、我が集中力も続かない。時間を要した割には内容の乏しいものになってしまった。

2024年1月1日(月)無為
 例年、元日の午前中は年賀状の宛名書きに費やされてきたが、今年はそれがない。しかし文献に取り組む気力もないので、漢字パズルなどで過ごしていた。 夕刻、テレビで能登地震が伝えられて間もなく、ここ大阪南部でも家が揺れた。震源地近くでは大きな揺れであったことが想像できる。楽しみにしていた読売テレビの笑点特番も、NHKのウィーン・フィル ニューイヤーコンサートも飛んでしまった。残念だが、やむを得ないだろう。

2024年1月1日(月)今年は何をするか
 図書返還の期限もあるのでジョフロア論は3月末までにまとめなければならないが、多分、それは可能だろう。その後のテーマを決めかねている。ジョフロアに引き続いてフランス生物学史をまとめておくか、ドイツ自然哲学についての知識が欠けているので本格的に勉強するか、ダーウィン論で気になっているD135に取り組むか。ジョフロア論を紀要に投稿してから考えよう。