2019年12月31日(火)今年は何をしたか
 今年の元日に書いた目標を読み直してみた。「研究テーマはダーウィンの遺伝論。できれば半年でまとめたい」と書いているが、ダーウィン論を全面的に見直す作業になってしまった。
 パソコン買い換え(7から10へ)は1万円の中古品で済ませたが、今のところ、大きな問題は生じていない。
 体力低下は恐れていた通りに進行している。10月から介護度の認定か下げられたため、デイサービスでのリハビリが週一になってしまった。

2019年12月31日(火)ホームページ更新
 大晦日と行っても特別なことはない。昼間はなんとなくパズルなどで過ごす。夜になってやる気が出てきたので、ホームページの更新を試みている。2013年以来、ジャーナルを同じファイルに書き続けているため、かなり重くなってきた。以前から気になっていたが、つい面倒でそのままになっていた。今夜は意を決して、本日までの分を新規のページに移動した。自信は無いが、多分、最低限の処理はできていると思う。

2019年12月30日(月)デイサービス
 午前中に注連飾りを取り付け、壁掛けカレンダーを入れ替えた。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。年末のためか欠席者も多く、のんびりした雰囲気であった。

2019年12月29日(日)ダーウィン研究
 昨日、今日とオケ『オリジン再訪』第1章「迷宮の『オリジン』」の要点整理を続行。原則として引用文献を一つ一つ確認しているので時間がかかるが、焦ることはない。オケは『オリジン』各版の違いを重視しているが、現在はそれを、Darwin-Online とPeckham で確認できるのがありがたい。

2019年12月27日(金)年賀状
 外出の疲れがようやく抜けたようだ。午前中は年賀状を印刷。4通だけ宛先を書き、ポストまでシニアカーで往復。今年の挨拶文は、「年々、時間の経つのが早くなっていく。一日一日が、あっという間に過ぎてしまう。それでも、ダーウィン論、遺伝学成立史、生物学通史、あきらめないぞ」。挨拶というよりも、自分自身への激励か。

2019年12月26日(木)ダーウィン研究
 一昨日の疲れがまだ抜けないのか、依然として体調不良。それでもなんとか、サンドラ・ハーバート『地質学者チャールズ・ダーウィン』(2005)の一節「時間の経過」(pp.349-354)に目を通すことができた。ダーウィンは『オリジン』第9章の最初の節「時間の経過」後半でウィールド地方の削剥に要した時間を推定しているが、第2版の微修正の後、第3版で全面削除している。オケ『オリジン再訪』では、これを改版による本文改訂の好例としている(p.29)。ハーバートの著書には削除に至る事情が説明されている。

2019年12月25日(水)早朝高血圧
 朝はシニアカーで隣町の福岡医院へ。異様に高かった早朝の血圧が、就寝前に服用している降圧剤のおかげか、数日前から正常値になってきた。今後も軽めの降圧剤を服用することになった。
 午後は、案の定、昨日の疲れが出てなにもできない。

2019年12月24日(火)近大眼科
 朝早くに近大病院へ。眼圧がコントロールされていることを確認。いつもはこの後、桃大図書館に回るのだが、大学は本日から冬休み。折角の外出なので、eTax 送信のためのIDをもらいに堺東駅近くの堺税務署へ。自分でパソコンを操作するとは知らなかった。職員の対応は親切だったとはいえないが、手続きは完了。これで自宅から還付申告ができるはずである。

2019年12月23日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。先週の体力測定の結果は、可もなく不可もなし、といったところか。

2019年12月21日(土)ジャーナル執筆
 昨日の疲れで体が動かない。最低限の家事雑用はこなしたものの、文献に取り組むのは無理。午後1時からのNHK・Eテレ「こころの時代: マンダラ」再放送に刺激されて書棚からマンダラ解説書を引っ張りだし、胎蔵曼荼羅12院と仏さんたちの名前を覚え直そうとしたが、長くは続かない。その過程で、「摩利支天」が本来、女神であったことを知った。日本では、「摩利支天なればとて、数万騎のその中へ、一騎がけの死軍」(盛綱陣屋)のように軍神になっているが、インドでは陽炎を意味する女神であったという。意外な事実を知るのは楽しい。
 夜になって気分も落ち着き、2日分のジャーナルを書いている。

2019年12月20日(金)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。嵐山のメイン道路は相変わらずの賑わいだが、二尊院周辺は先月と違って静かである。「嵐山花灯路」(13日-22日)の期間中。帰宅時、二尊院門前でタクシーを待っていると、5時ちょうどに一斉点火。交通規制も始まり、渡月橋を通ることはできなかった。

2019年12月19日(木)ダーウィン研究
 オケ『オリジン再訪』第1章「迷宮の『オリジン』」の要点整理を続行。『オリジン』の版次による違いを再確認する作業になっている。 

2019年12月18日(水)ダーウィン研究
 オケ『オリジン再訪』第1章「迷宮の『オリジン』」の要点整理に着手。この章は「『オリジン』の進化」(2013)の増補改訂版だが、前著よりかなり詳しくなっている。

2019年12月17日(火)夜の配送
 家事雑用で慌ただしい一日だったが、夕食後、ネットで確認すると、佐川急便によるアマゾン配送が、「配達中、本日中に到着」とある。しかし8時を過ぎても来ないので明日に延びたと思い、寝ようとしたら、9時半ごろに荷が届いた。ドライバーは見るからに疲れ切っていた。別に急ぐ荷ではなし、注文受け付け時には「配送予定は水曜」となっていたのだから、翌日配達でまったく差し支えなかった。ドライバーの負担軽減を考えてほしいと思った。

2019年12月16日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日は当方だけ3ヶ月ごとの体力測定があったが、運動メニューもいつも通りにこなすことができた。

2019年12月15日(日)溝掃除
 本日は団地自治会の一斉溝掃除。隣家との間の溝の落葉を掃除したついでに、我が家の庭の落葉も掃除。午後は関西電力関連の営業マンが飛び込みでやってきたので、その対応で終わる。体力消耗。いつの間にか一日が終わってしまった。

2019年12月13日(金)映画「決算!忠臣蔵」
 朝はまず、北野田の日野歯科で半年ごとの歯科検診。北野田駅にもどる途中、百均のダイソーでカレンダーと手帳を購入。この後、難波に出て、なんばパークスシネマへ。大石の描き方など、正統的な忠臣蔵映画とは異なっているが、これはこれで楽しめる。脚本(中村義洋監督)は山本博文『「忠臣蔵」の決算書』をもとにしているとはいえ、同書を「原作」と呼ぶのは不適切ではなかろうか。
 最近、忠臣蔵関係のテレビ番組をいくつか見た。NHKの番組に出演した山本によると、刃傷当日、吉良が老中などに内匠頭の悪口をいっていたのは史実だという。史料の紹介はなかったが、それが事実なら刃傷の原因が判明したことになる。
 民放番組に出演した磯田道史によると、近松勘六ゆかりの新発見史料には、討ち入り後の泉岳寺で内匠頭が吉良の首を討つようなしぐさを浪士全員が行ったと記されているという。すなわち討ち入りは仇討ちではなく、亡き主君がこの世に残した思いをはらすことだったという。
 刃傷の原因も討ち入りの目的も明らかになったと見て良いのだろうか。

2019年12月10日(火)ダーウィン研究
 貸本屋ミューディのことが気になったので、調べてみた。デスモンド&モリスのダーウィン伝には言及されていないようだが、J.ブラウンの伝記の下巻にはかなり詳しく記載されている。それによると、『オリジン』初版を500部購入しただけでなく、ライエル『ヒトの古さ』(1863)を数千部、ハクスリー『ヒトの位置』(1863)を数百部、購入するなど、進化思想の普及に貢献したという。チャールズ・ダーウィンもミューディの利用者で、借り出した新刊の小説を妻エマに読んでもらうのを楽しみにしていた。
 1859年11月22日のマレー社の販売会で売り上げ第1位はマクリントック『ジョン・フランクリン郷死去の発見』であった。海軍将校フランクリンは北極探検に出たまま行方不明だったが、同じく海軍将校のマクリントックが1859年の北極探検でフランクリンの遭難死(1847)を確認し、その経過を発表したのである。日本人にとって「フランクリン」といえばアメリカ大統領しか思い浮かばないが、イギリス人には北極の英雄フランクリンの方が有名らしい。デスモンド&モリスにはマクリントックの著書について、The Franklin blockbuster(p.477) とだけ記されている。イギリス人にはこれで十分、伝わるのだろう。邦訳書では「超大型企画のフランクリン」(p.690)となっているが、「衝撃的なフランクリン遭難記」とでもする方が適切だろう。
 当日の売り上げ第2位はスマイルズ『自助論』であった。ブラウンは、「マレー社から同じ日に、ヴィクトリア朝の精神構造を正確に反映する3点の著書、ダーウィン、マクリントック、スマイルズが刊行された」(p.88)ことに注目している。
 拙著『チャールズ・ダーウィンの生涯』(p.221)では『オリジン』初版500部のミューディ購入の件は書いておいたが、ダーウィンが利用者でもあったことも書いておくべきだったかもしれない。『自助論』の売り上げを「3万2000部」としたのは桁違いの間違いらしい。執筆時に参照したマレー社の資料は手元にないが、正しくは「3200」のようだ。

2019年12月9日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日の利用者は定員一杯の16名。にぎやかであった。本日は体調も良く、帰宅後も気力体力が残っているので、2日分のジャーナルを書いている。

2019年12月8日(日)ダーウィン研究
 オケ『オリジン再訪』(2018)の序論について、要点の入力を終えた。今回は引用文献をできるだけ確認してきた。『オリジン』の普及とミューディ貸本屋との関係については、トッパム(Jonathan Topham)の論文(2004)が記載されている。ところが、ファーストネームが John と誤記されている。今や文献記載はデータベースからのコピペの後、書式を整えるだけなのに、なぜこんなミスが生じたか、不可解である。また、この論文は雑誌『アイシス』の小特集「科学の読者」の論文の一つだが、オケの文献欄には特集名がなく、“A View from the industrial age” とだけ記されている。これでは論文の内容がまったく分からない。他山の石。こうしたミスはしないようにしたい。

2019年12月6日(金)ダーウィン研究
 ラスキンの絵を見てきたばかりなので、ジョナサン・スミス『チャールズ・ダーウィンとヴィクトリア朝のヴィジュアル文化』(2006)の序論に該当する第1章の第2節「ダーウィンとラスキン」を読了。ラスキンは、風景画には造物主の力を示す道徳的要素がなければならないと主張していた。これは、美的感覚も進化の産物とするダーウィンの主張と決定的に対立するものであった。当時、有力になってきた科学的自然主義をラスキンが否定していた背景には、こうしたダーウィン説への反発があったという。第2章以降でも繰り返しラスキンが取り上げられている。それによると、ダーウィンとラスキンは少なくとも3回、直接、会っている。1837年にはロンドンのバックランド宅で、1868にはダウン・ハウスで、1879には湖水地方のラスキン宅で会っていた。思想上は対立していたが、人物としては互いに好感を持っていたらしい。また、ラスキンは本来、地質学者になるつもりだったという。バックランドも、ライエルも、そしてラスキンも、その地質学は自然神学に基づくものであった。

2019年12月5日(木)ダーウィン研究
 書棚にあるはずのダーウィン本2点を必死で探したが見つからない。一つは、オケ『オリジン再訪』(2018)の序論に引用されているJ.ムーア『ダーウィン後の論争』(1979)。もう一点は、ジョナサン・スミス『チャールズ・ダーウィンとヴィクトリア朝のヴィジュアル文化』(2006)。書棚には二重、三重に本を詰めており、しかも時々、場所を移動しているので探すのも容易ではない。夜になって、もしやと思い、一列目をじっくり見回すと2点とも目につきやすい場所に並んでいた。これまでも同じ事を繰り返している。一度、ダーウィン本の現在の在処を確認しておく必要がある。

2019年12月4日(水)ラファエロ前派の軌跡展
 散髪に外出したついでに、あべのハルカス美術館へ。最初の予定では同じ天王寺でも大阪市立美術館の特別展「仏像 中国・日本」に行くつもりだったが、寒空の下、駅から美術館まで歩いて行くのが嫌になった。歩かずに済む近鉄百貨店に入り、16階へ。ヴィクトリア朝のラファエロ前派には以前から関心を持っていたが、数多くの実物を初めて見ることができた。記憶にとどめておきたいのは、ロセッティの「シビュラ・パルミフェラ」とポスターにもなった「ムネーモシューネー(記憶の女神)」。展示の最初の区画にはラスキンの絵が30点ほど出ていた。ラスキンは山や岩層をよく描いているが、そこには地質学の知見が反映されていなければならないといっていたという。地質学がヴィクトリア朝の流行科学であったことの証左の一つになるであろう。
 美術館を出たのは2時過ぎ。元気な頃なら当然、市立美術館にも行くはずだが、今は到底、無理。帰宅後も疲れ切っていた。

2019年12月3日(火)ダーウィン研究
 オケ『オリジン再訪』(2018)の序論でマイヴァートのダーウィン批判(1871)とそれを批判したライトの評論(1871)を取り上げているので、自分のマイヴァート論(1999, 2001)を読み返してみた。ダーウィンはハクスリーへの手紙で、「ライトにはマイヴァートと渡り合うだけの知識がない」とまでいっているのに、オケはこうしたダーウィンのライト評価を無視し、あたかもダーウィンがライトを高く評価していたかのような記述をしている。その方がオケに都合が良いからである。

2019年12月2日(月)デイサービス
 朝は雨の中をゴミ出し。すぐにシャワーで体を温めたが、一日中、体調がおかしい。それでも午後のデイサービス「ポラリス大矢船」ではいつものメニューをこなすことができた。帰宅後も体調不良が続いていたが、夜になってようやく落ち着いてきた。血圧などの体調が気になる日々になってきた。

2019年12月1日(日)ダーウィン研究
 オケ『オリジン再訪』(2018)を精読しながら要点をパソコンに入力する作業に着手。文献に取り組むのは2週間振り。『オリジン再訪』にもどるのは1ヶ月振り。締め切りのある作業ではないので、じっくり取り組んでみたい。
 夜になってもある程度作業が続けられるのは、外出の疲れがようやく抜けてきたということだろう。

2019年11月30日(土)早朝高血圧
 相変わらず起床時の血圧が異常に高いので、昼前に隣町の福岡医院へ。インフルエンザ予防接種の人たちもいて混雑しており、1時間ほど待つことになった。医師と相談の結果、現在の薬と急速に血圧を下げる薬とを併用することになった。
 帰宅後、しばらくぼんやりしていたが、夜になって体力に余裕が出てきたので、テレビを見ながら1週間分のジャーナルを書いている。明日は文献にもどりたいと思うが、どうなるだろうか。
 テレビ大阪「新美の巨人たち」で鏑木清方「築地明石町」を取り上げている。現役時代、京都駅の美術館で鏑木清方展を見たが、この絵の下絵だけが展示されていたのが不満だった。この番組で当時は行方不明だったことを知った。手元にかなり大きな複製があるが、原画の繊細さはかなり失われているようだ。振り返る姿に失われた過去を懐かしむ意味を読み取ることもできる。本物を見る機会の訪れることを願っておこう。

2019年11月29日(金)整形外科
 朝は今期一番の冷え込みだったらしい。それでも昼前には気温も上がってきたので、三日市町駅筋の田中整形外科へ。骨粗鬆症の薬を受け取り、駅前のスーパーで買い物。帰宅後は庭の落ち葉掃除で体力を使い果たす。落葉はまだ続くが、ピークは過ぎたろう。

2019年11月28日(木)家事雑用
 昨日も今日も家事雑用をこなすだけ。文献に取り組む体力も気力もない。まだ先週の外出の影響が続いているようだ。

2019年11月26日(火)早朝高血圧
 午前中に隣町の福岡医院へ。早朝高血圧が続いているので、別の降圧剤を処方してもらった。これだけのことなのに、帰宅後はなにもせず。

2019年11月25日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日は訓練の終わる頃に疲れが出てきた。先週の外出の影響が続いているようだ。

2019年11月24日(日)ジャーナル執筆
 2日続きの外出のため、体も頭も動かない。午後遅くなってやや回復してきたので、3日分のジャーナルを書いている。

2019年11月23日(土)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。紅葉の真っ盛りで、周辺の道路は大混雑。行きも帰りもタクシーの時間と料金は普段の倍近くになってしまった。二尊院では数十名のテレビ朝日関係者が夜の生放送の準備をしていた。夜9時54分からの「サタステ」で紅葉の夜景を生中継するという。10時過ぎに帰宅し、大急ぎでテレビをつけたが、延々と誘拐犯逮捕のニュースを流している。番組終了間際5分間の天気予報の中で映像が映されただけであった。番組の最後に、「予定を変更した」という趣旨のテロップが流れた。誘拐犯逮捕のニュースのため、紅葉中継は実質的に中止になったのだろう。二尊院さんも残念だったろうが、それ以上に、昼過ぎから準備に取りかかっていた現場のスタッフたちには、やりきれない思いがあったろう。

2019年11月22日(金)文楽「忠臣蔵」八段目以降
 文楽劇場11月公演の夜の部へ。「仮名手本忠臣蔵」連続公演の第3回、八・九・十・十一段目。座席の半分後方はほぼ空席であった。見るべきものが九段目だけでは客が呼べないのかもしれない。九段目だけと書いたが、八段目の道行も好きな場面の一つである。晩秋の寂しさがただよっている。九段目「山科閑居」の前は千歳太夫・富助、後は藤太夫・藤蔵。前前回(2004年11月)の通しでは住太夫と咲太夫、前回(2012年11月)は嶋太夫と千歳太夫のはずだったが、千歳太夫が病気休演で呂勢太夫に代わっていた。今回、咲太夫は昼の部の「大和屋」に回っているが、「山科閑居」が中心的な太夫が担うものであることに変わりはないだろう。
 十段目「天河屋」を原作通りに上演するのは1917年以来だという。演者たちには申し訳ないが、改めてつまらない場面である事を確認した。九段目までの見事な作劇の後に、なぜこんなくだらない場面が加えられたのか。いずれ調べてみたい。
 前前回も前回も、夜遅くなるので最後の「花水橋」を見ないで帰ったが、これからは気分直しに見る方がよいかもしれない。といっても、生きている間に忠臣蔵の通しを後、何回、見ることができるだろうか。あと1回で終わりか、2回は無理かもしれない。

2019年11月20日(水)文楽正月公演
 「文楽劇場・友の会」会報の最新号が送られてきた。正月公演の昼の部は景事の後に「吃又」と「吉田屋」、夜の部は「加賀見山」と「明烏」。行くとすれば夜の部だが、いまひとつ、魅力が無い。今回は見送ろうか。
 「明烏」のタイトルを見て急に新内を聴きたくなった。CDは所有していないのでネットで検索し、一部分だけであるが、久しぶりに「明烏」と「蘭蝶」を聴いてみた。この江戸情緒の世界にどっぷり浸ってみたいものだ。

2019年11月18日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。訓練中は疲れを感じないのだが、夕食後、どっと疲れが出て、さっさと寝るほかない。

2019年11月17日(日)ダーウィン研究
 ようやくジリアン・ビア『ダーウィンのプロット』(1983)の第4章までを読了。残念ながら『オリジン』についての理解が深まることはなかった。それでもシェイクスピアやミルトン、あるいはワーズワースやコールリッジがダーウィンに大きな影響を及ぼしたという主張が、文学研究者に心地よいのであろう。

2019年11月15日(金)健康診断
 年に一度の検診予約日である。朝は早い時間に寒さの中をシニアカーで隣町の福岡医院へ。当日判明した限りでは、血圧以外、問題は無かった。検診終了後、スーパーへ出かけたが、とにかく寒い。帰宅時の10時ころになってようやく寒さも緩んだが、一気に冬がやってきたという印象であった。

2019年11月14日(木)意外な通知
 昼前に郵便受けをのぞくと、最高裁判所からの封書が入っていた。はて、なにかもめ事に巻き込まれたのか。びっくりして中を見ると、抽選の結果、裁判員候補者名簿に記載されたとあり、いくつか書類が入っていた。高齢者は免除されているはずだがと不審に思って書類を見ると、「調査票」の「辞退できる場合」の冒頭に「70歳以上」とあった。これに丸をつけて返送さえすれば、問題なく名簿から削除されるようだ。もともと裁判員制度には反対だが、自分には関係ないと思っていた。こんな形で関わることになるとは、思ってもいなかった。

2019年11月13日(水)ダーウィン研究
 ここ数日、我慢してジリアン・ビア(1983)を読み続け、第3章まで来た。思いつきを断定的に主張する文学研究にありがちな論法にはうんざりしている。若きダーウィンがシェイクスピアの歴史劇に血縁の重要性を学び、ミルトンに自然の豊富さを学んだ、なんて断定されると、アホかといいたくなる。ライエルなどについて著者は旧来の概説書を読んだだけではなかろうか。天変地異説は地球の歴史を短く見たためとしているが、バックランドが「ミリオンズ・オブ・ミリオン」すなわち数億年と述べているのをご存じないようだ。とはいえ、『オリジン』のメタファーの多義性の指摘が、オケ(2018)の先行研究として評価されるのであろう。

2019年11月11日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。眠気が残っていたが、いつものメニューをこなすことはできた。

2019年11月10日(日)無為
 体調はそれほど悪くないと思うのだが、何もする気が起きない。文献など、どうでもいい。時々、こういう日があるが、いずれ回復するだろう。

2019年11月9日(土)ダーウィン研究
 ジリアン・ビア『ダーウィンのプロット』(1983. 邦訳『ダーウィンの衝撃』1998)に着手。この文献の存在は知っていたが、文学研究には興味が無いので放っておいた。しかし『オリジン』の概説書にはたいてい参照文献として挙げられているし、オケ(2018)も先行研究として重視しているので、この際、読んでおくことにした。邦訳は読みやすいとはいえないが、何が書いてあるかは分かる。英文よりは早く読めるので、邦訳を読みながら、ときどき原文を確認することにした。

2019年11月8日(金)早朝高血圧
 午前の早い時間にシニアカーで隣町の福岡医院へ。先月末から10日間、朝晩の血圧を記録してきたが、寝起きの血圧が異常に高い。降圧剤を変更して様子を見ることになった。長年、低血圧で悩んできたので、降圧剤を服用することになるとは意外な成り行きである。

2019年11月7日(木)ダーウィン研究
 Jeff Wallace(1995)を読了。著者によれば、『オリジン』には科学的厳密さとメタファーや二重否定など、レトリックを駆使した記述とが混在しており、第1章の事実の記述と最終章の仮説の提唱とは、同じ著書のものとは思えないほど異なっている。これは新しい自然観を説くためには避けられないことであった、という。『オリジン』におけるレトリックの問題点を的確に指摘したのは、サミュエル・ウィルバーフォースであった。著者もヒトとサルとに関してウィルバーフォースの名を挙げているが、文献は記載していない。索引を見ると、なんと、「ウィリアム・ウィルバーフォース」となっている。「ウィルバーフォース」といえば科学史家にとっては「サミュエル」のことだが、一般のイギリス人にとっては奴隷制廃止運動で知られる父「ウィリアム」のことなのだろう。

2019年11月4日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。振替休日のせいであろう、利用者の半数近くが欠席していた。

2019年11月3日(日)家事雑用
 昨日と本日でJeff Wallace(1995)を読了するつもりだったが、体調はおかしいし、家事雑用を片付けるだけで精一杯であった。

2019年11月1日(金)桃大図書館
 体調はかんばしくないが、散髪に出たついでに桃大へ。図書館で借りていた図書3点を返却し、新たにダーウィン本2冊を借り出してきた。ハードカバー3冊を借りるつもりでいたが、重くなるので2冊にとどめた。帰宅後も異常な疲労感で、ぐったり。

2019年10月31日(木)ダーウィン研究
 『オリジン』についての論文集(Manchester UP, 1995)の巻頭序論(Jeff Wallace)の前半を読了。著者の専門は文学研究であり、ロシア・フォルマリズム(20世紀前半の文芸評論の一派)の用語「異化」(defamiliarisation)を用いて『オリジン』を分析している。当方にはなじみの無い分析法なので、とまどいながら読んでいる。

2019年10月30日(水)ダーウィン研究
 寒さのためか腰痛が改善せず、「イタイ、イタイ」とわめきながら動いていたが、オケ『オリジン再訪』の「序論」再読を終了。今回は引用文献を確認しながら読んでいるが、次回からしばらくは『オリジン』のテキストについての先行研究を読んでおきたい。まずは、Jeff Wallace(1995)に着手。

2019年10月28日(月)デイサービス
 朝はシニアカーで福岡医院へ。長年、低血圧で悩んできたのに、最近は病院やデイサービスでとんでもなく高い数値の出ることがある。血圧計を購入して自宅で測定したデータを医師に診てもらい、軽い降圧剤を服用することになった。
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。腰痛が続いているが、いつものメニューは問題なくこなすことができた。

2019年10月27日(日)ダーウィン研究
 体調は回復してきたのに、なにがきっかけか、腰痛再発。姿勢を変えるときに激痛が走る。用心しながら行動する一日となった。それでも頭の方は昨日よりすっきりしているので、オケ『オリジン再訪』の再読に着手。腹をくくってじっくり読み直すことにした。手元に無い引用文献は桃大図書館で借りるか、ネットで購入することにした。図書によっては他大学から借り出すより、ネットで古書を購入する方がはるかに安くつく。

2019年10月25日(金)ジャーナル執筆
 昨日は疲れ切ってゴロゴロしているだけ。本日も疲れが抜けていないが、午後、少しはましになったので月曜日以来のジャーナルを書いている。

2019年10月23日(水)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。お寺からの帰りは5時を過ぎていた。数年前の嵐山なら店は閉じ、観光客も消えていたが、本日は日が落ちてもメイン道路から外れた路地に点々と屋台の店が出ていて、外国人観光客がたむろしていた。

2019年10月22日(火)ダーウィン研究
 10日振りにオケ『オリジン再訪』(2018)を手に取り、最終章「結論」を読了。著者によれば、『オリジン』にはさまざまな解釈があり、さまざまな「ダーウィニズム」が唱えられてきた。総合学説による「ランダムな遺伝変異に自然選択が働いて適応がもたらされる」という解釈だけがダーウィニズムではない。したがって、ボウラー(1983)のいうような「ダーウィニズムの衰退」といったことはなかった。『オリジン』ではさまざまな進化要因が提起されており、『オリジン』に即すかぎり、「ダーウィニズム」(自然選択説)と「ラマルキズム」(用・不用説)とを対比させるのは間違いである、という。
 著者のいいたいことはおおむね理解できたが、書評を執筆するためには再度、きちんと読み直さなければならない。体調優れず研究に費やす時間が少なくなっている今、書評に時間を掛けるのはもったいない気もするが、さて、どうしようか。

2019年10月21日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で週1回の大事な運動機能訓練。訓練前の男性3人との雑談の中で、1人は支援1が支援2になり、リハビリが週2回になったと喜んでいた。逆に、支援2で十分なのに介護1になったとぼやく男性もいた。

2019年10月18日(金)インフルエンザ予防接種
 朝は家事雑用を済ませてから福岡医院までシニアカーで往復し、予防接種を受けてきた。今日はあまり疲れていないと思っていたが、午後になって体が動かなくなった。夜になってやや回復、3日前からのジャーナルを書いている。

2019年10月17日(木)興福寺南円堂
 西国第九番札所の南円堂は年に一度、10月17日に開扉されるが、今年に限っては11月10日まで、連日、開扉される。たまたま本日が都合良かったので、開扉初日に訪れることにした。
 いつものように近鉄奈良の駅ビル8階・北京料理「百楽」で11時半になるのを待ってランチをいただき、いざ南円堂へ。ところが、法要中なので2時まで入れないという。先に、北円堂、東金堂、国宝館を拝観し、さらにバスで移動して奈良国立博物館の仏像館に行ってきた。仏像館の展示は前回(5月26日)とほとんど変わっていなかった。
 南円堂にもどってきたのは3時過ぎ。納経所には御朱印をもらう人々の長い列があったが、お堂には直ぐに入ることができた。堂内では不空羂索観音坐像に圧倒された。四天王像も六祖像も影が薄くなってしまう。北円堂とはかなり異なる宗教空間であった。

2019年10月15日(火)近大眼科
 朝早くに近大病院眼科へ。本日は視野検査と眼底写真撮影がある。検査の結果、10年以上、視野に変化の無いことが確認できた。患者も医師もご機嫌である。数代前の主治医からも、緑内障では珍しく視野が悪化していないといわれていた。患者としてはありがたい例外事例である。
 いつもなら病院の後、桃大図書館に行くのだが、散瞳薬を点眼していることもあり、ご機嫌のまま早めに帰宅した。

2019年10月14日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。祝祭日もデイサービスは休まない。週2回だったリハビリが10月から週1回になり、リハビリ通いの気分がかなり異なってきた。週2回のときはリハビリに追われるような気分だったが、週1回になると、ときどきリハビリに行くという気分になった。その分、日々の生活が落ち着いてきたように思えるが、リハビリの効果は間違いなく低下するとのこと。当面はこのままで、いずれ対策を考えよう。

2019年10月13日(日)家事雑用
 台風は収まり、昨日は中止になった近隣のダンジリも本日は道路を埋めているだろう。家にいるに限る。朝、起きた時はオケ『オリジン再訪』第11章「結論」を読む予定だったが、成り行きで雑用に追われることになった。昨日のような疲労感はないとはいえ、夕食後に文献を読む気力は無い。世界ラグビー「日本・スコットランド」を楽しみながら、ジャーナルを書くことにしよう。

2019年10月12日(土)ダーウィン研究
 昨夜から風雨も強くなり、念のため昼間も雨戸を閉め切っていたが、午後3時を過ぎた頃からしだいに治まってきた。その頃から首都圏では影響が強くなったようだ。
 家に閉じこもって、オケ『オリジン再訪』(2018)第10章「ダーウィン主義者ダーウィン」を読了。7・8・9 章は後回し。『オリジン』の読者たちはダーウィン本人の文言を超越、あるいは無視して、広い領域に適用される首尾一貫した体系と解釈した。その体系には無神論に向かうものもあれば、新たな自然神学に向かうものもあり、さまざまな「ダーウィニズム」が「生存のための闘争」を展開する羽目になったという。
 なんとか10章を読み終えたものの、異様な疲労感に襲われ、夕食後、直ちに寝入ってしまった。疲労の原因は分からない。まさか台風の影響ではあるまい。

2019年10月11日(金)パソコン処理
 この3日間は廃棄予定の7パソコンの処理のために時間を浪費してしまった。ネット上でなんとか処理しようとしたがうまくいかない。結局、サポートに電話すると、自動音声に対して番号をプッシュするだけ、2分で終わった。この間に改めて覚えたネットの仕組みもあるので、無駄な3日間だったと思わないことにしよう。
 テレビでは繰り返し台風19号への注意を呼びかけているが、今(19時半)のところ、無風、穏やかな天気である。

2019年10月9日(水)出版の勧誘
 某出版社の編集者から著書の出版を勧誘するメールが届いた。メール・アドレスは公開していないが、専門家なら簡単に調べられるのだろう。聞いたことの無い出版社だったのでネットで確認すると、学術書出版の実績がある。「渡りに船」といいたいが、まだ著書執筆の準備ができていない。返信は、「出版案内のメールをいただき、ありがとうございます。『遺伝学の誕生』の執筆を目指していますが、まだまだ準備が足りません。現在はその前段階の論文執筆に集中しています。いずれ出版依頼するにしても、現段階ではその予定はありません」とした。原稿がまとまれば、出版はなんとかなるという見通しが立った。

2019年10月8日(火)ダーウィン研究
 オケ『オリジン再訪』(2018)第6章「ラマルク主義者ダーウィン」を読了。『オリジン』第5章とウォレスのウルトラ自然選択説に言及した後、ワグナーの移住による種形成論(1868)、ロマニズの生理学的選択論(1886)、ドイツの哲学者ハルトマンのダーウィニズム批判(1875)について解説し、彼らの理論は『オリジン』とは異なるにもかかわらず、本人たちはあくまでもダーウィニズムの修正、あるいは発展と唱えていた。「ダーウィニズム」という用語の内容は使用者によってまったく異なるという。

2019年10月7日(月)水道管工事
 数日前から、晴天でも家の前の道路が濡れているのが気になっていた。ご近所で水まきでもしたのかと思っていたが、どうもおかしい。今朝、じっくり道路を眺めると、舗装の切れ目から水が出ているように見えた。ようやく、水道管事故だと気がついた。市の水道局に電話すると直ぐに調べに来て、午後に工事をするという。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅した時には工事が終わっていた。
 この住宅地も開発から40年以上経つ。道路の水を見て直ぐに水道管事故と気付くべきだった。

2019年10月6日(日)ダーウィン研究
 オケ『オリジン再訪』(2018)の第6章「ラマルク主義者ダーウィン」に着手。『オリジン』第5章「変異の法則」は科学史家から無視されることが多いが、同書の重要な構成要素のはずである。たたし歴史的に見ても、この章を基に『オリジン』をラマルク主義とみなす解釈もあれば、ウォレスのようにこれを無視してウルトラ自然選択説を唱えるものもいたという。

2019年10月5日(土)ダーウィン研究
 1日以来、断続的に読んできたオケ『オリジン再訪』(2018)の第5章「目的論者ダーウィン」を読了。『オリジン』を偶発性重視と解釈してダーウィンをエピクロス主義とみなす立場とは正反対に、『オリジン』の主張を目的論とみなす立場もあったという。

2019年10月3日(木)ホームページ更新
 2日前にwindows10を更新してヴァージョン・アップしたところ、我がホームページの更新ができなくなった。桃大のシステムを利用しているので情報センター のヘルプデスクに電話し、解決することができた。専門家から見ればごく簡単なことでも、一般人は途方に暮れる。

2019年10月2日(水)文楽予約
 10時に文楽11月公演の会員先行ネット予約開始。夜の部は「仮名手本忠臣蔵」連続上演の最終回、八段目から十一段目まで。いつもの床直下の席を確保することができたが、今回は第3希望日になってしまった。すでにかなりの席が埋まっていた。団体客などによるものだろうが、売れ行き良好なのは結構なことだ。
 配役表によると、九段目「山科閑居」の前半は千歳太夫・富助、後半は藤太夫・藤蔵、人形の本蔵は勘十郎。咲太夫が昼の部「心中天網島」にまわっているのは残念だが、どんな「山科閑居」になるか、楽しんでこよう。
 「仮名手本忠臣蔵」の中で十段目「天川屋」だけはつまらない。文楽で見たことはない。歌舞伎では昔、二代目猿之助で見た気がするが、定かでない。近年、大阪で片岡我当が演じた「天川屋」をテレビで見た。中高生の歌舞伎鑑賞の演目だったと聞いたが、これでは歌舞伎の魅力は伝わらないだろう。文楽ではどんな舞台になるのか、一応、見ておこう。
 十一段目は原作の稲村ヶ崎が上演されるかと期待しだが、「花水橋」と「光明寺」であった。いつもの通し上演では夜遅くなるので、これを見ずに帰宅していた。今回はどうするか、当日、決めればいいだろう。

2019年9月30日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日は帰宅後も気力体力が残っているので、タイガース最終試合(勝利してCS決定)を見ながら3日分のジャーナルを書いている。今年のタイガースは負けばかりで見る気がしなかったが、最後になって、ようやく楽しませる試合をしている。

2019年9月29日(日)ダーウィン研究
 オケ『オリジン再訪』(2018)の第4章「エピクロス主義者ダーウィン」を読了。ダーウィンは変異の原因と法則を探求し続けた。それが不明なため、変異をチャンス(偶発的できごと)と述べたのであって、決して変異をランダムとみなしてはいなかった。『オリジン』の当時、最大の問題とされたのは変異であって、自然選択はそれに従属する問題であった、という。

2019年9月28日(土)デイサービス
 昼過ぎにデイサービス「ポラリス大矢船」へ。介護認定が更新されたので今後どうするか、ケアマネを交えての相談である。週2回だったリハビリが週1回になるので、運動不足をいかに補うか。運動嫌いの自分にとっては難題である。
 帰宅後、廃棄予定の7パソコンに入っているマカフィーの契約解除を試みたが、うまくいかない。無駄な時間が過ぎていく。日を改めて電話するしかなかろう。

2019年9月27日(金)ヒガンバナ
 散髪に出かけたついでに、河内長野市役所へ。マイナンバー・カードを受領。有効期限は10年。更新するまで生きているだろうか。いざという時の本人確認のためにカードを作ったが、利用する機会は少ないだろう。
 行き帰りに利用したバス停近くの田んぼでヒガンバナを見ることができた。一時、あぜ道が整備されて消えてしまったが、ここ数年、しだいに増えてきている。元気な頃は飛鳥や葛城の群生地まで出かけていた。今年はヒガンバナを見ることもなく秋を迎えるのかとあきらめていたが、しっかり見ることができてうれしかった。それにしても、実をつけることもないのに、人間を楽しませるだけの花を咲かす。そのおかげで球根が維持されてきたという事情があるにもせよ、空しさを漂わせる花である。「死人花」という異名も宜なるかな。

2019年9月26日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は疲労でなにもできなかったが、夜になって4日分のジャーナルを下書きしている。

2019年9月25日(水)ダーウィン研究
 昨日からの2日がかりで、オケ『オリジン再訪』(2018)の第3章「選択論者ダーウィン」を読了。『オリジン』の書名の曖昧さを指摘している第2章は後回し。第3章が本書の中核であろう。一般に『オリジン』は「自然選択による由来」を説いたものとみられ、ダーウィン本人もそのように述べているが、本当にそうだろうか。著者オケは『オリジン』のテキストを分析し、それに異論を唱えている。刺激的な内容で、書評を投稿する意義はあるようだ。

2019年9月23日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、夕刊が来ないので本日は祭日だったことに気付いた。

2019年9月22日(日)家事雑用
 まだ疲労が抜けないが、昨日よりはまし。昨日やり残した家事雑用を片付けることができた。

2019年9月21日(土)無為
 昨日の疲れで体が動かない。最低限の家事雑用で本日は終わり。

2019年9月20日(金)嵯峨・二尊院
 彼岸の入り。カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。台風17号が近づかないうちにと本日になったが、嵯峨野では3時ころから小雨が降ったりやんだりであった。それでもカミサンの作業はいつも通りに終わり、夜10時前に帰ることができた。

2019年9月19日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は疲労でなにもできなかったが、夜になって4日分のジャーナルを書いている。

2019年9月18日(水)ダーウィン研究
 オケ『オリジン再訪』(2018)の第1章「迷宮のオリジン」を読了。本年4月23日付けで紹介した『ケンブリッジ百科辞典:ダーウィンと進化思想』(2013)収録の論文「オリジンの進化(1859-1872)」の拡大改訂版である。『オリジン再訪』は9章から成るが、それそれの章は独立していると見てよさそうだ。

2019年9月17日(火)ダーウィン研究
 11日振りのダーウィン研究。転成ノートブックについては一旦、休止し、オケのダーウィン論(Thierry Hoquet, Revisiting the Origin of Species: The Other Darwins. 2018)に取り組み始めた。読み終えた時点で、書評を投稿するか、考えてみたい。

2019年9月16日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日はこれで終わり。

2019年9月14日(土)無為
 午前中は動くことができたが、午後は昨日の疲れが出て寝転がっているだけ。外出の翌日はいつもこうなる。つい外出を控えるようになってしまう。
 昨夜の中秋の名月も、今夜の満月も、雲に隠れて見ることができなかった。残念。

2019年9月13日(金)あべのハルカス美術館・ギュスターヴ・モロー展
 現役の1988年、ロンドンに留学した折にパリへ出かけた。主目的は国立自然史博物館の見学だったが、モロー美術館へも行った。それ以前、日本でモローを初めて見たとき、その神秘性に惹かれていたのである。情けないことに、それがいつ、どこだったのかを憶えていない。今回のモロー展であのときの感動がよみがえるかと期待したが、同じ絵は出ていなかった。それでも久しぶりの美術館は楽しかった。

2019年9月12日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。昨日、10月からの介護度が支援1になるとの通知があった。デイサービスは週1回になるので、運動機能の維持が難しくなるかもしれない。

2019年9月11日(水)通院
 朝はまず三日市町駅筋の田中整形外科へ。隣の薬局で骨粗鬆症の薬を購入してから駅前のスーパーで買い物。昼前に帰宅したが、本日はこれでエネルギー切れ。

2019年9月10日(火)ミネルヴァ日本評伝選200
 デイサービスも通院も無い日の朝は、まず、今日は何をするかを考える。本日はダーウィン研究にもどってMノートに取り組むつもりであった。ところが朝刊を開くと、見開き2面で標記のシリーズの広告があった。こういうものを見ると放っておけないのが我が性である。
 200の人名を知っているか、点検してみた。江戸時代までの90名の多くは教科書にも出てくるような人物なので、まず、知らないことはない。ところが幕末以降の110名になると知らない名前がぞろぞろ出てくる。なかには、どこかで聞いた気がする名前もある。「原阿佐緒」は多分、物理学者・石原純との関係で読んだことがあるのだろう。「林忠正」も多分、明治美術史を読む中で出会っているのだろう。
 知らない名前を辞典やネットで確認すると、ジャーナリズム関係者が多いことに気付く。編集者たちの関心が反映しているのだろう。歌舞伎の役者は二人だけ。「二代目市川団十郎」が選ばれているのは当然として、もう一人が「八代目坂東三津五郎」とはなぜだろうか。個人的には興味を持っていた役者なので異論は無いが、一般的な基準からは奇妙な人選であろう。編集者にかなりの歌舞伎通がいて、その好みで選ばれたのではなかろうか。
 人選について一定の基準があるとは思えない。単独の出版ではとうてい売れないと思われる人物も少なくない。個々の売れ行きをあまり気にせずに出版できるのは、シリーズ出版の強味であろう。
 科学者が「北里柴三郎」と「中谷宇吉郎」だけなのも編集者の好みを反映しているのだろう。売れなくてもよいのであれば、「野口英世」を取り上げてほしい。中山茂『野口英世』(朝日新聞社, 1978. 岩波書店, 1995)でも研究不正を指摘していない。再現不能な「梅毒スピロヘータ純粋培養」(1911)が大きな功績として日本史年表に掲載されている。野口英世については批判的なことを書かないという暗黙の了解でもあるのだろうか。このシリーズでペテン師であることを明らかにしてほしいと思う。

2019年9月9日(月)デイサービス
 午前中は両晋・南北朝時代史を復習。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。皆さんの挨拶は一様に「暑い」の一言。

2019年9月8日(日)中国史
 「非常に強い」台風15号の首都圏接近が伝えられているが、こちらは無風で異様な暑さが続いている。その割には体調良好だが、本日もダーウィン研究を休んで両晋・南北朝時代史を楽しんだ。

2019年9月7日(土)中国史
 体調は悪くないが、ダーウィン研究は一休み。両晋・南北朝時代史を勉強し直している。飛鳥時代を理解するためには不可欠なことなのに、あいまいな知識しかない。大学受験では「世界史」を選択していたので当時はしっかりした知識を持っていたはずだが、ほとんど忘れている。いまさら五胡十六国の名など記憶する気はないが、基本的なことはおさえておきたい。

2019年9月6日(金)ダーウィン研究
 ビーグル号航海時の研究スタイルを確認するため、ケインズ編「ビーグル号航海の動物学ノート」(2000)の編者序論を読了。ダーウィン文献では通常、「動物学日誌」(Zoological Diary)と呼ばれている資料なので紛らわしい。日誌の内容は野外ノートからの転記よりも、船上での収集、観察、実験が中心になっているとみてよい。

2019年9月5日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日は3ヶ月ごとの体力測定があったが、時間内にいつものメニューをこなすことができた。これもいつものことだが、帰宅後は疲労でなにもできない。

2019年9月4日(水)ダーウィン研究
 昨日から引き続いて、ヴァン・ワイほか編『ビーグル号航海のノートブック』の概要に取り組む。ダーウィンの研究生活の中で転成ノートブック類を位置づけるには、ビーグル号航海時からの研究スタイルの延長上にあることを示す必要があるだろう。

2019年9月2日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日はこれで終わり。

2019年9月1日(日)ダーウィン研究
 異様な暑さも治まってきたおかげか、体調はまずまずである。昼過ぎにシニアカーで隣町のスーパーへ。帰宅後も疲れはなく、ダーウィンのノートブックに取り組むことができ、Tノートについて入力終了。1842年6月に「ペンシル・スケッチ」をまとめるのと並行して、Tノートの続編「サマー1842」で理論的考察を続けていた。

2019年8月31日(土)ダーウィン研究
 あいかわらず研究に集中できない状態が続いているが、なんとかEノートについての入力を終え、トーン・アパート・ノートブックに取りかかる。原形をとどめていないこのノートの解説はやっかいである。

2019年8月29日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。利用者11名と並の状態にもどってきた。帰宅後は疲労でなにもできない。

2019年8月28日(水)ダーウィン研究
 ようやくEノートを読了。D135 を受け、遺伝・変異・過剰繁殖の3テーマ(E58)についての考察が続く。その一方で、初期理論以来のテーマである有性生殖についての考察も目立つ。

2019年8月26日(月)デイサービス
 朝はまず理髪店へ。河内長野駅前で昼食後、直接、デイサービス「ポラリス大矢船」へ。本日の利用者は13名。にぎやかであった。

2019年8月25日(日)ダーウィン研究
 この3日間、図書館から借りだした本を早く読みたいとは思うものの、今はまずEノートと、分厚い赤表紙本を開く。連日、疲労感に襲われてはかが行かないが、あせってもしかたない。『種の起源』の冒頭にあるハーシェルの言葉「神秘中の神秘」が書き写されている(E59)。同書の20年前からダーウィンお気に入りの言葉だったのだ。

2019年8月22日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日も欠席者が多く、利用者6名とは寂しい。

2019年8月21日(水)ダーウィン研究
 昨日の疲れが残っているし、家事雑用にも追われたが、昨日借り出してきたダーウィン本2冊の概要をざっとみることはできた。一つは、ヴァン・ワイほか編の『ビーグル号航海のノートブック』(2009)。レッド・ノートブックに先行した「サンティアゴ・ノートブック」が気になる。もう一点は、フランスの科学史家オケ(T.Hoquet)による英文のダーウィン論(2018)。著者はダーウィンが変異に強い関心を抱いていたことを強調しているようである。

2019年8月20日(火)桃大図書館
 朝早くに家を出て近大病院眼科へ。家を出るときは土砂降りの雨だったが、病院に着いた9時前には止んでいた。眼圧かコントロールできていることを確認し、会計も早く済んで桃大へ。研究棟に教員の姿はほとんどない。雨に濡れないように厳重にくるんで運んできた図書3冊を図書館に返却し、新たにダーウィン本2冊を借り出してきた。洋雑誌を点検する余裕もなく、さっさと帰宅したが、それでも疲労困憊。夕食後、8時には寝入ってしまった。

2019年8月19日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。昼間は晴れていたのに、帰宅する4時過ぎには大雨であった。

2019年8月18日(日)ダーウィン研究
 昨日も今日も体調不良。Eノートを読もうとするものの、続かない。自然選択説がいかに成立したかを見るには、Eノートをじっくり読まねばなるまい。

2019年8月16日(金)ダーウィン研究
 昨夜は寝床に入ってから暴風、大雨となった。朝までに雨はあがったが、風は一日中、止まなかった。体調もかんばしくない。夜になって、Dノートで繰り返し引用されているオーエン編集のハンター生理学論集(1837)をネット上で確認し、Dノートについての入力を終了。国内で見ることが困難な文献も、今はネットで簡単に見られるようになった。科学史家にはありがたいことである。

2019年8月15日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。お盆のためか、欠席者が多い。テレビでは台風10号の接近を伝えているが、昼間の間は風雨とも、さほどのことはなかった。

2019年8月14日(水)家事雑用
 心配したほどの疲労感はなく、動くことはできたが、文献に取り組むのは無理であった。

2019年8月13日(火)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。台風10号が近づいているので、お盆の期間に行くとなると今日しかない。猛烈な暑さの中、3時半に到着、本日は初めて総門の脇にある茶所で一休み。老舗の井筒八つ橋が運営しているとは知らなかった。帰宅は10時過ぎ。とにかく無事に帰ることができた。

2019年8月12日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。この時期、テレビはもっぱら高校野球。午後のリハビリが始まるころに隣県奈良は智弁学園の試合が始まった。6回に6点差を逆転した時には大騒ぎになったが、リハビリが終了したころに敗北決定。残念でした。

2019年8月11日(日)ダーウィン研究
 昨日よりは心身快調。Dノート全体に目を通すことができた。マルサスの原理を記載した1838年9月28日付のD134-135 が有名だが、順を追った記入はこの後、数ページで終わっている。180ページのうち、終わりの40ページはこれより前に記入され、その順序もはっきりしない。マルサスの原理に基づく自然選択説の発展はEノートに持ち越されている。

2019年8月10日(土)無為
 昨日と打って変わって、体調不良。Dノートに目を通しても、まるで頭に入ってこない。メモ書きの英文を読み解くのは容易ではないのに、集中力が欠けたらどうにもならない。こういう日は諦めるほかない。

2019年8月9日(金)ダーウィン研究
 朝から心身快調。暑さで買い物に出ないため冷蔵庫内が寂しくなったので、7時半開店の駅前スーパーに出かけ、午前中は家事雑用。午後はCノートについての入力終了。ヤレルの法則やマックリーの五員環法などについて、ここでは説明なしでいいだろう。時間があるので引き続きDノートに取りかかろうとしたが、気力喪失、本日はCノートで終わり。

2019年8月8日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。利用者10人、スタッフ6人の中で当方だけが冷房に耐えられず、休憩時には毛布にくるまっていた。現役の時も夏の教授会にはコートを着て出席していた。80歳になった今年の夏は、外出時、電車やデパートの冷房が一段とつらくなっている。

2019年8月7日(水)ダーウィン研究
 相変わらずの暑さで体調万全とはいえないが、Cノート研究を続行。全体にざっと目を通し、末尾の読書録などについて入力することができた。

2019年8月6日(火)ダーウィン研究
 台風8号の影響か、朝のうちに久しぶりの雨。少しは過ごしやすくなり、執筆続行。Bノートについての入力を終え、Cノートに取りかかる。ダーウィンはこのノートから本格的に遺伝論に取り組み始めた。その内容を数行でどうまとめるか。明日からの課題である。

2019年8月5日(月)デイサービス
 午前中にBノートについて入力を続行。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日の利用者は15名。にぎやかであった。

2019年8月4日(日)ダーウィン研究
 昨日から研究ノート「ダーウィンの転成ノートブック」の執筆を開始。序論を書き終え、Bノートについて入力しているが、集中力が続かない。老化ばかりでなく、連日の暑さの影響もあるのだろう。思うように進展しないが、しかたないか。

2019年8月2日(金)書類整理
 月に一度のケアマネ来訪。これを機に、大量に蓄積された関連書類を整理した。疲労感が抜けず、これが精一杯の作業であった。

2019年8月1日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。これまで訓練中に疲労を感じることはなかったが、本日はウォーキング中に軽い疲れを感じた。やはり運動量を増やすのは無理だろうな。

2019年7月31日(水)ダーウィン研究
 体調回復。Bノート冒頭、ノートを上下にめくる形で使用していたB64までを読む。どこまでをゾーノミア・スケッチとみなすかは定まっていないが、ダーウィンの最初期の理論は有性生殖の発生初期の適応変異を転成の原動力とみなすものであった。
 夕食後も余力があるのでジャーナルを執筆している。

2019年7月30日(火)無為
 体がだるい。何もする気にならない。疲労が続いているのか、暑さのためか、加齢による日常的なものか。原因はどうであれ、とても文献に取り組める状態ではない。ぼんやり過ごした一日であった。

2019年7月29日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。スタッフからは少しだけ運動量を増やしたらどうかといわれたが、帰宅後の疲労を考えると躊躇する。

2019年7月28日(日)ジャーナル執筆
 体調が回復したので、まずは文楽観劇記を執筆。以前はどうせ読む人は少ないだろうと、一ファンとしての感想を気楽に書いてきた。しかし技芸員たちがこれを読んでいる気配を感じてからは、どうしても筆が鈍る。

2019年7月27日(土)無為
 昨日、一昨昨日と外出が続いたためだろう、疲労感で体が動かない。最小限の家事雑用だけで一日が終わった。

2019年7月26日(金)文楽「忠臣蔵」五・六・七段目
 朝は狭山駅前で散髪を済ませ、夏休み公演の国立文楽劇場へ。2時開演の第2部は「仮名手本忠臣蔵」連続公演の第2回、五・六・七段目。咲太夫が人間国宝に認定された直後なので、ロビーにはその件を通知する掲示が張り出されていた。そのおかげもあったのか、座席は完売、補助席が用意されていた。
 いつもの床直下の席でたっぷり楽しんできた。六段目の「勘平腹切」は呂勢太夫・清次。今回の収穫。人形は和生。脇差を腹に刺してからも大きく動くのは、歌舞伎では不可能な演出。勘平の無念さを表現する人形ならではの演技であろう。配役表では七段目「一力茶屋」の「おかる」は簔助であった。かなり動きのある役柄なので本当に大丈夫かと心配だったが、やはり、梯子を下りてからは六段目で「おかる」を遣った一輔に代わっていた。2階で顔を見せるだけの演技でも、簔助の魅力は十分に伝わった。
 七段目はほとんど台詞だけの舞台なので歌舞伎との違いがなく、人形の演技が決定的に重要になる。由良助(勘十郎)に納得できないと、歌舞伎の方が楽しいと思えてくる。
 平右衛門を語ったのは豊竹藤太夫(とうだゆう)。我が席の隣に並んでいた4・50台の女性三人連れが、「藤太夫とは誰かと思ったら、文字久太夫じゃない」としゃべっていた。当方よりも文楽に通じているようだが、改名が通知された4月公演には来ていなかったのだろう。今回、藤太夫のサイトを見て、改名のいきさつを知った。伊勢の名家の先祖の名を残すため、初代・豊竹藤太夫に改名したということらしい。師匠の住大夫は「文字太夫」を継がせるつもりでいたという。そうであれば、盛大な襲名披露公演が催されたろうに、もったいない。

2019年7月25日(木)家事雑用
 デイサービスを休んで体の回復を図るつもりだったが、家事雑用でせわしい一日になってしまった。

2019年7月24日(水)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。猛烈な暑さの中、2時半に到着。夕方には雨との予報なので作業を急ぎ、4時半には帰途につくことができた。この暑さの中でも嵐山は賑やかで、二尊院にも外人の参拝者が絶えなかった。

2019年7月23日(火)ダーウィン研究
 「Bノート」の概要記述に着手。「ノートブック」は略記しないといったものの、邦文で英文通りに「ノートブックB」と記すのはわずらわしい。A~Eについては「Aノート」~「Eノート」という表記でかまわないだろう。

2019年7月22日(月)デイサービス
 午前中は、参院選と吉本興業騒動のテレビ番組を見ながら、家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日はこれで終わり。

2019年7月21日(日)ダーウィン研究
 この3日間は、転成ノートブック関連の文献を読んできた。このジャーナルではしばしば「ノートブック」を「ノート」と略記してきたが、これでは具合の悪いことがある。「エジンバラ・ノートブック」にはエジンバラ時代の海産動物研究ノートが記されているが、裏表紙の側からは、ケンブリッジ時代に採集した甲虫目録とロンドン時代の「動物学ノート」が記されている。他の件でも略記することなく、「ノートブック」と書くことにしよう。

2019年7月18日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後は疲労感でなにもできない。本日もこれで終わり。週に2日はデイサービスのリハビリだけで終わってしまうのはもったいない気もするが、これがないと運動機能が急速に衰えていくのも明らか。ここは割り切ってリハビリに励まなくてはなるまい。

2019年7月17日(水)ダーウィン研究
『ダーウィンのノートブック』(1987)に収録されている「レッド・ノート」と「Aノート」の概要を再確認した。

2019年7月16日(火)ダーウィン研究
 『ダーウィンのノートブック』(1987)に収録されている「グレン・ロイ・ノート」(1838)、論文「グレン・ロイの平行路」(1839)、2点の先行研究、すなわちJohn Macculloch(1817)とThomas Dick Lauder(1823)、それとHerbert(2005)による解説(pp.262-67)に目を通した。ローダーの論文の著者名はThomas Lauder Dick となっているのでややこしい。どちらの先行研究も平行路は湖岸の跡とみなしているが、湖水が溜まったり消失したりした原因はわからないとしている。その点をダーウィンは非難して海岸説を唱えたが、結局、先行研究の方が正しかったのである。

2019年7月15日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日もこれで終わり。

2019年7月14日(日)ダーウィン研究
 11日(金)から『チャールズ・ダーウィンのノートブック、1836-1844』(1987)に収録されている資料の一つ「マカロック(1837)抄録」に取り組んできたが、一応、終えることができた。医師で地質学者のマカロック(John Macculloch, 1773-1835)の著書『神の属性』(Proofs and illustrations of the attributes of God : from the facts and laws of the physical universe : being the foundation of natural and revealed religion. 3vols. 1837)第1巻後半の数十箇所についてダーウィンがコメントを記したもので、単なる抄録ではない。同書はペイリー流のデザイン論を説いた自然神学書であり、材料の多くは動植物から取られている。1830年に執筆を終えていたが、『ブリッジウォーター論集』(1833-36)が刊行されたため、生前の刊行は中止されたという。ダーウィンは自分の蔵書についてのコメントは直接、本の余白に書き込んでいたが、知人から借用したものや図書館の書物については別の用紙に記入していた。「マカロック(1837)抄録」には12枚の用紙の表rと裏vに記入されたコメントが収録されている。マルサスの名が記されているので、D134(1838年9月25日)以降、同年末までに記入されたと見られている。
 ダーウィンのコメントによれば、適応形質は神が「直接に」(DIRECTLY)に創造したものではなく、「なんらかの一般法則」(some more general law)によってもたらされるものである(53r)。デザイン論を明確に否定している。マルサスの原理への言及は3箇所(57v, 58r, 28v)にある。
 この資料には今回、初めて取り組んだが、予期以上に内容があった。ただ、こんなペースで他の資料にも取り組んでいたら時間がかかりすぎる。また、年齢のせいもあって集中力が持続しない。「ダーウィンの転成ノートブック」をまとめるには、さて、どうするか。

2019年7月11日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後は疲労感でなにもできない。本日もこれで終わり。

2019年7月10日(水)Office 導入
 大学の学生と教員にはOfficeを無料で利用できるシステム(Office365 Education)がある。今年3月にwindows10パソコンを購入後、このシステムによるOffice 導入を試みたが、うまくいかない。本日、改めて取り組んでみた。桃大情報センターのサイトから試みたが、やはりうまくいかない。マイクロソフトのサポートに電話し、遠隔操作によってようやく導入することができた。半日がかりであった。この4ヶ月間、気になっていたことが片付いてほっとしている。

2019年7月9日(火)庭掃除
 梅雨の晴れ間。落ち葉で汚れた庭を午前中に掃除することにした。腰痛が心配だったが、悪化することはなく、庭はきれいになった。しかし疲れで午後はなにもする気にならなかった。

2019年7月8日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。腰痛は完治していないが、メニューをこなすには支障なかった。

2019年7月7日(日)ダーウィン研究
 腰痛が続いているが、『チャールズ・ダーウィンのノートブック、1836-1844』(1987)に収録されている15点の資料それぞれの概要を再確認することができた。

2019年7月6日(土)腰痛再発
 何がきっかけだったのか、昼前に腰痛が再発、「痛い、痛い」とわめきながらの一日となった。通常の動作はできるものの、気分は晴れない。ダーウィンのノートブックに関する文献に少しだけ目を通すのが精一杯であった。

2019年7月5日(金)本人確認書類
 銀行でカード更新の手続きをした後、河内長野市役所へ。個人番号カード交付申請を市役所内の証明用写真機で済ませてきた。運転免許証を持たない身なのでパスポートを本人確認書類に利用してきたが、期限切れになってしまった。更新料1万 6千円は年金生活者につらい。不本意ながら、個人番号カードを持つしかないだろう。市役所に来たついでに参院選の期日前投票を済ませてきた。新聞によれば、大阪4枠のうち3枠は自民・維新・公明で決まり、後1枠を立憲・共産・維新で競っているという。定員4で革新系がゼロかもしれないとは、情けない。

2019年7月4日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後は疲労感でなにもできない。本日もこれで終わり。

2019年7月3日(水)続 ダーウィン研究 
 ホッジ(1982)のBノート分析を読み終えたので、ノートのイメージ版とテキスト版とをざっと比較してみた。この際、転成ノート全体の解説を書いておこうと思い直した。鳥類学ノート神話についても、その中で扱えばよいだろう。かねてから気になっているD135についても論じる余裕があるかもしれない。

2019年7月3日(水)シニアカー
 午前中は曇りの予報なので、朝のうちにシニアカー(電動車椅子)で隣町のスーパーへ。この時間帯ではいつものことだが、ある家の玄関前の歩道が在宅サービスの車でふさがれている。その先の歩道には電信柱と柵との間が狭く、シニアカーで通るのが難しい所がある。その反対側の歩道には、地下車庫に車を入れるために歩道が深く削られているためシニアカーには危険な所がある。こうなるとシニアカーは車道に出るほかない。この住宅街が開発された当時は車椅子のことなど念頭になかったのだろう。できてしまったものは仕方ないが、せめて歩道駐車はやめてほしいと思う。

2019年7月2日(火)ダーウィン研究
 ホッジ(1982)の最終第11章を読了。著者によれば、1837年の夏にダーウィンの初期理論がまとまっている。基本は枝分かれ的転成の主張であり、その仕組みとしては、有性生殖の初期胚が環境へ適応変異することであるとみなしたという。著者はダーウィンに対するライエルの影響を強調する一方で、二人の思想に対するキリスト教神学の影響を認めていない。ホッジによるダーウィン論の最大の欠陥といえるのではなかろうか。

2019年7月1日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日はこれで終わり。

2019年6月30日(日)ダーウィン研究
 昨日、のんびり過ごしたおかげだろう。本日はやる気満々。ホッジ(1982)読解を続行。メインの内容ともいうべき第10章、Bノート冒頭のゾーノミア・スケッチの分析を読み終えた。

2019年6月29日(土)休脳日
 体調は悪くないが、なんとなく文献に取り組む気が起きない。こんな時は無理をしない。古墳の本を読んだり、テレビを見たり、のんびり過ごすことにした。

2019年6月27日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。3日前の月曜とは違って、帰宅後は疲労感で何もできない。前日の外出が響いているのだろう。熱低(台風3号)の大阪直撃に備えて雨戸を閉め切るなどの対策を取ったが、進路は南にそれ、なにごともなく終わった。

2019年6月26日(水)桃大図書館
 散髪に外出したついでに桃大図書館へ。『種の起源』復刻版1点を返却し、新たに図書3冊を借り出してきた。一つはノラ・バーロウ編(1963)のダーウィン『鳥類学ノート』。ビーグル号航海末期の「鳥類学ノート」に転成論が認められるという神話は編者バーロウの序論に始まるといってよい。二つ目は、ライエル『地質学原理』初版(複製)の第2巻。これも定年退職時に寄贈したもので、現役時代の書き込みが残されている。借用3冊目は久世仁士『百舌鳥古墳群を歩く』(創元社 2014)。210.2の書架をながめると考古学関係の図書が数段にわたってずらりと並んでいる。日本史関連の図書は一般読者の関心も高く、一定の需要が見込まれるため、さまざまなテーマで出版が可能なのだろう。帰りの電車内で『百舌鳥古墳群を歩く』に目を通すと、堺市博物館建設時には遺跡保存の観点から異論があったが、それを無視して計画通りに建設されたという。博物館側の資料には出てこない話である。

2019年6月25日(火)家事雑用
 外出の予定がないので文献に集中できると期待していたが、家事雑用で一日が終わってしまった。今や一文にもならない研究よりも、生活のための作業が優先する。やむを得ないことである。

2019年6月24日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。リハビリ後のティー・タイムに年齢が話題となり、自分は80歳ちょうどといったら、同年配のご婦人方がびっくりしていた。60台と見られていたらしい。うれしくない。昔から年齢よりはるかに若く見られるので苦労した。白髪も増えてようやく年齢相応に見られるようになったと思っていたのに、がっかりした。
 ここ数日、夕食後にジャーナルを書こうとしても脳が動かなかった。本日もリハビリで疲れているはずなのに、6日分のジャーナルを書くことができた。外出続きの疲れが抜けてきたのかもしれない。

2019年6月23日(日)ダーウィン研究
 集中力が維持できた午後の2時間だけホッジ(1982)読解を続行。全11章のうち第9章まで進んだ。次の第10章でようやくBノート冒頭ゾーノミア・スケッチの分析に入れる。

2019年6月22日(土)整形外科とスーパー
 朝、骨粗鬆症の薬をもらいに三日市町駅筋の田中整形外科へ。帰途、駅前スーパーで食料品を購入。これを持ち帰るのに体力を使い果たしてしまった。

2019年6月21日(金)無為
 昨日の疲れで体が動かない。

2019年6月20日(木)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。カミさんは体調を崩したが、当方は無事、帰宅することができた。

2019年6月19日(水)ダーウィン研究
 一週間ぶりにホッジ(1982)読解を続行。著者によれば、ダーウィンがビーグル号航海の最終段階で記入した「鳥類学ノート」に転成論へ転じたことが確認できるという。ホッジに限らず当時はこの解釈が有力視されていたが、現在は否定されており、ホッジもこの解釈を捨てている。この論文でもホッジは帰国後の1837年前半を重視し、「奇跡の半年」(semiannus mirabilis)と呼んでいる。そのため「鳥類学ノート神話」が崩れてもホッジの分析が駄目になることはなかった。
 「鳥類学ノート神話」がなぜ生まれ、どのように修正されてきたかをまとめておく必要があるかもしれない。今年に入ってダーウィン研究を再開してみると、書きたいテーマが次々と生じる。主目的はダーウィンの遺伝論にあるが、ほかには、『種の起源』解説本、生誕二百年(2009)を契機としたダーウィン本の総括、転成ノート類の解説記事などが頭にある。しかし、その先に目指している遺伝学成立史、さらには生物学通史を考えると時間に限りがある。その点でも鳥類学ノート神話が手頃なテーマか。

2019年6月18日(火)近大病院眼科
 朝早くに近大病院眼科へ。この後、いつもなら桃大まで足を延ばすのだが、疲れが溜まっているので、どこにも寄らずに帰宅。近頃はこのジャーナルで「疲れた」とばかり書いている。80歳を迎えて体力がますます低下し、疲れやすくなっているようだ。困ったことだが、どうしようもない。

2019年6月17日(月)デイサービス
 目覚めは爽やかだったが、昨日の疲れが抜けていない。午後のデイサービス「ポラリス大矢船」ではいつものメニューをこなしたが、これが精一杯、本日これで終わり。

2019年6月16日(日)一斉溝掃除
 午前中は住宅地自治会の溝掃除。小一時間掛けて隣家との間の溝に溜まった落ち葉を取り除いた。これだけの作業で疲労困憊、後はなにもできない。昨年まではこれほどの疲れはなかったように思う。

2019年6月15日(土)ジャーナル執筆
 午前中は昨日の疲れで体が動かないし、午後は一時、激しい雷雨となったのでパソコンの電源を切っておいた。ようやく夜になって4日分のジャーナルを書いている。

2019年6月14日(金)堺市博物館
 朝はまず、北野田の日野歯科医院で前回施した処理を完了。そのまま三国ヶ丘駅で阪和線に乗り換えて百舌鳥駅から堺市博物館へ。現役時代に何回か訪れているはずだが、ほとんど記憶に残っていない。
 入り口で入館券(200円)を購入するより先に、「ブイアールはどうですか」といわれ、面食らった。帰宅後に調べてみると、大仙古墳の内部を体感する「仁徳天皇陵古墳VRツアー」(800円)のことであった。博物館内で実施されてはいるが、事業者が博物館とは別組織(堺観光コンベンション協会)のため、博物館のホームページには、一切、記載されていない。お役所仕事としては当然なのだろうが、一般の利用者にとっては迷惑な話だ。「とにかく展示を見ます」といって中に入った。
 まずは百舌鳥古墳群のコーナーをじっくり見て回った。1955年からの「いたすけ古墳」保護運動が文化財保護の画期になったことや、ニサンザイ古墳が古墳群最後のものであることなどを知った。
 中近世のコーナーや企画展「和紙文化への招待」などは素通り。ただし、収蔵品を展示するコーナーに3点の仏像が展示されているのがうれしかった。その一つが河内長野市岩湧寺の愛染明王座像(河内長野市指定文化財)。なぜ堺市博物館に寄託されるのかと疑問に思ったが、河内長野市にはしかろべき施設がないのでやむを得ないのだろう。日本に伝存する最古の檀像「観音菩薩立像」(館蔵、重要文化財)には両腕が欠けているが、人を引きつける力があった。
 来る7月から9月まで開催される特別展「百舌鳥古墳群」には暑くても出かけねばなるまい。

2019年6月13日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後は疲労感でなにもできない。本日これで終わり。

2019年6月12日(水)ダーウィン研究
 ここ数日、ホッジ(1982)を読み続けているが、まだ終わらない。著者の主張を一言でいえば、ダーウィンの転成理論はライエル説(定常的な種の絶滅と創造)への対抗理論として形成された、ということだが、なにしろ展開が冗長なのでうんざりしている。現役時代はとてもじっくり読む余裕はなかったろう。Bノート冒頭の「ゾーノミア・スケッチ」の分析は最後になるので、まだ読み続けなければならない。

2019年6月7日(金)ダーウィン研究
 午前中はたたきつけるような激しい雨と雷だったが、午後はほどほどの降雨になった。午前中は家事に追われたが、午後にはホッジ(1982)に本格的に取り組むことができた。夜には雨もやんだ。珍しく体力気力が残っているので、3日ぶりにジャーナルを書いている。
 ホッジ(1982)は106ページの長編で、イントロの第1章も5ページある。科学史で「先駆者」を求めるのはホイッグ史観による誤りだが、同じことが個人についてもいえるという。ダーウィンの場合、思想の変化をオリジンへの発展過程として見るのではなく、その時々の問題意識に基づいて考察しなければならない。Bノート冒頭のゾーノミア理論はライエルとの関係で理解しなければならないという。当面は、ホッジをじっくり読みながらBノートを考察していくことになろう。

2019年6月6日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。体力が尽きて、本日はこれで終了。

2019年6月4日(火)百舌鳥古墳群
 朝は北野田の日野歯科医院で半年ごとの歯科検診。そのまま堺東駅に出て、今、なにかと話題の堺市役所へ。21階展望ロビーから古墳群を眺めてきた。世界遺産になるというのに、宮内庁が根拠薄弱のまま定めた天皇陵として呼称するのはいかがなものか。大山古墳より古いとされるミサンザイ古墳が本当に履中天皇陵であるならば、大山古墳が仁徳天皇陵のはずがない。逆に大山古墳が本当に仁徳天皇陵であるならば、ミサンザイ古墳が履中天皇陵のはずがない。また、反正天皇陵とされている田出井山古墳は古墳群の中では小ぶりなので天皇陵のはずがない。専門家でなくても分かることだ。大仙公園の堺市立博物館へ行けば詳しいことが分かるだろうが、体力を考慮して、日を改めて訪れることにした。

2019年6月3日(月)デイサービス
 心身快調は2日と続かない。午後のデイサービス「ポラリス大矢船」ではいかにも疲れている様子だったらしいが、いつものメニューをこなすことはできた。

2019年6月2日(日)午後 ダーウィン研究
 今日は午後になっても気力体力が衰えず、ホッジ(2009)の要旨入力を終えることができた。これは著者の転成ノート研究の成果をまとめたものだが、今後はその基礎になっている個々の論文を読みながらダーウィンの転成ノートに取り組みたい。

2019年6月2日(日)午前 文楽予約
 夏休み公演第二部「仮名手本忠臣蔵」(五・六・七段目)に行かねばならない。パソコンの前に座って会員先行予約が始まる10時を待つ。これが済まないと落ち着いてほかのことができない。国立劇場チケットセンターのシステムが変更されたため、少々手こずったが、無事、いつもの床直下の席を確保できた。
 今回の配役で意外だったのは、咲太夫が「身売りの段」、「勘平腹切」は呂勢太夫だったこと。次代の太夫を育てるための配慮なのだろう。「する事なす事、いすかの觜程違」ってしまった勘平の無念さを、呂勢太夫がどう表現するか、注目したい。

2019年6月1日(土)ダーウィン研究
 10日振りに文献に取り組み、ホッジの要旨入力を試みたが、すぐに心身の疲れが出て続かない。まだ連日外出の疲労が抜けていないのだろう。

2019年5月31日(金)ジャーナル訪問者
 今朝は起きたときから疲れを感じていた。家事雑用をこなしたものの、文献に取り組むのは無理。午後に来宅したケアマネがこのジャーナルを読んでいるという。「ホームページ・ビルダー」 のアクセス解析で確認すると、毎日、3人前後の訪問者がジャーナルのページだけを見ている。おそらく、数人の常連が数日おきに訪れているが、新しい訪問者はほとんどいないということだろう。とはいえ、意外な人からの反応を受け取ることがあるので、油断はできない。

2019年5月30日(木)デイサービス
 最近は5時前後に目覚めることが多いが、爽やかな気分で起きる時と、起きたときから疲れを感じている時がある。今朝は疲れがたまっているはずなのに、爽やかな気分で起きることができた。精神的には外出していることが良いのかもしれない。午前中のデイサービスでも順調にメニューをこなすことができた。とはいえ、帰宅後はどっと疲れが出て、なにもできない。

2019年5月29日(水)ジャーナル執筆
 連日の外出でかなり疲れているが、「なら仏像館」訪問記など、一週間分のジャーナルをまとめ書きすることができた。ジャーナルは当日に書く方が生き生きしたものになると思うが、外出した時などは帰宅後にその気力が残っていない。そもそも、なんのためにジャーナルを書いているのだろう。観劇記や訪問記などは記録の意味があるが、日常的には自分にとって「日日是好日」であることを確認するためだろう。

2019年5月28日(火)映画「日日是好日」
 カミさんのお供でラブリーホールのシネマ上映会へ。外出が続き、しかも本日は雨なので本音は家で休んでいたかったが、見に行って良かったと思う。映画についても原作についても全く予備知識が無かったが、心安らぐ静かな映画であった。お茶の稽古の場面が多かったが、退屈しない。先生を演じる樹木希林の存在感が印象的であった。この映画を見た多くの人が、お茶を習いたいと思ったのではなかろうか。

2019年5月27日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。昨日の疲れが残っていたものの、いつものメニューをこなすことができた。

2019年5月26日(日)なら仏像館
 カミさんが高校のクラス会に出かけたので、こちらは奈良博本館の仏像館へ。新館の「藤田美術館展」から流れてくる観客で賑やかだったが、こちらは仏像館だけ。2時間かけてゆっくりと見て回った。復習の意味も込めて注目した仏像を記録しておこう。入り口から反時計回りに、まず通路の第1室では「狛犬」(館蔵)、小部屋の第2室にある「薬師如来座像」(館蔵)は国立博物館所蔵の仏像では唯一の国宝である。第3室には6体の阿弥陀仏。像高36㎝の「阿弥陀如来座像」(館蔵)は小さくても迫力がある。小部屋の第4室には新収の「毘沙門天立像」(如法寺)。通路の第5室には小さな金銅仏がずらりと展示されている。主室の第6室では快慶の「阿弥陀如来立像(裸形)」(浄土寺)が奥から観衆を暖かく見下ろしている。若き画家が「多聞天立像」(館蔵)を写生していた。「如意輪観音菩薩座像」(館蔵)には観心寺の秘仏とは異なる迫力がある。しかし「薬師如来立像」(元興寺)がないと締まらない。収蔵庫にはもどっているとのことなので、7月からは展示してほしいものだ。第7室のテーマは「観音菩薩」、中央には「観音菩薩立像」(観心寺)。第8室には以前、「降三世明王座像」(金剛寺)が安置されていたが、今はこれに代わって「宝冠阿弥陀如来座像」(當麻寺)と「大日如来座像」(十日市町自治会)。迫力の違いはいかんともしがたい。通路の第9室には僧形の菩薩像5体のほかに「准胝観音菩薩立像」(文化庁)。小部屋の第10室には「馬頭観音菩薩立像」(浄瑠璃寺)。通路の第11室にある「伽藍神立像」(館蔵)は俗称の「走り大黒」のほうが親しみやすい。ここまでの仏像群にはなかった疾走する姿に新鮮味を感じる。小部屋の第12室には「阿弥陀如来立像(善光寺式)」(島根・善光寺)。最終通路の第13室の「破損仏像残欠コレクション」(館蔵)などは専門家向けであろう。
 なら仏像館はシニア割引で無料なのがありがたい。これからも繰り返し、訪れることになろう。

2019年5月25日(土)仏像予習
 明日、なら仏像館を訪れる予定である。なにに注目すべきか、展示目録と各種図録類を参照して検討した。切りのない作業なので、今はここまでと、適当なところで打ち切った。

2019年5月24日(金)桃大図書館
 散髪に出かけたついでに桃大へ。真夏並みの暑さが続いているが、寒がりの身には電車の冷房がつらい。図書館でホッジの論文集を借りだしてきた。ホッジを手がかりに転成ノートを読み解き、とくに遺伝現象についての考え方を見ていきたいと思う。

2019年5月23日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、十分に休んでから、返却すべき本など、明日、桃大図書館でなすべきことを整理した。図書館に行くのは月に一度で、しかも長時間、滞在する余裕がないので、しっかり準備しておかねばならない。

2019年5月22日(水)ダーウィン研究
 さわやかな外出日和というのに、家に閉じこもってホッジの要旨入力を続行。散歩ぐらいはと、ちらっと思ったが、面倒くさいが先に立ち。運動はデイサービスを頼りにしよう。

2019年5月21日(火)ダーウィン研究
 昨夜の強い風雨は東に移り、首都圏は大変なことになったようだ。こちらでは朝までに収まり、穏やかな一日であった。ホッジの要旨入力を続行。ホッジは決してわかりやすくないので、何度か読み直してようやく理解できることもある。

2019年5月20日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅直後はまだ余裕があるが、夕食後には強烈な疲労感襲われ、さっさと寝るほかない。

2019年5月19日(日)ダーウィン研究
 ホッジの要旨入力を続行。本日は電動車椅子でスーパーへ出かけ、家事雑用にも励みながら文献に取り組むこともできた。夜になって4日分のジャーナルを書いているが、さして疲れを感じない。躁状態なのか。心身の浮き沈みが激しい。

2019年5月18日(土)ダーウィン研究
 ホッジ再読の成果をパソコンに入力することを開始した。メモを取るだけよりも内容理解が進み、記憶にも残りやすくなる。

2019年5月17日(金)体調不良
 昨夜はなぜか何度も目が覚め、寝不足状態で体がだるい。最低限の家事雑用をこなすのが精一杯であった。

2019年5月16日(木)デイサービス
午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。まだ若年の男性スタッフが初出勤し、にぎやかになった。

2019年5月15日(水)買い物
 朝はゴミ出し。昼は電動車椅子で隣町のスーパーへ。夜は一週間分のジャーナルをまとめ書き。何もしないうちに一日が終わった。

2019年5月14日(火)ダーウィン研究
 昨日とは打って変わって肌寒い雨の一日となった。思ったより疲労感が少なかったので、わずかだがホッジを読み進むことができた。

2019年5月13日(月)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。なじみになったタクシーの運転手からは、こんな暑い日に来なくてもといわれたが、カミサンの日程上、やむを得ない。秋の紅葉で知られる二尊院も、今は緑を楽しむ季節であろう。

2019年5月12日(日)ダーウィン研究
 この3日間、ホッジの再読を続けている。焦らず、じっくり行こう。

2019年5月9日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。いつものことだが、帰宅後はぼんやりしているだけ。

2019年5月8日(水)買い物
 午前中は家事雑用。昼過ぎにバスで河内長野駅前の銀行とスーパーへ。これだけのことなのに、帰宅後は疲れ切っていた。

2019年5月7日(火)無為
 テレビでは連休終了と騒いでいるが、365連休の身には関係ない。体調は悪くないものの文献に取り組む気が起きない。体も脳も疲れていないので、夜になってジャーナルのまとめ書きをしている。

2019年5月6日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅、夕食後はさっさと寝るほかない。

2019年5月5日(日)ダーウィン研究
 この3日間、ジョナサン・ホッジの解説記事を読んでいる。転成ノートの分析では定番となっているが、全2巻の論文集(2008)もあるので、この際、徹底的に再読してみようか。

2019年5月2日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。いつものことだが、帰宅後はぼんやりしているだけ。

2019年5月1日(水)ダーウィン研究
 新聞もテレビも新しい時代が始まると大騒ぎ。うんざり。これを避けてダーウィン文献に取り組む。ダーウィン・オンラインに収録されているヴァン・ワイの雑誌論文をプリントアウトし、いつでも読める形にした。印刷用紙とインクを大量消費したが、やむを得ない。昨日はなぜか気落ちして研究モードにならなかったが、今日はやる気満々。この気分の浮き沈みは自分で制御できない。躁鬱症の一種か。

2019年4月30日(火)元号交代
 テレビも新聞も平成最終日と大騒ぎ。明日からの史上最悪アホノミクス元号など、書くのも嫌だね。元号制定まで政治的に利用するとは、傲慢さ極まれり。

2019年4月29日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後はぼんやり過ごすしかなかった。

2019年4月28日(日)ダーウィン研究
 『ケンブリッジ百科辞典:ダーウィンと進化思想』(2013)収録の論文、ヴァン・ワイ(John van Wyhe)の「アルフレッド・ラッセル・ウォレス」を読了。Darwin Online の主宰者として知られる著者はWallace Online も主宰している。この論考でも、ウォレスの生涯、ダーウィンとの関係、動物地理学上の功績などを簡潔にまとめている。結論からいえば、拙著でウォレスについて述べてきたことは修正する必要のないことが確認できた。ダーウィンの「分岐の原理」はウォレスのテルナテ論文から盗んだものだというA.C.ブラックマン(1980)の説は『ダーウィンに消された男』(1984)という刺激的な邦訳書名によって日本でも話題になったが、著者はこの問題を丁寧に扱っている。とっくに決着している問題のはずだが、ウォレス贔屓の者の中にはこれを蒸し返す手合いもいるということだろう。

2019年4月27日(土)ジャーナル執筆
 報道では十連休開始と騒いでいるが、三百六十五連休の身には関係ない。5日分のジャーナルを執筆。ジャーナルを書くことで、読んだ文献について改めて整理することができる。

2019年4月26日(金)ダーウィン研究
一昨日に着手したBuchanan &Bradley(2017)を読了。ダーウィン伝の定番となっているデスモンド&ムーア(1991)では、「遅延」の理由を進化論に対する社会的反発を恐れたためとし、この恐怖がダーウィンの病気の原因でもあったとしている。ヴァン・ワイ(John van Wyhe, 2007)はこれを全面的に否定し、ダーウィンには進化論公表についての恐怖など存在せず、『種の起源』以前にも数十人に自説を明かしていたという。当該論文の著者たちはヴァン・ワイの説を踏まえ、「遅延」の理由は蔓脚類の研究に予想外の年月を費やしたためであるとしている。この蔓脚類の研究は結果として動物学者としてのダーウィンの地位を確立し、その進化理論も1844年段階よりも優れたものになった。1840年代にはフッカーなど数人にしか自説を語っていなかったが、1854年以降は多くの人に語るようになった、という。病気の原因を恐怖とする説も全面的に否定している。妥当な見解であろう。

2019年4月25日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後は疲れが出てなにもできなかった。

2019年4月24日(水)ダーウィン研究
 ダーウィンはなぜ進化論公表を15年も遅らせたのか。この問題を扱った下記の論文に着手。R.D.Buchanan & J.Bradley,““Darwin's Delay”: A Reassessment of the Evidence,” ISIS(2017).

2019年4月23日(火)ダーウィン研究
 家事雑用の合間にようやくダーウィン文献に取り組むことができた。『ケンブリッジ百科辞典:ダーウィンと進化思想』(2013)収録の論文、ティエリー・オケ(Thierry Hoquet)の「『オリジン』の進化(1859-1872)」を読了。著者オケはビュフォン研究(2005)で注目されていたが、2009年に『種の起源』初版の仏訳と研究書Darwin contre Darwin : comment lire l'origine des especes ? を刊行し、昨年、英語版のRevisiting the Origin of Species: The Other Darwins. を刊行している。当該論文はこうした研究の要約と見なすことができるだろう。それによれば、『種の起源』は改版のたびに加筆、訂正、削除を重ね、大きく変化していった。後世の生物学者たちは『種の起源』諸版の中から自説に都合の良い部分を取り出し、都合の良いダーウィン像を描いてきた。ダーウィンは批判に真摯に答えようとしたため、誤解を呼ぶようなことになったが、ダーウィンの基本姿勢は初版から変化していない、という。『種の起源』改版によりしだいにラマルキズムが重視されるようになっていったという通説は1940年代に総合学派が作り出したものであるというが、どうだろうか。獲得形質の遺伝を重視するようになっていったことは、否定し難いように思える。

2019年4月22日(月)デイサービス
 午前中に散髪に出かけ、そば屋で昼食後、そのままデイサービス「ポラリス大矢船」へ行って運動機能訓練。まだ一昨日の疲れがとれていないのだろう、休憩時には眠り込んでいたが、いつものメニューはこなすことができた。

2019年4月21日(日)無為
 昨日の疲れで体が動かない。やりたいことはいろいろあるのに、どうしようもない。高齢者には時間があるように見えるが、実働時間は極めて限られている。

2019年4月20日(土)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。今回も嵐山に着いたのは4時。観光客が引き上げ始める時間帯になった。二尊院門前には「二尊院普賢象桜開花中」と大書した看板が立てられていたが、これだけでは参拝者を呼び込むのは難しいだろう。

2019年4月18日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は食事以外、ほとんど寝ていたが、夜遅くなって2日分のジャーナルを書いている。

2019年4月17日(水)奈良国立博物館
 大学院の受講生ゼロが確定したので、本日は奈良へ。まずは奈良博で開催中の藤田美術館展。一度だけ同美術館を訪ねたことがある。最寄り駅からかなり歩いた記憶があるので、JR東西線が開業した1997年より前のはずである。住宅を転用したので美術館らしくなかったし、ほかに来館者もいなかった。展示品も少なく、収蔵量もたいしたことないのかと思ったが、今回の展示を見てとんでもない誤解であったことが分かった。今回の展示では曜変天目に長蛇の列。並んでいる余裕はないので後方からちらっと見るだけであきらめた。休館中の美術館が2022年に再開されたら、ゆっくり見に行くことにしよう。今は大阪城北詰駅前になっているので、楽に行けるだろう。今回、東大寺から購入した国宝の善財童子絵巻の一部は展示されていなかった。東大寺に遠慮したのか。期待していただけに残念だった。
 藤田美術館展はさっさと終えて、本館の仏像館へ。なじみの仏さんも少しずつ増えてきて、心が落ち着く。さらに、興福寺の国宝館と東金堂に寄り、早めに帰途についた。

2019年4月16日(火)近大病院眼科
 朝早くに近大病院へ。本日は診察。眼圧は制御されているので、当分はこのまま様子を見ることになろう。

2019年4月15日(月)近大病院眼科
 デイサービスを休んで午後から近大病院眼科へ。本日は視野検査のみ。緑内障では最も重要な検査と分かっていても、うんざりする。歳とともに検査の精度も落ちてきた気がする。

2019年4月13日(土)帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ』朝日選書 2017.
 昨日の疲れで終日ゴロゴロしながら標記の著書を読み終えた。阿部公彦『夏目漱石スペシャル』(NHK 2019)で紹介されていることに刺激され、桃大図書館から借用してきた。阿部はnegative capability を「わからないものを、わからないまま受け入れる力」を意味する批評用語としているが、帚木はもっと広く、「答えの出ない事態に耐える力」を意味する精神分析の用語としてさまざまな事例に適用している。そのため、この用語の意味がかえって分からなくなってしまった。
 同書は選書として出版するため無理に原稿量を増やしたと思われる。この半分の量の新書版として刊行すべきではなかったろうか。また、「ネガティブ・ケイパビリティ」と聞いて直ちにnegative capability を思い浮かべる日本人はわずかであろう。カタカナのままこの用語を広めるのは困難と思われる。「消極的能力」とか「負の力」と訳されても、なんのことか分からない。漢籍に詳しかった明治の知識人なら適切な訳語を造ることができたろうに。
 帚木や阿部がいうように、文芸作品や絵画、音楽は、なんとなく面白ければ良いのであって、「分かる」必要はない。文楽についても「分かる、分からない」を気にせず、単純に舞台を楽しめばよいと思う。本当は、字幕もイヤホーン解説も不必要なはずなのだ。

2019年4月12日(金)文楽・忠臣蔵
 「仮名手本忠臣蔵」全段上演の第一回、大序から四段目まで。文楽で忠臣蔵の通しを最初に見たのは、60年近く前の朝日座。文楽に熱中しだした時期で、友人と二人、東京・大阪間を夜行の鈍行で往復した。以来、文楽だけでも忠臣蔵を10回以上、見てきたと思う。それでも多分、二段目「使者の段」を見るのは今回が初めてだろう。この場の小浪・力弥のうぶな恋と、三段目「おかる文使い」のおかる・勘平の色恋沙汰とが対比されている。八段目・九段目の伏線としても、この場はあった方がよい。
 四段目の切「判官切腹」は咲太夫・燕三。咲太夫の体調は心配なさそうであった。
 三宅周太郎だったろうか、文楽を見始めた頃、歌舞伎では本物の由良助を見ることができなくなったが、文楽ではまだ本物を見ることができるといった趣旨の評論を読んだ記憶がある。今の文楽ではどうだろうか。
 今回、ぽつぽつ空席があるものの、座席はほぼ埋まっていたと思う。まずはよかった。

2019年4月10日(水)桃大図書館
 桃大では本日が水曜日最初の授業。大学院の講義が組まれているので出かけたが、本年度も受講生ゼロ。空いた時間に図書館でダーウィン関連の論文を複写してきた。ツンドクにせず、せっせと読んでいかねばならない。

2019年4月9日(火)ペテン師・野口英世
 5年後の紙幣刷新が発表された。5年後のことで注目を集めようとは、現内閣のさもしい根性丸出しである。安倍総理の主導で決定した「令和」も、さまざまな専門家の指摘で史上最悪の元号であることが明らかになってきた。
 それはともかく、紙幣からようやく野口英世が消える方向が見えた。とはいえ、まだ当分、千円札によって野口英世英雄視が日本人に植え付けられていく。「野口は現在蔓延する論文捏造の先駆者ともいえるであろう。‥‥野口の研究者としての虚像が、わが国では現在でもまかり通っている事実は、現在の政府の暴挙を生ずるわが国の風土を表しているように思われる」(杉春夫『論文捏造はなぜ起きたのか?』p.121)。

2019年4月8日(月)パソコン解説書
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。昨日の疲れが出ないか心配だったが、いつものメニューをこなすことができた。帰宅後、文献に取り組む余力はないので、昨日、購入してきたwindows10 の解説書を開いた。1万円で購入した中古パソコンは問題なく動いているが、さまざまな機能が分からない。解説本を見ながらアカウントの設定などはできた。まだまだ覚えることがあるようだが、急ぐ必要はない。ぽちぽちいけばよいだろう。

2019年4月7(日)観心寺
 桜を見に行くというカミサンに付き合ってタクシーで観心寺へ。遠回りの美加の台経由で向かったが、評判通り、団地に入る道路の桜並木が見事であった。観心寺の桜も本日がピークであろう。来週の17日・18日は年に一度の秘仏・如意輪観音ご開帳のため混雑するはずだが、本日はのんびりと境内を見て回ることができた。門前の和風喫茶、阿修羅窟で名物わらび餅をいただいた後、バスで河内長野駅前へ。さらにバスを乗り継いで南ヶ丘へ。そのまま自治会館で知事選挙を済ませた。夜、8時になるやいなや、大阪府知事も大阪市長も維新の勝利と報道された。文楽の価値を認めない政党の大阪支配が続くと思うと、憂鬱である。

2019年4月4日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日は帰宅後に気力・体力が残っており、家事雑用の合間に文献に取り組み、夜にはジャーナルを書くこともできた。

2019年4月3日(水)ダーウィン研究
 『ケンブリッジ研究案内・ダーウィン』第2版(2009)の紹介を書き終えた。掲載されている19本の論文についてはテーマと著者名を記すことにした。ダーウィンについての案内書といっても哲学的側面だけを扱っているが、その限りでは研究案内として有益であろう。ただし、巻末3ページの文献案内には主要なダーウィン一次資料・二次資料が紹介されている。そのほとんどは我が手元にもある。ダーウィン研究者として当たり前といえば当たり前だが、ちょっと、自己宣伝しておこう。

2019年4月2日(火)研究ノート「ハーヴィの発生論と遺伝論」
 いまでも使い慣れた「一太郎」で文書を作成しているが、外部に送るときには、たいてい、「ワード」にしなければならない。桃大紀要への投稿でも「ワード」にしてほしいという。表記の拙著を「一太郎」から「ワード」へコピペしたところ、今回は斜体、太字などの文字修飾もコピーされていた。これで投稿準備完了。

2019年4月1日(月)拙劣な新元号
 午前中は家事雑用、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日のテレビは新元号一色。お祝いムードで「令和」は良い元号ともてはやされているが、本当にそうだろうか。まず指摘したいのは本来の日本語(和語)はラ行で始まらないということ。漢語であっても「日本」にこだわるなら、そのことを配慮すべきだろう。これまでの元号でもラ行で始まるのは、多分、「暦仁」(1239)と「暦応」(北朝、1338-41)だけである。第二に、「令」(レイ・リョウ)は「良」に通じるので「令嬢」、「令月」といった用法もあるが、一義的には「命令」である。「令和」とは「安倍総理の命令に黙って従う」という意味になる。こんなアホノミクスの元号を制定過程で批判する識者はいなかったのだろうか。

2019年3月31日(日)ダーウィン研究
 午前中は一昨日の疲れが残っていたが、午後には文献に取り組むことができた。ダーウィン文献に接するのは10日ぶりである。本日は、ホッジほか(編)『ケンブリッジ研究案内・ダーウィン』第2版(2009)についての解説に着手した。主要な哲学や文学への研究案内シリーズ(Cambridge companions)の一つである。このシリーズの趣旨に沿って、ダーウィニズムの哲学的背景と後世の哲学への影響に焦点を合わせている。この第2版は初版(2003)に2章を追加したものである。
 このように概要は簡単に書けるが、収録されている19本の論文についてどこまで説明するか、改めて検討してみたい。

2019年3月30日(土)研究ノート「モーペルチュイとビュフォンの発生論と遺伝論」
 昨日の疲れで体も頭もまるで動かない。昨日、郵送されてきた桃山学院大学・国際教養学部の紀要『人間文化研究』第10号に目を通した。標記の拙著が掲載されている(pp.209-224)。近日中に雑誌全体がネット上で公開されるはずであるが、困ったことに英文目次でビュフォンがBaffon となっている。公開データでは修正するよう、事務方に依頼してみたい。
 紀要の実際の刊行状況をみると、続編「ハーヴィの発生論と遺伝論」掲載予定の第11号が出るのは早くて年末か。

2019年3月29日(金)難波でうろうろ
 散髪に外出したついでに、カミサンの買い物に付き合うため難波へ。駅ビルを中心に周辺のビル3棟に入ったが、連絡通路や地下道で移動し、一歩も一般道路に出ることはなかった。そのため、大阪知事選などの激しい選挙戦に接することもできなかった。

2019年3月28日(木)サイト修正
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、桃山学院大学の情報センターに電話し、ホームページ転送の不具合について相談した。不具合のきっかけはホームページ・ビルダーをヴァージョン・アップしたことによるもので、簡単な処理で修正することができた。アクセス解析もまともなものになったようだ。
 夕刻に三日市町駅筋の田中整形外科へ。前回(12月)の血液検査の結果、破骨細胞抑制剤の効果が確認されたとのことであった。
 三つの作業をこなし、充実した一日を送れたような気分になっている。

2019年3月27日(水)ケアマネ交代
 新年度から我が家のケアマネージャーが交代するため、ポラリス大矢船で話し合いをすることになった。こちらの事情を説明し、今までと同様の介護予防計画で進めることになった。午後1時間程度のことだったが、これだけで1日のエネルギーを使い果たした感じがする。

2019年3月25日(月)デイサービス
 通常、二尊院詣の翌日はデイサービスを休むのだが、今日は大丈夫な気がしたので午後の部に参加した。いつものメニューをこなしたものの、締めくくりの運動の時にはうとうとしていた。昨年、米寿を迎えた男性が、何のために生きているのか悩んでいるといいだした。独り暮らしで比較的元気な故の悩みかもしれない。症状の重い人々は、そんなことを考える余裕もないようだ。

2019年3月24日(日)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。家を出たのが昼過ぎだったため、嵐山に着いたのは4時ごろ。それでも法輪寺十三参りの家族を見かけたし、メイン通りの観光客も多かった。二尊院にも切れ目なく拝観者が訪れていた。お彼岸の直後なので、ほとんどのお墓にきれいなお花が供えてあった。

2019年3月23日(土)訪問者数
 昨日から今日にかけて、ほとんどの時間を保険の書類作成に関わる作業に費やしてしまった。これが終わり、ホームページビルダーのアクセス解析でこの半年間の訪問者数を見たら、ゼロであった。いくら何でも、これはおかしい。多分、アクセス解析を設定した昨日からのデータを収集するのであろう。

2019年3月21日(木)一太郎2019とホームページビルダー21
 祭日だからというわけではないが、都合でデイサービスを休んだ。ほとんど家事雑用に費やしたが、「一太郎2019」のマニュアルにざっと目を通し、ATOKを今まで通りの設定にすることができた。さらに、ホームページビルダーのアクセス解析の設定に取り組んだ。悪戦苦闘のすえ、設定することができたが、その結果は、10日間、訪問者はゼロであった。

2019年3月20日(水)ダーウィン研究
 本日も心身の疲労感が強く、ぼんやりしていたが、夕刻になって4日ぶりにパソコンを開けた。windows10と一太郎最新版にかなり慣れてきた。夜になって4日分のジャーナルをまとめ書きしている。
 ヴァン・ワイ(John Van Wyhe)『ダーウィン』(2008)の紹介を書き終えた。わずか64ページの伝記だが、洋書には珍しく箱入りの大型本(26 × 30 cm)である。ページ面の半分以上が図版に当てられ、さらに、地図や手書き資料の複製など9点がページに糊付けされ、17点がページに作られたポケットに挿入されている。本文よりも図版や添付資料を参照すべき書物であろう。著者はDarwin Onlineの主宰者であり、ダーウィンについての著作を次々と発表している。現在、最も活動的なダーウィン研究者の一人である。

2019年3月19日(火)家事
 相変わらず疲労感が続いているが、休み休み、お好み焼きを大量に作製。大半を冷凍保存。

2019年3月18日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日はこれで終わり。

2019年3月17日(日)無為
 昨日、必死に10パソコンに取り組んだ疲れが出たのだろう。本日は何もする気にならない。終日、ぼんやりしていた。

2019年3月16日(土)パソコン移行
 午前中は家事雑用に振り回され、午後はパソコンのデータ移行に振り回された。10パソコンに変えたので「一太郎」と「ホームページビルダー」も最新版を入れた。問題は旧パソコンのhpbデータを移すこと。それなりのソフトが用意されているが、すんんなりとはいかない。悪戦苦闘の結果、移行できたと思われる。ホームページのデータを桃山学院大学のサーバに送信するためのソフトWinSCPも新たにインストールしたが、すぐにはうまく動かない。最終的には旧パソコンと同様に使えるようになったと思うが、ジャーナルのページが無事、更新できるだろうか。

2019年3月15日(金)中古パソコン
 1万円で購入した中古パソコンが届いた。無線LANに接続し、Windows10の認証を済ませた。どうやら問題なく動くようだ。明日もデータ移行などに取り組まねばならない。

2019年3月14日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。前日のミスが気になって昨夜は熟睡できなかったため、うとうとしがちであったが、メニューはこなすことができた。

2019年3月13日(水)外出先の大失敗
 バスで河内長野駅前まで出掛け、用事を済ませて一休みした後、とんでもないミスを犯した。高齢のためか、用心しているつもりでも信じられないような失敗をする。

2019年3月12日(火)ダーウィン研究
 ダーウィン関連文献の調査を続行。

2019年3月11日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日はこれで終わり。

2019年3月10日(日)ダーウィン研究
 昨日からの2日掛かりで、Michael Ruse (ed.), The Cambridge encyclopedia of Darwin and evolutionary thought.(2013)の紹介記事を書き終えた。エンサイクロペディアと名乗っているが、辞典ではない。ダーウィンに関係したさまざまな事項についての解説記事63本を掲載している。ケンブリッジ研究案内シリーズの『種の起源』および『ダーウィン』と同様の項目があり、執筆者もかなり重なっている。ただし、『研究案内』よりもより広い読者を想定しており、文献注は最小限に抑えられている。

2019年3月8日(金)中古パソコン
 5日に発注した中古パソコンをキャンセルし、別のショップでさらに安い中古パソコンを発注した。本日はほとんど、パソコンとソフトの買い換え問題で終わってしまった。

2019年3月7日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日の利用者は9名。春が近づき、午前の利用者も少しずつもどってきている。当方は3ヶ月毎の能力測定。訓練メニューも普段通りにこなすことができた。

2019年3月6日(水)ダーウィン研究
 昨日からの2日掛かりで、Richard Milner, Darwin's universe : evolution from A to Z (2009)の紹介記事を書き終えた。The encyclopedia of evolution (1990)の増補改訂版である。大型本の新版は桃大図書館所蔵だが、旧版は以前から手元にあり、時々拾い読みをしていた。著者は自然史関係のジャーナリストで、700余りの項目の解説を一人で書いている。今回、S.J.グールドの「序言」を読み、グールドと著者が同じ中学で学び、二人とも恐竜に熱中して変人扱いされていたことを知った。グールドは学術の世界に進んだが、ミルナーは15年間をポップ・カルチャーの世界に身を置き、中年になってから自然史の世界にもどってきたという。不案内な事項について基礎的な知識を得るのに便利だが、余裕があれば通読してみたい辞典である。

2019年3月5日(火)中古パソコン
 ネットのショップで格安の中古パソコンを発注した。現在使っているNECパソコン(windows7)の上位機種(windows10)で1万円台。今の機種と同じように使えるだろうと気楽に発注したが、拙速だったかもしれない。もっと調べるべきだったと反省している。

2019年3月4日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。利用者同士の雑談の中で、ここでの半日が我々の「仕事」になっているということになった。各人がそれぞれの問題を抱えながら運動機能の維持向上に励んでいるが、加齢と病状悪化には勝てないという面もあるようだ。

2019年3月3日(日)ダーウィン研究
 近年のダーウィン文献を整理するためダーウィン関係のファイルを確認したら、10年前にけっこうな数の文献を記載していることが分かった。すでに当時、ダーウィン本を整理しておこうとしていたのだ。記憶から飛んでしまっているのは情けないが、パソコン保存の重要性も再確認した。
 それにしても一日の中で研究に取り組める時間が少ない。家事雑用を一つ片付けては一寝入り、食事の後でも一寝入り。こんな調子では残された時間(10年ほどか)の中で、ダーウィン論をまとめ、遺伝学成立史をまとめ、アリストテレス論をまとめ、最終的に生物学通史執筆など、できるはずがないと、冷ややかに見ている醒めた目もある。しかし誰かに迷惑を掛けるわけでもなし(多分)、行ける所まで行ってもよいだろう。

2019年3月2日(土)文楽予約
 国立文楽劇場4月公演第1部「忠臣蔵」大序から四段目まではどうしても見なければならない。卓上カレンダーに会員先行予約10時開始と記しておいたのに、家事雑用に追われ、気がついたのは10時半。慌ててネットの予約サイトに当たってみたら、なんといつもの床直下の席が簡単に確保できた。ほっとすると同時に、人気が無いのかと心配でもある。四段目までが4月公演、五・六・七段目が夏休み公演、八段目以降が11月公演と、季節も符合している。文楽の将来のためにも話題になるとよいのだが。

2019年3月1日(金)桃大図書館
 散髪に外出したついでに桃大へ。名誉教授控室と図書館を往復しただけだが、教職員にも学生にもほとんど出会わず、図書館も閑散としていた。ダーウィン関連の大型本の内容を確認し、図書3点を借り出してきた。大量のダーウィン本を見ているうちに気分も高揚してきた。とにかく当分はダーウィン関連の文献を精力的に読んでいきたい。
 帰途、南海電車の車窓から満開の菜の花畑を見ることができた。「いちめんのなのはな」には遠いが、なんとなく嬉しい。

2019年2月28日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日も利用者は8名。のんびりした雰囲気であった。

2019年2月27日(水)ダーウィン研究
 1月以来、変異論を中心にダーウィン文献を読んできたが、2009年前後から英語圏で大量に刊行されてきたダーウィン関連図書をきちんと把握していないことが気になってきた。昨日から書棚のダーウィン本を確認し、ネットで桃大図書館の蔵書を調べている。変異論に注目しつつ、近年のダーウィン文献を広くおさえておきたい。

2019年2月25日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。利用者も多く、にぎやかであった。

2019年2月24日(日)ダーウィン研究
 ケンブリッジ・コンパニオン・シリーズ『ダーウィン』(2009)に収録のエンダースビ「発生、パンジェネシス、性選択」の再読を終えた。疲れやすく、集中できる時間が少ないため、再読に3日も要した。びっしり書き込みがあるので一度はていねいに読んだはずだが、情けないことに、ほとんど忘れている。著者が強調していることの一つは、ビクトリア朝の男性中心主義がダーウィンの自然観に強く反映しているということだが、これには異論が無いであろう。結論として著者は、ダーウィンは発生generationの問題に取り組んだのであって、遺伝学の先駆者とみなすべきではないという。そのように言い切っていいのかどうか。当面の研究の課題である。

2019年2月21日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日の利用者は6名。午後は倍以上になるとのことであった。

2019年2月20日(水)文楽4月公演
 依然として疲れが取れない。80歳になって外出の疲れが一日では取れなくなったようだ。
 昼前の郵便で「文楽友の会」の会報が届いた。4月公演昼の部「忠臣蔵」の四段目「判官切腹」は期待通り、咲太夫であった。4月5日のプレイベントにも咲太夫参加とあるので、体調は回復したのであろう。三段目「殿中刀傷」は呂勢太夫・清治。今回の全段上演には劇場も売り込みに力を入れているようなので、床直下の席を確保するのに苦労するかもしれない。ところで、この4月公演から入場料が値上げされた。最近、さまざまなものがじわじわと値上げされている。年金生活者としては、不安な状況である。

2019年2月19日(火)無為
 昨日の疲れで終日、なにもできない。気楽に日本古代史本でも読もうとしても、すぐに脳が疲れてしまう。ところがテレビなら見ていられる。テレビを見るだけなら脳を使わないということだろう。

2019年2月18日(月)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。2月としては暖かく晴れてはいたものの、帰宅時には疲れ切ってしまった。

2019年2月17日(日)還付申告書
 国税庁のシステムを利用した申告書の作成が終了。昨年のデータが利用できるので手間は掛からないはずなのだが、休み休みの取り組みなので2日掛かりになってしまった。領収書添付の必要がなくなり、郵送も楽になった。これで春先の憂鬱な作業の一つが終わった。

2019年2月15日(金)実川延若
 異様な疲労感で何もする気にならない。昨日の疲れが残っているはずはないし、原因は不明。80歳にもなるとこんなこともあるさ、としておこう。
 昼間に寝たり起きたりしていたおかげか、夜11時からのNHK.Eテレ「にっぽんの芸能・三世實川延若」を見ることができた。自分にとって「延若」といえば、この三代目である。歌舞伎座にもしばしば出演していたし、個性的な台詞回しもなつかしい。ただ、なぜか舞台での姿が思い浮かばない。テレビで放映していた舞台は、多分、見ていない。このクラスの役者なら大抵、舞台の姿を記憶しているのだが、なぜだろう。当方が歌舞伎座に通っていた当時、あまり役柄に恵まれていなかったのかもしれない。

2019年2月14日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日も午前中の利用者数は午後の半分、どの曜日でも同じ状況とのこと。年寄りにはこの寒さが応えるのだ。

2019年2月13日(水)ダーウィン研究
 「ケンブリッジ・コンパニオン」シリーズの『種の起源』(2008)収録のオルビー「変異と遺伝」を再読。オリジン初版の変異論よりも、交雑、ジェンキンの批判、それとメンデリズムとの関係に大きなスペースが割かれているのは、いかにもオルビーらしい。本書全体の趣旨からいっても、標準的な解説にとどまっているのはやむを得まい。

2019年2月11日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。デイサービスは祝日に関係なく実施される。利用者の欠席も少なく、にぎやかであった。

2019年2月10日(日)ダーウィン研究
 先々週に桃大図書館でコピーしてきたD.Partridge(2018)の論文「ダーウィンの二つの理論、1844エセーと1859オリジン」を読了。かねてから1844エセーの理論は『種の起源』のそれとは異なることが指摘されてきたが、それでも根本的には共通しており、『種の起源』は1844エセーの発展したものとみなされてきた。それに対し著者は、二つの理論は根本的に異なっているという。1844エセーでは種の変化の主因は外的条件の変化であり、自然選択の作用は従属的であった。またその理論は局所的な品種(race)の形成を説くだけであり、創造説とも共存しうるものであった。ダーウィン自身もこの理論に不満であり、そのためこれを出版しようとはしなかったという。刺激的な論文であり、ダーウィンの変異論をまとめるうえでも留意しなければならない。

2019年2月9日(土)ダーウィン研究
 「1842スケッチ」と「1844エセー」の第1章と第2章の読み直しを終了。『種の起源』との違いを再確認した。

2019年2月7日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午前中の利用者が午後に変更することが多くなり、本日は月曜午後の半数、7名であった。訓練内容は同じでも、なんしなくのんびりした雰囲気になる。

2019年2月6日(水)ダーウィン研究
 『種の起源』第5章「変異の法則」の読み直しを終了。まず、変異の原因は外的条件の間接作用が主たるものだが、そのほかの原因として直接作用と用・不用も指摘。次いで、変異の相関、変異しやすい部位、類縁種の相似的変異について論じ、最後に「先祖返り」(reversion)を取りあげ、こうした現象が創造論を否定するという。
 初版復刻版への書き込みを見ると、かつて大著『自然選択』の該当箇所と対応させながら読んでいたことが分かる。その時の成果がなんだったのか、記憶になく、多分、記録もない。改めて考察するほかない。

2019年2月4日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅、夕食後に一寝入り。本日はエネルギーが残っているので、アマゾンと科学史学会事務局にメールを送り、3日分のジャーナルを書いている。

2019年2月3日(日)家事
 豆まきもせず、太巻きも食べず。ほぼ、一日掛かりでお好み焼きを多めに作り、冷凍庫に保存。しばらくは食事に悩まなくて済む。

2019年2月2日(土)ダーウィン研究
 『種の起源』第2章「自然のもとでの変異」の読み直しを終了。前半では、「種」も「変種」も便宜的に設定されたものに過ぎず、本質的な違いはないと主張し、後半ではそのことが植物算術によって証明されたという。後半の根拠になっている表は大著『自然選択』に収録されているが、ダーウィンの主張するような結論は得られない。したがってこの後半の議論はほとんど無意味である。そもそも、ダーウィン自身が「種」も「変種」も便宜的なものと認めているのだから、「属」による「種」と「変種」の比率の比較など、もともと無意味だったといえよう。
 ここでまた、ふと思い付いた。『種の起源』の解説書を書くべきではないか。ダーウィンの遺伝論についての論文執筆、ダーウィン研究の進展についての展望執筆、そして『種の起源』の解説書執筆。無理なこととは承知のうえで、今年の課題にしてみようか。

2019年2月1日(金)日本科学史学会
 『科学史研究』(2019年1月号)と同時に、会長選挙の公報と投票用紙が郵送されてきた。会員高齢化と会員数減少のため、学会内に危機感が広がっている。しかし近年は学会関連の集会にほとんど参加していないので、どのような議論がなされ、対立点がなんなのか、学会の状況がよく分からない。3人の立候補者のどなたに投票すべきなのか、決めかねている。

2019年1月31日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。寒い日が続くと、とくに午前中の利用者が少なくなるようだ。帰宅後も家事雑用で本日は終わり。

2019年1月30日(水)
 医療保険の書類を書いてポストに投函し、ついでにスーパーで買い物。電動車椅子を利用しているのに、これだけで疲労困憊、本日は終わり。

2019年1月29日(火)桃大図書館
 朝早くに近大病院眼科へ。白内障の術後経過は問題なし。眼圧も狙い通りにコントロールされていた。これはよしよし上上吉。午後は桃大へ。授業も期末試験も終わっているので学内は静かであった。図書館で遺伝学史関連の論集を借り出し、新着洋雑誌からダーウィンについての論文2点を複写してきた。この作業中に思い付いたことがある。『チャールズ・ダーウィンの生涯』刊行から10年経つので、この間のダーウィン研究の進展状況をまとめておこうかということ。今年の目標はダーウィン遺伝論の研究だが、できればダーウィンの生涯に関わる諸問題にも留意して「ダーウィン研究の進展」といった展望記事を書いておきたい。

2019年1月28日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後も家事雑用で本日は終わり。

2019年1月27日(日)ダーウィン研究
 とにかく寒い。暖房の効いた部屋から廊下に出ると寒さが襲う。北国では家ごと暖房になっているのも当然と思えた。さて、昨日と今日で、『種の起源』第1章「飼育栽培のもとでの変異」の読み直しを終えた。おおざっぱにいえば、前半が変異論、後半が人為選択説。この変異論をじっくり考察しなければならない。

2019年1月25日(金)ダーウィン研究
 ダーウィンの変異論を考察するにあたり、どのように一次資料に取り組めば良いのか。「転成ノート」から始めるか、『飼育栽培のもとでの変異』(1868)から始めるか。いろいろ迷ったが、結局、『種の起源』(1859)から着手し、その前後を比較するという方法を採ることにした。本日は久しぶりに「序論」をじっくり読み直してみた。

2019年1月24日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。腰痛はおおむね治まってきたが、何かの拍子で軽い痛みが走る。運動メニューを少しだけ抑えることにした。

2019年1月23日(水)散髪
 午前中は家事雑用。午後は散髪に出たついでに三日市町駅前のスーパーとコンビニで買い物。これだけのことで疲労困憊、本日は終わり。

2019年1月22日(火)腰痛持続
 昨日よりも軽くはなったが、腰痛が続いている。文献に取り組む気力も萎えてしまう。結局、家事雑用だけで一日が終わってしまった。

2019年1月21日(月)腰痛再発
 午前中は家事雑用、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で本日は終わり。朝、立ち仕事をしているとき、なんとなく腰に違和感が走り、腰痛が再発してしまった。姿勢を変えるたびに「痛い、痛い」とわめくしまつ。腰痛が再発するきっかけがなんだったのか思いつかないのも、かえって心配である。デイサービスでも腰の負担になるような運動は控えることにした。
 夜7時過ぎ、東の空に大きな満月がくっきりと見えた。ときどき雲が横切っていくが、冬の空に見る月には秋の月とは異なる情感がある。

2019年1月20日(日)ダーウィン研究
 ダーウィンの変異論を論じた論文Winther(2000)の再読を完了。ダーウィンは変異の原因が外部環境の変化にあると見なし、遺伝は発生過程の一部とみなしていたという。先に読んだ論文では、1856以来、ダーウィンは遺伝を独立した仕組みとして考察するようになったと主張していた。おそらく、どちらかが間違っているということではなく、現在の遺伝論から見ると当時の遺伝論が混乱していたということだろう。

2019年1月18日(金)ジャーナル執筆
 終日、全身に広がる疲労感でごろごろしていたが、文楽観劇記を中心になんとか5日分のジャーナルを書くことができた。文楽や歌舞伎についての資料を見ていると、疲れも忘れる。

2019年1月17日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後は疲労と家事雑用で本日は終わり。

2019年1月16日(水)文楽劇場・昼の部
 朝早くに家を出て、日本橋の国立文楽劇場へ。ロビーに入って目に付いたのが、咲太夫休演の掲示。久しぶりに咲太夫を聴くのを楽しみにしていたのに、残念。近年、咲太夫の休演が多くなっている。体調に問題があるのだろうか。1944年生まれだから、この世界では高齢というほどではないはずだ。次世代の太夫たちが育ってきているとはいえ、まだまだ活躍して欲しい。
 さて、最初の演目が景事の「二人禿」。床直下の席なので太棹が耳元で響き、これだけでまずは嬉しくなる。次が「先代萩」の六段目。「飯焚」と「床下」は歌舞伎で何度も見ており、記憶も鮮明である。しかし「竹の間」の記憶が無いので、今回が初めてかもしれない。女形だけによる典型的な時代物で、織太夫・団七で楽しかった。「飯焚」は千歳太夫・富助。近年、歌舞伎では省略して演じられることもあるらしいが、文楽では太夫の語りで聴かせるので歌舞伎ほど退屈することはない。切りは咲太夫に代わって織太夫、代役の勤めを立派に果たしたと思う。ただし、政岡の痛切な気持ちが表現できるようになるには、年期が必要であろう。
 最後の演目は「壷坂」。小学生の頃からラジオから流れてくる浪曲で話の概要は知っていたし、「妻は夫をいたわりつ‥」は「旅ゆけば‥」や「利根の川風‥」と並んで浪曲物まねの定番であった。「三つ違いの兄さんと‥」はだれもが知っているせりふだった。
 今回は「土佐町松原の段」が出ているが、この場は無くても差し支えないだろう。それよりも「先代萩」で歌舞伎とは異なる「床下」を見たかったな。呂勢太夫・清治で「山の段」を聴いていると、観音菩薩出現の場面で、「頃は如月」という。浪曲では「頃は六月なかのころ」といっていた。旧暦の二月でも山の中の壷坂寺は大阪市内よりはるかに寒い。舞台に見るような服装で夜中にお寺まで行けるとは思えない。綾太郎はそれを考慮して夏に変えたのだろうか。
 「壷坂」のストーリーの骨子は、要介護者が周辺の負担になることを気にして自ら命を絶つということである。現在、ますます深刻になってきた社会問題であり、我が身にとっても他人事ではない。ドラマではデウス・エクス・マキナによって解決しているが、現実はそれほど甘くない。どうすれば良いのだろうか。ネットで調べると、壷坂寺の先代住職は昭和36年に日本で最初の盲人のための老人ホームを開設したという。これが一つの解決策であろう。こうした情報を公演パンフレットに掲載して欲しかった。
 劇場の予告によると、今年の4月公演、夏休み公演、11月公演の3回に分けて「仮名手本忠臣蔵」の全段を上演するという。4月公演は四段目まで。ほとんど上演されない「二段目・桃井館力弥使者の段」と「三段目・腰元おかる文使いの段」が楽しみである。咲太夫が復活して「四段目・判官切腹」を語ってくれるよう、願っている。

2019年1月15日(火)ダーウィン研究
 ダーウィンの変異論を論じた論文Winther(2000)の再読に着手。一度は精読した論文だが、情けないことに、ほとんど内容を忘れている。

2019年1月14日(月)団十郎襲名
 午前中は家事雑用、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後も家事雑用で本日は終わり。
朝9時からのテレビで海老蔵の13代目団十郎襲名のあいさつが中継された。大阪松竹座での披露公演は2021年2月で3部制とのこと。近年は松竹座にもご無沙汰しているが、この公演は行かねばなるまい。襲名披露公演では「勧進帳」と「助六」が中心になると思うが、当方としては新団十郎の「助六」を見たい。揚巻は玉三郎で決まりだろうが、その他の脇役陣を想像してみるのも楽しい。

2019年1月13日(日)ダーウィン研究
 ダーウィンとリュカについての論文(2009)を一応、読了。ダーウィンがリュカの『遺伝論』(1847,1850))を読んだ1856年を境に、ダーウィンの変異論が大きく変化したという。新年になってから初めて科学史文献に取り組むことができたが、集中力が続かない。とにかく手元の二次文献を読まねばなるまい。

2019年1月11日(金)仏像
 今日こそ科学史文献に取り組めると思っていたが、結局、家事雑用で終わってしまった。ただ、速水『観音‥』の刺激で変化観音像などについて学び直したので、よしとしておこう。今年の秋は是非とも興福寺南円堂の康慶作「不空羂索観音菩薩坐像」を拝観しに行かねばならない。

2019年1月10日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後は家事雑用で本日は終わり。

2019年1月9日(水)速水侑『観音・地蔵・不動』講談社現代新書 1996
 なぜか奇妙な脱力感に襲われ、終日、ごろごろしていた。書棚から標記の新書版を引っ張り出して再読。参照文献をできるだけきちんと記載しようとする姿勢が気持ちいい。

2019年1月8日(火)医院はしご
 朝はまず田中整形外科へ。隣の薬局で骨粗鬆症の薬を購入し、そのまま福岡医院へ。年末に受けた検診の結果は、ほぼ問題なし。これだけのことなのに、午後は疲れてなにもできなかった。

2019年1月7日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後も家事雑用で本日は終わり。

2019年1月6日(日)法華経
 昨年末から断続的に再読してきた田村芳朗『法華経』(中公新書 1969)を読了。学生時代に法華経を通読し、ひたすら「法華経を信じろ」というだけで中身のないことにあきれたが、昔から同様の批判が珍しくないことを後で知った。田村は法華経無内容説(p.62)もきちんと紹介し、当然のことにそれを否定して「一乗妙法・久遠本仏・菩薩行進」を法華経の三大思想としている。しかしこれも「法華経を信じろ」といっているだけではないか。田村は法華経の影響力の強さを指摘するが、それは信仰を鼓舞する経文のお陰であって、思想内容によるものではなかったように思える。天台本覚思想については「すべての仏教思想を傘下に集め、仏教をその極点にまでおしすすめたものである」(p.137)という。桃大の同僚の一人が、「山川草木悉皆成仏」を仏教思想の精華といっていたのは田村と同様の立場によるものだろう。
 田村の主張に同意できないが、法華経の成立過程など、第三者的立場で解説しようとしているので通読することができた。これとは違って菅野博史『法華経入門』(岩波新書 2001)は法華経を讃える立場で貫かれている。信者たちには心地よい解説書だろうが、当方はうんざりして放り出してしまった。

2019年1月4日(金)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。「ポラリス」も本日が初日。当方のように振替利用者が3名もいる一方でレギュラーの利用者の半数が欠席していた。帰宅後は家事雑用であたふたと動き回ることになった。午前中に運動したおかげで、体の調子も良くなったようだ。
 夜になって返礼賀状の宛名書き。高校同級生の一人は、80歳になったのを機に年賀状を終了するという。その気持ちはよく分かる。

2019年1月3日(木)無為
 昨日の疲れでぐったり。終日、なにもせずに終わった。

2019年1月2日(水)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。難波の高島屋は大変な混雑であった。二尊院にもぽつぽつと来訪者があった。お墓に供える花束の購入で手違いがあったりして、帰宅は11時になってしまった。

2019年1月1日(火)年賀状
 穏やかな元日となったが、外出する気にはならない。年賀状14通の宛名書きを終えたが、投函は明日でいいだろう。今日もまたなんとなく時間が過ぎていった。夜になってNHK.Eテレのウィーンフィルを聴きながらジャーナルを書いている。

2019年1月1日(火)今年はなにをするか
 今年の研究テーマはダーウィンの遺伝論。できれば半年でまとめたいが、結局、1年掛かりになってしまうだろう。
 頭が痛いのは今年中にパソコンを買い換えねばならないこと。費用捻出もさることながら、データの移動など、慣れないことなので今から憂鬱である。
 恐れているのが体力低下。今の運動機能をリハビリで維持したいと思う。

2018年12月31日(月)今年はなにをしたか
 大晦日だからといって、今や特別なことは何もないはずなのだが、なぜかせわしない一日であった。夜になって、NHK.Eテレの第九を聴きながらジャーナルを書いている。
 さて、今年は何をしたか。研究面ではビュフォン、モーペルチュイ、およびハーヴィの遺伝論をまとめることができた。予備的研究にしては時間が掛かってしまったが、これを踏まえて遺伝学成立史の、いわば本論に取りかかることができる。
 研究が遅れがちな理由の一つは体力低下であろう。もともと体力はない方だが、今年になってさらに悪化し、外出が億劫になっている。遺跡探訪には行かなくなったし、美術館・博物館からも足が遠のいている。日常生活ではデイサービスでの運動機能訓練が中心になってきた。これによって辛うじて運動機能が維持されているようだ。

2018年12月30日(日)ダーウィン研究
 ダーウィンとリュカについての論文(2009)に着手。ダーウィンの遺伝論については山ほど論文があり、その多くは手元にあるので、順次、読みこなしていきたい。

2018年12月28日(金)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。木曜日分の振替なので利用者に知った顔がなかったがさびしい。午後はぼんやりしていたが、夜になって書き溜めていたジャーナル下書きを整理している。

2018年12月27日(木)健康診断
 年1回の検診を受けるため、朝早くに電動車椅子で隣町の福岡医院へ。血圧がかなり高いのが気になる。検診の後、そのまま近くのスーパーへ。これだけのことなのに、午後は疲れ切ってなにもできない。

2018年12月26日(水)賀状印刷
 年賀状を印刷。年賀状終了が話題になってきたが、当方も10年ほど前からほとんど返礼で送っているだけなので、半分、年賀状終了をしているといえるだろう。今回の挨拶文は下記。
 「正月のうちに八十歳になります。本人としてはそれほどの年寄りになったという実感がない。体力低下は明らかですが、まだ頑張れる気がする」。
 1枚印刷した後で、「頑張れる」は「ら抜き言葉」ではないかと心配になって、「頑張られる」に修正したが、どうやら可能の活用形としては「頑張れる」の方が正しいらしい。「頑張られる」も間違いではなさそうなので、このまま投函することにした。

2018年12月25日(火)末木文美士『日本仏教史』新潮社 1992
 桃大図書館から借用した標記の著書を読了。同じ著者の『日本宗教史』(岩波新書 2006)は本書の改訂版、あるいは簡略版といってよいものだった。大きく違うのは仏教公伝と聖徳太子の功績について、『仏教史』では通説によっているが、『宗教史』では通説に批判的になっていること。両書執筆の間の研究成果を反映したものなのか、前著への書評に対応したものなのかは分からない。なお、島田裕巳『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』(2012)では空海の前半生についての通説を否定し、「空海の方が最澄をはるかに凌ぐエリートであった」(p.83)という。これも著者個人の見解なのか、研究成果を反映したものなのか分からない。
 さて、末木『日本仏教史』では『日本宗教史』よりも本覚思想の解説がていねいである。現役時代から「山川草木悉皆成仏」という言葉が気になっていた。桃大にも東洋思想史の専門家が、専任と非常勤を含めて数人いるが、ある専門家は「本来、仏教には山川草木悉皆成仏といった発想はない。これは日本的アニミズムにすぎない」という。別の専門家は「これこそ仏教思想の精華だ」という。「山川草木悉皆成仏」という言葉は仏典に存在せず、末木も島田も仏典に由来する「草木国土悉皆成仏」を用いているが、意味は同じだろう。これは日本仏教に特有の天台本覚論に由来する思想であり、本来の仏教にはありえない考え方だという。だからといって否定されるべきではないだろうが、積年の疑問の一つが解消した気がする。

2018年12月24日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。風邪で先送りしていた体力測定を実施。柔軟性が悪くなっているのは寒さのためか。

2018年12月23日(日)シラバス入稿
 家事雑用だけでなんとなく一日が終わってしまう。かろうじて、桃大大学院の来年度講義シラバスの入力を終えた。ほとんど過年度のものをコピーするだけなので短時間で終了したが、一仕事済ませたという気分にはなる。

2018年12月22日(土)無為
 前日の疲れでなにもできない。一日外出すると翌日に疲れが出るというパターンが定着してしまった。現役の時は毎日、大学に通っていたのに、体力低下は歴然としている。

2018年12月21日(金)桃大図書館
 朝、散髪に出たついでに桃大へ。返却期限の迫ったハーヴィ関連の図書を年内に返さなければならなかった。文献探索の余裕はなかったが、和泉中央駅前のイズミヤとダイソーで買い物をしたため帰宅は予定より遅くなってしまった。大学の雰囲気に触れて、少しは研究意欲ももどってきたようだ。

2018年12月20日(木)wikipedia
 昨日の疲れでなにもできなかったが、久しぶりにヤフーでエゴサーチを試みたところ、wikipedia に立項されていることを知ってびっくりした。今年の9月に掲載されたようだが、どなたがなぜ掲載したのかは分からない。自からホームページを公開しているのだから wikipediaに載せられて迷惑ということはないが、どう考えればよいのか、とまどっている。出生地が「芝区芝新堀町」となっているが、正しくは「芝区新堀町」である。「芝新堀町」となったのは戦後、芝区と麻布区と赤坂区が合併して港区となった後である。学歴も正確ではない。最初の大学院は「植物学」ではなく、「生物化学」であった。いずれも修正を要請するほどではないが、不正確な情報が記載されるくらいなら立項されない方がましかもしれない。

2018年12月19日(水)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。紅葉の先月に比べると嵐山の観光客は少ない。二尊院の来訪者もまばらであった。寒さは厳しくなかったので無事、帰ることができた。

2018年12月18日(火)無為
 鼻炎は完治していないものの体調はかなり回復してきたはずだが、家事雑用とテレビなどでなんとなく一日が過ぎてしまった。夜になってジャーナルの下書きをしている。

2018年12月17日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。咳き込むことはなくなったがまだ鼻炎が続いているので運動量は控えめにした。それでも帰宅後は疲れて何もできない。

2018年12月16日(日)山野上純夫『入門仏教史』朱鷺書房 1993
 科学史研究にもどる気力がないので標記の著書を再読した。著者は新聞記者出身のライターで本書も仏教の興亡を要領よくまとめているが、思想史的内容は希薄である。たとえば龍樹については、彼によって「大乗仏教の教理が整えられた」(p.95)というだけだが、鳩摩羅什や法顕らについてはそれぞれ数ページを費やしている。所々に記されているミニ知識も有益だった。四天王の記憶法「地蔵買うた」は本書(p.109)で知った。明の国号は仏教に由来することも本書(p.182)で知った。ところで、本書では「漢音」(p.131)は漢の時代の発音、「唐音」(p.213)は唐の時代の発音としているが、これは著者の勘違いだろう。ライターらしくない間違いである。日本の仏教史については通説に従っており、通説に批判的な末木『日本宗教史』との違いが顕著である。ライターと研究者との差といえるだろう。

2018年12月14日(金)末木文美士『日本宗教史』岩波新書 2006
 終日、家でごろごろ。鼻炎は続いているし、なんとなくだるい。それでも標記の著書を読み終えることができた。著者によれば、記紀も仏教の影響下で編集されたものであり、文献によって日本精神の「古層」を探ることはできないのに、つぎつぎと「古層」が創作されてきたという。読み応えがあったが、同書における「世俗化」の用法にはひっかかった。「世俗化」(secularization)とは、社会の諸領域が宗教的権威から離脱することを意味する用語であり、宗教史や社会史で重要なキーワードになっている。ところが末木は「世俗化というのは、(中略)世俗の生活の中に究極の価値を見いだそうとする立場である」(p.145)という。通常の用法では、「宗教の世俗化」(p.157)といった表現はありえない。意味の確定している用語を、まったく異なる意味で用いるのは好ましくない、というよりも、あってはならない。出版される前には著者以外にも編集者や校閲者など、数人が読んでいるはずなのに、なぜこの初歩的ミスを見過ごしたのだろうか。それが不思議である。

2018年12月13日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。咳きは治まっていたが、まだ体調回復とはいえないので運動量はは控えめにした。帰宅後はテレビを見て過ごす。
 夜は8時からのNHK BSプレミアム「英雄たちの選択、吉備真備」をしっかり見た。西日本豪雨のときから被災地の岡山県真備町は吉備真備に関係あるのではないかと思っていたが、やはりそうだった。出世欲のない知識人という存在に惹かれる。

2018年12月12日(水)末木文美士『日本宗教史』岩波新書 2006
 鼻炎は続いているものの、咳と痰がほぼ治まり、体も楽になってきた。9日から断続的に読んでいる標記の著書の半ばまで読み進めることができた。書棚にあった本だが、積んどく書になっていたようだ。中身が濃いので、じっくり読まねばならない。

2018年12月11日(火)近大病院眼科
 朝早くに近大病院へ。眼圧は一桁台に下がっていた。このまま持続するとは限らないが、とりあえず、ほっとした。病院を出た後、いつもなら桃大へまわるのだが、風邪が完治していないのでそのまま帰宅することにした。病院内で咳き込むことはなかったが、帰宅後は異常な疲労感。鼻炎が続いているし、咳と痰も完全には治まっていない。老齢のため回復が遅いのかもしれない。

2018年12月10日(月)風邪
 のどの痛みはとれ、咳と痰もかなり治まってきたが、今度は鼻炎に悩まされている。大事をとってデイサービスは休むことにした。

2018年12月8日(土)風邪
 風邪をこじらせたようだ。朝から咳が止まらない。のどが痛い。本を読む気力も無く、ぼんやりテレビを見ているだけ。午後のBSでは、2本の忠臣蔵映画が同時に放映されていた。のどの痛みに我慢できなくなり、夕食後に咳痰の薬とロキソニンを飲んだ。だいぶ楽になったので、ジャーナルのまとめ書きをしている。

2018年12月7日(金)歯科検診
 北野田の日野歯科医院で半年毎の歯科検診。この後、当麻寺へ仏像を見に行く積もりだったが、風邪気味なので大事を取ってそのまま帰ることにした。駅前のダイソーで来年の卓上カレンダーと手帳を購入。実用上、これで十分である。

2018年12月6日(木)風邪
 体調は悪くないが時々咳き込むので、デイサービスは休むことにした。新しい研究テーマに取り組む気力が無いので、書架にあった島田裕巳『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか。仏教宗派の謎』(幻冬舎新書)を引っ張り出した。一度は読んでいるはずだが、あまり記憶に残っていない。今回、読み直して最も気になったのが、天台本覚論のこと。関連文献を読んでみたい。

2018年12月5日(水)文献整理
 ハーヴィ関連の文献を片付けた。紀要に投稿する4月まで、ひとまずハーヴィとはおさらば。

2018年12月4日(火)ハーヴィ研究
 午前中に手元のハーヴィ二次資料に一通り目を通した。遺伝論について加筆することはない。時々咳き込むものの、体調は悪くないので午後は家事雑用。

2018年12月3日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。寒がりなのでいつも1回くらいは鼻水をかんでいるが、今日は鼻水が止まらない。風邪を引いたか。

2018年12月2日(日)文楽初春公演予約
 朝は9時から団地自治会の一斉溝掃除。10時には家にもどり、パソコンで文楽1月公演の会員先行予約に取り組んだ。昼の部は「二人禿」、「先代萩」の「竹の間」「御殿」、それと「壺坂」。物足りないので止めようかとも思ったが、しばらく文楽に足を運んでいないので出掛けることにした。せめて先代萩の「床下」があれば満足できるのだが、正月公演なので景事が欠かせず、省略することになったのだろう。座席はいつもの床直下が確保できた。「御殿」の切が咲太夫、「千年万年待たとて」の名台詞を楽しみたい。人形は政岡が和生、栄御前が簑助。「壺坂」も好みの演目ではないが、奥を担う呂勢太夫・清治に期待しよう。

2018年12月1日(土)『チャールズ・ダーウィンの生涯』
 昨日の疲れで、終日ごろごろ。朝日新聞出版から昨日届いた『チャールズ・ダーウィンの生涯』電子版の今年度上期についての通知を見ると、通常は月に1冊の売り上げだが、5月だけは31冊であった。おそらく、いずれかの大学の少人数授業でテキストとして利用されたのであろう。しかし、どのように利用されるのかは、分からない。
 通常は月1冊か。ダーウィンに関する基本文献として、もっと読まれてもよいように思うが、著者の身びいきか。ただし、パンジェネシスなどについて、本書の分析は不十分であった。今後、遺伝学成立史研究の中でダーウィンの遺伝論の歴史的位置づけを改めて考えなければならない。

2018年11月30日(金)當麻寺の襖絵
 日本画の上村淳之が當麻寺奥院大方丈に奉納した60面の襖絵「花鳥浄土」が12月9日まで公開されている。カミさんの好きな画家であり、この襖絵も是非、見たいというので、急遽、出掛けることになった。近鉄当麻寺駅から仁王門までは1キロだが、歩くのは無理。タクシーを呼び、直接、奥院西口へ。参拝者は多かったが、混雑するほどではなく、ゆっくり襖絵を見ることができた。ただし、肉筆画ではなく、絹布に染色したものであった。蝋綴染の技術は見事ではあるが、淳之ファンには不満足かもしれない。
 カミさんが疲れたというので、襖絵を見ただけで帰ることになった。自分としては襖絵よりも金堂と講堂の仏像を拝観したかったのだが、やむを得ない。当麻寺には40年ほど前に訪れているが、ほとんど記憶に残っていない。有名な當麻曼荼羅には興味ないが、金堂と講堂の仏像群は見る価値があるようだ。別途、出掛けることになろう。
 帰途、門前の釜めし「玉や」で遅い昼食(早い夕食)をとった。材料は全て奈良県産で美味しいし、価格も妥当であった。

2018年11月29日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。テレビで女優の赤木春恵(享年94歳)の訃報が流れたため、女性利用者たちの年齢が話題となった。本日の利用者の中では昭和3年生まれの90歳が最長老だったが、本人は極めて元気で、はつらつとしている。こういう90歳を目の当たりにしていると、自分も後10年は大丈夫のように思えてくる。

2018年11月28日(水)パズル
 23日にハーヴィ研究の原稿をまとめてから、まったく研究に取り組んでいない。本日も終日、ナンクロで時を過ごしていた。やる気が復活するまで、仕方ないか。

2018年11月26日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。米寿を迎えた利用者の男性が、孫たちから杖を贈ってもらったと、皆に触れ回っていた。孫の話をするときはどなたも嬉しそうである。

2018年11月23日(金)ハーヴィ研究
 この数ヶ月、ハーヴィ研究がほとんど進捗しない。いつまでもハーヴィにとどまっているわけにいかないので、現段階でまとめることにした。尻すぼみになるが、一応、原稿を書き終えた。後は手元にある未読の二次資料を読み、原稿を点検しなければならない。大学紀要に投稿するのは新年度になってからになる。この間に、いよいよ遺伝学成立史の本論に着手することになろう。

2018年11月22日(木)無為
 午前中は最低限の家事雑用に取り組めたが、午後には昨日の疲れが出て、とにかく何もしたくない、体を動かしたくないという一日だった。

2018年11月21日(水)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。折からの紅葉シーズン。二尊院にも大勢の参拝者が詰めかけていた。墓地もカエデの落ち葉で埋め尽くされていた。朝、掃除しても午後にはこういう状態になるとのことだった。

2018年11月19日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は何もできず、本日はお仕舞い。

2018年11月16日(金)インフルエンザ予防接種
 午前中に予防接種のため隣町の福岡医院へ。それだけなのに午後はただただ寝ているだけ。情けないが、致し方ない。

2018年11月15日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後は疲労で寝ていたが、夜になって3日分のジャーナルを書いている。

2018年11月14日(水)東洋陶磁美術館
 散髪に出たついでに大阪市立東洋陶磁美術館へ。ついでがないと展覧会に行かなくなっており、この美術館を訪れるのも数年ぶりである。今は特別展「高麗青磁-ヒスイのきらめき」を開催中であった。展示作品は243点。高麗青磁を理解するうえでは充実した展覧会だと思うが、今更、高麗青磁について勉強する気は無い。ただし高麗青磁を近代日本で再現した「三和高麗焼」という存在は初めて知った。自分としては梅瓶の優品を楽しみ、常設展の「飛青磁花生」や「油滴天目茶碗」を見るだけで十分であった。

2018年11月13日(火)サイハブ
 朝日新聞朝刊一面トップ記事で、「学術論文海賊版サイト SCI-HUB」のことを初めて知った。おそらく現役の研究者たちには周知のサイトなのだろう。日常的に研究者仲間と接することがないと、こうした学界の裏情報に疎くなる。そのことを痛切に感じた記事であった。

2018年11月12日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。利用者やスタッフは名前に「さん付け」で呼び合っているが、一人だけ、当方より年上の男性が当方を「先生」と呼ぶ。敬意を込めていることは分かっても、場にそぐわない。前回、耳元で「先生といわれるほどの馬鹿でなし」とささやいたら、意図するところを分かってくれたらしい。
 大学では、教員同士はほとんど「さん付け」である。市民運動に参加していた当時、市議会議員が互いに「先生」と呼び合っていることにびっくりした。中国人旅行者から「先生」と呼ばれて驚いたこともあったが、中国語では誰に対しても使う単なる呼びかけの言葉らしい。

2018年11月11日(日)大フィル「展覧会の絵」
 河内長野市ラブリーホールで大阪フィルハーモニー(指揮・井上道義)の演奏会。南海電鉄の助成による格安(ペア券\5,000)の演奏会「南海コンサート」である。前半はロドリーゴ「アランフェス協奏曲」、ギターは大萩康司。後半はムソルグスキー(ラヴェル編)「展覧会の絵」。コンサートマスターの名はプログラムになかったが、客演の崔文洙であろう。演奏は見事だったし、久しぶりに生のオーケストラをたっぷり楽しんできた。
 客席はほぼ埋まっていたが、圧倒的に年配者が多かった。東京で上野の文化会館に通っていた当時の聴衆は若者ばかりだったと記憶している。河内長野のクラシック演奏会ではなぜ青少年の姿が少ないのだろうか。気になる。

2018年11月10日(土)ハーヴィ研究
 ハーヴィ論の執筆が遅々として進まない。気力体力の低下が大きな要因だが、それだけではない。論文をどうまとめるか、迷っていた。ハーヴィの発生論の概要を整理したうえで遺伝現象についてのハーヴィの考えを考察するつもりだったが、17世紀の発生論を整理するのが容易ではない。今は遺伝学成立史の予備作業としてハーヴィに取り組んでいるので、いつまでもハーヴィにこだわっている余裕は無い。発生論に深入りすることは避けることにして、論文の構成を簡略化した。遺伝論に集中して年内には書き上げるべく、自らを励ますことにしよう。

2018年11月9日(金)高田好胤と月光仮面
 BSテレ東・午後8時の「昭和は輝いていた」で「月光仮面」の放映が1958年から翌年に掛けてのことだったことを知り、自分がとんでもない勘違いをしていたことに気付いた。昔々、薬師寺金堂を訪れた時、若き日の高田好胤が修学旅行生たちに「仏様の前では帽子を取りましょう」と注意し、「月光仮面はゲッコウカメンですが、月光菩薩はガッコウボサツ」と語っていた。これは自分の中学校修学旅行の時のことだと思い込んでいたが、そんなはずがない。大学生になってから何度か奈良を旅しているので、薬師寺でたまたま修学旅行の団体と一緒に高田好胤の話を聞いたのだろう。とんでもない記憶違いをするものだが、若き日の好胤師の姿を憶えている人たちも多いのではなかろうか。
 それにしても番組で「ゲッコウボサツ」と呼んでいたのは情けない。

2018年11月8日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。我が家から施設までは車で5分だが、この季節、送迎に時間を要する利用者にとっては紅葉を楽しむドライブになっているらしい。午後はなにもできず、本日は終わり。

2018年11月7日(水)買い物
 電動車椅子でスーパーへ行く途中、郵便局の駐車場で軽トラのおっちゃんに道を聞かれて教えてあげた。驚いたのはその後。車から柿1袋を出して、「持って行ってくれるか」。喜んでいただいたが、なぜだろう。車椅子に同情したのだろうか。いずれにせよ、なんとなく嬉しい出来事であった。

2018年11月6日(火)近大眼科
 昼前に近大病院眼科へ。術後の経過は順調、眼圧もまずまず抑えられている。手術の診断書も受領できた。しかし病院のシステムに不具合が生じているとの放送があり、会計終了後、薬が出てくるまでに1時間以上、待たされた。そのためもあって病院滞在3時間、合計6時間の外出、一日がかりの通院となってしまった。

2018年11月5日(月)デイサービス
 今朝も5時に起床。日の出前、明るくなり始めた東の空に月齢28日の月がくっきり見えていた。午前中は家事雑用。本日はカミさんとの共同作業で10人前のお好み焼きを作る。8人分は冷凍保存。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日はこれで終わり。

2018年11月2日(金)ジャーナル執筆
 昨晩はあまりに早く就寝したため、今朝は2時に目覚めてしまった。昼間も体調が芳しくない。「なら仏像館」で見てきた仏さんたちについて整理した後、ジャーナルのまとめ書きをしている。
 午後5時前に震度3の地震があった。震源は和歌山沖らしい。生きているうちには南海大地震が来ないことを祈っている。

2018年11月1日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。昨日の疲れのため準備運動の時から様子がおかしかったらしく、スタッフから声を掛けられた。それでもいつもとほぼ同じメニューをこなすことができた。しかし帰宅後はなにもできず、夕食後、7時過ぎには寝込んでしまった。

2018年10月31日(水)興福寺中金堂
 11時過ぎに近鉄奈良駅に到着し、駅ビル上層階の中華料理「百楽」へ。いままで11時半開店だったのが11時開店になっていたので利用しやすくなった。いつもの「ランチプレート」で昼食後、まずは特別開扉中の興福寺北円堂へ。なじみになった仏さんたちを拝観してから、中金堂へ。ここは「友の会」の対象になっていないので、500円の拝観料が必要であった。広いお堂の中には、釈迦三尊と運慶作説が有力な四天王、大黒天立像と吉祥天倚像を収めた厨子の9体が安置されているだけ。21体もの仏さんたちが詰まっている東金堂とは異なる宗教空間を感じることができる。ただし拝観のたびに500円はつらいので、当分、再訪することはないだろう。
 本日は東金堂と宝物館には寄らず、奈良国立博物館の仏像館へ。新館で開催中の正倉院展から流れてくる人たちで仏像館もにぎやかであった。薬師如来立像(元興寺)はもどっていなかったが、優れた仏像の数は多い。もっと焦点を絞って来るべきであったと、いつもとおなじ反省。

2018年10月29日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」での運動機能訓練で、本日は終わり。

2018年10月28日(日)無為
 3日続けての外出だったので疲れが溜まっている。せめて4日分のジャーナルをと、メモ程度のものを書いている。

2018年10月27日(土)近大眼科
 朝、近大病院眼科へ。術後の経過は順調で、眼圧も低く抑えられている。昼前に帰宅したが、午後は疲れてぼんやり過ごす。

2018年10月26日(金)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。寒がりの当方にとっては電車内の冷房が迷惑であった。当然のことながら、渡月橋欄干の修理は終わっていた。二尊院の来訪者はまばらだったが、来月の紅葉期は大変なことになっているだろう。

2018年10月25日(木)デイサービス
 術後1週間が過ぎたので8日ぶりに洗髪洗顔。午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。参加者の多くは白内障手術を経験しているので、日帰り手術か入院かなどが話題となった。

2018年10月23日(火)モーペルチュイ論文初校
 久しぶりに家事雑用に追われず、落ち着いた一日を過ごした。桃大の紀要に投稿した「モーペルチュイとビュフォンの発生論と遺伝論」の初校が19日(金)に届いていたが、これをようやく見ることができた。今は誤植ということがないので校正も短時間で終わり、ポストまで往復して投函。これだけのことで、もう余力が残っていない。

2018年10月22日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。体調は万全といえないが、いつものメニューをこなすことはできた。2回続けて木曜日を休んでいるが、週1回の訓練では間が空きすぎるようだ。

2018年10月20日(土)近大眼科
 朝、近大病院眼科へ。術後の経過は順調で、眼圧も正常値まで下がっていた。視力も良くなっているようだ。土曜日は通常の外来診療がないので、検査、診察、会計、薬を含めて滞在1時間程度で済んだ。これだけのことなのに、帰宅後は疲労感でなにもできない。

2018年10月18日(木)退院
 6時起床はいつもの生活と変わらない。まずはナースに右目のガーゼをはずしてもらう。早朝に主治医が様子を見に来てくれた。術後の経過に問題はないが、眼圧がかなり上昇しているのでその対策を取ることになった。朝食と回診の後に退院。これから当分、8種類の点眼薬を使い分けることに神経を集中しなければならない。

2018年10月17日(水)入院、手術
 白内障手術のため、午前中に近大病院に入院。昨年2月に濁りが進んでいた左目を手術したが、今回は右目も手術することにした。1回経験しているので慣れているつもりだったが、手術前に血圧を測ったら149。通常は低血圧気味で110前後なので、無意識のうちに緊張しているのだろう。手術は3時過ぎに実施され、無事終了。右目をガーゼで閉じて、病室で一泊。

2018年10月15日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。急激な気温低下で脚の具合も悪くなっているが、運動メニューをこなすことはできた。白内障手術を前にして風邪だけは避けたい。夕食後、4日ぶりにパソコンを開くと桃大から来年度大学院授業についてのアンケート調査が届いていた。回答を記入して返送。一仕事したような気分で安らかに寝ることができる。

2018年10月11日(木)興福寺
 理髪店に寄ってから近鉄奈良へ。8日(月祝)から始まった興福寺中金堂落慶法要の最終日である。友の会会員には法要出席の案内が8月に来ていた。滅多にない機会なので喜んで出席の返事を出そうとしたが、まてよ。10時までに会場に行くのはつらいし、服装もきちんとしなければならない。なにより2時間も椅子に座り続けるのが困難である。出席はあきらめたが、せめて記念品だけでももらおうと出掛けた。今日は中金堂を外から見ただけだが、その大きさだけでも迫力がある。中金堂再建に関する冊子と散華などの記念品を受け取り、東金堂と国宝館を拝観してきた。まだ時間的には奈良博に行く余裕も十分にあったが、体力を考慮して早めに帰ることにした。帰宅後も昨日ほどは疲れていない。なぜか分からないが、昨日の疲労感は異常であった。

2018年10月10日(水)外出疲労
 朝早くにバスで田中整形外科へ。ついでに銀行にまわって帰宅。たった2時間の外出なのに疲労感が甚だしい。食事するのも面倒なほど。歳とともにこんな状況が繰り返され、しだいに何もできなくなるのかもしれない。困ったことだが、老化現象は避けようもない。さいわい、夕食後に一寝入りしたら疲れが抜けたので、1週間振りにジャーナルを書いている。

2018年10月9日(火)ハーヴィ論
 昨夜は7時に就寝、今朝は6時に起床。途中何度も目が覚めて二度寝、三度寝を繰り返した。その割には起床後の体調は良好だったので1週間振りにハーヴィに取り組み、『動物発生論』第57項の遺伝論をまとめることができた。ハーヴィが遺伝現象に強い関心を抱いていたことは間違いない。しかし最終的にはその解決をあきらめ、謎のまま残したのではなかろうか。
 この1週間はデイサービスでのリハビリと家事雑用だけで終わっている。文献に取り組む余裕が無い。研究続行はあきらめるほか無いのかという思いも浮かぶが、本日の成果でいささか自信を取りもどした。

2018年10月3日(水)ハーヴィ論
 本日は疲労感がなく、ハーヴィ『動物発生論』の第57項「この課題に関連したパラドクスと問題」に取り組むことができた。この項目では発生にかかわる根本的な問題を論じているが、その一つとして遺伝現象に言及している。その締めくくりの言葉が、multaque iis animi & corporis dotes ex traduce advenniunt (p.190)。Willis(1847)訳では、numerous qualities, in fact, both of mind and body, are derived by hereditary descent. Lluelyn(1653)訳では、many of the Indowments both of body and soul are derived down to it ex traduce. Willis訳のhereditary descent は19世紀に生物学的な遺伝(heredity)の概念が広まったことを反映している。ex traduce はキリスト教神学における霊魂伝移説(traducianism)を前提にした用語であろう。

2018年10月2日(火)体調不良
 朝から体がだるい。何もする気にならない。テレビのニュースショーはもっぱら本庶佑氏ノーベル賞。科学ジャーナリストの間では30年以上前から本庶氏の名前が挙がっていたと記憶しているし、これに関連して書いておきたいこともあるが、今はその余裕が無い。いずれ書くことにして、本日はパス。

2018年10月1日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。休憩タイムにうとうとしていて、スタッフから起こされる始末。メニューはこなしたものの、相変わらず体調が万全ではない。

2018年9月30日(日)台風24号
 台風直撃の可能性もあったので落ち着かない一日であった。午前中はまさに嵐の前の静けさだったが、午後3時頃から雨となった。家中の雨戸を閉め切って待ち構えたが、コースが南に逸れたので夜半も暴風にはならなかった。大阪では21号の時のような被害はなかったのではなかろうか。

2018年9月29日(土)ジャーナル執筆
 今日も朝から体調不良。ほとんど何もできない状態だったが、夜になって飛び飛びながらジャーナルまとめ書きをしている。ジャーナルを書くのも億劫な日々が続いているが、生存証明のためにもなんとか続けていきたい。
 台風24号が明日の午後にやってくるようだが、今のところは静かである。

2018年9月28日(金)疲労持ち越し
 昨日の疲れが出て終日、何もする気にならない。1日外出すると翌日は動けないという形が繰り返されるようになってきた。デイサービスで運動機能は維持しているものの、基本的な体力低下は否めない。

2018年9月27日(木)デイサービス、近大眼科
 午前中のデイサービス「ポラリス大矢船」を終了後、そのまま近大病院眼科へ。白内障手術に備えての最終検査と入院手続き。近大眼科では手術日の前日入院、翌日退院の2泊3日が原則らしいが、手術が午後遅くになるので当日の入院でよいことになった。2泊するのが憂鬱だったのでほっとした。

2018年9月24日(月)デイサービス
 どうしても必要なものがあったので午前中に電動車椅子で隣町のスーパーへ。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日はこれでお仕舞い。

2018年9月23日(日)ハーヴィ論
 ようやく血液優先説についての執筆を終える。といってもほんの数行。ハーヴィにとっては重要な問題だったが、本稿ではそれを指摘するだけでいいだろう。

2018年9月21日(金)近大眼科
 緑内障治療と白内障手術準備のため、昼前に近大病院へ。検査、検査で滞在6時間。最もつらいのが視野検査である。歳とともに疲れが激しくなり、集中力が切れてデータが不正確になりがちである。大事な検査なので頑張らねばならないのだが、難しい。

2018年9月20日(木)疲労持ち越し
 昨夜は帰宅が遅かったため1時に就寝、7時起床。これを機に睡眠パターンがまともになれば、と思う。本日のデイサービスは休んだが、昨日の疲れが出て体が動かない。それでも休み休みジャーナルを入力することができた。

2018年9月19日(水)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。難波や梅田ではいつもと違って中国人旅行者の姿がない。関空事故の影響だろう。阪急京都線の車窓から茨木、高槻の市街地を見るとブルーシートの屋根はかなり減少してはいたが、まだ数は多い。昨日の朝日夕刊によると、被災者には高齢の年金生活者が多く、100万円以上を要する修繕費の負担が困難だという。年金生活の当方にとっても他人事ではない。意外だったのは渡月橋の欄干は壊れたままで、ガードマンが張り付いていたこと。タクシーの運転手によると、渡月橋は宮大工の仕事なのに宮大工の手配がつかないという。素人目には単純な修理のように思えるが、部外者にはわからない事情があるのだろう。台風21号で被害に遭った京都の寺社は多かったらしいが、二尊院に被害はなかったようだ。お彼岸の墓参は土日月に集中するのだろう、本日の境内は静かであった。とにかくこれで、今月の難行苦行は終わった。

2018年9月17日(月)デイサービス
 相変わらず一旦、2時に目覚めて二度寝をする状態だが、昨日よりは体調もましで、午後のデイサービス「ポラリス大矢船」での運動機能訓練も無事に済ませた。

2018年9月16日(日)ジャーナル執筆
 昨夜は7時に就寝し、今朝は2時に目覚めてしまった。仕方ないので3時には起床し、パソコン入力などをしていた。5時頃から1時間ほど二度寝をしたが、一日中、頭がスッキリしない。文献読解は無理なので家事雑用とジャーナル執筆で過ごす。お酒を飲んでいるわけでもないのに、最近はこんな日が1週間に1日くらいある。体内時計が狂っているのか。困ったことだ。

2018年9月15日(土)ハーヴィ論
 「エピジェネシス」を導入した『動物発生論』第45項を再読。じっくり読み直してみるとハーヴィがこの用語に込めた意義は単純ではない。「後成説」の提唱として片付けてしまったらハーヴィの真意が伝わらないだろう。

2018年9月13日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。メニューは一通りこなしたものの、体調は芳しくない。帰宅後はなにもできず、本日はこれでお仕舞い。

2018年9月11日(火)ハーヴィ論
 万物循環論についての執筆を続行。『動物発生論』の第13項、14項、28項の英訳をラテン語原文と対照しながら読み直しているが、ここはじっくり取り組まねばなるまい。
 午後に生協の個別配送があったが、添付されている文書によると、かなり多数の配送予定品目が台風の影響で入荷しなかったという。台風21号の影響の大きさを改めて知ることになった。

2018年9月10日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。今日はこれでお仕舞い。

2018年9月9日(日)ハーヴィ論
 ハーヴィの万物循環論に着手。ハーヴィ論に取り組むのは9日ぶり。予定より大幅に遅れている。いいかげん、次のテーマに進みたいが、焦っても仕方ない。年内にはまとまるだろう。

2018年9月8日(土)疲労持ち越し
 昨日の外出の影響だろうか、午後には疲労感で体が動かない。情けないことに、一日外出すると翌日に響くようになってしまった。

2018年9月7日(金)桃大図書館
 散髪のため外出したついでに桃大へ。和泉中央駅周辺のスーパーや食堂は平常通りだったが、桃大図書館は台風21号による停電のため閉館中であった。大学全体が停電というわけではなく、エレベーターもパソコンも使えたが、電話は不通であった。総合研究所で紀要への投稿を済ませ、早々に引き揚げた。
 朝、バス停に向かう途中の公園では植木が根元から倒れていた。今までに無かった台風被害があちこちで起きているようだ。

2018年9月6日(木)デイサービス
 早朝のテレビで北海道地震を知る。午前中のデイサービス「ポラリス大矢船」での話題は台風被害。河内長野市内でもまったく停電が無かったところもあれば、長時間に及んだところもあったらしい。国道の信号機がゆがんでいたともいう。まさに災害列島。国民を守るには軍事費を削ってでも防災費を増やすべきだろうに。

2018年9月5日(水)台風被害
 台風一過の快晴。我が家は庭の草が倒れるくらいのことで、被害というほどのことはなかったが、この機会に屋外に置いてあるものを片付ける作業に取り組み、それだけで一日が終わってしまった。
 ニュース番組で見ると台風21号のせいで今までなかったさまざまな事故が起きているが、なかでも関空閉鎖は東日本大震災のときの原発事故を思い起こさせる。防ぐことはできなかったのだろうか。

2018年9月4日(火)台風21号
 台風接近との予報だが、午前中は空が青く風も無い。それでも全ての雨戸を締め切り、飛ばされそうなものは屋内に入れるなどの準備をして待ち構えていた。昼前から風雨が強くなり、2分ほどの停電もあった。台風が通り過ぎたはずの夜になっても強い風雨が続いたが、日付が変わるころに収まったようだ。落ち着かない一日であった。

2018年9月3日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日は3ヶ月毎の体力測定があり、やや慌ただしかったが、ほぼメニューをこなすことができた。

2018年9月2日(日)ジャーナル執筆
 ハーヴィ論の文献を広げたものの、体がだるい。結局、つまらないテレビをぼんやり見て過ごす一日になってしまった。夜になって心身がややましになったので、生存証明のジャーナルをまとめ書きしている。

2018年9月1日(土)文楽11月公演
 昨夜の1時半ごろに大きな雷の音、そして豪雨。昼間もぐずついた天気が続いた。昼に届いた国立文楽劇場友の会会報によると、11月公演は昼が「桂川」、夜が「油地獄」。時代物の通しを期待していたので残念。「桂川」も「油地獄」も世話物の名作として知られているので集客力があるのかもしれないが、わざわざ出掛けてまで見ようという気にはならない。それでも元気なころなら出掛けたろうが、今や外出が億劫になっている。会報によると劇場の食堂と弁当売店が6月から休業中とのこと。なぜだろうか。気になる。

2018年8月31日(金)ハーヴィ論
 ハーヴィの標語「全ては卵から」について執筆終了。大きな問題ではあるが、本稿ではごく簡単に触れるに止めておいた。

2018年8月30日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。利用者16名はいままでで最多だがスタッフの数も多く、皆、順調にメニューをこなしていたようだ。

2018年8月28日(火)ハーヴィ論
 ハーヴィによるファブリキウス批判について執筆終了。ハーヴィの発生論(1651)はファブリキウス『卵とヒナの形成』(1621)を基礎にしているが、その一方で、カラザを発生原基とするファブリキウス説を執拗に批判している。当時、カラザ説が広まっていたことを反映しているのだろう。ファブリキウスのような優れた研究者が、なぜカラザ説を唱えたのか。ネットで検索してみると、現在の日本でもカラザが体の一部に成るとみなす俗説がかなり広まっているようである。17世紀の段階ではそれほど奇妙な説ではなかったのだろう。しかしハーヴィにとっては許しがたい虚偽であった。

2018年8月27日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。体調良好、すべてのメニューを問題なくこなすことができた。とはいえ、帰宅後は早々と寝るほかない。

2018年8月24日(金)台風20号
 昨夜は日付が変わった頃から猛烈な風が吹き、雨戸の揺れる音で目が覚めるほどだったが、朝には風も雨も収まっていた。しかし台風一過の快晴とはならず、夜になっても生ぬるい空気が漂っている。ただし体調は回復してきたので、ファブリキウスの発生論に着手し、4日分のジャーナルを書いている。

2018年8月23日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日は順調にメニューをこなすことができた。台風接近の報道があるものの、日中は青空がのぞき、風もない。夕方には全ての雨戸を閉めるなど、準備を整えたが、まだ、嵐が来る気配が感じられない。

2018年8月22日(水)ラブリーホール
 猛烈な暑さの中をバスでラブリーホールへ。電話予約したチケットの引き取りである。なにもこんな日に出掛けなくてもと思うが、台風のことなどを考慮すると本日しかない。わずか1時間半の外出だが、一仕事した気分であり、気晴らしにもなったようだ。

2018年8月21日(火)体調不良
 相変わらず気力減退、文献に取り組める状態ではない。介護関係の書類がいつの間にか大量に溜まっているので、これを処分することで一日を終えた。

2018年8月20日(月)デイサービス
 ここ数日、目眩というほどではないが、軽いフラフラ感が続いている。それでも午後のデイサービス「ポラリス大矢船」では、いつもの運動機能訓練メニューをおおむねこなすことができた。休憩タイムのテレビは高校野球準決勝、大阪桐蔭・済美戦。今年は自宅でも例年になく高校野球をよく見ている。気力体力が減退し、ぼんやりしている時間が多くなったためだろう。

2018年8月17日(金)『ホームズの事件簿』
 珍しく、終日、クーラーを入れずに過ごすことができたが、体調が芳しくないので文献に取り組む気力は無い。こんな時はパズルで遊ぶことが多いが、昨日からはホームズ短編集を後ろの方から読み直している。タイトルを見ただけで話の詳細が思い浮かぶもの、数ページを読んで内容を思い出すもの、ほとんど記憶に残っていないものなど、いろいろある。記憶に止めるためにも作品ごとの感想をまとめておこうと思うが、本日はここまでが限界。

2018年8月16日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は疲労感で、とにかく何もしたくない。ジャーナルを書く余裕もない。

2018年8月15日(水)ジャーナル執筆
 『生物学史研究』編集部から、研究ノート「モーペルチュイとビュフォンの発生論と遺伝論」について、実質的に掲載拒否の通知が届いた。本人は日本の生物学史研究に貢献する内容だと確信しているが、見解の相違で致し方ない。別途、発表の方法を探らなければならない。
 気力体力の低下でハーヴィ論執筆も進んでいない。ただし、昨夜から小雨が降ったり止んだりしているので、気分もいくらかましである。せめてジャーナルを書き足しておこう。

2018年8月13日(月)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。外は暑いし荷物も多いので上衣を持たずに出掛けたのが失敗だった。難波高島屋で買い物をするカミさんを待っている間、冷房の寒さで体に震えが来るほどだった。阪急の桂駅の改札を4時ころに出た瞬間、「バリバリ」と大きな音がしてびっくりした。近くに雷が落ちたのだろう。二尊院に着いて間もなく通り雨も止んだ。帰途、休日ダイヤの阪急電車に7時ころ乗ったが、かなり空いていたのはお盆休みのせいか。とにかく、暑さと寒さに苦しんだ一日であった。

2018年8月11日(土)ジャーナル執筆 
 外出した翌日まで疲労感が残るようになってしまったが、夜になって、なんとか8日(水)以来のジャーナルを書いている。

2018年8月10日(金)桃大
 散髪に出たついでに桃大図書館へ。暑さで血圧がかなり低下しているようだ。杖をつきながらふらふら歩いているので、駅でも大学でも、「大丈夫ですか」と声を掛けられた。図書館では他大学に依頼していた文献複写を受理したが、書庫で文献検索をする余裕はない。しかし名誉教授控室が移動したのでロッカーの荷を処理しなければならず、鍵のやりとりのため事務棟との間を3回、往復することになった。帰途、書店や百均に立ち寄る元気もない。とにかく疲れた。

2018年8月9日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は家事雑用と疲労で、本日は終わり。

2018年8月8日(水)ハーヴィ論
 昨日からの2日でハーヴィ『動物発生論』における「医師たちの説」すなわち雌雄精液説に対する批判についての執筆を終えた。ハーヴィは、両親に同等の関与を認めてアリストテレスの月経血(質料)・精液(形相)説を否定する点では雌雄精液説を評価したものの、雌の精液生成を認めることはできなかったのである。

2018年8月6日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。休憩タイムのテレビは、当分、高校野球になるようだ。

2018年8月5日(日)ハーヴィ論
 一昨日からハーヴィ『動物発生論』におけるアリストテレス説批判の執筆に取りかかっているが、連日の暑さもあって、はかが行かない。焦る気持ちもあるが、気力体力が持続しない。少しずつでも進めるほかない。

2018年8月2日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。利用者の中には、昨夜、自宅近くでPLの花火を見物した人たちもいた。大阪名物PLの花火も年々、規模が小さくなっているらしいが、昨夜はそれが甚だしかったという。「えっ、これで終わりか」という感じだったという。高校の野球部も廃止されたし、教団自体の力が弱くなっているのだろう。

2018年8月1日(水)ハーヴィ論
 ほぼ終日、ハーヴィ論執筆に取り組むことができた。久しぶりのことである。昨日読んだ『科学史研究』に刺激を受けたお陰もしれない。ようやくイントロ的な部分が終わり、ハーヴィ発生論の内容に入ることができる。
 夜8時ころからドンドンと音が聞こえてきた。最初は雷かと思ったが、8月朔日はPLの花火であることに気付いた。家から数歩歩けばよく見えるのだが、もう面倒だ。これも老化現象か。

2018年7月31日(火)ハーヴィ論
 高温多湿の憂鬱な日々がもどってきたようだ。午前中に、昨日届いた『科学史研究』と『科学史通信』にざっと目を通した。問題山積で、学会運営に携わっている方々は苦労されているようだ。
 体調も良くないが、ハーヴィ論執筆を少しだけ進めることができた。まだイントロ的な部分でうろうろしているが、焦っても仕方ない。

2018年7月30日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。休憩タイムのテレビは、高校野球北大阪、大阪学院大・大阪桐蔭の決勝戦中継。あまりに一方的な試合だったので、利用者から「番組を変えてほしい」という声が出たのも無理は無い。

2018年7月29日(日)ハーヴィ論
 昨夜は雨風(台風12号)の激しい音が聞こえていたが、朝方にはほぼ収まっていた。日中もときどき小雨が降って最近では過ごしやすい一日となり、家事雑用の間にハーヴィ論の執筆にも取り組むことができた。この1週間は執筆も進まず、ジャーナルを書く気にもならなかった。デイサービス「ポラリス大矢船」での運動機能訓練(月曜、木曜)と、田中整形外科で骨粗鬆症の薬を処方してもらった(火曜)ほかは、家事雑用とパズルで日々が過ぎていった。連日の暑さで気力喪失か。ハーヴィ論を7月に書き終えることは到底無理なことになった。8月末も困難かもしれない。しかし遺伝学成立史に関わる課題は数多い。できるだけ早くハーヴィ論に切りをつけ、次のテーマに向かいたいと思う。

2018年7月22日(日パズル
 テレビのアナウンサーが「不要不急の外出は控えましょう」と叫んでいる。この暑さでは家にいる方が無難ではある。しかし、体調も悪くないのにハーヴィ論執筆の気力が出ない。家事とパズルで一日が終わったが、ま、いいか。

2018年7月20日(金)近大眼科
 朝は早くに近大病院眼科へ。緑内障は相変わらずだが、右目が見にくくなってきたので、白内障手術の予約を済ませておいた。院内食堂で昼食後、桃大へ。図書館に有ると思い込んでいた和雑誌が無かったので、予定していた文献コピーはできなかった。がっかり。ただし、名誉教授控室が8月に移転するのでロッカーの荷を片付ける必要があったので、登校したことは無駄ではなかった。

2018年7月19日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。この時期、冷房が我が身に応える。利用者で唯一人、上着を着用しているが、それでも汗をかかない。休憩時にはハーヴィ論の構成を考えていたが、帰宅後、それを実行する間もなく、疲労で寝るほかなかった。

2018年7月17日(火)ハーヴィ論
 ニーダム『発生論史』(1959)におけるハーヴィを扱った3章を読了。ニーダムは、ハーヴィによるアリストテレスの月経血・精液説の否定を高く評価する一方、ハーヴィがアリストテレス主義にこだわって化学的研究を無視したことは時代に逆行していたと批判する。こうしたニーダムの見解にニーダム自身の時代的制約が見て取れる。

2018年7月16日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。今回は腰痛の影響がなかった。一応、治癒したと見ていいだろう。

2018年7月14日(土)ハーヴィ論
 疲れが抜けてきたのでニーダム『発生論史』に取り組むことができた。ニーダムはハーヴィ『動物発生論』からの引用箇所を1653年英訳版のページ番号で示しているが、その全てをネット上の英訳版で確認し、その項目番号を記録した。項目番号ならラテン語原典あるいは1847年英訳版で容易に確認できるだろう。

2018年7月13日(金)無為
 今日になって一昨日の疲れが出たようだ。ぼんやり過ごすしかない。

2018年7月12日(木)ジャーナル執筆
 昨日は帰宅が10時を過ぎていたし、いつになく就寝も遅かった。先月と同様、本日も疲れ切って何もできないと予想していた。ところが意外と元気で、4日分のジャーナルを書くことができた。この違いは何によるのか、まったく分からない。とにかく元気なことはありがたい。

2018年7月11日(水)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。阪急京都線の車窓から見るかぎり、茨木市や高槻市では屋根の上のブルーシートが減少していない。数日前の豪雨の時はどんな状況だったのだろうか。嵐山はいつも通りの混雑であった。タクシーの運転手によると、今回、渡月橋の周辺がわずかな浸水で済んだのは、5年前の水害の後、川底の土砂を取り除いたおかげとのことであった。本日は暑さ以上に無風で湿度が高いことにまいった。二尊院を訪れる人も少なかった。

2018年7月10日(火)ハーヴィ論
 家事雑用に追われる一日だったが、ニーダム『発生論史』のハーヴィの項の再読に着手することができた。今回はハーヴィ『動物発生論』からの引用を確認しながら、じっくり読み直してみたい。

2018年7月9日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。まだ腰痛が続いているが、ほとんど、いつも通りのメニューをこなすことができた。しかし帰宅後は異様な疲労感で、さっさと寝るほかなかった。

2018年7月8日(日)腰痛再発
 ようやく雨も止んだので、午前の早い時間に電動車椅子でスーパーへ。帰宅直後、中腰で庭の草引きをしていたら、腰痛再発。「痛い、痛い」とわめいているが、日常生活に大きな支障は無い。しかし気落ちして、ハーヴィ論もほんの数行を書き足しただけで終わった。

2018年7月7日(土)無為
 昨日は珍しく午後11時までパソコンに向かっていた反動か、本日は何もする気にならない。河内長野市の避難勧告は昨夜の午後9時前に解除されたものの、本日も断続的に雨が続いている。

2018年7月6日(金)避難勧告。ハーヴィ論
 昨夜は一晩中、強い雨風の音が聞こえていた。朝、風は収まったものの、雨は断続的に続いている。朝8時には河内長野市全体に「避難勧告」が発令されたが、雨の中、この住宅地から川沿いの加賀田小学校まで避難する人はいないだろう。
 昼間は雨音を聞きながら休んでいたが、夜になって気力が回復してきた。4月1日から5月9日にかけて、ハーヴィ『動物発生論』72項目の項目ごとの要点をこのジャーナルに記してきたが、これを全て抽出したファイルを作成した。ハーヴィ論執筆の基礎作業である。

2018年7月5日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、4日分のジャーナルを書こうとしたが、気がついたら9時前に寝込んでいた。

2018年7月4日(水)『生物学史研究』初校
 昨日、『生物学史研究』97号掲載の2点、資料紹介「Journal of the History of Biology の50年」と研究会報告要旨「ビュフォンの発生論と遺伝論」の初校がメール添付で送られてきたので、本日はこれを処理して返送した。修正4点のうち3点は当方の原稿のミスであり、そのうちの2点は「一太郎」を「ワード」に変換したためのミスであった。太字指定やフランス語のアクサンが消えてしまうのである。日常的には使い慣れた「一太郎」を用いているが、送信先では「ワード」に限られることが多い。「一太郎」を見捨てる気にもならないので、変換の時に用心するほかあるまい。

2018年7月3日(火)家事雑用
 最近は5時前に目が覚めてしまう。今朝は目覚めてテレビを入れた途端、「日本、敗れました」のアナウンスが聞こえた。FIFAベルギー戦の結果である。本日は珍しく体調がよく、朝のうちに電動車椅子でスーパーへ出掛けた後、一日中、機嫌良く家事に励んだが、夕方には疲れ切ってしまった。さっさと寝るほかない。

2018年7月2日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は疲れて何もできず、9時前には寝込んでしまった。

2018年7月1日(日)ハーヴィ論執筆

連日の暑さで効率は上がらないが、毎日、少しずつ執筆に取り組んでいる。体がいうことをきかないので、あせっても仕方ない。それでもイントロ的な部分を終わり、『動物発生論』の内容分析に取りかかれるまでになった。

2018年6月28日(木)ハーヴィ論執筆に着手
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、研究ノート「ハーヴィの発生論と遺伝論」の執筆に着手。原稿を書きながら文献確認を進めていくことにした。

2018年6月27日(水)無為
 連日の暑さと湿気で気力も体力も喪失。ぼんやり過ごすほかない。加齢による体力低下の進行は否めない。デイサービスのリハビリでどこまでこれを阻止できるか。なにもしないより、ましであろう。

2018年6月25日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。話題は昨夜のFIFA日本・セネガル戦。当方は見ていなかったが、利用者・スタッフの多くが真夜中の中継を見ていたようだ。

2018年6月24日(日)ハーヴィ論再開
 体調回復し、午前中は家事雑用。午後にはハーヴィ二次文献Webster(1967)を再読。5月中旬から中断していたハーヴィ研究を本格的に再開した。予定より1ヶ月遅れとなったが、7月末までの研究ノート投稿を目指したい。

2018年6月23日(土)無為
 昨日の疲れで何もする気にならない。食事するのも面倒であった。

2018年6月22日(金)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。地震から4日目、阪急京都線の車窓から見る限り家屋倒壊などはなかったが、茨木市や高槻市ではかなりの頻度で屋根の上にブルーシートを見かけた。二尊院の墓地でも墓石の倒壊はなかったが、仕切りの石積みにずれが生じた所もあったらしい。ほかには地震の影響を見ることはなかった。梅田も嵐山もいつも通りの混雑であった。

2018年6月21日(木、夏至)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。機器の配置が大きく変わっていた。本部の方針とのことだが、利用者の待機スペースを広げ、定員増に備えるということもあるようだ。利用者としては運動の順序が変わっただけで、いつもと同じ運動量をこなしてきた。

2018年6月20日(水)強風豪雨
 朝は風の音で目が覚めた。相変わらず体調は芳しくないが、少しだけハーヴィ文献に取り組むことができた。

2018年6月19日(火)ジャーナル更新
 このホームページは桃山学院大学のシステムを利用しているが、一昨日の17日(日)に更新できなくなった。昨日は地震のため桃大も正常な状態ではないと思われたので、本日になって情報センターに連絡した。前回と同様、サーバー内の与えられているスペースが不足してきたので、とりあえず不要なファイルを削除して更新可能にしてもらえた。
 本日も仕事らしい仕事といえばこれだけ。昨日も今日も体の疲労感が強く、ごろごろしている時間帯が長い。科学史研究を再開したいが、どうにもならない。

2018年6月18日(月)大阪北部地震
 朝食後の7時58分、椅子に座ってテレビを見ている時だった。前触れも無く家が揺れた。後の報道では震度4。大阪南部にはほとんど影響がなかったようだ。梅雨の晴れ間で京都・二尊院に出掛ける予定だったが、南海も阪急も止まっている状況ではどうしようもない。終日、家にこもって家事雑用。

2018年6月17日(日)金管五重奏
 午前中は団地自治会の溝掃除。昼前に河内長野市ラブリーホールへ。N響金管メンバーで構成された「ザ・チェンバー・ブラス」のコンサート。座席の3割程度が埋まっていたと思うが、その半分は楽器を抱えた中高生の団体だった。公演後に開催されるワンポイントレッスンに参加するらしい。最初の曲目はバッハ「フーガ・ト短調」。オルガンで聴きたい曲である。この曲に限らず、金管だけではクラシックにそぐわないようだ。このコンサートでも一番活き活きしていたのはジャズの演奏だった。ある程度は予想していたことではあるし、交響楽団の金管について理解を深めたということにしておこう。

2018年6月16日(土)寿命
 このジャーナルとは別に日々の行動などを1行に記録した毎月1ページのノートを作成している。その用紙が不足してきたので新たなファイルノートを用意した。1年分の用紙は6枚なので、11年分66枚、すなわち90歳までの用紙をファイルしたが、用紙を数えていると残された寿命を数えているような感覚になった。今までに無かった不気味な感覚である。このノートの途中で終わるのか、さらに新たなノートを用意することになるのか。こうした問題が現実味を帯びてきた。

2018年6月15日(金)孔子本
 まだ体調がもどらず、疲労感が抜けていない。ごろごろしながら、3冊の孔子本にざっと目を通した。影山輝国『論語と孔子の生涯』(中公叢書、2016)、小倉紀蔵『新しい論語』(ちくま新書、2013)、『儒教の本』(学研、2001)。孔子はどんな人物だったのか、ますます分からなくなった。

2018年6月14日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後はその疲れに前日の疲れも加わり、ぼんやり過ごす。予定では孔子本を読もうと張り切っていたのだが、無理だった。

2018年6月13日(水)桃大図書館
 朝はまず、北野田の日野歯科で半年毎の歯科検診。和泉中央駅に出て昼食、買い物。郵便局で用件を済ませてから桃大へ。久しぶりの図書館で調べたいことはいくつもあったが、疲れもあって、投稿論文に関連した文献確認を一件片付けただけ。最終稿を印刷し、レターパックで投函。やれやれ。これでハーヴィ研究にもどれる。しかし図書館で孔子解説本を3冊借りてきたので、これを楽しんでからにするか。

2018年6月12日(火)論文修正
 研究ノート「モーペルチュイとビュフォンの発生論と遺伝論」は一太郎で書いたが、これをワードに変換するのが本日の目標。一太郎の機能を利用してワードに変換した場合、送信先で読めないといわれることがある。ワードにコピーするのが無難だが、イタリックなどの指定が解除されてしまうので、指定し直さなければならない。これを済ませた後、編集部コメントへの回答を修正。今回は気を遣う作業になってしまった。

2018年6月11日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後も家事雑用で、本日は終わり。

2018年6月10日(日)論文修正
 研究ノート「モーペルチュイとビュフォンの発生論と遺伝論」の原稿に対する『生物学史研究』編集委員のコメントへの回答を書き終えた。原稿本体よりもこちらの方が気疲れする。

2018年6月9日(土)論文修正
 『生物学史研究』に投稿した研究ノート「モーペルチュイとビュフォンの発生論と遺伝論」の原稿修正を一気に完了。編集部からは大幅修正が求められているが、その必要はないと判断して微修正に止めた。久しぶりに発生論史に取り組んだ気がする。

2018年6月7日(木)中之島香雪美術館
 散髪に外出したついでに、3月にオープンした標記の美術館へ。神戸御影にある香雪美術館のことは知っていたが、わざわざ出向くほどの魅力を感じなかったので訪れたことはない。新設の美術館は地下鉄・肥後橋駅、朝日新聞社ビルの4階にあるので、一度は見ておきたい。地下鉄の駅からは地上に出ることなく、美術館まで行ける。フロア全体を利用しているので、広々として落ち着いた雰囲気である。現在は、開館記念展第2期「美しき金に心をよせて」が開催されており、仏画や漆器が展示されている。しかし印象に残る作品がない。強いていえば、フェスティバルホールの緞帳にもなっているという長谷川等伯「柳橋水車図屏風」か。この美術館の売りは茶室「玄庵」の再現だが、茶室にはさして興味が無い。便利な場所にある美術館だが、繰り返し立ち寄るということはないだろう。

2018年6月4日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日は3ヶ月毎の体力測定。ポラリスに通うようになって柔軟性がかなり改善されてきたのに、元にもどってきているという。スタッフはなぜだろうと心配しているが、加齢による体力低下で仕方ないのだろう。帰宅後も家事雑用で、本日は終わり。

2018年6月3日(日)体調不良
 昨日の疲れが出て、とにかく体を動かすのが嫌だったが、最低限の家事雑用はこなさなければならない。夜になって、やや体調も回復したので6日分のジャーナルをまとめ書きしている。

2018年6月2日(土)円成寺
 朝、起きると、空は青々として絶好の外出日より。体調が優れず、研究も停滞しているので本日は家にいる積もりでいたが、カミさんは小学校のクラス会だというし、これは出掛けなければなるまい。奈良の忍辱山円成寺に行くことにした。パソコンで奈良交通バスの時刻表を確認すると、近鉄奈良駅発12時53分に乗るほかない。柳生菖蒲園に行く人々もいて、バスは満員だった。奈良市街からバスで30分の山の中ということなので、深山幽谷、広大な境内をイメージしていたら、とんでもない。江戸時代は寺中23寺という広さだったが、今は狭い敷地に建物が密集している。しかもすぐそばの国道を車が走っている。お目当ての運慶最初期作「大日如来坐像」は拝観受付に隣接して新築された「相応殿」に安置され、拝観受付の直後に大日さんを拝むようになっていた。境内を歩いて心の準備を済ませてからの積もりでいたので、面食らってしまった。とはいえ、若々しい大日さんをガラス越しでは無く、近くで直に見ることができるし、背面も見ることかできる。多宝塔には金ピカの模刻像がまつられている。気になったのは、本堂に隣接する春日堂・白山堂(平安時代、国宝)、宇賀神本殿(鎌倉時代、重文)にそれぞれの拝殿(江戸時代、市指定文化財)。バスツアー団体客への解説にやってきた住職に聞くと、明治の神仏分離の時、千木・鰹木を外して神社では無く、お堂と言い張って切り抜けたのだという。本堂内をじっくり拝観し、15時7分の臨時便でもどった。臨時便の無い時期だったら、あと1時間後になってしまうところだった。

2018年6月1日(金)湯浅邦宏『論語』(中公新書、2012)
 気分転換に標記の新書を再読。これを読んでも儒教というものが理解できない。仏教でもキリスト教でも創始者の教えと後世の形とはかなり異なっているが、儒教でも事情は同じらしい。

2018年5月31日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は家事雑用と疲労で、本日は終わり。

2018年5月30日(水)発生論史
体調不良が続いているが、18世紀文献の再読を少しだけ進める。

2018年5月29日(火)体調不良
 本日は終日、軽い目まいで、ふらふらしていた。最低限の家事をこなしただけで、論文に取り組むのは到底、無理であった。

2018年5月28日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日は男性8名、女性4名。最長老95歳の男性は足腰もしっかりしている。それに継ぐ88歳の男性は一人住まいで、毎日、2合の晩酌が楽しみだという。86歳の男性は、兄が14歳で兵隊に取られ戦死したという。14歳の少年を戦地に送るような国が戦争に勝てるわけがないと怒っていた。昭和一桁世代の話、とくに戦争体験を聞いておこうと思う。

2018年5月27日(日)発生論史
 疲労感、気力低下が続いているが、18世紀文献の再読を少しだけ進める。

2018年5月26日(土)『芸術新潮』5月号「日本絵画100」
 文献に取り組む気がしないので、標記の特集についてまとめることにした。選ばれた絵を手元の図録類の大きな画面で再確認してきたが、100点のうち90点ほどは小学館『原色日本の美術』に収録されている。したがって山下祐二の選定は、おおむね通常の選択と一致しているといえよう。ただし教科書的なものと決定的に違うのは、藤島武二、梅原龍三郎、安井曾太郎、および狩野探幽を外していること。それに代えて選ばれている中世絵巻「かるかや」と近世美人画「八千代太夫図」には興味が無い。この2点のほかに手元の図録で見つからなかったのが、明治の菊池容斎、大正の小村雪岱、それと昭和の不染鉄の3人。みな注目されるようになったのが近年のことらしい。不染鉄は20日のNHK「日曜美術館」のテーマになっていた。他の二人の作品も名前を覚えておけば、いずれどこかで見ることができるかもしれない。しかし以前ほど美術館に足を運んでいないので、無理かもしれないな。

2018年5月25日(金)発生論史
 久しぶりに18世紀文献の再読に着手。一旦、切りを付けたテーマなので、頭の切り替えが難しい。のんびりやるか。

2018年5月24日(木)『芸術新潮』5月号「日本絵画100」
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日の利用者は男性5人、女性7人。休憩時の女性席はにぎやかだが、男性席は深閑としている。この違いはなんなのだろう。帰宅後は家事雑用と疲労で、文献に向かうのは無理。標記の特集のうち、「中世後期・近世43」後半の20点を楽しむことにした。琳派、応挙、若冲、南画など、多様である。手元の大きな図録も何冊にも及ぶので、気の向いたときにゆっくり見ていこう。この節の最後に置かれている増上寺蔵の狩野一信「五百羅漢図」は、増上寺の近くに住んでいた50年ほど前には知られていなかったと思う。注目されるようになったのは比較的近年のことではなかろうか。興味はあるが、大阪で実物を見るのは無理かもしれない。

2018年5月23日(水)発生論史
 2月末に『生物学史研究』に投稿した研究ノート「モーペルチュイとビュフォンの発生論と遺伝論」に対する編集部コメントが、3日前の20日にようやく届いた。原稿再提出が要求されているので、この際、投稿時には省略した二次資料を追加し、ハーヴィ発生論についても加筆することにした。そのため、手元にあるハーヴィ関連文献を一旦、片付け、18世紀文献を再び引っ張り出さなければならない。本日はその作業で終わり。

2018年5月22日(火)『芸術新潮』5月号「日本絵画100」
 気力喪失で何もする気にならない。標記の特集のうち、「中世後期・近世43」前半の23点を楽しむことにした。表紙にもなっている金剛寺蔵「日月山水図屏風」はお寺で見たことがあり、奇妙な絵だという印象をもっていたが、これほど高い評価を得る作品とは知らなかった。雪舟が4点で探幽がゼロ、選者の立場が鮮明である。しかし中世絵巻として稚拙な「かるかや」が選ばれているのは、いくら選者の好みとはいえ、どうかな。

2018年5月21日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後も家事雑用で本日は終わり。

2018年5月20日(日)丸善『動物学の百科事典』再校
 昨日、標記の事典の項目「ラマルク」と「ダーウィン」の再校ゲラが届いたので、本日のメインイベントはその処理。といっても、修正点はほとんどない。ただし、この期に及んで突然、項目毎に15字以内のキャッチコピーを作成せよという。考え込んでも仕方ないので、ラマルクは「生物は時間とともに進歩する」、ダーウィンは「ロンドンで生まれた生物進化論」としてみたが、どうだろうか。索引項目にマークをして、編集部宛に返送。今では郵便ポストまで行くのも、一仕事である。同書は9月刊行(7月責了)予定ということだが、編集部員や編集委員は大変だろう。間に合うのかな。

2018年5月19日(土)無為
 家事雑用で一日が終わってしまった。こういう日もあるさ。

2018年5月18日(金)発生論史
 暑さと疲労感で気力喪失。もしかしたら、この疲労感は加齢のため慢性的になっているのかもしれない。それでもなんとかDSB「ファブリチ」の発生論の部分を再読し、『卵とヒナの形成』(1621)をネットで確認することができた。90ページの小冊子で、本文はその半分。図版が7ページであった。今日はここまでで、よしとしよう。

2018年5月17日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は家事雑用と疲労で、本日は終わり。

2018年5月16日(水)発生論史
この時期としては異様な暑さと湿気で気持ちが悪い。それでも冷房を入れる気にはならず、我慢している。ファブリキウスについてDSB(1971)とニーダム(1959)の該当箇所を読むことにした。DSBでは項目「ファブリチ」(Bruno Zanobio)に5ページが当てられているが、その解説は発生論に集中している。後日、じっくり読み直す必要がある。一方、ニーダムによれば、ファブリキウスの研究者は彼の発生論を高く評価するが、発生論史全体から見ると評価できないという。とくにカラザを発生原基とみなしたことが当時の発生論に混乱をもたらしたと批判している。
 疲れが抜けていないうえに、この暑さではだらけるばかりだが、なんとか3日分のジャーナルを書いている。

2018年5月15日(火)ハーヴィ発生論
 研究モードにもどるべく、澤井 直「ウィリアム・ハーヴィの発生論-『すべては卵から』-」(1999)に取り組む。タイトルが「アウィリアム・ハーヴィ」となっているので、まずはびっくり。なぜ、こんなミスが生じたのだろうか。本文中には校正ミスが無いように思うが。論文の目的は「すべては卵から」という有名な標語の意義を分析することなので、当方の関心とはずれている。執筆予定の研究ノートでは先行研究の一つとして記載するが、本文中で引用することはないだろう。ただし、ハーヴィは羊水をcolliquamentumと呼んでいるが、澤井(注13)はこれを「液質」と訳している。当方もこの訳語を用いることにしたい。

2018年5月14日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。スタッフから、「お疲れのようですが」といわれた。帰宅後も家事雑用で本日は終わり。

2018年5月13日(日)ジャーナル執筆
 依然として疲れは取れない。せめてジャーナルをと、一昨日からの3日分をまとめ書きしている。

2018年5月12日(土)『芸術新潮』5月号「日本絵画100」
 昨日の疲れでなにもできない。標記の特集のうち、「近現代31作品」を楽しむことにした。梅原龍三郎や安井曾太郎が入っていないなど、ここでは選者の好みがあらわである。かつて現役洋画家のギャラリー・トークで、芸大洋画の学生は梅原派と安井派に分かれていたと聞き、なるほど二人はそういう存在なのかと納得したことがある。画壇の権威を外す一方で、不染鉄など、あまり知られていない画家の作品をいくつか選んでいる。竹内栖鳳は重文「班猫」ではなく「ベニスの月」になっているのも意識的な選択であろう。逆に、大きな図版で紹介されている狩野芳崖「悲母観音」、横山大観「生々流転」などはだれもが選ばざるを得ない作品ということになろう。

2018年5月11日(金)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。新緑を愛でるシーズンになり、ほどほどの参拝者が訪れていた。夕刻、桂駅までもどったとき、二尊院門前に荷物を置き忘れてきたことに気づき、タクシーで往復。とんだ時間と金の浪費であった。梅田で軽い食事を済ませ、難波駅まで来ると、今度は高野線が車両故障のため満足に動いていない。家にたどり着いたのは11時過ぎ。お疲れ様の一日であった。

2018年5月10日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は疲労でぼんやり過ごしたが、夜になって、ジャーナル2日分を書いている。

2018年5月9日(水)ハーヴィ『動物発生論』
 第71~72項を読了。第71項「内在熱」では、内在熱(inner heat, calidum innatum)は血液と一体となっており、血液が生活の根源であると説く。血液優位説を説くことがこの著書の最大の目的ではないだろうか。第72項「始原液」の前半では、ハーヴィがcolliquamentと呼ぶ羊水が交尾後最初に形成されるので始原液(primigenial moisture, humidum primigenium)と呼び、発生原基は羊水から形成され、その後は羊水が胚の栄養になるという。肉眼の観察では受精卵より先に羊水が観察されるので、このようにいうのもやむを得ないだろう。第72項の後半では、エピクロス学派の粒子論を批判している。しかし遺伝現象を理解するには粒子論的発想が不可欠なのではなかろうか。ハーヴィは遺伝現象に注目したものの、それを理解できずに終わっている。ハーヴィは雌雄精液説を強く批判したが、後にモーペルチュイは遺伝現象を重視してこれを復活し、粒子論を唱えることになるのである。
 『動物発生論』にはこの後に、「出産」、「胎盤など」、それと「妊娠」をテーマとした3本の論文が付記されている。開業医だった阿知波五郎の『血液は循環する(ハーベイ伝)』(1976)によれば、この「付録が、そのころの助産学にたいへん役に立ちました」(p.199)とあるが、ここでは省略していいだろう。
 これからの研究手順としては、まず、ハーヴィの発生論を整理し、次にファブリキウスなど、ハーヴィに先立つ発生論を確認し、その後でハーヴィ研究の二次資料を読み直す。その上で、研究ノート「ハーヴィの発生論と遺伝論」を執筆することになるが、6月末脱稿を一応の目標にしよう。

2018年5月8日(火)ハーヴィ『動物発生論』
 第69~70項を読了。第69項「11月の雌シカ」では、11月中頃に妊娠結果の胚が肉眼で確認されるという。11月20日頃には血液が見え、躍動点も分かり、その6日くらい後には雄雌の区別ができるほど急速に成長するという。第70項「12月の雌シカ」でも胚の成長を記述し、12月以降に新たな展開はないという。第70項の最後に、シカの発生における身体部分の形成順序は卵生動物と同じであり、それは胎生動物一般にいえるであろうと述べて、シカの発生の研究報告を締めくくっている。本日は雑な読み方をして20ページ。この後、付論的な内容の項目が2項目、残っているが、続けて読む気力は無い。明日には読み終えることができるだろう。

2018年5月7日(月)『芸術新潮』5月号「日本絵画100」
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、英文を読む体力気力は残っていないので、アマゾンで取り寄せた標記の雑誌を読みながら、手元にある美術書で仏教絵画を楽しむことにした。100点の選者は山下裕二。少なくとも最初の「古代中世前期」26点については、誰が選んでも似たような結果になるのではなかろうか。これを機会に書架の画集類を改めて楽しみたい。

2018年5月6日(日)ハーヴィ『動物発生論』
 第65~68項を読了。第65項「シカの子宮」では、シカの雌の生殖器をヒトの女性器と比較しながら解説し、雌が精液を生産分泌することはないと指摘して雌雄精液説を否定している。第66項「シカの交尾」では、シカは9月中頃に交尾し、9ヶ月の妊娠期間を経て6月中頃に出産すると述べ、繁殖期における雄の行動を記載している。第67項「9月の子宮」と第68項「10月の子宮」では交尾後の子宮の変化を記載するが、発生原基に相当するものは観察できていない。この2項で強調されているのは、交尾後の子宮内に精液が存在しないことである。第68項の最後には、昆虫の発生についてのハーヴィの研究ノートが内乱時に議会軍によって略奪破棄されたことが学問の世界にとって大きな損失であったと述べている。シカの発生に無関係な感想を突然、挿入しているのは、ハーヴィ本人がよほど悔しかったからだろう。とにかく、少なくとも第63項以降のシカの発生に関する記事は内乱終結(1649)後に執筆されたことが明らかである。本日は14ページ。終わりが見えてきたので、なんとなく、ゆっくりした気分になっている。

2018年5月5日(土)ハーヴィ『動物発生論』
 第63~64項を読了。第63項「胎生動物の発生」では、胎生動物の発生は卵生動物の発生と基本的に共通していると説く。第64項では、研究対象としてシカを選んだのは狩猟好きだった国王チャールズから大量に供給されたためであるという。英訳書ではシカの種類が雌の名称(hind and doe)で記されているが、ラテン語原本では雌雄共通のラテン語名、すなわちCervus とDamaと記されている。大形のアカシカ(red deer; m, stag; f, hind)と中形のダマシカ(fallow deer; m,buck; f,doe)である。本日は6ページと少なかったが、シカの種類を確認できたのでほっとしている。

2018年5月4日(金)ハーヴィ『動物発生論』
 第59~62項を読了。第59項では、卵の形状、大きさ、産卵数について論じている。弱い動物ほど産卵数が多いのは、種を維持するための自然(神)の配慮であると説く。第60項「卵白と卵黄の効用」では、卵白より後に栄養源として利用される卵黄は胎生動物のミルクに相当するという。第61項「卵の他の部分の効用」では、卵殻、気室、それと羊膜や卵殻膜などについて論じている。第60項と第61項では、カラザを発生原基とするファブリキウス説を重ねて批判している。第62項「卵は全動物の共通起源」では、全ての動物の発生原基は卵であり、植物では種子であるという。これは日常語の「卵」とは異なる「卵」の定義とみなすべきだろう。本日は19ページ。これでようやく、新たなテーマ、シカの発生に進むことができる。

2018年5月3日(木)ハーヴィ『動物発生論』
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日は体調も良かったので、少しだけ運動量を増やすことになった。帰宅後、一休みしてからハーヴィ『動物発生論』第58項を読了。ハーヴィがcolliquamentと呼ぶ羊水が、口が形成された後のヒナの栄養源になっていると説いている。羊水は出産(産卵)を容易にするというファブリキウス説を否定するのに、産婆の作業を延々と解説している。医師ハーヴィの本領発揮と見ることもできるが、発生論にとっては長広舌ではなかろうか。本日は8ページ。デイサービスの後なので、まずまずの成果である。

2018年5月2日(水)ハーヴィ『動物発生論』
 第56~57項を読了。第56項「観察による発生順序」では、卵の中のヒナの成長過程を整理すると同時に、ヒトの胎児の発生過程を記述している。ハーヴィは医師として、さまざまな時期の胎児を観察していた。第57項では、残された諸問題を列記している。その一つに遺伝現象を挙げている。子供の形質は両親の形質の混合だが、ある部分は雄親似で、ある部分は雌親似になるのはなぜか。この項では問題を提起するだけだが、ハーヴィが遺伝現象に注目していたことは間違いない。しかし、結局、遺伝の謎について答を得られなかったのではなかろうか。本日は20ページ。昨日より少ないが、2日分のジャーナルを書いているので、ハーヴィに取り組んだ時間は少なくない。

2018年5月1日(火)ハーヴィ『動物発生論』
 第52~55項を読了。第52項「血液」では、血液は栄養源であると同時に、生活原理(vital principle)でもあるという。この項の最後に、瀉血が治療法として有効であると力説している。当時、瀉血が基本的な治療法であったことを示していると同時に、それへの批判もあったことを示している。第53項「へそ血管」では、ヒナの栄養として卵白が消費された後、卵黄が栄養として利用されるという説を繰り返している。ハーヴィがへそ血管(umbilical vessels)と呼ぶのは、心臓と卵黄をつなぐ血管のことである。第54項「ファブリキウスによる発生順序」では、カラザからメタモルフォーシスによってヒナの原型が形成され、臓器の中では最初に心臓と肝臓が同時に形成されるというファブリキウス説を全て否定し、ファブリキウスはアルドロヴァンディやパリサヌスと同様、観察ではなく、推理に頼っているのであろうという。第55項「アリストテレスによる発生順序」では、アリストテレス『動物発生論』第2巻第4章の後半、胚の成長と栄養についての記述を長々と引用し、それに注釈を付けている。ここでもハーヴィはアリストテレスの心臓優位説批判を繰り返している。本日は32ページ。といっても、全ページをていねいに読んだわけではない。第50項以降、新しい展開はみられず、記述も長ったらしく、同じことの繰り返しも多い。いささか、うんざりしてきたが、今はとにかく、英訳で全編を読まねばならない。

2018年4月30日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。ツバキの落花を片付ける庭掃除の時期は終わったが、今は伸びすぎる枝や草を刈り取る作業が待っている。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。世の中はゴールデンウィークで浮き立っているが、リハビリ生活の身には関係ない。

2018年4月29日(日)ハーヴィ『動物発生論』
 第50~51項を読了。第50項では、発生に関わる諸問題を列記した後、子供の形質は両親の混合と説く。ここでは雄親と雌親の作用は対等としているが、この後では雄親は神の力を伝える道具であり、その作用は雌親よりエクセレントであるという。この項の最後に、受胎(conception)と脳における概念形成(conception)との類比を説いている。第51項では7ページを費やして血液優位説を説いている。それも観察結果よりも、内容(血液)が無ければ容器(心臓)は作られないといった理屈が展開されている。こうした傾向は第49項から目立つように思われる。第49項に突然、センネルト(1636)の発生論が登場するのも気になる。中村禎里『血液循環の発見』で、「第40論のあたりまでと第50論あたりから後の部分は違った時期にまとめられており、しかも後者がよりあとの時期のハーヴィの説を示すように思われます」(p.158)と述べていることと無関係ではないだろう。本日は19ページ。まだ時間はあるし、早く先を読みたいと思うが、脳が受け付けない。ここまでが限界であった。

2018年4月28日(土)ハーヴィ『動物発生論』
 第47~49項を読了。第47項では、アリストテレスの月経血(質料)・精液(作用因)説を改めて批判し、第48項ではファブリキウスのカラザ(質料)・精液(作用因)説を批判し、医学者が支持する雌雄精液説を含めて、先行する理論はすべて誤りであるという。第49項では先行理論批判を繰り返した後、動物の発生は伝染病におけるコンタギオンとの類比で理解できるという。次は長編の第50項。おそらくハーヴィの発生理論がまとめられていると思われるが、これは明日の楽しみにしておこう。本日は17ページ、これが限界であった。

2018年4月27日(金)外出、まとめて要件処理
 朝早くに、まず近大眼科へ。ついでに桃大へ。図書館で他大学に複写依頼した文献を受領。帰宅途中、狭山駅前で散髪。理容師が南北会談やトキオ・メンバーのセクハラの話題を振ってくるが、どちらにも興味は無い。南北米の権力者たちがかりそめの成果を見せつけるための茶番劇ではないのか。タレントのセクハラ騒動で一番喜んでいるのは、日本の権力者たちだろう。散髪が終わり、さらについでにラブリーホールに寄り、会員カードを更新。外に出るだけでけっこう、費用が掛かるので、なるべく一度に片付けてしまおうという貧乏根性である。

2018年4月26日(木)ハーヴィ『動物発生論』
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、しばし休んでからハーヴィ『動物発生論』第45~46項を読了。第45項では、なにかを作る方法には二通りある。それが、元の材料をそのまま加工するメタモルフォーシスと、新たな材料を加えながら順次、全体を形成していくエビジェネシスである。昆虫類の発生はメタモルフォーシスであり、有血動物の発生はエピジェネスである、という。ファブリキウスがヒナドリの発生をメタモルフォーシスとみなしているのは誤りで、ヒナは小瘢痕からエピジェネスによって形成されるという。現在の用法では「エピジェネス」が前成(preformation)と対比されて「後成」と訳されるが、ハーヴィ本人にとってはメタモルフォーシスと対比すべき用語だったのである。『動物発生論』の目次を見ると、第46項から第50項までの5項目では作用因(efficient caurse)がテーマになっているが、その最初の第46項ではefficientの語義について論じている。本日は10ページ。体調を考慮すれば、まずまずの成果である。

2018年4月25日(水)ハーヴィ『動物発生論』。VDI設定。
 朝から軽い目まいが続いた。多分、血圧が下がっているのだろう。それでも午前中にハーヴィ『動物発生論』第41~44項を読了。第41項では、生物の発生が驚嘆すべき神の技であると説く。第42項で「生じる」の語義を検討してヒナは卵から生じるといい、第43項で、卵にはヒナを生じるためのすべて(matter, efficient, instrument, nutriment)が備わっているという。第44項では、カラザがヒナの源基であるというファブリキウス説を改めて否定している。本日は15ページ。体調不良のわりには、ましだったといえよう。
 午後は桃山学院大学の情報センターに電話して、パスワード変更に必要なVDI の設定に取り組んだ。簡単にはいかなかったが、2時間後にヴァーチャル・デスクトップ上でパスワードを変更できるようになった。
 夜になって休み休みジャーナルを書いているが、これだけの文に、えらく時間が掛かっている。

2018年4月24日(火)整形外科
 朝早く、骨粗鬆症の薬をもらいに三日市町駅筋の田中整形外科へ。帰宅後、家事雑用をこなしているうちに、強い疲労感が襲ってきた。今回も、一昨日の外出の疲れが1日おいて出てきたのか。論文に取り組むのはあきらめるしかない。

2018年4月23日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。昨日の疲れが出ないか心配だったが、いつもと同じ運動量をこなすことができた。帰宅後、一休みしてから、2日分のジャーナルを書いている。

2018年4月22日(日)奈良博と興福寺
 高校クラス会に行くカミさんを難波まで送り、ついでに奈良へ。近鉄奈良駅前のいつものバス停で東大寺方向へのバスを待っていたが、いくら待ってもバスが来ない。後で知ったことだが、「ぐるっとバス」という新路線専用のバス停に変更されており、30分に1本しか来ない。通常の路線バスのバス停がどこに移ったのか、分からない。奈良市の責任か、奈良交通の責任か、とにかく不親切きわまる。
 奈良国立博物館では特別展「春日大社のすべて」を開催しているが、これはスルーして、シニア無料の仏像館だけを訪ねた。この前に来たのは昨年の3月30日。今回、浄土寺・阿弥陀如来立像(裸形)はもどっていたが、元興寺・薬師如来立像はまだ、もどっていない。金剛寺の降三世明王もお寺に帰ったので、さみしくなった。
 興福寺国宝館は耐震工事のため1年間、休館していたが、今年の元日にリニューアル・オープンした。展示がどう変わったか、わくわく感を抱いて訪れた。まず、面食らったのが、展示室の入口と出口が逆になっていたこと。左回りだったのが右回りになった。以前なら最初に目にする八部衆は、最後に見るようになっていた。それより大きな変化は展示品が少なくなっていること。目立つものとしては、法相六祖像が南円堂にもどることになって、国宝館からも奈良博からも姿を消した。数が減ったといっても展示されているのは見応えある仏像ばかりで、以前よりも落ち着いて見ることができる。
 東金堂と特別開扉中の北円堂では、いつもと変わらぬ仏さんたちに会ってきた。本日は久しぶりの奈良なので、一通り見て回ろうと慌ただしく動いたが、次回は焦点を定めてじっくりと味わいたい。また、この秋には、再建・中金堂ばかりでなく、四天王が入れ替わった南円堂も拝観したいものである。

2018年4月21日(土)ハーヴィ発生論
 ハーヴィ『動物発生論』の第33~40項を読了。第33項では、メンドリとオンドリが作用因として同等の働きをするという。第34項「卵の質料」では、血液から卵が形成されるというアリストテレス説を批判し、子宮内に血液は無く、初期の卵は白色であるという。雌雄精液説も批判し、雌に精液は存在しないという。第35項では、無精卵もある程度まで成長するのでメンドリに由来する植物性霊魂のあることを認めなければならないが、稔性を得るにはオンドリが不可欠という。第36項では、卵白は発生初期の栄養となり、卵黄は発生後期の栄養になるという。第37項では、卵白は卵黄の周囲に付加されるのではなく、卵巣内の同一物質から卵黄と卵白が分離し、それぞれが成長するという。第38項では、単純な生物は自然発生、それより複雑な生物は単為生殖、もっとも高等な生物は雌雄の協力による有性生殖を行うという。第39項「オンドリ」では、ニワトリの場合、多量の精液が必要であるという。第40項「メンドリ」では、精液が雌の体内に貯留されることはないのに交尾の効果は長期に亘って続くので、精液は子宮、あるいはメンドリの体全体に影響を及ぼすと考えるほかないという。
 本日は23ページ。この後、桃山学院大学ネットワーク利用のためのパスワードをVDIによって変更しようと試みたが、駄目。これで大分、時間をロスした。いずれ、大学の情報センターに問い合わせなければならない。

2018年4月20日(金)ハーヴィ発生論
 ハーヴィ『動物発生論』の第27~32項を読了。第27項「卵の生活原理」では、卵巣の中での原基形成の時点から卵は自立しており、内在する「生活原理」(vital principle)によって成長するという。第28項「メンドリの必要性」では、「ニワトリが先か、卵が先か」と問い、個体が滅びて種が永続するという。第29項では、メンドリは質料のみ、オンドリが作用因をもたらすというアリストテレス説を批判し、メンドリの作用因も認めなければならないという。第30項では、質料や作用因についての議論の重要性を説く。第31項では、子宮内の月経血に精液が作用するというアリストテレス説を批判し、精液は子宮に入らないという。第32項では、医師たちの発生論、すなわちヒポクラテスに由来する雌雄精液説を批判し、雌に精液は存在しないという。本日は16ページ。時間はたっぷりあったのに集中力が持続せず、思ったほど読み進めなかった。
 ジャーナルを書きながらBS時代劇「鳴門秘帖」を見ていた。中学生の時に原作を読み、その前にもラジオで聞いていた気がする。面白かったという漠然とした記憶はある。しかし筋はほとんど忘れているし、登場人物で覚えている名前は「法月弦之丞」だけ。ドラマを見ていても思い出すことは無かったが、「お十夜孫兵衛」の名を聞いて、あっと思った。この名前には憶えがある。間違いなく読んでいるのだ。原作を読み直す余裕は無いが、連続ドラマは見て行こうか。

2018年4月19日(木)ハーヴィ発生論
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、しばし休んでから、ハーヴィ『動物発生論』の第25・26項を読了。第25項は事実の記載から理論的考察に移ることを告げる半ページの導入文。第26項「卵の本性」も理論的考察の序論に該当し、以降に取りあげられる問題を挙げている。よくあることだが、本論を読んだ後で読み直せば、序論の内容がよりよく理解できるはずである。本日はとにかく、10ページを読み進むことができた。

2018年4月18日(水)体調不良
 今日になって一昨日の疲れが出てきたようだ。論文に取り組むのはあきらめた。2日分のジャーナルを書くのが精一杯だった。

2018年4月17日(火)ハーヴィ発生論
ハーヴィ『動物発生論』の第22~24項を読了。第22項「抱卵14日以降」では孵化直前までのヒナの状況を記述し、孵化後も卵黄が存続してヒナの栄養源になっているという。第23項「孵化」では、まず、卵生動物では卵が子宮の役割を果たしており、卵生と胎生に根本的な違いは無いという。後半では、メンドリが卵殻を破るというファブリキウス説を批判し、ヒナ自身がくちばしで破るのは明らかであるという。第24項「双生卵」では、双生卵からモンスターが生まれるというファブリキウス説を批判し、双生卵であっても通常は1羽のヒナだけが正常に生まれるという。
 本日は10ページ。前日に外出したわりには、はかが行った。第25項から、いよいよハーヴィの発生理論が展開される。

2018年4月16日(月)嵯峨・二尊院
カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。昨日の日曜日は法輪寺・十三参りのピークだったはずだが、平日の今日は見ることがない。二尊院の参拝者は先月より格段に増加していた。弁財天堂前の二尊院普賢象桜が満開であった。淡紅色の花弁が200枚に達する多弁の系統で、鷹司家にあった名桜だという。今が一番の見頃で案内板もあるのに、これに気付く参拝者は少なかった。

2018年4月15日(日)ハーヴィ発生論
 ハーヴィ『動物発生論』の第19~21項を読了。第19項「抱卵の第5点検」(The fifth inspection of the egg)では抱卵6日目の卵を取り出して調べていることに気付いた。前回まで、「第3点検」なら抱卵3日目と思い込んでいたのは勘違いであった。考えてみれば当たり前のことなのに、情けない。ジャーナルも修正しなければならない。
第19項「抱卵6日目」では肺、肝臓、腸などが見えるようになるが、こうした臓器は血管によってもたらされる血液から栄養を得て成長するという。その証拠の一つとしてハーヴィが開発した睾丸腫瘤(sarcocele)の治療法を紹介している。すなわち腫瘍の血管を結紮することによって腫瘍を小さくして切除することができるという。最後に、肝臓優位説と心臓優位説を批判し、再度、血液優位説の正しさを強調している。第20項「抱卵7日目」では、羽。脚、生殖器などがはっきり見えてくるという。第21項「抱卵10日目以降」では、アリストテレスの観察に付け加えることはないとして『動物誌』第6巻第3章からの引用に終始している。
 本日は8ページ。勘違いに気付いたのが最大の収穫であった。

2018年4月14日(土)無為
 昨日の疲れが残っているのか、なにもする気にならず、ぼんやりと過ごした。意欲があっても体が動かないのではどうしようもない。

2018年4月13日(金)文楽4月公演
 国立文楽劇場、昼の部へ。「廿四孝」の三段目、「桔梗ヶ原」と「勘助住家」の間に玉助襲名披露。この玉助が横蔵を遣った。「廿四孝」といえば四段目「十種香」を繰り返し見ているが、三段目は多分、2度目だと思う。しかし、前回の記憶があいまいで、話の筋はほとんど憶えていなかった。技巧派、近松半二の作品とはいえ、設定がややこしすぎるし、慈悲蔵の実子の扱いにも無理がある。それを無視して、義太夫と人形の演出を楽しむほかあるまい。がっかりしたのは、最後の「道行初音旅」。三味線と太夫が床ではなく、舞台の奥に並んでいた。床直下の席で三味線の音の渦に浸り、至福の時を味わうつもりでいたのだが、裏切られた思いであった。
 それと気になるのが、咲太夫。今回の公演では、この「道行」に出るだけ。体調が芳しくないのだろうか。

2018年4月12日(木)ハーヴィ発生論
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後、やや活力がもどったところで、パソコンに向かう。昨日、大学で文献調査をしていて、偶然、ずばり「ウィリアム・ハーヴィの発生論」というタイトルの論文(澤井直:『ルネサンス研究』1999)のあることを知った。かつて邦語文献をCiNiiで検索した時には出てこなかったので、びっくりした。本日、改めて検索し直したが、やはり出ない。多分、『ルネサンス研究』掲載論文はCiNiiに収録されていないのであろう。役立つ論文か否かは分からないが、少なくとも先行研究として記載しなければならないだろう。
 この後、ジャーナルを執筆。10日の分を補足し、昨日と本日の分を書いている。このジャーナルは、ペーパー執筆、あるいはスライド作成のためのメモとしても役立っているので、重要なことはできるだけ書いておきたい。

2018年4月11日(水)桃大図書館
 大学院授業のため桃大へ出掛けたが、受講生は現れず、閉講になることを確認した。空き時間に図書館で文献調査。雑誌Isisの203巻(2017)2~4号の論文を点検してみた。気になるのは3本。時間が限られているので、それぞれの抄録に目を通しておいた。2号掲載の「アリストテレスの生物学」に関する論文によると、アリストテレスは自身の研究と他者の報告との区別をあいまいにしたまま読者の信頼を得ようとしているという。アリストテレスによる鶏卵の発生研究について、ハーヴィが他者の報告ではないかと疑っているのは正しいのかもしれない。3号掲載の「16世紀医学の実験」では、パドヴァ大学で発展した実験が近世ヨーロッパに広まったという。ハーヴィの実験への言及もある。同じく3号掲載の「ダーウィンの遅延」では、ダーウィンの進化論公表が遅れた理由として蔓脚類研究に注目しているが、これは拙著『チャールズ・ダーウィンの生涯』でも指摘しており、新しい視点とは思えない。「アリストテレスの生物学」と「16世紀医学の実験」は、いずれ、きちんと読まねばなるまい。

2018年4月10日(火)ハーヴィ発生論
 ハーヴィ『動物発生論』の第16~18項を読了。第16項「抱卵3日目」では成長した小瘢痕と羊水について記述している。小瘢痕は鳥の目に似ているという。羊水はcolliquamentum と名付けている。第17項「抱卵4日目」では「躍動点」(punctum saliens)について記述している。被刺激性の躍動点が形成されたことにより、胚は植物的生から動物的生に変化したという。また、脈動する構造(すなわち心臓)よりも先に血液が形成されているという。ここに『心臓の運動』(1628)の心臓優位説から『血液の循環』(1649)の血液優位説への転換が始まっているといえよう。第18項「抱卵5日目」では発生初期における頭部(目、大脳、小脳)の形成が記述されている。前半はアリストテレス『動物誌』第6巻第3章への注釈の形を取り、後半で観察結果をまとめている。本日は23ページ。精根尽き果てた。

2018年4月9日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後も家事雑用。それでも本日は余力があるので2日分のジャーナルを書いている。

2018年4月8日(日)ハーヴィ発生論
ハーヴィ『動物発生論』の第13項から第15項までを読了。第13項「卵の多様性」では、メンドリの違いによって外観の異なるさまざまな卵が生まれることや、双生卵などについて記述し、最後に、雌雄の親から卵が生まれ、卵から雌雄のヒナが生まれるという循環(circle)によってその種類が永続すると述べている。ここにハーヴィの万物循環論の一端が初めて登場している。第14項「卵からのヒナの誕生」の冒頭でも、太陽の日周運動との類比で個体の生死の繰り返しによる種の永続を語っている。卵の内部における胚の成長について、アリストテレス、アルドロヴァンディ、ファブリキウスらが述べていることには誤りが多い。それは観察よりも理論を重視したためであるという。アリストテレスは自ら観察したのではなく、観察者の報告を聞いただけではないかとまでいっている。中村禎里『生物学の歴史』ではハーヴィの観察について、「アリストテレスが二千年ほど以前になした観察の域を出ていない」(p.100)と述べているが、ハーヴィ本人は、歴史上初めて正確な観察をなしたと自信を持って語っているのである。第15項「抱卵2日目」では、カラザを発生原基とみなす当時の通説を再び、強く否定し、ファブリキウスが小瘢痕(cicatricula)と名付けた構造こそ原基であると説いている。本日は14ページを読んだが、余裕はない。早めに寝るしかない。

2018年4月7日(土)ハーヴィ発生論
ハーヴィ『動物発生論』の第9項から第12項までを読了。第9項では子宮内で卵白と卵殻が付加されて産卵に至るまでを簡潔に記述している。第10項では子宮内における卵の成長について、ファブリキウスが材料は血液、作用因は子宮としたのに対し、卵は内在力によって自ら栄養を取り込んでいくという。ハーヴィはこの後でも胚の自立性を繰り返し説くはずである。第11項は卵殻の形成。アリストテレスらが産卵後に固い卵殻が形成されるとしたのに対し、子宮内で固い卵殻が形成されるという。第12項は卵黄、卵白、カラザ、気室、小瘢痕。カラザを発生原基とみなす俗説をファブリキウスも支持しているが、間違いである。ファブリキウスが小瘢痕(cicatricula)と名付け、無用とみなした構造こそ、原基であるという。これは、発生学上の大きな功績と評価されている。本日は13ページ。余裕をもって読み終えることができた。

2018年4月6日(金)ハーヴィ発生論
 ハーヴィ『動物発生論』の第5項から第8項までを読了。第5項で総排出腔の構造を詳細に記述し、交尾について語った後、第6項ではオンドリの精液はメンドリの子宮に到達せず、したがって卵に触れることはないという。ハーヴィはアリストテレスとファブリキウスの記述を紹介し、それを確認あるいは修正する形で議論を進めているが、精液についてはファブリキウスの説を長々と引用し、それに賛同している。それによれば、精液は子宮に影響を及ぼし、影響を受けた子宮の作用によって卵が稔性になるという。精液は子宮を介して卵に影響するという説はハーヴィのオリジナルではなく、ファブリキウスの説だったのである。第7項では消化器と泌尿器について記述し、第8項で子宮の構造を詳細に述べている。英訳書でほぼ10ページを読んだあたりで、集中力切れ。時間の余裕があっても体が動かない。今や、この程度が限界のようだ。

2018年4月5日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は家事雑用と疲労で本日は終わり。

2018年4月4日(水)桃大
 本日から授業開始。2日の入学式の2日後に授業開始とは、予想外だった。半期15回の授業回数確保に苦労しているのであろう。午前中は図書館で近年のISIS年間書誌でハーヴィ文献を検索し、既知の文献のほかに1点だけ気になる論文を見つけた。ハーヴィ研究がますます面白くなってきた。午後、3時限の授業に受講生はいなかったので、おそらく今年度は閉講であろう。それでも久しぶりに多くの学生や教員に出会ったためか、なんとなく気分が高揚している。

2018年4月3日(火)ハーヴィ発生論
 ハーヴィ『発生論』の第1項から第4項までを読了。前置き的な2項目の後、第3項が卵巣、第4項が漏斗。第8項まではメンドリの生殖器の記述になっている。しばらくは用語集や図解を参照しながら鳥類解剖学の勉強である。

2018年4月2日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。今は庭に散った椿の花を拾い集めるのが一仕事になっている。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、やや疲労感はあるものの、テレビで演歌を聞きながら、2日分のジャーナルを書いている。

2018年4月1日(日)ハーヴィ発生論
 午前中に郵便ポストまでの桜並木をゆっくり歩いてきた。昨日が満開、今日は散り始めている。午後、ハーヴィ『発生論』(英訳)に着手。同書の刊行に尽力した若き友人エントの「献辞」は省略して、「序論」を読了。自然について知るには書物に頼るのではなく、直接、自然と取り組まなければならないと、繰り返し主張している。デカルト『方法序説』の冒頭部分を読んだ時と同様、学問を築き直そうとする17世紀の意欲が感じられる。英訳で350ページ、72項目の本書を5月末までに読了するには、研究日が延べ35日として、1日に10ページ。なんとかなるだろう。

2018年3月31日(土)窓ガラス修理
 午前中にガラス屋さんが来て、ようやく14日に割った窓ガラスを入れ替えてもらった。そのための保険の書類を用意したりしているうちに一日が終わってしまった。せめてジャーナルだけでもと、4日分をまとめ書きしている。

2018年3月30日(金)金剛寺金堂三尊像
 昼過ぎに天野山金剛寺へ。金堂の大修理が終了。三尊像が昨年9月に国宝に指定されたことも記念して3月28日から4月18日まで特別拝観が実施されている。染井吉野も満開、垂れ桜も見事だった。20年ほど前であろうか、三尊像を網戸越しに見たことはあるが、直接拝観するのは初めてである。3mの巨像、中尊大日如来坐像には写真では伝わらない優美さがある。右脇侍の降三世明王坐像はここ数年、奈良国立博物館で繰り返し、もっと間近で見てきたが、その時の方が迫力に満ちていた気がする。明王さんも単独で特別扱いされると気合いが入るのかもしれない。左脇侍の不動明王坐像も京都国立博物館で展示されていたが、台座も光背もはずされたままであった。本来のお姿にもどって満足そうだった。これからも年に一度は網戸越しではなく、今回のような形で拝観したいと思う。

2018年3月29日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後は家事雑用と疲労で本日は終わり。

2018年3月28日(水)ハーヴィ文献
 ニーダム『発生学史』(1959)とロジェ『18世紀』(1971、英訳1997)、それぞれのハーヴィの項を読了。両者ともハーヴィのアリストテレス主義を重視しているが、近年のハーヴィ論で注目されている万物循環論への言及はない。これを理解するのが当面の課題の一つである。

2018年3月27日(火)ハーヴィ文献
 23日(金)にコピーしてきた論文、ウェブスター(1967)を通読し、ニーダム『発生学史』(1959)のハーヴィ論に着手。困るのはハーヴィ発生論からの引用箇所。ウェブスターが示すのはウィルス訳のページ。ウィルス訳著作集(1847)の復刻版(1965)は借り出して手元にあるので確認することができる。ところがニーダムが示すのは1653年刊の英訳書のページであり、二次文献によってはラテン語原典(1651)のページを示しているものもある。ネットで探したところ、ラテン語原典はBHLに収録されていた。1653英訳書を掲載している電子図書館も探すことができた。つくづく便利な時代になったものだと思う。
 本日はほぼ文献に集中することができたものの、疲労感に襲われ、休んでいる時間帯が多かった。意欲があっても体が動かないのではどうしようもない。

2018年3月26日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後も家事雑用。論文を読む気力は残っていないが、なんとか3日分のジャーナルを書いている。

2018年3月25日(日)発生学
 ハーヴィの発生論に取り組む準備として、現在の発生学の入門書を再読した。生物学科に在籍した60年前とは大きく異なり、現在ではDNAレベルの話が中心になっている。発生学は20世紀動物学の花形だったが、形成体の発見(1924)以降、DNAレベルの研究が可能になるまでの半世紀間の発生研究を歴史的にどう評価すべきなのか。大いなる無駄であった可能性もある。生物学通史を書くときの課題の一つである。

2018年3月24日(土)遺伝学史
 昨日取り寄せた論文の一つ、ラインバーガーのコレンス研究をまとめたもの(2015)を通読した。キセニア研究のためエンドウの交雑実験を続けていたコレンスは1896年にメンデルのエンドウ論文を読んでいるが、この時は実験の参考にしただけであった。その後、交雑実験を続ける中で、コレンスは「メンデルの法則」に気付くが、その経過については別の論文(2003)に書いたのでここでは省略するという。それを知りたかったのに。がっかり。後日、この論文も取り寄せなければならない。

2018年3月23日(金)桃大図書館
 狭山駅前で散髪の後、桃大へ。分厚いハーヴィの英訳著作集などを借り出し、ハーヴィ関連の雑誌論文のコピーを取り、他大学から取り寄せた論文(コレンス関係とドフリース関係)のコピーを受領。ずっしり重くなったバックを抱えて帰宅。どれもこれもすぐに読みたいが、本日は疲労で無理。明日、なにから始めようか。

2018年3月22日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。訓練を始める前に担当のケアマネも来て年間計画の相談をした。計画書の内容が前年と同じだと受理してもらえないというのだから難しい。日常生活の基本は、「論文を読んで、論文を書く」としかいいようがない。年々変わる研究テーマを介護の事務局に届けても意味ないだろう。体力低下のため外出が億劫になっているので、リハビリによって気力を保ちたいと伝えた。

2018年3月21日(水)遺伝学史
 夕刊が来ないので祭日であることに気がついた。日曜に外出した疲れで一昨日は何もできず、昨日も駄目。今日になってようやく疲れが抜け、論集 Heredity Explored (2016)の第1章「序論」を読むことができた。19世紀後半に生物学的な「遺伝」(heredity)の観念が確立し、「遺伝」は生物学の専門用語となったが、それだけでなく、「遺伝」は社会の担い手となった中流階級の自己主張に用いられた。「遺伝」は政治、産業、医療など、社会のさまざまな側面に影響を及ぼしたが、収録された諸論文ではそれが1900年を境にいかに変化したか、あるいは変化しなかったかを論じている。「外的科学史」であり、従来の遺伝学史には無い新鮮さがある。当方の関心は「再発見」の詳細な経過にあるが、いずれ本書を参照することもあるだろう。とりあえずはこれで中断し、ハーヴィにもどらなければならない。

2018年3月18日(日)嵯峨・二尊院
 彼岸の入り。カミさんのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。嵐山の観光客も増えてきた。貸衣装姿の女性も多かったが、十三参りの女の子の衣裳は豪華なので一目で区別できる。二尊院では彼岸桜や水仙が咲いているものの、参拝者は少ない。あと1週間もすると染井吉野も咲き出して、賑やかになることだろう。
 難波や梅田の人混みの中を歩くのが億劫になってきた。これも老化現象か。

2018年3月17日(土)遺伝学史
論集『遺伝研究の始まり』の第15論文、ミュラーヴィレ&リッチモンド「遺伝学の起源再訪」を読了。著者の一人マーシャ・リッチモンドは今年度からJournal of the History of Biologyの編集を担う二人のうちの一人で、ベーツソンに協力した女性研究者についての論文(2001)がある。論文「遺伝学の起源再訪」はベーツソンとヨハンセンの研究歴を追い、1900年を境に何が変わったかを分析している。結論として、ベーツソンは進化要因としての遺伝変異にこだわり、ヨハンセンは量的変異にこだわり、二人ともメンデリズムに徹しきれなかったという。
 昨日の登場人物や本日のベーツソンらについては、いずれ遺伝学誕生との関わりを詳細に検討しなければならないが、今は一通り、なぞるだけ。それにしても、集中力が続かないので時間が有ってもはかが行かない。

2018年3月16日(金)遺伝学史
 ハーヴィ発生論は一休みして、桃大図書館から借りだした論集 Heredity Explored (2016)に着手。このジャーナルでしばしば言及してきた論集『遺伝の観念の誕生』(Heredity Produced, 2007)の続編である。後者は18世紀の遺伝論を中心にしているが、前者は1850-1930を対象にしている。この書名をどう訳すか。とりあえず『遺伝研究の始まり』としておこう。17本の論文が収録されており、その多くは遺伝研究と社会の諸相との関係を論じている。本日読んだ第6論文、ラインバーガー&ミュラーヴィレ「遺伝学以前の遺伝」(Heredity before Genetics)はこの論集の中では数少ない学説史である。ダーウィンのパンジェネシス以降に登場した思弁的遺伝論(ゴルトン、ネーゲリ、ベルナール、ドフリース、ワイスマン)を分析している。「ソフト対ハード」「ブレンディング対ノンブレンディング」という対立はメンデル遺伝学後に明確になったものであり、この対立軸によって19世紀の遺伝論を考察するのは誤りであるという。この指摘には注目しておこう。

2018年3月15日(木)デイサービス
 午前中は、ガラス屋さんの下見など、家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後も家事雑用で本日は終わり。この4日間、遺伝学史研究がほとんど進展していない。けっこう動いている気がするのだが、いつの間にか一日が終わっている。この状態を脱しないと。

2018年3月14日(水)窓ガラス破損
 午後、窓際で軽い目まいを起こし、頭を窓にぶつけてガラスを割ってしまった。ガムテープで応急処置。暖かい日が続いているので、すきま風を気にしなくて済むのが助かる。とにかく目まいに気をつけないと。

2018年3月13日(火)学会費
 午後、電動車椅子で隣町の郵便局へ。科学史学会と生物学史分科会の年会費を送金。合わせて1万3千円はつらいが、研究活動の拠点として止めるわけにはいかない。車椅子で往復しただけなのに疲れて後はなにもできない。

2018年3月12日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後も家事雑用で本日は終わり。体調が良いのか、さしたる疲れは無い。
 デイサービスの休憩タイムに見ているテレビのニュースショーは専ら森友文書の書き換え問題。安倍の議会軽視がもたらしたものだが、安倍本人は反省もせず、責任を取る気もないのだろう。後世の歴史家からは、最低の総理と評価されることだろう。

2018年3月11日(日)ハーヴィ文献
 手元にあるハーヴィ二次文献の検討はとりあえず終了。費用を掛けて文献を取り寄せることは急がないことにした。一次資料を読むなかで必要になったら、その時、考えよう。
 テレビはどの局も、7年前の三陸大津波の特番。2011年3月11日付けの我がジャーナルには次のように書いてある。
 「3時前に病猫ノアに点滴をしながらテレビを見ていたら、番組を中断して地震・津波情報に切り替わった。最初は、いつもより大きいなと思う程度だったが、しだいに深刻な事態が明らかになってきた。いずれやって来る東海地震、南海地震への警告にもなっている。このジャーナルではニュースネタを避けているが、この地震は後日のためにも記録しておこう」。
 身勝手な願いではあるが、自分が生きている間は南海地震は起きないで欲しい。富士山も噴火しないで欲しい。

2018年3月10日(土)ハーヴィ文献
 ハーヴィ二次文献を読み進めていくなかでハーヴィ発生論に関する文献もかなり分かってきたが、これを取り寄せるか否かが難しい。現役時代なら気になる文献は全て複写依頼や購入で取り寄せていたが、年金生活の今はそんなことできない。研究成果をペーパーにするなら桃大図書館に無い必読文献は購入しなければならないが、さて、どうするか。

2018年3月8日(木)デイサービス
 冬の寒さにもどったが、なぜか体調は良い。午前中のデイサービス「ポラリス大矢船」で実施した3ヶ月毎の運動能力測定では自己最高記録をだしたのではなかろうか。帰宅後もさして疲れを感じず、ハーヴィ文献に取り組むことができた。

2018年3月6日(火)ハーヴィ文献
 今日は中村禎里本に集中。出版年からいえば一番後は『近代生物学史論集』(2004)だが、ハーヴィについては1960年代に発表した論文を収録している。『生物学を創った人々』(2000)は『生物学を創った人びと』(1974)の改訂版。結局、禎里さんのハーヴィ論は岩波新書『血液循環の発見』(1977)で終わっている。団勝麿研究室に席を置き、白上謙一とも親しかった中村がハーヴィの発生論に無関心なはずはないのだが、『近代生物学史論集』と『生物学を創った人々』ではもっぱら血液循環論で、発生論への言及はほとんどない。さすがに岩波新書では『動物の発生』に1章を割いており、同書の英訳を丹念に読んでいたことが分かる。多分、ハーヴィ発生論の邦語解説としては最も詳しいのではなかろうか。その見解の全てに納得したわけではないが、『動物の発生』を読み解く上で良い手がかりになるだろう。

2018年3月5日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後も家事雑用で本日は終わり。デイサービスの休憩タイムに見ていたテレビで、「冬ばて」という医師用語のあることを知った。春先の寒暖の変化に体が対応できず体調を崩すことをいうらしい。我が身の体調不良はこの「冬ばて」のためと考えておこう。年齢のせいとするよりも気が楽だ。

2018年3月4日(日)ハーヴィ文献
 4月並みの暖かさ。体調も昨日よりはましなのでハーヴィ文献に取り組んでみたが、集中力が続かない。ネットで文献調査を試みただけで、今日は終わり。

2018年3月3日(土)体調不良
 なぜか一日中、体調不良。かろうじて家事雑用をこなしたが、文献に取り組むのはとうてい無理。午後7時には床につき、朝の6時まで寝込んでいた。風邪を引いたとも思えない。年齢相応の状態だとすると、困ったことだ。読むべきものは山ほどあるというのに。

2018年3月2日(金)文楽予約、ハーヴィ文献
 午前10時から文楽4月公演の会員先行予約。今回はまず、土曜日に当たってみたが、どの土曜日もほとんど座席が残っていなかった。団体客や関係者の予約で埋まっているのだろう。席にこだわるなら平日しかない。いつもの床直下の席が確保できなければ行くのを止めるつもりでいたが、なんとか見つけることができた。
 午後、レノックスの論文を読み終える。これまでのハーヴィ研究は血液循環論に偏っていて発生論への関心が乏しいと指摘しているが、これは以前、ハーヴィ文献を調べたときに感じていた。最終結論としては、ハーヴィの研究結果がアリストテレスのそれと異なることはあっても、観察重視という立場はアリストテレスから受け継いだものであるという。

2018年3月1日(木)ハーヴィ文献
 昨夜は強風で雨戸がガタガタと音を立て、目が覚めるほどだった。朝までに雨は止んだが、風はかなり強い。午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、レノックスの論文を初めから読み直す。アリストテレス生物学の研究で知られるレノックスなので、冒頭部分ではアリストテレス生物学の特徴を簡潔に解説している。これをじっくり読むことにしたので、机の周りにはアリストテレスの翻訳書や注釈書が10冊ほど散乱することになった。

2018年2月28日(水)ハーヴィ文献
 ジャスティン・スミス編『近世哲学における動物発生論』(2006)収録の第一論文、レノックス「ハーヴィのアリストテレス主義」に着手。しかし、文字を追っているだけで中身は頭を通り過ぎていく。なぜか異様な疲労感で、論文に集中できない。夕食後、大事な目薬も忘れて、寝入ってしまった。

2018年2月27日(火)図書返却
 午前中に文献を整理。モーペルチュイとビュフォンの関連文献は奥に引っ込めて、まだ数少ないハーヴィ文献を引っ張り出す。問題は桃大図書館から借り出している図書6点。大学まで運んで代わりにハーヴィ文献を借り出してくることも考えたが、持って行くには重すぎる。ハーヴィ文献はまだ急ぐことはないので、まとめて郵送することにした。午後、電動車椅子で隣町の郵便局まで行き、ゆうパックで発送。これでモーペルチュイとビュフォンについては、ひとまず、さよなら。明日から手元のハーヴィ文献に着手できる。
 今日は一日中、帰国したカーリング娘たちのテレビ生中継を追いかけている。北海道の小さな町の、多分、ごく普通の女の子たちが、努力してここまで来たことが、なぜか嬉しい。

2018年2月26日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後も家事雑用で本日は終わり。昨日までの数日は論文執筆を優先していたので、今日は仕方ないか。

2018年2月25日(日)論文投函
研究ノート「モーペルチュイとビュフォンの発生論と遺伝論」の原稿を修正して印刷し、『生物学史研究』の編集担当宛てに投函してきた。雨模様の中をポストまで出掛けて帰宅すると、疲れがどっと出た。とにかくこれで一段落。モーペルチュイとビュフォン関係の文献は片付けて、次はハーヴィだ。

2018年2月24日(土)論文執筆
 研究ノート「モーペルチュイとビュフォンの発生論と遺伝論」の執筆を終了。まだ文献記載を投稿規定に従って修正する必要があるが、明日中に残りの作業を終え、明後日には編集部宛てに投函できるだろう。
 本日の作業を終えた夜の11時、オリンピック中継でカーリング女子の銅メダル獲得の瞬間を見ることができた。今夜は気持ちよく寝ることができるだろう。

2018年2月23日(金)論文執筆
 ビュフォン発生論の執筆を終了。これでおおむね、一次稿は書き終えたことになる。あとは最後のまとめと、「注」の文献記載が残っている。土日の2日間でこれを終えれば、26日(月)に投函することが可能だろう。

2018年2月22日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅して家事雑用の後、しばし、ぼんやりと休養。夕食後、ビュフォン発生論の執筆を継続。ビュフォンは「動物の一般史」でさまざまなことを語っているが、発生論に限定してまとめれば、なんとかなるだろう。

2018年2月21日(水)論文執筆
 論文執筆を進めるつもりが、まったく駄目。昨日の外出の疲れのためだが、それだけでなく、ビュフォンの発生論にまとまりがなく、矛盾した主張も含まれているので、研究ノートとして簡潔にまとめにくいという事情もある。

2018年2月20日(火)嵯峨・二尊院
 カミさんのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。予定を一日延期したおかげで、今日は春先の陽気であった。嵐山のメイン道路は相変わらず混雑しており、若い女性の貸衣装・着物姿がいつもより目立っていた。いくら春先の陽気とはいえ、コート無しで寒くないのかな。二尊院にもぽつり、ぽつりと参拝者が訪れていた。

2018年2月19日(月)論文執筆
 カミさんのお供で出掛ける予定だったのでデイサービスは休んだが、あまりの寒さに外出は取りやめ。家にこもって論文執筆を続けることになった。ビュフォン論に着手したものの、なぜか疲労感が強く、さして書き進めることはできなかった。

2018年2月18日(日)論文執筆
 「モーペルチュイとビュフォンの発生論と遺伝論」の執筆に集中することができた。といっても、すぐに心身が疲れるので、休み休みである。それでも論文前半のモーペルチュイ論を終え、今月末投稿の見通しが付いた。自分なりに期限を限ることで、気合いも入る。本格的な原著論文ではなく「研究ノート」として投稿するので、気楽に書けるという事情もある。

2018年2月17日(土)発生論史
 昨日中に届いていた『デカルト医学論集』の発生論に目を通し、コピーしてきた文献でガレノス発生論の概要を読む。いずれガレノス『精液論』を読まねばならないが、今はその余裕がない。少しだけモーペルチュイ論を加筆して、今日は終わり。

2018年2月16日(金)桃大図書館
 朝早くに近大眼科へ。これが済んで、そのまま桃大へ。今は学生も教員もほとんど登校していないので、学内は静かである。執筆に利用しない図書3冊を返還したが、返すときはいつもうんざりするほど重く感じる。図書館地下でガレノス発生論関係の文献をコピーし、また新たに重い図書を2冊借り出してきた。帰宅途中に狭山駅前で散発。外出に伴う費用と体力消耗が馬鹿にならないので、用事はまとめて片付けるように心がけている。

2018年2月15日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。休んでいる時に見るテレビは、もっぱらオリンピック中継。本日は女子カーリングの勝ち試合だったので、気分はいい。帰宅後はやや長文のメールを書いた後、わずかだがモーペルチュイの先在説批判の執筆を続行。

2018年2月14日(水)論文執筆
 家事雑用に多くの時間を取られたが、モーペルチュイの先在説批判の執筆にも着手。ハーヴィによるシカの胎児の観察によって先在説が否定をされると強調しているが、後にビュフォンはこのハーヴィーの観察自体を否するのだから面白い。

2018年2月13日(火)発生論史
 今日もまた、竹箒で雪を掃くことから始まったが、この雪も昼までにはほとんど消えていた。モーペルチュイ論執筆に際し、『生身のヴィーナス』を英訳で再読した。モーペルチュイは雌雄精液説の権威付けにデカルトの名を挙げているではないか。今回の論文では雌雄精液説を強調するので、急ぎ、 山田弘明ほか訳『デカルト医学論集』(2017)をネットで発注した。物入りだが、今月中の脱稿を目標にしているので他大学から借り出す余裕はない。

2018年2月12日(月)デイサービス
 朝、外に出ると雪が薄く積もっていた。新聞配達の跡が見えないので明け方の雪であろう。後で聞くと、本日は大阪全体が雪で、あちこちで故障車が見られたという。デイサービス「ポラリス大矢船」では朝の送迎が危険なので、午前の部は休んだとのことだった。
 午前中は家事雑用。午後は「ポラリス」で運動機能訓練。午前の利用者の一部も参加し、定員一杯の14名となった。午後の送迎に問題は無かったが、帰宅後は寒さと疲れで原稿執筆はお休み。せめてジャーナルを書いておこう。

2018年2月11日(日)論文執筆
 寒い中を午前中に電動車椅子で隣町のスーパーへ。これでエネルギーを使い果たしたか、気力喪失。それでも午後遅くなって論文執筆を再開したが、『生身のヴィーナス』に着手したところで本日も終わり。

2018年2月10日(土)J. History of Biology
 『生物学史研究』編集部から拙稿「JHBの50年」についてのコメントが送られてきた。細かく見てくれている。年代表記の間違いが2箇所。これはイージーミスといえるが、記事の掲載巻号を間違えていたのは情けない。
 修正稿を送信後、論文執筆。いよいよモーペルチュイに取りかかったが、本日は『白いニグロ』の出版事情だけで終わり。

2018年2月9日(金)論文執筆
 本日は、休み休みではあるが、論文「モーペルチュイとビュフォンの発生論と遺伝論」の執筆に集中し、第2章「雌雄精液論の系譜」と第3章「前成説と後成説」を書き終えた。このテーマに着手したとき、両人の発生論がヒポクラテス説の復活だったとは思いもしなかった。二次資料に頼ることの危うさを思い知った。今回、前成説・後成説については簡単に済ませたが、いずれ別稿で、その由来やさまざまに異なる語義について詳論すべきかもしれない。

2018年2月8日(木)デイサービス
 早朝、外に出ると雪が積もっているのでびっくりした。新聞配達のバイクの跡がないので明け方に降ったのだろう。後で聞くと、河内長野市内でも降雪は山沿いの地域だけだったらしい。この雪も昼までにはほとんど消えていた。
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。いつものメニューをこなしながら、頭の中では論文執筆の内容を考えていた。その結論に基づき、帰宅後に章立てを一部修正。少しだけ加筆して本日は終わり。

2018年2月7日(水)論文執筆
 「モーペルチュイとビュフォンの発生論と遺伝論」の執筆を本格的に開始し、まずは第1章「はじめに」を完了。2月末までに書き終えることが可能かもしれない。モーペルチュイとビュフォンにやや飽きてきたので、早く次のテーマ、ハーヴィの発生論に移りたいものだ。

2018年2月6日(火)ホームページ転送トラブル
 昨夜、ジャーナル更新のため、いつものように桃大のサーバーにファイル転送したが、転送失敗、エラー・メッセージが出てきた。本日、大学の情報センターに調べてもらったら、当方に割り当てられているスペースに余裕が無くなったためで、不要なファイルを削除して利用可能になったとのことだった。思いがけないことが起きるものである。
 午後は論文の第2章「前成説・後成説の語義」に着手。本論の執筆を急ぐので言葉の由来などは省略し、入れ子説をロジェに従って先在説と呼び、モーペルチュイとビュフォンについてはどの用語も用いないと記すに止めることにした。

2018年2月5日(月)デイサービス
 予報では昨夜は雪となっていたが、その気配は無く、朝のうちは日も出ていた。しかし昼前から雪になったり、日が出たりという不安定な天候。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。体調に不安があったが、一通りメニューをこなすことができたものの、帰宅後は疲労と寒さでしばし体が動かない。夜になってネットでガレノス文献を検索してみた。『精液論』の邦訳は無いようだ。1992年に英訳がドイツで刊行されているが、古書で2万円近いのでとうてい、購入できない。他大学の蔵書を借用するにも費用と手間がかかるので、躊躇する。とりあえず二次資料で我慢するしかないか。

2018年2月4日(日)論文執筆に着手
 『生物学史研究』に投稿予定の「モーペルチュイとビュフォンの発生論と遺伝論」の執筆に着手した。まだ準備は完了していないが、下調べばかりしていると気が晴れないので、下調べと並行して、書けるところから入力していくことにした。

2018年2月3日(土)発生論史
 ようやくビュフォン「さまざまな発生論の検討」の再読を終えた。ハーヴィの発生論を詳細に紹介した後、マルピーギを引用してハーヴィ説を否定している。モーペルチュイがハーヴィを援用しているのとは対照的である。モーペルチュイは雌雄の精液の混合後に種々の構造が順次、形成されるとしていたが、ビュフォンは混合後、一気に成体のミニチュアが形成されるとしていたためである。この点だけでもビュフォンの発生論を後成説と呼ぶことはできない。

2018年2月2日(金)腰痛再発
 昼近く、気温が上がってから電動車椅子で隣町に出掛け、スーパーなどで用件を片付けて帰宅。荷物を整理していたら、特別な動きもしていないのに突然、腰に痛みが走った。今回は症状が軽く、日常生活に影響するほどではなかったが、腸過敏症が治癒したと思ったら、腰痛か。歳のせいとはいえ、困ったものだ。

2018年2月1日(木)発生論史
 まだ腸過敏症の症状があるのでデイサービスは休むほかない。家事雑用の合間にビュフォン「動物の一般史」の第5章「さまざまな発生論の検討」をスメリーの英訳で読み始めた。すでに章全体にざっと目を通しているが、今回はヒポクラテス評価を中心にじっくり読まねばならない。ビュフォンはまずプラトンの観念論を批判し、それよりも経験論的なアリストテレスの発生論も形而上学的な原則にとらわれているという。これより古いヒポクラテス説を高く評価し、哲学者たちはアリストテレス説を支持してきたが、自然学者たちはヒポクラテス説を支持してきたという。この後、時代を一気に降ってハーヴィの発生論になるが、本日はここまでで集中力が途絶えてしまった。

2018年1月31日(水)ソフトバンク回答
 薬の効果か、元通りとはいかないが体調はかなり回復してきたものの、家事雑用で一日が終わってしまった。午後、ソフトバンクから速達が届いた。1月10日付けで送った「おうちのでんわ不通への対応について」(質問状)への回答である。本社の「お客様相談室」という部署からであった。質問条項に対し、一応、きちんとした回答がなされていたが、驚くべき内容もあった。電話不通への対応で最も腹が立ったのは、カスタマーセンターでは「技術者からの連絡を待て」というだけなのに技術者からは一切、連絡が無かったことである。ところが回答文には、「技術部門の担当者は基本的に直接お客様対応をしておらず」、「お客様へのご連絡はコールセンターの役割となっております」、「社内連携ミスでございました」とあった。重大なことを部署全体で誤解していたとは信じられないくらいである。この会社、本当に信用して大丈夫なのだろうか。
 とうてい納得できる回答ではないし、いいたいことは山ほどある。元気なころなら責任追及を続けたかもしれないが、今はその気力が無い。

2018年1月30日(火)体調不良
 数日前からお尻のしまりが悪いと感じていたが、昨日の夜からこれがひどくなった。5年前に患った腸過敏症と似た症状である。午前中に福岡医院に行き、前回と同様、トリメプチンを処方してもらったが、急速に治るわけでもない。食欲も無く、全身がだるいので、終日、ぼんやり過ごした。

2018年1月29日(月)猿之助、中車、羽左衛門
 昼にNHK・Eテレ「にっぽんの芸能」の再放送を見てからデイサービス「ポラリス大矢船」へ。今回は「新名人列伝 歌舞伎いぶし銀の至芸」というタイトルで、「初世市川猿翁、八世市川中車、十七世市村羽左衛門3人の歌舞伎俳優の至芸を紹介」とうたっているが、「猿翁」の名にはなじみがない。自分にとっては「二世猿之助」であった。ネットで調べると猿之助の「修禅寺物語」は1957年9月の歌舞伎座らしい。大学に入って歌舞伎座に通うようになって間もなく、初めて見た「修禅寺物語」に衝撃を受けた記憶がある。あれはこの舞台だったのかもしれない。中車の「髪結新三」の家主長兵衛は1971年6月の国立劇場。この舞台は間違いなく見ている。髪結新三は松緑、弥太五郎源七は羽左衛門であった。その後、勘三郎の髪結新三なども見ているが、長兵衛はいまだにこの時の中車で記憶している。この公演の途中で中車は亡くなっている。羽左衛門は「刈萱・いもり酒」の新洞左衛門。羽左衛門晩年の舞台のようだが、ネットでは検索できなかった。猿之助あるいは中車ならとにかく、羽左衛門の代表作として新洞左衛門はいかがか。解説の渡辺保もそういう批判を予想していたらしく、言い訳をしていた。弥太五郎源七でもよかったと思うが、「十六夜清心」の白蓮で見たかったな。こういう機会に昔の舞台を思い出すのが楽しい。

2018年1月28日(日)発生論史
 ガレノスの精液論についてあちこちの文献を探ってみた。グラスにもテラルにも、モーペルチュイの雌雄精液論はガレノス説の復活であるという指摘がない。彼らが知らなかったはずはないと思うが、なぜ、ガレノスを無視しているのか、不可解である。

2018年1月27日(土)確定申告書印刷
 入力したデータを印刷し、ポスト投函の準備も終えた。還付申告は1月中に提出できるが、この寒さではポストまで行くのも躊躇する。元気なころなら1日で済んだ作業が3日がかりになってしまったが、体が動かないので仕方ない。とにかく春先の憂鬱な作業が終わった。

2018年1月26日(金)確定申告書作成
 昨日、途中まで入力して保存したデータがどこにあるのか分からなくなり、最初から入力し直したが、2度目の入力は早く済んだ。

2018年1月25日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。相変わらす体調がすぐれないので月曜と同じく運動量は半分にした。午後は国税庁のソフトを利用して確定申告書の入力を開始。

2018年1月24日(水)発生論史
 寒い日が続いている。体調不良と家事雑用でまともに本も読めなかったが、本日、ようやくアリストテレス(島崎三郎訳)『動物発生論』第1巻を読むことができた。かつて読んだときの書き込みも残っているが、ほとんど憶えていない。今回のように問題意識を持って読まないと内容が頭に定着しないということだろう。同書第1巻第17章でヒポクラテスの雌雄精液説を紹介し、第18章でそれを批判している。モーペルチュイもこれを読んでいるはずなので、『生身のヴィーナス』にはそれへの反論も含まれていると見てよかろう。この際、もう少しアリストテレス発生論に取り組んでおこう。

2018年1月22日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。ただし体調がすぐれないので運動量は半分にしたが、帰宅後、かえって体調が良くなった気がする。

2018年1月19日(金)発生論史
 昼前に田中整形外科で骨粗鬆症の薬をもらい、そのまま桃大へ。一昨日、常に持ち歩いている拡大鏡をロッカー室に忘れてきたのでそれを取りに行ったのだが、ついでに図書館で文献を借りだしてきた。執筆を予定しているモーペルチュイとビュフォンの発生論に関して周辺の問題も取りあげるといつまでもまとまらないので、昨年の研究会での報告内容、すなわち両者の発生論を一次資料に基づいて紹介することにしぼることにした。ライプニッツ哲学からの影響、あるいはカント哲学への影響などは後日の課題としよう。とはいえ、古代ギリシア以来の雌雄精液論、および「前成説・後成説」の語義の混乱については触れないわけにはいかない。当面、この二点についてめどを付けなければならない。

2018年1月18日(木)介護度審査
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅すると市役所から介護度審査結果の通知が届いていた。中身を見て愕然とした。カミさんの介護度がワンランク下げられていた。来月から生活パターンを変えなければならない。ケアマネもやってきて、てんやわんやの騒ぎになった。なんとか目安を立てることができたが、デイサービスの回数は半減させなければならない。家事もほとんどできない状態でなぜ下げられたのか不満はあるが、全国的に介護度審査が厳しくなっているため、どうしようもないらしい。

2018年1月17日(水)桃大
 朝早く狭山駅前の理髪店に寄ってから、桃大へ。あいにくの雨となったが、気温は3月並み。先週の寒さに比べれば雨でも暖かい方がありがたい。学部も大学院も今週で授業が終わるため、学内はなんとなくざわついている。それでも図書館に立ち寄ったりしていると気分転換になり、生物学史研究への意欲が回復してきた。帰宅後、久しぶりにジャーナルを書いている。

2018年1月16日(火)研究停滞
 ここ数日、疲労感と家事雑用で遺伝学史研究がまったく進展していない。ジャーナルを書く気にもならない。老齢でやむを得ないとはいえ、困ったことだ。

2018年1月15日(月)玉三郎の「道成寺」論
 昨日からカミさんが風邪をこじらせて寝込んでいるため、二人ともデイサービスは休むほかない。そのため、昼に放映されたNHK「にっぽんの芸能」の再放送「伝心~玉三郎かぶき女方考~“京鹿子娘道成寺”」をゆっくり見ることができた。東京で歌舞伎座に通っていた頃、歌右衛門、梅幸、先代芝翫らの「道成寺」を繰り返し見ているが、玉三郎では見ていない。中川右介『團十郎と歌右衛門』によれば、歌右衛門が君臨している間は玉三郎が歌舞伎座の舞台に立つことは少なく、歌舞伎座で初めて「道成寺」を踊ったのは1984年であったという(p.143)。玉三郎によれば、「道成寺」には生きることに伴うさまざまな「恨み」が込められているという。鐘への恨みはそのシンボルとみなしているのだろう。深読みに過ぎるという気がしないでもないが、玉三郎の「道成寺」を見る機会があれば、この解釈を念頭に置いて見てみたい。長時間の「道成寺」を見ていると、「くどき」が終わった時に緊張がゆるみ、後は鐘入りを待つという気分になる。玉三郎は、「くどき」の後の「鞨鼓の舞」をエネルギッシュに踊って観客を引きつけなければならないといっていた。観客の気分がここで緩むことは踊り手も分かっているのだと知って、なんとなく安心した。このシリーズで次に何を題材にするのか、楽しみである。

2018年1月12日(金)英単語「サイエンティスト」
 一昨日、桃大図書館でコピーしてきた唯一の論考を読んだ。D.P.ミラー「『サイエンティスト:ある用語の物語』の物語」Ann.Sci., 74, NO 4(2017).科学史家なら誰でも知っているシドニー・ロスの古典的論文(1962)について論評したものである。この論文でロスは、英単語「サイエンティスト」は1834年にヒューエルが匿名書評の中で初めて用いたことを明らかにした。ロスの論文は、19世紀における科学者の社会的地位を論じる諸論考で必ず引用されるようになるが、それはロスの本来の意図とは異なっていた。科学の進歩による社会的貢献を信じていたコロイド化学者のロスは、「サイエンティスト」が誤用されていることを憂え、その由来を明らかにして「サイエンティスト」の用法を正そうとした、と著者はいう。JHBの新編集者が、古典的論文について議論する場を設定すると述べているのは、Ann.Sci.のこうした取り組みを参考にしたのであろう。

2018年1月11日(木)デイサービス
 早朝5時には雪が降っていたが、6時には降り止んでいた。午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。昼過ぎに帰るときには道路の雪も無くなっていた。帰宅後も家事雑用で疲れたが、夜になって、「JHBの50年」の原稿を修正して印刷を済ませ、『生物学史研究』への「投稿票」も用意した。編集部に郵送するばかりになったが、この寒さではポストまで行く気にならない。来週の水曜日の登校時に投函すれば良いだろう。

2018年1月10日(水)桃大
 大学院授業のため桃大へ。授業前にまず図書館地下の雑誌書庫に入り、JHB創刊50周年紹介記事の内容を実物で確認した。この後、2階の新刊雑誌コーナーに行き、科学史の洋雑誌数種に当たった。読みたい論文もあるが、今はその余裕が無い。書評欄で紹介されている近刊書に無視できないものがある。

2018年1月9日(火)ソフトバンクへの質問状
 予定していた雑件の半分しか片付かなかったが、ソフトバンクへの質問状を一部修正し、明日、投函できるようにした。いくら何でも「なしのつぶて」ということはないだろうが、どこまで誠実な回答が来るかは疑わしい。

2018年1月8日(月)成人式
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。娘の成人式のため朝5時から美容院に行ったというスタッフもおり、成人式に行く孫が挨拶に(お祝いをもらいに)来たという利用者もいた。成人式と聞くたびに、区役所のミスで自分には招待状が送られてこなかったことを思い出す。和装業者の詐欺で振り袖を着ることができなかった女性たちにとっては、苦々しい思い出の成人式となることだろう。

2018年1月7日(日)発生論史
 年明けからの1週間、家事雑用と体調不良で研究が進展しなかったが、ようやく発生論史に取り組むことができた。モーペルチュイとビュフォンの発生論をまとめるに当たり、18世紀発生論史を再確認するため、ケンブリッジ研究シリーズ「哲学と生物学」の一つ『近世哲学における動物発生論』(2006)に着手した。編者(Justin E.H.Smith)の序論によれば、発生学が専門分野となった19世紀以降は発生学と哲学とは無縁な分野となったが、アリストテレス以来、18世紀まで、動物発生論と哲学とは互いに深く影響を及ぼしていたという。ハーヴィからカントまで、17本の論文が収録されている。モーペルチュイとビュフォンについても、新たな認識が得られるであろう。

2018年1月4日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。スタッフにとっても利用者にとっても仕事始めであった。午後は家事雑用で終わり。

2018年1月3日(水)ソフトバンクへの質問状
 昨日の疲れのため、昼間はぼんやりしていたが、夜になってソフトバンクへの質問状を書き上げた。12月1日から使い始めたソフトバンクの固定電話が12月15日に不通になり、21日に回復するまでソフトバンクの対応はひどいものだった。電話というライフラインの事業者として信じられないくらい無責任であった。質問状に対しは通り一遍の回答が来るだけかもしれないが、このまま泣き寝入りするのも口惜しい。やれることは、やってみよう。

2018年1月2日(火)嵯峨・二尊院
 カミさんのお供で例年通り、正月2日に京都嵯峨野の二尊院へ。天候はまずまずで、恐れていたほど寒くはなかったので助かったが、それでも疲労困憊。とにかく年頭の難行苦行は終わった。

2018年1月1日(月)年賀状
 穏やかな元日となったが、外出する気は無い。本日のメインイベントは早朝に配達されてきた年賀状への返礼宛名書き。同級生たちの多くは今年中に80歳になるが、それを機にしてだろうか、来年から年賀状を止めるという者もいる。運転免許証を返納したため行動範囲が狭くなったと嘆く者もいる。免許証の有無の関わらず、80歳に近づくと外出自体が億劫になるように思える。
 今年もNHK中継のウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサートを聞きながらジャーナルを書いている。

2018年1月1日(月)今年は何をするか
 昨年からの目標は、「遺伝の観念の誕生」についてまとめること。まず、ビュフォンとモーペルチュイの発生論と遺伝論についての研究成果をペーパーにしなければならない。これが済んだら、次はハーヴィの発生論と遺伝論。ついでに、近年のハーヴィ論全体を展望しておくのもよい。
 生活面では週2回のリハビリが中心になるが、文楽には何回行けるだろうか。遺跡探訪は無理だが、奈良の仏さんたちには会いに行きたい。

2017年12月31日(日)今年は何をしたか
 本年元日に書いた「今年は何をするか」を見ると、まず、ジャコブ『生命の論理』を精読し、次いで論文集『遺伝の観念の誕生』(2007)の書評を書くとある。『生命の論理』の邦訳(みすず書房 1977)が極端な悪訳だったため、結局、英訳で読み通した。論文集『遺伝の観念の誕生』(2007)の書評を書く余裕はなかった。個々の論文を引用することはあっても、全体を紹介するのは難しい。しかし、ビュフォンとモーペルチュイの発生論と遺伝論については研究会で報告することができた。年末にJHBの紹介記事を書いたことも楽しい作業であった。
 外に出掛けることが年々減少している。文楽には3回(1月「安達原」、4月「寺子屋」、11月「八陣」)、ラブリーホールには2回(2月「ドイツレクイエム」、6月「ホフマン物語」)。寺社は興福寺(3月)と平等院(5月)、展覧会は大阪市立美術館の木彫仏展(6月)だけ。遺跡探訪はゼロ。体力、気力、財力、全てが不足しているためだが、週2回、リハビリに通っているため時間の余裕も無い。しかしこれで運動能力が維持されているので、外歩きよりも優先しなければならない。生物学史研究がますます面白くなってきたので退屈するということは無いが、仏さんたちにはもっと頻繁に会いたいものである。

2017年12月31日(日)ジャーナル執筆
 昼間は家事雑用で終わってしまったが、夜、NHKテレビで第九を聞いてから、「今年は何をしたか」と「今年は何をするか」を書いている。

2017年12月30日(土)J. History of Biology
 年内最後のゴミ出しをして、注連飾りを取り付け、カレンダーを取り替えて、新年の準備は終わり。JHBの紹介記事は書き終えたつもりだったが、気になるところがあって一部修正し、初代編集者のメンデルソンと第2期編集者のアレンについては業績も書き加えた。さすがにこの作業に飽きたので、今度こそはこれで打ち切り。

2017年12月29日(金)J. History of Biology
 午前中は家事雑用、午後は落葉掃除。腰痛も気になるが、年末なので放っておくわけにもいかない。疲れ果てたが、一寝入りして、やや回復。昨日書き終えたJHB50周年記念の紹介記事を見直して一部修正。新年の登校時に冊子体で確認してから送稿するとしよう。年末に一仕事できたことになる。

2017年12月28日(木)J. History of Biology
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。運動しながら、『生物学史研究』に投稿するJHBの紹介記事の内容を考えていた。帰宅後は家事雑用で疲れたが、夜になって紹介記事の執筆を継続し、一応、書き終えた。興が乗っている作業なら、疲れを乗り越えて取り組めるものである。

2017年12月27日(水)J. History of Biology
 今日こそは少しでも科学史に取り組まねばならない。さしあたりの作業は、標記の洋雑誌の創刊50周年記念を『生物学史研究』に紹介する記事を書くこと。編集者の変遷などをまとめる過程で、科学史の世界の状況を知ることにもなった。科学史家らしい一日を過ごすことができた。

2017年12月26日(火)無為
 午前中、家事雑用に追われ、午後は疲れて、休むだけ。今日もまた、何もできなかった。

2017年12月25日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。月曜午後の利用者には昭和7年生まれの男性と女性がいるが、新たな参加者は昭和5年生まれの男性であった。おしゃべりも行動もしっかりしている。お元気な年長者がいると、良い刺激になる。

2017年12月24日(日)無為
 昨日の心身快調は続かない。ぼんやりと一日を過ごしたが、ま、いいか。

2017年12月23日(土)賀状印刷
 午前中に、まずは年賀状印刷。数年前から基本的に返礼の形だけにしているので、今回は30枚で足りるであろう。とはいえ4通だけは宛名を書いて投函準備。挨拶文は、「デイサービスでリハビリに励む日々ですが、昨年は研究会報告が2回、今年も引き続き遺伝学史の刷新に向けて努力します」。
 次いで、来年度の大学院講義シラバスを入力完了。これで年内に処理すべき作業は終わった。午後は電動車椅子で隣町のスーパーへ。我ながら妙に元気だ。躁状態にあるような気がする。固定電話騒動で気が立っているのかもしれない。

2017年12月22日(金)西日本大会資料
 午前中に電動車椅子で隣町の郵便局に行き、科学史西日本大会第12回(2008)までの紙資料を瀬戸口さんが在職する京大人文研に送った。個人で保管していたら、いずれ廃棄されてしまう。しかるべき機関に預けておけば、歴史資料として保管されるであろう。心配の種が一つ片付いた。
 我がHPの「西日本大会」のページには第14回(2010)までのデジタルデータを掲載しているが、そのページに、日本科学史学会HPの「west-japan」のページへのリンクを張った。そこには第15回(2011)以降のデータが掲載されている。
 ここまでの作業で疲れてしまったが、夜になって2日分のジャーナルを書いている。

2017年12月21日(木)固定電話回復
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。固定電話の不通が心配で睡眠不足になっており、ポラリスでも寝込んでしまうことが多かった。帰宅後も依然としてソフトバンクから連絡がない。ケータイから電話をすると、今回、電話口に出たのは男性職員であった。不通の状態を確認すると、無線で送受信する「おうちのでんわ」の機器が別基地の電波を受信しているという。機器の電源をオフ・オンすることで正常になるはずだという。数回繰り返しても正常にならない。機器を交換することになったが、この電話を切った後も電源オフ・オンを繰り返していたら、正常になり、やっと外部の諸機関と連絡できるようになった。
 不通になった先週金曜日当日に、この対応ができたはずではないか。不必要に心身を消耗し、時間を無駄にしてしまった。電話というライフラインの事業者として、無責任極まる。一段落したらソフトバンクに抗議文を送ろうと考えている。

2017年12月20日(水)Journal of the History of Biology
 朝はまず北野田の日野歯科医院で半年毎の検診を済ませ、その後、大学院授業のため桃大へ。昼食前の1時間、図書館で標記の雑誌の第49巻(2016)と第50巻(2017)の計8冊の内容を点検した。いつもは新刊洋雑誌に当たる余裕が無かったので、久しぶりの作業である。JHB第50巻の各号には創刊50周年を記念する記事が掲載されていた。国際的に見ても生物学史研究が専門的な研究領域となってから半世紀経つことを意味している。この件を『生物学史研究』で紹介してもよいかもしれない。
 この8冊に掲載されている原著論文のうち、ダーウィン本人に関するものは蔓脚類研究を分析した論文(50巻2号)だけであった。ダーウィン周辺に関するものも、マクリーの五員環分類体系(49巻1号)、長男レナードの優生学(49巻3号)、それとジェームソンらエジンバラ学派の進化論(49巻3号)をテーマとした3件だけであった。毎号のようにダーウィンに関する論文が掲載されていた創刊直後の時代と比べ、生物学史のテーマが多様化してきた現れであろう。また、49巻4号はG.アレンの20世紀生物学史についての特集号になっている。これも50周年記念の一つと見てよいだろう。50巻1号の巻頭の2本の論文はラマルキズムの影響を考察しているが、これも編集者のなんらかの意図によるものかもしれない。
 固定電話は不通のままである。ソフトバンクのサポートにケータイで問い合わせても「待て」というだけで、事情説明は一切無い。

2017年12月19日(火)研究歴整理
 昨日の疲れもあってだらだらしていたが、夜になって元気回復。ここ数年、取り組んできた遺伝学史研究の研究歴を整理してみた。科学史西日本大会の資料を整理したときに、自分自身の研究歴を整理していないことに気付いたのである。その結果を、近くこのサイトの「研究業績」のページにも反映させたい。
 2013年6月の生物学史分科会シンポジウム「生物学史と生物教育」で、日本の生物学史家にメンデル神話が広まったままであることが分かり、新たな遺伝学成立史の必要を感じたのであった。
 固定電話は不通のままである。

2017年12月18日(月)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。高野線三日市町駅の掲示板に、阪急京都線は午前9時20分ごろに上新庄駅で起きた人身事故のため止まっているとあった。とにかく梅田まで行くと、午後1時頃にほぼ正常運転にもどったようだった。帰宅後に知ったニュースによると、視覚障害のある女性(89)がホームから転落し、電車にはねられたという。女性は緑内障のため両眼の視野が大きく欠けていたという報道もあった。他人事ではない。
 渡月橋から続く嵐山のメイン道路は相変わらず混雑していたが、二尊院境内は先月の紅葉期とは打って変わった静かさだった。先月は参拝者であふれていたが、本日はときたま入ってくる程度だった。寒い日ではあったが、風の無いのがさいわいだった。
 家の固定電話は不通のままである。

2017年12月17日(日)西日本大会資料
 科学史西日本研究大会の第1回(1996)から第12回(2008)までの資料の整理を終え、後は梱包して発送するだけになった。第1回は桃山学院大学で「日本科学史学会関西研究大会」の名称の下に開催したが、その後は開催校の世話人の判断によって別の名称が用いられ、現在では「科学史西日本研究大会」に落ち着いている。第14回(2010)までのデータはこのサイトの「西日本大会」のページに掲載しているが、2009年の定年退職以降、研究会の運営に携わらなくなったので、データ掲載も取りやめた。以降は瀬戸口さんらが中心になって運営されている。当方の手元にある第12回(2008)までの紙資料も瀬戸口さん方で保管してもらうよう、昨年の研究会で要請し、受け取ってもらえることになったが、資料整理が億劫でそのままになってしまった。やっと発送できる形になり、ほっとしている。
 作業を続けながらも固定電話不通のことが頭を離れない。各方面に連絡先として固定電話の番号を通知しているので、大事な連絡があっても受信できない。ソフトバンクはこうした利用者の不安、不都合を無視しているとしか思えない。

2017年12月16日(土)電話不通
 昨夜、電話が回復したと思ったのは一瞬の夢であった。また不通になり、今度は営業マンも対処できない。ソフトバンクに電話しても対応は変わらず、二三日後になるという。調査に時間を要するからという言い訳だが、土日は休んで月曜に対処するということではなかろうか。どうしようもない。つくづく固定電話を切り替えたことを後悔している。
 このことでなんとなく気力も萎え、一日中、ぼんやり過ごした。西日本大会が終わったことで、無意識のうちに脳が休んでいるのかもしれない。

2017年12月15日(金)電話不通
 寒さが若干、緩んだ気がする。本日は心身ともに快調だったが、固定電話の不具合に振り回される一日になってしまった。料金がかなり安くなるというので12月1日からソフトバンクの「おうちの電話」を利用しているが、朝、電源を付け替えたら利用不能になってしまった。ケータイでソフトバンクに問い合わせたら、技術部門に連絡するので待って欲しいという。4時間待っても連絡が無いので再度、問い合わせたら、原因調査に少なくとも二三日は要するという。冗談じゃない。なんと無責任な対応だろう。そこで思いついたのが、この電話への切り替えを薦めた販売会社の営業マンに電話すること。1時間後に連絡があり、ケータイで相談した結果、ようやく電話が回復した。要点は、電話機本体の電源を一旦、切ってみるということだった。営業マンはこれまでに同様の処理を経験していたという。ソフトバンクの技術部門がそうした対応法を知らないはずはなかろう。それなのに原因調査は二三日後とは信じがたい。電話事業の責任感が皆無である。以前、ソフトバンクのケータイを使っていたときから不信感を持っていたが、やはりこの会社は避けるべきだったな。
 それにしても、普通に生活しているだけでも、思いがけないトラブルに見舞われるものである。

2017年12月14日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は寒さと疲労で何もする気にならない。とはいえ動物学事典の締め切りが本日なので、夜になって「ラマルク」と「ダーウィン」の索引原稿をそのまま丸善編集部に送信しておいた。
 ところで、本日は極月の十四日だというのに、テレビに忠臣蔵ものが見当たらないのが寂しい。

2017年12月13日(水)桃大
 大学院授業で桃大へ。とにかく寒い。人一倍寒がりなので、身も心も縮んでしまう。図書館にもぐる気力も無い。帰宅後も家事雑用で終わり。

2017年12月12日(火)索引項目
 寒さは続いているが、心身は昨日よりはるかに元気になった。外出で疲れても、まだ一日休めば回復するようだ。本日、自らに課した作業は、丸善『動物学の百科事典』の執筆項目、「ラマルク」と「ダーウィン」の解説文から索引語を抽出し、索引原稿を作成すること。「ラマルク」には多くの動物名が登場し、その英語名を確認するのに手間取ったが、家事雑用の合間に作業終了。後日、原稿を見直して送稿することにしよう。

2017年12月11日(月)無為
 デイサービスは休むことにしたが、寒さも寒し、何もする気にならない。最近は外出するだけで疲れてしまうようだ。

2017年12月10日(日)科学史西日本研究大会
 標記の研究会に参加のため、天満橋の追手門学院・大手前ホールへ。午前中に7本の発表があるのだが、体調も考慮して午後から参加。午後の報告11本もほとんどは物理学史関係であった。生物学史としては唯一の当方の報告「モーペルチュイの発生論と遺伝論」にどれだけ関心を持ってもらえたか分からないが、とにかくこれで一区切り。できるだけ早くペーパーにしなければならない。

2017年12月9日(土)一休み
 昨日、今日と寒い日が続き、気力も萎える。研究会の準備が終わり、なんとなくぼんやりしている。読むべき文献が目の前にあるが、ま、いいか。

2017年12月7日(木)デイサービス
午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後は家事雑用で疲労困憊。本日はこれで終わり。

2017年12月6日(水)桃大
 朝、狭山駅前で散髪を済ませてから、桃大へ。大学院授業後に10日の研究会で配布する資料、pptスライド24枚をA3両面に印刷。これで研究報告の準備は完了した。

2017年12月5日(火)モーペルチュイ研究
 J.S.Wilkie(1967)によるロジェ『18世紀フランス思想下の生命科学』(1963)の書評を読了。ロジェは17世紀と18世紀の生物学を3期に区分しているが、ウィルキーによれば、第一期「デカルト主義の時代」と第二期「入れ子説の時代」についてのロジェの分析はほぼ妥当だが、第三期の18世紀後半についてはまとまりがないと批判している。この書評で注目すべきは「付論」(appendix)の部分である。ロジェが「入れ子説」を「先在説」と呼び、「前成説」を別の意味で用いていることについて、ウィルキーは混乱をもたらすだけで正当な理由はないと批判している。我がペーパーでは「前成説」をいかなる意味で用いるか、慎重に考えなければならない。

2017年12月4日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日からウォーキングの量をやや増やすことになった。帰宅後も家事雑用で本日は終わり。

2017年12月3日(日)モーペルチュイ研究
 午前中は自治会共同の溝掃除。一息ついてから、『生身のヴィーナス』(英訳)の第2部を読了。人種論の中でフランス女性の魅力を讃えているのは、サロンでの話題を意識してのことだろう。この後、久しぶりに落ち着いた気分になったので、発表用スライドの一部を修正し、ジャーナルのまとめ書きをしている。

2017年12月2日(土)丸善『動物学の百科事典』
 項目「ラマルク」と「ダーウィン」の初校を校訂し、返送の準備を済ませた。どちらも見開き2ページで、ほとんど直すところはない。この後、昨日から読み始めた英訳『生身のヴィーナス』を読み継ぎ、第1部を読了。同書の内容の再確認である。厳密な科学的議論と、貴婦人を意識した性愛論とが入り交じっている。

2017年12月1日(金)モーペルチュイ研究
 午前中は家事雑用に追われたが、午後になって、テラル(1996)の論文「サロンとモーペルチュイ」を読了。その内容は単行本(2002)にも盛られているが、要するに、『生身のヴィーナス』はパリのサロンで話題になることをねらって書かれているという。また、男女の性愛とそれに伴う喜びは自然の営みであり、恥ずべきものではないと説くのはフランス啓蒙思想に特徴的な主張であったという。『生身のヴィーナス』という奇妙なタイトルや、文中でしばしば科学的内容から逸脱していることが、テラルのこの指摘で理解できるようになった。

2017年11月30日(木)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日は3ヶ月ごとの体力測定があったので、いつもより運動量が多くなった。帰宅後も家事雑用で疲労困憊。夕食後、さっさと寝るほかない。

2017年11月29日(水)桃大
 大学院授業で桃大へ。授業前に図書館でヒポクラテス「生殖について」の続編「子供の自然性について」(近藤均訳)を読む。子宮内で雌雄の精液の混合体が空気(プネウマ)によって分化し、その後、母体の血液によって成長するという。現在の知識で無理に解釈せず、そのまま漠然と受け取っておけばよいだろう。

2017年11月28日(火)スライド完成
 本日も家事雑用に追われたが、なんとか学会報告pptスライドの点検、補充に取り組むことができた。モーペルチュイ研究の一次資料と二次資料を記載し、スライド枚数はちょうど24枚。A3裏表に全てを印刷し、会場で配布することができる。

2017年11月27日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後も家事雑用で本日は終わり。

2017年11月26日(日)西日本大会プログラム
 今日こそモーペルチュイ研究再開と意気込んでいたが、昨日の疲れがあるうえに、なんやかんやと家事雑用に追われ、結局、なにもできなかった。しかしメールを開けると、12月10日科学史西日本大会のプログラムが届いていた。報告件数は18と多いが、大半は物理学史関係で、生物学史は当方の「モーペルチュイの発生論と遺伝論」だけというのが寂しい。

2017年11月25日(土)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。予想できたことではあるが、紅葉を楽しむ人の群れで嵯峨野は大混雑。タクシーは遠回りして行くほかなかった。二尊院の参拝者も一年で一番多かったのではなかろうか。今年の紅葉も見事であった。

2017年11月24日(金)文楽11月公演
 国立文楽劇場、昼の部。最初が「八陣」、30分の休憩を挟んで、「鑓の権三」。歌舞伎・文楽ではどちらも有名な作品だが、実際に文楽で見るのは初めだと思う。歌舞伎の「八陣」では正清が「御座船」の舳先で切る見得が見所だが、文楽では太夫(靖太夫)の大笑いが聞かせどころになっていた。「正清本城の段」は呂太夫。祖父・若太夫だったら、もっと豪快な場になっていただろうなと思いながら聞いていた。時代物として楽しめる作品ではあるが、清正人気の衰えた現代では上演が少ないのもやむを得ない。
 「鑓の権三」も初演以降、再演されることはなかったが、明治期に歌舞伎で上演され、文楽では昭和30年に復活されたという。いかに近松の作品とはいえ、亭主の単身赴任中に女房が稀代の色男に岡惚れするという設定が観衆の共感を呼ばないのではなかろうか。最後の「女敵討ちの段」では盆踊りを見せた後で、女敵討ちの場になる。近松らしくないので、帰宅後、原作を確認すると盆踊りの歌詞などは無かった。この段は復活時に「伊勢音頭」を参考にして、野澤松之輔が作詞作曲したのであろう。それでも清治に率いられた三味線五丁が耳元で鳴るのがうれしかった。
 「鑓の権三」で女房おさいを遣っていた人形の吉田和生が人間国宝に指定されていたことを初めて知った。ニュースを見逃していたようだ。勘十郎と玉男が同期らしいが、その中でまず和生が指定されたことは妥当であったと思う。文楽のためにも良かった。咲太夫が綱太夫を襲名して人間国宝になれば、もっと盛り上がるだろうに。

2017年11月23日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後はまたしても家事雑用で終わったが、夕食後、今日は気力が残っているので4日分のジャーナルを書いておこう。モーペルチュイ研究が進展しないことに苛立ちもあるが、しかたない。

2017年11月22日(水)桃大
 大学院授業で桃大へ。帰宅途中、和泉中央駅近くの百均で買い物。数年前から卓上カレンダーは百均のものを利用していたが、手帳も今の自分には十分なものがあることに気付いた。帰宅後はまたしても気力体力が尽きて早くに寝るほかない。

2017年11月21日(火)近大眼科
 朝一番に近大病院へ。本日は眼圧測定と診察だけなので1時間ほどで全てが終わった。緑内障の状況はほぼ変化無しということか。帰宅、家事雑用の後、なにかをする余裕が無くなっていた。今は外出するだけで疲れてしまうようだ。

2017年11月20日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。今日はこれだけで全て終わった。

2017年11月19日(日)モーペルチュイ研究
 連日外出の疲れが出たのだろう、昨日はほとんどぼんやり過ごしたが、本日はなんとかロジェ『18世紀』(英訳)の第3章第3節(neoterics)を読むことができた。ここではロジェが18世紀の先在(preexistence)説と区別して前成(preformation)説と呼ぶべきというLiceti(1616)らの説を解説している。彼らはヒポクラテス流の雌雄精液説を取り、親の体成分に由来する精液中の粒子によって胚が形成されるという。胚の成分がすでに精液中に存在しているという意味で、ロジェはこれを前成説としたのか。そうであればモーペルチュイもビュフォンも前成説になるが、ロジェは二人の発生論を前成説とは呼んでいない。どうもすっきりしない。

2017年11月17日(金)近大眼科
 静的視野検査のために費やした一日だった。緑内障治療には欠かせない検査なので、この40年間、毎年1回は受けてきたが、目も神経も疲れる検査である。今回はこれがダブルで実施されたので、疲労感も尋常ではない。朝は9時に家を出て、帰宅したのは4時。何かをする余力など、残っていない。

2017年11月16日(木)ガリレオ・ガリレイ
 本来なら午前中はデイサービスで運動機能訓練のはずだが、外出が続くので本日は休むことにした。骨休みのつもりだったが、家事雑用に追われる一日になってしまった。せめてここで、世間の科学史軽視に対する憤懣をぶちまけておこう。
 一昨日の報道で、高大連携歴史研究会が「世界史の教科書本文から削除すべき」と提案した人名の中に「ガリレオ」が含まれていることを知り、びっくりした。同研究会のサイトで「一次案」なるものを見ると、科学者で残されているのは、コペルニクス、ニュートン、ダーウィン、アインシュタインの4人だけだった(ただし膨大な表なので、他に見落としている可能性もある)。他の分野と比べ、科学史が軽く扱われていることは否めない。同研究会のメンバーを見ても科学史家は不在のようだ。科学史の基本を学んでいれば、ある意味、ガリレオがコペルニクスやニュートンよりも重要であることがわかるはずだ。また、1953年の「ワトソン=クリックのモデル」が世界を変えたというのに、二人の名も無い。文系の研究者たちの意識はこの程度か。科学史学会がなんらかの行動をおこしてもよいのではないか。

2017年11月15日(水)桃大
 昨日に引き続いて桃大へ。授業前の空き時間に図書館書庫にもぐり、大槻真一郎編集『ヒポクラテス全集』収録の近藤均訳「生殖について」に目を通した。全身から液体が送られて雌雄の精液が形成され、それが混合することによって子供が形成されるという。ギリシア時代のものを後世の知識で解釈するのは危険ではあるが、モーペルチュイの発生論がこれに類似していることは否定しがたい。テラルがこのことを指摘していないのが不思議なくらいである。
 大学院授業を終えて帰宅。元気が残っているつもりだったが、夕食後に疲れが出てなにもできない。せめてジャーナルだけでもと、テレビの演歌を聞きながらこれを書いている。

2017年11月14日(火)近大眼科
 朝から冷たい雨。河内長野駅構内の喫茶店で、なんでこんな日に出掛けるのといわれたが、時間指定の予約日なので仕方ない。病院では散瞳薬の効果待ちに30分、2種類のレーザー検眼鏡検査で30分。網膜と視神経の状態を見るのだという。本日はこれで終わり。外出ついでに桃大にまわり、図書館で他大学から借用したモーペルチュイ文献のコピーを取る。高額の手数料を覚悟していたが、今は往復の郵送料だけになっていた。明日も出校するが、時間の余裕がないので今日中に片付けることにした。しかし雨の中、せっかく複写した文献を自宅に持ち帰るのは無理。帰宅後は疲れて何もできない。せめてジャーナルだけでも書いておこう。

2017年11月13日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。際限の無い落葉掃除。しばらくは数日おきにやらねばならない。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。落葉掃除で腰に負担を感じていたが、無事、訓練を終えることができた。帰宅、夕食後、頭を使う作業はお休みして、テレビ(高野線発見旅)を見ながらジャーナルを書いている。

2017年11月12日(日)モーペルチュイ研究
 この4日間、ロジェ『18世紀』(英訳)の第2章を読んできた。最初の2日ははかが行かなかったが、昨日と今日で読み切ることができた。この章では17世紀前半の発生論を解説しているが、項目ごとにヒポクラテス、アリストテレス、ガレノスの説を紹介し、それが当時、どのように受容されていたかを記述している。モーペルチュイ発生論の背景についてもやもやしていた事項が、これによってかなりはっきりしてきた。雌雄の精液の混合という説はヒポクラテスに由来し、ガレノスに受け継がれ、17世紀の通説になっていた。全身からの成分が集まって雌雄の精液を形成するという説もヒポクラテスに由来するものだった。モーペルチュイの発生論は、ヒポクラテス説を機械論によって解釈したものといえるのかもしれない。

2017年11月8日(水)桃大
 朝、雨の中のゴミ出し、ゴミ当番はきつい。大学到着もいつもより遅くなり、慌ただしく教材印刷を済ませた。帰宅時には雨も止んだが、これだけのことで、夕食後には、どっと疲労感が出てきて、本日は終わり。

2017年11月7日(火)外出日和なのに
 昨日、今日と穏やかな外出日和が続いたのに、出掛けようとは思わない。数年前なら展覧会か寺社に出掛けたろうに、今は家にいる方を選ぶ。家にいても読みたいもの、研究すべきことがいくらでもある。これも老化現象か。
 午前中に福岡医院で予約していたインフルエンザ・ワクチンの注射。帰宅後、体調が良かったので、庭の落葉掃除。モーペルチュイ研究は一休み。

2017年11月6日(月)モーペルチュイ研究
 西日本大会(12月10日)発表用pptスライドの作成を一応、完了した。これから余裕をもって関連の二次資料に当たっていきたい。

2017年11月5日(日)モーペルチュイ研究
 ほとんど家事雑用で終わったが、2時間ほどはpptスライドに費やすことができた。全体を見直し、「自然の体系」と「動物の発生」についてスライド2枚を作成。後は多指症家系研究についてのスライドを作成するだけになった。

2017年11月4日(土)モーペルチュイ研究
 ほぼ終日、pptスライドの作成に集中することができた。講演の中心になる『生身のヴィーナス』の内容紹介スライドの作成を終え、全体の構成を確認した。今回はスライド枚数が24までに収まるだろう。

2017年11月3日(金)モーペルチュイ研究
 一昨日(1日)の夜半、アマゾンに発注した洋書、Yates, The Occult Philosophy in the Elizabethan Age (1979)の紙装版(2001)が昼前に届いた。古書扱いで1,700円だったが、中身は新品だった。大学院授業の教材として購入したものだが、この著者の作品を1点ぐらいは持っていたいという思いもあった。索引も充実しており、邦訳(晶文社 1984)よりも利用しやすい。
 午後になって、ようやく西日本大会(12月10日)発表用pptスライドの作成を再開することができた。『生身のヴィーナス』も「自然の体系」も出版の経緯がやっかいである。今回、これを整理する良い機会になった。

2017年11月2日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後は家事雑用。晩には気力も体力も尽きてしまった。

2017年11月1日(水)桃大
 朝は三日市町駅筋の田中整形に寄って骨粗鬆症の薬をもらう。午後、大学院の授業を終えてからの帰途、南海高野線は人身事故のためダイヤが乱れていたが、さしたる遅れも無く帰宅することができた。夜になって3日分のジャーナルを書いている。

2017年10月31日(火)授業準備
 明日の大学院の授業に備えて16世紀のオカルト思想について勉強し直した。一通りのことは心得ているつもりだが、調べ出すと切りが無い。魅力的な分野である。

2017年10月30日(月)竹本津太夫
 朝から体調が芳しくなかったが、なんとか最小限の家事をこなし、12時からテレビにしがみついてNHK「新名人列伝・文楽太夫の名人たち」の再放送を見る。登場するのは六世竹本住太夫、八世竹本綱太夫、四世竹本越路太夫、四世竹本津太夫の4人。解説はいつもの渡辺保。自分にとって「住太夫」といえば引退した七世住太夫であって、六世住太夫の記憶は無い。越路太夫の記憶はまだ生々しい。一番聴きたかったのは津太夫の豪快な語りだったが、紹介されたのは「新薄雪」の三人笑いであった。そういえば近年、「新薄雪」が出ていないのではないか。津太夫がインタヴューで、他の太夫が山城少掾の芸風なので自分は父三代津太夫の芸風を貫きたいと語っていたのが印象的であった。
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。運動量を半分に減らしたが、それでも帰宅後、7時には就寝してしまった。

2017年10月29日(日)ジャーナル執筆
 台風22号の影響で昼間は強い雨と風だったが、夕刻には台風も紀伊半島沖を通り過ぎていった。体調も万全とはいえないが、家事雑用をこなし、夜になって4日分のジャーナルを書いている。

2017年10月28日(土)モーペルチュイ研究
 昨日と今日の2日で、ボウラー(1971)の論文「17世紀の前成説と先在説」を読了。17世紀の発生論の分類に、ロジェの唱える「前成説」(preformation 受精前にミニチュア形成)と「先在説」(preexistence 創世時からの「入れ子」emboitement)に加え、ハーヴィ(1651)が「後成説」(epigenesis 胚がしだいに分化)の対抗理論とみなした「変成説」(metamorphosis 受精直後にミニチュア形成)を加えている。前成説や先在説の成立に関しては、顕微鏡観察の結果を過大視すべきではないという。当時の顕微鏡像はあいまいであった。そのため、理論に基づいて顕微鏡像が解釈されたのであって、顕微鏡像から理論が生まれたのではない。先在説成立の決定的な要因は機械論的自然観であった。マルピーギやスワンメルダムの発生論は先在説ではなかったが、後にハラーらが先在説の根拠として引用するようになったという。最後の脚注(52)では、ライプニッツの発生論の変遷過程を丹念に追っている。
 著者が示唆しているように、ビュフォンの発生論を上記の分類に当てはめれば、変成説に該当する。しかし、モーペルチュイの発生論はどれにも当てはまらない。ビュフォンの発生論はモーペルチュイのそれに基づいているので、二人の発生論は基本的に同じだが、モーペルチュイの場合はミニチュアが一時に形成されるのではなく、時間を掛けて形成されていく。しかしその材料は親の体の各部分に由来する粒子なので、後成説とみなすこともできない。
 17世紀、18世紀の発生論は、生物学史の概説書に記載されているほど単純なものではないことが分かる。しかしこの問題にこだわっていると、遺伝の観念成立史の研究が滞るので、とりあえず打ち切って、モーペルチュイについてのスライド作成に取りかからねばならない。

2017年10月26日(木)検診結果
 体調が芳しくないので午前のデイサービスは休み、そのかわりに電動車椅子で福岡医院へ。17日の検診の結果は異常なし。

2017年10月25日(水)桃大
 朝から微熱がある感じで頭が重い。それでも河内長野駅前で所用を済ませてから桃大へ。通常通りに大学院授業を終えての帰途、狭山駅前の理髪店で散髪の間に一眠りしたら、やや元気をとりもどした。寝不足だったのか。

2017年10月24日(火)モーペルチュイ研究
 ホフハイマー(1982)の論文「モーペルチュイと18世紀の先在説」を読了。掲載誌が届いた時に読み、『生物学史研究』の「最近の欧文より」で紹介した論文だが、すっかり忘れている。論文の最後に、モーペルチュイ『書簡集』 (1752)に収録されている「動物の発生」全文の英訳が付記されているのがありがたい。この小論で注目すべきは、ルーエ家の多指症の系譜である。

2017年10月23日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。天候の変化に追いつけず軽い風邪を引いたようだが、それでもけっこう、体が動く。デイサービスのおかげか、運動能力がかなり回復してきたように思われる。

2017年10月22日(日)モーペルチュイ研究
 なぜか早朝3時に目が覚めてしまった。時間を無駄にはできないが、この時間に横文字を読むのはしんどいのでグールド(新妻訳)『フラミンゴの微笑』第9章「隠喩が欠けていた」を読むことにした。英文を読み慣れているとはいえ、やはり邦文の方が楽に読める。この章題からは分からないが、モーペルチュイ『生身のヴィーナス』(1745)の発生論と遺伝論について論評したものである。グールドの見解はおおむね妥当だが、科学史の立場からは「はてな」と思う箇所もある。モーペルチュイが「卵や精子のなかにあらゆる部分の物質的な先駆体を見つけられると予想していた」(p.186)とあるが、これは正しくない。モーペルチュイは雌雄の精液のなかに顕微鏡でも見えない粒子が存在するとみなしていたのである。グールドは『ヴィーナス』を正確に読んでいないことになる。また、「あるドイツ人一家の三世代にわたる多指奇形の系図をまとめあげて」(p.189)、前成説批判の根拠としたとあるが、これは1752年刊行の小冊子でのことである。しかしグールドの記述では『ヴィーナス』に記載されていると理解するしかない。グールドはこの論評の最後に、モーペルチュイが「暗号化された指令」という解答に到達しなかったのは、「しかるべきメタファー(隠喩)」(p.195)が存在しなかったからであるという。章題はこのことを意味していたのである。
 グールドを読み終えて、また一寝入り。まともな時間に改めて起きたが、今日も終日の雨。衆院選のために投票所の自治会館まで歩いて行くのは困難なので、近隣の方の車で連れて行ってもらった。テレビの選挙速報は見る気もしない。戦後最悪の安倍政権の持続をもたらした小池と前原の罪は重い。
 午前中は家事雑用。午後遅くなって、テラルのモーペルチュイ評伝の第10章を参照しながら「自然の体系」について整理を終えた。「自然の体系」は物質の心的能力を論じているだけなので、今回の報告では簡単に扱うだけでよいだろう。

2017年10月21日(土)モーペルチュイ研究
 今日もまた、終日の雨。昨日の疲れもあって体調も今一つだが、モーペルチュイに集中。テラルの評伝(2002)第7章を参照しながら『生身のヴィーナス』全体の整理を終えた。これでようやく「自然の体系」に進むことができる。じっくり取り組みたいが、テンポを速めないと12月10日に間に合わない。

2017年10月20日(金)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。帰宅時の夕方にタクシーを配車してもらえない問題は、運転手さんに直接、連絡することでのりこえた。午後の嵐山に雨は無かったが、河内長野市内では一日中、降ったり止んだりだったという。雨の日が続く中で、ラッキーな止み間であった。

2017年10月19日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後は家事雑用で疲労困憊。読むべき資料が目の前に積み重なっているのに、あきらめるほかない。夜遅くなって3日分のジャーナルを書いている。

2017年10月18日(水)桃大
 大学院の授業のため桃大へ。本日は時間の余裕があったので図書館収蔵庫にもぐって雑誌論文3点をコピー。テラルがIsis(1996)に掲載した論文は、著者のモーペルチュイ評伝(2002)第7章の前身であった。テラルはI.サンドラー(J.Hist.Biol., 1983)の論文「モーペルチュイはメンデルの先駆者か?」を文献欄に記載していない。サンドラーの論文はメンデルが遺伝の法則の提唱者であることを前提にしている。この前提が否定されている現在では無意味な論文とみなされたのであろう。

2017年10月17日(火)健康診断
 朝は空腹のまま雨の中を福岡医院へ。今年度から肺のX線検査が有料(500円)になったのは妥当だろうか。とにかくX線写真も含め、当日、分かる範囲では異常なし。午後はモーペルチュイ研究。『生身のヴィーナス』第11章にはさまざまな動物の生殖行動が語られているが、テラルによれば、これはサロンでの話題提供を意図したものであるという。

2017年10月16日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。夕食後もさしたる疲れが無かったが、研究に取り組むのは無理と分かっている。パソコンに貯めてある過去の講義録から、明後日の大学院授業で用いるの教材を選んで印刷するのが精一杯であった。

2017年10月15日(日)モーペルチュイ研究
 『生身のヴィーナス』第1部のほとんどは卵原説と精原説を批判することに費やされ、著者自身の発生論を主題とするのは第17章だけである。その冒頭に「ダイアナの木」が登場する。硝酸銀水溶液に水銀を加えると銀アマルガムの結晶が樹木状に成長する。錬金術で重視されたこの現象にモーペルチュイも注目している。今日はこの「ダイアナの木」とジョフロアの「親和力」について調べてみた。物質自体に内在する能力を強調するのがモーペルチュイ発生論の特徴といえよう。

2017年10月14日(土)モーペルチュイ研究
 午前中は家事雑用、午後は休憩。夕食後、珍しく元気なのでモーペルチュイに取り組もうとしたが、直前に点した目薬の作用で活字が読めない。今後は夜の点眼時間を調整しよう。時間を空けてから2時間ほど『生身のヴィーナス』についてパソコンに書き込むことができた。たまたまピントコレイア(佐藤恵子訳)『イヴの卵』を参照したら、同書を『性愛の物理学』と訳してあった。訳者のオリジナルか、他の訳本を参照したのか分からないが、少なくとも physique を物理学と訳すのは間違いだろう。ただし、テラルが指摘するように、同書はサロンで話題となるよう生物学的議論の中に意図的に性愛論をからませているので、「性愛」を強調するのは一理あるだろう。

2017年10月13日(金)モーペルチュイ研究
 『白いニグロ』(1744)、『生身のヴィーナス』初版(1745)の第1部、同書・全集版(1756)の第1部の構成を比較し、一覧表を作成した。『生身のヴィーナス』第1部は『白いニグロ』全23章のうち4章を削除し、残りの19章を第1部として引き継ぎ、人種論を第2部として加筆したものであった。『生身のヴィーナス』の初版と全集版にもかなりの違いがあった。二次資料を読むだけでは分からないことだろう。

2017年10月12日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日の利用者は13人、4人のスタッフは大忙しであった。

2017年10月11日(水)桃大
 大学院の授業のため、桃大へ。本日は事故も無く、時刻表通りに和泉中央駅着。構内のパン屋で一服してから、いざ大学へ。午前中は図書館での教材探しで終わってしまった。モーペルチュイ関連の雑誌論文をコピーする予定だったが、来週に延期。帰途、和泉中央駅のダイソーに寄ったら、ハロウィーン商品と並んで、早くも来年度のカレンダーと手帳が山積みになっていた。

2017年10月10日(火)モーペルチュイ研究
 テラルの評伝(2002)を参照しながら『生身のヴィーナス』第1部の内容を確認した。『白いニグロ』とほぼ同じはずだが、先在説批判に終始し、アルビノ・ボーイについての記述はない。1744年1月にパリで見世物にされたアルビノ・ボーイのことは以前から知っていたが、なんとなく10歳くらいの少年をイメージしていた。ところがテラルが引用する当時の手紙によれば、4,5歳の幼児らしい。テラルによれば、この子がその後どうなったのか、不明だという。冬の最中に幼児が裸で見世物にさせられたら、どうなるか。可哀想に。

2017年10月9日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。祝日(体育の日)でも関係ない。帰宅後、疲れを感じなかったのでスライド作成を続行しようとパソコンを開いた。ところがいざ始めて見ると、体も脳も思うように動かない。無理はできない。

2017年10月8日(日)モーペルチュイ研究
 昨日と今日はこの地域のだんじり曳行。一日中、遠くにだんじりの音が聞こえる。道が混むので出掛けないにかぎる。昨日に続いて『白いニグロ』について調査し、12月10日の発表のためのpptスライドの作成に着手した。まずは順調な出だしである。

2017年10月7日(土)モーペルチュイ研究
 モーペルチュイ研究再開に着手。といっても昼間は家事雑用と疲労感でなにもできない。夜になってやや体調がもどったので、『生身のヴィーナス』のテキストをネットで探す作業に取り組んでみた。1745年の初版はGALLICAで見ることができる。現在、読まれている全集版とは、章の構成などに、かなりの違いがある。『生身のヴィーナス』の前身『白いニグロ』(1744)はグーグル・ブックスにあった。『生身のヴィーナス』の第1部と『白いニグロ』も、章の構成などにかなりの違いがある。本日はテキストの変遷を確認できたことで満足しよう。

2017年10月6日(金)教材準備
 なんとなく、のんびり過ごした一日だった。しばしパズルで遊んだ後、ビュフォン研究と教材準備のため周辺に散らかしていた文献を元の場所に収め、モーペルチュイ関連の資料を手元に出した。たまには、こんな日があっても良いが、明日からは精力的にモーペルチュイに取り組まねばならない。今夜は満月のはずだが、あいにく夜は雨となってしまった。

2017年10月5日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、それほどの疲れが無かったので大学院授業の教材をどうするか、久しぶりに書架の西洋史と哲学史の文献に当たってみた。

2017年10月4日(水)桃大
 大学院の授業のため、桃大へ。乗車した高野線の急行で急病人が発生したため、和泉中央駅着が20分遅くなった。朝の予定がやや狂ったが、授業は午後なので支障は無かった。受講生の研究内容を聞いて今後の授業内容を変更することにした。
 本日は旧暦8月15日、中秋の名月をくっきりと見ることができたが、まん丸ではない。月齢は13日か。

2017年10月3日(火)報告要旨
 ほぼ一日中、家事雑用。右腕を酷使したためか、肩より下、鎖骨のあたりが痛む。午後遅く、一息ついて、まず、昨年の「夏の学校」の報告「遺伝の観念の誕生、およびメンデル再考」の「要旨」の校正を『生物学史研究』の印刷所に返信した。昨日、送信されてきた校正刷りには、なぜか他人の原稿の一部が挿入されていた。ついでに今年の「夏の学校」の報告「ビュフォンの発生論と遺伝論」の要旨を担当者に送信した。これで一段落。明日は登校日で無理だが、明後日からは「モーペルチュイ」に集中できるだろう。

2017年10月2日(月)文楽予約
 本日は文楽劇場11月公演の会員先行予約日。ネットで予約を済ませたが、第一希望日の床直下の席は全て売れていた。10時受付開始なのにアクセスしたのはその30分後だったので、その間に同好の士が買ってしまったのだろう。それでも第二希望日でいつもの床直下の席が確保できたので、よしとしよう。今回の昼の部は「八陣」と「鑓の権三」。咲太夫が「鑓の権三」の「数寄屋の段」を語る。
 最近は出不精になって、元気なころなら必ず出掛けたはずの展覧会や松竹座の舞台に行こうともしない。遺跡や寺社探訪もしなくなった。気力体力の低下が最大の理由だが、生物学史研究の時間確保という事情もある。せめて文楽にだけは行くようにしたい。
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。先週までの2週間は腰痛のため運動量を加減していたが、本日は元の形にもどしてみた。体調の悪化することはなく、帰宅後もさしたる疲労感がなかった。これなら明日から順調に動けるだろう。

2017年10月1日(日)報告要旨
 昨日と今日の2日掛かりで「ビュフォンの発生論と遺伝論」の報告要旨(2,400字)の執筆を終えた。一太郎で書いたものを規定の書式のワードへ変換するのに手間取ったが、作業は完了した。締め切りまで余裕があるので、日をおいて確認し、その後で送信することにしよう。

2017年9月29日(金)西日本大会申し込み
 全身疲労が続いているが、とにかく「ビュフォンの発生論と遺伝論」の報告要旨(2,400字)の執筆に着手した。簡単には終えないので本格的作業は明日に持ち越し。
 追手門学院大学の武田裕紀さんから科学史西日本研究大会(12月10日)・発表募集のメールが来ていたので、早速、「モーペルチュイの発生論と遺伝論」と題した報告の申し込みを済ませた。この日までに、なにがなんでもモーペルチュイ研究をまとめなければならない。

2017年9月28日(木)デイサービス
 昨夜からの雨が朝の6時ころには、たたきつけるような豪雨となったが、やがて小降りとなり、午前中のデイサービス送迎はいつもの通りであった。腰の痛みはほぼ消えたが違和感が残っているので、運動量もまだ加減しておいた。帰宅後は昨日の疲れもあるのだろう、全身疲労で寝ていた。モーペルチュイ研究の意欲は満々なのだが、体が動かないのではどうしようもない。

2017年9月27日(水)大学院授業
 桃大の秋学期水曜3限に大学院の授業が組まれており、本日がその第1回目。今年も受講生がいるので、これから1月まで、毎水曜日に出講することになる。せっかく大学に来るのだから文献調査などにも有効利用したいが、最近はエネルギーが持続しなくなっているのが残念である。

2017年9月26日(火)ジャーナル執筆
 朝、起きたときの予定では、『生物学史研究』に掲載する報告要旨を執筆し、ビュフォン研究に一区切り付けるつもりだったが、疲労感で気力喪失。3日分のジャーナルを書くのがやっとだった。

2017年9月25日(月)長十郎と翫右衛門
 午前中は家事雑用、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。まだ腰痛が消えないので訓練も加減しなければならない。昨日の疲れが抜けていないこともあって、帰宅後はさっさと寝るほかない。
 正午からのNHK「にっぽんの芸能」の再放送「新名人列伝・前進座を支えた名優たち」を、家事を片付けながら見た。四世河原崎長十郎、五世嵐芳三郎、三世中村翫右衛門、および五世河原崎国太郎という四人の舞台を紹介していた。長十郎と翫右衛門の「勧進帳」は1度だけ労演の舞台で見ているが、歌舞伎を楽しもうとする客層ではないので満足感を得ることができなかった。ほかにも労演の舞台、労音のコンサートに行ったが、同様の問題があった。それでも一時期、労演と労音が日本の演劇界と音楽会を支えていた功績は認めるべきなのだろう。長十郎と翫右衛門の舞台で記憶に残るのは、「元禄忠臣蔵・御浜御殿」。新橋演舞場だったと思う。能装束で花道に入る長十郎の大きさが今でも目に浮かぶ。これも新橋演舞場で見た津上忠作「黒田騒動」も記憶に残っている。テレビではいつものことだが、渡辺保の解説が明快であった。これもいつものことだが、渡辺の若々しさが素敵であった。

2017年9月24日(日)生物学史分科会・夏の学校
 標記の研究会に参加するため京大人文研へ。8時半に家を出て、天下茶屋駅で一休みし、北浜から京阪特急で出町柳へ。百万遍でコンビニ弁当を購入、会場到着が昼過ぎ。ほぼ計算通りであった。「ビュフォンの発生論と遺伝論」と題して発表したが、参加者12名のほとんどは科学史の研究者ではない。そのため発表内容について議論を深めることは無く、その点では役に立たなかったが、この会に向けてビュフォン研究をまとめることができたことが、なによりの成果であった。
 会場で瀬戸口さんに確認したところ、科学史西日本大会は12月10日(日)に開催予定とのこと。今度はこの会に向けて「モーペルチュイの発生論と遺伝論」をまとめなければならない。

2017年9月22日(金)前成説と後成説
 朝、散髪に出掛けたついでに桃大へ。昨日から秋学期が始まっているので学内は賑やかだった。まずは24日研究発表の配布資料20部をA3用紙に印刷し、その後、図書館書庫に降りて雑誌論文をコピー。その一つがボウラー(1971)による17世紀前成説に関するものである。
 ここ数日、配布資料の原稿を作成した後ではあるが、前成説と後成説について研究会でどう語るか、悩んできた。ハラー(前成説)とヴォルフ(後成説)の対立、およびルー(前成説)とドリーシュ(後成説)の対立はともに「前成説・後成説論争」と呼ばれるが、その内容は全く異なっている。ビュフォンについていえば、ハラーらの「入れ子」説を否定するので後成説といえるが、発生初期に成体のミニチュアが形成されるとみなす点ではヴォルフと対立する前成説といえる。こうした混乱をきちんと整理しておく必要を感じた。西日本大会ではモーペルチュイの発生論について報告するつもりだったが、前成説・後成説の問題に変更しようか。その中でモーペルチュイとビュフォンを位置づけるという形にしてみよう。
 朝晩は腰の痛みがぶり返すが、昼間はほとんど意識すること無く過ごすことができた。明後日の研究会は問題なくこなせるだろう。

2017年9月21日(木)腰痛
 外出が続くのでデイサービスは休んだが、依然として腰が痛い。少しずつ軽くはなっているのだろうが、積極的に何かをする気にはならない。少々の雑用をこなし、3日分のジャーナルを書いて今日は終わり。

2017年9月20日(水)嵯峨・二尊院
 彼岸の入り。カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。すごしやすい気候になったものの腰痛が心配だったが、なんとか無事、終えることができた。嵐山からの帰途、松尾橋を渡ったが、桂川の水量は増え、バーベキューも皆無。欄干にも近隣の屋根にもカラスの姿はない。まことに分かりやすい。

2017年9月19日(火)腰痛
 昨夜はトイレに行くにも這っていくような状態だったし、今朝、起床する時も、起き上がるのが難儀だった。ところが動いているうちに、痛みが軽くなっていった。しかし夜になるとまた痛む。こんなことを繰り返しながら、いずれ完治するのだろう。

2017年9月18日(月)腰痛
 昨夜はジャーナルを書き終えた10時半ころから暴風となり、家中の雨戸がガタガタと音を立てた。そのうちに寝込んでしまったが、2時間くらいは続いたらしい。朝、庭には落ち葉やゴミが散乱している。一通り片付けてから家に入り、台所ゴミを捨てようとかがんだ瞬間、腰に激痛が走った。なんとか歩くことはできるので、デイサービス「ポラリス大矢船」へ。腰に負担の掛かる器具は省略し、いつもの半分程度の運動量をこなした。腰痛も軽くなった気がしていたが、夜、就寝する時には痛みがひどくなっていた。明日はどうなるのか。日曜日に研究発表があるのに、困ったことだ。

2017年9月17日(日)スライド作成
 朝、目覚めると、意外なことに風も雨もない。台風の速度が予想よりも遅いらしい。これなら岸和田のダンジリも無事に行われたろう。こちらのスライド作成も完了。配布資料の原稿もプリントしたが、これをA3両面に印刷するには大学の機器を利用するほかない。家で行う作業が完了したと思った途端に疲れが出た。
 21時の台風18号予想進路によると、鳴戸から淡路島を縦断し、若狭湾に抜けるらしい。今回もこのあたりにはさしたる影響も無く済むのかもしれない。

2017年9月16日(土)無為
 昨日の外出の疲れで集中力が出ない。無理しても良い結果にならない。スライド点検はあきらめ、一日ぼんやり過ごした。台風18号の影響で風雨も強くなってきた。明日こそ、部屋に閉じこもって研究報告のスライドを完成させねばならない。

2017年9月15日(金)飲食店の分煙
 昨日までは冷房が必要だったのに、一転、今朝は暖房が欲しいくらいの涼しさ。家事雑用を片付けた後、昨日、考えていたスライド作成を実行。これで、いわば一次稿ができた。これから内容を点検し、スライド枚数をもっと減らさねばならないだろう。
 午後はカミさんの買い物のお供で難波へ。夕食は難波パークス7階の和食の店に入った。初めての店だったが、魚は新鮮で煮物などもおいしかった。ところが、禁煙席なのにタバコの臭いがする。喫煙席の煙が流れてくるのだ。残念ながらこの店に2度と行くことはないだろう。飲食店は喫煙者が逃げることを恐れているらしいが、禁煙者が逃げることは考えないのだろうか。

2017年9月14日(木)デイサービス契約更新
 朝、デイサービス「ポラリス大矢船」へ。まずは、10月以降について制度変更に伴う契約更新の手続き。この間、準備体操的な集団リハビリには参加できなかったが、後はいつも通りの運動機能訓練。運動しながら、あるいは休憩の間、残るスライドに何を書くかを考えていた。帰宅後、直ちにそれを実行したかったが、家事雑用でそれどころではない。疲れて8時には寝てしまった。

2017年9月13日(水)スライド作成
 昨日と一昨日は家事雑用に追われ、気合いも入らず、スライド作成はお休み。本日は体調も良いのでスライド作成を再開。本論を終わり、残るは最後のビュフォン評価だけ。最初に計画した内容より全体に粗くなったが、講演時間を考えればこのくらいが適当だろう。

2017年9月10日(日)スライド作成
 家事雑用の合間にスライド作成。「動物の一般史」の第6章についてはやや詳しく、第7章と第8章についてはごく簡単にまとめた。これで講演用pptスライドを来週中に完成させる見通しが立った。

2017年9月9日(土)ビュフォンの顕微鏡観察
 本日の目標は、ビュフォン「動物の一般史」の第6・7・8章の3章をスメリーの英訳で読了すること。100ページあまりを一気に読み切るのは、さすがに無理。第6章の観察記録は丁寧に読んだが、ここでエネルギー切れ。たっぷり休んだ後、第7章「レーウェンフックの観察との比較」と第8章「結果についての考察」は飛ばし読みになった。第8章で、卵生動物の場合も卵は子宮の役割を果たすだけで、胚の形成はあくまでも雌雄の精液の混合によるとしていることが印象的であった。とにかくこれで、「動物の一般史」でビュフォンが何を語っているか、自信を持って報告できるだろう。

2017年9月8日(金)ビュフォンの顕微鏡観察
 ビュフォン「動物の一般史」の第6・7・8章の3章は、精液などの顕微鏡観察の記録と考察に当てられ、ビュフォンは有機分子の実在が確認できたとしている。彼の発生論を理解するにはこの程度で十分で、観察記録を読み通すまでもない。しかし研究会で報告するとなると、そうもいかない。まず、ビュフォンが用いた顕微鏡の問題がある。当時から、ビュフォンは性能の落ちる顕微鏡(100倍)を用いたため間違った観察をしているという批判があったが、スローンの調査により、ビュフォンは当時としては高性能の顕微鏡(400倍)を用いていたことが明らかになった。ロジェなどが引用するスローンの論文は1988年のビュフォン没後200年記念論集に掲載されたもので、入手しにくい。ところが、英語版のビュフォン読本(1981)にスローンがこの問題を解説していることに気付いた。これで孫引きにならずに済んだ。また、ビュフォンの記述では雌の精液として取り出した部分が不明確だが、これもスローンの解説によれば、卵胞腔内の液体、すなわち卵胞液であろうという。
 研究会で報告するための準備は、なにより自分自身のためになる。

2017年9月7日(木)スライド作成
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日は3ヶ月ごとの体力測定があったうえ、いつも通りのメニューをこなしたので運動量も多かったはずだが、帰宅後、それほどの疲労感がなく、スライド作成を続行することができた。

2017年9月6日(水)スライド作成
 昨日からスライド作成を再開。ビュフォン「動物の一般史」の各章の内容をスライド一枚に収めるのは簡単ではない。本文を確認しながらの作業なので時間が掛かるが、改めて気付くことも多い。

2017年9月4日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。今日でこれでお仕舞い。

2017年9月2日(土)体調不良
 相変わらず体調不良。スライド作成の意欲があっても体が動かない。仕方ない。

2017年9月1日(金)ソンニーニ版
 午前中は家事雑用。たいして労力を要しなかったのに、午後は体が動かない。それでも数時間、ぼんやりした後、パソコンに向かうことができた。本日はビュフォン『自然史』のソンニーニ版の詳細を調べてみた。手元の資料にはまったく記載が無いので、ネットで調べるほかない。ソンニーニ編『ビュフォンの自然史・新版』127巻(1799-1808)にはビュフォンおよびラセペードの作品のほか、新たに「昆虫」「軟体動物」「植物」が加えられ、ラセペードの「卵生四足類」に代えてソンニーニ独自の「爬虫類」が入れられている。判型はビュフォン版の半分のオクタヴォ。図は新たに作成され、すべて彩色されている。工作舎の『ビュフォンの博物誌』(1991)にはソンニーニ版についての説明が皆無であり、あたかもビュフォン版と同じであるかのような印象を与える。ビュフォンについて間違った知識を広めているといえよう。

2017年8月31日(木)カード出現
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。いつもとほとんど同じ運動量をこなしたが、帰宅後の疲労感が強い。まだ体調が回復していない。それでもpptスライドを数枚作成できた。
 朝、思いがけないところからピタパカードが出てきた。一昨日の帰宅直後にポケットから出して置いたのだろう。近頃、こうしたうっかりミスが増えている気がする。老化現象の一つか。

2017年8月29日(火)カード紛失
 早朝、近大病院へ。眼科の診察終了後は桃大図書館に行く予定をしていたが、体調が芳しくないため、そのまま帰ることにした。帰宅後、ピタパ・カードを紛失していることに気付いた。使用後にズボンのポケットに入れたつもりが、ポケットに入らず道路に落としてしまったのだろう。電話で再発行の手続きを済ませたが、気落ちして何もできない。

2017年8月28日(月)体調不良
 カミさんが夏風邪を引いたこともあって土日は家事雑用で終わり。その風邪がこちらにもうつったらしい。体も頭も重い。午後のデイサービスは休むことにした。時間が空いたのでpptスライドの作成に取り組んだが、2時間が限度であった。

2017年8月25日(金)桃大図書館
 散髪に出掛けたついでに桃大図書館へ。借用延長のためには実物を受け付けに持参しなければならないと思い込んでいたが、現在では自宅のパソコンから手続きできることに昨日、気がついた。これが分かっていれば、一昨日も重い思いをして出掛けなくてもよかったのだ。
 南海高野線と南海バスの時刻表が明日から変わるので、途中の駅々で新しい時刻表を集めてきた。バスの時刻表も全て、印刷し直さなければならない。
 今日も疲れて帰ってきたのに、ジャーナルを書く気力が残っていた。

2017年8月24日(木)用語整理
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後は家事雑用。夜、一休みしたら頭が冴えてきたので、ビュフォン「動物の一般史」第1章を再読。動植物に共通の「自分の類似体を生産する機能」(Cette faculte de produire son semblance)をスメリーは This faculty of reproduction と訳した上で、reproduction に訳注を付記している。以前、この訳注を誤読していたことに気付いた。訳注によれば、reproduction は生産の意味で広く使われて動植物にも用いられるが、generation は生物(animated beings)に限って用いられるという。当時の用法を反映した説明であろう。reproduction については現在も同様である。日本語では生物については「生殖」と訳すため、経済用語「拡大再生産」の「再生産」と同じ言葉であることが分からなくなっている。generation はもともと「生成」の意味で広く用いられ、動植物にも用いられていたが、現在ではもっぱら「世代」の意味で使われている。『遺伝の文化史』によれば、19世紀に generation が「世代」の意味になったのは遺伝の観念の確立と関係しているという。とにかく以前、この訳注について「不適切」と書いたのは当方のミスであった。

2017年8月23日(水)桃大図書館
 ビュフォンに関連して借用している図書のうち、3冊が期限切れ、3冊が本日が最終日。この6冊を抱えて大学へ。期限に間に合った3冊は借用延長し、新たに4冊を借り出した。帰途、和泉中央駅に隣接する郵便局とダイソーに寄ってきた。最近は外出しただけで疲れ切ってしまうのに、本日は帰宅後、夜になってジャーナルを書いている。元気なのはけっこうなことだが、躁鬱症の躁状態のようで、大丈夫かな。

2017年8月22日(火)ビュフォンの名前
 ビュフォンの生涯を一太郎ファイルに短くまとめてみた。伝記類をなんども読んでいるのに今回改めて気付いたことがあった。「ビュフォン」という呼び名である。1772年に授爵されてビュフォン伯となる以前、1730年、23歳の頃から相続するはずの領地ビュフォン村の名を取って自ら「ビュフォン」と名乗っていたという。確かに授爵以前の著作の著者名には de Buffon が付記されている。「リンネ」の場合、授爵以前は「リネウス」と呼ぶべきだとする考えもあるが、「ビュフォン」については問題が生じないといえよう。
 本日は家事雑用を片付けながらビュフォンの生涯をまとめ、さらに夕刻には電動車椅子でスーパーに出掛けた。なぜか心身ともに元気である。

2017年8月21日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日はこれで終わり。

2017年8月20日(日)スライド作成
 「動物の一般史」各章について、まずはジャーナルの記事をスライドにコピー。ジャーナルが自分のための覚え書きとして役立っている。しかしこれでは不十分なので、「動物の一般史」本文をもう一度読み直す必要があるだろう。

2017年8月19日(土)スライド作成
 研究報告の中核となる「動物の一般史」の目次を転記し、各章の内容紹介のスライドのタイトルだけを作成した。ビュフォン『自然史』第2巻をgallica(フランス国立図書館の電子図書館)で確認しながらの作業。第2巻冒頭の目次では、「動物の一般史」(Histoire generale des animaux)となっているが、その開始ページには「動物史」(Histoire des animaux)と記されているだけである。また、目次では第1章「動物と植物と鉱物の比較」だが、第1章の始まりは「動物と植物の比較」である。こんなところにもビュフォンのずさんな執筆態度が見て取れる。

2017年8月18日(金)スライド作成
 ビュフォン論のpptスライド作成を続行。といっても集中力が続かないので休んでいる時間の方が長いかもしれない。それでも内容構成を考えて目次を作成し、序論部分を書くことができた。モーペルチュイとビュフォンの発生論の骨子を下記のようにまとめてみたが、どうだろうか。「身体各部の成分(partie)が雌雄の生殖器に集まり、雌雄の精液を形成する。雌雄の精液が混ざると子供のミニチュアが形成される。子供の各部分が雌雄の親のどちらの成分になるかにより、各部分が親のどちらに似るかが決まる」。

2017年8月17日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後は家事雑用で本日は終わり。

2017年8月16日(水)生物学史分科会・夏の学校
 9月24日開催の標記の研究会で発表する「ビュフォンの発生論と遺伝論」のpptスライドの作成に着手した。具体的作業を設定した方が効率が良いようだ。
 夜になって12日以来のジャーナルをまとめ書きし、メールを確認すると「夏の学校」の主催者から当日のプログラムが送信されていた。当方が参加する午後のテーマを見ると、当方の「ビュフォン」のほかは、「入浴」、「荻野学説」、「新今西進化論」など、狭義の生物学史のものがない。残念ではあるが、自分なりに最善を尽くすしかない。。

2017年8月15日(火)『遺伝の文化史』再読
 ラインバーガーほか『遺伝の文化史』(2012)の第2章「遺伝、生殖、進化」の再読を再開。2日以来のことになる。ハーヴィ発生論の部分を再読したが、前回よりも内容理解が進んだと思う。ついでにロジェ『18世紀』の該当部分も読んでみたが、前者の方がハーヴィ発生論を正確に分析していると思われる。

2017年8月14日(月)デイサービス
 気力体力低下のため、12日以来、研究はほとんど進展していない。本日も午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、漢字パズルに取り組めるのに、論文を読む気力はない。

2017年8月11日(金)用語整理
 時間の余裕があるのに気合いが入らない。午前中は漢字パズルで過ごす。漢語と漢字を勉強し直すきっかけになっている。午後にようやく化学史書を開き、分子概念の歴史を確認した。1811年にアヴォガドロが提唱したが、50年間無視され、1860年の第1回国際化学会で配布されたカニザーロの小冊子によって広まったという。化学史家にとっては常識中の常識らしい。ただし、アヴォガドロ自身の用語は、molecule constituante と molecule elementale で、前者が現在の「分子」、後者が「原子」に相当するものであったという。1860年以降に化学用語としての「分子」が急速に広まるが、ストリック『生命のスパーク』によれば、その後もヴィクトリア朝の自然発生論争の中でビュフォン的な意味での molecule が用いられ続けたという。

2017年8月10日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。昨日の疲れと寝不足のため、最初と最後の集団リハビリではうたた寝してしまう瞬間もあったが、個人別の訓練ではいつもの通りの運動量をこなすことができた。

2017年8月9日(水)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で嵯峨野の二尊院へ。暑さの最中でも嵐山は賑わっていたし、二尊院にも参拝客が切れ目無く来ていた。スポーツドリンクを飲んで熱中症に備えたが、とにかく疲れた。

2017年8月8日(火)介護度査定
 午前中は田中整形外科へ。午後は介護度査定の調査員が来宅。10月からの1年間の生活パターンが左右されるので緊張する。現在は週2回のリハビリでなんとか運動機能を維持しているので、それが駄目にならないことを祈っている。

2017年8月7日(月)台風5号
 台風接近のため午後のデイサービスは中止となった。時間の余裕ができたのに、なんとなく気が乗らない。ブラウンの論文(1828)がネットで読めることを確認しただけに終わった。
 台風は午後3時半に和歌山市に上陸し、こちらでも5時に雨、風とも激しくなった。明け方まで続くらしい。全ての雨戸を閉め切った中で、なぜか頭もはっきりしてきたので3日分のジャーナルを書いている。

2017年8月6日(日)ビュフォン研究
 ストリック『生命のスパーク』を拾い読みした。ブラウン運動の発見として知られるブラウンの論文(1828)に登場する active molecule は、ビュフォンの molecule organique を受け継いだものであり、化学的分子概念が広まった後もヴィクトリア朝の生物論ではビュフォン的な意味での molecule が用いられていたという。また、ビュフォンとニーダムの共同実験で用いられた顕微鏡の性能はブラウンのものと同等であり、実質的に彼らはブラウン運動を観察していたのだという。ビュフォンの発生論を考察する上でも考慮すべき指摘である。

2017年8月5日(土)ビュフォン研究
 DSB新版(2008)の項目「ビュフォン」を再読。ロジェ執筆のDSB旧版の「ビュフォン」(1973)以降の研究状況をスローンが展望している。ビュフォンの歴史的意義、ビュフォンの科学思想の一貫性、科学アカデミーとの関係、英独における受容、諸分野におけるビュフォン研究の5項目に分けて文献を紹介している。ビュフォン『自然史』の英訳は18世紀に3種類、刊行され、そのどれにも第1巻の第1説「自然史の研究方法」と補遺第5巻の「自然の諸時期」が収録されていないが、そのことについての研究が求められるという。スメリー訳を利用していて気になった問題である。

2017年8月4日(金)ビュフォン研究
 ビュフォンに関連して気になっていたことをいくつか確認するため、手元の文献を次々と引っ張り出して読み散らかした。まとまった知識にはならなかったが、それなりに有益であった。J.A.ストリック『生命のスパーク:ダーウィニズムとヴィクトリア朝の自然発生論争』(2000)はダーウィン研究の資料として購入したものだが、ビュフォンについも役立つものであった。

2017年8月3日(木)用語整理
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。夜になって気力が回復し、自然発生の用語についてのP.マクロクリンの論文(2005)を読了。『遺伝の文化史』第2章の参照文献の一つで、マイナーな学術誌に掲載されている。ネットに公開されていたので、昨日、印刷しておいた。spontaneous generation と equivocal generation とを混同してはならないという。辞典類では両者を同義語としているが、17世紀・18世紀には異なる意味で用いられていた。肉汁からいつでも同様の微生物が生じるように、自然の法則に則ったと認められる場合がspontaneous generation であり、無機物から偶発的に有機体が生じたり、ゾウから偶発的にカバが生まれるようなことが equivocal generation であったという。ただし17世紀・18世紀においても両者が混同されていることが少なくないというから、やっかいである。とにかく、equivocal generation という表現に出会ったときには用心しよう。spontaneous generation については「自然発生」という訳語が定着しているので、equivocal generation は「偶然発生」としたらどうだろうか。

2017年8月2日(水)『遺伝の文化史』再読
 遺伝に関する18世紀の状況を整理するため、ラインバーガーほか『遺伝の文化史』(2012)の第2章「遺伝、生殖、進化」を再読することにした。今回は引用文献を一つ一つ確認しているので時間を要しているが、そのおかげで関連事項についての文献をいくつか知ることができた。学会発表は9月末なので、いまはあせらず、周辺を固めていこう。

2017年8月1日(火)PLの花火
 相変わらず暑い日だったが、ちょうど5時に夕立があり、一時に涼しくなった。大阪名物PL花火の見物には絶好のタイミングであった。我が家から数十メートル先の崖の上からよく見えるので、今年は数分間だけ見物してみた。一昔前は近所中が出てきて、おしゃべりしながら見物していたが、今年はだれもいない。毎年のことで、わざわざ外に出る気もなくなったのだろう。 

2017年7月31日(月)伊十郎と志寿太夫
 午前中は家事雑用で忙しかったが、なんとか12時までに昼食も終え、NHKテレビ「にっぽんの芸能:新名人列伝」の再放送にしがみついた。紹介されたのは、長唄の七世芳村伊十郎と三世杵屋栄蔵、三世常磐津文字兵衛、清元志寿太夫、清元寿國太夫、清元栄寿郎。文字兵衛と栄寿郎は当方が歌舞伎座に通うようになる前に亡くなっているので、記憶はない。伊十郎と栄蔵、それと志寿太夫は忘れがたい。手元にある数少ない邦楽CDの一つが伊十郎・栄蔵の「勧進帳」である。テレビでは猿之助・勘弥・鴈治郎の勧進帳だったが、この組合せの勧進帳は見ていなかった気がする。志寿太夫の「三千歳」の舞台は現・菊五郎と玉三郎だったが、十一代団十郎と梅幸の「三千歳」は残ってなかったのだろうか。この当時の志寿太夫で聴きたかったな。清元といえば志寿太夫という思い込みがあったが、解説の渡辺保によると、寿國太夫こそ本来の清元だという。同じ「保名」が志寿太夫と寿國太夫とではまるで違っていた。歌舞伎座に通っていた当時、寿國太夫にも注目すべきだった。渡辺保は当方より年上なのに相変わらず若々しく、解説も明快であった。
 再放送終了直後にデイサービスの送迎車が来て、「ポラリス大矢船」へ。いつもの通りの運動機能訓練。帰宅後、一休みしたら気力回復。28日以来のジャーナルを書いている。

2017年7月30日(日)体調不良
 なぜか疲労感が強く、午前中になんとか家事雑用を片付けたが、午後はなにもせず、夕食後にさっさと寝るほかない。

2017年7月29日(土)用語整理
 昨日、今日と、preformation について調べることができた。17世紀・18世紀の「前成説」を意味する用語だが、やっかいな事情が二点ある。一つには、この用語が拡大解釈されて19世紀・20世紀の生物学についても用いられることがある。もう一点は、ロジェが17世紀についてはpreformation、18世紀のいわゆる「入れ子」説はpreexistence として区別すべきだと主張していること。生物学史家の多くはロジェの提言を知りながら、これを無視している。我が報告ではどうするか。まずはこうした事情を整理してパソコンに入力しなければならない。

2017年7月27日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後は疲労感でぼんやりしていたが、夜になって気力が回復してきた。連日、ジャーナルを執筆する余裕も無く、9時までに就寝していたが、今日は11時まで起きて5日分のジャーナルを書いている。明日は研究に集中できるだろうか。

2017年7月26日(水)家事雑用
 朝のうちに電動車椅子で隣町のスーパーへ。午後は家事雑用。今日もこれで終わり。

2017年7月25日(火)買い物
 昼過ぎにカミさんのお供で河内長野駅前に行き、用件を済ませた後、三日市町駅前にまわってスーパーで買い物。今日もこれで終わり。

2017年7月24日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。これで今日は終わり。

2017年7月23日(日)用語整理
 ビュフォンが「有機的な」の意味で用いている organique は、ギリシア語のorganon(道具)からどのような経過でこの意味になったのだろうか。書棚のさまざまな文献を見てみたが、結局、手元の資料でははっきりしたことは分からなかった。それでも、ライプニッツ『モナドロジー』(1714)にcorps organique (64,78)という表現のあることが確認できたので、ビュフォンのころには通常の用法になっていたと見てよいのたろう。一応の成果ともいえるが、文献を拾い読みしただけで充実感に欠ける。

2017年7月22日(土)ジャーナル執筆
 17日(月)からの5日間は疲労感のためジャーナルを書く余裕も無かった。本日は気力体力がかなり回復してきたが、家事雑用の後、ビュフォン論に取り組むほどの元気は無い。せめて5日分のジャーナルを執筆しておこう。明日からは研究発表の準備に集中したいものだ。

2017年7月21日(金)散髪
 9時過ぎに三日市町駅行きの南海バスに乗車したら、運転手から、高野線は人身事故のため止まっていると告げられた。そういわれても、とにかくバスで河内長野駅まで行って運転再開を待つほかない。最近は事故処理後の点検に時間が掛かるようになったが、本日は10時過ぎに動き出した。予定より30分遅くなったが、狭山駅前で散髪を済ませた。昨年までは外出ついでに桃大図書館に行くなどしていたが、この暑さの中、今はその元気が無い。河内長野駅までもどって昼食、百均とスーパーで買い物をして帰宅しただけだが、それでも疲れ切っていた。

2017年7月20日(木)デイサービス
 昨日、梅雨明け宣言があったらしいが、確かに外の空気が乾いている気がする。午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」でいつもと同じ量の運動をこなしたが、帰宅後は疲れが出て体が動かない。まだ一昨日の影響が残っているのだろう。

2017年7月19日(水)無為
 昨日の疲れが取れない。家事雑用をなんとか片付けて、早くに寝るほかない。報道によれば、昨日、日野原重明医師が105歳 で死去されたという。最後まで明晰な判断力と原稿執筆の気力は失われなかったようだ。当方も後20年、能力が続けば、遺伝学誕生史を書き、さらに生物学通史の完成も可能だろうが、さて、どうなることか。

2017年7月18日(火)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で嵯峨野の二尊院へ。難波、梅田、嵐山、どこへ行っても多くの中国人観光客がいる。予報では右京区は午後、ずっと雨とのことだったが、3時半から20分ほどの夕立だけですんだ。半年ほど前から帰宅時のタクシーが呼べない状況になっているので、往路のタクシーに交渉したところ、今日は迎えに来てもらえた。無事、帰宅できたが、疲れたことに変わりはない。

2017年7月17日(月)デイサービス
 祭日(海の日)といっても退職者には関係が無い。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。これで今日は終わり。

2017年7月16日(日)用語整理
 暑い日が続いているが、昨日よりは体が動く。generationや reproductionなど、ビュフォン論に関連した生物学用語の整理に本格的に着手した。

2017年7月15日(土)用語整理
 体が重く、家事雑用だけで終わったが、かろうじて、書棚の奥のアリストテレス全集から、generation の用例確認の資料として、『動物発生論』と『生成消滅論』を引っ張り出すことができた。

2017年7月14日(金)用語整理
 昼間は涼しい風が吹き、窓を開ければ冷房無しでも過ごすことができた。ビュフォン論研究を再開したが、涼しいわりには気力不足でさして進展せず。ペーパー化と研究会報告を意識すると見過ごしてきた用語の問題などが気になるので、そのあたりから手をつけるか。

2017年7月13日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は家事雑用で終わり。

2017年7月12日(水)生物学史分科会・夏の学校・報告申し込み
 遺伝論史研究は一休みして今後の方針を立て、9月24日の「生物学史分科会・夏の学校2017」一般報告への参加申し込みを済ませた。送信したタイトルと要旨は下記の通りである。
「ビュフォンの発生論と遺伝論」
 18世紀には発生の前成説が広く支持され、遺伝現象は無視されるか、あるいは付け焼き刃の解釈で処理されていた。そうした状況の中でモーペルチュイの『生身のヴィーナス』(1745)とビュフォンの「動物の一般史」(1749)が遺伝現象に注目して前成説を否定し、後成説を唱えた。しかし、それによって前成説の揺らぐことはなかった。それでも彼らの遺伝論は20世紀に発展する遺伝学の源流の一つとみなすことができる。本報告では、有機分子説として知られるビュフォンの発生論を吟味し、その歴史的意義を考察したい。

2017年7月11日(火)モーペルチュイの発生論
 暑さで集中力に欠けるなか、テラル著モーペルチュイ評伝の第10章「遺伝と唯物論」をなんとか読み終えた。これでモーペルチュイ論は一旦、中断し、ペーパー執筆と研究会報告に向けた作業に着手することになろう。
 6時を過ぎてから電動車椅子で隣町のスーパーへ。夜になってようやく気力が回復したようだ。

2017年7月10日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。今日は利用者6人にスタッフ6人。最初の話題は昨日の雷雨であった。

2017年7月9日(日)突然の雷雨
 午前中の家事雑用で疲れ果て、なにをする気力も無く、一日が終わった。朝から晴れ間も見える天気だったが、午後2時半ころ、まさに「一天にわかにかき曇り」、突然の豪雨と雷鳴。それが1時間近く続いた。長時間になったらこの地域でも山崩れなどが起きかねないだろう。
 本を開く気力は無かったが、研究会の報告について気がついたことがあった。なにもモーペルチュイとビュフォンを一時に話す必要はない。12月の西日本大会には物理学史家の出席が多いのでモーペルチュイをこちらにまわし、9月24日の報告はビュフォンを中心にすればよい。そう決めたら気が楽になった。とはいえ、当面はモーペルチュイ評伝を読み切らねばならない。

2017年7月8日(土)生物学史分科会・夏の学校
 午前中はモーペルチュイ評伝を読み継ぎ、午後は家事雑用。昼前に生物学史分科会事務局から「夏の学校2017」の案内葉書が届いた。9月23日・24日に京大人文研で開催されるとのこと。9月24日の一般報告への参加を申し込もうと思う。夜になってパソコンのメールを確認したところ、昨日中に案内が届いていた。最近は数日間、メールを見ないこともあるが、やはりこまめにチェックすべきなのだろう。
 遺伝学誕生史の一環として「モーペルチュイとビュフォンの発生論」を研究ノートとしてペーパーにし、12月の科学史西日本大会でも報告する予定でいたが、せっかくの機会なので「夏の学校」でも話すことにした。その2ヶ月後の西日本大会で何を話すのかという問題が残るが、それはその時に考えよう。

2017年7月7日(金)モーペルチュイの発生論
 モーペルチュイ評伝の第10章を読む。モーペルチュイは発生論を「自然の体系」(1756)として公表するまでに、『生身のヴィーナス』の時よりも時間を掛けていた。まず、ドイツの学者によるラテン語の小冊子(1751)として少部数を刊行し、次に、ラテン語テキストにフランス語テキストを付記したものを刊行し、さらに著者匿名のフランス語版(1754)を刊行。ようやく1756年刊の4巻本の全集の第2巻に「自然の体系」として収載した。その理論が唯物論でキリスト教に反するとみなされることを恐れたのであった。ビュフォンの大胆な態度とは対照的である。

2017年7月6日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、テラル著モーペルチュイ評伝の第10章「遺伝と唯物論」に着手。

2017年7月5日(水)モーペルチュイの発生論
 台風一過どころか雨が降ったり止んだり。時に昨日よりも激しい降りとなったが、これは梅雨前線の雨だという。本日も家に閉じこもり、テラル著モーペルチュイ評伝の第7章「生物の科学へ」をほぼ読了。残念なことに、『生身のヴィーナス』からの英訳引用文について仏語原文を付記していたのは最初だけで、ほとんどの引用文には校訂本のページが記されているだけであった。そのため手元のテキストで引用箇所を確認するのに手間取っている。同書は匿名のまま版を重ね、そのたびに、わずかではあるが手直しがあるという。科学史の資料としては、かなりやっかいである。著者によれば、同書はサロンにおける男女のきわどい会話を模した部分があり、後成説を説くにも、子供は男女の性愛行動によって作られることを強調しているという。また、当時 physiqueには「自然学」のほか多様な語義があり、生々しい意味でも用いられていたが、モーペルチュイはそれを意識的に利用しているという。ロジェの『18世紀』では、ビュフォン『自然史』の最初の3巻(1749)が出るまで『生身のヴィーナス』は注目されなかったとしているが、テラルによれば、刊行直後からサロンで話題になり、書評も出ているという。テラルの判断の方が正しいと思われる。なお、『生身のヴィーナス』の著者名が公になるのは、1752年刊行の1巻本の全集に同書が収録された時であったという。

2017年7月4日(火)台風3号
 予報では夕刻に激しい風雨が襲うということだったので、それなりに準備していたが、台風は紀伊半島中央を横断し、大阪への影響は軽微だった。この間、家に閉じこもってモーペルチュイ評伝を読み継ぐ。

2017年7月3日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日は7月からの新人スタッフ3名が紹介された。帰宅後の夜に2日分のジャーナルを執筆。

2017年7月2日(日)モーペルチュイの発生論
 テラル著モーペルチュイ評伝の第7章「生物の科学へ」に着手したが、集中力が持続しないので10ページ程度を読んだだけであった。著者によれば、モーペルチュイは子供の時から持続的に多種多様な動物を飼育し、それを材料とした実験も試みていたという。自然史に疎くはなかったことが強調されている。
 著者が利用している『生身のヴィーナス』のテキストは1980年刊の校訂版で、DSB新版の項目解説における引用ではこの校訂版のページを記載しているだけだった。本書では英訳引用文の仏語原文を脚注に記載しているので、手元のテキストで引用箇所を確認することができる。校訂版のページだけでは確認に困るところだったので、ほっとした。

2017年7月1日(土)モーペルチュイの発生論
 ようやくテラルによるモーペルチュイ評伝(2002)に着手。全編を読む余裕はないので生物論に関する2章だけを読むことになろう。本日は(「本日も」とすべきか)体調が芳しくないので、とりあえず生い立ちを扱った第2章を拾い読みした。イギリス海峡の港町サン・マローの出身で、父親は私略船長(政府公認の海賊)として財を成し、その富で雇った優秀な数学教師をモーペルチュイにあてがい、またその富によってモーペルチュイはパリでブルジョアたちの仲間に入ることができたという。その生い立ちからして西洋史の一端に触れる思いがする。

2017年6月30日(金)モーペルチュイの発生論
 25日(日)以来、断続的に、新旧のDSBの項目など、モーペルチュイ関連の文献を読み直してきたが、本日は『ダーウィンの先駆者たち』(1859)の第3章「モーペルチュイ」(ベントリー・グラス)を再読した。今回は『生身のヴィーナス』などからの英訳引用文を仏語原文で確認しながら読んだので、これまで見過ごしていたことにも気付かされた。一つは、ビュフォンが生体を構成する粒子を particle ではなくpartie と表現するのはモーペルチュイの用法を引き継いだものであったこと。さらに重大なことは、『全集』(1756)に収録されている『生身のヴィーナス』は初版(1745)と同一ではなく、ビュフォンの発生論(1749)に示唆されて加筆した部分があること。一般に著者存命中に刊行された全集や選集、あるいは再版本では、しばしば著者が黙って手を加えていることがあり、そのために科学史家がミスを犯すこともある。『生身のヴィーナス』は通常、全集のリプリント版で読まれているので、ビュフォンとの関係を考察するうえでは注意しなければならない。現在では電子図書館で気軽に初版を見ることができるので、つくづく、ありがたいと思う。

2017年6月24日(土)ビュフォンの発生論
ビュフォン「動物一般史」最後の「まとめ」の気になる部分のフランス語原文をネットで確認。「共通の素材」は、une matiere commune であった。
 次は、ビュフォンの発生論を自分なりに整理し、なんらかの形でペーパーにしたいが、その前に、ビュフォン発生論の先駆となったモーペルチュイの生物論を整理する必要があるだろう。

2017年6月23日(金)ビュフォンの発生論
ビュフォン「動物一般史」最後の「まとめ」をスメリー訳で再読。今回、注意深く読むと有機粒子のとらえ方が第10章までの記述と異なっていることが分かる。この「まとめ」では生物体の素材となる物質は普遍的に広まっており、動植物に取り込まれると「内部鋳型」によって各部分と同型の有機粒子になるという。第10章の記述では、外部にすでに多種多様な有機粒子が存在し、その中から必要なものだけを摂取すると理解するほかなかったが、この「まとめ」では外部に存在するのは、「動植物に共通の素材」となっている。われわれには「まとめ」の主張の方が理解しやすいが、第10章までの記述と同じとはいえないだろう。ビュフォンの発生論は最も重要な部分があいまいなのである。二次文献を読んだだけではビュフォンの発生論が理解しにくかったのは当然であった。

2017年6月22日(木)デイサービス
午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は家事雑用で終わり。

2017年6月21日(水)ビュフォンの発生論
 ビュフォン「動物一般史」の第10章「胎児の形成」の後半を再読。この章に限らず「動物一般史」全体にいえることだが、用語は統一されておらず、同じことの繰り返しも多い。その一方で、同じ章の中でも矛盾する主張がなされている。たとえば、有性生殖では最初に胚の生殖器部分が形成され、それを中心に身体各部の有機粒子が集合するというが、章の前の部分では、雄親由来か雌親由来かに関係無く有機粒子が集まるので子供は部分的に雄親に似たり雌親に似たりするといい、章の中程では、雄の生殖器には雌親由来の有機粒子が集合し、雌の生殖器には雄親由来の有機粒子が集合するので男子は母親似で女子は父親似になると述べ、章の後の部分では再び、由来に関係無く有機粒子が集まるという。現在の学術雑誌なら査読を通らないだろう。ビュフォンは一度書いたものを見直すことなく、そのまま印刷にまわしているとしか思えない。われわれとしてもビュフォンの主張の細部にこだわらず、大筋を理解する程度にすべきなのだろう。
 それにしてもビュフォンを読むのはちょうど1週間ぶり。心身がついていかないので仕方ないが、もっとペースを上げたいものだ。

2017年6月19日(月)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。訓練終了後のティータイムに、6月9日(金)の夕刻、大阪朝日放送ABCテレビのニュース番組「キャスト」の特集コーナーで紹介されたポラリスの取り組みの録画映像を見せてもらった。自立支援特化型デイサービスの利点を強調していた。一般にデイサービスの内容は事業所によってかなり異なっているようだが、当方の場合は運動機能の維持回復を目指しているので、ポラリスの方法に満足している。

2017年6月18日(日)一斉溝掃除
 午前中は団地自治会の一斉溝掃除。隣家との間の溝に溜まった大量の落葉を掻き出した。木曜のリハビリ、金曜・土曜と連続の外出、そして本日の溝掃除と続いたので、右足、右肩が痛い。それでも夜にはいくらか気力体力が回復したので、2日分のジャーナルを書いている。

2017年6月17日(土)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。家を出るのが遅かったわりには乗り継ぎもスムースで、二尊院には意外と早くに到着した。ところが、行きは良いよい帰りは怖い。夕刻にタクシーを呼んでも配車を拒絶される。報道では京都の観光客が過剰になっているというが、この半年ほど、毎回、帰りのタクシーに苦労しているのもそのためだろう。今回はたまたま空車が通り、帰ることができたが、来月からはなんらかの対策を講じる必要があるだろう。今回、乗車した都タクシーの運転手は、客を期待せず、静かなところを走るつもりだったという。カミさんは、墓参に喜んだ仏さんが呼んでくれたんだと信じている。
 帰りの阪急電車の中でタイガース・ハッピを着た男性二人に会った。その様子から甲子園デーゲームの楽天戦は負けだったことが分かる。話を聞くと一人は東京在住の阪神フアンで、試合の後、一旦、ホテルに入り、これから飲みに行くのだという。明日は勝ってくれないと帰りの新幹線が惨めだとぼやいていた。このオッサンのためにも、明日のセパ交流戦最終試合は是非とも勝って欲しいものだ。<追記。結果はⅠ対0で負けだった。>

2017年6月16日(金)歯科検診
 狭山駅前の理髪店で散髪の後、北野田の日野歯科医院で半年毎の検診。今回は虫歯無しということで、ほっとした。これだけのために朝10時半に家を出て、夕刻4時半に帰宅。ラブリーホールのレストランで日替わりランチを食べ、書店をのぞいたりしたとはいえ、時間が掛かりすぎていないか。外出すること自体に意味があると考えておこう。

2017年6月15日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は心身の休養。

2017年6月14日(水)ビュフォンの発生論
 ビュフォン「動物一般史」の第10章「胎児の形成」の前半を、仏語原文(1749)についてはフランス国立図書館の電子図書館(Gallica)で、Barrによる英訳版(1807)については大英図書館の電子図書館で読み、molecule organique とpartie organique とが併用されていることを確認した。molecule organique が第3章「栄養と成長」で登場したときは最下層の有機粒子partie organiqueを意味しているようだったが、第10章では同じものをmolecule organique と呼んだり、partie organiqueと呼んだりしている。スメリーが両者ともparticle と訳しているのは正しいといえよう。molecule が「分子」の意味で用いられるのは19世紀以降なので、ビュフォンの発生論を有機分子説と呼ぶのは不適切であろう。我が著作では「有機粒子説」と呼ぶことにしたい。

2017年6月13日(火)無為
 なぜか体調不良。パソコンを開く気力も無く、終日、ぼんやりと過ごした。こういう状態の時に本を開いても字面を追うだけになるので、無理はしない。

2017年6月12日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。夜になって5日分のジャーナルを書いている。

2017年6月11日(日)ラブリー・ホール「ホフマン物語」
 ホール主催のマイタウン・オペラ。字幕付きの原語(フランス語)上演である。「ホフマンの舟歌」を知っているだけでオペラについては予備知識なしで出掛けた。開幕間もなく、ビュフォンと同時代のイタリアの生物学者スパランツァーニが登場してきたのには驚いた。ヨーロッパではだれもが知る学者なのであろうか。スパランツァーニに関連して字幕に繰り返し「物理学」とあったのは、おそらく「自然学」のことであろう。
 近年のマイタウン・オペラではいつものことだが、舞台は簡素である。しかし歌手は実力者ぞろいで、音楽的には十分、楽しめた。
 ただ、配布されたパンフレットには出演者紹介とストーリーがあるだけで、楽曲解説がない。帰宅後、調べてみると、このオペラにはいくつものヴァージョンがあり、今回の上演は近年の研究に基づく新しい版に基づいているらしい。ホフマン役のテノール千代崎元昭が、「今回は私が演奏して来た楽譜と違うものを使用する」と書いているのは、そのことだろう。そもそもこのオペラは、19世紀のドイツの作家ホフマンの幻想的な小説を素材にしているという基本的な解説も必要だろう。なぜ楽曲解説を付記しなかったのか、理解しがたい。
 休憩時間にロビーで桃大の卒業生から声を掛けられた。大阪市内で会社を経営している。当方の授業も記憶に残り、時折、このジャーナルも見ているという。ネットに載せていると、どこで誰が読んでいるか分からないということを、つくづく思い知らされた。

2017年6月10日(土)ビュフォンの発生論
ビュフォン「動物一般史」の第10章「胎児の形成」を再読。スメリーの英訳では organic particle と訳されていても、この章の原文ではmolecule organiqueであることが多いようだ。プレイヤード叢書には「動物の一般史」の第4章までしか収録されていないので、第9章以降はネットで原文を見なければならない。英訳についても、organic molecule と訳しているものを探してみたい。やっかいなことになった。

2017年6月9日(金)ビュフォンの発生論
ビュフォン「動物一般史」の第9章「動物の発生の多様性」を再読。

2017年6月8日(木)ビュフォンの発生論
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、一休みしてから、ビュフォン「動物一般史」の第4章「動物の発生」を再読。

2017年6月7日(水)ジャーナル執筆
 午前中はさまざまな書類の整理で終わり、午後は昨日の疲れが出て何もできない。夜になって4日分のジャーナルを執筆している。

2017年6月6日(火)近大眼科、桃大図書館
 午前中は近大病院眼科。病院食堂で早めの昼食を取り、桃大へ。重いハードカバー2冊を図書館に返却し、スメリー訳のビュフォン『自然史』を1冊、借り出してきた。いつものことだが、借りる時よりも返す時の方が重い。

2017年6月5日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。

2017年6月4日(日)ビュフォンの発生論
昨日に続き、ビュフォン「動物一般史」の第3章「栄養と成長」を再読。用語「有機分子」(molecule organique) の登場していることが確認できた。スメリー訳では particle としていたので、前に読んだ時は見逃していた。ビュフォンは最下層の有機粒子を有機分子と呼んでいる。ビュフォンの発生論は有機分子説とするよりも、有機粒子説と呼ぶべきだろう。とにかく「有機分子」という用語の登場を確認できたのがよかった。

2017年6月3日(土)ビュフォンの発生論
 ほぼ一日、ビュフォン『自然史』第2巻の「動物一般史」第2章「生殖一般」の再読に集中することができた。といっても集中力が持続しないので、30分読んではⅠ時間休むと行った具合だが、有機粒子説が初登場の段階からあいまいであることが分かる。大げさな前振りの後で登場する内部鋳型説も言葉だけで内容はない。こうした点を整理していけば良いだろう。
 2週間振りに勉強ができたことになる。間が空きすぎ。気合いを入れ直そう。夜になって6日分のジャーナルをまとめ書き。

2017年6月2日(金)大阪市立美術館「木彫仏展」
 午前中に近鉄・河内長野から阿倍野橋へ。まず、天王寺公園が様変わりしていることに面食らった。1987年に公園が有料化されて以来、公園入り口で美術館のチケットを購入していたが、入園は無料になり、レストランや売店の施設も整えられていた。市立美術館の特別展「木 × 仏像:飛鳥仏から円空へ 日本の木彫仏1000年」は明後日まで。こうした展覧会は終了日が近づくにつれ混雑するものだが、本日はほどほどの混み具合であった。素材や工法の変遷という観点から木彫仏を見たことはなかったので、有益な展覧会だった。作品としては、東大寺の通称「試みの大仏」。小ぶりなのに、迫力がすごい。ポスターにも使われている宝誌和尚立像は、左右に裂けた顔の下に同じ顔がある。この異様さは忘れることがないだろう。2階で同時に開催されているコレクション展は、「仏画」と「丸山・四条派」。特別展の途中で応挙や呉春を見るのも、気分転換になって良い。
 それだけでなく、お茶で一休みしたかったが、地下のレストランは閉鎖され、2階の喫茶コーナーも開かれていなかった。美術館ではゆっくりしたい入館者の思いを無視しているのではないか。

2017年6月1日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、ビュフォンに取り組もうとしたが、集中力が出ないのであきらめた。

2017年5月31日(水)ビュフォン研究再開に着手
 ビュフォンの全容について本格的なものをまとめる余裕はない。あくまでも遺伝学成立史の一環として取り組むなら「動物一般史」の発生論を整理し、その後の展開を若干、付け加える程度で良いだろう。今度はライアンとスローンの『ビュフォン読本』の英訳を中心に再読することにした。

2017年5月30日(火)無為
 家事雑用をこなしただけ、ビュフォン本を開く気力も無い。

2017年5月29日(月)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。

2017年5月28日(日)無為
 昨夜は一旦眠りに落ちた後、左足の猛烈な痛みで目が覚めてしまった。二尊院詣でが負担になったのだろう。右手に杖を持って歩くためか、右足は大丈夫だったし、左足も痛みが治まってからは再発することはなく、眠ることができた。昼間は家事雑用でなんとなく時間が過ぎ、夜になって4日分のジャーナルを書いている。ビュフォン研究はまた、持ち越しになってしまった。

2017年5月27日(土)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で、京都嵯峨野の二尊院へ。5月らしからぬ暑い日が続いているが、今日はさいわい、しのぎやすい一日だった。夕刻6時ころ、二尊院門前では愛宕神社の法被を着た30人ほどの男性たちが、明日の嵯峨祭・還幸祭に備えて御神輿担ぎの練習をしていた。前半は一人一人、独特の足踏みを確認し、後半は数人で棒を担ぎながら担ぎ手が交代する練習をしていた。御神輿が重いので、担ぎ手を頻繁に交代させる必要があるらしい。5月の第3・第4日曜日に野宮神社・愛宕神社合同の由緒あるお祭りがあることを初めて知った。

2017年5月26日(金)ビュフォン論
 朝は家事雑用の後、電動車椅子でスーパーまで買い物に。午後はぼんやり過ごし、夜になって、このジャーナルのビュフォン関連記事を整理した。まずはこれを読み直し、ビュフォンについて復習しておきたい。

2017年5月25日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は疲労感が強く、何もできない。

2017年5月24日(水)文献整理
 午前中は家事雑用。午後、疲れが出てしばらく、ぐったりしていたが、やや落ち着いてから散らかっていた文献類を整理し、ビュフォンの発生論をまとめるための態勢を整えた。夜になって3日分のジャーナルを執筆。

2017年5月23日(火)丸善『動物学事典』
 カミさんが留守なので早朝4時から遠慮すること無く、がたがた音を立てて雑事を始めた。パソコンを開くと標記の書の編集部からメールが届いていた。昨年末締め切った原稿の点検が終了したのであろう。当方が担当した「ダーウィン」と「ラマルク」については人名表記法が修正された程度で、本文はそのままであった。編集委員のコメントには、「よく整ったお原稿をいただき、誠にありがとうございます」とあるが、自分で読み直しても、それぞれの生涯、動物学上の業績、および進化論の特徴を制限字数内で的確にまとめていると思う。自画自賛。ビュフォンなどについても同水準のものが書けるようにならねばならない。
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス」で運動機能訓練。昨日の疲れも残っていたが、いつもの運動量をこなすことはできた。

2017年5月22日(月)宇治・平等院
 高校クラス会の一泊二日の旅行に参加するカミさんを難波まで送ったついでに淀屋橋に出て、京阪で宇治に向かった。できれば快慶展の奈良博か木彫仏展の大阪市立美術館に行きたかったが、どちらも月曜休館なので、久しぶりに平等院を訪れることにした。まだ学生だった50年ほど前に訪れているが、関西に移住してからは来たことがなかった。参道の茶店で聞くと、世界遺産になって状況が一変したという。本日も修学旅行生であふれていた。ただし、鳳凰堂内部は一般参拝者に限られていた。それも20分の制限付きだったが、時間不足ということはなかった。庭園を一回りしてから2001年開館のミュージアム「鳳翔館」へ。鳳凰堂内部が本来、華麗な空間であったことが分かる。古代の日本人にとって仏教寺院はけばけばしく派手で楽しい存在だったのだろう。
 元気なころなら『源氏物語』ゆかりの地や山本宣治の墓碑「山宣独り孤塁を守る」などを見て回るのだが、今は無理せず、昼過ぎにJR宇治に出て京都駅から新快速で帰ってきた。乗車した新快速に緊急停止信号が入ったとかで20分の遅れとなったが、急ぐ旅ではなし、まったく気にならなかった。

2017年5月21日(日)ジャーナル執筆
 まだ5月だというのに異常な暑さ。我慢できず、今年初めての冷房運転をした。それでも日中は体がだるい。夜になって5日分のジャーナルをまとめ書き。ビュフォンについての概要はつかめたので、次は、ビュフォンの発生論を研究会で発表できる形にまとめなければならない。

2017年5月20日(土)ロジェのビュフォン論
 午前中は家事雑用。午後はロジェ『18世紀』の「エピローグ」読了を目標とし、なんとか達成した。最終結論として著者は、18世紀の生物学では、理性による生物の理解を唱えたのはビュフォンだけであった。その意味で18世紀は「懐疑主義の時代」(the age of skepticism)であったという。教科書的には「理性の時代」とされている18世紀を「懐疑主義の時代」と呼ぶのは、新鮮で刺激的である。最後に著者は、科学は時代精神と結びついているので、科学史は過去を明らかにするだけでなく、人間性(humanity)のより良い理解を推進するものであると述べて、本書を締めくくっている。自分の仕事に自信が無ければ、科学史は人間性の研究でもあるなどと断言できないだろう。

2017年5月19日(金)骨量
 昼前に田中整形外科へ。久しぶりに骨量を測定した。田中整形に通った6年間、絶対値はほとんど変化していない。医療機関によって測定法が異なるので確実なことはいえないが、肋骨骨折をきっかけに骨量測定をするようになった2002年以来、絶対値はおおよそ同じと思われる。この歳になって減少しないというだけでも御の字らしい。
 外出ついでにチェーン店で昼食。これだけのことで帰宅後は疲れて、またしてもなにもできない。

2017年5月18日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。いつものことだが、午後は疲労感でなにもできず。

2017年5月17日(水)ロジェのビュフォン論
ロジェ『18世紀』の「エピローグ」に着手。本書の本論では詳細な注が付記されているが、各部の「まとめ」(conclusion)と「エピローグ」には注記はなく、著者の持論を一気に展開している。著者によれば、17世紀と18世紀の動物発生論には当時の知的状況が色濃く反映している。当時、自然は人間にとって不可解な存在であり、物理学分野で成立した機械論は、本来、生物学には適用できないものであった。発生の先在説は生物の発生を神の力にゆだね、理性による理解を放棄したものであった、という。本書の第2部と第3部を読んでいないので分かりにくいところもあるが、とにかく読み進めなければならない。

2017年5月16日(火)ロジェのビュフォン論
ロジェ『18世紀』第3部の「まとめ」の読了を本日の目標とし、なんとか達成した。科学と神の関係が18世紀に大きく変わった。自然界の驚くべき事実に神の力を賛美するのではなく、二次原因としての自然の秩序を探求するようになった。その中心となったのは生物学、とくに発生論であった。ビュフォンらの後成説には研究結果よりも哲学的考察が先立っていた。ビュフォンの発生理論である「内的鋳型」「浸透力」「有機分子」には無理があったが、それでも後成説を取ることにより、遺伝、および環境の影響という広大な分野が生物学に開かれることになった。ロジェによれば、モーペルチュイとビュフォンは幾何学的機械論から抜け出していない過渡的存在ではあるが、新たな視野を開いた重要人物であった。

2017年5月15日(月)デイサービス
 午後にデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。『読売新聞』(4月21日付夕刊)に掲載された「ポラリス」の記事が話題になったので、コピーを見せてもらった。自立支援型のデイサービスの事例として紹介され、訓練の結果、利用者の介護度が下がると介護保険から事業所に支払われる報酬が減少するという矛盾が指摘されていた。

2017年5月14日(日)家事雑用
 家事雑用、駅前スーパーでの買い物で本日は終わり。

2017年5月13日(土)一休み
 ロジェ『18世紀』第3部の「まとめ」に取りかかったが、気力が続かない。連日の集中は難しいので、日中はぼんやり過ごし、夜にジャーナルを書いている。

2017年5月12日(金)ロジェのビュフォン論
ロジェ『18世紀』第10章の読了を本日の目標とし、なんとか達成した。ハラーに次いで、ボネ、スパランツァーニと、発生の先在説を紹介し、最後にヴォルテールの生物論を取りあげている。機械論とキリスト教を信奉する彼らにとって、後成説は許しがたいものであった。ボネの先在説はハラーほど頑なではなく胚に対する雄親の影響は認めたが、雌親の影響は否定した。ビュフォンの有機分子説は彼らにとって論外であった。ロジェはヴォルテールの科学論、生物論を克明に追っている。ヴォルテールは科学研究に限界があることを強調し、先在説の否定は神の否定になるとみなした。科学史でヴォルテールが取りあげられるときは、通常、ニュートン主義の導入者として高く評価されるが、ロジェは科学の敵対者として描いている。生物学史でヴォルテールに言及する必要はないだろうが、先在説が広まる背景を理解する助けにはなる。

2017年5月11日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後は疲労感でぼんやり過ごす。夜になって気力が回復したので、3日分のジャーナルを書いている。

2017年5月10日(水)ロジェのビュフォン論
 午前中は散髪に出掛け、午後はロジェ『18世紀』第10章を読み継ぐ。ビュフォンとほぼ同じ歳のハラー(1708-77)による『自然史』批判(1750)は穏やかだったが、ハラーが発生の先在説を確信するようになった後の『生理学要論』(1757-66)ではビュフォン批判が厳しいものになった。ハラーは遺伝現象自体を否定しているという。遺伝学成立史をまとめるためには、ハラーの発生論も押さえる必要があるだろう。

2017年5月9日(火)ロジェのビュフォン論
ロジェ『18世紀』第10章を読み継ぐ。ビュフォン『自然史』最初の3巻(1749)についての評論として初めに紹介されるのは、マルゼルブの著作(1798)である。ロジェによれば、同書の執筆は『自然史』出版直後だったが、著者が出版を自粛したという。ロジェはマルゼルブの理解力不足を指摘しているが、革命期の政治家として有名なマルゼルブ(1721-94)が若き日に堂々たる科学論を執筆していたことに、18世紀という時代の面白さがある。旧世代のレオミュール(1683-1757)と新世代のビュフォン(1707-88)とは、所詮、相互理解が不可能であったというロジェの指摘も印象的であった。

2017年5月8日(月)デイサービス
 午前中、電動車椅子でスーパーへ買い物に。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。夕食後、数分間、うたた寝したつもりが1時間以上寝込んでいた。こうなると本格的に寝入るのが難しくなるので、3日分のジャーナルを書くことにした。

2017年5月7日(日)ロジェのビュフォン論
午前中にロジェ『18世紀』の第10章を数ページ読み進める。ビュフォン『自然史』最初の3巻(1749)に対する反応が記述されている。これについては、ライアンとスローンのビュフォン読本(1981)に収録されている当時の書評の英訳抜粋も役に立つ。午後は駅前スーパーでの買い物など、家事雑用で終わる。

2017年5月6日(土)ロジェのビュフォン論
 ロジェ『18世紀』の第10章「新しい科学への抵抗」に着手したが、2ページ足らずを読んだところで、脳が機能停止。なぜか心身ともに不調。ぼんやり過ごすしかない一日であった。

2017年5月5日(金)ロジェのビュフォン論
 今日は朝から調子が良い。ロジェ『18世紀』第9章「ビュフォン」・第3節「秩序の探求」後半と第4節のまとめを読了。ロジェによれば、ビュフォンの種概念は一定しておらず、広義の種は不変で、デジェネレーションによる変化は変種をもたらすだけであるという。『自然の諸時期』では地球の歴史性を説いているが、ビュフォンの目的はあくまでも、変化しない自然の秩序を求めることにあったという。ほかにも、発生の先在説を否定する一方で、その有機分子説には先在説的な要素が認められるなど、ビュフォンの学説は根本的な矛盾を抱えているという。
 ここまでのビュフォン論をまとめ直す必要もあるが、今は発生論史を急がねばならないので、同書第10章「新しい科学への抵抗」に目を通し、当時の有機分子説批判を確認しておきたい。

2017年5月4日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後は異常な疲労感でなにもできない。こういう日は無理はせず、ぼんやり過ごすしかない。

2017年5月3日(水)ロジェのビュフォン論
 昨日の疲れが取れていない。午前中は家事雑用。午後、ロジェ『18世紀』第9章「ビュフォン」・第3節「秩序の探求」の前半10ページをなんとか読了。ビュフォンは「動物の本性」(1753)でも『自然の諸時期』(1778)でも人間特有の理性を強調しているが、『諸時期』の草稿を研究したロジェによると、ビュフォンの本音としては動物と人間の起源を区別しておらず、成長の遅い人間の社会生活による理性の発達を重視していた。表向き人間特有の理性を強調するのは宗教勢力に対する用心のためであるという。「動物の本性」は『自然史』第4巻冒頭のソルボンヌ(パリ大学神学部)との往復書簡の直後に置かれているので、とりわけ神学者を意識していたと見ることもできる。ビュフォンの本音はコンディヤックの感覚論とそれほど違わないのかもしれない。建前と本音の違いは、ビュフォン論の難しい点の一つである。

2017年5月2日(火)庭掃除
 ヘルパーさんのミスで穴の空いた階段の壁紙修理のため、昼間は自分の部屋が利用できない。閑なので庭の落ち葉を隅々まで掃除してみた。予想以上に疲労困憊。夕食後はさっさと寝るほかない。

2017年5月1日(月)文楽三味線の名人たち
 朝は家事雑用の後、電動車椅子でスーパーへ。帰宅後、急いで昼食を済ませ、12時からテレビにかじりついた。4月28日(金)放映のNHK・Eテレ「にほんの芸能・文楽の名人たち」の再放送である。本放送の時は、結局、寝てしまったので、再放送を見逃すわけにはいかない。放送が終わって間もなく、デイサービス「ポラリス大矢船」の送迎車で運動機能訓練へ。
 放送では戦後の文楽三味線の名人として、六世鶴澤寛治、四世鶴澤清六、二世野澤喜左衛門の3人を紹介していた。解説は渡辺保。放映されたのは全て半世紀前の映像。津太夫・先代寛治・玉助で「一谷・組打」。春子太夫・清六・紋十郎で「野崎村」。越路太夫・喜左衛門・栄三で「寺子屋・いろは送り」。先代寛治の独特の舞台姿もなつかしい。息子の現・寛治にもその面影がうかがえる。
 デイサービスからの帰宅後、昭和50年刊行の『国立劇場芸能鑑賞講座・文楽』を引っ張り出し、巻末の「文楽名鑑」を開いてみた。上記の9人のうち、ここに残っているのは津太夫、越路太夫、喜左衛門の3人だけである。この3人については当方の記憶も明確である。「名鑑」に「竹澤団六」として掲載されている現・寛治の顔写真の若いこと。「豊松清之助」として掲載されている現・清十郎はまだ16歳の少年であった。
 評論家の渡辺保は誕生日が当方とほとんど同じで、3歳年上である。しかも小学校に入る前から歌舞伎を見ていたのだから、当方とは芝居鑑賞歴に15年の差がある。テレビでは81歳という年齢を感じさせない若々しさで、的確な解説をする。今回も文楽三味線の面白さを分かりやすく解説していた。文楽三業のうち、三味線の個性を聞き分けるのが一番難しい。少しでも渡辺のレベルに近づきたいものである。

2017年4月30日(日)ビュフォン「動物の本性」
 午前中は家事雑用。午後にビュフォン「動物の本性」を読み続けたが、動物と人間の心的能力の差を論じたもので、発生論とはほとんど関係ないことが分かり、中途で打ち切った。ビュフォンは、人間には動物と同じ認識能力に加えて理性があるという。本論の後半は「二重人間」(Homo duplex)というタイトルのもとで理性と獣的欲望との葛藤を論じている。古茂田が訳したコンディヤック『動物論』(1755)はこのビュフォンの「動物の本性」(1753)に対抗して刊行されたものであった。古茂田の訳注ではビュフォンの論考を「人間本性論」としている。内容は確かにその通りだが、原文タイトルは la nature des animaux となっているので、「動物本性論」と訳すほかないだろう。なお、古茂田もビュフォンについてはフランス語原文をプレイヤード叢書で確認している。フランス思想史の専門家でもそうなのだから、科学史家がこの叢書を利用することに問題はないだろう。

2017年4月29日(土)家事雑用
 昼間は家事雑用で終わり。夕食後、ビュフォン研究を再開しようと、『自然史』第4巻の「動物の本性」を、プレイヤード叢書を参照しつつスメリーの英訳で読み始めたが、2ページも進まぬうちに気力体力が尽きてしまった。無理をして読み続けても字面を追うだけになってしまうので、本日は終わり。

2017年4月28日(金)ホームページ更新
 家事雑用を処理した後、気になっていたデータを更新した。まず、トップページの年齢77を78に修正。例年は誕生日から1ヶ月以内に修正していたが、なんとなく面倒だった。つぎに、文楽関係のジャーナルを「芝居」のページにコピー。これも以前はジャーナル執筆と同時に行っていた。さらに「研究業績」のページに『生物学史研究』94号(2016年8月)に掲載した「総説・メンデルは遺伝学の祖か」を追加。更新するのが億劫になっているのも、老化現象の一つだろう。せめてジャーナルを書き続けることで、気力を保たねばならない。
 今夜、11時からNHKテレビで戦後の文楽・三味線の名人たちが紹介される。この時間は寝ていることが多いが、できれば今日は起きていたいものだ。

2017年4月27日(木)ジャーナル執筆
 午前はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後は雑件処理の後、2日分のジャーナルを執筆。昨日分の記述は自分のためのメモのようなものだが、他人も読むことを意識するときちんとしたものを書く。その意味でもジャーナルは自分自身の役に立っている。

2017年4月26日(水)ビュフォンの有機分子説
 ロジェ『18世紀』第9章「ビュフォン」・第2節「発生理論」を読了。集中力が持続しないので、休み休み、14ページを2日がかりでじっくり読んだ。ビュフォンの発生論について気になることの一つは、「有機分子説」という表現である。ビュフォンの発生論はこの名で呼ばれているが、その内容が最初に登場するのは、『自然史』第2巻「動物の一般史」第2章「リプロダクション一般」の第3段落冒頭の下記の文である。<Cela nous conduit a croire qu'il y a dans la Nature une infinite de parties organiques actuellement existantes, vivantes, > スメリーはこの部分に訳注を付記し、parties と同じ意味で用いられている corps, および molecules をすべて一律に particles と訳したと述べている。原文では上記の文の直後で、有機成分と対比される無機成分を particules brutes と表現している。したがってここでは parties と particules とは同意義とみなしてよい。『自然の諸時期』の第5期にはmolecules organiquesという表現があるが、「動物の一般史」ではもっぱら parties organiques が用いられ、molecules organiquesという表現を見つけることができなかった。当方の読み方が足りないだけのか。

2017年4月24日(月)デイサービス
 午前中、電動車椅子でスーパーへ買い物に。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。今日はスタッフに本部職員が1人、加わっていた。帰宅、夕食後はエネルギー切れ。さっさと寝るほかない。

2017年4月23日(日)ジャーナル執筆
 外は晴天、雲一つ無い。絶好の行楽日だが、毎日が日曜の当方が出掛けることはない。ようやく疲れも抜けてきたので、なんとしてもこの1週間のジャーナルを書かなければならない。ジャーナルを書き終えたところに、テレビからバッハのオルガン曲が聞こえてきた。ちょうど良いタイミングである。

2017年4月22日(土)無為
 昼間は家事雑用。夕食後、ジャーナルを書こうとしたが、今日もまた、パソコンを開ける間もなく眠りこけてしまった。5日続けての外出のため、予想以上に疲労が蓄積しているようだ。

2017年4月21日(金)文楽「寺子屋」
 「六代豊竹呂太夫襲名披露」の国立文楽劇場・4月公演・昼の部へ。満席に近かったように思われる。最初は祝儀曲の「寿柱立万歳」。床直下の席なので耳元で五丁の太棹が鳴る。至福の時である。続けて「菅原」の三段目「佐太村」。「口上」を挟んで、四段目「寺子屋」。口上の司会は咲太夫で、三味線代表は清治、人形代表は勘十郎。後ろに三味線の藤蔵のほか、6人の太夫が並んだ。希太夫と亘太夫は呂太夫の弟子なので、後の4人、三輪太夫、津駒太夫、千歳太夫、それと呂勢太夫が次代を担う太夫と目されているのであろう。呂勢太夫・清治の「寺入り」の後、呂太夫・清介が首実検まで。切りは咲太夫・燕三。咲太夫を聴くのは2015年4月、玉男襲名披露の「熊谷陣屋」以来である。おそらく今が気力体力とも最も充実している時期であろう。簑助は動きの少ない桜丸だけ。残念だが、もはや簑助の千代を見ることはできないのであろう。
 とにかく楽しい半日であった。ただ、いかに名作でも息子を見殺しにする親の悲しみを続けてみるのは、重苦しい。今回は時間的に無理だろうが、間に「天拝山」を挟むか、最後に雷を落とすかして、気分転換を図って欲しいと思う。
 次回、夏休み公演の第2部が「源平布引滝」、第3部レイトショーが「夏祭浪花鑑」。「長町裏」にも惹かれるが、時代物が好みなので「布引滝」を見に行くことになるだろう。今から楽しみにしておこう。

2017年4月20日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後は家事雑用。夕食後、せめてジャーナルをと思ったが、パソコンを開ける間もなく、眠りこけてしまった。

2017年4月19日(水)ビュフォン文献
 朝、近大病院眼科へ。白内障手術後の経過確認、問題なし。そのまま桃大へ。図書館にヴォルテール関連の文献を返却し、新たにビュフォン関連の文献を3点、借り出した。一つはコンディヤック(古茂田宏訳)『動物論』(法政大学出版会 2011)。ビュフォンの動物論を批判しているが、もっぱら人間と動物の認識能力の異同を問題にしているので、今は読んでいる余裕がない。次はライアンとスローンによるビュフォン読本(1981)。ビュフォンの著作からの抜粋、ならびに当時のビュフォン批判を英訳したもので、定年退職に際して当方が寄贈したものであった。数十年前、大阪教育大教授だった鈴木善次さんや同志社大教授だった故・松尾さんら数人と同書の輪読会を月1回、開催していた。フランス語に堪能な参加者もいて、なんでわざわざ英訳で読むのかと不満を漏らしていたことを思い出す。
 3冊目がスメリー訳・ビュフォン『自然史』の第3巻。ここには『自然史』第4巻の「動物の本性についての論説」が収録されている。
 最後に新DNBの「バハン」(William Buchan)の項目をコピーし、帰り車内で読み終えた。バハン『家庭医学』(1779)は英米の一般家庭で歓迎され、版を重ねたことで知られている。ジョルダノヴァも引用しているので、著者について知っておこうと思った。項目の解説によると、同書の初版ではバハンの原稿をスメリーがほとんど書き直しているという。当時のイギリスの自然史や医学でスメリーが果たした役割をきちんととらえることが必要なようだ。

2017年4月18日(火)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。渡月橋から桂川を見下ろすと、昨夜の豪雨のため濁った水が両岸ぎりぎりまで来ていた。桜は終わったが、嵐山は観光客で賑わっており、二尊院の参拝者も増えてきた。とにかくお疲れ様の一日であった。

2017年4月17日(月)18世紀のreproduction
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅するとアマゾンで発注した洋古書が届いていた。出産についての世界的な政略を扱った論文集『新しい世界秩序を考える:リプロダクションのグローバルな政略』(1995)である。当方が読みたかったのは第20章ジョルダノヴァ「18世紀におけるリプロダクションの概念」だけなのだが、他大学へのこの章だけの複写依頼は不可。本を借り出すことは可能だが、手数料が高額である。現役時代は研究費で落とせるので気にしなかったが、今は安い古書を探すことにしている。いつもは紀伊國屋書店のサイトでアメリカの古書店のものを探すのだが、今回は国内で安いものが見つかった。書き込みが多いとの説明があったが、読むのに邪魔になるほどでは無かった。輪読のテキストに使われたと思われる。ジョルダノヴァはジェンダーと科学の問題の専門家として知られているが、この章では医学生物学用語となった「リプロダクション」が18世紀のイギリスで社会的政治的に大きな意味を持っていたと論じているようである。ただし、集中力に欠ける状態で走り読みしたので、いずれ読み直さなければならない。期待していた内容とはずれていたが、「リプロダクション」という用語の意義を考えるうえで参考になるであろう。日本の生物学では「リプロダクション」を「生殖」と翻訳しており、それはそれで差し支えないだろう。しかし生物学史家がこの用語の歴史的意義を考えるうえでは、字義通り、「再生産」としなければならないだろう。

2017年4月16日(日)ロジェのビュフォン論
 家事雑用の後、ロジェ『18世紀フランスの生物学』の第9章「ビュフォン」に着手。まだ数ページを読んだだけだが、さすがに鋭い分析がなされている。読み通すのが楽しみである。

2017年4月15日(土)ジャーナル執筆
 午前中に電動車椅子で葉桜の並木を通り、隣町のスーパーまで出掛けた。帰宅後、先週土曜日からのジャーナルをまとめ書きした。ビュフォンの発生論を復習しながらの作業となったので、予想以上に時間が掛かってしまった。今月の第一週はほとんど読書の余裕が無かったが、第二週になって、英訳ではあるが、ビュフォンの発生論を読み通すことができた。これからロジェなどの二次資料を参照して、これを歴史的に位置づける作業に入らなければならない。

2017年4月14日(金)ビュフォンの発生論
 ロジェ『ビュフォン』の第9章「発生から生殖へ」と第10章「生殖から生命の問題へ」を再読。ビュフォン『自然史』第2巻前半の「動物の一般史」の各章を解説している。ビュフォン発生論の「内的鋳型」、「有機粒子」、「浸透力」といった概念はブルゲ(1729)とモーペルチュイ(1745)に負うところが多いという。それでも科学史でビュフォンの発生論が重視されるのは、強い影響力を持つ立場で前成説を批判し、遺伝現象に注目したことによるのだろう。

2017年4月13日(木)ビュフォン「動物の一般史」読了
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、ビュフォン「動物の一般史」の後半をスメリーの英訳で通読。これで『自然史』第2巻前半の「動物の一般史」を、とにかく最後まで目を通したことになる。
 第6章、第7章、第8章の3章ではビュフォンが実施した「発生の関する実験」を記述している。内容は精液の顕微鏡観察である。ただしビュフォンは雄の精液と同様のものが雌にもあるとみなしているので、男性の死体の精巣から取り出した精液のほか、女性の精巣(卵巣)から得た液体も観察し、顕微鏡で見た男女の精液には違いが無かったという。顕微鏡像の図版も付記されているが、繊維状のものが描かれている。ビュフォンはこの顕微鏡観察により有機粒子の実在を確認したとしているが、ビュフォンが見たものはなんだったのだろうか。ロジェによれば、当時としては高性能な単式顕微鏡で、滴虫類や組織の断片を見ていたのだろうという。ビュフォン自身は重視している3章だが、ざっと目を通すだけで十分だろう。
 第9章「動物の発生の多様性」では、卵生と胎生の違い、出産数や生殖時期の違い、昆虫の変態などを解説し、最後に有機粒子の多様性を論じている。第10章「胎児の形成」ではヒトの場合が例示されている。男女の精液から、最初にどちらかの生殖器官が形成され、それを中心に体の各部分が形成されていく。余分になった残り半分の有機粒子から胎盤などが形成されるという。この章で特徴的なのは、「内的鋳型」という用語が一度も登場しないことである。ビュフォンの発生論にとって、この概念は無くても差し支えなかったといえよう。第11章「胎児の成長」ではニワトリとヒトの場合を例示している。最後の「要約」には「内的鋳型」が一度だけ登場する。第2章で熱弁を振るって導入したこの用語を見捨てるわけにはいかなかったのだろう。

2017年4月12日(水)ビュフォン「種々の発生論」
ビュフォン「動物の一般史」第5章「発生についての種々の体系」をスメリーの英訳で通読。プレイヤード叢書には第4章までしか収録されていないので原文の参照はできなかったが、問題はあるまい。アリストテレス以来のさまざまな発生論を丹念にたどっている。ハーヴィの発生論も詳細に紹介されている。発生学史の資料として、いずれ再読する価値がある。

2017年4月11(火)ビュフォン「動物の発生」
ビュフォン「動物の一般史」第4章「動物の発生」を通読。成長に用いられなくなった各部分の余分な有機粒子が精巣に集まって精液になる。雌にも雄と同様の精液があるはずだという。

2017年4月10日(月)ビュフォン「栄養摂取と成長」
今週から月曜午後と木曜午前にデイサービス「ポラリス大矢船」へ通うことになった。家ではビュフォン「動物の一般史」第3章「栄養摂取と成長」を通読。成長は各部分における有機粒子の同化だという。

2017年4月9日(日)ビュフォン「生殖一般」
ビュフォン「動物の一般史」第2章「生殖一般」を通読。ビュフォンの発生論として有名な「有機粒子」と「内部鋳型」が登場する。「有機粒子」は均質では無く、生物の種類や部分の違いに応じたさまざまな種類があり、また結合のレベルにもさまざまなレベルのものがあるとみなしているようである。「内部鋳型」という用語は分かりにくいし、ビュフォンもそのことにこだわって長々と弁明している。現在のわれわれとしては、自己複製機構のことと理解してよいように思われる。

2017年4月8日(土)ビュフォン「動物と植物の比較」
 昼間は家事雑用で終わり。夜になってビュフォン『自然史』第2巻の「動物の一般史」第1章「動物と植物の比較」を、プレイヤード叢書を参照しつつスメリーの英訳で通読した。動物と植物とを決定的に区別する基準はないが、通常は明確に区別できる。ただし、両者の境界線上にあるポリプなどの判別は困難であるという。この章の最後で、突然、次のようにいう。「生きているということは、存在の形而上学的な一段階ではなく、物質の形而下的(自然学的)な一特性である」。一見、唯物論を宣言しているように読めるが、ビュフォンは有機粒子自体が生きているとみなしているので、通常の意味での唯物論とは呼べないであろう。

2017年4月7日(金)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、今日も集中力に欠けるのでビュフォン研究はあきらめ、5日分のジャーナルをまとめ書きすることにした。

2017年4月6日(木)ビュフォンの自然史論
 3月29日(水)以来、散発的にビュフォン『自然史』第1巻冒頭の自然史論を読み直し、それについてのロジェの解説(『18世紀生物学』第9章「ビュフォン」第1節「人間の知識」)を読み終えた。ビュフォンの科学論の最大の特徴は、神の不在ではなかろうか。ダーウィン『種の起源』よりも徹底している。それが実質的にとがめられることもなかったことに留意しなければならない。

2017年4月5日(水)散髪
 午前中は狭山駅前で散髪。前回の散髪から40日経っている。さすがにうっとうしくなっていたが、人前に立つことも無いので、つい、放っておいた。そんなことを理髪店のマスターに話したら、老け込まないためにも身だしなみに気を使えといわれた。散髪後、河内長野駅にもどり、ラブリーホールで「ホフマン物語」のチケットを受領。バスを乗り継いで帰宅。これだけの行動で疲れてしまった。

2017年4月4日(火)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後も家事雑用で今日は終わり。

2017年4月3日(月)「ホフマン物語」予約
 6月11日の河内長野マイタウンオペラ「ホフマン物語」の会員先行予約初日なので、ネット予約を試みたが、うまくいかない。結局、電話で予約を済ませた。後日、もう一度ネットの画面を眺めて、自分の操作の誤りに気付いた。画面が不親切だともいえるが、こちらも注意力が足りなかったんだな。

2017年4月2日(日)戦前回帰の恐怖
 昨日の新聞によると、安倍内閣は「教育勅語」を教材として用いることを容認する閣議決定をしたという。また、中学校の新学習指導要領で、保健体育の「武道」に「銃剣道」が加えられたという。右旋回がここまで進行していることに、背筋の寒くなる思いがする。「教育勅語」は天皇が「臣民」に対して「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」、すなわち皇室のために尽くせと命じるものである。教材として利用する余地はない。白兵戦のための銃剣術を中学生に教えるのか。森友学園問題も、右傾化教育を推進する勢力がもたらしたものである。いつのまにか日本はおかしな方向に走り出している。怖い。

2017年4月1日(土)診断書
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後はそのまま河内長野駅前に出て昼食後、近大病院へ。2月の白内障手術の診断書を受け取りに来た。2月9日退院後、いつまで経っても診断書作成の連絡が来ないので、3日前に問い合わせたところ、退院1週間後にはできていたという。なぜ、きちんと連絡してくれなかったのか不可解だが、こちらも遠慮無く問い合わせるべきだったのだろう。とにかくこれで、保険会社に請求書類を送付することができた。
 帰宅後、夜になって5日分のジャーナルをまとめ書き。

2017年3月31日(金)休養
 昨日の暖かさから一変、寒い日となった。昨日の疲れが出て、なにもできない。終日、ごろごろ、ぼんやり過ごすほかない。

2017年3月30日(木)興福寺「天平乾漆群像展」
 午前中に近鉄奈良駅から、まず、興福寺の仮講堂(旧仮金堂)へ。国宝館が耐震工事で1年間、休館するため、国宝館の旧西金堂群像が移されている。八部衆像など、国宝館でなじみの像は国宝館の時より遠くになってしまった。存在感があったのは、本来は南円堂にあった鎌倉期の四天王像。大きさのためもあって、天平乾漆群像よりも目立っていた。中尊は仮金堂の中尊だった江戸時代の釈迦如来坐像ではなく、阿弥陀如来座像(観禅院大御堂)になっていた。仮講堂の後は東金堂へ。国宝館にあった山田寺仏頭が移されていたが、照明の違いか、国宝館で見たときほど美しく感じなかった。ここ数年、興福寺友の会に入ってきたが、国宝館休館中の2017年度は休むことにしたので、次に興福寺を訪れるのは来年度になるだろう。
 近鉄駅前にもどって昼食後、バスで奈良博の仏像館へ。なじみになっていた浄土寺の阿弥陀如来立像(裸形)が消えている。4月8日に始まる特別展「快慶」に出品のために移されたという。仏像館はシニア無料だが、特別展は1,500円、どうしようか。

2017年3月29日(水)ビュフォン「自然史論」
 ロジェ『18世紀生物学』第9章「ビュフォン」の第1節「人間の知識」に取りかかる前に、『自然史』第1巻冒頭の自然史論を読み直すことにした。

2017年3月28日(火)デイサービス
 午前は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後も家事雑用で本日は終わり。

2017年3月27日(月)ド・マイエ
 午前中にロジェ『18世紀生物学』第8章「先駆者と異端者」の第4節「ド・マイエ](pp.420-25)を読了。続けて第9章「ビュフォン」に進むべきなのだが、風邪気味で気力欠如。夜になって、なんとか3日分のジャーナルを書いている。『テリアミド』(1748)は刊行の50年前に書かれたもので、すでに時代遅れになっていたという。ここでも同書の概要を読者が知っていることが前提されている。著者のいう「先駆者」とはモーペルチュイとニーダムであり、「異端者」(Marvericks)とはラ・メトリーとド・マイエのことであった。ビュフォンを基準にしての評価であろう。

2017年3月26日(日)買い物
 昼過ぎにバスで河内長野駅前に出掛けて百均と書店で用を済ませ、三日市町駅前にもどり、スーパーで買い物。これだけで体力消耗。初めから分かっていたことではあるが、頭を使うのは無理になった。

2017年3月25日(土)ラ・メトリーとニーダム
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、ロジェ『18世紀生物学』第8章「先駆者と異端者」の第2節「ラ・メトリー」(pp.394-99)と第3節「ニーダム](pp.399-420)を読了。『人間機械論』(1747)についても、ニーダムの自然発生実験報告(1748)についても、基礎的な説明はなく、読者にその知識のあることが前提されている。一般向きではなく、まさに専門書といえよう。『人間機械論』は古代の唯物論を復活させただけで、科学研究を前進させるものではないという。ニーダムの実験についての解説はなく、万物が粒子の引力と斥力によって成り立ちというニーダムの理論を、うんざりするほど詳しく紹介している。著者は明らかに、モーペルチュイとニーダムに好意を寄せている。

2017年3月24日(金)モーペルチュイ
ロジェ『18世紀生物学』の第3部の最初の章、第8章「先駆者と異端者」の第1節「モーペルチュイ」(pp.379-94)を読了。集中力が続かず、30分読んでは1時間休むといった具合だったが、とにかく一区切りついた。ロジェは、モーペルチュイが近代的な生物学を切り開いたと、極めて高く評価している。モーペルチュイの学説をテラル(2002)などでもっと詳細に検討しなければなるまい。

2017年3月22日(水)ウグイス。ロジェ『18世紀生物学』
 昼過ぎに電動車椅子で隣町のスーパーへ。途中、桜並木を通るときにウグイスの声を聞いた。家の中では聞こえなくても、周辺では連日、鳴いているのだろう。しかし桜並木に開花の気配はない。家ではロジェ『18世紀』の全体像を把握すべく、3部に分かれている各部の冒頭部分を読み、章と節の全体を見た。本書は第1部「ルネサンスの終り、1600-1670」、第2部「科学者の哲学、1670-1745」、それと第3部「哲学者の科学、1745-1770」の3部に分けられているが、これを整理しなおせば、第1部は文献医学の時代、第2部は機械論の時代、第3部はビュフォンの時代とすることができるだろう。タイトルには「18世紀」とあるが、17世紀が大きく扱われている。近代生物学の立場からは理解できない時代の生物学思想がていねいに解説されていると思われる。当面の目的ためにはまず、第3部を参照することになるが、いずれ第1部と第2部も読まねばならない。

2017年3月21日(火)デイサービス
 午前中は1時間ほど英訳版ロジェ『18世紀フランス思想における生物学』に着手。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日も女性3人、男性8人。無言だった男性たちもしだいにしゃべるようになってきた。

2017年3月20日(月)モンテスキュー
 体調不良が続いているが、図書館から借りだした下記の本をなんとか読んでみた。ダニエル・モルネ(市川慎一ほか訳)『十八世紀フランス思想』(大修館書店 1990)。18世紀フランスの生物学思想に取り組む前に、当時の思想の全体像を確認しておこうと思って借り出したのだが、大学の教科書向きで、通読しにくい本だった。時間を掛けていられないので、半分程度を読んで打ち切った。若き日のモンテスキューが物理学と生理学の論文を発表していたとは知らなかった。自然への関心が思想家たちに共有されていたことが分かる。また、『岩波哲学・思想事典』で確認すると、『法の精神』は三権分立を説いたものではないという。受験勉強以来、「モンテスキュー、『法の精神』、三権分立」がしっかり頭に刻まれていたので、唖然とした。ほかにも同様のことがあるかもしれない。これもまた、勉強を続ける楽しさの一つたろう。

2017年3月19日(日)体調不良
 おそらく低血圧が続いているのだろう、とにかく動きたくない。本を読んでも内容が頭に入らない。こんな日は焦っても仕方ない。終日、ぼんやり横になって過ごした。

2017年3月18日(土)デイサービス
 朝、遠くでウグイスが鳴くのを聞いた。今年、2度目である。午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。訓練前に計った血圧が84。心配したスタッフが訓練途中で計り直したが、やはり80台。終わるころにやっと100を越え、スタッフも安心していた。帰宅後は昨日の疲れも重なり、ぼんやりしていたが、どうにか3日分のジャーナルを書くことができた。

2017年3月17日(金)嵯峨・二尊院
 本日は彼岸の入り。カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。渡月橋は空いていたが、メイン道路は観光客であふれ、春休みで遊びに来ている女子学生であろう、貸衣装の着物姿も多かった。二尊院では墓地全体の掃除が進んでいた。明日から殺到するお墓参りに備えているのである。

2017年3月16日(木)エア『ヴォルテール』
 図書館から借り出したA.J.エイヤー (中川信・吉岡真弓訳)『ヴォルテール』(法政大学出版局 1991)を読了。といってもヴォルテールに時間を掛けていられないので、1日で読み切ることを優先しての飛ばし読みである。なお、Alfred Jules Ayer の姓は「エイヤー」とは読まないことが分かり、「エア」、「エアー」、「エァ」などの表記が増えているので、ここでも「エア」と書くことにする。哲学科の学生時代、論理実証主義を中心に勉強していたので「エイヤー」の名にも覚えがある。本書の中ではラッセルとの対話やラッセル『西洋哲学史』からの引用が記されており、懐かしい気さえする。このエアがラッセルの評伝(1972)やヴィットゲンシュタインの評伝(1985)を書くのは分かるが、なぜヴォルテールの評伝(1986)に取り組んだのか。本書を読むとヴォルテールのさまざまな分野の作品にエアは批判的なので、なおさら不思議に思えた。しかし本書の最後の文を読んで納得した。現在の「宗教的狂信の恐怖、頑固な政治的不寛容ゆえに全世界に見られるすさまじい危険といった事柄」(p.219)に注目し、18世紀にこうした不正とペンの力で闘ったヴォルテールの「精神的勇気を手本にする」ことを提唱しているのであった。エアが一番読んで欲しかったのは、当方が読むのを省略した最終章「恥ずべきものをひねりつぶせ」で描かれたヴォルテールの闘いだったのだろう。
 ヴォルテールと科学史との関連についてはモーペルチュイとの争いが描かれるだけで、期待外れであった。ただし、ヴォルテールがデザイン論を信奉し、ヒュームの批判を読んでも動じなかったことを初めて知った。18世紀の思想界でデザイン論が強い説得力を持っていたことが分かる。なお、本書ではデザイン論(argument from design)を「設計論証」と訳しているが、本書独自の訳語と思われる。科学史分野では「デザイン論」という用語が定着しているのに、哲学史分野に広まっていないのが残念である。
 ロジェ『18世紀フランスの生物学思想』の索引を見ると、繰り返しヴォルテールが登場している。ヴォルテールと生物学史との関連を知るのも、同書を読む楽しみになってきた。

2017年3月15日(水)ジャーナル執筆
 真冬の寒さがもどってきた。ウグイスの声も11日に聞いただけである。昨日からの疲労感が取れず、ぼんやりしている時間が多かったが、8日から書き溜めてきたジャーナル下書きを修正、補充し、アップすることができた。次はヴォルテールについてざっと勉強した後、ロジェ『18世紀フランスの生物学思想』の読解と並行して、ビュフォンやモーペルチュイの遺伝論をまとめていきたい。

2017年3月14日(火)桃大図書館
 今月の1日に書庫へ置き忘れたメガネを受け取りに桃大図書館へ。その日、名誉教授室で帰宅の支度をしている際、メガネの無いことに気付いた。書庫を含め学内の立ち寄り場所を探したが見つからない。それでも書庫のどこかにある可能性が高いので事務方に伝えて帰宅したところ、見つかったとのメールがあった。こんなことは初めてである。老齢化で注意力が散漫になっているのだろう。家ではほとんどメガネを外しているが、展覧会などにはどうしても必要なので受け取りに来た。この機会に雑誌論文に当たるつもりだったが、なぜか異常な疲労感があるため、あきらめた。それでもヴォルテール関係の翻訳書3冊を借り出してきた。ロジェ『ビュフォン』に繰り返しヴォルテールが登場するので、ヴォルテールについて最小限のことは知っておく必要があるだろうと考えてのことである。

2017年3月13日(月)ビュフォン文献
 ロジェ『ビュフォン』を読了。最終章の第23章「歴史と自然」では『自然史補遺』第5巻として刊行された『自然の諸時期』について解説している。『自然の諸時期』からの引用文の訳を菅谷暁訳『自然の諸時期』(法政大学出版局 1994)の訳文と比較してみた。冒頭の文の菅谷訳は、「社会の歴史においては、人間の手になる変革の時期を決定し、精神にかかわる事件の日付を確認しようとすれば、各種文書を参照し、メダルを調査し、往時の碑文を解読するものである。それと同様自然の歴史においては、世界の古記録を探索し、大地の底から古びた遺物をとりだし、その残骸を集め、自然の各時代へわれわれを導く物質的変化のすべての痕跡を、一群の証拠へまとめあげなければならない」(p.1)となっている。同じ部分のベカエール直美訳は、「市民の歴史において、称号を調べ、勲章を研究し、古代の碑銘を解明して、人間の改革の時期を決定したり、精神的事象の時期を確証したりするように、博物誌においても、世界の記録文書を丹念に調べ、地球の胎内から古い遺物を引き出し、その残骸を寄せ集め、自然のさまざまな時代にわれわれをさかのぼらせることができる自然学的な変化のあらゆる手がかりを、証拠の集成として取りまとめねばならない」(p.477)となっている。原文に当たるまでもなく、菅谷訳の方が的確で分かりやすい。ベカエール訳は誤訳ではないが、不適格である。人間を対象とした l'Histoire civile と、自然を対象とした l'Histoire naturelle が対比され、さらにここでは histoire が単なる記述ではなく、「歴史」の意味で用いられているのだから、「市民の歴史」と「博物誌」とを対比させるベカエール訳は不適切である。また、changements physiques をベカエール訳では「自然学的な変化」としているが、菅谷訳の「物質的変化」とすべきだろう。モーペルチュイの『生身のヴィーナス』(Vinus Physique)がベカエール訳では『自然学のヴィーナス』(p.160)となっている。多様な語義で用いられていたphysiqueを、ベカエールは一律に「自然学」と解釈している。菅谷訳が優れているのは日本語とフランス語の能力の高さに加え、科学史の豊かな素養があるためだろう。フランソワ・ジャコブ『生命の論理』を菅谷訳で読んでみたいものである。
 このようにベカエール直美訳には不満があるものの、これだけ分量のある評伝を読解可能な形で全訳してくれたことには感謝したい。

2017年3月12日(日)ビュフォン文献
 ロジェ『ビュフォン』を読み継ぎ、第21章と第22章を読了。第21章「不屈のエネルギー」では60台、70台のビュフォンを描いている。病気を抱えながらパリとモンバールでさまざまな仕事をこなすビュフォンの活動力は凄まじい。国庫が空っぽの中で王立植物園の拡張、増設を成し遂げた政治力も見事というほかない。費用はとりあえずビュフォンが私費で立て替えたということにもビュフォンの執念が感じられる。学会人事ではコンドルセに負け続けていたとあるが、生物学史書にコンドルセの名が出てくることはない。こういう生々しい人間関係は本書のような評伝でなければ読むことができないだろう。第22章では『鉱物の自然史』などについて解説している。

2017年3月11日(土)デイサービス、ビュフォン文献
 朝、近くでウグイスが鳴くのを聞いた。多分、今年になって初めてのことだと思う。まだ下手な鳴き方だが、いずれ、「ホーホケキュ」ときれいに鳴くようになるのだろう。昨年は秋になっても聞こえていたが、今年はどうだろうか。午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。体を休めてから ロジェ『ビュフォン』を読み継ぎ、第20章「変化するビュフォン評」を読了。

2017年3月10日(金)ビュフォン文献
 ロジェ『ビュフォン』を読み継ぎ、第19章までを読了。ただし、ビュフォンの人間論への反応を扱った第15章と第16章にはうんざりして、適当に読み飛ばすことにした。キリスト教にとって動物と人間と神の関係をどう理解するかが極めて重要な問題であり、ビュフォンのように正当な信仰を放棄した者も、その問題を強く意識していた。著者ロジェもこの問題に大きな関心を抱いているため、当時の人間論を詳細に論じているのだろう。しかしキリスト教信仰に無縁な者にとっては、うんざりする議論である。第17・18・第19章では、個別の記述に関する問題を扱っている。ビュフォンの「種」概念が一筋縄ではとらえられない、やっかいなものであるとだけ記しておこう。

2017年3月9日(木)ビュフォン文献
 ロジェ『ビュフォン』を読み継ぎ、第13章と第14章を読了。第13章ではビュフォン『自然史』のはじめの3巻への反応を、第14章では40台後半から50台のビュフォンの活動について解説している。『自然史』がベストセラーになったといっても百部単位の話。当時の一般大衆の多くは文字が読めなかった。まして『自然史』のような高額な書物を購入できるのは限られた層であった。ヴォルテールやディドロも『自然史』に関心をもち、ビュフォンとのつきあいもあった。拙著『チャールズ・ダーウィンの生涯』を執筆しているとき、ヴィクトリア朝の知識人たちの世界の狭さを感じたが、18世紀フランスの知識人たちの世界はそれよりも狭かったと思われる。また、教会による『自然史』批判を理解するためには、ソルボンヌ(パリ大学神学部)、イエズス会、それとヤンセン主義というカトリック内の三つ巴の争いを理解しなければならない。キリスト教信仰に縁の無いものにとってはやっかいな問題である。

2017年3月8日(水)ビュフォン文献
 ロジェ『ビュフォン』を読み継ぎ、第11章と第12章を読了。ビュフォン『自然史』第2巻後半と第3巻の「人間の自然史」について解説している。

2017年3月7日(火)ビュフォン文献
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午前と夜にロジェ『ビュフォン』を読み継ぎ、第9章と第10章を読了。ビュフォン『自然史』第2巻の前半、「動物の一般史」、すなわちビュフォンの発生論について論じている。内的鋳型など、ビュフォンの発生論はブルゲ(Louis Boulguet)の著書(1729)に多くを負っているという(pp.159-60)。ところがこの「ブルゲ」が索引になく、文献欄にも記載がない。ソンニーニについてもビュフォンの協力者の一人としての解説(p.455)があるのに、索引項目にない。「ブルゲ」も「ソンニーニ」も原書の索引になかったとは考えられないので、翻訳書の編集者が間引きした索引を作成したのであろう。工作社の出版物の信用できないところである。英訳版ロジェ『18世紀フランスの生物学』の文献欄でブルゲの著書を確認すると、『塩と結晶の形成、ならびに植物と動物の発生と有機機構に関する哲学書簡』と記されている。ところが『ビュフォン』訳書の本文(pp.131,159)では『塩と結晶の形成に関する哲学書簡』となっている。間違いといえないまでも、不親切であろう。
 遺伝の観念の誕生にとってビュフォン『自然史』第2巻の「動物の一般史」は重要な論考であり、じっくり考察しなければならないが、とりあえず評伝を読み通すことにしたい。

2017年3月6日(月)ビュフォン文献
 家事雑用に追われたが、なんとかロジェ『ビュフォン』の第7章「地球の理論」と第8章「惑星の形成」を読了。『自然史』第1巻の後半を取り上げている。ビュフォンは地球の歴史については天変地異を廃して現在でも観察可能な原因だけを認めたが、地球を含めた惑星の形成については太陽と彗星との衝突という事件を介入させざるを得なかったという。地球の理論について、「ビュフォンが示した周期的モデルは、18世紀末にスコットランドの地質学者ジョン・ハットン、それから特にラマルクがふたたび取りあげた。ラマルクはビュフォンに多くを負っている」(p.138)とあるが、「ラマルク」ではなく「ライエル」でないと辻褄が合わない。訳者あるいは著者のうっかりミスではなかろうか。

2017年3月5日(日)ビュフォン文献
 昨日の疲れが残っているのか、体調は良くなかったが、荒俣宏『ビュフォンの博物誌』巻末に付記されているビュフォン自然史論の邦訳(ベカエール直美訳)を、プレイヤード叢書収載の原文と対照しながら読んだ。ソンニーニ版でもこのテキスト部分は元のままであることが確認できた。キーワードといえるhistoire と science の訳語は一定していない。histoire naturelle は一貫して「博物学」と訳されているが、histoire 単独の場合は、「研究」あるいは「学問」と訳されている。science は「学問」あるいは「科学」と訳されている。science が学問一般を意味する一方で、主に自然科学の意味で用いられるようになるのは19世紀後半である。日本語の「科学」はこの19世紀後半以降の science に対応した訳語なので、18世紀の文の訳語に用いるべきではないだろう。自然を対象とする学問の総称としてはphysique(自然学)が用いられていた。当時の学問分類では17世紀のベーコンの分類を引き継ぎ、方法の面からは分析的な philosophy と記述的なhistory に分け、研究対象の面からは、自然と人間に分けており、『百科全書』でもこの分類が受け継がれている。自然を対象とするhistoryが自然史(natural history)、人間を対象とするhistoryが市民史(civil history)であった。自然研究は分析的な自然哲学(natural philosophy )と記述的な自然史(natural history)に二分される。ところがビュフォンは、学問は自然史と市民史の二つだと述べ、自然哲学を無視している(訳文のp.302)。その一方で、自然学に自然史以外の分野のあることを明白に認めている。また、単なる記述description とその総合としてのヒストリーとを区別している。しかし通常、「記述」こそヒストリーであり、ビュフォンも現実には「自然史」の中に個別の記述を含めている。こうした矛盾したビュフォンの主張の中に、「自然史」を学問の中心に据えようとしたビュフォンの情熱が反映していると見ることができるだろう。

2017年3月4日(土)デイサービス、ビュフォン文献
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。3ヶ月ごとの体力測定の結果、柔軟性が格段に良くなっているとのこと。スタッフも喜んでいた。帰宅、昼食後はしばし爆睡。夕刻に気力を取りもどし、ロジェ『ビュフォン』の第5章と第6章を読了。ここで著者は『自然史』冒頭の自然史論について論じている。ラヴジョイ(1959)はビュフォンがここでは「存在の連鎖」を信奉していたと見たが、ロジェはそれを否定する。ロジェの解釈の方が妥当だとしても、このビュフォンの自然史論にあいまいなところがあるのは否定できないだろう。

2017年3月3日(金)ビュフォン文献
 これからの短期目標はロジェ『ビュフォン』(ベカエール直美訳)を読み、並行して『自然史』の主要部分を確認することである。本日は終日、同書に取り組み、目標とした100ページを読むことができた。ここまでは、いわば芝居の序幕。これからいよいよ『自然史』についての議論が始まる。

2017年3月2日(木)文楽予約
 本日は文楽4月公演の会員先行予約日。10時過ぎにネット予約にトライし、いつもの床直下の席を確保した。豊竹呂太夫襲名披露狂言「寺子屋」の前が呂太夫、切が咲太夫。久しぶりに咲太夫を聴けるのがうれしい。人形では松王丸(玉男)や源藏(和生)よりも、千代(勘十郎)に注目したい。それにしても、新聞記事で咲太夫に綱太夫襲名の意志はないと知り、がっかりした。いつ襲名するかと楽しみにしていたのに。文楽だけでなく、古典芸能の世界全体が盛り上がるだろうに。歌舞伎界で海老蔵が團十郎襲名を拒否するようなものだ。再考する余地はないのだろうか。
 昨日の疲れか、ネット予約の後はだらだらとしていたが、なんとか4日分のジャーナルを書くことができた。

2017年3月1日(水)ビュフォン文献
 午前中は近畿大学病院の眼科へ。白内障手術の後は順調とのこと。緑内障薬を受け取った後、桃大へ。図書館地下書庫にもぐり、『ブリタニカ』初版の編集で知られるスメリーによるビュフォン『自然史』の英訳(1791年版)の復刻(2000)9巻に目を通した。英訳の初めの8巻には原書の最初のシリーズ15巻の翻訳が収められている。ただし、訳書第1巻には原書第1巻冒頭の自然史論が無く、「地球の理論」だけが収められている。また各論におけるドーバントンの執筆部分も削除されている。その内容がイギリスの読者にはわずらわしいと訳者が判断したのであろう。なお、訳書第9巻には原書の『自然史補遺』第5巻の中の「『地球の理論の証拠』の種々の項目に対する追加と訂正」が収められている。
 全巻を借り出すのは荷が重いので第2巻だけを借り出すことにした。ここには原書第2巻の「動物の一般史」と「人間の自然史」が収められている。単語reproduction の初出時(p.3)には訳注があり、generationが動物に適用されるのに対し、reproduction は動物、植物の両方に用いられるとしている。スメリーの解説は不適切だが、reproductionが生物学用語として目新しかったことが分かる。
 スメリーは編集者として有名だが、「ダーウィンの先駆者」の一人とみなされることもあり、ナチュラリストとしても無視できない。さいわい、スメリーの『自然史の哲学』2巻(1790,1799)の復刻版(2001)が所蔵されているので、いずれ読まねばなるまい。

2017年2月28日(火)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、それほど疲れている自覚はないのだが、なにもする気にならず、1日が終了。

2017年2月27日(月)ビュフォン文献
 荒俣宏『ビュフォンの博物誌』はビュフォン版とは異なるソンニーニ版の図を収録したものだが、巻末にテキスト部分の邦訳(訳者・ベカエール直美)が付記されている。訳されているのは、ビュフォン版第1巻冒頭の自然史論に該当する部分と同第2巻「動物の一般史」11章のうちの3章に該当する部分である。この訳文には小見出しがついているが、ビュフォンの原文にそんなものはない。ソンニーニ版のテキストには小見出しがあるのかと思ったが、「訳者あとがき」をよくよく読んでみると、小さな括弧の中に、「小見出は編集部でつけたもの」(p.333)とあった。こういう変更をこっそりやっているので、この本全体が信用できない。ソンニーニ版のテキスト部分がビュフォンの原文と同一なのかも確認されていない。図版だけでなくテキストの邦訳についても、ビュフォン研究の資料として利用しない方が無難であろう。

2017年2月26日(日)ブラームス「ドイツレクイエム」
 河内長野市ラブリー・ホールで市民合唱団の公演。管弦楽は寺岡清高指揮の大阪交響楽団。チケットを購入していなかったが、1週間前に会員無料招待の抽選に応募して当選し、カミさんと出かけることになった。席は2階の出入り口近く。舞台は遠いが、音楽を聴くうえで問題はない。指揮者のプレトークもあり、曲の概要は理解できた。ソリスト(ソプラノ老田裕子、バリトン小玉晃)の独唱ではドイツ語の単語が聞き取れることもあったが、合唱のドイツ語ははほとんど分からない。パンフレットにドイツ語歌詞を入れる方が親切ではなかろうか。とにかく、久しぶりにクラシックのコンサートに来たという満足感はあった。

2017年2月25日(土)ビュフォン文献
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午後は家事雑用の後、昨日、借用してきた図書について調査。荒俣宏編『ビュフォンの博物誌』がビュフォンについての資料ではないことを確認し、腹が立つやら、がっかりするやら。このことをジャーナルに書いて本日は終わり。

2017年2月24日(金)ビュフォン文献
 朝はまず郵便局から確定申告書を税務署に送付。狭山駅前で散髪の後、桃大へ。ガスカールのビュフォン伝とフレンチのハーヴィ論を返却し、ビュフォン関連の図書3点を借り出した。ロジェ『18世紀フランスの生物科学』第3版(1993)の英訳(1997)、プレイヤード叢書『ビュフォン集』(2007)、荒俣宏編『ビュフォンの博物誌』(工作社 1991)。いずれも分厚く重量感がある。それでも借りていく時は張り切って持ち帰るが、返却の時は重さにうんざりする。
 ロジェの著書は初版(1963)、第2版(1971)以来、18世紀生物学史の必読書とされており、それが英訳で読めるのはありがたい。とはいえ700ページの大冊である。すでに部分的には目を通しているが、通史執筆のためには通読すべきであろう。覚悟して取り組むか。
 自然科学書は対象外のガリマール社プレイヤード叢書にビュフォン集があること自体、ビュフォンの特徴を示すものであろう。当然のことながら、「文体論」も収められている。
 荒俣宏編『ビュフォンの博物誌』は、極端な表現をすれば、ペテンである。同書の表紙には小さく、「ソンニーニ版より」とあるが、この「ソンニーニ版」についてのきちんとした説明がどこにもない。かろうじて荒俣による巻頭解説の冒頭部分で、ビュフォンの生前に刊行された諸巻に加え魚類誌などを「網羅した決定版」(p.ⅵ)とあるだけである。これではビュフォンによる版との違いは分からない。ソンニーニ版はビュフォンの協力者の一人であったソンニーニによりビュフォン没後に編集されたもので、判型はクォートだったものが半分のオクタヴォになり、内容もビュフォン版とかなり異なったものになっている。判型が異なるので図版はすべて新たに作成されている。京都大学の電子図書館で見れば、ビュフォン版の図版がソンニーニ版より優れていることが分かる。しかし日本の読者はビュフォンの本の図版とみなすであろうし、宣伝もそのようになされている。科学史家はビュフォンについての資料として同書を利用すべきではない。荒俣はビュフォン版とソンニーニ版との違いを知らなかったのだろうか。知っていながら欺瞞的な出版に荷担したのだろうか。いずれにせよ、無責任で罪作りな出版物である。

2017年2月23日(木)申告書作成終了
 申告書作成に集中し、印刷までこぎつけた。税額計算などはソフトがやってくれる。例年通りのつもりだったが、今年はマイナンバーを通知し、本人確認資料を添付することになっていた。医療費控除についてもっと研究すれば介護関係の出費なども控除対象になるようだが、いつまでもこんなことに時間を掛けていられない。今年はこれで打ち切り。やっかいな作業が終わり、夜になって5日分のジャーナルをまとめ書き。

2017年2月22日(水)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。閑散期の寒い日であっても4時頃までは参拝者の絶えることはなかった。帰途、阪急3番館で立ち寄った和食店の魚がひどかった。大阪のど真ん中でこんな店が成り立っているとは信じられないくらいだ。

2017年2月21日(火)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、申告書作成のための書類を確認。生物学史の勉強がお留守になっているが、やむを得ない。

2017年2月20日(月)医療費整理
 朝、田中整形外科へ。隣接する薬局で骨粗鬆症薬を受け取り、三日市町駅までもどろうとしたが、すさまじい風のため、なんども立ち止まらなければならなかった。帰宅後は医療費の整理。申告書作成に際し、最も手間を要する作業である。

2017年2月19日(日)申告書作成に着手
 なぜか終日、虚脱感に襲われ、何もする気にならない。それでもパソコンを立ち上げ、国税庁の申告書作成ソフトに昨年度のデータをコピーすることができた。例年、申告書作成は期限間際の3月までやる気にならないのだが、昨日のデイサービスで申告書提出が話題になっていたのに刺激され、早めに着手する気になったのである。

2017年2月18日(土)ビュフォン文献
 午前中はデイサービス「ポラリス」で運動機能訓練。午後はピエール・ガスカール(石木隆治訳)『博物学者ビュフォン』(白水社 1991)。3日前に借り出してから読み続けてきたが、ようやく読了した。予想外に時間が掛かってしまったが、それだけの価値があっただろうか。後半はいらいらしながら、とにかく読み終えることにした。理由は、科学史の観点からは、ほとんど役に立たないということである。ビュフォンの自然発生説を時代遅れとして切り捨てていることを見ても、著者が当時の生物論の状況を理解していないことが分かる。ビュフォンの女性関係を詳述しているが、ラマルクとの関係については、一言、貧窮から救済したと述べるだけである。小説家の著者が科学よりも女性関係に関心を向けるのはやむを得ないのかもしれないが、ビュフォンについての参考文献として記載する必要はないだろう。18世紀フランス生物学についての専門家ロジェによるビュフォン伝の邦訳は4倍の分量があるが、はじめからこちらを読むべきだったろう。

2017年2月15日(水)近大眼科、桃大図書館
 朝、バスを乗り継いで近大病院へ。白内障手術から1週間。経過は順調で、洗顔・洗髪も可となった。なによりも拡大鏡なしで読書できるようになったのが嬉しい。
 外出ついでに午後は桃山学院大学へ。最近は図書館収蔵庫に入るときにも拡大鏡が欠かせなかったが、本日はその必要が無い。本日はモーペルチュイとビュフォンの関連図書を借用するだけである。今になってモーペルチュイ全集4巻が所蔵され、『生身のヴィーナス』も収録されていることに気付いた。当方の就任前に購入されているので、おそらく物理学史の資料として坂本賢三さんか後藤邦夫さんが選書したものであろう。同全集の第3巻とテラルの成書(2002)とを借り出すことにした。ビュフォン関係の文献も多数あるが、とりあえず評伝の邦訳書2点に止めた。家まで持ち帰るにはこれくらいが限界であろう。読むべき多数の文献を目の前にすると闘志がわいてくる。当面の目標は18世紀の発生論と親子の類似の問題だが、通史執筆も視野に入れて18世紀の生物学全体を俯瞰しておきたい。

2017年2月12日(日)モーペルチュイ文献
 相変わらずの寒さ。予報の通り午後4時前後は雪であった。終日家に閉じこもり、久しぶりにモーペルチュイ関係の文献に取り組むことができた。ニュートン主義の導入、地球の形状の測定、および最小作用の原理の提唱という業績によって物理学史では一定の評価を受けてきたが、生物学史上の重要人物として注目されるようになったのはベントリー・グラスの一連の論考(1947, 1955, 1968, 1974)によるものであろう。その中で最も詳しいのが『ダーウィンの先駆者たち』(1968)の第3章「モーペルチュイ、遺伝学と進化論の開拓者」である。モーペルチュイについてグラスは、メンデリズムとダーウィニズムの核心的要素を把握していたとして絶讃している。
 DSBの項目「モーペルチュイ」の執筆者は、旧版(1974)ではグラス、新版(2008)ではテラルである。テラルが初めてモーペルチュイ関連の手書き資料を網羅的に調査したという。その結果、モーペルチュイがニュートン主義に転じた時期をグラスはモーペルチュイがロンドンを訪れた1728年としているが、テラルは帰国後としている。グラスが絶讃する粒子的遺伝因子の概念についても、モーペルチュイの因子は心的能力を備えており、メンデル遺伝学の遺伝子とは異質であるとテラルは指摘する。ラインバーガーら『遺伝の文化史』(2012)でもテラルに同意し、モーペルチュイを先駆的遺伝学者とみなしていない。さらに詳しくはテラルの成書(2002)を読まねばなるまい。
 モーペルチュイの生物論として有名な『生身のヴィーナス』(1745)が以前から気になっていた。手軽に読むことができないので紀伊國屋の洋古書のサイトで検索すると、数万円のものもあるが、最安値は千円台だったので思い切って発注してみた。もちろん復刻版だが、どんなものが届くか楽しみである。

2017年2月11日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日の利用者6人のうち4人は歩行も困難である。ここではそういう人々も積極的に受け入れ、重症の場合は付きっきりで訓練している。当方については運動量をもっと増やしてもよいようにも思うのだが、帰宅後の疲労を考慮すると今の程度が適当なのかもしれない。

2017年2月10日(金)日常回帰
 ほぼ普段の生活にもどり、5時半に起きて朝食準備。ときどき雪がちらついていたが、道路に積もるほどではない。カミさんを1日デイサービスに送り出した後、6日振りにパソコンを開けると、数十本のメールが入っていた。ほとんどは商品紹介と研究会などの案内。中身も見ず、片っ端から削除したが、駒場時代のクラス会の案内には返信しなければならない。年に一度、春に開催しているが、東京まで出掛けるわけにはいかない。現役時代に1回だけ、学会出張のついでに出席したことがあるが、当方のことは同級生たちの記憶にあまり残っていなかったらしい。よほど存在感が無かったのであろう。メールを処理した後は4日分のジャーナルまとめ書き。
 午後、『ダーウィンの先駆者たち』(1959)に掲載されているベントリー・グラスのモーペルチュイ論に目を通すと、拡大鏡が無くても読めるようになっていた。最終的な結論は1ヶ月後になるが、手術の効果は予想以上である。近大眼科の医師が2年前から手術を強く勧めていたのは、こういうことだったのか。右目についても考慮すべきかもしれない。
 しばらくは4種類の目薬を1日4回、左目に点し、右目には今まで通り、3種類の緑内障薬を1日2回、点さなければならない。1日に22回の点眼が最重要な仕事になるが、40年近く休むことなく点眼を続けているので、さして負担には感じていない。
 夜は気力が萎えているのでモーペルチュイは無理。本日分のこのジャーナルを書くだけで終わることにしよう。

2017年2月9日(木)退院
 6時起床。同室者たちは皆、昨夜、何事も無かったかのように振る舞っていた。大人の知恵であろう。8時半に病棟の診察室で回診と診察があり、退院が決定した。眼帯は外したままで、ほとんど普段通りの生活にもどっていいという。左目は明らかによく見えるようになった。
 荷物をまとめて9時半に退室したものの、外は雨。予報では雪になる可能性もあるという。荷物を抱え、傘とステッキを持ってバスを乗り継ぐのは難しい。しかも二晩続けて寝不足気味なので、体もだるい。3,000円の出費はつらいが、タクシーで帰ることにした。
 帰宅後は荷物をかたづけるのが精一杯で、パソコンを開く気力も無い。夕食後にさっさと寝るほかない。

2017年2月8日(水)白内障手術
 朝食抜きで8時半に手術室に入る。左目だけなので手術自体は多分、10分くらいだったろう。その前後の消毒と感染防止に多くの時間が割かれていた。安全な手術といわれているが、傷口からの感染が最も怖いらしい。また、簡単な手術といわれているものの、照明下で強制的に目を開けているのはつらい。右目もやるかとなると、迷ってしまう。
 左目に眼帯をして病室にもどり、パンと牛乳の朝食。食欲は無いが、食べておかねばなるまい。午後は売店のファミマでコーヒーを購入し、片目で数独に取り組む。
 9時半の消灯後、スマホで遊んでいた筋向かいのベッドの中年男性が看護師に注意されて逆ギレし、「ゲームをやっていただけだ」と大声で看護師にかみついていた。若い看護婦さんは黙って聞いているだけで、反論はしなかった。そういうマニュアルになっているのかもしれない。それでもその後、スマホは消したようだった。これまでに何度か入院の体験があるが、こういう手合いと同室になったのは初めてのことである。

2017年2月7日(火)入院
 バスを乗り継ぎ、10時に近大病院へ。病室は6人部屋だが、窓際のベッドだったので解放感があった。入室直後に測った血圧は145。当方の場合、通常は110前後なので、これは異常に高い。意識はしていないが、緊張していることは否めない。午後は白内障手術についての合同説明会があっただけで、ほとんどすることがない。本を読む気力は無いし、テレビはBSが受信できないので、持参した数独で時間を過ごした。

2017年2月6日(月)入院準備
 明日の入院に備えての荷造り。2泊3日だけの入院とはいえ、下着、上履きなど、一通りのものは持参しなければならない。ついでに不用な書類の処理などをしたので、けっこう疲れた。早くに床に入ったものの、なかなか寝付かれない。手術を控えて、それなりに緊張しているのであろう。

2017年2月4日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日は5人。火曜日午後の12人とはかなり雰囲気が違ってくる。帰宅後は家事雑用。BSプレミアムの「英雄たちの選択新春SP・ニッポン古代人のこころと文明」再放送を見る。3日の本放送も見たが、また巻向周辺を歩きたくなった。問題は体力低下。春になって歩けるようなら出掛けてみたい。
 夜になっても集中力が回復しないので今日も遺伝学史をあきらめ、2日分のジャーナルを書くことにした。

2017年2月3日(金)巻寿司
 入院準備の都合もあって午前中に河内長野駅前へ。銀行、百均、ドラッグ店で用を足し、ラブリーホール内のレストランで昼食。コミュニティ・バスで三日市町駅前にもどり、スーパーで最後の買い物。ここでも、河内長野駅前の店でも、巻寿司が山と積まれていた。それだけ売れる見通しがあるのだろう。40年前に大阪へ移住したばかりのとき、たまたま節分の夜に立ち寄ったミナミのスナックで恵方巻のサービスがあり、東京には無い風習を知った。地蔵盆という風習も東京では聞いたことがなかった。関東と関西には文化や風習に微妙な差がるようだ。
 これだけの外出なのに疲れたのか、帰宅後は集中力が出ない。論文に取り組むのはあっさりあきらめ、文楽の過去のプログラムを引っ張り出して「安達原」の半通し(1014年11月)などの記憶を呼びもどしておいた。

2017年2月2日(木)その2 漢字「戻」の意味
 本日の朝日新聞夕刊のコラム「終わりと始まり」(池澤夏樹)は漢字の簡略化について論じている。その中で「戻」を「もどる」の意味で理解しているが、本来は「もとる、そむく」という意味であって、「もどる」の意味は無い。日本で訓の「もとる」を強引に「もどる」と読み、「もどる」の意味で用いているのである。漢和字典で簡単に分かることなのに、校閲も素通りしたのか。
 ついでに、あちこちで書いていることだが、「事典」は本来、「事のきまり」すなわち「規則」であって、「ディクショナリー」の意味は無い。日本最初の百科辞典は三省堂『日本百科大辞典』(第1巻、明41)であった。ところが平凡社『大百科事典』(第1巻、昭6)が初めて「事典」を用いた。これは誤用、あるいは間違った造語である。しかし、ことがらについてのディクショナリーは「事典」と表記すると信じ込んでいる出版関係者も多い。
 日本では漢字についての知識が乏しい割に、漢字について好んで議論されるようだ。

2017年2月2日(木)ハーヴィ文献
 ほぼ一日、パソコンに向かって文献を検索し、ファイルにまとめた。基本的なものは桃山学院大学図書館にあることが分かり、気が楽になった。他大学から図書を借り出すと高額の手数料が必要になるので、できるだけ利用しないことにしている。古書を探せば借用手数料よりも安く購入できることも多い。
 白内障の手術後、目の状況が落ち着いたら桃大図書館で関連図書を借用し、雑誌論文をコピーしてハーヴィ、モーペルチュイ、およびビュフォンの発生論をまとめることにしよう。それをも踏まえて『遺伝の観念の誕生』についての書評を書くことになろう。

2017年2月1日(水)ハーヴィ文献
 午前中にDSB新版の「モーペルチュイ」の項を読む。執筆者のMary Terrell が、モーペルチュイについての本格的な研究は自分に始まるといっている。午後はミュラー-ヴィレが『遺伝の文化史』(2012)で挙げているハーヴィ関係の文献を整理した。

2017年1月31日(火)デイサービス
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。午前と帰宅後の夜は家事雑用で終わり。

2017年1月30日(月)ハーヴィ文献
 ここ数日、軽度の風邪で体調不良。ジャーナルを書く気力も無かったが、本日はほぼ回復し、パソコンに向かっている。ハーヴィの発生論についてはミュラー-ヴィレが共編書『遺伝の観念の誕生』(2007)と共著『遺伝の文化史』(2012)で述べていること、および中村禎里『血液循環の発見』(1977)の該当箇所(第9章)に目を通した。胚の自立性と親子の類似とをいかに矛盾なく説明するのか。どうもすっきりしない。ミュラー-ヴィレ(2012)も、ハーヴィはあいまいなままであったと締めくくっている。ハーヴィは世代の交代を宇宙的循環に関連づけることによって家父長制を正当化したという説明も分かりにくい。ミュラー-ヴィレの挙げる文献をいずれ読むことにして、一旦、この問題は棚上げしておこう。

2017年1月25日(水)文楽「三番叟・袖萩祭文・狐火」
 国立文楽劇場「初春公演」の昼の部へ。客席は9割程度埋まっていたのではなかろうか。最初の「寿式三番叟」の開演時間になっても太夫・三味線が床に現れない。なぜだ。幕が開いたら、舞台の奥にずらりと並んでいた。床直下の席で三味線の音の渦を楽しむつもりでいたので、いささかがっかりした。文楽の太夫・三味線はなるべく客席に近い方が良いように思う。次の演目「奥州安達原・環の宮明御殿の段」は歌舞伎でも「袖萩祭文」の通称で親しまれているが、好みの場面ではない。時代物らしい豪快な幕切れがせめてもの救いか。
 「本朝廿四孝」の「十種香の段」は津駒太夫と寛治のはずだった。芸歴74年の長老、寛治が初めて本公演で「十種香」を演ることになっていたが、病気休演、代役は芸歴23年の清志郎。無事、勤め上げていたと思う。最後の「狐火」では宙づりなどがなくなり、人形遣い(勘十郎)の引き抜きも1回だけであった。新聞の劇評には「新演出」と記されていたが、本来の演出にもどっただけなのではなかろうか。ただ、人形の左遣いと足遣いも出遣いになったのは、新演出かもしれない。このように3人とも出遣いにするのは、三和会時代の紋十郎が「勧進帳」などを文楽に取り入れたときに始めたと記憶している。人間の顔が多すぎて好ましくないが、今回は気にならなかった。このジャーナルで「狐火」の通常の演出を批判していたことが、今回の演出変更に結びついた訳でもないだろうが、客の多くはいままでのような派手な演出の方を好むかもしれない。生きている間にまだ数回は「狐火」を見る機会があると期待したいが、この場面ではさまざまな最新技術を応用した演出なども試みてよいように思う。
 来る4月公演では英太夫が祖父、若太夫の前名、呂太夫を襲名するという。当方が文楽に通うようになったとき、若太夫はすでに失明していたが、豪快な語り口が魅力であった。若太夫の風貌の記憶もぼんやりしているが、孫の英太夫にそれがうかがえるような気がする。しかし残念ながら祖父の豪快な語り口は伝わっていないようだ。4月公演の襲名披露では「寺子屋」を語るとのことだが、それよりも次回こそ、咲太夫を聴かねばならない。とにかく理屈抜きで文楽は楽しく、面白い。

2017年1月24日(火)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。利用者は12名。ここでは多い方だろう。いつものことだが、女性3名は賑やかで男性9名は無言。当方の運動量は少しずつ増えている。

2017年1月23日(月)ハーヴィ文献
 雪がぱらつくこの冬一番の寒さとなった。午前中は家事雑用、午後にアンドリュー・グレゴリーのハーヴィ論(2001)に着手。先週、この論文の他大学での複写依頼を桃大図書館に申し込んだら、ネット上に公開されていると通知された。雑誌論文はほとんど有料(かなり高額)なのだが、こういう事例もあるので注意したい。

2017年1月22日(日)ハーヴィ文献
 午前中は、カミさんの寒中見舞い10通のプリント、宛名書き、投函。午後にDSB旧版第6巻(1972)の項目「ハーヴィ」(J.J.Bylebyl)を再読。発生論についてもていねいに解説しており、参考になる。

2017年1月21日(土)ハーヴィ文献
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、桃大でコピーしてきたOxfordDNBの項目「ハーヴィ」(R.French)を読む。アリストテレス主義を中心に解説しているが、発生論についてほとんど論じていない。著者の不得意な分野なので敬遠したのかもしれないが、期待外れであった。DSB新版に「ハーヴィ」が立項されていないのも意外である。旧版(1972)以来、ハーヴィ研究に大きな進展がないと判断したのだろうか。French(1994)をはじめ注目すべき論考はいくつかあるはずなのに、これほどの重要人物を立項しなかったことが理解できない。

2017年1月20日(金)近大病院
 朝早くに近大病院へ。来月の白内障手術に備えての諸検査である。レントゲン室から始まって、いくつもの検査を済ませた。採血室では100人以上の順番待ちで、いささかびっくりしたが、1時間程度で呼ばれた。わが腕の脈が弱く、どこでも採血しにくといわれて痛い思いをするが、ここではちくりともしなかった。専門職の強みということだろう。
 昼前に手術の最終予約をして本日は終了。予定ではそのまま桃大図書館へ行き、ハーヴィ関連文献の複写などをするつもりだったが、午後は天候悪化という予報なのでまっすぐ帰ることにした。しかし帰宅後、かなりの疲れを感じたので、もともと文献の作業など無理だったろう。

2017年1月19日(木)散髪
 午前中は狭山駅前で散髪。40日振りにさっぱりして河内長野駅にもどり、ラブリー・ホールのレストランで昼食。午後はドコモのショップに行き、クレジットカード番号変更の手続き。契約時には確認、確認でえらく時間を取られたが、今回は新カードとケータイを使ってあっという間に手続き完了。物足りないくらいであった。

2017年1月18日(水)桃大
 大学院授業の後期最終日。2014年度と2015年度は受講生がいなかったので3年振りの出講であったが、当方にとっても良い刺激になっていた。授業の前後に図書館でハーヴィ関連文献の借用と複写をしたが、予定の作業を終えることができなかった。授業とは関係なく、また出掛ける必要がある。

2017年1月17日(火)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、夜になって、明日、桃大図書館で借用、複写すべきハーヴィ関連の文献を整理した。ハーヴィの発生論をまとめるついでに、ハーヴィについて近年の研究成果を把握しておこうと思う。

2017年1月15日(日)ジャコブ『生命の論理』
 昨日より、さらに寒く、身も心も縮んでいる。それでもなんとか、ジャコブ『生命の論理』についてまとめておこう。同書に取り組んだのは、論集『遺伝の観念の誕生』(2007)と共著『遺伝の文化史』(2009)で同書が先行研究として高く評価されていたためである。しかし、同書を読み終えてみると、遺伝の観念の誕生についての具体的な議論はほとんどない。肩すかしを食らった感がある。改めてラインバーガーらの引用を確認すると、『生命の論理』を援用しているのは両書とも1カ所だけであった。両書とも冒頭部分で、『生命の論理』第1章の冒頭部分の次の文を引用している。
 「再生産(reproduction)という言葉と概念が生物体の形成を記述するために登場するのは18世紀末である。その時まで、生物は再生産される(repriduced)ものではなく、新たに生産される(engendered)ものであった。発生(generation)はつねに、どこかの段階で神の力の直接的な関与を必要とする創造の結果であった。(中略)全ての動植物の発生はある意味、独自の個別事象であって、他の創造とは独立しており、ヒトによる芸術作品の生産と似たものであった」(英訳、pp.19-20)。
 ラインバーガーらは、いわばマクラとしてこれを引用した以外、『生命の論理』を援用していない。しかしこの引用の印象が強かったため、先行研究として高く評価していると勘違いし、研究会の講演でも孫引きで紹介していた。ボウラー『メンデル革命』(1989)の文献欄には『生命の論理』が記載されていない。ボウラーは本書を遺伝学史の先行研究として評価していなかったといえよう。
 なお、『生命の論理』第1章の最後に、「再生産(reproduction)がビュフォンらによって生物の発生に適用されるようになった過程が記述されている。ところが邦訳書では、この部分だけreproductionを「再生産」と訳し、上記の引用文に該当する箇所など、他の部分では「増殖」と訳している。これについての訳注もない。著者がこの言葉を重視していることに訳者らは気付いていないのだろう。これだけでも、この邦訳は悪訳の最たるものといえるだろう。
 ついでに、この節でthe Grande Encyclopédieの2項目(reproduction, generation)の解説が紹介されているが、邦訳書ではこれを『百科全書』と訳し、ご丁寧に訳注でディドロ編集と記している。とんでもない間違いである。ディドロの『百科全書』のタイトルにGrandeはない。La Grande Encyclopédie は19世紀末に刊行された有名な百科辞典である。ネット上で読むことができる。

2017年1月14日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。大寒波襲来の影響か、利用者の欠席が多く、5名だけであった。帰宅後も気合いが入らず、ぼんやりしていたが、夜になって、論集『遺伝の観念の誕生』(2007)と共著『遺伝の文化史』(2009)の中でジャコブ『生命の論理』に言及している箇所を再確認した。

2017年1月13日(金)シャケルフォード『ウィノアム・ハーヴィ』(2008)
 気分転換のため、今日一日は遺伝学史関連の作業を休んで日本語の文献を気楽に読むことにした。大学図書館から借りだした標記の図書は、シリーズ「オックスフォード・科学の肖像」(大月書店)の一つで、翻訳(梨本治男)は正確で読みやすい。内容も初心者向けに分かりやすく書かれているが、文献注が一切無いので学術文献としての利用はできない。遺伝学史との関連では、ハーヴィの発生論についての近年の研究を読まねばなるまい。

2017年1月12日(木)カバン出現
 昨夜はカバンを紛失したショックで、ほとんど眠れなかった。健康保険証やケータイを悪用されたらどうなるかも不安だった。ところが朝になって河内長野駅に問い合わせたところ、千代田の車庫に入っていた各停の車両にカバンがあったという。昼過ぎに千代田駅まで出掛け、カバンを受け取ってきた。中身は全て無事であった。
 昨日、金剛駅で各停から区間急行に乗り換えるとき、座席にカバンを置いたまま各停を降りていたのだ。金剛駅の待合室で区間急行を待っている間、そのことに全く気付いていなかった。信じがたいほどの間抜け振りである。以前からしばしば、財布、カード、カギなどをなくしている。資料を入れたサブのカバンをバスに置き忘れたことも複数回ある。しかしメインのカバンを置き忘れたのは初めてである。今回、無事にもどったのは、今後は気をつけろという天の忠告と受け止めておこう。

2017年1月11日(水)カバン紛失
 大学院の授業で桃大へ。帰途、金剛駅で各停から区間急行に乗り換える際、ホームの待合室にカバンを置き忘れてしまった。乗車してすぐ気付き、隣の駅から問い合わせしたが、既に無くなっていた。種々のカードやカギが入っている。全てがもどる可能性は少ないと思うが、何らかの形でもどってこないだろうか。我ながら情けないことだ。

2017年1月9日(月)ジャコブ『生命の論理』
 本日も同書に集中し、夕食までに第2章「オーガニゼーション」を終えた。夜になって第3章「時間」を邦訳書で走り読み。ラマルク、ダーウィンらの進化論が取り上げられていること確認したたげでこの章は終わりにする。これでようやく、第4章の遺伝学の成立についての議論に入ることができる。

2017年1月8日(日)ジャコブ『生命の論理』
 本日はほぼ、ジャコブ『生命の論理』に集中することができた。第1章を終え、第2章に入った。第2章第1節ではモーペルチュイとビュフォンの粒子説を扱っているが、モーペルチュイの粒子は後の粒子的遺伝要素とは異質なものであると指摘し、モーペルチュイを遺伝学の先駆者として過大評価することを戒めている。フランス贔屓から逃れているところはさすがだと思う。

2017年1月7日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。利用者の一人が、介護4から介護1に認定変更されという経験を語ったことから、介護認定についての座談となった。当事者には深刻な話題である。帰宅後、七草がゆを食べ、夜はジャコブ『生命の論理』を少しだけ読み進めることができた。

2017年1月6日(金)ジャコブ『生命の論理』の誤訳
 3日以来、ジャコブ『生命の論理』を少しずつ読み進めているが、本日はかなり集中できたので、第1章の半ばまで進んだ。最初は邦訳書(1977)を基準にし、英訳書(1973)を参照するつもりでいた。しかし邦訳書の訳文は、誤訳といえない場合でも不正確で文意が取りにくい。邦訳に面食らった後で英訳を参照するよりも、最初から英訳を読む方が速いという結論になった。英訳で読めば明快な書である。この邦訳が出版された当時、すぐに購入して読み始めたが、分かりにくいので放り出してしまったと記憶している。これは邦訳がお粗末なためだった。訳者たちは実験科学者なので科学思想の変遷については不案内だし、フランス語読解力も疑わしい。日本では同書があまり話題にならなかったのは、この邦訳のためではなかろうか。みすず書房はラドウィック『化石の意味』の新訳を出版したのだから、本書の新訳も出すべきではないか。

2017年1月4日(水)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス」で運動機能訓練。年末年始の休業のため、火曜・土曜は中10日の空きになってしまうので、代替として本日、行くことになった。帰宅後、昨日届いた賀状9通の返礼宛名書き。これで今年の年賀状も終了であろう。

2017年1月2日(月)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。本日も暖かさが続いていたので助かった。松尾神社前の渋滞を避けるためタクシーがいつもと違う道を走ったので人出の具合は分からなかったが、二尊院にもかなりの参拝者が来ていた。本堂からは解説の音声が繰り返し流れていた。二尊院では今年から始めたサービスのようだ。解説の音声を流す観光寺院も多いが、個人的には好ましいと思わない。難波の高島屋は行きも帰りも混雑していた。食堂街はどこの店にも順番待ちの行列ができていた。とにかくこれで新年の行事は終わり。明日からは普段の生活にもどれるだろう。

2017年1月1日(日)年賀状
 快晴で温暖な元日だというのに、終日、軽い目まいが続き、何もする気にならない。今年も地元の加賀田神社の初詣は中止。午後には、なんとか年賀状14通の宛名を書くことができた。これだけでは情けないと、夜は気力を奮い立たせ、NHK中継のウィーン・フィル・ニューイヤーコンサートを聞きながら、ジャーナルを書いている。

2017年1月1日(日)今年は何をするか
 メンデル神話については自分なりに決着を付けたので、次は、19世紀における遺伝の観念の誕生についてまとめなければならない。メンデル論と違って関連事項が多方面に及ぶので、簡単には済まない。とりあえずは論文集『遺伝の観念の誕生』(2007)の書評を書くことだが、その前にジャコブ『生命の論理』をていねいに読んでおきたい。
 遺跡・社寺探訪も続けたいが、歩行困難のため遺跡巡りは無理になった。それに週2回のデイサービスがあり、なによりも遺伝学史研究を優先するとなると、時間的な余裕も少ない。それでも心が晴れ晴れするような風景は最良の精神賦活剤である。できればまだ見ぬ土地に出掛けてみたい。
 唯一の贅沢といえる床直下での文楽鑑賞も減ってきたが、今年は咲大夫を聴かねばならない。

2016年12月31日(土)今年は何をしたか
 『生物学史研究』No.94に総説「メンデルは遺伝学の祖か」を掲載。遺伝学史刷新に向けた最初のペーパーである。
 体力の低下が著しく、年々、遺跡・社寺探訪が減少している。文楽や演奏会に出掛ける回数も減った。10月から週2回のデイサービスで運動機能訓練を続けているが、現行体力の維持が精一杯である。

2016年12月31日(土)シラバス入稿
 温暖な大晦日となったが、体調不良。気力も低下。せめて桃山学院大学大学院の来年度のシラバスだけでもと、パソコンに取り組んだ。入稿といっても一昨年度のものをコピーするだけなので、手順さえ間違えなければ短時間で終了する。夜はN響の第九を半分眠りながら聞き、10時前に就寝。昼も寝ている時間が多かったのに、夜は夜でしっかり眠れたようだ。良いことなのかどうか。

2016年12月30日(金)ジャコブ『生命の論理』の誤訳
 ジャコブ『生命の論理、遺伝の歴史』(1970)の邦訳書(1977)と英訳書(1973)を桃大図書館から借りだしているので、年末年始にかけ、これをじっくり再読しようと昨日から取りかかった。図書館蔵の両書は定年に際して当方が寄贈したものだと思う。「序論」を読み始めて直ちに引っかかったのが、人間は昔から「変種を選び出すことを知っている」(p.2)という訳文。英訳を見ると「種子を選び出す」とすべきであることが分かる。もっと面食らったのは、「先史時代の農夫は、祈祷、呪い、砒素などを思慮分別して取りあわせて、敵を亡ぼすことができると自負していた。ヴァルテールの英雄といささか似ていた」(p.2)という訳文。先史時代の農夫が砒素を利用していたというのか。これも英訳を見ると、「ヴォルテールのヒーローは、祈祷、呪い、砒素などを思慮分別して取りあわせて、敵を亡ぼすことができると自負していた。先史時代の農夫は、いささかこれに似ている」とすべきであることが分かる。ここで著者がいいたいのは、先史時代の農夫にとって生け贄と種子選別が同列の行為であり、ヴォルテールのヒーローにとっては呪いと砒素が同列であったと同様に、19世紀までの生物学者にとって神話と科学は区別できないものであった、ということである。 同書の邦訳には問題が多いという指摘をどこかで読んだ記憶があるが、最初からこの調子では先が思いやられる。それでも邦訳を読んでいく方が能率的であろう。

2016年12月28日(水)映画「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」
 カミさんのお供で難波に出掛け、カミさんの希望で標記の映画を見ることになった。全く興味がなかったが、やはり、つまらなかった。ストーリーにも戦闘場面にも感動するものがない。初期の三作品は何度見ても面白いのに、類似の戦闘場面でも退屈してしまうのはなぜだろう。

2016年12月27日(火)デイサービス
 午前中は家事雑用、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。利用者10人のうち女性4人はよくしゃべっていたが、男性6人はほとんど無口。火曜午後の部の特徴になっている。帰宅後は固いものが読めないので、書類の片付けや手帳の転記などで終わり。なんとなく年末ムードである。

2016年12月26日(月)バイナム『医学の歴史』丸善 2015
 医学史の概要を整理し直すため、桃大図書館で文庫版の医学史2点を借り出していた。一つは梶田昭『医学の歴史』(講談社学術文庫 2003)。博覧強記の病理学者が二次文献を読みあさってまとめたもので、読み物としては面白いかも知れないが、学術文献として利用できるものではない。数ページを拾い読みしただけで返却した。これと対照的なのが著名な医学史研究者バイナムの小著である。西洋医学の大きな流れを整理するのに絶好の書であった。登場する人物は極めて限られているが、それだけかえって、それぞれの歴史的地位が明確になっている。パストゥールについては、有名な白鳥のフラスコの実験などに問題のあったことを知った。最近のパウトゥール研究を確認しなければならない。翻訳は概して信頼できるが、「初期近代」は日本語の歴史用語としては「近世」だろう。「『医師』や『薬』は、『自然』を意味する同一のギリシア語に起源」(p.24)、「『実験室』とは、誰かが働いている部屋を意味し」(p.122)などには、スペルが付記されていないと意味不明である。マルサスの法則について相変わらず「算術級数」と「幾何級数」を用いてているのは、訳者たちも数列と級数の違いを気にしていないのだろう。参考文献欄にヘンリー・ハリス『細胞の誕生』(1998)が優れた導入書として挙げられている。それだけに同書の邦訳(2000)が誤訳だらけなのが惜しまれる。

2016年12月24日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。到着直後に計った血圧が90台、計り直したら80台。当人は慣れているので平気だが、看護婦さんが心配していた。運動後は100台になったので、ほっとしたようだ。午後は家事雑用。1週間も文献から遠ざかっているので、夜になってから丸善サイエンス・パレットのバイナム『医学の歴史』の第1章を読む。初心者には不親切だが、医学史の知識を整理し直すには絶好の書といよう。

2016年12月23日(金)プリンター更新
 本日の予定は新しいプリンターをセットアップすること。長年愛用してきたcanon pixusの ip2000を廃棄し、MG3600に代えることにした。購入したのではなく、NTTのポイントで取り寄せたものである。パソコンにつないでおいたら、いつのまにかドライバーがインストールされているのには驚いた。便利になったものだ。今までと同様に印刷できることを午前中に確認し、午後は年賀状の印刷。ただし宛名を書いたのは4通だけ。例年通りずぼらを決めて、後は返礼の形で年明けに書こう。宛名は手書きにしているが、自分で書く宛名が見にくい。白内障の手術で改善されることを期待している。
 夜になって少しは勉強したいと思ったが、脳が固いものを受け付けない。せめてジャーナルだけでも書いておこう。

2016年12月22日(木)デイサービス
 午前中は火曜日の代替でデイサービス「ポラリス大矢船」へ。午後は家事雑用。合間合間に寝てばかりいる。3日連続の外出で疲れが溜まっているようだ。せめて3日分のジャーナルを書いておこう。

2016年12月21日(水)桃大
 大学院の授業のため桃山学院大学へ。帰宅時に和泉中央の百均ダイソーへ。もと同僚に百均愛好者がいたが、なるほどと思うようになった。

2016年12月20日(火)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。紅葉の先月と違って人出も少ない。この時期としては暖かったが、さすがに山際、4時を過ぎると急激に冷えてきた。これも先月と違って、帰りのタクシーがすぐに来たので助かった。

2016年12月19日(月)項目原稿送信
昨日書き上げた丸善『動物学事典』の項目「ラマルク」と「ダーウィン」の原稿に手を入れ、メール添付での送信を済ませた。昼前に電動車椅子で近所まで出掛けたが、それだけで疲れてしまった。午後は何もできなかったが、ま、いいか。

2016年12月18日(日)項目執筆完了
 丸善『動物学事典』の項目、「ラマルク」と「ダーウィン」の執筆を完了し、指定されたワードの書式への変換も終わった。2項目のために執筆要項を熟読する余裕はないので、細かなことは編集部にまかせたい。締め切りの28日までに送信する予定だったのが、1週間前に済んだことになる。ワード書式への変換が終わった途端にどっと疲れが出た。それなりに緊張していたのだろう。2日分のジャーナルを書き終えたら、しばし、のんびりするとしよう。

2016年12月17日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日は参加者が4人だけ。運動訓練はいつもの通りだが、和気あいあいの雰囲気であった。帰宅後、あまり疲れはなかったので「ダーウィン」の項目を少しだけ書き進めることができた。

2016年12月16日(金)ダーウィン項目執筆
 ダーウィンの項目解説の執筆に着手。ラマルクの場合はコピーした原稿を簡略化して作成したが、こちらは書き下ろしでいこう。年譜を参照するだけで書けるはずである。年内締め切りに十分間に合う見通しがついたためか気合いが入らないが、速く片付けてしまう方が良いに決まっている。

2016年12月15日(木)ラマルク項目執筆
 ラマルクについての解説を6枚にまとめる作業を終了。一太郎で書いたものを、編集部の指定するワードの書式に変換する作業が残っているが、これは後日にまわそう。

2016年12月14日(水)桃大
 大学院の授業のため桃山学院大学へ。授業自体は負担ではないが、電車で往復するだけで疲れてしまうようだ。夜はのんびりするほかない。本日は「極月半ばの十四日」だというのに、夜のテレビに忠臣蔵ものが皆無とはなんたることか。

2016年12月13日(火)デイサービス
 午前中は家事雑用で終わり、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。夜になってラマルク原稿に少しだけ取り組む。

2016年12月12日(月)ラマルク
DSB旧版の「ラマルク」を読了。事典の項目執筆に際し、拙著『ダーウィン前夜の進化論』(2005)の第1章「ラマルクの進化論」を基礎にすることに問題がないことを確認した。編集部からは詳細な執筆要項が送付されているが、まずはラマルク論を指定の分量(6枚)に要約する作業から始めよう。

2016年12月11日(日)ラマルク
 DSB旧版の「ラマルク」(バーリントン執筆)を読む。新版の項目冒頭でバークハートが述べているように、ラマルクの研究内容と特長が要領よく整理されている。ただ履歴や生活についての記述が簡単に過ぎるが、学説の解説を充実させるため、やむを得なかったのかも知れない。集中力が続かないため休み休み読み、10ページの解説の半分を終えた。夜は集中力が消えて論文を読むのは無理だが、5日分のジャーナルを書くことができた。

2016年12月10日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後、疲れが無く、気力も回復してきたので、事典の項目「ラマルク」執筆の準備に着手。まず、知識をリフレッシュするため、DSB新版の項目を読む。バークハートが旧版後40年間のラマルク研究の成果を整理しているが、事典の項目に影響するほどのことはないといえよう。

2016年12月9日(金)虫歯
 朝はまず、北野田の日野歯科医院で半年ごとの定期検診。いつものように簡単に終わる積もりだったが、上の左右の奥歯が虫歯になっているという。やや痛い目に遭いながらの治療となった。何事も億劫になって、歯磨きも杜撰になってきたのだろう。用心しなければならない。気落ちしたまま、狭山駅前の理髪店で散髪。体調が芳しくないので、そのまま帰宅。本日もまた何もできない。 

2016年12月8日(木)虚脱感
 事典の項目執筆に取り掛かるはずだったが、気力が萎えていて、なにもできない。日曜日の研究会が終わって、心身ともに虚脱感に襲われているようだ。

2016年12月7日(水)桃大
 大学院の授業のため桃山学院大学へ。講義との関連でシェイクスピアについてネットで調べていたら、初期の作品「ヘンリー六世」の「マーロウとの合作説」がビッグデータによって証明されたという記事が、10月には毎日新聞(ロイター)、11月には日経(共同)に掲載されていたことを知った。古典的な解説では合作説が簡単に切って捨てられているので、面白いことになったと思う。帰途、郵便局に寄り、大学へのマイナンバー通知書類を業務を請け負った業者に書留で送った。業務委託などできない小さな事業所では、マイナンバーの管理に頭を痛めていることだろう。

2016年12月6日(火)デイサービス
 朝はまずバスで田中整形外科へ。隣接する薬局で骨粗鬆症の薬を受け取り、河内長野駅前へ。銀行で用事を済ませ、ランチ後にバスでデイサービス「ポラリス大矢船」へ。運動機能訓練の後、送迎バスで帰宅。夕食後、知らぬ間に寝込んでいた。疲れが取れていない。研究、執筆は無理だが、なんとか3日分のジャーナルを書くことができた。

2016年12月5日(月)片付け
 研究会が終わったので遺伝学史はひとまずおき、丸善『動物学事典』の項目執筆に取り掛からなければならないが、昨日の疲れで書類を片付けるのが精一杯であった。

2016年12月4日(日)科学史西日本研究大会
 研究会参加のため京都大学へ。8時半に家を出て、まず天下茶屋駅前のローソンで配布資料を印刷し、北浜から京阪で出町柳へ。いままで京大へは京阪三条駅を利用していたので、出町柳駅に降り立つのは初めてだろう。バスを百万遍で降り、コンビニ弁当を購入して文学部の会場に着いたのが昼食休憩中の12時20分。予め計算していた通りであった。午後の参加者は30名弱。半分が顔見知りであった。
 報告テーマは数学史から理科教育まで多彩だが、それがこの研究会の特色でもある。当方の報告、「相続病から遺伝病へ:19世紀パリ学派の遺伝論」は、自ら危惧していた通り時間切れで質疑の時間が無くなってしまった。それでも常識的な遺伝学史が刷新されつつあることは、理解してもらえたであろう。
 会の最後に、第20回という節目なので、この研究会が1996年に始まった経緯を話すことになった。当方の記憶もあいまいになっているが、同志社の故・松尾教授と大阪教育大学・在職中だった鈴木善次教授、それと当方の三人が中心になって始めた経緯を10分ほど話した。この我がホーページの「西日本大会」のページに第14回までのデータを掲載しているが、できれば第15回以後の分も含めて、しかるべきサイトに引き取って欲しいと希望しておいた。
 研究会の後は懇親会が予定されていたが、時間と体力を考慮してこれには参加せず、帰宅を急ぐことにした。それでも最短で3時間は掛かる。来年は追手門大学・大阪城サテライトで開催ということなので、懇親会にも参加できるだろう。

2016年12月3日(土)西日本大会・報告準備
 明日の西日本大会に備えてデイサービスを休んだのだが、夕刻まで家事雑用に追われてしまった。提示用のpptスライドから12枚を選択して配布資料を作成したが、プリンターが不具合で悪戦苦闘。一応、配布資料の原稿をプリントできたが、いよいよプリンターを新しくするほかなさそうだ。

2016年12月2日(金)その2。西日本大会・報告準備
 文楽の予約を済ませた後はスライド作成に集中し、夕食までに一応、完了した。最初の構想より内容が乏しくなったが、それでも時間配分に注意しないと時間が足りなくなるだろう。とにかく明日、点検し、会場配布用のプリントを準備しなければならない。

2016年12月2日(金)文楽予約
 本日は文楽劇場・初春公演の会員先行予約日。昼の部は「三番叟」、「安達原」の「環の宮明御殿」、それと「廿四孝」の「狐火」。夜の部が「お染久松」の半通し。咲太夫は夜の部だけ。昼夜を通して見るのは体力財力からいって無理(忠臣蔵の通しなら、そんなこといっていられないが)。昼と夜のどちらにするか。結局、世話物は好みではないので、咲太夫をあきらめ、昼の部を気楽に楽しむことにした。さて、10時過ぎにネットで座席の状況を見ると、すでにかなり売れている。日にちをいくつか変えてみても、床直下のいつもの席が取れない。やむを得ないので、第4希望日くらいのところで、いつもの席の一つ後ろの席を確保した。それでも三味線の直下なので、「三番叟」や「狐火」の派手な三味線が耳元で鳴ることになる。それを思うと、わくわくしてくる。

2016年12月1日(木)西日本大会・報告準備
 今日は1日、スライド作成に取り組むつもりだったが、気力、体力が追いつかない。昨日の疲れが残っていると思われる。スライド作成はわずかしか進行しなかったので、計画したスライドをかなり減らすことにした。発表時間を考えれば、その方が現実的だろう。

2016年11月30日(水)桃大
 大学院の授業のため、桃山学院大学へ。帰宅時に和泉中央駅近くのダイソーに寄ってカレンダーなどを購入した。百均のカレンダーには六曜が記載されていないものが多いので、ここ数年は、もっぱら百均のカレンダーを利用している。

2016年11月29日(火)デイサービス
 午前中は家事雑用で終わり、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。休憩中に次のスライドの内容を考えていた。帰宅後に少しだけ、スライド作成を続行。

2016年11月28日(月)西日本大会・報告準備
 昨日は展示スライドの全体構成をまとめ、本日はパリ学派について解説するスライドを作成した。なかなか遺伝論のスライドに到達しないが、遺伝の観念の成立については、パリ学派の特徴が大きく関係していると思われる。

2016年11月26日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。帰宅後も疲れはなかったが、家事雑用を片付けているうちに日が暮れてしまった。スライド作成に取り組む余力は無いので、せめてジャーナルを書いておこう。

2016年11月25日(金)西日本大会・報告準備
 12月4日開催の科学史西日本研究大会で予定している報告「相続病から遺伝病へ:19世紀パリ学派の遺伝論」のpptスライドの作成に着手。こうした作業を通じて論点が整理されるので、研究をまとめる良いきっかけになる。

2016年11月23日(水)遺伝の観念
 近年、大学では授業日数確保のため祭日も授業を実施することが多くなったが、本日の桃山学院大学は休校である。終日、Lopez-Beltran(2004)に取り組むことができた。最後のリュカ『遺伝論』についての部分を精読し、要旨をパソコンに入れた。明日から、同論文の内容を軸にして、西日本大会の報告原稿を作成しなければならない。

2016年11月22日(火)デイサービス
 午前中はなんとなく雑用で終わり、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。運動量が徐々に増えているが、本日はそれほどの疲労感がない。とはいえ論文に取り組むほどの余裕はない。

2016年11月21日(月)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。タクシーは渡月橋まですんなりと来たが、ここから山陰線の踏切を渡るまで、歩く方が速いくらいののろのろ運転。昨日一昨日の土日は、渡月橋に近づくことさえ難しかったという。昨年と違って今年は二尊院の紅葉も見事で、参拝客も多かった。ところが帰りのタクシーを呼んだら、どの会社からも断られた。元気なころなら嵐電の駅まで歩くのだが、今はとうてい無理。結局、お寺さんに泣きついてタクシーを呼んでもらった。後で知ったことだが、清水寺などでライトアップを実施しているため、夜になっても多くの観光客が都心部でタクシーを利用していたらしい。帰りにタクシーが呼べなかったのは、初めてのことである。

2016年11月19日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。少しずつ運動量が増やされている。そのためもあるのか、午後は疲労感があって体がだるい。こんな時は無理せず寝るほかない。

2016年11月18日(金)同級生の訃報
 本日はほぼ終日、Lopez-Beltran(2004)に取り組み、ようやく再読を終えた。昼前に届いた郵便物の中に喪中欠礼の葉書があり、高校の同級生で耳鼻科医の山田恭右君が10月に亡くなっていたことを知った。ショックだった。数ヶ月おきに東京から電話をくれて、同窓生の動向を知らせてくれたり、高校時代の話をしていた。そろそろ次の電話が来る頃だと期待していたのだが。漠然とした大きな夢と不安が交錯していたのが高校時代だった。中学や大学よりも懐かしい時代だった。高校卒業後もしばしば会って、旅行に出掛けたりした仲間が中平幸典君や山田君だった。先に中平君が去り、今度は山田君も行ってしまった。実質的に高校時代とのつながりが無くなった気がする。寂しさがこみ上げてくる。

2016年11月17日(木)インフルエンザ予防接種
 朝、近くの福岡内科で「高齢者インフルエンザ予防接種」を済ませ、そのまま三日市町駅前に出てスーピーで買い物。帰宅後は疲労感で何もできない。少しは予防接種の影響があったのかもしれない。夕食後はさっさと寝るほかない。

2016年11月16日(水)heredity の語義
 大学院の授業で桃大へ。午前中は図書館でOEDやリトレなどの辞書を調べた。OEDのheredity の項を見ると、第一義に「相続」の意味を記しているが、廃語のマークが付記されている。ウエブスターには「相続」の語義がない。英和辞書のコンサイスでは、語義が「遺伝」だけである。こうした状況を見ると、現在では heredity が「相続」の意味で使われることはないのだろう。ところが研究社の『大英和』では、第一義が「相続」となっており、廃語マークも付いていない。現行の『大英和』では語義の配列を「現代の用法として最も一般的なものから順次特殊な語義に及ぶ」と明記しているので、heredityの語義は明らかに間違いである。おそらく、旧版の歴史的配列をそのまま引き写しただけなのだろう。一事が万事。問題はこの単語だけではあるまい。全面的に信用してきた辞典だったのに、がっかりした。現行の英単語については、小さくともコンサイスの方が信用できるのかもしれない。

2016年11月15日(火)デイサービス
 朝から何かと雑用を片付けているうちに昼になり、午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。今日はこれで終わってしまったな。

2016年11月14日(月)遺伝の観念
Lopez-Beltran(2004)に取り組みながら、適宜、アッカークネヒト(1967)の訳本(2012)を参照しているが、矛盾する記述に気がついた。当月8日のジャーナルに書いたことだが、ピオリについて、「遺伝性疾患の問題を研究した非常に数少ない人の一人である」(p.181)としている。ところが伝染病について次のように述べている。「もっと実質的で長く続いたのは病気を遺伝で説明することであった。(中略)その当時のものではルルブレ(1843)、ピオリ(1840)、ベクレール(1845)の著書やP・リュカス(1847)の大論文に見られる。1850年代になるとたくさんの人が続いてこの仕事を研究している」(p.253)。ここではピオリが「非常に数少ない人の一人」ではなく、「たくさんの人」の一人になっている。「リュカス」は「リュカ」(Lucas)であるが、訳書の人名索引と文献欄には、ルルブレ(1843)、ベクレール(1845)、リュカス(1847)が記載されていない。ルルブレ(Lereboullet)はLopez-Beltran(2004)にも登場する。リュカの2巻本についてはこのジャーナルで何度か言及したと思うが、これは「大冊」というべきであって「大論文」という訳語は不適切であろう。ベクレールはBecquerel だと思われるが、この著者名による1845年の遺伝論書が分からない。原書でも索引と文献欄に記載されていないのだろうか。
 精神病に関しても気になる訳文があった。「フランスにおける最後の重要な精神医学の貢献である進行性遺伝性精神病の変性仮説は、エスキロールの生徒J・モロー・ド・トゥール(1840-84)とB・モレル(1809-73)の労作である」(p.269)。読者がモレルのデジェネレーション論を承知していれば「進行性遺伝性精神病の変性仮説」という訳語の意味が理解できるだろうが、そうでなければチンプンカンプンであろう。また優生学の先駆といえるデジェネレーション論を著者が好意的に評価していたとは思えないので、「貢献」「労作」という訳語は不適切だろう。この部分、訳者も内容不明のまま訳しているのではなかろうか。

2016年11月12日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。ここでは全てスタッフの指示によるので、自分で運動量を調整するということはない。午後はLopez-Beltran(2004)に取り組む。夕食後に論文を読むのは無理なので、せめて4日分のジャーナルを書いておこう。

2016年11月11日(金)白内障手術の予約
 近大病院眼科へ。白内障手術の決意を医師に告げると、後は手術と入院の予約に時間が掛かった。日帰り手術をウリにしている眼科医院も多いが、ここでは2泊3日の入院になる。大学院の授業が1月で終了するので、2月に手術を受けることにしたが、無事に済むと期待しておこう。

2016年11月10日(木)遺伝の観念
 Lopez-Beltran(2004)に取り組んでいるが、矛盾する記述に気がついた。論文の初めの方(p.45)では、ピネル(1812)が精神病の遺伝的要因を重視し、エスキロール(1820)やフォデレ(1817)らがそれを継承したとある。ピネル(1812)は『医科学辞典』の項目「精神錯乱」(Alienation) のことだが、この辞典についての部分(p.47)では、ピネルがこの項目で精神病の遺伝的要因を軽視したため、編集者は項目「精神錯乱者」(Aliene)を追加してピネルの弟子マークを執筆者とし。精神病の遺伝性を強調させたとある。また、文末の文献欄のエスキロールの項には1816,1818,1838があるだけで、1820が記載されていない。別の箇所(p.58)ではJacob(1970)に言及しながら、文献欄に記載していない。著者の不注意もさることながら、査読も杜撰だったのではないか。

2016年11月9日(水)桃大
 大学院の授業のため、桃大へ。名誉教授室ではアメリカ大統領選の開票状況が話題に。トランプ有利の報道にがっかりしている教員が多かった。

2016年11月8日(火)遺伝の観念
 午前中の2時間だけLopez-Beltran(2004)に取り組む。適宜、アッカークネヒト(1967)の訳本(2012)を参照しているが、そこでは血液病理学の開拓者ピオリ(1794 - 1879)について、「遺伝性疾患の問題を研究した非常に数少ない人の一人である」(p.181)と記されていることに気付いた。Lopez-Beltran では、大革命後のフランスの医学界は公衆衛生と遺伝の問題に新たな社会的役割を見いだしたとし、ピオリの『病気における遺伝』(De l'heredite dans les maladies. 1840)も当時の数ある遺伝論の一つとしている。アッカークネヒトは大革命後の公衆衛生に注目するが、遺伝論は無視している。このように医学史で見過ごされてきたパリ学派の遺伝論に注目したのが、Lopez-Beltran の功績といえるのだろう。
 午後はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。夕食後、一休みしたら脳も元気になったので文献を読み出したが、字面を追っているだけであることに気付き、中止。せめてジャーナルを書いておこう。

2016年11月7日(月)奈良博・仏像館
 カミさんが高校クラス会の旅行に参加するのでJR天王寺駅まで同行し、そのまま大和路線で奈良駅へ。奈良へはもっぱら近鉄を利用しているので、JR奈良駅に降り立つのは久しぶりである。多分、20年以上経っているだろう。記憶にある駅の状況とは大きく変わっていたが、近鉄奈良駅の方が活気に満ちていると思う。
 本日はまずバスで春日大社に向かった。あまり興味は無いのだが、式年造替が宣伝されているので、一応、見ておくことにした。ところが本日は遷宮に関連した行事のために本殿に参拝できなかった。致し方ない。
 バスで奈良国立博物館本館の仏像館に向かう。本日は正倉院展の最終日のため、月曜日でも開館している。仏像館だけならシニアは無料である。入り口と主室(現・第六室)の間に壁が作られ、4月に来たときのように仏さんのお尻に迎えられることは無くなった。しかし、お目当ての薬師如来立像(元興寺)がない。係の人に聴くと、海外に貸し出しているとのこと。残念であった。愕然としたのは、4月に来た時に比べてて仏像がよく見えなくなっていること。いよいよ白内障の手術を決断しなければならないか。
 最後に興福寺の国宝館、東院堂、それと北円堂を訪れたが、国宝館の像もいくつか消えていた。来年の国宝館耐震工事に備えて展示品の移動が始まっているらしい。雲一つ無い青空を目指す五重塔が美しかった。良きリフレッシュの一日であった。

2016年11月6日(日)遺伝の観念
 ほぼ一日、Lopez-Beltran(2004)に取り組む。バリ学派における「遺伝」(heredity)と「体質」(constitution)との関係が論じられている(p.49)。しかし、どうもすっきりしない。一つには、この部分に一次資料からの引用がない。また、「体質」という古代医学の観念がなぜパリ学派で復活したのか、説明がない。それでも、「遺伝」の観念が成立する上で、「体質」の観念との結びつきが不可欠であったことは間違いないであろう。
 夜になって研究に取り組む集中力は失せたが、まだ脳は動くので、5日分のジャーナルを書いてアップすることにした。

2016年11月5日(土)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。本日の利用者は6名だが、おしゃべりが活発で、7名だった木曜日よりも賑やかであった。訓練の方法が先月までの「ヒーリング」とまるで異なるので、まだ、とまどっている。帰宅後はややだるさもあり、家事手伝いの後、早々と布団にもぐってしまった。

2016年11月4日(金)遺伝の観念
 ほぼ一日、Lopez-Beltran(2004)に取り組む。脚注(26)に、ヒポクラテス「神聖病」に「てんかん」の遺伝性が明確に指摘されており、精神疾患の遺伝性が古代から認識されていたとある(p.46)。このジャーナル(10月26日)で書いたことだが、現代的知見に基づいて過去の文献を解釈し、先駆的業績と讃える。科学史に限らず、しばしば見られる誤った歴史解釈である。

2016年11月3日(木)デイサービス
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で運動機能訓練。初日なので体力測定が主であったので帰宅後もほとんど疲れはなかったが、遺伝学史に取り組む気力が沸いてこない。大学院の講義に関連してイギリス古代・中世史を読み直してみた。これはこれで楽しい。

2016年11月2日(水)桃大
 大学院の講義のため、桃山学院大学へ。本日は図書館にもぐる予定はないので、ゆっくり準備をして教室へ。帰宅時、ヤマダ電器とイズミヤに寄る。古いプリンターのインクカートリッジがヤマダにも無くなっていた。ネットで購入できるようだが、さて、どうするか。

2016年11月1日(火)科学史西日本大会の報告申し込み
 午前中はデイサービス「ポラリス大矢船」で正規の申し込みと契約を済ませてきた。契約時の送迎サービスはないので、電動車椅子で往復。帰宅後も書類整理などで時間を食われた。夜になってLopez-Beltran(2004)に取り組んだが、2時間も経たずに集中力が切れた。しかし眠気はないので、12月4日開催の科学史西日本研究大会の報告申し込みをメールで済ませた。タイトルは、「相続病から遺伝病へ:19世紀パリ学派の遺伝論」。当面はこれに向けた作業を続けることになる。

2016年10月30日(日)ジャーナル執筆
 風邪の初期状態が続いているうえに、昨日の疲れもある。一日中、頭がはっきりしなかったが、なんとか料理の下ごしらえや、庭の落葉掃除をすることができた。夜、ややましな常態になり、4日分のジャーナルを書き終えた。 

2016年10月29日(土)正倉院展と『科学史研究』最新号
 カミさんのお供で奈良国立博物館の正倉院展へ。大混雑を覚悟していたが、ほとんど待たずに入場できた。今回の目玉となる展示品は「漆胡瓶」だが、例年と比べてやや地味か。個人的には奈良二彩に興味をもった。
 出掛けるのが遅かったので、帰宅したのが9時。疲れているのに妙に興奮していて眠れない。郵便受けに入っていた『科学史研究』(No.279)にざっと目を通した。岡田大士「梶雅範教授の急逝を悼む」を読んで、梶さんの最後の状況を知ることができた。昨年夏に膵臓癌が発覚した後も研究者・教育者としての活動を続け、今年7月に東工大の構内で倒れたという。今後の科学史研究にとって貴重な人材を失ってしまった。まことに残念至極である。
 なお、同封されていた『科学史通信』によると、来年度の年総会は6月に香川大学で開催されるという。参加して遺伝学史の刷新を訴えたいが、旅費の工面が難しい。あきらめるほかあるまい。

2016年10月28日(金)遺伝の観念
 体調が今一つなのでデイサービスを休むことにした。そのため丸一日、研究に費やすことができた。久しぶりにことである。Lopez-Beltran(2004)をじっくり読み、要点をパソコンに書き込んでいく。内容を一つ一つ確認しながらの作業であり、体調も芳しくないので、量的にははかどらない。焦らず、着実に進めて行きたい。

2016年10月27日(木)デイサービスお試し
 午後は隣町の大矢船にあるデイサービス「ポラリス」で「お試し」をしてきた。来月から週2回、こちらでお世話になる予定である。現在、通っている「ヒーリング」とはさまざまな面で異なっていた。デイサービスの内容は事業所ごとに大きく違っているらしい。ヒーリングは送迎に30分を要するが、ポラリスには5分足らずで到着する。ヒーリングに1年間、通ったおかげで、なんとか運動機能の低下を防げたと思う。ポラリスでは方法が異なるが、日常の運動不足を補う場にしていきたい。

2016年10月26日(水)ヒポクラテス
 大学院の授業のため桃大へ。午前中は図書館地下書庫でヒポクラテス関係の文献調査。時間が限られているので大槻真一郎『ヒポクラテス全集』の一部をコピーし、ギリシア語原文と英訳を見るため、Loebを3冊、借り出してきた。
 先週、岩波文庫版を読んで最も気になったのは、「神聖病」第5節の「この原因は他の疾病と同じく遺伝的である」(p.43)という訳文である。19世紀以降の生物学用語「遺伝」を用いるのは時代錯誤ではなかろうか。ローブではこの部分の原文が genos とされ、英訳は heredity となっている。大槻の全集では原文がgonos とされ、「この病気も他の病気と同様に両親から継承したものを通して始まる」となっており、gonos について「婦人病」第1巻に詳細な注を付記している。ローブの解釈は近代的な遺伝の観念に引きずられたもので、大槻本の解釈が正しいのであろう。
 一般に翻訳は翻訳者の知識体系に基づいて為されるので、原作者の意図が伝わるとは限らない。メンデルのエンドウ論文(1866)も、いわゆるメンデル遺伝学の立場で翻訳されてきたので、遺伝学の論文と誤解されてきたといえよう。
 それにしても遺伝学成立史のために、ヒポクラテスまでさかのぼる必要が出てくるとは思わなかった。

2016年10月25日(火)NTTドコモ
 午前中はデイサービス「ヒーリング」で運動機能訓練。やや風邪気味なので運動量は通常の半分以下に抑えておいた。帰宅後、夕刻になってからNTTドコモの河内長野店へ。カミさんのケータイ(ソフトバンク)に電源が入らなくなったので、この際、二人のケータイをドコモに乗り替えることにした。ショップの営業時間は8時までだが、機種を決め、契約を済ませたら9時を過ぎていた。タクシーで帰宅後、食事をして寝床に入ったものの、神経が興奮しているのであろう、なかなか寝付かれなかった。

2016年10月24日(月)遺伝の観念
 アッカークネヒトなどを背景にしてLopez-Beltran(2004)を丁寧に読み込むこと作業を2日前から始めたものの、体調不良と雑用のため、はかどらない。焦ること無く取り組んで、科学史関西研究大会(12月4日、京大)での報告の基礎にしたい。

2016年10月21日(金)デイサービス
 午前中は家事雑用。午後はデイサービス「ヒーリング」で運動機能訓練。休憩するテーブルの隣席は90歳を越えた男性、向かいが90歳を越えた女性。お二人とも姿勢が良く、頭脳明晰である。男性はまだ事業経営に関わっているとのこと。女性は休憩時に当方と同様、ナンプレの名人級を楽しんでいる。当方もまだ10年以上は生物学史に取り組んでいきたいものだ。帰宅後の夜に4日分のジャーナルを書いてアップした。

2016年10月20日(木)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。嵐山は平日でもかなりの人出で、外国人観光客も多かった。それにもかかわらずシャッターを下ろして休んでいる店がいくつもあったのはなぜだろう。怪訝に思えた。

2016年10月19日(水)ヒポクラテス
 大学院の授業のため桃大へ。午前中は図書館地下書庫で文献検索。体質概念の起源とされるヒポクラテス関係の文献に当たってみた。大槻真一郎(翻訳責任)『ヒポクラテス全集』(全3巻)は大冊に過ぎるので、とりあえず小川政恭訳の岩波文庫版を借り出し、帰宅の途中で走り読みした。「体質」という訳語が頻出している。次週登校時に大槻訳とギリシア語原文、および英訳などを参照してみたい。
 岩波文庫を読んでいて、これはすでに読んでいるはずだと気がついた。帰宅後、書棚を確認すると書き込みのある文庫本があった。大分前に古典の一つとして読んでいたのだ。しかし問題意識を持たずに漠然と読んだだけでは頭を素通りしてしまうのだろう。

2016年10月18日(火)デイサービス
 午前中はデイサービス「ヒーリング」で運動機能訓練。運動しながら、オルビー(1992)についてジャーナルで書く内容を考えていた。それが昨日分のジャーナルである。

2016年10月17日(月)オルビー「体質病と遺伝病」
 Bynum & Porter (eds.)『医学史便覧』(1992)の第20項として掲載されている標記の記事を読み終えた。古代医学の体質概念(constitution, diathesis, temperament)が19世紀の医学、とくにパリ学派でどのように受容され、遺伝の観念とどのように結びついていたかを知りたかったのだが、それについては冒頭で簡単に触れているだけであった。著者の論点は、生まれつきの疾病体質という観念が形を変えて分子遺伝学の現代まで続いていると説くことにあった。体質概念の歴史についてはアッカークネヒトの論文(1982)を読まねばならないようだ。

2016年10月16日(日)雑件
 風邪の影響か、昨日今日と調子が悪い。集中力が出ないので論文はあきらめた。暗証番号の問い合わせ、保険の書類整理など、気になっていた雑件を片付け、来年度の大学院授業についての回答を送信した。明日、気力がもどることを期待しよう。

2016年10月14日(金)デイサービス
 午後はデイサービス「ヒーリング」で運動機能訓練なので、午前中をぼんやり過ごすと何もしない一日になってしまう。そこで9時から11時までは断固として論文を読むことにした。本日はオルビー(1992)の解説記事「体質と遺伝病」の前半を読むことができた。デイサービスでの運動量は抑え気味にしたので、帰宅後もある程度、動くことができた。夜になって3日分のジャーナルを書いているが、数日来の急激な気温低下のため、軽い風邪を引いてしまったようだ。

2016年10月13日(木)アッカークネヒト『パリ、病院医学の誕生』
 本日も家事雑用に追われたが、一応、標記の訳書を読了した。大量の一次資料を読みこなした上での概論であり、豊富な内容に圧倒される。川喜多愛郎『近代医学の史的基盤』の第19・20・21章は本書の要約といえるが、そこでは得られない詳細な記述がある。ジフテリアの研究で知られるトゥールの医師ブルトノーが23歳の時に25歳年上の女性と結婚し、78歳の時に18歳の少女と再婚したといった話は川喜多の本にあるはずがない。邦訳は正確で安心して読める。ただし、カバニスの主著を『身体ならびに精神に関する報告』(p.111)としているのは誤訳である。同書について地の文では繰り返し、「身体と精神の関係」と記しているのに残念である。なお訳書の最後に政治思想の専門家による「解説」が付記されているが、筆者も自認する「医学の門外漢」(p.313)が「解説」を書けるわけがない。プラトンやユクスキュルを引っ張り出して話を難しくしているだけである。多分、担当の編集者がこういった「高尚」な議論が好みなんだろう。

2016年10月12日(水)桃大
 大学院の授業のため、桃大へ。午前中は地下書庫で医学史に関する文献調査をしたが目的を果たせなかった。3時限の授業に拡大鏡を持参することを忘れたため、英文テキスト(ブリタニカ第9版からのコピー)が満足に読めない。近大病院の医師が薦めているように、白内障の手術をすべきなのかもしれない。

2016年10月11日(火)デイサービス
 午前中はデイサービス「ヒーリング」で運動機能訓練。今月から週2回になったので、1回の運動量をかなり減らすことにした。そのため帰宅後も体力が残っていたが、家事雑用に追われて論文を読むことはできず、書き溜めていたジャーナルをアップするのが精一杯であった。

2016年10月10日(月)アッカークネヒト『パリ、病院医学の誕生』
 一昨日から読んだきたが、全17章のうち、ようやく第12章まで読み終えた。50年間の大きな流れと主要人物についてはほぼ終わったので、後は気楽に読み飛ばせるだろう。

2016年10月8日(土)アッカークネヒト(舘野之男訳)『パリ、病院医学の誕生』
 桃大図書館から借りてきた標記の訳書に着手した。フランスの医学についてドイツ生まれの研究者が英語で書いた著書(1967年刊)を日本語訳で読むわけである。邦訳は1978年に思索社から『パリ病院1794-1848』の書名で刊行され、2012年にみすず書房から標記の書名で再刊された。医学史の名著として有名だが、生物学史と重なる所は少ないので読んでいなかった。今回は、生物学的な遺伝の観念がフランス医学の中で生まれたとするLopez-Beltran(2004)を理解するために、読まねばならなかった。

2016年10月7日(金)デイサービス
 朝はゆっくり家を出て、狭山駅前のなじみの理髪店で散髪。北野田駅前で昼食を取った後、千代田の国立病院内の喫茶店で時間調整をし、病院前のデイサービス「ヒーリング」へ。今月から火曜午前に加えて金曜午後にも運動機能訓練に通うことになった。本日は午前中に動き回ったので運動量を大幅に減らした。それでも帰宅後に論文を読むのは無理。阿辻『部首のはなし』を拾い読みするのが精一杯であった。

2016年10月6日(木)阿辻哲次『部首のはなし』(中公新書 2004)
 本日は図書館で借りてきたアッカークネヒト『パリ病院』を読むつもりだったが、家事雑用で一日が終わってしまった。ただ、合間合間に、これも昨日借り出した標記の新書を拾い読みした。部首についての知識が不十分だと感じていたので、なるほどと思いながら読んでいる。とくに、「巨」は本来、「工部二画」の文字であるということは、これを「はこがまえ」に所属させている手元の漢和字典を精読しても分からなかったことである。

2016年10月5日(水)停電
 午前中は図書館地下収蔵庫で文献コピー。台風18号が近づいているので、午後、大学院の授業を終えて直ちに帰宅。雨風に遭うこと無く無事、家に着いたが、夕食を終えた7時前に停電し、回復に2時間を要した。台風の影響らしいが、この程度の風で停電とは思いもしなかった。小学生のころ、停電が珍しくなかったことを思い出す事態だった。

2016年10月4日(火)カバニスの主著
 午前中はデイサービス「ヒーリング」で運動機能訓練。今月から週2回通うことになったので運動量をかなり減らしてみた。そのおかげだろう、帰宅後、少しは調べ物をすることができた。まず、Lopez-Beltran(2004)をはじめフランス革命期の医学史には必ず登場するカバニスについて学ぶことにした。『科学史技術史事典』(弘文堂)の解説を見て驚いた。主著『人間の身体と精神の関係』(Rapports du physique et du moral de l'homme)が『人間の物理学、倫理学についての報告』となっているではないか。科学史家ならすぐに気付くはずのミスなのに、編者も校閲者も見逃していたことになる。ちなみにリュカ『遺伝論』の冒頭「プロレゴメナ」の6つの小節のタイトルは全て Rapports de la question で始まっている。最初は「報告」と理解したが、それは間違いで、「甲の問題と乙の問題との関係」という意味であった。

2016年10月3日(月)遺伝の観念
 昨日と今日は論文に集中できたので、ようやくLopez-Beltran(2004)の再読を終えた。19世紀フランス医学で、相続病についての議論から、生物学的な遺伝の観念が誕生する過程を綿密に追っている。論文に登場する人物、当時の医学用語、参照文献などについて調査し、邦語による案内文を書いておきたい。

2016年10月1日(土)遺伝の観念
 リュカ2巻本の内容を踏まえてLopez-Beltran(2004)を読み直すことにしているが、ここ数日は気力体力が低下して読み直しがはかどらない。ぼんやりテレビを見たり、数独を解いたりして時間を潰している。与えられている時間はそれほど無いのに、困ったことだ。12月4日の科学史西日本研究大会では、この論文の内容紹介を中心にした報告を考えているので、細部まで徹底的に読むつもりでいる。年内には丸善『動物学事典』2項目の原稿も書かなければならないので、なんとなく気ぜわしい。明日が予約開始の文楽錦秋公演もあきらめるか。

2016年9月28日(水)大学院授業
 3年ほど受講生ゼロで授業がなかったが、今年度は受講希望者がいるので毎水曜日に桃大に行くことになる。本日は授業内容を相談し、図書館地下書庫で文献を案内して終えた。少人数の授業であっても、それなりの準備が必要である。いずれ週1回の登校に体も慣れてくるだろう。

2016年9月27日(火)健康診断
 午前中はデイサービス「ヒーリング」で運動機能訓練。帰宅後、一休みしてから福岡医院へ。15日の血液検査の結果を見ると、すべての数値が小さく(良く)なり、1項目を除いて正常範囲に収まっていた。これはめでたい。ささやかな(半合の)祝杯をあげ、30年前の「寅さん」をNHKBSで見て、今夜は終わりにしよう。

2016年9月25日(日)ジャーナル執筆
 昨日の疲れで何もできなかったが、夜になって集中力がやや回復。ネットで星野道夫のことを調べた後、21日(水)以来のジャーナルを書くことができた。

2016年9月24日(土)星野道夫写真展
 カミさんの買い物のお供で難波の高島屋へ。ついでに開催中の「没後20年特別展・星野道夫の旅」を見てきた。写真は見事だった。水面からジャンプした鮭と川面を見下ろす熊との遭遇など、こんな瞬間をよくぞ撮れたものだと思う。20年近くアラスカに腰を据えていたおかげなのだろう。星野道夫(1952 - 96)は写真だけでなく、テレビ番組の取材中の事故で死亡したことでも有名らしいが、なぜかまったく記憶にない。たまたまのぞいた展覧会だったが、本日の大きな収穫であった。

2016年9月23日(金)リュカ『遺伝論』の目次
 リュカ2巻本の目次の整理を終えた。上巻が約600ページ、下巻が約900ページ、合わせて1,500ページを越えているが、詳細な目次をたどることで内容の概要が把握できる。各巻(tome)はそれぞれ2部(partie)に分かれ、計4部から成っており、各部は編(livre)、章(chapitre)、節(section)、項(article)、§、番号に細分され、合計で300項目ほどになる。これで同書について自信を持って語ることができる。なお、同書のタイトル Traite philosophique et physiologique de l'heredite naturelle のl'heredite naturelle が「自然の遺伝」と邦訳されていることもあるが、これは、当時のherediteの通常の語義「相続」から「生物学的な遺伝」の意味を区別するためにnaturelleを付記したと理解すべきであり、「遺伝」と訳すなら「自然」を付記すべきではないだろう。

2016年9月21日(水)桃大図書館
 桃大の後期授業は祝日の19日(月)から始まっているが、昨日は台風のため休校になったようだ。当方の大学院講義が水曜午後に組まれており、受講希望者もいるとのことだが、本日は欠席のため図書館地下書庫へ。まずはダーウィン『マージナリア』のリュカ『遺伝論』の箇所のコピーを取る。『マージナリア』によればダーウィン所蔵のリュカ『遺伝論』にはびっしりと書き込みがなされていて、ダーウィンが同書を綿密に読んだことが分かる。この書き込みを解析するのは容易な作業ではないので、あきらめた。
 この後2階洋雑誌コーナーで近刊の科学史雑誌にざっと目を通した。ダーウィン関係の論文はいくつかあったが、初期遺伝学史関係はなかった。
 午後は雨となり、傘を差しての帰宅となった。最近は「台風一過」とはならない気がする。これも地球規模の変動によるのだろうか。

2016年9月20日(火)台風16号
 台風直撃のためデイサービスはお休み。全ての雨戸を閉め切った中で、リュカ2巻本の目次の整理と解読に取り組んだ。夕方には台風も通り過ぎたが、目次の誤変換修正と解読にはまだまだ時間が掛かりそうである。

2016年9月19日(月)リュカ『遺伝論』の目次
 リュカの2巻本(1847, 1850)の概要把握を当面の目的にしているので、まずは同書の目次を見ることにした。ところがグーグル・ブックスの電子版(画像)で見る限り、冒頭に目次が無い。昨日はやむを得ないので本文をたどって項目を拾うことにしたが、途中で、当時は巻末目次も珍しくなかったことに気がついた。当たってみると、やはり上下巻とも巻末に各巻の目次があった。最初から気がつくべきだったな。この後もかなりやっかいだった。パソコンの練達者なら電子版(画像)の目次部分だけを切り取って保存するのだろうが、そんな技術は無いので、テキスト形式に変換して保存することにした。これも簡単ではなかったが、試行錯誤しているうちに、なんとか成功した。本日は上下巻の目次をテキスト形式に変換して一太郎に落とすところまで。今後は誤変換を修正しながら解読していくことになる。

2016年9月17日(土)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で、京都嵯峨野の二尊院へ。19日からの彼岸の間は台風16号の影響で雨になるようなので、早めに出掛けることになった。今日も午後は雨の予報だったが、幸い予報は外れて雨が降ることはなかった。嵐山は相変わらず賑やかだったが、浴衣姿は少なくなった。二尊院の本堂工事は終わり、本堂拝観も復活していた。境内の整備も進み、当然のことながら参拝者も増えている。紅葉シーズンは一段と多くの観光客がやってくることだろう。

2016年9月16日(金)ルイスの遺伝論
 14日に読み終えたルイスの遺伝論を整理し、パソコンに入力。手間が掛かってもこうした作業をしておかないと、後で困る。リュカの著書を理解する助けにはならなかったが、19世紀中葉のイギリスにおげる遺伝論の一つとして、興味深いものであった。ある程度、整理がついたので、4日分のジャーナルを書くこともできた。

2016年9月15日(木)健康診断
 健康診断予約日のため、朝食抜きで福岡医院へ。当日に分かる範囲では問題なし。外出ついでにスーパーまで買い物に行き、疲れた。今日これでお仕舞い。

2016年9月14日(水)G・H・ルイスの遺伝論
 ルイスの評論「動物とヒトにおける遺伝の影響」(1856)をようやく読み終えた。当時の評論誌にしばしば見られることだが、書評とは名ばかりで、著者の持論が展開されている。リュカの2巻本については、大量のデータを無批判に集めているだけと非難するのみである。ダーウィンが同書を高く評価したのとは対照的である。基本的には文系知識人であったルイスが、3点の遺伝論書をどこまで読み込んだか、疑わしい。そうであってもヴィクトリア朝を代表する知識人の一人であるルイスが、遺伝現象をどのように理解していたかには興味がある。
本論部分の冒頭で、「遺伝(Heritage)、すなわち身体的および心的性質が親から子に伝達されることは、自然の普遍的な事実である」と断言する。親から子に伝わるのは「種の型」だけであるという、当時、有力であった説に対しては、実在するのは個物だけであり、「種は存在しない」(Species does not exist.)、「種」は便宜上の用語にすぎないという。種は存在しないのだから、「種の転成」(transmutation of species)という主張も、「種の不変性」(fixity of Species)という主張も無意味であるという。著者は、遺伝の普遍性と、それが個体間の関係であることに確信を持っている。他方、著者が最も悩んでいるのが、遺伝における雌雄の親の影響の違いで、そこに法則性を見いだすことができなかった。結局、「遺伝力」(potency)という概念を導入し、雌雄の親の遺伝力がさまざまな要因で変化するとみなしている。
 交雑によって両親とは異なる形質の個体が誕生するのは、遺伝因子(エレメント)の配置が変化するからであり、元素(エレメント)の配置の違いでさまざまに異なる物質が生じるのと同様、エレメント自体が変化することはないという。これは交雑による新種形成を唱えたメンデル、あるいは「遺伝子」(ゲン)についてのヨハンセンの考えにも通じるところがある。
 評論の最後では、遺伝と社会との関係に言及している。精神異常、瘰癧(頸部リンパ腺結核 scrofula)、肺癆(進行した肺結核 consumption)など遺伝性の病的素因(hereditary taint)を持つものは、結婚を自制すべきであるという。また、イギリス人が知的、道徳的に優れているのは、何世代もの長期の習慣が遺伝性になったためである。逆に野蛮人は知的道徳的に劣っており、教育によっても是正されないという。
 このように、遺伝が生物学的な概念として認識されるようになった当初から、優生学的な議論と結びついたいたことに留意しなければならないだろう。

2016年9月13日(火)デイサービス
 午前中はデイサービス「ヒーリング」で運動機能訓練。午後は、ルイスの匿名評論「動物とヒトにおける遺伝の影響」(1856)を読む。11日に拡大コピーを読むことに着手したが、けっこう、てこずっている。

2016年9月11日(日)洋古書
 紀伊國屋ネットで8月24日に発注していた古書、ボウラー『メンデル革命』(1989)がクロネコヤマトで届いた。桃大図書館の蔵書を繰り返し借り出していたが、初期遺伝学史を執筆するためには手元に置いておく必要を感じたので、古書で購入することにした。紀伊國屋ネットで検索すると、同じ図書でも古書店(アメリカ)によって2万円から2千円の開きがある。最安値のものを選んで発注したが、状態はDランクとなっていたので、やや心配であった。届いたものはメリーランド州にある短大図書館の旧蔵書で、あちこちに蔵書印に重ねて廃棄印(WITHDRAWN)が押されている。しかし中身はきれいで、全く問題はない。貼り付けてある貸出票を見ると、貸し出し実績はゼロである。そのため廃棄処分になったのだろう。おかげで安く入手できたのはありがたいが、本来なら大学に備えておくべき図書であろう。とにかくこれで、遠慮無く書き込みをしながら読むことができる。

2016年9月10日(土)ナイター中継
 やはり外出した翌日は体調不良で勉強はできない。見たいテレビも無かったが、広島・巨人戦のナイター中継で広島カープスの優勝決定の瞬間を見た。阪神が駄目なら広島の優勝がいい。

2016年9月9日(金)桃大図書館
 3ヶ月ぶりに桃大図書館へ。返却用の図書4冊は、6月17日に借りてきた時よりも重かった。本日の主目的は、『ウエストミンスター・レヴュー』1856年7月号に掲載された遺伝論などの書評を拡大コピーすること。我が文献ファイルにこのコピーがあったのだが、拡大鏡を使っても読みづらいので、拡大コピーをとることにした。それだけの作業なのに疲れてしまい、ほかのことができない。ダーウィンの書込集『マージナリア』のリュカ『遺伝論』の箇所をコピーすることも忘れてしまった。ダーウィンがどんなコメントを書いているか楽しみだったのに、残念。

2016年9月8日(木)ダーウィンとリュカ
 ダーウィンはリュカ『遺伝論』(1847,1850)を1856年9月5日に読んでいる。そのきっかけは、『ウエストミンスター・レヴュー』1856年7月号に掲載されたリュカ『遺伝論』などの書評であったと思われる。この書評の匿名筆者はG・H・ルイスであった。この号をライエルがダーウィンに貸し出して、フッカーにも又貸しするようにいっていた。ダーウィンはこの書評を読んでからリュカの2巻本を購入したのであろう。ダーウィンは『種の起源』(1859)第1章の本文6ページ目(p.12)と『飼育栽培のもとでの変異』(1868) 第12章「遺伝」の冒頭(v.2,p.1)で、遺伝論の代表的な著作としてリュカ『遺伝論』の名を挙げている。『飼育栽培のもとでの変異』には同書からの引用も多い。ダーウィンはリュカから大きな影響を受けていたと考えられる。この問題を真っ正面から取り上げた論考(2009)もあるが、いずれ自分なりに考察しなければなるまい。

2016年9月7日(水)リュカ『遺伝論』
 遺伝の観念の誕生に関し、さしあたりの研究テーマをリュカの2巻本(1847,1850)に絞ることにした。しかし心身ともに異常な疲労感で、ろくに作業ができない。かろうじて、原典の電子版がグーグル・ブックスに無料で提供されているのを確認したにとどまる。

2016年9月6日(火)デイサービス
 午前中はデイサービス「ヒーリング」で運動機能訓練。午後はカミさんの買い物のお供で三日市町駅前へ。これで本日は終わり。論文はおろか、小説を読むこともできない。

2016年9月5日(月)『生物学史研究』94号
 『生物学史研究』最新号の全体にざっと目を通した。当方の総説が巻頭論文になっている記念すべき号であるし、遺伝学史以外の問題にも目を向けて頭を休めようという意図もある。メンデル、ダーウィン、という生物学史本流から、シーボルト、泉鏡花など、多彩な人物が登場し、臓器移植や出生前診断についての論考もある。こうした問題に無関心ではないし、現役の時は授業でも取り上げていたが、今は頭の中で棚上げしておくほかない。これだけ多様な内容の学術誌を編集するのには相当の労力を要する。編集者たちに敬意を表したい。
 中尾暁の小論「網状の進化と分類学――早田文蔵が提唱した動的分類系の理論的背景」では、早田とロッツィが交雑による種の変化を説いていたという。この論考の後、著者はメンデルその人が交雑による新種形成を主張していたことに気付くが、そのきっかけは当方のこのジャーナルだったという。ときおり、自分は何のためにジャーナルを書いているのかと迷うが、こういうこともあるので、今まで通りの形で書き続けてみよう。

2016年9月4日(日)生物学史・報告要旨
 「日本科学史学会生物学史分科会・夏の学校2016」(8月27日)の報告要旨を昨日と本日の2日掛かりで作成した。新たなことを書くわけではないが、執筆要項に合わせて規定の分量に収めるため、かなりの時間を要した。とにかくこれを終えなければ先に進めない。メールの添付で担当者への送信を済ませたら、どっと疲れが出た。明日は課題を整理し、少しでも先に進みたい。報告要旨の冒頭部分を転載しておく。

 古来、親子の類似は生物学の課題ではなかったが、18世紀に諸分野で遺伝現象が注目されるようになり、19世紀中葉に生物学的な遺伝の観念が成立した。しかしメンデルのエンドウ論文(1866)は遺伝の研究論文ではなく、伝統的な植物雑種の研究論文であった。このエンドウ論文をコレンスらが遺伝論として誤読し、それがきっかけとなって1900年に遺伝学が誕生した。
 本報告ではこうした近年の科学史研究の成果を概観し、遺伝学の成立に関する従来の通説の誤りを指摘したい。最初にメンデルを遺伝学の祖とする通説を否定する近年の研究を概観する。次いで、いまだ未整理だが、遺伝の観念の誕生に関する近年の研究を概観する。オリジナルな研究ではなく、展望である。

2016年9月2日(金)その2.文楽錦秋公演
 文楽友の会の会報が届き、11月公演の演目が分かった。時代物の通しを期待していたのに、昼の部が「志度寺」、「城木屋」と「鈴ヶ森」、「日高川」の「渡し場」、夜の部が「本蔵下屋敷」、「酒屋」、「勧進帳」、という典型的な見取で、がっかりした。とはいえ、夏の公演にも行かなかったので、今度こそ咲太夫(「本蔵下屋敷」の切)を聴きに行かねばなるまい。

2016年9月2日(金)ケータイ修理
 散髪に出たついでに千代田駅前のソフトバンク・ショップへ。というよりも、ケータイのためだけに出掛けるのではお金と時間がもったいないので、散髪を主目的にしたというべきだろう。ケータイは無事、修理されてもどってきた。これで6月5日以来の我が家のケータイ騒動がようやく終わった。何度、無駄足を踏まされたことか。いずれ会社を替えねばなるまい。この後、郵便局で生物学史分科会の会費を送金し、銀行とスーパーによって帰宅したら3時。疲れ果てて今日もまた何もできない。それでも夜になって4日分のジャーナルをまとめ書きすることができた。

2016年9月1日(木)総説「メンデルは遺伝学の祖か」
 昨日に続き、今日もまた家事をこなすのが精一杯で、ほとんど仕事はできない。昼過ぎに『生物学史研究』94号と拙著の総説「メンデルは遺伝学の祖か」別刷20冊が届いた。この総説がメンデル神話批判の第1弾である。これからもあらゆる機会を利用して、メンデル神話の誤りを広めなければならない。

2016年8月31日(水)認知症高齢者9人の死亡
 台風10号のため、岩手県岩泉町のグループホーム入所者9人全員が亡くなった。数日前から強い台風が東北地方を襲うという警告が出ていたのに、なぜだ。なんとも、やりきれない。隣接する3階建ての施設に移動するだけで助かったのに、管理者には「まさか」という思いがあったらしい。その根底には認知症高齢者を軽視する気持ちが潜んでいなかったろうか。相模原事件と重なり、暗澹たる気分である。

2016年8月30日(火)ケータイ修理
 午前中はデイサービス「ヒーリング」で運動機能訓練。午後遅くなってから田中整形に行き、三日市町駅前のスーパーで買い物をした後、千代田駅前のソフトバンク・ショップへ。7時55分に到着したら、既に閉店していた。8時閉店とうたっているのだから、8時までに来た客は迎えるべきではないのか。あるいは、「入室は7時30分まで」などと宣言すべきであろう。交通費と時間を無駄にしてしまった。

2016年8月29日(月)ジャーナル執筆
 朝から深夜までの雨で8月平均一月分の雨量になるらしい。午前中は疲れが残っていたが、午後には体と頭が動くようになったので、まず中尾暁のプレプリント「メンデルを継ぐ者? - J・P・ロッツイの交雑に基づく進化論」を読了し、3日分のジャーナルをまとめ書きした。報告要旨の執筆など、いくつか片付けるべきこともあるが、まだその余裕はない。

2016年8月28日(日)無為
 昨日の疲れで何もできない。寝転がっているだけで、体を動かしたくない。考え事もできない。昨日はほとんどバス、電車での移動で、ろくに歩いていないのに、この疲労感は異常である。現役時代、地方都市での学会なら列車や飛行機で往復し、学会の合間に名所や博物館を見て回ってもさして疲れなかった。老齢になると時間があるようでないとは、こういうことなのだろう。

2016年8月27日(土)絶滅危惧種・科学史研究者
 「日本科学史学会生物学史分科会・夏の学校2016」に参加するため、奈良市高畑の奈良教育大学へ。10時半開会だが、朝、家を出て午後から参加した。2時40分から3時10分まで「遺伝の観念の誕生、およびメンデル再考」のタイトルで発表。当方の次が中尾暁(東大大学院)「メンデルを継ぐ者? - J・P・ロッツイの交雑に基づく進化論」。この後も環境論に関する3本の発表が予定されていたが、中尾君と早めに退席し、近鉄奈良駅に向かった。夏休み中の土曜日のためキャンバスに学生の姿はなかったが、帰るときには数匹の鹿が悠然と歩いていた。
 近鉄奈良駅構内の喫茶店で中尾君と懇談してきた。中尾君の研究は、メンデルのエンドウ論文が遺伝の論文ではなく、交雑による新種形成を主張する論文であることを前提にしている。通俗的なメンデル像の修正のため、孤軍奮闘を覚悟していたが、強力な援軍を得たといえよう。
 中尾君の話によると現在、東大で科学史を専攻している院生は中尾君一人だけだという。科学史研究が不人気な理由としてはさまざまなことが考えられるが、根本的には日本の社会が科学史を軽視しているためであろう。その一方で従来の誤った科学史の記述が信奉されたままである。メンデル像もその一例だが、科学と宗教の闘争史観、あるいはライエルを近代地質学の祖とするライエル神話など、数え切れない。日本史関係なら小さな発見でも大々的に報じられるのとは対照的である。日本における論文不正の原点ともいえる野口英世については多くの指摘がなされてきたにもかかわらず、偉人扱いが続いている。欧米並みに科学史研究者の層が厚ければ、こんなことにはならないであろう。

2016年8月26日(金)研究報告準備
 明日の研究報告の準備完了。印刷配布用の原稿を作成したが、さて、明日、これをどこで印刷するか。三日市町駅前のスーパーを考えたが、開店するまで待たねばならない。結局、近鉄奈良駅まで行って駅近くのコンビニで印刷することにした。この決断をするまでに多くの時間を費やしてしまった。現役時代にはなかった苦労である。準備を終えたら気が抜けたようになり、考え事をする余裕が無くなった。さっさと寝て明日に備えよう。

2016年8月25日(木)スライド作成
 夕刻から待望の雨。数週間、雨が無かったように思うので、まさに干天の慈雨である。庭木も元気になるだろうが、人間もほっとする。27日の研究発表のためのpptスライド作成をほぼ終えた。明日、見直して、印刷配布用の原稿を作ることになる。まだ研究途中だが、発表のために整理したことにより欠けている部分がはっきりしてきた。有益な作業であった。

2016年8月23日(火)デイサービス
 午前中はデイサービス「ヒーリング」で運動機能訓練。夜になってパソコンに向かう元気が出てきたので、pptスライドの作成を少しだけ続行。追い込まれることで、否応なく、ある程度のまとまりができてくる。

2016年8月22日(月)発表スライド作成
 27日の研究発表で「遺伝の観念の誕生」について何をどう話すか、まとまらない。ボウラー『メンデル革命』(1989)を読み直したりもしてみたが、未だに整理が付かない。しかし日も迫ってきたので、とにかくpptスライドの作成に着手した。スライド作成の過程で、なんとか筋道が立ってくるであろう。

2016年8月19日(金)優生手術の実施数
 今朝の朝日新聞のコラム、神里達博・千葉大教授「相模原事件から考える」に、優生保護法によって「強制的に行われた不妊手術は、1万6千件以上にのぼる」とあるが、この数値の出典が示されていない。ネットで調べると、「女性障害者ネットワーク」の文書(2012年5月11日)に、厚生省の資料を基にして算出された優生手術の数が掲載され、総数16,477、うち女性11,313(68.6%)となっていた。おそらく神里もこの数値を引用しているのであろう。基の資料は厚生省だが、総数は民間人が計算したものである。新聞のコラムでは一々出典を明示するわけにはいかないが、この数値の出典については注記すべきではなかろうか。
 著者がいうように、相模原事件を例外的な個別の事件とみなすことはできない。戦前回帰を志向する安倍政権の下で、弱者切り捨てが正当化されているのではなかろうか。老いていく我に、いずれ降りかかってくる問題である。

2016年8月18日(木)ジャーナル執筆
 心身ともに虚脱状態で遺伝学史研究は放棄。北村薫『空飛ぶ馬』全編を読み直した。以前、読んだ時には気にならなかったが、主人公の女子大生が未成年なのにビールやワインを飲んでいる。当時は大学に入学したらお酒も解禁という社会風潮があったが、今は厳しい。教員が未成年の学生の飲酒の場に同席していたら、問題になる。今は小説でもこうした場面を書くのは難しいだろう。夜になってなぜか気力が回復してきたので、4日分のジャーナルを書くことにした。

2016年8月17日(水)遺伝の観念
 4月以来、読んできた文献の整理を終えた。要旨をまとめてない文献もある。その時点では読み終えた文献を振り返るよりも先に進みたかったのだが、いずれ後悔することになる。研究会での発表内容をどうするか、まだまとまらない。

2016年8月16日(火)半七と円紫
 午前中はデイサービス「ヒーリング」で運動機能訓練。帰宅後、文献に取り組む気力が無いので、北村薫「織部の霊」を読み直した。デビュー作『空飛ぶ馬』の冒頭作品で、「円紫さん」シリーズの第一作でなる。この作品が『半七捕物帳』の第一作「お文の魂」を踏まえており、半七を現代に生き返らせたのが円紫であろうと、大分前に書いた記憶がある。今回読み直して、「あっ」と思った。円紫について、「『文七元結』」の文七にしたら似合いそうな顔である」とある。『半七』の解説本によれば綺堂の「半七」の背景には、「酒屋」の「いまごろは半七さん」と「文七元結」があったはずだという。北村がわざわざ円紫と文七とを結びつけているのは、「円紫は半七だよ」と読者に告げるためではなかろうか。「えんし」は「はんしち」に通じるところがある。これが深読みに過ぎるとしても、タイトルと内容(書物の絵による悪夢)から判断して、「織部の霊」が「お文の魂」を踏まえていることは間違いない。ところが創元文庫の巻末解説(安藤昌彦)では、このことに触れていない。ミステリーの解説者がこのことに気付いていないはずがないだろうに、なぜ書かないのだろうか。

2016年8月15日(月)遺伝の観念
 27日の研究会を控えて、4月以降に読んだ文献をパソコン上で整理することにした。遺伝の観念の誕生について、ある程度のことを語るにのには必要な作業であろう。

2016年8月14日(日)遺伝の観念
 『遺伝の観念の誕生』第2章サビーアン「クランからキンドレッドへ」を昨日と今日で読了。第1章は序論なので、この章が論文集の最初に置かれていることになる。1600-1750の時期は一子相続と外婚(exogamy)によって不動の資産と地位を確保した本家筋を中心に一族が結集した。資産が流動的になった1750-1870の時期は一子相続が廃され、いとこ婚などの内婚(endogamy)によって資産の確保と増大が計られたという。章題の用語から見ても社会学の論文であり、読み通すのがつらかった。遺伝の観念との関係もうかがえないが、とりあえず、遺伝(相続)についての基礎知識の一つと理解しておこう。

2016年8月12日(金)ジャーナル執筆
 昨日の今日で体が動かない。今日に限らず、ジャーナルを書くことも億劫になっていたが、またしても自らを叱咤激励して、なんとかジャーナルまとめ書き。数年前の日誌を見ると連日のように論文を読んでいるが、今は1週間に1日を費やす程度になっている。これでは通史はおろか、遺伝学史もまとまらない。とりあえず、明日からの3日間は遺伝学史の論文に集中したいものだ。

2016年8月11日(木)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。今年から「山の日」という祝日が始まった。そのためか、昼時の難波高島屋食堂街は大変な混雑で、どの店も順番待ちの行列であった。電車の混雑はさほどではなかったので、助かった。嵐山の人出もかなりのもので、浴衣姿も多かった。二尊院の本堂工事も休みのようだったが、紅葉シーズンまでには完了するのだろう。

2016年8月10日(水)ケータイ修理
 簡単な修理を依頼したら、壊されてもどってきた。所用で河内長野駅前に出たついでに、千代田駅前のソフトバンク店へ寄った。修理依頼をキャンセルしたケータイを受け取るつもりだったが、電源が入らなくなっていた。7月14日に修理依頼した時には裏蓋が閉まらないだけで動作に異常が無いことを確認しているので、修理担当のメーカー(シャープ)が壊したのだろう。自分で壊しておいて修理代3万5千円とは、ふざけている。自己負担無しで修理させるというので、また、預けてきた。実用に困らなければ、修理依頼なんかしない方がよいようだ。

2016年8月9日(火)デイサービス
 午前中はデイサービス「ヒーリング」で運動機能訓練。帰宅後の午後に介護認定の調査員が来訪。調査員の説明で、デイサービスは制度上、高齢者のレクレーションと位置づけられていることを知った。今の自分はレクレーションどころか、運動機能を維持するのに必死である。

2016年8月8日(月)遺伝の観念
 『遺伝の観念の誕生』第12章マクローリン「カントの遺伝論」を読了。カントは『判断力批判』で生物を論じているが遺伝については語っていない。しかし4点の人種論(1775,1785,1788,1793)では適応形質と遺伝の問題を扱っている。18世紀の生物学者の関心はもっぱら種の形質に集中し、遺伝に無関心だったので、種より下のレベルで適応と遺伝の問題を扱ったカントの業績は画期的だったという。カントの人種論は読んでいないので的確な判断はできないが、著者の内容紹介が正しかったとしても、それがその後の生物学にどれだけの影響を及ぼしたのか、具体例がないので疑問が残る。

2016年8月6日(土)ジャーナル執筆
 7月29日以来、1週間もジャーナルを執筆していない。遺伝学史研究が全く進展していないし、そもそもジャーナルを書こうという気力が沸いてこない。これでは遺憾と、自らを叱咤激励し、とにかく、まとめ書きをしてみた。

2016年8月5日(金)ケータイ
 散髪に出たついでに、まず千代田駅前のソフトバンク店へ。バッテリー入替の後、裏蓋が閉まらなくなったので7月14日に修理を依頼した。その折の説明では、月々、保証料を払っているので修理は無料とのことだった。8月1日に修理品をショップに発送したとのメールが届いたのでショップへ来たのだが、まるで話が違う。見積もりが届いただけで、修理費は3万5千円になるが、保証料を払っているので自己負担3千円だという。裏蓋が無くても使えるので修理は断ったが、ソフトバンクは信用できない。時期を見て会社変更すべきかも知れない。
 千代田駅から河内長野駅にもどって用事を済ませたが、猛烈な暑さにはまいった。バッグに入れたペットボトルが空になったときには、危険を感じるほどであった。

2016年8月3日(水)難波
 カミさんの買い物のお供でナンバの高島屋へ。仏壇仏具売り場の横に岐阜提灯の展示即売があり、「大内行灯」という用語を初めて知った。百万円台の高価なものもある。こういう所に大金を使える階層が少なからず存在するのだろう。

2016年8月2日(火)デイサービス
 午前中はデイサービス「ヒーリング」で運動機能訓練。本日は体力測定もあり、普段よりも運動量は多かったかもしれない。

2016年8月1日(月)花火も見ない
 夜になるとPLの花火の音が聞こえる。時に、窓が揺れるほどである。家から数メートル行けば花火が見えるのだが、今年は出て行く気がしない。音だけで終わった。ここ数日、気力体力がなく論文を読まずに過ごしてきたが、花火にも興味を失っているのは危険かもしれない。子供じみた好奇心を無くしたら、老けるばかりだろう。

2016年7月29日(金)生物学史・夏の学校のプログラム
 8月27日の研究会(於、奈良教育大学)のプログラムが告知された。10本の報告があるが、狭義の生物学史(学説史)は当方の「遺伝の観念の誕生、およびメンデル再考」のほかには、中尾暁「メンデルを継ぐ者?-J.P.ロッツィの遺伝観と進化観」があるだけ。日本の生物学史研究の現状を反映しているようで、心細い。さて、当方の報告で、メンデル論については総説の別刷を配布すればよいが、遺伝の観念の誕生について何を語るか、そろそろ決定して準備しなければならない。

2016年7月28日(木)遺伝の観念
 気力、体力が回復したので、ウッドとオレルの論文「19世紀前半の中央ヨーロッパにおける科学的育種」(2005)を読了。ブリュン(現ブルノ)に設立されたSBA「ヒツジ育種協会」(1814-45)におけるメリノ種の改良をめぐる議論を追い、修道院長ナップの立場も紹介している。著者らは、こうした議論の中で「遺伝」(Vererbung)が問題となり、それがメンデルに引き継がれたとしているが、あくまでもヒツジの改良に限定してVererbungが問題とされたのであって、生物共通の問題とは意識されていなかったのではないか。ナップ(1837)の言葉 " Was vererbt und wie ? " もヒツジの改良に即したものであって、遺伝の原理を問うたものではないだろう。18・19世紀に用いられるheredity, Vererbung が何を意味しているか、慎重に判断しなければならない。

2016年7月27日(水)無為
 いつものことだが、今日になって昨日の疲れが出て何もできない。週に2日が運動訓練に費やされることになるが、衰えるばかりの運動能力がこのおかげで維持できていると思われるので、続けるべきだろう。

2016年7月26日(火)デイサービス
 午前中はデイサービス「ヒーリング」で運動機能訓練。帰宅後の疲労感はいつもより軽く、短い論考を読み、メールとジャーナルを書くことができた。今後もこういう状態が続くと良いのだが。

2016年7月25日(月)遺伝の観念
 過ごしやすい一日で体調も良く、遺伝学史の研究を再開できた。8月27日の研究会(奈良)では、総説「メンデルは遺伝学の祖か」の内容だけでなく、より発展したものを報告したいものだ。

2016年7月24日(日)半七捕物帳「槍突き」
 論文に取り組む気力が失せているので、ぽつぽつ『半七捕物帳』を読み直している。第18作「槍突き」は無差別殺人を扱っているが、綺堂が手本にしたシャーロック・ホームズにはそうした事件はない。冒頭に、明治25年の東京で女の顔を切る通り魔事件が続いたとあるので、これから無差別殺人を思いついたのかも知れない。あるいは、有名な初代・清元延寿太夫の横死(文政8年)を槍突きによるとしているので、これから思いついたのかも知れない。甲州から出てきた猟師の犯行動機は、「江戸という繁華な広い土地を見て、どの人もみんな綺麗に着飾っているのを見て、(中略)なんだかむやみに妬ましいような、腹が立つような苛々した心持ちになって来て、唯なんとなしに江戸の人間が憎らしくなって、誰でもかまわないから殺してやりたいような気になった」と記している。現在の無差別殺人では凶器が銃や爆弾に変わり、ときに宗教的な背景があるにもせよ、根本的な動機はこれと同じ社会への反感であろう。小説家としての綺堂の力量を改めて知ることになった作品である。

2016年7月21日(木)梶雅範・東工大教授の訃報
 本格的な夏となったが、体調は芳しくない。血圧低下のためだろう、動くのも億劫で、遺伝学史の論文に取り組むのは無理な状態が続いている。そんな中、4日ぶりにパソコンを開け、科学史メーリングリストを見てびっくりした。梶さんが18日に病没されたという。ご専門はロシア化学史だが、広く科学史全般に目を向けていた。当方のメンデル研究にも関心を寄せていた。享年、60歳。日本の科学史全体のリーダーとなるべき人材だったのに、誠に残念である。ご冥福をお祈りする。

2016年7月17日(日)捕物帳
 昨日の今日で疲労困憊、何もする気が起きない。夜になって体力がもどったので、テレビのN響「未完成」を聞きながら、昨日分のジャーナルを書くことができた。
 昼間は『半七捕物帳』を一編だけ読んだ。同書で綺堂が「岡っ引」などについて説明していることは、多分、全面的に信用していいのだろうが、「下っ引」の意味など、他書の解説と異なる部分は気になる。NHK BSで放映が始まった「伝七捕物帳」には疑問点が多い。そもそも「奉行直轄の岡っ引」という設定に無理があるし、身分制度の厳しい時代に与力の持つ紫房の十手を岡っ引が持てるはずがない。正装の奉行が同心の仕事場にのこのこやって来るのもおかしい。伝七の家の表に「黒門町 伝七」とあるのは、視聴者を馬鹿にしている。岡っ引の家にそんな看板があるはずない。山本博文まで動員して、あたかも江戸時代を忠実に再現しているかのように宣伝しているので、余計に腹が立つ。捕物帳を出すなら、もっとまともな作品がいくらもあるだろうに。

2016年7月16日(土)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で嵯峨野の二尊院へ。本日は祇園祭の宵山。嵐山もにぎやかで、女性の浴衣姿も多かった。昼は嵐山で遊んで、陽が落ちてから四条通りのホコテンに出掛けるのだろう。二尊院の拝観受付の係は通常、一人だけだが、今日は二人になっていた。本堂全体を覆っていた青のカバーは撤去され、真新しい銅葺きの屋根が露わになっていた。
 二尊院から帰るため6時にタクシーを呼んだが、四条方向に行った車がもどってこないので、なかなか配車されない。二人とも駅まで歩くのは無理なので、とにかく待つほかない。二尊院門前で1時間待つことになったが、この間、散歩中の犬に声を掛けたり、野良猫と遊んだりしていた。阪急線には祭り帰りが押し寄せる前に乗ることができた。元気な頃ならついでに宵山を楽しんでくるところだが、今はとにかく早く帰りたい。祇園祭にぶつかるようなことは避けたいものだ。

2016年7月15日(金)メンデル論・再校
 『生物学史研究』94号掲載の総説「メンデルは遺伝学の祖か」の再校がメールで届いた。初校を3日にもどしてから12日も経っている。なにか事情があったのだろう。今回は修正無し、校了。
 多分、偶然なのだろうが、我がジャーナルを読んでいた科学史関係の院生から、この総説を早く読みたいとのメールがあった。まさにグッド・タイミング。届いたばかりの再校pdfをメールで送っておいた。このジャーナルも無駄ではない。

2016年7月14日(木)ケータイ
ソフトバンク千代田駅前店でケータイの契約改定をし、映像に関する機能を削除してもらった。これで料金がかなり安くなる。長年、無駄な料金を払っていたものだ。

2016年7月13日(水)無為
 昨日より疲労感が強く、何もできない。こういう日はあせらず、のんびりするさ。

2016年7月12日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。帰宅後、いつものように疲れが出たが、夜になってから雑件を片付けて、3日分のジャーナルを書くことができた。

2016年7月11日(月)その2 遺伝の観念
ロペス=ベルトラン「遺伝の創出」(Forging Heredity)を読了。親から子に受け継がれるとみなされた病気は、古来、財産相続との類比で「相続病」(羅haereditarii morbi, 仏maladies héréditares, 英hereditary diseases)と呼ばれていた。フランスの医学では1830年代に名詞形(hérédité)が用いられ、親の形質を子に伝える機構、すなわち「遺伝」を意味するようになった。イギリスで同様に名詞形(heredity)が用いられるのは1860年以降であった。本論文ではこうした経過を主として辞典類の解説の変化を追うことで明らかにしている。パリ王立医師会が大革命期に募集した相続病に関する懸賞論文についても触れているが、これについては『遺伝の観念の誕生』第5章が詳しい(5月19日参照)。相続病の議論の中から生物学的遺伝の観念が生まれる過程については、2004年の論文「遺伝の揺籃期」が詳しい。この著者の論文としては、この2004年の論文を引用するだけでよいかもしれない。

2016年7月11日(月)市長交代
 参院選は報道各社が予測していた通りの結果だったが、市長選の結果には驚いた。三選を目指した現職が敗れ、新人の島田智明・神戸大学准教授(46)が当選した。2万8千票と2万1千票であった。この4年間、市政の不祥事が続いたので当然といえば当然の結果であろう。新市長の専門は都市経営学だという。若い市長の下で河内長野市がどう変わるのか、あるいは変わらないのか。面白いことになってきた。

2016年7月10日(日)遺伝の観念
 過ごしやすかったのは昨日だけで、蒸し暑い日がもどってきた。雑誌論文、カルロス・ロペス=ベルトラン「遺伝の創出:比喩から原因へ、具象化の物語」(1994)に着手したが、今日はイントロ部分のみ。生物学的遺伝の観念と18世紀フランス医学との関連について、著者はいくつか論文を発表しているが、これは学位論文(1992)を基礎にした最初の公表論文である。
 7時すぎに参院選・市長選の投票に出掛けた。外は湿気が高く、風がない。団地の自治会館まで往復しただけなのに、疲れ切ってしまった。

2016年7月9日(土)ジャーナル執筆
 昨夜から今朝に掛けて猛烈な雨が降り、午後、雨が上がった後も気温が低い。今日はほとんど冷房を入れずに過ごすことができた。体調も良好。5日分のジャーナルをまとめ書きしておこう。

2016年7月8日(金)近大病院眼科
 雨模様の中、バスを乗り継いで予約時間の10時ちょうどに病院へ。文字通りの2時間待ち5分診療で、症状固定のためいつも通りの点眼薬処方であった。悪化はしていないようなので、よしとしよう。帰途、河内長野駅前で買い物をしただけなのに、疲れ具合が半端じゃない。連日の暑さで体力消耗しているのだろう。

2016年7月7日(木)遺伝の観念
 相変わらずぼんやりしている時間が多いが、夕方になってようやくジョン・ウォラー「遺伝病の概念、1770-1870」に取り組み、後半を読了した。当時の医学者たちは瘰癧、痛風、精神異常などの慢性病について、古来の医学概念である「体質」(constitution, temperament, diathesis)を適用して不治の病とみなした。「体質」は親から子に受け継がれるので、こうした慢性病は二義的に相続病(遺伝病)とみなされた、という。この時期に「体質」概念がもてはやされた理由として、パリ学派がこれを重視したこと、前成説が衰微したこと、それと人類学が興隆して人種特有の形質が注目されたことの3点を挙げている。著者の説を鵜呑みにはできないが、この時期、こうした慢性病が広く相続病とみなされていたことは事実であろう。こうした誤った「相続病」(遺伝病)の観念の中から、やがて生物学的な遺伝の観念が誕生してきた経緯を理解しなければならない。

2016年7月6日(水)『半七捕物帳』
 論文はもとより美術書などを読む気にもならないので、のんびり『半七捕物帳』を読み直すことにした。明治と江戸の空気に浸りながらサスペンスも楽しめる。「捕物帖」は同書に始まり、同書で終わるのだろう。

2016年7月5日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。暑さに加えて月初めの体力測定の影響もあったのか、帰宅後の疲労感がいつもよりひどい。さっさと寝るほかない。

2016年7月4日(月)無為
 「ここらあたりは山家ゆえ」、通常は夏でも陽が落ちれば急速に涼しくなるのだが、ここ数日は夜になっても熱気が残っている。この暑さは尋常でない。論文校正を終えて気合いが入ってきたのに、家事雑用で一日が終わってしまった。印刷所からは、修正終了しだい、念校を送るとのメールがあった。著者校正は初校のみの場合が多いので、これは珍しい。頻繁にメールを確認しなければならない。何日もパソコンに触れないでいるなんてことはできなくなった。

2016年7月3日(日)メンデル論・初校
 朝からクーラーを入れたままにしていても、体がだるい。日が落ちてからも外気は熱を帯びたままである。そんな中で、とにかく初校の校正を終了した。字句修正が2カ所。これは当方の責任である。ほかに、ウムラウト記号が落ちている所と、下付数字が通常の書体になっている所があった。これは印刷所の責任である。ワード・ファイルであっても、印刷所のソフトによっては特殊文字が印刷されないことがあるのだろう。
 校正結果を印刷所にメールで通知し、著者としての作業は完了した。後は編集者に任せて雑誌の刊行を待つほかない。8月27日の研究会では別刷を配布できるだろう。
 2009年の定年退職後、最初のペーパーである。7年間で1本とは情けないが、研究の焦点を遺伝学史に定めるまでに時間が掛かったので、こうなってしまった。このペーパーを突破口に、遺伝学史の通説の誤りを広く知ってもらうよう、努力していきたい。

2016年7月2日(土)メンデル論・初校
 この暑さでは何もする気にならないが、『生物学史研究』に投稿した総説「メンデルは遺伝学の祖か」の初校に着手した。27日(月)に印刷所からメール添付でPDFファイルが送られてきていたのだが、何日もパソコンを開けなかったこともあって、プリントアウトするのも今日になってしまった。こちらが送ったワード・ファイルのまま印刷されているので、以前のような「誤植」はありえない。全ては著者の責任である。執筆時のミスがありうるので、精神集中して点検しなければならない。今日は半分、見たところで集中力が切れたので、残りは明日にしよう。

2016年7月1日(金)ジャーナル執筆
 散髪のため外出したが、この暑さでは大阪市内まで出掛ける気にならない。河内長野駅前で買い物などをして帰宅。それだけなのに、疲れ果ててしまった。夜になって体調も良くなったので、1週間分のジャーナルをまとめ書きすることにした。とはいえ、家事・雑用をこなしているだけの日は書くこともない。

2016年6月30日(木)遺伝の観念
ジョン・ウォラー「遺伝病の概念、1770-1870」の前半、第1章と第2章とを読了。24日に着手したものの、その後の4日間は家事・雑用に疲れて読み進められなかった。本日は断固として読むと決めていたが、半分読むのが精一杯であった。瘰癧、痛風、精神異常などが根拠薄弱のまま、広く不治の遺伝病とみなされていたという。当時の英米の医学文献を調べ上げた密度の濃い論文である。なぜ遺伝病説が支持されたのか、後半の議論が楽しみである。

2016年6月28日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。帰宅直後は元気なのだが、夕方には疲れが出て何もできない。

2016年6月26日(日)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。予報では晴れか曇りのはずだったが、3時頃から雨となった。帰途、松尾橋下の河原にバーベキューのグループが幾つも見えた。雨の中でも熱心なものだ。橋の欄干や川沿いの人家の屋根にはカラスがたむろし、河原を見下ろしている。バーベキューの食料をかすめ取るつもりなのだろう。カラスの多さから見ると、多分、食料獲得の成功率は高いのだろう。

2016年6月24日(金)遺伝の観念
 複写依頼したジョン・ウォラー「遺伝病の概念、1770-1870」(2002)に着手。『ジャーナル・オブ・ザ・ヒストリー・オブ・メディスン』に掲載されたものである。瘰癧(頸部リンパ腺結核 scrofula)、肺癆(進行した肺結核 consumption)、痛風、精神異常などが遺伝病(相続病)とみなされたのはなぜかを論じたもので、39ページの本格的な論文である。これはじっくり取り組まねばならない。

2016年6月23日(木)無為
 体調も悪くないのに、なぜか論文に取り組む気にならず、かといって趣味の本を読む気にもならない。なんとなく一日が終わったが、ま、こういう日もあるか。

2016年6月22日(水)遺伝の観念
 複写依頼したジョン・ウォラ-「19世紀の遺伝の観念」(2003)を読了。季刊誌『エンデヴァ』に掲載されたもので、「レヴュー」と記されているが文献は14点しか記載されていない。遺伝(heredity)の概念をめぐる19世紀イギリスの混乱した状態を解説したものだが、本文は実質的に4ページしかないのに、さまざまな事例を詰め込んでいる。学術論文で引用するようなものではなかった。メンデルについてはオルビー(1985)を引用し、対の遺伝子に相当する観念は無かったし、遺伝法則を提唱してもいないと述べている。現在の遺伝学史研究では、メンデルを遺伝学の祖とするメンデル神話の否定が当たり前になっているといえよう。

2016年6月21日(火)デイ・サービス
 早朝はすさまじい降雨で、デイ・サービスの送迎も無理ではないかと思ったほどだったが、7時ころには収まり、普段通りの送迎となった。「ヒーリング」でいつもと同じ運動量をこなしたが、帰宅後の疲労感が強烈で何もできない。この程度の運動にも耐えられないとは、困ったものだ。

2016年6月20日(月)ジャン・ガイヨン「遺伝の概念の歴史」2000
 標記の論文を読了。生物学的な遺伝の研究は1850年代に始まったとし、遺伝学の歴史を生物測定学(1870-1900)、メンデル遺伝学、それと分子遺伝学の3期に時代区分する。遺伝は最初、量的な力とみなされていたが、後に物質的な構造とみなされるようになったといい、各時期の認識論的立場を、それぞれ、現象主義、道具主義、実在論、としている。著者自身がいうように、遺伝学の歴史を大きくとらえる上では有益な枠組みであろう。

2016年6月19日(日)ジャン・ガイヨン「遺伝の概念の歴史」2000
 
最近では珍しく涼しい一日であったのに、体調不良。おそらく血圧が低すぎるためなのだろう、起きて何かするのがつらい。それでも、なんとか、標記の論文の半分、10ページを読んだ。ケンブリッジ「哲学と生物学」シリーズの一つ、『発生と進化における遺伝子概念』(2000)の収録論文である。しばしば引用されているので念のため目を通そうと、論集を借りだしてきた。偶然にも著者はドゥーシュの著書に序文を寄せていた。
 夜になって脳がまともに動くようになったので、2日分のジャーナルを執筆している。

2016年6月18日(土)ジャン・ドゥーシュ(佐藤直樹訳)『進化する遺伝子概念』みすず書房 2015
 
昨日、図書館で目にして借り出した標記の訳書を読んだ。原著(フランス語)は2012年刊。著者は分子遺伝学者だが、全6章のうち前半の3章が遺伝学史に当てられている。第1章がメンデル以前、第2章がメンデルと再発見、第3章がモーガンである。この構成からも分かるようにメンデルを遺伝学の祖とする従来の通説をなぞっているだけだが、それなりに文献も読み、一通りのことは書かれている。しかし近年の遺伝学史研究の成果は無視されている。巻末の文献欄にはオルビー(1979)なども記載されているが、その内容は本文に反映していない。文献欄は著者とは異なる人物が作成した可能性もある。
 歴史記述も正確ではない。たとえば、「モーペルチュイののち、生物学的な遺伝の問題は科学の対象となり、自然学者たちが実験によって取り組むようになった」(p.35)と述べた後でケールロイター(1761)に言及し、その後でリンネの雑種論を紹介している。これはモーペルチュイの過大評価であり、リンネに始まる植物雑種研究の流れをゆがめている。不正確というよりも、明白な誤りといってよいだろう。
 それにもかかわらず、生物学史家のジャン・ガイヨンが本書を讃える序文を掲載している。この序文の前半では科学史の重要性を一般論として述べ、後半ではオペロン説(1961)による遺伝子概念の変革に注目した点で本書を高く評価している。歴史記述の不十分さには触れず、うまく逃げたなという印象である。
 本書の特徴は、分子遺伝学における遺伝子概念を著者の専門知識に基づいて分析した後半にある。前半の遺伝学史はなくもがなである。とくに第1章がアリストテレスについての難解な解説から始まるので、通常の読者は読む気を失ってしまうのではなかろうか。

2016年6月17日(金)桃大図書館
 
朝、田中整形外科に行き、そのまま桃大へ。昨日、図書館から、月曜深夜に発注した文献複写が届いているとのメールがあった。火曜に所蔵図書館にメールで発注したはずなので、中一日で届いたことになる。コピーを受け取り、ついでに図書4冊を借り出してきた。新刊の洋雑誌を見る余裕はなかったが、関連の図書を見ているだけで刺激になる。精神を活性化させるために、月に1回くらい図書館に行くのが良いかもしれない。ハードカバー4冊の持ち帰りはつらかったが、明日からしばらくは調べたいことに集中できるだろう。

2016年6月16日(木)遺伝の観念
『遺伝の観念の誕生』第9章を読了。イチゴの品種改良で知られる18世紀フランスの育種家デュシェーヌ(A-N Duchesne|)の種概念についての論文である。当時は不変な種に注目する植物学者と、変種を重視する育種家との間には大きな溝があったが、デュシェーヌはベルナール・ド・ジュシューに学び、リンネとも文通していた。両者の立場に精通しており、「種」(species)、「変種」(variety)、「品種」(race)の用法が両者で混乱していることを指摘していた。また、変異あるいは交雑によって種が変化することを認め、イチゴの系統樹も作成していた。しかしこれは例外的で、育種家の成果と植物学者の理論が統一されるのは19世紀中葉になってからであったという。遺伝の観念という本書のテーマからは離れた内容になっている。

2016年6月15日(水)遺伝の観念
 『遺伝の観念の誕生』第9章ラトクリフ「デュシェーヌのイチゴ:育種家の作業と学者の知識」に着手した。本文だけなら14ページにすぎないのに、いまはその半分が一日の限界のようだ。

2016年6月14日(火)デイ・サービス
 
午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。いつもと同じ運動量だが、やはり夕方には疲れが出て何もする気が起きない。これでは駄目なのだが、体力が追いつかない。

2016年6月13日(月)その2 文献複写依頼
 
夜になって元気が出てきたので、雑誌論文複写依頼のメールを桃大図書館に送った。現役時代は費用を気にしなかったが、今はそうはいかない。6月3日にリストアップしたものから3点だけ選んで発注した。研究発表を申し込んだことで、気が乗ってきたようだ。

2016年6月13日(月)研究報告要旨
 
かなり気力・体力が回復してきたので、一仕事片付けた。8月27日(土)に奈良教育大学で開催される「生物学史分科会2016夏の学校」一般報告の申し込み(メール)である。報告要旨を手直しし、必要事項を記載して送信したが、それだけで疲れてしまった。とにかくこれで具体的な目標ができたので、研究に気合いを入れていきたい。以下に論題と要旨を転載しておく。
「遺伝の観念の誕生、およびメンデル再考」
 古来、親子の類似は生物学の課題ではなかったが、18世紀に諸分野(法律、医学、自然史、品種改良、哲学、人類学)で注目されるようになり、19世紀中葉に生物学的な遺伝の観念が成立した。メンデルのエンドウ論文(1866)は遺伝の研究論文ではなく、リンネ以来の伝統的な植物雑種の研究論文であったが、1900年にコレンスらが遺伝論として誤読し、これがきっかけとなって遺伝学が誕生した。こうした近年の科学史研究の成果を概観し、遺伝学の成立に関する従来の通説の誤りを指摘したい。

2016年6月11日(土)ジャーナル
 
体力は回復したものの、勉強する意欲がわかない。夜になってジャーナルを書くのが精一杯であった。

2016年6月10日(金)歯科検診
 
北野田の日野歯科医院で半年ごとの検診。問題なし。日野医師は自分と同年配なのに、立ったままの仕事を続けていることに驚嘆する。いつもなら外出ついでに、どこかに出掛けるのだが、蒸し暑いし、手元不如意でもあるので、さっさと帰ることにした。

2016年6月9日(木)遺伝の観念
 
気力やや回復。未見の論文を読みたかったので、『遺伝の観念の誕生』第10章ウッド「ヒツジ飼育者たちの遺伝観」に着手した。著者は家畜の改良と遺伝学の関係についていくつか論文を書いているが、ここではベイクウェルのヒツジ改良を中心にしている。本日も半分しか読めなかったが、ベイクウェルがヒツジ全体ではなく、個々の形質に注目したことを高く評価している。これが遺伝学の誕生にどう結びついたのか、著者の主張を鵜呑みにはできない。ベイクウェルはイギリスでは有名だが、日本ではほとんど知られていないのではなかろうか。

2016年6月8日(水)ジャーナル
 
相変わらず気力、体力がスッキリしない。夜になってから、1週間分のジャーナルをまとめ書きし、奈良8月研究会の報告要旨(200字)を書くことができた。

2016年6月7日(火)デイ・サービス
 
午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。外出が続いた割には、いつもと同じ運動量をこなすことができた。とはいえ夕方には疲れが出て、今日も勉強はお休み。

2016年6月6日(月)ケータイ
 
朝はまず三日市町駅前の市役所窓口で住民票を取ってから、ソフトバンク千代田駅前店へ。店員の対応は昨日の相談員よりはるかに的確である。バッテリー無料交換の手続きを済ませ、メール機能を削除した。一月後に映像に関連した機能も削除すれば、かなり安くなるようだ。新機種にする場合も、昨日、紹介されたものより安い機種があることも知った。昨日の相談員はどんな訓練を受けているのだろうか。いい加減な応答しかできない相談員は、会社にとってもマイナスだろうに。

2016年6月5日(日)ケータイ
 
カミさんの臨時参りのお供で嵯峨・二尊院へ。帰りにヤマダ電機・ナンバ店のソフトバンク相談窓口に寄った。カミさんのケータイが充電してもすぐに切れるようになった。また利用しているのは電話機能だけなのに月々の支払いが高額ではないかという疑問もあった。そのことを相談したかったのだが、相談員が頼りにならない。帰宅後、ソフトバンクのサイトで確認すると、バッテリー無料交換の手続きなど、相談員の説明は間違っていた。たまたま質の悪い相談員に当たったのかも知れないが、会社自体が信用できなくなる。

2016年6月3日(金)遺伝の観念
 『遺伝の観念の誕生』(2007)収録論文を読むことを当面の目的にしているが、8月奈良の研究会での報告を考えると、関連文献にも目を通しておく必要がある。今日は気力も回復したので、遺伝の観念の成立に関する雑誌論文などを整理してみた。けっこうな数になるので、コピーを取り寄せる費用も馬鹿にならない。どうするか、頭が痛い。

2016年6月2日(木)虚脱感
 
なぜか疲労感が抜けず、気力もなし。無理して論文を読んでも字面を追うだけになってしまうので、終日、ぼんやり過ごした。こんな日がしだいに増えているように思える。老化現象の一つなのだろうが、困ったものだ。

2016年6月1日(水)『チャールズ・ダーウィンの生涯』電子版
 
朝日新聞出版から標記の電子書籍の月別売上表が届いた。昨年9月以来、わずかながらも毎月、利用がある。冊子体が絶版になったのは残念だが、電子版の形でも持続的に読まれ続けて欲しいものだ。

2016年5月31日(火)デイ・サービス
 
午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。夕方にはカミさんの買い物のお供で河内長野駅前へ。今日も勉強はお休み。

2016年5月29日(日)遺伝の観念
 『遺伝の観念の誕生』第6章「エラズマス・ダーウィンと貴族病(痛風)」を読み終えた。当時、エラズマス・ダーウィンのインテリ向けの著書やW.Buchan『家庭の医学』(1769)で相続病(遺伝病)の存在が説かれる一方、単純な医学理論で人気となったジョン・ブラウンがこれを強く否定していた。このようにイギリスの医学でも相続病が大きな問題になっていたが、19世紀になると医学の関心は公衆衛生に移っていったという。
 Buchan『家庭の医学』のオランダ語訳からの訳書『蘭方枢機』が文化年間に刊行されており、洋学史家は原著者名を「ブカン」としている。しかし辞書によれば英語では「バカン」、スコットランドでは「バハン」である。スコットランドの医師なので「バハン」とすべきであろう。

2016年5月27日(金)ジュンク堂梅田店
 
散髪に出掛けたついでに茶屋町のジュンク堂梅田店へ行ってみた。サミット特別警戒のため、あちこちにポリさんが立っているし、駅のゴミ箱は封鎖されていた。ジュンク堂では6階の科学史と医学史の棚を見て回ったが、今、読んでみたいと思うものはなかった。我が著書は1点も置かれていないし、イン・プリントの関連書が網羅されている訳ではなさそうだ。中村禎里『生物学の歴史』(ちくま学芸文庫 2013)が数冊、平積みになっていた。内容はほぼ1973年版(河出書房)のままだが、現在でも通史の定番となっている。日本の生物学史研究の力不足といえよう。

2016年5月26日(木)生物学史・夏の学校
 1週間振りに『遺伝の観念の誕生』にもどり、第6章P.K.ウィルソン「エラズマス・ダーウィンと貴族病(痛風)」に着手した。現役時代なら一日で読み終える分量(15ページ)だが、本日は半分まで。エラズマス自身が悩んだ吃音や痛風を背景にした独特の相続病(遺伝病)論が紹介されている。後半を読むのが楽しみである。
 昼前の郵便配達で、「生物学史分科会夏の学校2016」の案内が届いた。今年は珍しく奈良で開催される。8月27日の一般研究報告に参加しようと思う。こういう機会に遺伝学史の現状を広めていきたい。今度の土日に新宿で科学史学会年総会が開催されるが、費用の点で参加するのは無理。生物学史分科会が奈良で開催されるのはありがたい。

2016年5月25日(水)セキュリティ設定
 
一昨日から利用し始めたNTT回線転用のノーバスのセキュリティとバックアップをリモート操作で設定した。こちらのミスとノーバスのミスが重なって、結局、一日がかりになってしまった。とにかくこれで、明日から科学史にもどることができる。

2016年5月24日(火)デイ・サービス
 
午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。数回前から機械を使った閉脚運動が痛くてできない。脚の筋肉の一部が衰えているためとのこと。情けないが老化がじりじりと進行している。帰宅後、今日も勉強はお休み。

2016年5月23日(月)プロバイダー変更

 光回線とプロバイダーを一括して提供するので、NTTと「ぷらら」よりも合計料金が安くなるという宣伝文句につられ、本日、切り替えることになった。プロバイダー設定に失敗し、サポートに電話して切り替え終了。劇的に安くなるわけなではないが、NTT回線は変わらないので、少しでも安い方が良い。
 この問題が一段落した後で、パソコン画面に、15分後にWindows10に強制更新するとの通知が表示された。しかしメーカーNECのホームページには、この型番のパソコンはWindows10に更新しないことを強く勧めるとある。そこで更新通知の画面上の「更新しない」をクリックした。強制更新は避けられたようだ。
 セキュリティをどうするかの問題が残されたが、パソコン設定に振り回されるのが嫌になった。一旦、科学史の勉強にもどりたい。

2016年5月20日(金)無線LAN
 日常的に使っているパソコンは無線LANに接続している。ネット接続なしで使っている補助パソコン東芝DynaBook(vista)に無線LAN接続を試みたが、うまくいかない。なにが問題なのか分からず、時間ばかりが空費される。専門家から見ればつまらないミスなのだろうが、うんざりした。当面、ランケーブルでつないでおこう。

2016年5月19日(木)遺伝の観念
 『遺伝の観念の誕生』第5章ロペス=ベルトラン「遺伝の医学的起源」を読み終えた。著者は1992年以来の一連の論文で、生物学的な遺伝の観念が19世紀初頭のフランス医学から誕生したと主張しているが、この論文では1788年と1790年にパリ王立医師会が募集した遺伝病(相続病)に関する懸賞論文の入選作を分析している。当時の医学にとって遺伝病(相続病)が大きな問題であったことが分かる。医学界の趨勢では遺伝病(相続病)の存在は疑いないとみなされていたが、高名な外科医ルイのようにこれを幻想として認めない立場もあった。遺伝病(相続病)の仕組みについては伝統的な液体病理学説による解釈と、新たな固体病理学説による解釈が対立していたが、こうした議論の中から、病的な異常形質だけでなく、正常な形質も同じ仕組みで親から子に相続される(遺伝する)という考えも生まれてきたという。
 大革命の混乱の最中にこうした地味な学術活動が続いていたことは、いささか驚きであった。

2016年5月17日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。いつもと同様の運動をこなした。帰宅後、本日はそれほどの疲労感がなかったので、昨日から読み始めた『遺伝の観念の誕生』第5章を少しだけ読み進めることができた。

2016年5月15日(日)遺伝の観念
 『遺伝の観念の誕生』第7章カルトロン「19世紀初頭フランスの変質・退化論と精神病学」をようやく読み終えて、要点をパソコンに入力することができた。この論文の要旨を一言でいえば、ピネル(1801, 1809)やエスキロール(1819,1838)らが統計データに基づいて精神病の遺伝性を主張し、その影響により1830年代以降、遺伝によって精神の劣化が進み、やがて家族、国家、さらには人類の崩壊に至るとする社会退化論(degeneration theory)が広まった、という。読み通すのにてこずったのは、話題が前後して筋がつかみにくかったからである。
 著者の関心は遺伝の観念よりもdegeneration の語義変化の方に向いている。著者によれば、この語は最初、18世紀のナチュラリストが「本来の生息地からの移動による動植物への悪影響」の意味で用いていたが、人間にも転用され、環境の悪化による心身の劣化を意味するようになり、更に転じて、劣悪形質の遺伝、およびそれによる社会全体の劣化を意味するようになったという。したがってこの語の翻訳は難題である。とりあえず章題では「変質・退化論」と訳してみたが、どうだろうか。
 また、生物学的な遺伝の観念が確立していない時期の用語maladies hereditaires (hereditary diseases)をどう訳すかも問題だろう。「遺伝病」とするよりも、「相続病」とする方が適切かも知れない。

2016年5月11日(水)精神医学史
 川喜多愛郎『近代医学の史的基盤』第22章・第2節「近代精神医学の出発-ピネルとエスキロール」を読了。近代精神病学の祖でパリ学派の基礎を築いたピネルと後継者エスキロールについて、歴史的位置づけを確認することができた。これで『遺伝の観念の誕生』第7章の再読にもどることができる。

2016年5月10日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。運動量はいつもと同じ程度にしたが、帰宅後、やはり疲労感で勉強はお休み。

2016年5月9日(月)書類整理
 月々の領収書類は面倒なので引き出しに放り込むだけ。溜まってくると数年ごとに整理することになる。本日は必要に迫られて、終日、この作業に費やした。どうせ昨日の疲労のため論文を読む集中力は出ないので、こうした機械的作業がちょうど良い。

2016年5月8日(日)嵯峨・二尊院
 カミさんのお供で嵯峨野の二尊院へ。母の日なので、阪急桂駅改札口前の花屋さんにはカーネーションを買い求める客が詰めかけていた。いつものようにタクシーで渡月橋を渡るつもりだったのに、ゴールデンウィークの交通規制のため松尾神社までもどって松尾橋を渡る羽目になった。予想外の出費になってしまった。松尾橋の下の河原は、バーベキューを楽しむ集団で一杯になっていた。緑が濃くなった二尊院には訪れる観光客も少ない。帰途、渡月橋を渡り法輪寺の前を通ると、夕方なのに十三参りの振り袖姿を見ることができた。本日が実質的に十三参りの最後の日であろう。渡月橋を渡り終わるまでに振り向くと授かった知恵が失われるとされているのに、わざと後ろから声を掛ける人もいるという。行事をもり立てるいたずらといえるだろう。

2016年5月7日(土)医学史
 一昨日からの3日間で、川喜多愛郎『近代医学の史的基盤』(1977)のパリ学派を扱った3章(19,20,21)を読了した。『遺伝の観念の誕生』第7章などでは19世紀初頭のフランス医学を遺伝の観念の重要な源流とみなしているので、当時のパリ学派について読んでおくことにした。川喜多はアッカークネヒト『パリ病院の医学』(1967)、ユアール『大革命期の科学と医学』(1970)、およびフーコー『臨床医学の誕生』(1963)を「やや自由に利用」(p.484)したという。
 学生時代に医学史を読み出して持った疑問は、ギリシア以来のさまざまな医学理論は現実の医療に役立ったのかということだった。川喜多も「医学上の百家争鳴が、肝心の治療の現場に至って本質的にどのような区別をもっていただろうかという疑問を、人は医学史を学んで拭い去ることができなかったはずである」(p.512)といい、ビシャが薬の作用は学説に無関係であると指摘していることに注目して、「卓抜で実証的な医学者の醒めた言葉が、われわれの印象が幸か不幸か歴史の読み損じでなかったことを裏書きする」と述べている。自分の素朴な疑問は間違っていなかった。

2016年5月3日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。本日は月初めの体力測定もあったが、成績は芳しくない。その後の運動量は普段よりかなり抑えめにしたが、それでも疲労感で、勉強はお休み。

2016年5月2日(月)遺伝の観念
 3日前はコートを着て外出したのに、本日は冷房を入れたくなるほど暑い。この変化に体がうまく対応できていない。昨日から『遺伝の観念の誕生』の第7章に着手したものの、思うようには進まない。

2016年4月30日(土)ジャーナル執筆
 昨日は近鉄奈良駅からの移動にバスを利用したのためか、疲労感は少ない。家事をこなし、昨日分のジャーナルを書くことができた。

2016年4月29日(金)なら仏像館
 リニューアルオープン初日の奈良国立博物館・本館(なら仏像館)を訪ねてきた。急いでオープン初日に出掛ける必要もないが、どのように変化したか、早く知りたかった。さまざまな分野のマニアが初日に詰めかける気持ちが少しは分かる。結論をいえば、全体に見やすくなり、展示品もより充実したと思える。
 まず、以前は最初に主室(旧第1室)に入り、そこから周囲の小部屋を出たり入ったりしながら見て回ったが、今度は左回りに小部屋群を通り、途中で主室(現第6室)に入るようになった。この方が迷わなくて良い。ただ、以前は入館すると最初に主室の丈六仏が迎えてくれたが、今は仕切り越しに仏さんの背中・お尻を見ることになる。これはいただけない。入館者歓迎のパネルを置くなどして迎えて欲しいものだ。
 小部屋にはそれぞれテーマが設定されているはずである。第2室「檀像」のようにそれが明示されている場合もあるが、テーマが分からない小部屋もある。最新の『博物館だより』第97号には「出陳一覧」が掲載されているが、小部屋のテーマが記載されていないのが残念である。なお、『博物館だより』は受付にいえばもらえる。
 主室に入ると正面で迎えてくれるのが、国宝の「薬師如来立像」(元興寺蔵)。その背後に来迎寺の「阿弥陀如来立像」(裸形)が安置されている。以前は小部屋に置かれていて、会うたびに「早うおいで」といわれていたが、今日はその声が聞こえない。阿弥陀さんの雰囲気が以前より明るくなっている。いわばナンバー2の場所に移り、まんざらでもなさそうであった。金剛寺の「降三世明王坐像」も元の小部屋(現第8室)に置かれていて、瑟々座の上で見る者を圧倒する力を見せていた。
 仏像館を再訪するのが楽しみになった。特別展開催中でも仏像館だけならシニア無料なのもありがたい。仏像館の後は興福寺にもどり、東金堂、国宝館、それと特別開扉中の北円堂に寄ってきた。楽しく充実した一日であった。

2016年4月28日(木)遺伝の観念
 体調不良を理由にサボってばかりもいられない。心身を鼓舞して2月以来の既読文献を整理してみた。時々こうした作業をしないと、読んだものを忘れてしまう。

2016年4月27日(水)体調不良
 朝から気力低下。立て続けにコーヒーを飲んで、なんとか家事をこなしたが、論文が読める状態ではない。とにかく寝る前にジャーナルを書いて、明日に期待するしかない。

2016年4月26日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。起床したときから血圧が低いと感じていたが、案の定、ヒーリングに到着後の血圧測定では上が91であった。昨日の体調不良も低血圧のためだったのだろう。運動後の血圧測定ではある程度、上昇していたが、今度は疲労感で何もできない。

2016年4月25日(月)体調不良
 金曜日の疲れは抜けたはずなのに、なぜか虚脱状態で何もできない。こういう日は無理に論文を読んでも文字をなぞるだけになるので、あきらめよう。ぼんやりとテレビなどで過ごした一日であった。

2016年4月24日(日)遺伝の観念
 パルネスのジェネレーション論を読了したが、釈然としないところがある。一つには、「生成」を意味するジェネレーションがなぜ「世代」の意味で広く用いられるようになったのか、明確ではない。しかし今は、あまりこだわらず、先に進むことにしたい。

2016年4月23日(土)体調不良
 昨日の外出の疲れが出て、何もする気にならない。とにかく動くのが嫌だという一日であった。

2016年4月22日(金)大和文華館
 朝はまずメンデル論の印刷原稿を三日市町駅前の郵便局から発送。ついで大阪狭山市駅前で散髪。難波で昼食を取った後、さて、どこに行くか。大阪市内には食指の動く展覧会がないので、久しぶりに近鉄・学園前の大和文華館を訪ねることにした。関西に移住した当初は「友の会」にも入会し、頻繁に訪れていたが、ここ30年くらいは来ていないと思う。常設展「琳派と風俗画」が開催されているが、なんといっても圧巻は「松浦屏風」。実物大の女性群像の迫力は画集では伝わらない。これを見るだけでも行く価値はある。この後、近くの中野美術館に寄ってみた。大和文華館で割引券をもらうと、シニアなら300円で入れるのはありがたい。名の知れた日本の洋画家と日本画家の作品が並んでいるが、「松浦屏風」を見た直後なので、どれもが、ちまちましたものに見えてしまった。それでも村上華岳などがあるので、また訪ねてみたい美術館である。

2016年4月21日(木)遺伝の観念
 メンデル論の処理を終えたので2週間前にもどり、論文集『遺伝の観念の誕生』第11章「啓蒙期ライフサイエンス」の要点入力に取り組むべきなのだが、気分転換のためもあって、未読の論文、第14章・パルネス「ジェネレーションズの肩の上に」を読むことにした。一息入れたい気分もあり、あまり読み進めなかったのはやむを得まい。趣旨は、19世紀に「世代」の観念が確立してgenerationがこの意味で用いられるようになり、それが遺伝学誕生の要因になったということらしい。先を読むのが楽しみである。

2016年4月20日(水)原稿印刷
 メンデル論文のワード文書を投稿用に印刷し、編集者コメントへの回答も作成した。明日以降、原稿を郵送し、データを送信すれば、この件はひとまず落着。

2016年4月19日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。その際のマッサージで首と肩の痛みがだいぶ緩和された。帰宅後、修正済みのメンデル論文を印刷して点検すると、パソコン上では見過ごしたミスをいくつか発見した。これをパソコン上で修正。ワード文書が送稿できる形になったはずだが、また日を改めて確認することにしよう。

2016年4月18日(月)メンデル論文修正
 論文修正というよりも、ワード文書の修復である。なかば機械的な作業だが、集中力を要する。首と肩の痛みは続いているが、昨日よりはまし。パソコンでの修正作業は一応、終了。プリントしての確認は、日を改めることにしよう。

2016年4月17日(日)ジャーナル執筆
 昨日来の疲れと首、肩、腰の痛みで気力喪失。論文仕上げの作業に取り組むのは難しい。やや落ち着いてから6日分のジャーナルをまとめ書き。なぜジャーナル執筆にこだわるのか、自問自答。外部に対しては我が身の生存証明だが、自分自身を鼓舞する意味合いもあると思う。

2016年4月16日(土)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。快晴無風の行楽日和である。法輪寺の近くでは、振り袖姿に着飾った十三参りの女子二人を見かけた。渡月橋からの道ではレンタル着物姿の女子をちらほら見かけた。親心が見て取れる十三参りの華麗な姿を見た後では、レンタル着物が地味に見える。二尊院の新緑のカエデが美しいが、本堂修復工事が続いているため、訪れる人も少なかった。

2016年4月15日(金)メンデル論文修正
 メンデル論文の本文と注にさらに若干の修正を施した後、一太郎をワードに変換してみた。通常の文字はそのままだが、注番号の上付き文字などが変換できていない。予期していたことではあるが、これからやっかいな作業になる。とりあえず本日はここまで。日を変え、気を取り直して取り組むことにしよう。

2016年4月14日(木)パズル「数独」
 2日続けての外出に加え、相変わらず首、肩、腰に痛みがある。なにもする気にならないので、一日中、昨日、三日市町駅前の書店で購入した「数独」中級で気を紛らわした。解くのに要する時間はレベル5で10分、レベル6で15分といったところだが、飽きることがない。始めると止められないという点では、麻薬と同じかもしれない。
 夜の9時半頃に熊本地震が起こり、10時過ぎの地上波テレビは全て地震報道になった。今の自分の体調で避難所暮らしは困難だろう。生きている間、南海大地震の起きないことを願う。

2016年4月13日(水)市役所
 ラブリーホールで会員カードを切り替え、ホール内のレストランで昼食を取った後、河内長野市役所へ。帰りはコミュのティバスで一気に三日市町駅前へ。1時間に1本ではあるが、市役所や国立病院に行くには便利なバスである。

2016年4月12日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。その際のマッサージで首と肩の痛みはかなり改善された。午後は河内長野駅前に買い物に出掛けた。外出すると気が紛れて痛みもあまり意識しなくてすむが、体力的には疲れ果ててしまった。

2016年4月11日(月)メンデル論文修正
 編集者コメントに沿って本文を修正。文献注についてはコメントがなかったが、自主的にかなり手直しをした。一太郎で作成した文書をワードに変換しなければならないが、数式などがうまく変換できるか。日を改めて試みることにしよう。
 腰の痛みは収まってきたものの、ここ数日、首と肩の痛みに苦しんでいる。今朝はとうとうロキソニンを服用したところ、痛みが消えたので論文修正に取り組むこともできた。整形外科に行っても肩こりの一種とみなされるだけだろうし、ロキソニンをのみ続けるわけにもいかない。自然治癒を祈るほかない。

2016年4月8日(金)文楽「妹背山」
 朝、バス停までの桜並木の道は、昨日の雨と風で花の絨毯となっていた。地下鉄「日本橋駅」から文楽劇場に向かうと、反対方向から来る大勢の中国人旅行客に出会った。近くに手頃なホテルがいくつかあるらしい。
 さて、6年ぶりの「妹背山」通し。「猿沢池の段」では、背景の興福寺五重塔が気になってしまった。いままで、そんなことはなかったのだが、2年前から「興福寺友の会」に入会し、五重塔も親しいものになってきたためだろう。浄瑠璃作品について時代考証を云々するのは馬鹿げているが、天智帝の背後に興福寺五重塔が見えると、どうしても、あり得ないという思いが生じてしまう。慣れるほかなかろう。「太宰館の段」は靖太夫。大抜擢ではなかろうか。未熟であっても元気いっぱいで、気持ちいい。客席の受けも良かったと思う。この後の休憩時間にロビーに降りると、幕見客の長い行列ができていた。
 「山の段」は、千歳太夫・文字久太夫に対して呂勢太夫・咲甫太夫。十分、楽しむことができた。とはいえ、かつて東京の三越劇場で見た津太夫・織太夫、対、つばめ太夫・文字太夫の舞台を忘れることができない。「忠臣貞女の操を立て死したるものと高声に、閻魔の庁を名乗って通れ」と叫ぶ津太夫の声がいまでも耳に響く。これからも何度か「山の段」を見るだろうが、あのときの記憶を塗り替えることは無理だろうな。
 2010年4月の時は昼夜通しで見たが、本日は体力も考慮して昼の部だけで帰ることにした。2010年4月16日は満席に近かったが、同じ演目なのに本日は客席の半分も埋まっていない。トップクラスの演者が続けざまに引退し、集客力が減退しているのかもしれない。気になるのは、咲太夫の病気休演。帰宅してからネットで調べても詳しいことは分からないが、3月の地方公演から休んでいるらしい。早々に綱太夫を襲名し、あと10年は活動してもらわねば困る。夏場は無理せず、秋になったら元気な声を聴かせて欲しいものだ。

2016年4月7日(木)メンデル論文への編集部コメント
 1月末に『生物学史研究』編集者に送った原稿に対するコメントが送られてきた。脱稿してから2ヶ月経つと自分の頭の中では終わった事になっているが、もう一度、メンデル論に意識をもどさねばならない。編集コメントでは、まず多数の入力ミスが指摘されていた。これは我ながら遺憾である。内容についてもいくつか補足の必要が指摘されており、それぞれもっともではあるが、いまさら本格的に補足的な執筆をする気にもならない。とにかく1週間程度は原稿の手直しに集中しなければなるまい。
 昼間は雨で、しかも強風が吹き荒れていた。体調も芳しくない。家事手伝いを少々したくらいで一日が終わってしまった。

2016年4月6日(水)遺伝の観念
 腰の痛みは小さくなったものの、今度は首から肩にかけての痛みが強くなり、相変わらずつらい。それでも、テラル「啓蒙期ライフ・サイエンスの思弁と実験」を読了。前成説と後成説の論争の中で実験がどのように解釈されていたかを、要領よく整理している。この際、18世紀生物学史をまとめておこうか。

2016年4月5日(火)デイ・サービス
 まだ朝の起床には苦痛が伴うが、起きた後は、おおむね普段通りに動けるようになった。デイ・サービス「ヒーリング」では腰に気を遣いながらもある程度の運動をこなした。いつもより運動量は少ないはずだが、それでも帰宅後は疲れが出て横文字に取り組める状態ではない。阪神の対巨人・勝ち試合でも見ながら、さっさと寝るほかない。それにしても藤波投手の時にはよく打つのに、能見投手の時にはなぜ点が取れないのだろう。能見が可哀想。

2016年4月4日(月)遺伝の観念
 相変わらず起床時はつらいし、昼間も姿勢を変えるときに痛みが出るが、日常的な動きにあまり不便は感じなくなった。予定としては既読論文の再読、要点入力続行のはずだったが、気分転換のため、未読の論文を読むことにした。論文集『遺伝の観念の誕生』第11章・テラル「啓蒙期生物科学の思弁と実験」。しばらくはディドロやビュフォンの世界を楽しんでこよう。

2016年4月3日(日)遺伝の観念
 朝は腰痛のため起き上がるのに苦労したが、一旦、起きた後は、杖1本で歩くことができた。昨日よりは痛みが小さい。しかし、いい気になって動いていると、イタタタとなる。
 用心してパソコンに向かい、論文集『遺伝の観念の誕生』「序論」の要点入力をようやく終えた。一般に読者にとって「序論」が一番難しいといわれるが、それにしても要点入力に時間が掛かりすぎた。しかしそのおかげで、生物学史についての勉強不足を痛感させられた。18世紀の生物学と19世紀の生物学との根本的な違いなどについて、まだまだ学ばなければならない。ただし今は、遺伝の観念の成立についてまとめなければならない。
 「序論」や『遺伝の文化史』によれば、古来、親子の類似は生成条件の類似に帰せられていたのであり、生物学的な遺伝の観念が確立するのは19世紀中葉になってからだといい、ダーウィンのパンジェネシスを最初の遺伝理論として高く評価している。人と物が大きく移動する近世になると、さまざまな分野で遺伝現象が注目され始めるが、19世紀まで統一的に理解されることがなかったという。こうした大枠を頭に入れて、関連論文を読んでいこう。

2016年4月2日(土)腰痛再発
 昼前、何気なくかがんだ瞬間、腰に激痛が走り、動けなくなった。腰痛が再発した。いつまでも寝転んだままではいられないので、両手に杖を持ち、イタタイタタと喚きながら家の中をゆっくり歩いて用事をこなした。頭痛は収まり、頭の方はスッキリしているので、パソコンに向かうことはできた。こんな風に何かの拍子で腰痛が再発するが、多分、数日で収まってくれるであろう。

2016年4月1日(金)法隆寺
 中学校の修学旅行以来、法隆寺は何回か訪れているが、ここ30年くらいは行ってない。遠くて時間が掛かると思い込んでいた。しかし、新今宮駅からJR大和路線・快速急行に乗り、法隆寺駅からは20 分おきに出る法隆寺門前行きバスを利用すれば、興福寺までの時間と差が無いことが分かった。本日は体力を考慮して、金堂・五重塔・大講堂と大宝蔵院だけを見てきた。学生時代は駅から歩いて法隆寺全体に中宮寺、さらに法輪寺、法起寺まで訪ねも平気だった。歳を取ってからのことなど、考えたこともなかった。本日は小雨模様の中だったが、金堂・五重塔をながめるだけでも気分転換になる。大宝蔵院に入るとすぐの正面に夢違観音が立っている。その右手の壁沿いに「六観音」が並んでいるが、観音像とされているのは一体だけで、他は勢至菩薩や文殊菩薩などとなっている。なぜ「六観音」なのか。帰宅してから調べてみると、六観音信仰は平安時代に生まれたものだから、白鳳期の童形仏の六体が「六観音」のはずがない。しかも本来は八体だったが、二体は流出し、今は根津美術館にあるという。「六観音」という通称はかなり後になって生まれたものらしい。
 帰宅してから知ったのだが、11時半過ぎに近畿圏でかなり大きな地震があったという。法隆寺から帰りのバス停に向かって歩いている時間帯だったが、全く気がつかなかった。南海大地震の前兆でないことを祈るのみである。

2016年3月31日(木)遺伝の観念
 風邪も治まってきたか、薬を飲まずに過ごせそうだ。論文集『遺伝の観念の誕生』「序論」の要点入力も少しだけ続行。ジャーナルを書く気力も出てきたので、3日分をまとめ書き。

2016年3月30日(水)電動車椅子
 電動車椅子で隣町の郵便局へ。体力は使っていないのに、帰宅後は疲労困憊。風邪のせいもあるのだろう。今日も風邪薬を飲んで寝るしかない。

2016年3月29日(火)デイ・ザービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。相変わらず体調不良なので、運動量は控えめの時のさらに半分に止めた。帰宅後、いつもの疲労感はないものの、夕方にはまたしても頭痛。総合感冒薬の服用で頭痛は治まったが、気力低下。タイガースの勝ち試合でも見て寝るしかない。
  
2016年3月28日(月)遺伝の観念
 論文集『遺伝の観念の誕生』「序論」の要点入力を続行。遅々とした歩みだが、とにかく前進している。相変わらず体調は芳しくないが、本日はロキソニンを服用せずに済ませそうだ。
  
2016年3月27日(日)遺伝の観念
 既読論文デーダース化のため、論文集『遺伝の観念の誕生』(2007)の「序論」を再読しつつ、要点をパソコンに入力。きちんと読み直すことによって、改めて確認できることもある。効率は悪いが、わずかでも進んだことで良しとしよう。しかし夜には頭痛が我慢できなくなり、結局、5日続けてロキソニンを服用するはめになった。

2016年3月26日(土)ナンバで買い物
 カミさんの買い物のお供でナンバへ。高島屋の地下食品売り場となんばシティを歩いただけで、建物の外には一歩も出なかった。それでも人混みの中をうろうろするのは疲れる。
  
2016年3月25日(金)頭痛薬
 相変わらず体調不良。昼前には頭痛がひどくなり、ロキソニンを服用。ロキソニンは強い薬なので我慢できない頭痛の時だけ、通常は年に数回、飲むだけなのだが、ここ3日は連続して服用している。それを気にしていたら、「ロキソニンに重大副作用」とのニュースが流れたのでびっくりした。医師の指示で連続使用していた場合、ごくまれに腸閉塞を引き起こすというもので、わざわざ一般向けのニュースとして流すようなものではなかった。最初にニュースとして取り上げた記者の見識を疑う。それにしてもロキソニンを頼らなければならない状態が続くのは、困ったものだ。なんとか気力を振り絞って、ほんの少しだけ、既読文献のデータベース化を進めた。

2016年3月24日(木)遺伝の観念
 体調不良で既読文献をデータベース化する気力が無い。そこで昨日から、論文集『遺伝の観念の誕生』(2007)の「序論」を通読した。この論集全体の概説であり、当然のことながら、編者らの『遺伝の文化史』第2章・第3章の内容をさらに簡潔にまとめたものになっている。この序論の冒頭で指摘されているように、生物学的な遺伝の観念が19世紀になって生まれたものであるとは、なかなか理解されにくいであろう。これを納得のいく形で広めなければならない。
 ここ数日、首を動かすのが痛かったので、寝るのにも苦労した。本日昼前、ひどい頭痛に襲われ、ロキソニンを服用したところ、頭痛ばかりでなく、首の痛みも治まった。体調不良、痛みの原因は風邪だったようだ。

2016年3月22日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。いつものように運動量を抑え気味にしたが、それでも帰宅後、体がまるで動かない。食事をするのも億劫だったが、インスタント食で栄養補給。夜になって、とにかく4日分のジャーナルを書くことにした。

2016年3月21日(月)体調不良
 疲労と風邪。体が重いとは、まさにこういう状態をいうのだろう。横文字を読む気力は無い。書棚の文庫本を読み散らかして、今日は終わり。

2016年3月20日(日)嵯峨・二尊院
 彼岸の中日。カミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。嵐山ではレンタル着物姿の女子を多数見かけた。阪急の駅では振り袖・袴姿も見かけた。大学の卒業式があったのだろう。二尊院ではすでに大半のお墓に新しい花が供えられていた。昼は暖かかったので春先の服装で出掛けたが、嵯峨野の夕刻はまだ寒い。風邪を引いたようだ。

2016年3月19日(土)文献整理
 2月になってから遺伝の観念の誕生に関する文献をいくつか読んできたが、このままではまた、記憶から消えてしまう。パソコンにしかるべきフォルダーを作成し、既読文献を整理することに着手した。

2016年3月18日(金)遺伝の観念
 ミュラー=ヴィレ「遺伝の図式」(Figures of inheritance)を読了。延べ3日、実質的には2日で読み終えたことになる。ハーヴィー(1651)、リンネ(1746)、およびダーウィン(1859)について「遺伝」がどう扱われているかを比較したものである。ハーヴィーは親子の類似を認める一方で胚の自主性を強調したため、親子の類似はハーヴィーが信奉する万物循環論で解釈することになった。リンネは当時の定説であった前成説を否定したものの、種は均質な個体から成るとしたため親子の類似は問題にならなかった。ダーウィンは自然選択の材料である無方向な変異が遺伝することを強調した。19世紀に遺伝の観念が広まる要因として、ヨーロッパ各地の植物園に世界各地の植物が移植されたことも重要である、という。この論文で奇妙なのは、タイトルに「図式」(Figures)とあるのに、『種の起源』の分岐図しか掲載されていないことである。この論文の元になったシンポジウムでの発表では、ハーヴィー(1651)とリンネ(1746)についても図が提示されていたのではなかろうか。

2016年3月17日(木)書店消失
 昨日の外出の影響だろう、一日中、疲労感が抜けない。研究はあきらめて、昨日、北野田の天牛堺の古書コーナーで購入した鎌田茂雄『華厳の思想』(講談社学術文庫)を拾い読みした。天牛堺の河内長野店や和泉中央店で古書コーナーをのぞくのが楽しみだったが、両店とも閉店となった。南海本線沿いの堺市内に大規模店を開設するため、経営資源を集中するらしいが、北野田店だけでも残ってよかった。
 14日の夕刊には、ジュンク堂千日前店が21日に閉店するとの記事があった。科学史書を置かなくなったのが不満だが、ミナミで唯一、専門書のある書店であった。キタには専門書を置く書店がいくつかあるのに、ミナミはゼロ。身近な天牛堺も無くなった。全国的な書店消失の一例かもしれない。

2016年3月16日(水)桃大図書館
 散髪に出掛けたついでに、桃大へ。明日は卒業式で賑やかになるはずだが、本日は学生も教員もほとんど見かけない。閑散とした図書館で、科学史の洋雑誌5誌(JHB, ISIS, BJHS, Ann.Sci., Hist.Sci.)の2015年刊行号の目次に目を通した。すべて季刊なので、20冊を調べたことになるが、現在の我がテーマに関わる論文はなかった。2015年はメンデルのエンドウ論文学会発表から150年になるが、特集を組んだ雑誌はない。論文刊行150周年の今年はなにかあるだろう。ついでにISIS「年間文献一覧2015」を見ると、相変わらずダーウィン関係は多いが、メンデル関係がほとんど無いのが意外であった。

2016年3月15日(火)デイ・サービス
 昨日は冬の寒さだったが、本日は春の暖かさ。午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。帰宅後も体調良好、電動車椅子で隣町のスーパーへ。しかし夕方には疲れが出て、研究は無理。ジャーナルを書いて今日は終わり。

2016年3月14日(月)「大夫」から「太夫」へ
 夕刊に、文楽協会が「大夫」の表記を「太夫」へもどすことに決定したとある。もともと「太夫」であったが、1953年に「大夫」の表記になったというが、その理由は不明確らしい。当方が文楽を見るようになったのはこの後なので、文楽では「大夫」、歌舞伎の竹本は「太夫」とするのが常識になっていた。歌舞伎座では竹本の熱演に対してしばしば「チョボチョボ」という声がかかったが、これは「太夫」の点を意味していると教わったことがある。「大夫」から「太夫」への表記変更は過去にもさかのぼるらしいが、今後、文楽関係の文書作成では執筆者や編集者、校正者を悩ますことになるだろう。
  
2016年3月13日(日)遺伝の観念
 昨日よりはましになったものの、疲労感が抜けない。なにもせず、横になっていたい。体力低下のため、これが常態になるのかも知れないが、それでは困る。とにかく研究を進めなくてはと、論文集『遺伝の観念の誕生』(2007)に着手。まずは編者の一人、ミュラー=ヴィレの論文(第8章)から読むことにした。今後しばらくは、この論集の論文と、ダーウィン関係の論文とを交互に読み進めることにしよう。

2016年3月12日(土)有線テレビJ-COM障害
 相変わらず体調不良。昼前には激しい頭痛に襲われ、買い置きのロキソニンを飲んで抑える。体調不良が続いていたのは風邪のためだったのだろう。こういう日はぼんやりテレビでも見ているほかないのだが、昼の2時ころにJ-COMの中継が中断した。
 10日前の3月2日(水)にも同じ事が起きた。午後5時半ころに中断し、回復したのは10時間後であった。当初、何が起きたのか分からず、J-COMのサービスに電話しても「混み合ってますから後にしてください。ネットにも対応策があります」という趣旨のテープが流れて切れてしまう。ネットのJ-COMのサイトを見ても何も情報が無い。そのうちに、町の電気屋さんの書き込みで、J-COM障害が広範囲に起きているらしいことを知った。J-COMのサイトに、火災のため幹線ケーブルが切れて河内長野市や富田林市などで障害が発生しているとの通告が掲載されたのはその後であった。ネットと電話もJ-COMを利用している家では全ての情報手段が無くなり、困り果てたらしい。それにもかかわらず、この10日間、J-COMからは説明文や謝罪文は送られてこない。今回は通信設備障害のため河内長野市で不通になっているとのことだが、おそらく10日前の幹線ケーブル火災が関係しているのだろう。
 J-COMの営業は繰り返し、ネットと電話もJ-COMにするように言ってくるが、信頼できないのでNTTのままにしておいた。その選択が正しかったことが、今回の件で明らかになった。回復は本日も10時間後であった。

2016年3月11日(金)確定申告書送付
 朝から体調不良だったが、骨粗鬆症治療のため田中整形外科へ行き、郵便局で税務署宛に確定申告書郵送を依頼し、駅前のスーパーで昼食用の弁当を買って帰宅。これだけのことなのに、なぜか疲れ切って何もできない。
  
2016年3月10日(木)確定申告書作成
 国税庁のシステムを利用して申告書を作成。昨年までのファイルの保存場所を探すのに無駄な時間を使ってしまった。年に1度だけなので目立たない場所に格納したのが失敗だった。それでも日付が変わる前に作成終了し、印刷もできたので、よしとしよう。

2016年3月9日(水)申告書準備
 まだ昨日の疲れが取れない。確定申告書の作成に着手したかったが、源泉徴収票などを用意するのが精一杯だった。

2016年3月8日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。帰宅してしばらくは元気だったが、夕方には疲れが出て、さっさと寝るほかない。

2016年3月6日(日)ラブリー・ホールでバッハ「マタイ受難曲」
 市民合唱団の演奏会で、大阪交響楽団(指揮・寺岡清孝)に松原友(福音史家)など5人のソリスト。2013年3月10日に同合唱団で「ヨハネ受難曲」を聴いている。キリスト教信仰に無縁な者としては、こうした宗教音楽もオペラを見るような感覚で楽しむだけだが、クリスチャンはどのように聴くのだろうか。今回も、ユダヤ人への憎悪を植え付けたであろう場面が気になった。「27:25. 民みな答へて言ふ『其の血は、我らと我らの子孫とに歸すべし』」(50d. Sein Blut komme über uns und unsre Kinder)。こうしてユダヤ人差別が正当化されていったのだろう。最終曲の有名な合唱が元気よく唱われ、伴奏も同様だったのが意外だった。静かで、しみじみとした曲というイメージを持っていたが、指揮者の解釈によっては、こうした演奏もあるのかもしれない。

2016年3月5日(土)ダーウィンの遺伝論
 『ケンブリッジ案内:「種の起源」』(2009)に収録されているオルビー「変異と遺伝」を再読。書き込みがあるので間違いなく1度は読んでいるのに、何も憶えていない。最初に著者は3つのテーマを立てる。1.なぜダーウィンは変異を特に重視したか。2.なぜダーウィンは生活条件の変化を進化の主因としたか。3.もしもダーウィンが自説に対するメンデルの批判を知ったならば、『種の起源』第6版の内容は変わっていたか。オルビーは次のようにいう。1.自然選択説にとって遺伝変異の存在が不可欠であった。2.内発的な変異は神の関与を導入することになりかねない。3.ダーウィン学説に真っ向から対立するメンデル説を受け入れるはずがなかった。本稿(p.33)によれば、バックルが『文明の歴史』第1巻(1857)でヒトの遺伝形質の存在を否定しているという。『種の起源』第1章でいう、遺伝の存在を疑う「理論的な著述家たち」(theoretical writers. p.12)の一人がバックルなのであろう。

2016年3月4日(金)近大病院
 午前中は近大病院眼科へ。暖かい日なのに冬支度で出掛けたのは、失敗だった。いつもならこの後、桃大図書館に出掛けるのだが、本日は河内長野駅前にもどり、スーパーで食品と日用品を購入。あまり外出しないので、こういう折にまとめ買いすることになる。

2016年3月3日(木)市川浩・編著『科学の参謀本部』北海道大学出版会
 本日、標記の図書が編者の市川さんから送られてきた。副題は「ロシア/ソ連邦科学アカデミーに関する国際共同研究」となっている。科研プロジェクトの成果を基礎にしたもので、執筆者にはロシア科学史の専門家を網羅し、ロシアの科学史家の論文の翻訳も掲載されている。500ページを越える大冊である。科研費の出版助成を受けているが、それでも本体価格12500円と高価なのはやむを得ないのであろう。ロシア科学史の必読文献として大学図書館で購入すべきものであろう。当方が現在取り組んでいる問題に関していえば、リンネが植物雑種の論文でサンクトペテルブルク帝室科学アカデミーの賞金を獲得したのに対し、同アカデミーで働いていたケールロイターが反発して本格的な交雑実験を開始し、それがやがてメンデルの実験へとつながっていった。イギリスの王立協会やフランスの王立科学アカデミーほどではないが、ロシアの科学アカデミーも生物学史で一定の存在感を示している。ルイセンコ問題との関係もあり、いずれ本書を参照することになろう。

2016年3月2日(水)文楽予約
 本日は国立文楽劇場4月公演の会員先行予約日。「妹背山」の通しだが、「山の段」の昼の部だけにして、いつもの床直下の席をネットで確保した。「四段目」の夜の部をどうするか迷ったが、種々の事情を考えて、今回は我慢しよう。「山の段」といえば、かつて東京の三越劇場で見た因会と三和会の合同公演が忘れられない。津大夫と織大夫(後の源大夫)に対して、つばめ大夫(後の越路大夫)と文字大夫(後の住大夫)。すごい舞台だった。今回は千歳大夫と文字久大夫に対して、呂勢大夫と咲甫大夫。どんな舞台を見せてくれるだろうか。

2016年3月1日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。月初めの体力測定があるうえに、本日から施設の定員が15名から20名に増えたので、職員たちも忙しくしていた。当方はいつも通りの運動量。帰宅後、しばらくは元気に雑用を片付けていたが、夕刻には疲れが出て、横文字を読むのは無理になってしまった。

2016年2月29日(月)ダーウィン文献
 手持ちのダーウィン関係文献を確認していて、DSB新版・第2巻(2008)の項目「ダーウィン」(ボウラー執筆)を読んでいなかったことに気付いた。同書の刊行が拙著『ダーウィンの生涯』の原稿を書き終えた後だったこともあり、通読する必要を感じなかったのだろう。さすがボウラー、旧版以来、1990年代までの主要なダーウィン研究を要領よく紹介している。気になったのは、ダーウィンの遺伝と変異についての考えが後のメンデル遺伝学とは根本的に異なっていたことが2000年代初頭に認識されるようになったと述べているが(p.246r)、ここだけ文献を示していない。校正刷りの段階で挿入されたのかもしれない。

2016年2月27日(土)19世紀の遺伝論
 ようやくChurchill(1987)を読み終えた。関連事項を調べながらとはいえ、延べ1週間とは時間が掛かり過ぎる。最大の理由は、一日に集中できる時間が限られているため。すぐに心身に疲労感を覚え、読み進めなくなる。進捗度は現役時代の半分もないが、やむを得ない。この論文によれば、1883年から1885年に掛けてワイズマンらドイツの生物学者が発生における細胞核の持続性に注目してVererbung(遺伝)を独自の過程とみなすようになり、これが遺伝学成立のための決定的な画期となったという。緻密な論文なので更に読みこなさなければならないが、とりあえずは、次の作業に取りかかることにしよう。

2016年2月23日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。本日も体調が芳しくないので、運動量は抑えめ。帰宅後、わずかながらもChurchill(1987)を読む。

2016年2月21日(日)19世紀の遺伝論
 昨日は疲労が甚だしく、一日中、寝ていた。本日はいくらかましになったが家事手伝いなどで遺伝論研究の余裕がない。とりあえず明日から読むべき二次資料として、F.B.Churchill(1987)を選んだ。この論文も1度は読んでいるのに、なにも憶えていない。今度はしっかり記憶と記録に残さなければならない。

2016年2月19日(金)嵯峨・二尊院
 カミさんのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。二月にしては暖かかったためか、嵐山の人出もかなりのものだった。着物の女の子が三々五々、歩いているのが目に付いた。修学旅行生の貸衣装姿だという。いつもなら5時には終わっている二尊院の本堂工事が、5時を過ぎても続いていた。日が延びてきたせいもあるだろう。

2016年2月16日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。運動量は前回と同じ程度だったが、今回は帰宅後に、それほど疲労感がなく、ダーウィン研究を再開することができた。まずは『種の起源』を読み直し、その遺伝論を再検討しなければならない。

2016年2月15日(月)小川眞里子『病原菌と国家』名古屋大学出版会
 標記の新刊書(著者贈呈本)が郵便で届いた。本文298ページ、索引・文献・注が180ページ。とにかく凄い本である。学位論文(東京大学)を下敷きにしたもので、科研費の刊行助成を受けている。書名だけでは内容が分かりにくいが、学位論文の論題は「19世紀イギリスの衛生学の展開と病原菌」であり、本書のサブタイトルも「ヴィクトリア時代の衛生・科学・政治」となっている。よくぞここまで調べたものだと、感服するほかない。医学史、生物学史、さらにヴィクトリア朝史の関係者には必読書となるであろう。価格は本体6,300円と高額だが、大学図書館は備えてほしい。そういいながら、今はダーウィンの遺伝論に集中したいので早急に通読する余裕はないが、一区切りついたら、じっくり読んでみたい。

2016年2月14日(日)ダーウィン資料整理
 ダーウィンの遺伝論再検討に着手しなければならないが、しばらくダーウィンから離れていたので、関係資料がどこにあるか、あやふやになっている。そこで今日は、生物学史通史のため集めていた資料を含め、文献コピーなどの整理を試みた。ダーウィンの遺伝論についての資料もいくつか出てきたので、とりあえず手持ちの資料で研究が進められる見通しが付いた。

2016年2月13日(土)遺伝の観念
 昨日よりは体調もよい。ダーウィンとリュカについての論文(2009)を読了。これから当分、ダーウィン一次資料に当たり、ダーウィンの遺伝論を再検討しなければならない。

2016年2月12日(金)古代史散歩下調べ
 朝から軽い目まいが続く。精神が集中せず論文が読める状態ではない。昨日の蘇我氏本に刺激され、遺跡散歩の下調べをすることにした。これなら気楽に取り組める。駅の近くであまり歩かなくてよい所という条件で探すと、まずは近鉄御所線・忍海駅近くの角刺神社。飯豊女王の忍海角刺宮の跡といわれている。すぐそばに葛城市歴史博物館もある。次は近鉄大阪線・真菅駅近くの宗我坐宗我都比古神社とその3駅大阪寄りの築山駅の築山古墳。これなら一日で回れるだろう。春になったら出掛けたい。

2016年2月11日(木)蘇我氏本
 昨日、桃大図書館で借り出してきた昨年末刊の2冊の蘇我氏本、吉村武彦『蘇我氏の古代』(岩波新書)と倉本一宏『蘇我氏』(中公新書)とを読み比べてみた。倉本『蘇我氏』の後半分が大化の改新後の蘇我氏に当てられているのは、大きな特徴だろう。逆に吉村『蘇我氏の古代』では第1章が蘇我氏登場以前の「氏の誕生」に当てられている。吉村『蘇我氏の古代』が蘇我氏を中心に据えた古代史であり、倉本『蘇我氏』は蘇我氏自体に注目しているといえる。とはいえ、蘇我氏四代が政治の中心にいて重要な役割を果たしてきたこと、本宗家が滅んだ後も蘇我氏が活躍し続けたことなど、主要な内容に違いは無い。家の書棚にある水谷千秋『なぞの豪族 蘇我氏』(中公新書 2006年)よりも両書とも内容が豊かになっている。ただし、倉本『蘇我氏』によると、葛城地方の諸集団の中でも有力な集団が6世紀に独立したのが蘇我氏であり、葛城氏の伝承は蘇我氏が作り上げたものであるという。吉村や水谷をはじめ、たいていの古代史では葛城氏の存在を認めているのではなかろうか。倉本説が専門家にどの程度支持されているのか、気になる。

2016年2月10日(水)桃大図書館
 午前中に7週間振りの散髪。ついでに桃大へ出掛け、『セルボーン博物誌』関連の3冊を図書館に返却。大学は授業も終了して学生もおらず、静まりかえっていた。図書館は職員による蔵書点検中のため、遺伝学史に関する文献探索はあきらめ、投稿したメンデル論の文献注について1点だけ確認をしてきた。

2016年2月9日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。今回も器具を使う運動の回数を控えめにしたのに、帰宅後は疲れが出て何もできない。夕食を取ったら、さっさと寝るほかない。

2016年2月8日(月)遺伝の観念
 ダーウィンとリュカについての論文(2009)に着手。これも1度は通読している可能性があるのだが、記憶に残っていない。今回はダーウィン一次資料にも当たりながら、じっくり読まなければならない。
 昼過ぎに隣町の銀行出張所とスーパーへ。電動車椅子で出掛けたので体はほとんど動かしていないのに、帰宅後は疲労感でなにもできない。情けないが、若いときと決定的に違うところだ。

2016年2月6日(土)遺伝の観念
 昨日からようやく気力、体力が回復してきたので、寝たり起きたりしながら、Lopez-Beltran(2004)の再読を終えた。遺伝の観念の誕生に関する論文で、1度は通読しているのに、ほとんど記憶に残っていない。情けないことに、問題意識を持って繰り返し読まないと、頭から消えてしまうようだ。この論文によれば、大革命後にフランスの医学者たちが遺伝に注目するようになり、その成果がリュカの2巻本(1847,1850)にまとめられているという。フランスで同書は遺伝論の基準となり、イギリスでも同書によって遺伝の観念が広まったという。ダーウィンやゴルトン、スペンサーらが同書をどのように読んだのか、これを調べなければならない。

2016年2月4日(木)文楽4月公演
 国立文楽劇場の『友の会会報』が届き、4月公演「妹背山」の配役表が同封されていた。「山の段」の大判事は当然、咲大夫だと思っていたら、千歳大夫になっており、定高は呂勢大夫であった。最近の公演でこのクラスに大役を割り当てているのは、文楽の将来を考えてのことであろう。咲大夫は四段目の「杉酒屋」にまわっているが、フアンとしては物足りない。それでも「山の段」を見逃すわけにはいかない。昼夜通しで見るつもりでいたが、今回は昼だけにしよう。会員先行予約日に、いつもの床直下の席を確保しなければならない。

2016年2月3日(水)パズル
 疲労感が抜けず、気力も回復しない。一日中、寝転がって「数独」に取り組んでいた。任天堂などのゲームには全く興味はないが、「数独」は自分の気質に合っているのだろう。中級クラスの問題なら15分前後で解けるのだが、つい、次の問題、次の問題と、きりがない。パチンコに夢中になる人たちも、同じようなものなのかもしれない。数独の問題集が近くにあると、つい、手を伸ばしてしまうので、明日は外のゴミ箱に捨てなければならない。

2016年2月2日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。やや寝不足気味でもあるので、今日は機械による訓練の回数を少なめにした。そのため、帰宅してからも、ある程度、体を動かせたが、論文を読むほどの気力はない。

2016年2月1日(月)映画「スター・ウォーズ」
 カミさんのお供で難波に出掛け、ついでに映画「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」を見てきた。新聞などの映画評では、期待していなかった割には面白かったという意見が多かったように思う。そのため、つい、期待して見に行ったのが、いけなかった。実質的には最初の三部作のリメイク版で、見たような場面が繰り返される。最後も「デス・スター」破壊のリメイクだが、昔見た画面の方がはるかに面白い。初期のシリーズはテレビで繰り返し見ても楽しいが、今回のものは2度と見る気はしない。007シリーズも楽しいのはショーン・コネリー主演のもの。ジュラシック・パークも、見るべきは第一作だけ。これから「フォースの覚醒」を見に行く人は、期待しないで行く方が良い。

2016年1月30日(土)Lucas の発音
 今日も疲労感が抜けず、昨日と同様、寝ている時間が多かった。木曜の運動のためだけでなく、火曜・水曜の2日間、投稿論文完成に集中した反動もあるのだろう。Lucas に関する論文もほとんど読み進めることができなかった。ただ、Lucas を「リューカ」と読んできたが、果たして正しいのか、ふと気になった。辞典類やネットで調べてみると、英語読みなら「ルーカス」、フランス語読みなら「リュカ」とすべきことが分かった。我が表記の長音記号は余分であった。本日届いた『科学史研究』276号には、ラインバーガーほか『遺伝の文化史』についての拙著の書評(pp.405-6)が掲載されているが、そこでは「リューカ」を用いている。今後は「リュカ」と表記し、メンデルではなく、プロスパー・リュカこそ遺伝学の祖であると言いふらそうか。

2016年1月29日(金)遺伝論
 昨日の疲労感が残っていて、昼間もいつのまにか眠り込んでいる時間が多かった。昨日からダーウィンとリューカについての単発論文(2009)を読み出したが、ほんの数ページを読んだだけで終わった。それでもリューカの重要性は理解できる。生物学史家がリューカに注目するようになったのは近年のことだが、これもメンデル神話が遺伝学史研究を妨げていたためであろう。

2016年1月28日(木)デイ・サービス
火曜日休止の代替えでデイ・サービス「ヒーリング」へ。本日は運動回数を少々、増やしてみた。案の定、帰宅後、疲労感が甚だしい。それでも遺伝論を何から始めるか、考えて、まずはリューカ(Prosper Lucas)とダーウィンの関係から見ていくことにした。メンデル論にいささか飽きてきたので、新たな問題に取り組むのが楽しくなる。

2016年1月27日(水)メンデル論原稿送付
 昼前に隣町の郵便局から『生物学史研究』編集者に論文原稿を送付。昨日ほどは寒くないとはいえ、電動車椅子で往復すると体も冷える。とにかくこれでメンデル論は一区切り。メンデルが遺伝学の祖でないのなら、遺伝学はいかにして生まれたのか。今度はこの問題に取り組まねばならない。もともとの予定では、メンデル論の後はラインバーガーほか編『遺伝の観念の誕生』(2007)を読み通すつもりだったが、帰宅後、19本の論文を収めた500ページの同書を前にして、考え込んでしまった。はじめから順に読んでいったのでは時間も掛かるし、頭に残らない可能性もある。とりあえず切り口を定めて、順次、範囲を広げていく方がよいだろう。

2016年1月26日(火)メンデル論
 デイ・サービス「ヒーリング」の午前の部は中止となった。路面が凍結していて、送迎車の運行が難しいとのこと。そのため、丸一日、パソコンに向かって、「メンデルは遺伝学の祖か」の原稿の仕上げに取り組むことになった。久しぶりに現役のころと同様の緊張感を持って、原稿を点検した。日付が変わる前にプリントを終えた。明日、コピーを取って編集委員に送ることができるだろう。

2016年1月25日(月)メンデル論
 とにかく寒い。朝のゴミ出しが心配だったが、雪は路面にうっすら積もる程度で、歩くのに問題はなかった。体調も芳しくないが、メンデル論原稿の検討を続行。文献注を終了。後は投稿できる形に整えなければならない。今週中の原稿投函を目指して、急げ急げ。

2016年1月24日(日)メンデル論
 予報通り、時折雪もちらつく寒い一日であった。家に閉じこもって、メンデル論に取り組み、本文の修正はほぼ終わった。次は文献注の整備。なんとしても、月末までに投稿したいものだ。

2016年1月22日(金)電動車椅子で買い物
 本日も寒いが、明日からの3日間は更なる大寒波襲来とのことなので、隣町のスーパーまで電動車椅子で出掛けた。いくら厚着をしても、往復40分で体が冷え切ってしまう。それより怖かったのは、帰途、歩道にマイカーが駐車していたため、車道に降りなければならなかったこと。歩行者が通れるだけの幅は空けてあったが、車椅子は通れない。自動車にも歩行者にも邪魔になっていないつもりだろうが、事故の原因になりかねない。そうなったとしても、不法駐車の責任は問われないのかも知れない。路上駐車するなら車道に駐車して、車どうしの問題にしてほしいものだ。

2016年1月21日(木)難波へ
 メンデル論に集中するつもりだったが、外出したカミさんから、忘れ物を持って来て欲しいとの連絡。結局、難波で買い物につきあうことになった。論文修正の出鼻を挫かれた感じだが、こんな一日もあるさ。

2016年1月20日(水)メンデル論再開
 とにかく寒い。午前中にNHK文化センターから、2月に予定されていた教養講座「ダーウィンの一生」の閉講通知があった。予想していたことではあるが、ますます寒さが身にしみる。これだけ寒いと家の中にいても気力が萎える。それでもなんとか、メンデル論一次稿の修正に着手した。『生物学史研究』編集者からの連絡では、できるだけ早くした方がよさそうだ。

2016年1月19日(火)デイ・サービス
 時折、粉雪が舞う寒い一日となったが、午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。先週のがんばりに懲りたので、本日は運動量をほどほどに抑制した。訓練としてどうなのかという疑問はあるが、帰宅してからの疲労感は弱く、パソコン作業を続けることができた。まずは検討を依頼された論文についてのコメントを修正して仲介者に送信し、この件を終える。次は『生物学史研究』の編集者へ、仮題「メンデルは遺伝学の祖か」を2月末までに投稿すると通知。これで後に引けなくなった。明日から原稿完成に向けて努力しよう。

2016年1月18日(月)自然史の文献
 検討を依頼されている論文についてのコメント執筆を終了。400字詰め換算で約10枚になった。1日で書ける分量の限界である。肯定的なコメントの場合は気が楽だが、今回は批判的になったので、気が重い。明日、見直して、仲介者に送信しよう。今回の作業で久しぶりに18世紀自然史に触れた。日本ではこの問題を本格的に研究している専門家など存在しないが、欧米では関連の専門書が続々と刊行されている。科学史研究のレベルの差は大きい。

2016年1月17日(日)自然史の文献
 桃大図書館から借り出した図書にざっと目を通した後、検討を依頼されている論文を再読。検討結果をどうまとめるか、頭の中で整理して、明日中には書いてしまおう。今晩はN響の「剣の舞」などを聞きながら、ジャーナルのまとめ書きである。

2016年1月16日(土)自然史の文献
 コピーしてきたDNB新版の項目を読了。8ページが費やされているが、さすがに整然とした記述で分かりやすい。これで、検討を依頼されている論文も理解できるようになった。

2016年1月15日(金)桃大図書館
 返却するメンデル関係の図書4冊を抱えて桃大図書館へ。今日の目的は18世紀自然史関係の文献。書庫にもぐって、まずは新旧のDNBの項目を拡大コピー。本格的な文献検索をする必要はないので、役に立ちそうな図書3冊を借り出してきた。電車の中で杖をつき、重そうな本を抱えていると、ありがたいことに、席を譲ってもらえることが多い。

2016年1月14日(木)自然史の文献
 昨日からの2日間で、検討を依頼されていた18世紀自然史関係の論文に目を通した。昨年10月に送られてきたものだが、メンデル論に集中するため、後回しにしていた。メインの部分ではないが、自然史や自然神学の歴史について拙著を無視しているのには、がっかりした。知名度不足のため、読んでもらえないのだな。著者が専門としている部分も不親切で分かりにくい。手元の資料では不足なので、大学図書館に行かなければならない。

2016年1月12日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で、運動機能訓練。体調が良かったので器具を使う運動では、いつもより回数を少々増やしてみた。そのためもあるのだろう、帰宅後は疲れが出て、なにもできない。

2016年1月11日(月)メンデル論
 仮題「メンデルは遺伝学の祖か」の一次稿をようやく書き終えた。最後の文は、「メンデルを遺伝学の祖として英雄視するのは、止めければならない」。この後、本文を見直し、文献注を記載し、さらに英文要旨を書かなければならない。まだ、かなりの時間を要するが、とりあえずは一休み。検討を依頼されている自然神学関係の原稿に目を通す作業を先に片付けよう。その方がメンデル論の見直しにも新鮮な気持ちで取り組めるだろう。

2016年1月8日(金)文楽・嶋大夫引退披露
 国立文楽劇場で一日を過ごす。昼の部は座席の8割ぐらいが埋まっていただろう。当方はいつもの床直下の席。隣席は昨年4月のときと同じ92歳の女性であった。観劇グループの一員として参加しているらしい。御茶屋さんの差し入れのお裾分けといって、飴を一つかみもらった。
 狂言の最初が「野崎村」で切りは咲大夫。幕間に1階の食堂に降りていくと、幕見客の長い行列ができていた。嶋大夫引退披露狂言「関取千両幟」を見るためである。しかし嶋大夫は「おとわ」を担当しただけ。この機会に嶋大夫を初めて聴く人もいるのだろうが、元気な頃の嶋大夫とはかなりの差があることを知ってほしいものだ。
 劇中で寛太郎が太棹の曲弾きを披露した。寛太郎を三味線のスターとして売り込もうという協会の思惑があるのか。それはともかく、祖父の寛治と孫の寛太郎が並んでいると、それだけで嬉しくなる。
 夜の部は「国性爺合戦」。昼の部と違って観客席は空席だらけ。配役を見ても夜の部での集客は期待していないのだろう。今回は「初段」の明国宮廷の場が上演された。この場面を見るのは、多分、初めてだと思う。ちょうど8年前、2008年1月にも「国性爺合戦」が上演されているが、この時は、「楼門」が咲大夫、「甘輝館」が綱大夫、「獅子が城」が病気休演の伊達大夫の代役で英大夫だった。今回はそれぞれ、咲甫大夫、千歳大夫、文字久大夫。中堅クラスに経験を積ませる意図があるのかもしれない。
 丸一日、文楽に浸って気分転換になったものの、どうもスッキリしないのは狂言の内容のためだろう。「野崎村」のお光は自ら仏門に入り、そのおかげで久松はお染めと結ばれる。「千両幟」のおとわは自ら身を売って亭主を助ける。「国性爺」の錦祥女は自ら命を絶つことで亭主の面目を立てる。女性の自己犠牲によって男が救われる。この種のストーリーにはどうしてもなじめない。男女が逆になる狂言は思い浮かばない。
 ところで嶋大夫の芸歴を見ると、1968年に文楽に復帰しているので、当方が東京にいた時にも劇場で聴いているはずだが、記憶に残っていいない。嶋大夫に注目するようになったのは1977年に大阪に来てからだった。芸歴50年以上のベテランは東京で見ているはずだが、記憶にしっかり残っているのは現役で簑助ぐらいか。因会よりも三和会の方を多く見ていたせいもあるだろう。咲大夫は1966年の襲名以来、注目してきたが、その語りには何か引っかかるものがあった。それが2010年11月の「日向嶋」では無くなっていた。大夫が変化したのか、こちらが変化したのか、どちらなのかは分からない。とにかく今は、咲大夫を聴くのが楽しみになっている。
 文楽劇場の4月公演は「妹背山」の通し。嶋大夫と咲大夫が「山の段」で対決するのを待ち望んでいたが、その夢は叶わなくなった。4月の「山の段」の配役がどうなるのか、今から気になっている。とにかく、いつもの床直下の席を確保して、昼夜通しで見なければならない。

2016年1月7日(木)メンデル論
 昼過ぎに電動車椅子で隣町の郵便局へ。相変わらず暖かいので、苦ではなかった。帰宅後、一息ついてからメンデル論の執筆を続行。新旧のDSBの記載を紹介し、メンデル神話が崩壊している現状を書き終えた。後は締めくくりの一節を書けば、一次稿ができあがる。ようやく終わりが見えてきた。

2016年1月6日(水)メンデル論
 メンデル論の執筆を続行。Monaghan & Cocosが1990年に発表した論文と総説の内容紹介を書き終えた。著者たちは総説の中で、一般に通説を捨てるのは困難であり、著者たちも「遺伝学の祖メンデル」という通説を捨てるのに、メンデル研究に着手してから5年を要したと告白している。生物学史家不在の日本では、メンデル神話に揺るぎがないのもやむを得ないであろう。
 某民放テレビの関係者から、ダーウィンが無職であったことについて問い合わせがあった。日本の社会の常識では、特定の職に就かず豊かに暮らすジェントルマンのあり方は理解しにくいことなのであろう。

2016年1月5日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。2週間振りで体がついて行けないのだろう、帰宅したとたんに疲れが出た。それでもメンデル論の入力を続行。メンデル神話を批判しているボウラー『メンデル革命』(1989)とサップ(1990)について簡単な紹介を済ませた。

2016年1月4日(月)メンデル論執筆再開
 本日から平常にもどるといわれても、毎日が日曜の身には実感が沸かない。京都詣での疲れも抜けたので、メンデル論の執筆を再開。二次文献の再確認に時間を取られていたので、論文の入力は1ヶ月ほどストップしていた。予定よりかなり遅れているので、文献探索をほどほどにして、早く完成させることを優先したい。

2016年1月3日(日)年賀状
 昨日の疲れが出て、一日中、ごろごろしているだけ。ただ、数通の年賀状が届いたので、返礼の宛名書きだけは済ませた。これで予定の30通は終了。

2016年1月2日(土)嵯峨・二尊院
 カミさんのお供で京都の二尊院へ。難波と梅田は大変な混雑だったが、嵐山の人出は例年より少なかった気がする。タクシーで松尾大社の前を通過するのに苦労するが、今年はやや遠回りするだけで済んだ。晴れて暖かい日ではあったが、嵯峨野までの往復は疲れる。

2016年1月1日(金)年賀状
 朝8時には年賀状が配達されていたようだ。年々、元日の賀状配達が早くなっているような気がする。返信賀状の宛名書きが仕事始め。
 例年は午後、地元の加賀田神社に初詣に行くのだが、今年は体力温存のため中止。電動車椅子で出掛けたカミさんよると、いままでにない混雑だったという。
 夜はNHK中継のウィーン・フィル・ニューイヤーコンサートを聞きながら、ジャーナルを執筆。新年も人為的な区切りにすぎないが、生活を見直す良い機会にはなっている。

2016年1月1日(金)今年は何をするか
 とにかくメンデル神話についての論文を早く完成させなければならない。欧米の生物学史家の世界では、「メンデルは遺伝の法則を発見していない」ことが通説になってきていると思われる。しかし日本では専門家でも「メンデルが遺伝の法則を発見した」と信じている。このメンデル神話を突き崩すのが、残された人生の一仕事になるだろう。そのためには、メンデル神話を攻撃するだけでなく、いかにして遺伝学が成立したかを明らかにしなければならない。その上で、近代生物学史を全面的に書き直す必要があるだろう。
 さしあたり、メンデル論を投稿した後は、検討を依頼されている自然神学に関する論文に目を通さなければならない。その後はいよいよ、生物学的な遺伝の観念の成立史に取り組むことになる。
 気力を維持するためにも遺跡・社寺探訪を続けたいが、体力がどうなるか。
 唯一の贅沢といえる床直下での文楽鑑賞は続けたい。今年あたり、咲大夫の綱大夫襲名があるのではなかろうか。

2015年12月31日(木)今年は何をしたか
 メンデル神話についての論文を遅くとも年内には投稿できるつもりだったが、来年に持ち越しとなってしまった。ただし、エンドウ論文の再検討に時間を掛けたおかげで、これが遺伝の研究論文ではないことにますます確信が持てるようになった。
 体力の低下が著しい。外歩きが億劫になってきた。数年前に比べれば遺跡・社寺探訪が激減している。秋からデイ・サービスで運動機能訓練を始めたが、サービス日の火曜日が生活の節目のようになってきた。
 久しぶりにNHKテレビに出演したが、ジャーナルに書いたように不本意な結果になってしまった。それでも時にはこんな仕事があると、心身の刺激にはなる。ときおり、テレビで見ましたと言われるので、疎遠な知人たちには生存通知になったようだ。
  
2015年12月31日(木)第九
 今日も家事手伝いをしたぐらいで、メンデル論の執筆がはかどらないが、ま、いいか。紅白には興味がないので、8時からN響の第九を聞いた。指揮者のパーヴォ・ヤルヴィが、ベートーヴェン指定通りのテンポで演奏すると語っていたが、演奏時間は63分であった。音楽之友社の『名曲ガイド』には演奏時間72分とある。手元にあるCD(1992年バレンボイム指揮)は74分。しかしネットで調べてみると60分前後の演奏も多い。第九の演奏にこれほどの違いがあるとは知らなかった。テレビで木管奏者の一人が、第九の演奏が初めて楽しかったと語っていたのはショックだった。いくら名曲でも同じ曲を何回も演奏するのは退屈なのだろう。しかし聞く方は初めてかもしれない。役者やスポーツマンも常に全力というのは無理らしいが、観客の立場ではそれを期待したくなる。

2015年12月28日(月)メンデル論
 DSB新版(2008)の「メンデル」の項目を再読するのに延べ3日も掛かってしまった。この項目はMuller-Wille & OrelとOlbyとの分担執筆になっているが、その執筆方針は明快とはいいがたい。、Muller-Wille & Orelがエンドウ論文を雑種研究の伝統の中に位置づけ、Olbyが論文内容を分析するという形だが、前者はMuller-Wille & Orel(2007)の内容を中心とし、後者はOlby(1979)の内容を基にしている。したがって、メンデルを遺伝学の祖とする従来のメンデル像を否定しているのだが、それが強調されていない。旧版の解説(Kruta & Orel)に配慮したのだろうが、メンデル神話の信者が読めば、遺伝学の祖メンデルを讃えているとしか理解しないのではなかろうか。我がメンデル論では、NewDSBでもメンデル神話が否定されていると書いておこう。
  
2015年12月25日(金)年賀状
 メンデル研究に一区切り付いたところで、まずは桃大大学院の来年度講義シラバスをWEB入力し、次いで年賀状を印刷。今年もずぼらを決めて、年内に投函するのは4通だけ。後は返礼の形になるが、歳に免じて許してもらおう。
  
2015年12月24日(木)散髪
 午後早くに大阪狭山市駅前の行きつけの理髪店で6週間ぶりに散髪。帰りに立ち寄った河内長野駅前の書店では、蘇我氏をテーマとした2点の新刊新書(岩波新書と中公新書)が目に付いた。読み比べたら面白かろうと思ったが、ここは我慢。今はメンデル研究を最優先しなければならない。それにしても、暖かい。大局的には問題なのだろうが、寒がりの自分にとってはありがたい。

2015年12月23日(水)メンデル論
 先週の水曜日からメンデル二次論文のMuller-Wille & Orel(2007)を断続的に読んできたが、44ページにわたって綿密な分析が展開されているので、再読なのになかなか読み終えない。頭が冴えていて気力が充実していないと、読んでも表面をなぞるだけになってしまう。今日はまとまった時間が取れたので、おおむね読み通すことができた。オレルは「遺伝学の祖メンデル」を説く権威であり、ミュラー=ヴィレ はこれを神話とみなしているはずなので、この二人の共著にはとまどってしまう。どちらの立場なのか、冒頭のサマリーもあいまいである。読後の結論をいえば、この論文は、オルビー(1979)とカレンダー(1988)の主張、すなわちエンドウ論文は雑種による新種形成を論じたものであって遺伝の論文ではないという主張を受け継ぎ、発展させたものといえる。御大オレルも、こうした遺伝学史研究の趨勢を否定できなくなっているのではなかろうか。

2015年12月22日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。帰宅後、少しだけ論文を読めたが、夕刻には疲れが出て、さっさと寝るほかない。

2015年12月20日(日)嵯峨・二尊院
 カミさんのお供で京都嵯峨の二尊院へ。師走にしては暖かい日だったが、ここまで来るとさすがに寒い。それでも嵐山はほどほどの人出であった。二尊院は本堂工事もお休みで、静かだった。ハイヒール・モモコが亭主の家の墓に、さっと来て、さっと帰って行った。移動の途中で立ち寄ったのだろうか。京都・花灯路の最終日だったので、夕刻5時丁度に灯りが点くのを待つ人々がいた。無事に済んだ一日であったが、難波と梅田の人混みの中を荷物を抱えて通るのは疲れる。
  
2015年12月16日(水)手帳
 毎年、手帳は生産性本部のものを利用している。月間予定欄に六曜が記されていないので、気持ちよく使える。ところが市内の本屋には高橋の手帳しか置いてないので、難波の旭屋で購入しなければならなかった。今年はアマゾン利用を思いついた。送料無料なので、昨夜、日付が変わる直前に発注してみた。それがなんと、今朝の9時前にクロネコヤマトで届いたのである。アマゾンの宣伝をする気は無いが、この速さにはびっくりしている。
 気温が昨日よりかなり低くなったためか、腰痛再発、体調不良。新しい手帳に必要事項を記入し、最低限の家事をこなすだけで精一杯であった。

2015年12月15日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。ほどほどの運動量に止めておいたつもりだったが、帰宅後は疲労感で何もする気にならない。デイ・サービス以外にはまるっきり運動しないので、体が慣れないのだろう。必要性は分かっていても、運動をする気にならない。困ったことだ。

2015年12月14日(月)忠臣蔵
 今年は珍しく民放テレビに2本の忠臣蔵ものがあった。その一つ、ABCテレビ「ぶっちゃけ寺;忠臣蔵ミステリー」に登場した「大石内蔵助の遺品」類は、すべて偽物ではなかろうか。大石が討ち入りで用いた槍が山科の寺に現存するはずはなかろう。討ち入り前日に大石が書いたと称する手紙は、贋作の典型であろう。ディレクターが無知なのか、嘘を承知のうえか。いずれにせよ無責任な番組であった。
 BS-TBSの「にっぽん歴史鑑定;忠臣蔵の真実」は講談ネタを史実によって検証したもの。数多い忠臣蔵本でよく取り上げられるテーマであり、山本博文の解説にも新鮮味はなかった。それどころか、大石内蔵助と垣見五郎兵衛との対決について、映画か講談で作られた話だろうというだけ。以前、このジャーナルでも書いたように、大石内蔵助と日野家用人・立花左近(または垣見五郎兵衛)との対決は、牧野省三が歌舞伎の「勧進帳」を元に創作したものであった。本気で調べれば簡単に分かったはずなのに、この番組も中身の薄いものであった。
 嘘八百でも、ドラマか講談の方がよかったな。

2015年12月11日(金)歯科検診
 強風豪雨の中を北野田へ。日野歯科の予約日なので行かねばならない。コートもぐっしょり濡れて、着るとかえって寒いぐらいだった。検診の結果は良好。この歳で28本の歯がほぼ問題なくそろっているのは珍しいとのこと。食後の歯磨きと半年ごとの歯科検診を欠かしていないおかげであろう。
 外出のついでに桃大へ。まずは控え室でコートを乾かし、その間に図書館でブラニガンとボウラーの著書を借り出す。帰りに和泉中央駅前の書店「天牛」の古書コーナーが120円均一だったので、選書・新書・文庫の類いを4点買い込んでしまった。帰りの荷物が重くなったが、学ぶ意欲が衰えていないことをよしとしよう。

2015年12月9日(水)「著作」と「監修」
 暖かい日なので、久しぶりの外出。朝は三日市駅筋の田中整形外科へ。ついでに河内長野駅前へ。明日の引き落としに備えて銀行口座に入金。ラブリーホールのレストランで昼食の後、駅前の書店へ。千円均一の古書コーナーに、フーコー(中村訳)『知の考古学』があったので購入。フーコーの訳書は古書でもけっこうな値が付いているので、お買い得だったと思う。
 新刊の新書コーナーに山本博文『江戸「捕物帖」の世界』があった。この著者なら面白かろうと思わず購入し、帰りのバスの中で広げたら、著者名の下に小さく「監修」と記されていた。これに気付いていたら買わなかったのに、うっかりした。「著作」と「監修」ではまるで違う。名前を貸しただけの監修者も少なくない。本書の「はじめに」は山本が書いているが、これは推薦文といってもよい。本書の内容に、山本はなんら関与していないのであろう。

2015年12月8日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。軽度の目まいが続くので施設の看護婦さんが心配してくれるが、軽く運動するには支障なかった。しかし家で論文に集中するのは無理なようだ。

2015年12月5日(土)「遺伝の文化史」書評・校正
 来年1月刊行の『科学史研究』に掲載する書評の校正刷りが届いた。4月に送信したものなので日常意識から消えていたため、受け取ったときには何が来たのかと思った。今は送信した電子データをそのまま印刷するので、原理的に「誤植」は存在しない。一応、ゲラに目を通したが、やはり修正はない。それでも返送しなければならないが、この寒さでは投函のために外に出る気にはならない。
 メンデル論の原稿にブラニガン(1979)の紹介を書き終えたが、ブラニガン(1981)も再確認する必要があるだろう。年内に大学図書館に出掛けなければならないか。メンデル論の執筆状況を考えて、また内容を減らすことにした。エンドウ論文は遺伝の論文ではないということだけに限定して、とにかく書き上げなければならない。

2015年12月2日(水)文楽予約
 文楽劇場・初春公演の会員先行予約日である。10時半ごろからネットで予約の手続きに取り組んだ。昼夜続けていつもの床直下の席を確保するのは難しいだろうと覚悟していたのに、ダメ元で当たった第一希望日であっさり確保できた。そのこと自体は嬉しいが、文楽ファンとしては席が取れないほど客が入る方がもっと嬉しい。
 断続的にメンデル論を執筆し、オルビー(1979)の紹介を終えた。次はブラニガン(1979)。

2015年12月1日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。振り返ってみると、先週の火曜のデイ・サービス以来、ゴミ出しとミゾ掃除以外には、一歩も我が家を出ていない。デイ・サービスもバス送迎があるので、外出といえるかどうか。現役時代には考えられんことだ。天候と体調のせいもあるが、決して褒められたことではあるまい。
 今日は運動を控えめにしたので、夜には論文執筆を進めることが出来た。2時間程度で脳が疲労して中止したが、その後でもジャーナルを書くことはできる。ジャーナル執筆と論文執筆では脳の緊張感がまるで違うようだ。それにしても、オルビー(1979)の紹介に予想外の時間が掛かっている。最も重要な二次資料なので手抜きはではないが、そろそろ終わりにしたいものだ。

2015年11月28日(土)メンデル論
 オルビー(1979)の再読をようやく終えた。メンデル神話批判を広めるきっかけになった論文だが、いささか異様な論文ともいえる。全部で20ページのうち、通説(メンデル神話)と神話批判の先行研究の紹介に半分以上のスペースが割かれ、オリジナルな主張は後半の5ページで展開されているだけである。先行研究としてはHeimans(1968,1971)を詳しく紹介しているが、注27にはY.Sinoto(1971)が記載されている。篠遠喜人が邦語文献でメンデル神話を批判していたならば、日本におけるメンデル理解も変わっていたのではなかろうか。
 オルビー(1979)をオルビー(1985)に再録されたもので読んできたが、原著をそのまま収録してはいなかった。原著本文の最終ページ(p.68)から5行が削除され、それと関連して注の最後(74,75,76)が削除されている。新たな内容の注74が追加されているが、そこにはブラニガン(1981)が記載されている。オルビー(1979)を掲載した雑誌(History of Science)はきちんと刊行されているので、1979年掲載の論文に1981年刊行の図書が記載されるはずはないのである。
 科学史研究でしばしば問題となることだが、印影版でない限り、後の出版物に収録されたものは原著のままとは限らない。著者自身が変更していないと述べていても、重要な部分に手を加えていることが少なくない。

2015年11月25日(水)文楽初春公演
 27日発行の『文楽友の会会報』に先だって配役表だけが送られてきた。なぜ会報に同封しないのか不可解だが、少しでも早く出し物と配役が分かるのは嬉しい。昼の部は「野崎村」と「千両幟」(嶋大夫引退狂言)、夜の部が「国性爺合戦」の半通し。咲大夫、清治、寛治、簑助は昼の部。錦秋公演とよく似た構成である。前回と同様、演目として見たいのは夜の部だけだが、今回は昼の部にも行かねばなるまい。メンデル研究を急がねばならないのに、配役表を眺めて長時間、楽しんでいた。

2015年11月24日(火)NHK文化センター
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。昨日は疲労で何もできなかったが、今朝は通常通りの運動ができたと思う。帰宅後はオルビー(1979)の再読に着手したが、夕刻には脳力が低下してきたので、一旦、中止。ホーページの更新ぐらいはできそうなので、トップページにNHK文化センター梅田教室で開設する教養講座「ダーウィンの一生」の宣伝を入れてみた。さて、どれだけの受講申し込みがあるだろうか。

2015年11月22日(日)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で二尊院へ。紅葉、快晴の日曜日、嵐山が最も混雑する日ではなかろうか。桂駅からのタクシーは時間も価格も普段の倍以上を要した。二尊院にも多数の参拝客がつめかけ、珍しいことに拝観受付に行列が出来ていた。ただ残念なことに今年の紅葉は例年のようにあざやかではない。写真で見る二尊院の見事な紅葉を期待してきた参拝客には気の毒であったし、我々もがっかりであった。日が落ちてからの帰宅となったが、旧暦12日の月が明るかった。嵯峨野の月を楽しんだことで満足しよう。
 夜、家に帰り、大阪W選で維新が圧勝したことを知った。橋下院政のもと、文楽いじめが続き、大阪文化の破壊が継承されるのだろうか。

2015年11月20日(金)知事選・期日前投票
 午前中は近大病院眼科。昼過ぎにラブリー・ホールに寄り、チケットを購入。ついでに市役所にまわって知事選の期日前投票。新聞・テレビでは結果が決まっているような感じである。わざわざ投票に行っても無意味かもしれないが、意思表示をしておきたかった。

2015年11月18日(水)雨の東大寺
 久しぶりにマイペースで好き勝手な観光に出掛けるつもりだったのに、天気予報は一日中雨。ところが朝のうち、河内長野では雨が上がっていたので思い切って出掛けることにした。近鉄奈良駅に着いてみると、やはり奈良は雨。終日、やむことはなかったが、しとしと降る弱い雨だったので、さほど気にならなかった。大仏殿への参道もいつもと変わらず、中国人旅行客と修学旅行生、煎餅をねだる鹿で混雑していた。
 大仏殿は省略して、まずミュージアムへ。参道脇にあるが、おおむね静かである。ときおり団体客が入ってきてもすぐに出て行く。現在の展示の中心は四月堂から移された千手観音立像。脇侍は三月堂から移された日光菩薩立像と月光菩薩立像。以前、不空羂索観音立像が展示されていた時には、ガラス扉の継目が展示ケースの中央にあり、観音像の中央に重なっていた。致命的な設計ミスだったが、今回、これは改善され、継目が左にずれ、観音像の邪魔にはならなかった。
 次は戒壇堂へ。ここへは団体客が来ない。有名な塑像の四天王像をゆっくり見ることができた。最後は三月堂。幸い、堂内のいる間に団体客はなく、二組の老夫婦とゆっくり職員の丁寧な説明を聞くことが出来た。昔、来たことのある来訪者が、日光・月光がいなくなったということが多いそうだ。
 この後、実質的に休館同然の国立博物館で一休み。最後はいつものように興福寺の国宝館と東金堂に寄り、なじみの仏さんたちに挨拶して近鉄奈良駅へ。
 体力に自信が無いので、できるだけバスを利用したが、東大寺境内では歩くしかない。移動のたびに休むことにしたので、東大寺ミュージアムでも国立博物館でも喫茶「葉風泰夢」で一服したが、両店ともコーヒー590円とは価格設定が高すぎる。

2015年11月17日(火)NHK文化センター
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。帰宅すると、NHK文化センター梅田教室・冬学期のチラシが届いていた。24日(火)に新聞折り込みで配布し、同日から受講受付が始まるとのこと。「ダーウィンの一生~如何にして進化論は生まれたか~」というタイトルで2回(2月5日と19日)の講座を開くことになったが、はたしてどれだけの受講申し込みがあるだろうか。ある程度の受講申し込みがあればこちらの励みにもなるが、最悪の結果も覚悟しておかねばなるまい。

2015年11月14日(土)メンデル論
 メンデル二次文献の一つ、Gliboff(1999)の再読を終えた。エンドウ論文の統計と数式重視は当時のオーストリアの植物学の状況を反映したものだという指摘は新鮮であったし、今でも妥当な見解だと考えている。ただしエンドウ論文はロマン主義的進化論の論文であるという主張はどうだろう。発表時には魅力的な見解だと思えたが、今読み直すと無理がある。こちらのメンデル理解が進んだためであろう。

2015年11月11日(水)予防接種と散髪
 昼前に近所の福岡医院でインフルエンザ・ワクチンを接種。その折り、先日の健康診断の結果を聞くと、問題あり。食べ過ぎに注意とのことだが、食事を抑えると気力も萎える。ほどほどにしておこう。
 河内長野駅前で昼食を取った後、大阪狭山市駅前の理髪店へ。前回から42日経っているので、さすがにうっとうしくなっていた。毎日が日曜の生活だと、身だしなみに気をつけることもない。ひげを剃るのも数日おき。理髪店の店長からは、そういう生活をしていると老け込むのが早くなると注意された。そういわれても、めんどくさい。

2015年11月10日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。運動すると血の巡りが良くなるのだろう、帰宅後も機嫌良く雑用を片付けていたが、夕刻にはどっと疲れが出て、何もする気が無くなった。いずれ疲れなくなることを期待しよう。

2015年11月9日(月)メンデル論
 メンデル論執筆のためメンデル神話の見直しを推進した二次資料を整理したところ、10点以上になった。すべてメモは取ってあるものの、執筆に際しては再読して確認する必要があるだろう。まだ時間が掛かりそうだが、焦らず行くか。

2015年11月5日(木)文楽「玉藻前」
 国立文楽劇場・錦秋公演の夜の部。「玉藻前」三段目からの半通し。三段目切りの「道春館の段」だけは歌舞伎でも文楽でもたまに上演されるようだが、見た記憶はない。他の場面は1934年を最後に途絶え、1974年に復活したものだという。謡曲「殺生石」が元になっているが、「道春館」はこの伝説と関係がない。悪役の武士が17歳になった我が娘に出会いながらこれを殺し、善人にもどる。義太夫ならではの世界である。今回は千歳大夫と富助。熱演を記憶しておこう。この後が復活劇。金毛九尾の妖狐が化けた玉藻前が登場するが、妖怪の恐ろしさを見せることなく退治されてしまう。上演が途絶えたのは、このあたりに理由があったのかもしれない。最後は、殺生石になった妖狐の魂がさまざまな姿に化けて踊る「七化け」。藤蔵に率いられた七丁の太棹が耳元で鳴る。文句なしに楽しい。4時に始まった舞台が4時間を過ぎ、心身ともに疲れてきたところだが、三味線で元気を取りもどした。
 集客力のある演目とは思えなかったが、座席の7割近くは埋まっていたのではなかろうか。それなりに文楽人気が続いているのだろう。
 帰宅後も興奮冷めやらず、昼の部も見たくなってネットで座席を検索してみたが、いつもの床直下の席が空いている日はなかった。床から離れた席では楽しさが減するので、あきらめることにした。
 それはそておき、文楽をいじめることで経費節約を宣伝し、文化を破壊する「維新」の大阪支配が早く終わってほしいものである。

2015年11月4日(水)メンデル論
 メンデル一次資料の分析を終え、いよいよ二次資料を紹介する段階になったが、その準備を兼ねてココスとモナガン(1990)による展望に目を通した。オルビー(1979)などの指摘にもかかわらず、1982年開催の国際メンデル・シンポジウムでは従来のメンデル像がまかり通っていたという。展望の著者も、通説を捨てるのは極めて困難であったと述べている。メンデル神話が微動だにしていない日本で、これを突き崩すのは容易ではない。

2015年11月3日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。いつもより快調で、運動器具の負荷を高めても大丈夫だった。帰宅後も疲れを感じなかったので電動車椅子で近所のスーパーまで買い物に。途中、郵便局に寄る予定だったが、シャッターが降りているではないか。なぜだ。しばらくして、今日は休日だったと気がついた。家にもどってからも元気なので、小一時間、庭の枯草や落葉の処理に取り組んだ。この秋になって初めてのことだろう。掃除をしながら夕刊が遅いと思っていたが、しばらくして、今日は休日で夕刊が無いことに気がついた。毎日が日曜の生活をしていると、祭日の感覚がなくなってしまうようだ。

2015年11月2日(月)メンデルのヒエラキウム論文
 ヒエラキウム論文はエンドウ論文に比べてはるかに短いので、それについての執筆も1日で終えた。実験結果からは何もいえないのに、結論ではヒエラキウムの多型性は交雑によるものだろうという。メンデルが交雑による新種形成に強くこだわっていたことを示している。
 両論文とも手元に戦前の原文印影版があるので、それを利用してきたが、論分執筆に際してネットで公開されていないか検索してみた。エンドウ論文の原文はさまざまな形で公開されているが、ヒエラキウム論文の原文が見つからない。ふと思いついて、電子図書館BDLに当たってみたら、掲載誌がそのまま提供されていた。エンドウ論文がどんな形で掲載されているかも確認することができた。生物学史家には利用価値の高い電子図書館だと思う。

2015年11月1日(日)メンデル論
 昨日は前日の疲れが出て、一日中、ごろごろしているだけだった。本日は体調も回復し、久しぶりにまとまった時間が取れたので、メンデル論の執筆も進み、エンドウ論文についての分析を書き終えた。論文執筆が遅れがちなのでいらいらしていたが、これでやや落ち着いた。エンドウ論文をじっくり読み直した結果、これが遺伝学の論文ではないことに確信が持てるようになった。エンドウ論文の主目的は雑種の展開式を提唱することだが、それ以上にメンデルがいいたかったのは、ダーウィンの進化論は間違いで、交雑による新種形成があるだけということだったと思われる。

2015年10月30日(金)奈良博・正倉院展
 カミさんのお供で奈良国立博物館の正倉院展へ。入館したのが5時だったので、それほどの混雑ではなく、ゆっくり見ることもできたが、さして興味がないので坐っている時間が多かった。

2015年10月27日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。といっても体調がもどらないので、いつもの半分ぐらいの運動量に止めておいた。

2015年10月25日(日)メンデル論
 好天無風、絶好の外出日和というのに、朝、起きたら、腰痛再発、頭がふらつく。風邪を引いたようだ。家にいるのが無難であろう。症状は軽いのでメンデル論の執筆を続行、エンドウ論文の前半について書き終えた。前半、すなわち口頭発表第1日分は雑種の子孫の展開式の提示を目的とし、それなりに完結した形になっている。執筆のために読み直すと、それまで見えなかったものも見えてくる。

2015年10月23日(金)嵯峨野・二尊院
 健康診断のため、朝食抜きで福岡医院へ。当日に分かる範囲では問題なし。一旦、帰宅してからカミさんの月参りのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。渡月橋から天竜寺にかけては相変わらずの人出だが、タクシーの運転手によると、ほとんどが中国人とのこと。二尊院では本堂工事の音が遅くまで響いていた。拝観者は少なかったが、来月の紅葉シーズンは混雑することだろう。

2015年10月21日(水)桃大図書館
 桃大図書館を介して他大学の図書館に複写依頼していた洋雑誌の論文を受け取るため、桃大に出掛けた。ネットからも購入できるが、それだと約4,000円。コピー取り寄せなら、コピー代と送料で約400円。大学までの交通費と手間を考慮すればネット利用が損とばかりもいえないが、それでも高額に過ぎる。ネット経由の料金を安くすると学術雑誌本体が売れなくなるという事情も分かるが、研究費が無い立場では資料集めの費用がつらい。

2015年10月20日(火)メンデル論
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。帰宅後、メンデル論の執筆を続行し、エンドウ論文の第4章まで進んだ。この章の冒頭には、形質によっては雑種が両親の中間形を示す場合のあることが明記されている。それにもかかわらず、通史などでは優劣の法則の例外をコレンスが初めて発見したなどと書かれている。受け売りの歴史記述の危うさを示す事例といえよう。

2015年10月18日(日)書類作成
 このところ、科学史に関連した書類・文書作成の作業が数件、重なっていたが、本日、桃大大学院の来年度の授業についての書類を送信して、一区切りついた。この間、メンデル論執筆も中断したが、ある程度、そうした作業のある方が精神も活性化されるようだ。

2015年10月17日(土)バスツアーで気比神宮と白鬚神社
 カミさんが申し込んだバスツアーに同行。なるべく歩かないで済むということで選んだのが、「関西近郊SAバスツアー」、琵琶湖を左回りに一周するコースである。高速道で草津、多賀、賤ヶ岳の各サービスエリアをたどった後、さらに北上して敦賀市の気比神宮へ。古い神社なので主祭神も独特である。越前一宮というわりには、境内が小さいと感じた。重文の大鳥居以外は爆撃で焼失し、全て戦後の再建だという。空から見ても神社と分かるはずなのに、爆撃する必要があったのだろうか。早くも七五三のお参りがあって、振り袖お太鼓の七歳女子と洋装の五歳男子が可愛かった。
 敦賀から南下し、高島市マキノ町のメタセコイア並木を経由して白鬚神社へ。ここでようやく琵琶湖を見ることができた。境内は狭いが重文の本殿など、慶長年間の建物が残っている。急勾配の石段を登ると「上の宮十社」があるとのことだが、階段がつらいのでお参りはをあきらめた。手前に水中鳥居、遠くに沖の島を見る琵琶湖の風景にほっとする。気比神宮と白鬚神社とを今回のツアーの成果としよう。

2015年10月15日(木)方向音痴
 所用で梅田の阪急オフィスタワーを初めて訪れた。阪急百貨店の上層にこんなビルがあるとは知らなかった。タワーの入り口になる15階スカイロビーは広々として気持ちが良い。コーヒーショップもあるので、梅田で一休みするのに適しているかもしれない。
 用事が早く終わったので、久しぶりに東洋陶磁美術館に行こうと地下鉄・淀屋橋駅で下車し、いつものように橋を渡って右に折れて行ったが、どうも様子が違う。それでも漫然と歩いていたら肥後橋を指す矢印が目に付いた。逆方向に向かっていたのだ。どこでどう間違えたのか、未だに分からない。
 美術館に行く気力も失い、さっさと帰宅することにした。難波駅で発車間際の急行に飛び乗ったが、気がつくと電車はほとんど停車せずに突っ走っている。おかしいなと思っていたら、「次は岸和田」との車内アナウンスがあった。関空特急に乗っていたのだ。南海難波駅で高野線と本線とを乗り間違えたことなど一度もないのに、今日はどうしたことだろう。しっかりしろよ。

2015年10月14日(水)エンドウ論文「序論」
 エンドウ論文の「序論」について書き終えた。原著で2ページ足らずの分量だが、今回はその一言一言に注意を向けなければならない。

2015年10月13日(火)電球交換
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。帰宅後、廊下の切れた電球を買い置きの新品に替えたが、これが不良品だった。子供のころ街の電気屋さんに電球を買いに行くと、一つ一つ点灯することを確かめて売ってくれたが、今はスーパーの棚に並んでいるだけ。今や不良品など無いということだろうが、現実にはこういうこともある。とにかく廊下が暗くては困るので、電動車椅子で近くのスーパーまで電球を買いに行った。長期的にはLEDの方が安くつくとは分かっていても、あまりに価格の差が大きいので、結局、在来品を買ってしまう。

2015年10月12日(月)メンデル論文執筆再開
 ようやく論文執筆を再開した。雑種研究の先駆者について論じた後、どのように話を展開するか悩んだが、まずはエンドウ論文を順にたどりながら議論を進めることにした。生物学史家が必ずしもエンドウ論文をきちんと読んでいるとは限らないので、いきなり二次文献を紹介するよりも説得力があるだろう。

2015年10月11日(日)だんじり
 昨日と本日、市内は、だんじりで賑わっているはずだが、それを見に行く体力も気力もない。バスのダイヤもあてにならないので、この二日間は家にいるのが無難である。

2015年10月8日(木)メンデル論文の執筆方針
 メンデルについて本格的に調べていくと、執筆予定の論文ではさまざまなことを書いておきたくなる。エンドウ論文の疑問点、いわゆるロング・ネグレクトの件、再発見の経緯など、一般に流布している話を訂正しなければならないと思う。しかしそうなると、論文の分量が増えるし、時間も掛かる。今回はこれをやめよう。エンドウ論文は遺伝の研究論文ではなく、「遺伝学の祖メンデル」は事実と異なる神話にすぎないと説くだけにしよう。そう腹をくくったら、だいぶ気が楽になった。それでもかなりの分量になってしまうかもしれない。

2015年10月6日(火)運動訓練
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。歩行器の速度を上げるなど、少しずつ運動量を増やしている。その場ではけっこう元気なのだが、帰宅後、夕刻になると、やはり疲れが出て何もする気にならない。いずれ慣れてくることを期待しよう。

2015年10月3日(土)文楽予約
 昨日からメンデル資料を読むことに気を取られ、錦秋文楽公演の会員先行予約が昨日だったことを忘れていた。今日の夜になって気がつき、ネットで夜の部「玉藻前」のチケットを、いつもの床直下の席で確保した。第一希望日であっさり席が確保できたが、周辺の席も埋まっていなかった。今回の演目と出演者から見ると、集客は昼の部、夜の部は芸の継承を目的にしてるように思われる。夜の部に空席が多いのも覚悟の上なのだろう。

2015年10月2日(金)メンデル研究再開
 『生物学史研究』の編集者からメールも来たことだし、気合いを入れなおしてメンデル研究を再開。当面は手元にあるのにまだ検討していない二次資料を片付けることにしよう。

2015年10月1日(木)ジャーナルとメール
 1週間ぶりに時間の余裕が生まれ、体力も回復したので、ジャーナルをまとめ書きし、返信メールを書くことが出来た。珍しく高校の同級生からの電話もあった。偶然ではあるが、今日は体勢を整え直す日になった。夜の11時、強風で雨戸ががたがた音を立てている。明日も荒れた天気になるらしいが、外出する必要はないので、メンデル研究を再開したいものである。

2015年9月30日(水)桃大へ
 大学院の場合、学部と違って最初の授業に受講生がいなければ履修ゼロと見てよいのだが、念のため、本日も登校。やはり受講生は現れないので、直ちに帰宅の途につく。和泉中央駅前で早めの昼食を取り、大阪狭山市駅前の理髪店で散髪。まだ陽が高いうちに帰宅したが、疲労困憊、倒れ込んでしまった。ほとんどバスと電車で、ろくに歩いていないのに、情けない。昨日の運動の影響が残っているのだろうが、体力低下が著しい。

2015年9月29日(火)芝翫襲名
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。休憩タイムに産経新聞を見ると、橋之助の芝翫襲名の記事があった。帰宅後、朝日新聞を見たが、この件が掲載されていない。ネットで確認すると、25日に松竹から発表され、昨28日に記者会見があったという。朝日に報道されていたのを見逃したのかも知れない。いずれにせよ、襲名興行は来年の10月に歌舞伎座で始まり、再来年の10月に松竹座に来るという。これは出掛けなければなるまい。

2015年9月26日(土)高島屋・クレパス画展
 ポイント10倍デーをねらって買い物に行くカミさんのお供で難波へ。それだけではわびしいので、高島屋ホールの「クレパス画名作展」をのぞいてきた。クレパス誕生90周年を記念して(株)サクラクレパスが開催したものであった。サクラクレパスの過去の製品も展示されていて、懐かしげに見ている客もいたが、我が小学校ではクレヨンで、クレパスの記憶はない。著名作家のクレパス画が並んでいたが、岡本太郎の作品は遠くから見てもそれとわかる。何が描かれているのか分からなくても、太郎に違いない。クレパスは太郎の画風にも合っていたのだろう。

2015年9月25日(金)メンデルとダーウィン
 メンデルはダーウィニズムについてどう考えていたのか。科学史家の見解はさまざまで、否定していたという者もいれば、受け入れていたという者もいる。御大オレルはどう見ているのか。オレル(1996, pp.188-199)で確認してみた。メンデル自身の書き残したものには、ダーウィニズムについての明確な判断が記されていない。オレルはさまざまな資料を綿密に考察するが、結論として、ダーウィニズムについてのメンデルの考えは不明であるという。肩すかしをくらった感じではあるが、これが妥当な判断であると思われる。

2015年9月23日(水)桃大へ
 祭日なので常識としては大学も休みのはずだが、連休も休むことなく秋学期の授業が始まっている。当方が担当する大学院の授業が水曜日に組まれているので、久しぶりに桃大に出掛けた。割り当てられた教室に学生は現れなかったので、本年も受講生はいないのであろう。いつもなら、この後、図書館にもぐるのだが、今日はその元気が無い。さっさとバスで駅に向かった。
 和泉中央駅前の書店の古本コーナーは百円均一。これは見逃せない。値段を気にしないで済むので、蘭学(戸沢行夫)、ヨーロッパ文化史(木村尚三朗)、それと密教美術(佐和隆研)の3冊を購入。それぞれ興味のあるテーマだが、読みふけっていると、またしてもメンデル研究がお留守になる。ま、いいか。

2015年9月22日(火)デイ・サービス
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練。マッサージ師によると、いつもより足の筋肉が張っているとのこと。まだ疲労が抜けていない。帰宅後も集中力が出ないので、メンデル論はあきらめた。それどころか頭が割れるように痛くなったので、買い置きしてあるロキソニンを服用。以前は医師の処方に限られていたが、市販されるようになったので、こういう時は助かる。

2015年9月20日(日)嵯峨野・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨の二尊院へ。渡月橋の歩道は歩行者で一杯だったが、車道にはみ出すほどではない。タクシーの運転手さんによると、ほとんどは外国人とのことだが、大半はアジア系で、姿だけでは日本人との区別が付かない。二尊院本堂の工事も今日はお休み。参拝者もぽつぽついるが、みな日本人であった。墓参のための掃除道具置き場がいつになく整理されていたのは、彼岸に備えてのことだろう。しかし当方にとっては、ただただ疲れるだけの一日であった。

2015年9月19日(土)テリハノイバラ
 たまたま見たテレビ番組「日立 世界ふしぎ発見」で、ナポレオン妃ジョセフィーヌが日本産のテリハノイバラを入手していたというので、驚いた。メンデル論に関連して調べた植物学者ヴィヒュラ関連の文献では、幕末の万延元年にプロシア使節団の一員として来日したヴィヒュラが初めてテリハノイバラをヨーロッパにもたらしたと記され、後にそれを記念して学名が Rosa wichuraiana とされたという。すでにナポレオン時代にテリハノイバラがあったのなら、このような学名はありえないだろう。現在のバラ園にあるテリハノイバラを番組制作者が強引にジョセフィーヌに結びつけたのではなかろうか。

2015年9月18日(金)中沢信午『メンデルの発見』共立出版 1978
 メンデルの生涯を確認するため、標記の著書を再読した。メンデル周辺の人物もていねいに説明され、伝記部分はよくまとまっていると思う。しかし、「遺伝学の創始者」としてメンデルを手放しで礼賛しているのには、うんざりする。時代的にやむを得ないともいえるが、著者のその後のメンデル論でも基本的立場は不変なようである。このように流布したメンデル神話に対抗するのは、容易ではない。

2015年9月15日(火)近大病院眼科
 午前中はデイ・サービス「ヒーリング」で運動機能訓練、午後は近大病院眼科へ。1時半の予約だったが、緊急の治療があったとのことで、10時台の予約患者も待たされていた。結局、当方の診察は5時になった。まだ10人以上の予約患者が残っていた。「なんのための予約だ」と大声でどなる患者もいたが、大学病院の場合はこういうこともありうるので、怒っても仕方なかろう。散瞳薬を点しているので本を読むこともできず、パズル雑誌を購入して長い待ち時間を過ごした。眼科で配布しているビラには、「外来患者数が非常に増加し、‥‥支障を来して」いるため、今後の初診受付は他の医療機関からの紹介状持参者に限るとあった。眼科がこれほど混雑する病院も珍しいのではなかろうか。
 近大病院を終えてから、三日市町の田中整形外科へ。本日は身体維持のために費やした一日であった。

2015年9月14日(月)メンデル引用論文
 終日、ホフマン(1869)について調べてみた。メンデルのエンドウ論文(1866)を引用した最初の論考であり、ダーウィンが読んでいたことでも知られている。ホフマン(1869)にはエンドウ論文からの引用が3箇所あるが、オルビー(1985)にその部分の英訳が収録されている。そこでは、メンデルによるエンドウとインゲンマメの交雑実験について、雑種は親の型にもどる傾向があると述べるにとどまっている。科学史ではホフマンが無能でエンドウ論文を理解しなかったとされているが、むしろ、エンドウ論文の趣旨が明瞭では無かったため、植物学の専門家にも誤解をもたらすことになったとみなすべきではなかろうか。

2015年9月13日(日)メンデル論
 ジャーナル更新を怠っているが、この間も断続的にメンデル研究を続けている。それなりに新たな発見もあるが、いちいち、ジャーナルに書くほどのことではない。メンデル論執筆をあせることなく、じっくり取り組むことにしたので、しばらくはこの状況が続くであろう。

2015年9月4日(金)文楽・錦秋公演
 国立文楽劇場『友の会会報』最新号が届いた。11月公演の配役表に嶋大夫と文雀の名が無い。残念だが、お二人とも体調不良なのだろう。昼の部は「白石噺」「鰻谷」「団子売り」の見取り、夜の部は「玉藻前」三段目・五段目の半通し。「鰻谷」には咲大夫、清治、それと簑助の三人が出るので、これが今回の中心演目といえるだろう。古い話だが、故津大夫が離婚直後に語った鰻谷が凄かったと、なにかで読んだ記憶がある。しかし好みの演目ではないので見送って、夜の部に行くことにしよう。「玉藻前」の配役に物足りなさが感じられるが、若手を育てるためなのかもしれない。せめて「道春館」の奥を語る千歳大夫に期待しよう。

2015年9月3日(木)弥生時代
 介護用品の運動靴を購入するため河内長野駅前に出掛けたついでに、藤尾慎一郎『弥生時代の歴史』(講談社現代新書、2015)を購入、帰宅後、一気に読了した。昨日の人類学書とは違って、論拠とする資料が示されており、読み応えのある新書であった。ただし、人類学的な問題には触れていない。
 ついでに我が書棚にあった、石川日出志『農耕社会の成立』(岩波新書、2010)を拾い読みしてみた。「後期旧石器時代の文化をもたらした人々の故地を知るのは、将来の課題とせざるをえない」(p.16)とある。しかし、「朝鮮半島から西日本へ、シベリア方面から北海道へ、という二つの回廊をとおして日本列島の旧石器文化が形成された」(p.20)という以上、南方起源説は否定されるのではなかろうか。
 縄文人は弥生人によって駆逐されたのではなく、我々の遠い祖先であったとなると、縄文人に対してより強い親近感がわいてくる気がする。

2015年9月2日(水)日本人の由来.
 一昨日、河内長野駅前の書店で平積みになっていた、片山一道『骨が語る日本人の歴史』(ちくま新書、2015)を購入。本日は昨日の疲れが残っていて神経を集中する作業が無理なので、寝転がって同書を読むことにした。同書の最大の論点は、縄文人を南方起源とする説の否定である。旧石器時代には陸続きであった大陸各地から日本列島に人々が移住し、彼らが縄文海進によって孤立した日本列島で縄文人へと変化した。その縄文人が渡来人がもたらした水田耕作を取り入れ、弥生人に変化していったという。この主張自体は説得力があって面白いのだが、いかんせん、同書はあまりに冗長である。とくに後半の歴史教育批判は年寄りの繰り言で、うんざりする。編集者は何をしてたのか。読者の立場で著者に注文をつけるべきだろう。
 さて、溝口優司『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』(ソフトバンク新書、2011)が書棚にあったので読み返してみると、「日本列島へ、南方起源の縄文人が先に、北方起源の弥生人が後からやってきたのは、ほぼ確実だと言ってよいでしょう」(p.173)という。
 片山は京大系で、溝口は東大系なので、邪馬台国論争のように学閥による対立があるのかもしれない。素人判断では片山説の方が妥当だと思えるが、人類学には諸説ありと心得ておくのが無難であろう。

2015年9月1日(火)機能訓練デイサービス.
 朝、送迎バスで千代田の「デイサービス・ヒーリング」へ。本日から本格的に週1回の機能訓練を受けることになった。帰宅後、前回ほどではないが、やはり夕刻には疲れが出て、頭を使うのが億劫になる。この程度の運動には早く慣れないといかんだろう。

2015年8月31日(月)近大眼科
 午前中に大阪狭山市駅前で散髪を済ませ、午後は近大眼科へ。今日は検査だけの予約だが、3時間近く掛けて10種類以上の検査をしたと思う。さすがに疲れた。
 近大医学部と付属病院は数年後に泉ヶ丘駅近くに移転することになっているが、床屋情報によると、現在地の近くに土地はあったが、価格の折り合いが付かなかったという。高値で土地が売れる時代ではないのだから、安く売ってくれたら良かったのにと思う。

2015年8月27日(木)『生物学史研究』No.92.
 標記の雑誌が届いた。今号は、当研究会60年に因む資料と、3月15日開催の中村禎里に関するシンポジウムの報告との二本立てで、論文の類いはない。編集者にとって、このような号の方が作業量が多く、大きな負担になる。編集担当の月澤美代子さんの苦労がしのばれる。今号が最後の編集担当ということもあるのだろう、随所に月澤さんの個人的な思いがもらされているのも面白かった。
 今号の圧巻は、小松美彦「中村禎里の描いた軌跡」だろう。生家を実地で確認してくるなど、いままでの本誌の追悼文にはなかったと思う。シンポ当日の配布資料を鈴木善次さんから送ってもらったときにも、小松さん作成の資料の詳細なことに驚いたが、文章化されたものを読んでその思いを新たにした。中村禎里が魅力的な存在であったことの証でもあろう。
 次号からの編集担当は瀬戸口明久さんに代わる。研究会の世代交代を象徴するといえよう。とはいえ当方も頑張って、できるだけ早くメンデル論を投稿したいものである。

2015年8月25日(火)機能訓練デイサービス
 若いときから運動が嫌いだったが、最近、体力の低下が激しくなり、さすがに不安になってきた。ケアマネジャーとも相談し、とりあえず、週1回、デイサービスで運動機能訓練を受けることにした。千代田の「デイサービス・ヒーリング」の午前の部。準備体操の後、さまざまなマシンを使っての訓練。その場では物足りないぐらいだったが、送迎バスで帰宅後、しばらくすると疲れが出て、体を動かすのが嫌になってきた。最初はみな、そうなるらしい。本日は「お試し」だったが、来週からの本格的な訓練で、少なくとも現在の運動能力を維持したいものである。

2015年8月24日(月)映画「ジュラシック・パーク」と「ジュラシック・ワールド」
 所用で難波に出たついでに、カミさんの希望で映画「ジュラシック・ワールド」3D吹替版を見てきた。結論をいえば、つまらん。予備知識なしだったが、見始めて間もなく「ジュラシック・パーク」のリメイクと分かり、ストーリー展開も推測できた。ほぼ、推測通りに話は進み、退屈なだけだった。3D映画を見るのは初めてだったが、さして意味があるとは思えない。通常の画像で十分だったと思う。
 1993年8月の「ジュラシック・パーク」の時は、どんな映像が見られるか、わくわくしながら見に行った。ストーリーもしっかりしていた。クライトンの原作も翻訳で読んだが、映画はおおむね原作に忠実であった。ただし、原作では主役の二人の子供が兄妹で兄がしっかり者だったが、映画では姉弟になり、姉がしっかり者になっていた。女性差別の問題に配慮したのかもしれない。「ジュラシック・ワールド」では男の兄弟になり、個性の違いも曖昧になっている。
 「ジュラシック・パーク」では遺伝子DNAの説明が必要だったが、現在の映画の世界では、人工生物が簡単に作られるようになっている。SFに科学的厳密さを求めるのはナンセンスではあるが、「ジュラシック・パーク」で恐竜復元に不足するDNAをカエルのDNAで補ったとするのは、いくらなんでも無理があると思った。トカゲなど、恐竜により近縁な生物がいくらでもいるのに、わざわざカエルを使うはずがない。ほかにも、「そんな馬鹿な」といいたくなる場面があったが、「ジュラシック・パーク」にはそれを越える面白さがあった。「ジュラシック・ワールド」では、ただただ、馬鹿馬鹿しさが目立つだけだった。
 映画が終わったとき、数人の若者のグループが、「なんだこれは。字幕版の方が良かった」と話していた。通常画面の方がサイズが大きく、迫力があったのだろう。それにしても彼らは「ジュラシック・ワールド」を2回も見に来ていたわけである。「ジュラシック・パーク」を知らない世代には、「ジュラシック・ワールド」が新鮮なのかも知れない。

2015年8月23日(日)ダーウィンとメンデル、それぞれのヴィヒュラ
 メンデル研究を続けているはずなのに、ここ数日、デスク周りは、。ダーウィンの著作や書簡集など、ダーウィン関係資料であふれている。ダーウィンの側からヴィヒュラについて調べてみようというわけである。
 ダーウィンの『種の起源』(1859)は第3版(1861)まで本文に大きな変化はなかったが、第4版(1866)では自説を補強すると思われる初版刊行後の諸研究を加筆している。その一つがヴイヒュラ(1865)によるヤナギ属の雑種についての研究であった。メンデルも同時代の雑種研究としては唯一、ヴィヒュラに注目している。
 気になっていたのは、メンデルが1865年2月8日の講演までにヴィヒュラの著書を読むことが可能だったのかということ。『ダーウィン書簡集・第12巻・1864年』に「付録」として掲載されている「『「エゾミゾハギの三型』の寄贈先一覧」は同年12月に作成されたと判断されるが、そこにヴィヒュラの名がある。また、ダーウィンは1865年2月3日付けのヴィヒュラへの書簡で、贈られた著書を読み終えてから書いたので、礼状が遅くなったと述べている。したがって、ヴイヒュラの著書に刊年が1865と明記されているが、実際には1864年末に刊行されており、メンデルも2月8日の講演までに十分、読む時間があったと思われる。
 ダーウィンは、雑種が不安定で永続性が無いことを証明したものとしてヴィヒュラを引用している。ところがメンデルは、ヴィヒュラがヤナギ属でコンスタントな雑種の存在を証明したとしている。ダーウィンとメンデルでは、ヴィヒュラの研究成果についての解釈が正反対なのである。オルビー(1985)は、メンデルがヴィヒュラを誤読していると指摘している。オルビー(1985)にはヴィヒュラの著書からの抜粋・英訳が掲載されているが、それを見ても、メンデルがヴィヒュラを誤読しており、ダーウィンの解釈の方が正しいと分かる。オルビーによれば、ヤナギ属の雑種ではF2がF1の形を維持するとヴィヒュラが述べているので、これをメンデルはコンスタントな雑種と解釈したらしい。メンデルがコンスタントな雑種に強くこだわっていたことを示すものであり、これこそがエンドウ論文の目的であったといえるだろう。
 ヴィヒュラについての再調査はこれで打ち切り。ダーウィン関係資料を片付けて、メンデル本人にもどることにしよう。

2015年8月17日(月)メンデル研究
 いくらか涼しくなってきたというのに遅々として研究が進展せず、我ながらあきれている。数日前からヴィヒュラについて調べ直している。メンデルはヤナギ属の雑種の研究者として彼に注目しているが、そのヴィヒュラが幕末の日本に来ていることを知った。万延元年に来日したプロシアの使節団に植物学者として参加していた。ネットを検索したところ、ドイツ東洋文化研究所の機関誌(2013年9月号)に、この件についての小論(独文)が掲載されていた。メンデル研究が有名なヒュースケン暗殺事件につながったことが面白いし、ヴィヒュラが身近に感じられるようにもなった。

2015年8月12日(水)二尊院
 カミさんの月参りのお供で嵯峨・二尊院へ。酷暑を避けて4時過ぎに寺に着いたが、嵐山はかなりの人出で、浴衣姿の女性も多かった。二尊院本堂の工事はお盆休み。新しい花が供えられているお墓が多かったのは、午前中に墓参があったのだろう。
 帰途、難波発9時24分の高野線に乗ると、阪神フアンが続々と乗り込んできた。京セラドームの対中日戦が終わったのだろう。その様子で阪神が勝ったと分かる。向かいの席には3歳ぐらいの女の子に赤い縦縞模様の服を着せたお母さんが座っていた。こうして生まれながらの阪神フアンが作られていく。当方の隣には黄色い帽子の年配者。うちにも可愛い孫がいると、スマホで大量の写真を見せた後、阪神と中日についてうんちくを傾けてくれた。
 8月の入ってからは新聞・テレビで戦後70年の特集が組まれ、貧しかった時代を思い起こす。阪神にうつつを抜かすことのできる今がありがたい。ところが惨めな生活を知らないお坊ちゃま総理が、戦争法案を通し、原発を再稼働して日本を滅ぼそうとしている。戦地で、シベリアで、あるいは内地の爆撃で命を奪われた人々の無念を思う。

2015年8月7日(金)メンデルの自筆原稿
 この1週間、エンドウ論文の後半を読んではいるものの、連日の猛暑で集中できない。今日はいつもより頭が動いたので、オレル(1996)も参照し、一応、読み終えたことにする。この間に他の文献にも当たって気になったのが、エンドウ論文のドイツ語テキストの件である。刊行されているドイツ語テキストには、1866年刊行のままではなく、メンデルの自筆原稿に基づいて誤植を修正したものがあるという。
 この自筆原稿はどこにあるのだろうか。手元の資料では分からないのでネットで調べてみた。エンドウ論文の自筆原稿は1911年にブルノ修道院で発見されたが、第二次大戦後に一時、行方不明になった。ソ連の手から逃れるためにドイツに運ばれていたことが分かり、メンデルの遺族とアウグスチノ修道会との間で、さらにはドイツとチェコとの間で所有権を巡るごたごたが起きたが、結局、2012年にブルノのメンデル博物館にもどったという。当面のメンデル研究にはこれだけで十分だが、科学史上のエピソードとして面白い。日本ではほとんど知られていないと思われるので、科学ジャーナリストが取り組む価値があるのではなかろうか。

2015年8月1日(土)メンデル論再開
 連日の猛暑で、一日中、冷房の部屋にいても心身ともにぼんやりしている。それでもメンデル研究を再開しようと、まずはエンドウ論文を読み直すことから始めた。すでに何回も読んでいる文献ではあるが、読むたびに気付くことがある。刑事ドラマでいう「現場百回」と同じだろう。今日はエンドウ論文の前半、口頭発表の第1日分を読み終えた。やっかいなのは後半の方だな。
 今夜は東洋一と言われるPL教団の花火。8時から打ち上げ音が聞こえてきた。家から数軒先の崖から見えるのだが、出て行くのもおっくう。家に閉じこもったままで今日も終わった。

2015年7月30日(木)恐竜研究史
 NHK歴史秘話「恐竜」の問題点を整理し、科学史MLに投稿。これで恐竜研究史は終わり。明日からはメンデル論にもどることにしよう。

2015年7月28日(火)恐竜本
 近大病院眼科の後、桃大へ。試験期間中なので図書館には学生が詰めかけていた。当方の目的は、NHK歴史秘話「恐竜」で気になったことを確認すること。そのために蔵書検索をして気ついたのは、研究史に限っても多数の恐竜本が出ていること。科学史関係では突出しているのではなかろうか。2000年以降に出版されたものに限っても、下記の4点がある。
  キャドバリー『恐竜の世界をもとめて』(無名舎、2001.原書 2000)
  マガウワン『恐竜を追った人びと』(古今書院、2004.原書 2001)
  コルバート『恐竜の発見』(早川書房、2005.原書1968)
  ネイシュ『世界恐竜発見史』(ネコ・パブリッシング、2010.原書 2010)
 コルバートの旧著は別にして、近刊の3点の信頼性の目安となるのが、オーエンによる「恐竜」(dinosauria)の命名についての記述である。従来の通説では、BAASの1841年プリマス大会でオーエンが提唱し、翌1842年刊行の報告書に記載されたとなっていた。しかしトレンス(1992)によって、大会での提唱はなく、報告書にオーエンが加筆したことが明らかにされた。キャドバリー(pp.280. 405/)にはこの件がきちんと記載されている。マガウワン(p.236)にもトレンスが引用されているが、オーエンの学会発表を前提にした文が続くので、原書の校正刷りの段階で挿入したと思われる。お粗末なのはネイシュで、1842年に学会で発表としている。

2015年7月26日(日)堺フィルと本庄智史(ピアノ)
 河内長野市ラブリーホールで堺フィルハーモニー交響楽団の年1回の定期演奏会。アマチュア楽団とはいえ、千円でフルオーケストラが聴けるのはありがたい。その割には大ホールの座席は半分、空いていたのではなかろうか。もったいない。
 このホールで聴いたオーケストラの指揮者を振り返ってみると、昨年7月の「アイーダ」、8月の「ベートーヴェン全交響曲一日演奏会」、先月の「こうもり」、そして今回も井村誠貴であった。曲目は、グラズノフのバレエ音楽「四季」より「秋」、グリーグのピアノ協奏曲、それとフランクの交響曲。それぞれ十分、楽しめたが、ピアノの本庄のアンコール曲、ジャズアレンジの「トルコ行進曲」とパッヘルベル「カノン」が記憶に残った。本庄の独特の風貌も印象的であった。

2015年7月25日(土)テレビ出演
 連日の暑さで何もする気が起きない。22日のテレビ出演についてのジャーナルも、ようやく今夜になって書くことができた。数十年間、音信の無かった知人からテレビで見たと電話があった。ご無沙汰している知人たちには、まだ生きているよという通知になったようだ。
 メールでの連絡などから判断すると、当方が番組全体の構成にも関与しているという誤解もあるようだが、当方はヴィクトリア朝の科学について話しただけで、しかもそのほとんどはカットされている。とはいえ、出演者としては全体の内容が気になるので、再放送(29日14:05)でもう一度、確認しようと思う。

2015年7月22日(水)NHK歴史秘話ヒストリア「恐竜」に出演
 雨の中、散髪に出掛け、銀行で所用を済ませただけなのに、かなりの疲労感。夕食後に寝てしまいたかったが、10時からのテレビを見ないわけにはいかない。どんな構成になっているのか、自分のコメントがどう使われるのか、不安であった。見終わっての感想は、落胆とあきらめ、といったところか。
1)自然神学についての解説がすべてカットされ、結局は、科学と宗教との闘争という通俗的な歴史観による構成になっていた。
2)メガロサウルスが肉食であることにバックランドがとまどったとしているが、これはおかしい。肉食であっても創世記に矛盾することはないし、手元の信頼できる文献にそんな話は載っていない。ディレクターはなんらかの資料でそんな話を拾ったのだろうが、どんな文献に掲載され、その根拠はなにかを調べてみたい。
3)オーエンが1842年に学会で「恐竜」(dinosauria)の名称を提案する姿がドラマ仕立てで紹介されているが、これは二重に間違っている。従来の通説では、オーエンかBAASの1841年大会で口頭発表し、翌年刊行の報告書に記載したとされていた。ところが近年の研究によると、1841年の大会での提案はなく、報告書の原稿にオーエンが書き足したものであった。
4)ダーウィン『種の起源』には恐竜が登場しない。恐竜番組を『種の起源』で締めくくるのは無理だったのではなかろうか。

2015年7月20日(月)Heredity Produced 到着
 7月1日に紀伊國屋に発注した標記の洋書が昨日の午前中に宅急便で届いた。アメリカの古書店からの取り寄せである。古書一覧の中の最も安いものを発注したので汚れ具合が心配だったが、新品同様で書き込みも一切無い。嬉しかった。500ページのハードカバーで、19本の論文が収録されている。その内容の多くは『遺伝の文化史』に取り入れられているが、遺伝概念の成立を研究するためには、いずれ本書を読まねばならないだろう。

2015年7月19日(日)オペレッタ「こうもり」
 河内長野市のラブリーホール・大ホールで市主催の公演。主役のアイゼンシュタインはこのホールでおなじみの武内直紀。管弦楽は井村誠貴指揮・大阪交響楽団。2010年4月10日にここの小ホールで初めて「こうもり」を見たが、この時はピアノだけであった。それでも十分に楽しめたが、今回はフルオーケストラで衣裳や装置も華やかになり、前回とはまるで違う舞台を見るようであった。できることなら、オペラのたぐいは豪華な舞台で見るべきなのだろう。
 今回も前回と同様、日本語上演であったが、やはりアリアなどの歌詞がほとんど聞き取れない。歌の部分は原語(ドイツ語)上演 ・日本語字幕の方が分かりやすい。
 前回とまるで違っていたのが、看守フロッシュ。前回は若手歌手で歌もなく、出番も少なかった。今回はベテランの山中雅弘がたっぷり時間を使った一人芝居で、客と一緒に歌ったり、流行語を取り入れたおしゃべりで笑いを取ったりしていた。「助六」の通人を思わせる演出であった。このオペレッタの骨子も、狂言「花子」、歌舞伎「身替座禅」と似ているのではなかろうか。

2015年7月18日(土)新国立競技場・白紙見直し
 昨日、安倍首相が、新国立競技場の建設計画を白紙にもどすと表明した。各テレビ局のニュースショーでは昨夜も今朝も真っ先にこの件が取り上げられていた。戦争法案を衆議院で強行採決した翌日に競技場問題を取り上げて話題をそらす。マスコミ対策として見事なものだ。戦争法案を通し、原発を再稼働させ、文学部を潰す。日本を滅ぼそうと必死になっているとしか思えない。徴兵制が話題になり出したということは、いずれ、「憲法で禁止していない」といって法制化するつもりだろう。日本の将来に恐怖を抱くが、何もできない。

2015年7月17日(金)嶋大夫と仁左衛門が人間国宝に認定
 豊竹嶋大夫(83)と片岡仁左衛門(71)が重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されることになった。順当な人選だろう。歌舞伎俳優の人間国宝枠には空きがあるはずなので、仁左衛門の認定は当然のことだろう。文楽の太夫はすでに2名(住大夫と源大夫)が認定されているので、嶋大夫は間に合わないかと心配だった。2名とも引退していることが配慮されたらしいが、喜ばしいことではある。次は、咲大夫がいつ綱大夫を襲名し、いつ人間国宝に認定されるかが問題になろう。
 今月は嶋大夫も仁左衛門も大阪の劇場に出演しているが、見に行く予定は無い。出し物に魅力を感じていないためだが、それ以上に、こちらの気力、体力、それと財力の低下が原因なのかも知れない。

2015年7月12日(日)御霊神社
 昨日の帰途、桂駅近くでタクシーが御霊神社の前を通った。本日は疲労で何もする気がなかったが、いくらか気力が回復した午後になって、手元の歴史書やネットで神社のことを調べてみた。京都で御霊神社というと、つい、早良親王(崇道天皇)と結びつけてしまうのだが、昨日の上桂御霊神社は関係がなかった。御霊神社と名乗っていても、祭神は神社によって異なっている。「今宮」も「新しい社」というだけで、祭神は分からない。「御霊神社」や「今宮神社」は、神社の特徴を示さない奇妙な名称ではなかろうか。

2015年7月11日(土)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で二尊院へ。尋常では無い熱気と湿気。とにかく熱中症予防に神経を使った。土曜日のためか、こんな日でも嵐山はかなりの人出であった。

2015年7月10日(金)パワーポイントからワードへ
科学史学会の講演内容をメンデル論の執筆に利用するため、その時のパワーポイントの文字部分を一括してワードにコピーすることにした。同じメーカーのソフトなのだから出来ないはずはないと確信しているが、pptのメニューを探しても、それらしきものが見つからない。ネットでマニュアルを検索して、ようやく手順が分かった。分かってみれば簡単なことだが、ここまで来るのにかなりの時間を空費してしまった。使い方に慣れている人から見れば、何でこんなところでつまずくのか、理解できないのだろう。

2015年7月9日(木)植物学者ルコック
 メンデルがエンドウ論文の序論で言及している先駆者5人のうち、フランスの植物学者ルコックのイメージがつかみにくい。メンデルもルコックの著作を読んだわけではなく、ゲルトナーの著書で知っただけだし、メンデル論に影響しないことではあるが、このままでは気色が悪い。せめてダーウィンの扱いだけでも調べておこうと、7日から3日間、ダーウィン書簡集とダーウィン著作集に当たってみた。ダーウィンはルコックの9巻本の植物地理学書(1854)も、植物雑種論の初版(1845)と第2版(1862)も入手して読んでいる。ダーウィンのすごいところといえよう。これでルコックの名を忘れることもあるまい。
 ルコックといえば、フランスの作家ガボリオが創出した探偵ルコックの方が有名だろう。推理小説の古典を読みあさっていた時期にルコック探偵ものも読んでいるはずだが、何も頭に残っていない。この機会に読み直してみようか。

2015年7月4日(土)『遺伝の文化史』第5章の再読完了
 6月21日(日)からラインバーガーほか『遺伝の文化史』第5章の再読を続けてきたが、ようやく読み終えた。ただ読むだけならこれほどの時間は要しないが、登場する人物や事項、参照文献を確認していたので、実質10日を費やすことになった。内容は、先に述べたように、「世界中に広まった優生学への関心が遺伝の研究を推し進めた」というまとめで間違いないが、若干、敷衍すれば下記のようになろう。

 「工業化に伴う人口転換(出生率低下、都市への人口集中)が国家的危機とみなされ、その解決策として優生学が広く注目されるようになった。1930年前後にドイツや北米で断種法が成立するが、メンデル遺伝学の発展が断種法と結びついていたわけではない。優生学が前提としている「遺伝」は古来の「似たものが似たものを生む」(like begets like.)という観念を越えるものではなかった。優生学は強者による弱者切り捨てのイデオロギーに基づくものであり、本質的には遺伝学との関係は希薄であった。とはいえ、遺伝学は優生学に生物学的な根拠を提供し、優生学は遺伝の研究を推進する力となっていた。優生学と結びついて発展した統計学と系譜学も遺伝研究の推進力となった。なお、19世紀には人種についての研究も盛んであったが、現在では、生物学的な概念としての「人種」は実在しないとみなされている」。

 このように要約できるが、本文にはさまざまな他の話題が盛りこまれ、筋を追うのが楽ではない。たとえば、ハーディ=ワインベルクの法則(1908)の解説の直後に、人類学者のボアズが登場するといった具合である。研究プロジェクトで提供された話題をできるだけ取り上げようとした結果ではなかろうか。個人的にはこの章の最初の部分に書かれているgeneration の語義の変化に興味を抱いた。1800年頃にgeneration の語義が「産出」から「世代」に変化し、これが遺伝の概念の誕生に関係していた、という。発注している『「遺伝」概念の誕生』が届いたら、真っ先に、この件についての論文を読んでみたい。

2015年7月1日(水)洋書発注
 ラインバーガーほか『遺伝の文化史』第5章の再読を続けているが、その過程で、同書の著者たちが編者を務めている論文集(Heredity Produced. 2007)を読みたくなり、思い切って発注することにした。タイトルの邦訳は、『「遺伝」概念の誕生』としておこう。生物学的な「遺伝」の概念の成立を探るためには、必読の文献と思われる。とはいえ、現役時代とは違って価格によってはあきらめなければならない。アマゾンで検索すると、新刊書が7千円台なのに、古書だと1万円とか2万円の値になっている。なぜ古書の方が高額なのか理解できない。紀伊國屋のサイトでも同様だったが、古書で1点だけ3千円台があったので、発注することができた。海外からの取り寄せなので到着まで時間が掛かるが、手に取るのが楽しみである。

2015年6月28日(日)景山誠治・裕子夫妻のヴァイオリンコンサート
 河内長野市ラブリーホールで一市民が主催する標記のコンサートがあった。ピアノは誠治の実姉の向山かおる。最初は誠治のヴァイオリンで、ベートーベンの第5番「春」。たまたま前日のNHKテレビ「らららクラシック」を見て、それまでピアノが主役であったヴァイオリンソナタでヴァイオリンにピアノと対等の役割を与えたのがベートーベンだったと知った。第9番「クロイツェル」第1楽章が紹介されたが、さすがに神尾真由子のヴァイオリンはピアノ(ミロスラフ・クルティシェフ)の強い響きに負けていなかった。「勧進帳」の山伏問答を連想させるものだった。
 そのイメージを抱いたまま今回の演奏を聴くと、誠治のヴァイオリンが物足りない。この曲に限らず、誠治は一貫して気楽に取り組んでいたように思える。女性二人の演奏に不満は無かったが、主軸の誠治がこれては満足感が得られない。最後のモンティ「チャールダーシュ」も2012年3月の瀬崎明日香の方が楽しかった。
 帰宅後、ネットで検索してみると、この三人で頻繁にコンサートを開いている。普段はもっと充実した演奏会なのかも知れないが、今回は誠治に共演者がファミリーであるゆえの甘えがあったと思う。古典芸能では許されないことだ。

2015年6月25日(木)一瞬の命拾い
 田中整形外科に行くため、国道沿いのバス停「三日市駅筋」でバスのステップを降り始めたとき、目の前をバイクが疾走していった。バスを追い抜こうとして狭い歩道を走ったのである。当方がもたもたせずに0.5秒、早く降りていたら、バイクに飛ばされて命を落としていた可能性がある。老人の鈍重な動きが命を救ったことになる。なんでもない日常の中に死が潜んでいることを、改めて実感した。バイクの若者はいずれ、とんでもない事故を起こすことだろう。

2015年6月22日(月)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で京都嵯峨の二尊院へ。夏場の平日なので、さすがに嵐山の人出は少ない。二尊院を訪れる人も少ない。ときおり、本堂の工事と石垣修理の音が響いていた。曇り空で日差しが弱かったのが救いだったが、体調は良くない。気温が上がって血圧が下がっているのだろう。ふらふらした感覚のまま一日が終わった。

2015年6月21日(日)『遺伝の文化史』第5章の再読開始
 ラインバーガーほか『遺伝の文化史』について『科学史研究』に投稿した書評では、 第5章「遺伝、人種、優生学」の内容を、「世界中に広まった優生学への関心が遺伝の研究を推し進めた」と述べただけだった。投稿原稿を読んでくれた科学史家の一人から、簡単に過ぎるのではないかといわれた。当方の関心は学説史にあるので、外的科学史の部分は簡単に済ませてしまう傾向がある。投稿原稿を書き直すことはしないが、通史執筆のためにも優生学や人種論について、しっかりまとめておく方が良いだろうと、第5章を再読し、整理することにした。

2015年6月19日(金)収録資料の片付け
 まだ体調は芳しくないが、テレビ収録のために準備した資料を片付けるため、桃大図書館に出掛けた。ついでにヴィクトリア朝の他の本もいくつか確認しておいた。オーエンの著作やBAASの報告書などをじっくり読んだら面白いだろうとは思うが、今はその余裕が無い。暢気にこうした本を読んでヴィクトリア朝研究の肉付けをしていくという道もありうるが、今のところは、まともな生物学史通史を書かねばならないという使命感が勝っている。
 帰宅後、メールを見ると、NHKの担当者から、放映は7月22日(水)22時からに決定したとの連絡があった。恐竜がテーマなので、夏休みに入った学生たちにも見てもらいたいのだろう。一斉メールの宛先7件のうち、当方以外の6件は博物館などの恐竜関係者であった。その中で、当方の話がどのように位置づけられているのか、不安ではある。

2015年6月17日(水)収録疲れ
 久しぶりのテレビ出演で緊張が続いたためだろう、心身ともに疲れて何もできない。またしても数独で時間を過ごした。NHKから取材申し込みがあったのが、学会発表が終わって5日目。発表と収録が重ならなくて、本当に良かった。二三日のんびりしたら、メンデル論の執筆に取りかかろう。

2015年6月16日(火)テレビ収録
 午前中は近大病院眼科で過ごし、午後は桃大へ。図書館の一室を借りてのテレビ収録である。NHKの「歴史秘話ヒストリア」で、テーマは恐竜。恐竜は当方の専門外だが、恐竜ブームの発端となったヴィクトリア朝の科学の特色について語ってほしいとのことだった。インタビューには原稿を用意せず、ほとんどぶっつけ本番で臨んだので、うっかりミスのないことを願っている。ブリッジウォーター論集や『種の起源』なども撮影していった。番組の全体像がどうなっているのか、また、当方のコメントがどのように使われるのかも分からないので、放映予定の7月15日(水)は期待と不安で迎えることになるだろう。この番組で、少しでも科学史への関心が高まればよいのだが。

2015年6月12日(金)収録準備
 朝、散髪に出掛け、そのまま桃大へ。来週のテレビ収録に備え、図書館でブリッジウォーター論集や『種の起源』などを運び、整理しておいた。念のため、オーエンの著書なども用意した。近年のリプリント版だけでなく、19世紀のオリジナル版もかなりある。現役の時に古書を探して購入し、退職時に図書館に寄贈したものが役に立つ。

2015年6月11日(木)自著再読
 テレビ収録に備えて、『ダーウィンの時代』や『ダーウィン前夜の進化論争』の関連部分を読み直した。忘れかけている所も多いが、我ながら、なかなか良い仕事をしている。この歳になったら、自画自賛も許されるだろう。

2015年6月10日(水)役に立たない学問
 文科省が国立大学に、文学部などは役に立たないから廃止も検討せよと通知したという。情けない。今の政権の無知無能を象徴している。「すぐ役に立つ」ことは専門学校や私立大学に任せ、せめて国立大学は国家百年の計のもと、「すぐには役に立たない学問」を担うべきだろう。

2015年6月9日(火)テレビ取材
 朝、北野田の日野歯科医院で半年ごとの検診を済ませ、桃大へ。NHKテレビの取材に備えて、ブリジウォーター論集などを用意し、2時から番組制作者と面談した。制作者の意向も当初の企画書から変わり、こちらの考えを取り入れてくれていた。当方も納得できる番組になるだろう。やや専門外の部分もあるので、来週の収録に合わせて準備しておく必要がある。久しぶりのテレビ出演になるので、心身の活性剤になっているようだ。

2015年6月6日(土)奈良町
 半ばカミさんのお供で奈良町へ。近鉄奈良駅に着いたのは3時。観光案内所で車椅子を借り出し、案内所から勧められたとおりにタクシーで福智院へ。丈六の本尊・地蔵菩薩坐像は見応えがある。若住職夫妻の応対も心地よい。カフェ「カナカナ」で一休みした後、元興寺へ。本堂に上がり、収蔵庫で五重小塔を見ているうちに5時近くになったので、車椅子を押して街中をぶらぶら。5時を過ぎるとほとんどの施設がしまっているが、吉野葛の「佐久良」が開いていたので一服。ここも5時半閉店だった。タクシーで近鉄駅前にもどり、案内所に車椅子を返却して難波へ。単独行動ならカフェなどに寄らず、あちこち見て回るのだが、奈良町特有のカフェの雰囲気を知るのも悪くない。とはいえ、本日の収穫は福智院のお地蔵さんであった。

2015年6月5日(金)テレビ取材
 午前中に生物学史の仲間から届いた郵便で、学会講演「メンデルは遺伝学の祖か」の発表資料を送ってほしいとの要請があった。こういう反応があるのだから、学会発表もそれなりの意味はあったといえよう。午後にはテレビ局からダーウィンに関しての取材申し入れの電話があり、後日、桃大で会うことにした。本日は家事手伝いでほぼ一日が終わったので、夜になって、番組制作者の企画書に目を通した。科学と宗教との関係など、こちらの考えとの食い違いが大きい。最終的にどうなるか、話し合ってみないと分からない。

2015年6月1日(月)学会疲れ
 真夏並みの暑さは続くし、昨日の外出の疲れもあって、一日中ごろごろ。数独で頭の体操。研究に一区切り着いたので、ま、いいか。

2015年5月31日(日)科学史学会
 早朝に家を出て、杉本町の大阪市大へ。久しぶりに科学史の仲間たちと会えて楽しかった。講演「メンデルは遺伝学の祖か」の反応は上々。自信を持ってペーパーに取り組もう。今年度の年会は大阪で開催されたので、良いタイミングで研究発表をすることができた。来年度は東京開催なので、出席は難しい。

2015年5月30日(土)配布資料印刷
 科学史学会年会が始まっているが、本日は生物学史関係の講演がないので欠席し、桃大に出掛けて、明日の講演の際の配布資料を印刷してきた。配布資料を1枚に止めるため、A3表裏でスライド24枚としたが、我が家ではA3の印刷ができない。土曜日なので教員もほとんどおらず、図書館にも人影が無かった。

2015年5月29日(金)学会プログラム
 今日は一段と暑かったのではなかろうか。体がだるくて、ほとんど寝転がっていた。それでも学会発表用のpptファイルをUSBメモリに入れ、年会プログラムを確認した。当方の発表は31日(日)11時20分からだが、メモリを会場まで持参するため、9時前には阪和線杉本町に着かなければならない。現役の時なら慣れた時間帯だが、退職7年後の今は、ちと、つらい。

2015年5月28日(木)スライド修正
 文献を読み直し、スライドを点検した。削除したスライドもあるが、どうしても内容を膨らます方向の修正になってしまう。最終的に15分で33枚とは多すぎるが、適当に端折ってしゃべればよかろう。

2015年5月27日(水)スライド作成
暑い日が続き、うんざりしながらも「メンデルは遺伝学の祖か」のpptスライド作成を終えた。予定よりも早く済んで、ほっとした。明日、見直して、完了としたい。スライドを作成することで、ここまでに調べてきたことを整理できた。細部にこだわらず、今の段階でペーパーにしても良いかもしれない。学会での反応を見て考えよう。

2015年5月23日(土)スライド作成に着手
 科学史学会年会まで1週間となったので、「メンデルは遺伝学の祖か」のpptスライド作成に着手。しかし、一日中、倦怠感と疲労感に襲われ、予定の箇所まで行かなかった。それでも発表時間15分だから、スライド枚数も限られるので、なんとか間に合うであろう。

2015年5月19日(火)大学図書館
 昼過ぎに桃大図書館へ。メンデル論関連の雑誌論文をコピーし、オレルのメンデル伝などを借り出してきた。図書館にいたのは30分の休憩を含めて4時間。今やこのくらいが作業時間の限界になってきたようだ。

2015年5月17日(日)大阪都構想否決
 いつものことだが、外出した翌日は疲れてぼんやりしている。夜になって、大阪都構想の住民投票の開票速報を見ていた。出口調査で「賛成」が辛勝と報じるテレビ局があり、事実、途中まで「賛成」がわずかに勝っていた。ほとんどあきらめていたが、最終段階で「反対」がわずかに勝った。やれやれ、よかった。都構想そのものよりも、橋下市政への不信である。文楽の価値を認めないような人物が大阪市長を続けることに怒りと不安を持ち続けていたが、今年の12月で辞めるという。今度は人気取りの思い付き政治家ではなく、バランス感覚のあるまともな人物が出ることを期待したい。

2015年5月16日(土)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で二尊院へ。朝のうちは雨で、一時は土砂降りだったが、午後は晴れという天気予報を信じて出掛けた。予報通り、昼前から雨は上がった。気温も下がり、外出日和であったが、電車も嵐山も混雑していなかった。朝の雨のせいであろうか。二尊院の本堂は修理中のため網目の幕ですっぽり覆われているが、近くに新設した小屋の中に二体の本尊の大きな写真があり、参拝者はそれに手を合わせていた。前回(4月16日)の境内はすがすがしい新緑であったが、その緑も大分、濃くなっていた。

2015年5月15日(金)遺伝学史
 12日(火)に台風6号が襲来し、本日は真夏の暑さ。頭の働きも鈍る。それでもなんとか、C.Lopez-Beltran(2004)を読み終えた。12日と本日で延べ2日掛かった。その前のF.Churchill(1987)は7日から11日の間で延べ4日を要した。.Lopez-Beltran(2004)は、19世紀前半に歴史上初めてフランスの医学者たちが遺伝に注目するようになった経過を追う。Churchill(1987)は、1885年を境にドイツで遺伝が独立した生物学的過程とみなされるようになった経過を追う。どちらも当時の文献を綿密に検討しており、集中しないと理解できない。現在の体力・気力では長時間、読み続けるのが難しい。生物学的な遺伝の観念が19世紀に確立する過程について、近年、多くの論文が出ていることを思い知らされた。生物学史としてはメンデル論よりも、はるかに重要なテーマといえるだろう。これを見過ごしていたのが、我ながら情けない。

2015年5月9日(土)高野山
 難波駅近くで不発弾処理があるため、朝のうち、難波・堺東間の南海高野線が止まったので、さぞかし高野山は空いているだろうと出掛けてみたが、当てが外れた。電車もお山も前回(4月22日)より混雑していた。食堂はどこも店外まで行列で、昼食を取るのも一苦労だった。奥の院の後、今回は霊宝館を訪ねた。本館の展示は運慶の八大龍王像のほかは関連神社の神宝が中心であった。快慶の孔雀明王像や空海の真筆などは新館に展示されており、危うく見落とすところであった。
 前日まで、本日の高野山の天気予報は曇りだったが、今朝の予報では雨に変わっていた。明日に延期しようかとも思ったが、なんとかなるだろうと出掛けてみた。予報通り、お山は一日中、小雨で、霊宝館にいた時間帯にはかなり激しい降りになっていた。しかし、現地で聞いた話では、明日、10日には辯天宗による慶讃法要が執行され、辯天宗の信者だけでバス100台、6,000人が来るという。天気も回復して一般客も殺到し、大変な混雑になるだろう。結果としては、本日、出掛けたのが正解であった。
 大日如来の真言宗と弁財天の弁天宗では教義に決定的な違いがあるはずなのに、両者が良好な関係にあるというのが面白い。

2015年5月7日(木)メンデル論再開
 毎日が休日の当方にとっては大型連休も関係無いのだが、なんとなく世の中につられて、のんびりし、仏像や古代史の本を読んですごした。さて、世間並みに気を入れ替えて、月末の学会発表の準備にとりかかろう。まずは未読の関係論文をいくつか読まねばならない。

2015年5月2日(土)書評受理
 『科学史研究』の書評担当者から原稿受理のメールが届いた。ただし、書評原稿がたまっているので、掲載は来年の1月刊行号になるという。7月は無理でも10月刊行号には掲載されるだろうと期待していたが、やむを得ない。

2015年5月1日(金)新薬師寺
 散髪のため外出したついでに、奈良の新薬師寺へ。近鉄奈良駅前からの循環バスは外国人観光客で混雑していたが、ほとんどが春日大社前までに下車し、「破石町」で下車したのは一人だけだった。真夏のような暑さの中、バス停からお寺までの徒歩10分が長かった。ここまで来ると静かで、参拝者も日本の高齢者ばかりだった。
 本堂の正面は閉ざされ、横から入るようになっていて、中は薄暗く、目が慣れないと仏像もよく見えない。この新薬師寺には50年ほど前の学生時代に訪れたことがあるが、その時は本堂の正面が開いていて、仏像群もはっきり見えたと記憶している。文化財保護のためには現在の方式が正しいのだろう。
 新薬師寺というと国宝の十二神将で知られるが、本尊の国宝・薬師如来坐像がいい。彫刻としては十二神将の躍動感が高く評価されるのだろうが、仏像としては本尊の量感とまなざしに魅せられた。境内も整備されており、庫裏の畳の部屋ではビデオを見ることができる。参拝者にゆっくりしてもらう配慮が感じられた。
 バスで駅前にもどり、いつものように興福寺の国宝館と東金堂、さらに今回は、特別開扉中の北円堂に立ち寄ってきた。

2015年4月29日(水)ラインバーガーほか『遺伝の文化史』書評送稿
 昨日から、書き上げた書評を見直し、かなり削除して短くした。さらに何度か見直し、その度に修正を加えてきたが、切りがないので、本日、『科学史研究』の編集担当にファイル添付で送稿した。最後の一節だけコピーしておこう。
 「本書は従来の遺伝学史とは違って、19世紀に生物学的な遺伝の観念が確立する過程に力点を置いている。メンデルを遺伝学の祖とするメンデル神話から解放されており、これからの遺伝学史のあり方を示す著書といえよう。近年の遺伝学史研究の成果がまとめられており、本稿では紹介できなかった数多くの新知見を知ることができる。ただし、本書が想定している読者は遺伝学の歴史を一通り心得ている知識人であり、一般向きの著書ではない。たとえば1900年を「奇跡の年」と呼ぶだけで、いわゆる「再発見」について一切、説明がない。本書は、生物学史家、あるいは生物学を足場とする科学社会学者らが遺伝学史研究の現状を理解するのに絶好の著書である」。
 とにかくこれで、4月に予定していた作業は終了。つぎは、5月31日の学会講演「メンデルは遺伝学の祖か」のパワーポイント・スライド作成に取り組まねばならない。

2015年4月27日(月)『遺伝の文化史』書評
 昨日から、第5章「遺伝、人種、優生学」を後回しにして、第6章「遺伝学の成立」を再読し、本日、読了。4月末という自分で決めた期限が迫っているので、第5章と、第7章「遺伝と分子生物学」、および第8章「遺伝子工学、ゲノミクス、ポストゲノミクス」の再読は省略し、一応、書評を書き上げた。後は、欧文誌掲載の書評を参照し、原稿を再検討して、送稿しよう。

2015年4月24日(金)『遺伝の文化史』第4章
 第4章「最初の総合」を再読。この章ではダーウィンのパンジェネシス(1868)を嚆矢とする19世紀後半の思弁的な遺伝学説を扱っているが、その冒頭で、遺伝の観念を確立する上でダーウィンの『種の起源』(1859)が決定的な役割を果たしたとしている。当時、自然選択説が広くは受け入れられなかったという事情を考慮すると、遺伝について『種の起源』を過大評価しているのではないかという不安がある。しかし書評では著者の考えをそのまま伝えればよかろう。

2015年4月22日(水)高野山
 好天に誘われて高野山へ。開創1200年大法会の最中なので、奥の院も壇上伽藍も団体客で賑わっていたが、予想していたほどの混雑では無かった。

2015年4月20日(月)『遺伝の文化史』第3章
 なんだかんだと他の事に追われ、『遺伝の文化史』に取り組むのは8日振り。第3章前半を再読した。この章では、法律、医学、自然史、それぞれの分野で19世紀に遺伝への関心が高まる経過を追っているが、法律分野と医学分野についての記述は散漫に思われる。重要なのは後半の自然史分野であろう。
 今月中に書評を書き上げるとすると、残るは10日。集中しなければならない。

2015年4月17日(金)慈尊院ご開帳
 朝のうちは怪しげな空模様だったが、昼頃には絶好の外出日和となった。秘仏本尊ご開帳の女人高野・慈尊院を訪れるため、九度山へ出掛けてみた。高野山は別として、南海高野線の橋本より先の駅に降りるのは初めてだと思う。
 九度山駅まで行けば何とかなるだろうと、地図も持たずに出掛けたが、駅には観光案内のたぐいが何も置いてない。仕方ないので適当に見当を付けて街中を歩いて行ったら、案の定、道に迷った。ほとんど人に出会わないので、車の人に聞き、聞き、丹生橋までたどり着いた。ここからはぞろぞろと慈尊院に向かう団体客がいるので、迷うことはない。帰りは丹生橋から県道を歩いて駅に向かったが、車が多く、歩行者には嫌な道である。遠回りでも街中を歩く方が良い。時間の余裕のある一人旅なら、道に迷うのも悪くない。
 慈尊院にはバス利用の団体客が入れ替わり訪れていた。国宝の秘仏本尊・弥勒菩薩坐像は本堂からご開帳用のお堂に移され、通路から拝観するようになっていた。暗いお堂の中の仏像までかなりの距離がある。目の良い人には仏の目や口元も見えているらしいが、当方はなんとか外形が判別できる程度だった。写真だけでなく、とにもかくにも実物を拝したということで、自分を納得させるしかない。
 九度山といえば一般的には真田庵の方が有名だが、さして興味が無いので立ち寄らなかった。ところが帰宅後、真田庵には見事な牡丹園があって、今が見頃であることを知った。近くを通ったのに、うかつだった。まさに、「少しのことにも先達はあらまほしきことなり」だったな。

2015年4月16日(火)嵯峨・二尊院
 カミさんの月参りのお供で二尊院へ。修理中の本堂は足場ごと網目のカバーで覆われ、外形がほとんど見えなくなっていた。そのためか、訪れる人も少ないが、今は新緑が美しい。

2015年4月14日(火)桃大図書館
 朝早くに近大病院眼科に出掛けたついでに、桃大へ。名誉教授室の中が一変し、個人別のロッカーが無くなっていた。説明文もなく、問い合わせ先も分からないので、しばし茫然としていた。さいわい、同室者の一人が入ってきたので事情が分かった。名誉教授の数が増えたのでロッカーは別室に移されたとのことだった。使い勝手が悪くなったが、やむを得ない。
 図書館では、遺伝学史関係の文献をコピーするなどしているうちに疲れが出て、予定していた作業の半分もできなかった。新着の科学史関係の洋雑誌には興味を引く論文もいくつかあった。ハーヴィーへの魔術(錬金術・占星術)の影響を論じたBJHSの論文もその一つである。しかし今は禁欲、『遺伝の文化史』書評とメンデル論に集中しなければならない。

2015年4月12日(日)『遺伝の文化史』第2章
 第2章を再読し、内容紹介の執筆を終えた。第2章では遺伝を無視した18世紀までの発生論を概観している。遺伝の観念は日常的な直感から生まれたのではなく、19世紀に生物学者が目に見えない胚種(germ)の能力を考察する中で生まれ、これによって生物学はアリストテレスの伝統から脱皮した、という。実験と進化論を近代生物学成立の要件とみなす科学史家が多いが、釈然としないものを感じていた。遺伝の観念に注目するのは妥当かもしれない。
 著者はハーヴィーの発生論を論じる中で、ハーヴィーは生物の誕生と死を季節の変化という宇宙論的な「循環」と関連づけており、その血液循環論にも万物循環の考えが反映していたという。ハーヴィーの基本的立場に万物循環論があったという指摘には留意しなければならないだろう。

2015年4月11日(土)『遺伝の文化史』書評・執筆開始
 ラインバーガーほか『遺伝の文化史』の再読を8日から開始し、序論に相当する部分の執筆を終えた。本書には、「知識体制」(knowledge regime)、「認識空間」(epistemic space)、「認識対象」(epistemic object) といった耳慣れない用語が登場するが、有効に働いているとは思えない。こうした用語のために、かえって分かりにくくなっているように思える。とはいえ、書評としては著者が重視していることは紹介せざるを得ない。こうした点に疑問はあるが、本書にはいろいろと学ぶところが多い。第2章以降を読み進めるのが楽しみである。

2015年4月7日(火)文楽4月公演
 国立文楽劇場、第1部。最初の「靫猿」では5丁の三味線が耳元で鳴るのを楽しんだ。次が吉田玉男襲名の「口上」。挨拶をするお歴々の背後に、玉男門下の人形遣い13人がずらりと並んだ。こんな口上を見たことがないので、いささかびっくりした。それ以上に気になったのが、挨拶のメンバー。大夫と三味線は長老の嶋大夫と寛治が出ているのに、人形は簑助と文雀ではなく、襲名者と同世代の和生と勘十郎であった。どんな裏事情があるのか、気になる。
 襲名披露「熊谷陣屋」では切の咲大夫に堪能した。熊谷の人形はどうしても先代と比較してしまうので、物足りなさがある。最後の「三十三間堂」では、津駒大夫と寛治で聞かせる木遣り音頭を楽しんだ。
 座席は満席に近かったろう。当方の隣の席は、なんと92歳の女性であった。もちろん、連れはいたが、トイレには一人で行っていた。口上の時には、「簑助さんが出ていない」とつぶやいていた。だれだって疑問に思うよ。それはさておき、当方も一人で文楽を見に行く元気をいつまでも保ちたいものだ。
 とにかく文楽は楽しい。次は夏の「生写朝顔日記」。

2015年4月6日(月)『遺伝の文化史』の周辺
 この1週間は体調の良いときにラインバーガーほか『遺伝の文化史』の関連事項を断続的に調べてきた。まず、2月に同書を通読したときにマークしておいた参照文献の有無を確認し、入手すべきものをリスト・アップした。とくに著者が頻繁に言及するフーコーと、その影響下で書かれたとされるジャコブ『生命の論理』は無視できない。また、同書はマックス・プランク科学史研究所(ベルリン)の研究プロジェクト「遺伝の文化史」(2001-2011)の成果を基礎にしているので、同プロジェクトの概要を確認した。同書の英語版ハードカバーは2012年に刊行されているので、すでに多くの書評が発表されている。その所在を調べ、いずれ入手しやすいものには目を通したい。これで準備終了、書評執筆に向けて努力しよう。

2015年4月4日(土)猫グッズの処理
 不用になった猫グッズの多くは、猫の多頭飼いをしている知人が引き取ってくれることになり、ほっとした。ハナが亡くなって1週間になるが、まだ、一瞬、飲み水は大丈夫かと心配したり、スーパーでハナのフードを買おうとしたりする。それだけハナの世話が生活の一部になっていたのだろう。

2015年3月30日(月)ハナ遺体の引き渡し
 朝、市役所に電話し、午後、ハナの遺体を引き取りに来てもらった。土曜日に亡くなったので、2日間、家で見守ってやることができた。

2015年3月29日(日)予稿を送信
 5月末に日本科学史学会年会で発表する「メンデルは遺伝学の祖か」の予稿を大阪市大の準備委員会に送った。今や学会の準備もすべてネット利用になってきた。この後、2日ほどは文献を整理し、4月は『遺伝の文化史』の書評を執筆し、5月に入ったら「メンデルは遺伝学の祖か」のパワーポイント作成に取り組むことにしよう。

2015年3月28日(土)三毛猫ハナ昇天
 早朝6時にハナの様子を見に行くと、すでに息が無かった。ストーブの前なので体は温かかったが、死後硬直が始まっていた。夜の1時頃は生きていたので、2時頃に息を引き取ったのだろう。
 一昨日は元気だったのに、昨日は朝からストーブの前で横になったまま、飲み食いもせず、トイレもない。それでも夕方には水を飲み、スープのフードも少しは口にし、垂れ流しではあるがオシッコも出た。2日続けての医者通いはこちらの体力が持たないので、夜が明けたら朝一番でお医者さんに行こうねと言っていたが、それを待たずに逝ってしまった。
 三毛猫ハナ(華子)は、1994年3月14日に我が家で生まれ、外の世界を知らない箱入り娘として育った。21年間、ハナがいるのが当たり前の生活だったので、これから寂しくなるだろう。我々の歳を考えたら、もう猫を飼うことはできない。これから残された猫グッズを処理するのが一仕事になりそうだ。

2015年3月27日(金)科学史学会年会予稿の作成
 5月末の日本科学史学会年会で発表する「メンデルは遺伝学の祖か」の予稿を書き終えた。2014年10月18日に記した下書きを修正、拡充して仕上げたが、細かな部分を気にし出すと切りが無い。一応、打ち切り、念のため、もう一度見直して、今月中に送信しなければならない。

2015年3月26日(木)動物病院
 老猫ハナを連れて千代田動物病院へ。目に見えて体力が落ちてきたが、いつものように抗炎症剤を注射して帰ると、いつものように食欲回復し、機嫌良くフードを食べてくれた。

2015年3月23日(月)枚岡神社
 散髪に出たついでに難波から足を伸ばした。といっても体力も時間も奈良まで行く余裕がないので、近鉄線を枚岡駅で下車し、河内一宮の枚岡神社に詣でてきた。駅前からいきなり登りの参道になっているが、予想していたほどの距離ではなかったので助かった。摂津一宮の住吉神社や和泉一宮の大鳥神社ほどではないが、大きさを感じる神社であった。ここが中臣氏本来の氏神だったということは、この近辺が中臣の根拠地だったのだろうか。大和から暗峠を越えて河内に入ったところに位置しており、交通の要所を押さえる役割もあったのだろう。
 神社に隣接した府営平岡公園に有名な梅林があるとは知らなかった。ほとんどの花は終わっていたが、それでもかなりの人々が観梅に訪れていた。最盛期には大変な人混みになるのだろう。こういう名所があることも、行ってみなければ知らないままだったかも知れない。

2015年3月22日(日)嵯峨・二尊院
 カミさんのお供で京都嵯峨野の二尊院へ。スプリングコートで出掛けたが、それでも暑いくらいのぽかぽか陽気であった。渡月橋から続く人混みの中に着物姿の女の子をちらほら見かけた。法輪寺への十三参りらしい。数え年13歳の小学6年生が中学進学前にお参りを済ませたのだろうか。
 この日、二尊院では「小倉あん発祥地顕彰式」が開催され、小倉ぜんざいのふるまいもあったのだが、残念ながら我々が着いた時には終了していた。お寺の本堂は屋根まで巨大な足場に覆われ、重機も待機していた。大がかりな修復工事で、来年の9月までかかるというのも、もっともな気がした。

2015年3月21日(土)久しぶりのメンデル
 オレルのメンデル伝(1996)の第5章「研究者としてのメンデル」における文献紹介に目を通す。1900年以来のメンデル評価の変遷を御大オレルがどう理解しているか、興味深い。メンデルに取り組むのは3週間ぶりになるが、つくづく科学史は面白いと思う。

2015年3月16日(月)中村禎里さんの会
 14日のジャーナルにシンポジウム「中村禎里と冷戦期日本の生物学史研究」がこの日に開催されると書いたが、正しくは15日(日)開催であった。本日、鈴木善次さんからのメールで、会の様子を知ることができた。いずれ刊行される『生物学史研究』の特集号が楽しみである。とくに小松美彦さんが作成したという禎里さんの詳細な年譜に期待している。

2015年3月14日(土)三毛猫ハナ21歳
 ハナが無事、21回目の誕生日を迎えた。今日も元気にしていたが、1年前に比べればじわじわと体力が落ちてきている。ハナばかりで無く、世話をするこちらの体力も落ちてきている。22歳の誕生日か迎えられるだろうか。
 3月に入ってから疲労感が抜けず、メンデル研究がまったく進展していないのも、困ったものだ。
 本日は東京で、シンポジウム「中村禎里と冷戦期日本の生物学史研究」が開催されている。年金生活の中で旅費を工面するのは困難なので、欠席せざるを得なかったのが残念である。

2015年3月11日(水)確定申告書郵送
 今日もまた青空と雪が何度も入れ替わり、強い風も吹く寒い一日であった。その中を隣町の郵便局まで出掛け、確定申告書を発送。ついでに向かいのスーパーで老猫ハナのために刺身とキャットフードを購入。ハナの食事は順調になったが、こちらは寒さの中を3日連続の外出で、疲れた。

2015年3月10日(火)桃大図書館
 朝はまず、近大病院眼科へ。昼過ぎには和泉中央に出て、駅前のヤマダ電機でプリンターのインクを購入。さすがに古い機種のものでも置いてある。この後、半年ぶりに桃大へ。春休みのため図書館は閑散としていたが、今日は文献探索をしている余裕がない。青空が広がっているのに、急に雪となり、また青空になる。そんなことを繰り返しているので、早めに帰宅するのが無難であろう。帰宅後はハナのご機嫌をうかがいながら、確定申告書を印刷し、郵送できる形にして、まずは一件落着。

2015年3月9日(月)動物病院
 冷たい雨の中を老猫ハナを連れて千代田動物病院へ。口内炎がかなり悪化しているとのことだが、その割には頑張って食べてくれていた。いつものように抗炎症剤を注射。本日は帰宅直後とはならなかったが、夜にはフードをもりもり食べるようになっていた。

2015年3月8日(日)確定申告書作成
 国税庁のシステムを利用して確定申告書を作成。直ちに印刷し、明日、投函する予定だったが、なんとプリンターがインク切れになっていた。インクの買い置きがあると思い込んでいたのが間違いだった。古いプリンターなので、インクも大型店に行かなければない。結局、今年も期日ぎりぎりになっての申告書提出になってしまう。

2015年3月7日(土)医療費明細書
 丸一日掛けて昨年の医療費の明細書を作成した。毎年、申告書作成の中で最も手間の掛かる作業になっている。所得税の源泉徴収分が医療費控除によって還付されるのだから、最も重要な作業ともいえる。

2015年3月5日(木)外科医の師カレルと弟子ヴォロノフ
 夜、NHKBS 「フランケンシュタインの誘惑、科学史・闇の事件簿」を見る。外科医カレルの業績を追ったものである。番組表などでは芸能人の名前が羅列されているだけだったので、あまり期待していなかったが、放送では二人の研究者が中心になっており、予想以上にしっかりした内容になっていた。STAP細胞については一言も無かったが、明らかにこれを意識して作成された番組であった。
 番組案内や番組冒頭の説明では、「不死の細胞」という考え自体がナンセンスだったと受け取られかねないと思う。カレルの組織培養実験に問題があり、体細胞にはヘイフリック限界があるにもせよ、幹細胞や、がん細胞、それと細菌類は「不死の細胞」といえるはずである。この点を番組の最終部分でもっと丁寧に説明するべきではなかったろうか。
 1月19日のジャーナルで言及した外科医セルジ・ヴォロノフ(Serge Voronoff, 1866 - 1951)はリヨン時代のカレルの弟子であり、移植技術はカレルから学んだものだった。それだけでなく、精力回復という目的や、社会の注目を集める態度も師カレルの影響によるものだったのだろう。
 ホームズ、ヴォロノフ、カレル、STAP細胞、と連想できるので、シャーロック・ホームズとSTAP細胞がつながったとするのは、無理かな。

2015年3月3日(火)ジャーナル執筆
 夜になってから1週間ぶりにジャーナルまとめ書きができた。ジャーナル執筆を予定していても、ハナのリンゲル輸液を終えるのが11時ころになり、疲れて後は寝るだけ。ジャーナルは明日でいいやと、先送りを繰り返してしまう。公開のジャーナルを書く限りは、もっと、まめでなければいかんだろうな。

2015年3月2日(月)文楽4月公演の予約
 本日は国立文楽劇場4月公演の友の会会員先行予約日なので、10時になると同時にインターネットで席の確保を試みた。最初に検索した4月8日(水)昼は、床直下の席ばかりでなく、ほとんどの席が埋まっていた。大きな団体が入るのであろうか。日にちをずらしてやり直したら、2度目でいつもの席が確保できた。今回は典型的な見取り公演なので、あまりときめかないのだが、久しぶりの文楽を楽しんでこよう。

2015年3月1日(日)『遺伝の文化史』読了
 今日も家事手伝いと老猫ハナの世話で一日が終わってしまったが、2月末までの読了を予定していた『遺伝の文化史』の第8章「遺伝子工学・ゲノミクス・ポストゲノミクス」の後半が残っている。夜になってまだ気力があったのでコーヒーで気合いを入れ、深夜の2時までに読み終えた。手書きの作業ノートを見ると、1月26日から読み始め、延べ20日を費やしていた。時間が掛かりすぎているが、現状ではやむを得ない。メンデル研究を中断しての作業だったが、それだけの価値はあった。中世の相続法の問題から、2000年代のゲノミクスに至るまで、丹念に調べている。書評執筆のためには再度、読み直し、部分的に精読しなければならないが、しばし時間をおいてからにしよう。

2015年2月26日(木)『遺伝の文化史』第7章
 ようやく、ラインバーガーほか『遺伝の文化史』の第7章「遺伝と分子生物学」に入った。分子遺伝学は古典遺伝学とは無縁な世界から出発したとされ、その要因の一つとして生体物質の研究を促進した実験機器の登場を挙げている。電子顕微鏡、クロマトグラフィー、電気泳動などが列挙され、生化学の研究室にいたころが思い出されて懐かしい気分にさえなった。著者はとくに分析用超遠心機による高分子概念の確立を重視しているが、この機器は当時、当方も日常的に使用していたものだったので、著者のいいたいことが理解できる。しかし同書ではこうした機器自体についての説明が皆無なので、実験機器に不案内な読者には分かりにくいかも知れない。この部分に限らず、同書が想定しているのは、遺伝学の歴史を一通り心得ている読者だと思われる。確かに、専門的な部分を丁寧に解説していたら膨大な量になってしまうであろう。

2015年2月22日(日)坂東三津五郎の訃報
 昨日の今日で、またしても疲労困憊。一日中、なにもせずに横になっていたかったが、ハナの食事とトイレ掃除、それに自分の食事のためには起きなければならないのがつらかった。
 夜のニュースで十代目坂東三津五郎(1956- 2015 )の逝去が報じられた。勘三郎逝去の時ほどの衝撃ではなかったが、同い年の二人が相次いで亡くなり、吉右衛門らの大御所と海老蔵らの若手とをつなぐ世代に穴が空いてしまった。歌舞伎の伝承に影響が出るかもしれない。この際、三代の三津五郎の思い出を整理しておこう。
 踊りの名人といわれた七代目三津五郎(1882 - 1961)は、1957年以来、舞台に出ていないので話に聞くだけである。1962年に、八代目坂東三津五郎、七代目坂東蓑助、五代目坂東八十助の大和屋三代の同時襲名があり、以来、今に至るまで、この三人はこの名前で当方の頭に入っている。自分にとって「三津五郎」といえば、八代目(1906 - 1975)のことである。記憶に残るのは、「助六」の髭の意休、「俊寛」の瀬尾太郎など、類似の役柄であるが、「紙屋治兵衛」の孫右衛門も良かった。一方、歌舞伎の型などについて多くのことを書いており、評論家から舞台よりも文の方が面白いと皮肉られるほどだった。フグ毒で急死したのも三津五郎らしいと思われたものだった。九代目(1929 - 1999)は1987年に三津五郎を襲名しているが、自分にとってはいつまでも蓑助であった。菊五郎劇団の脇役だったので多くの舞台を見ているはずだが、ほとんど記憶に残っていない。思い出せるのは、松緑の髪結新三で下剃勝奴を演じていたくらいか。手堅いが華に欠ける役者だった。
 「八十助」の名は、1969年のNHK連続テレビドラマ「鞍馬天狗」の杉作役で全国的に知られることになったが、「勘九郎ちゃん」の人気には及ばなかった。この二人を比べると、役者には努力ではどうにもならない天性のものがあると思わざるを得ない。2001年に三津五郎を襲名した後の舞台も見ているはずなのだが、思い出せない。
 60年近く歌舞伎を見てきたが、大きな名跡で三代の継承に出会えたのは、「市川猿之助」と「坂東三津五郎」、それと現在進行形の「中村鴈治郎」だけだと思う。坂東三津五郎家の家内騒動は絶えないが、それでも名跡が続いているのだから、強い家柄といえるのかもしれない。十一代目三津五郎もいずれ巳之助が継ぐのであろう。

2015年2月21日(土)二つの高野山展
 高野山開創1200年記念の展覧会が大阪市内の2カ所で開催されている。まずは、あべのハルカス美術館「高野山の名宝」展へ。運慶作の国宝「八大童子像」、快慶作の重文「孔雀明王坐像」・国宝「四天王立像」・重文「執金剛神立像」、若き日の空海自筆の国宝「聾瞽指帰」(ろうこしいき)、空海が唐から持ち帰ったとされる国宝「諸尊仏龕」など、高野山の宝物の中でも重要なものが集められている。霊宝館に行っても展示されているとは限らないので、貴重な機会であった。会場で特に人気があったのは「孔雀明王坐像」だったと思う。これをあしらったクリアファイルは売れ切れていた。なぜこれが国宝にならないのだろうか。
 次は、難波の高島屋「高野山・祈りの美」展へ。こちらは近代絵画中心の展覧会である。新作の中島千波「桜の間襖壁画」を中心に宣伝しているが、ほかに守屋多々志、木村武山、富岡鉄斎らの作品が展示されている。なかでも気になったのは、高山辰雄による六曲一双の屏風「投華―密教に入る」である。高山辰雄の遺作として有名らしいが、今回初めて知った。機会があればまた、ゆっくり見てみたい。
 ハルカス美術館はかなりの混雑であったが、高島屋の展覧会は閑散としていた。遅い時間だったためもあるだろうが、内容からいっても仕方ないか。

2015年2月20日(金)『遺伝の文化史』
 ラインバーガーほか『遺伝の文化史』を断続的に読み続けているが、ようやく第6章まで読み終えた。タイトルに明記されているように、遺伝に関する社会的・文化的な背景を重視しているが、学説史上も有益な指摘がある。ただし今はとにかく終わりまで通読して全体の流れを把握することにしている。きちんとした評価は再度、精読してから試みたい。

2015年2月19日(木)動物病院
 昨日はかなりの量を食べた老猫ハナが、今日は朝から何を出しても口にしない。こうなると医者に連れて行くしかないので、夕刻になってから千代田動物病院へ連れていった。いつものように抗炎症剤を注射してもらって帰ると、猛然と食べ始めた。一安心だが、こちらは寒い中の往復で疲れ切ってしまった。

2015年2月17日(火)学会講演申し込み
 昨日の今日で、心身ともに疲労。夜になっていくらか体調がもどったので、日本科学史学会のサイトから、5月の年会での講演「メンデルは遺伝学の祖か ?」の発表を申し込んだ。自ら退路を断って気合いを入れたというところか。

2015年2月16日(月)嵯峨野・二尊院
 カミさんのお供で、京都の二尊院へ。嵐山の商店街が賑わっていたのは中国人旅行者のおかげか。そのわりに二尊院が静かだったのは、本堂が来年の9月まで修理のため閉鎖され、拝観は庭園だけになっているからだろうか。2月にしては暖かい日だったので助かったが、興味無いことで京都まで出るのはしんどい。

2015年2月12日(木)キャットフード
 散髪に出掛けたついでに、まず、千代田動物病院に老猫ハナの輸液廃棄物を持参し、処理を依頼。ついで、郵便局で日本科学史学会の年会費2014年度分を送金。5月の年会での発表申し込みには会費納入済でなければならないという。こんな規定は最近のことだろう。それだけ学会の財政が厳しいのかも知れない。
 狭山市駅前で散髪後、北野田のダイエーへ。ハナが好むフードを買いに行ったのだが、品揃えが変わっていて目的のフードがない。他の店には無かった商品なのだが、あまり売れなかったのだろう。ハナが好むフードが限られているので、食べさせるのに苦労している。これだけのことで帰宅後も疲労困憊。なんとかハナにリンゲル注入を済ませて就寝。今日もまた、勉強はできなかった。
 ジャーナルも1週間以上、書いていない。家事手伝いと猫の世話、後はぼんやりテレビを見ているという毎日では、ジャーナルも書けない。気力体力に余裕があれば『遺伝の文化史』を読み続けているが、まだ終わらない。

2015年2月4日(水)文楽4月公演
 国立文楽劇場の「友の会会報」が届いた。4月公演は第1部が「靫猿」「熊谷陣屋」「三十三間堂」、第2部が「太功記十段目」「時雨炬燵」「火の見櫓」。第1部の「熊谷陣屋」が吉田玉女の玉男襲名披露狂言になっていて、切を咲大夫が語る。これは見に行かねばなるまい。第2部の「太十」にも未練があるが、料金もかさむし、今回は見送ろう。

2015年2月1日(日)動物病院
 食欲が落ちてきた老猫ハナを連れて千代田動物病院へ。前回の抗炎症剤注射から3週間経ち、口の中がかなり痛くなってきたようだ。往復3時間後に帰宅するや否や、まずトイレに駆け込んでオシッコ。それから猛然とフードを食べ始めた。抗炎症剤にそれほどの即効性はないとのことなので、心理的な効果が大きいのだろう。それだけハナの精神が豊かなのだろう。
 こちらは厳しい寒さの中の外出で疲れ果て、ただただ体を休めていたが、夜になってやや気力回復。『遺伝の文化史』第3章の前半を読む。中近世における相続と血縁について語られているが、当方の不得手な分野なので、すっきりとは頭に入らない。先に進んでから、また読み直さなければなるまい。

2015年1月29日(木)ラインバーガーほか『遺伝の文化史』
 16日(金)に届いた標記の英書を3日前から読んでいる。読み始めたら面白いので、メンデル研究を中断して通読することにした。heredity が相続を意味する法律用語だったことは知っていたが、reproduction が最後の審判の日における再生を意味する神学用語で、ビュフォンが生物学に転用したとは知らなかった。まだ第2章に入ったばかりだが、先を読むのが楽しみである。しばらくは本書に集中したい。

2015年1月23日(金)『チャールズ・ダーウィンの生涯』電子版
 朝日新聞出版から標記の拙著の電子版に関する契約書が送られてきた。数ヶ月後に販売されるという。改訂版ではないので内容は冊子体のままだが、p.27 の地図の「ダウン」の位置だけ修正しておいた。できれば紙の本で残ってほしかったが、絶版のままになるよりましであろう。

2015年1月19日(月)ホームズ「這う男」
 朝はまず千代田動物病院に行き、老猫ハナの輸液廃棄物の処理を依頼。ついで、北野田駅前のダイエーと三日市町駅前のサンプラでキャットフードを購入。店によって品揃えが異なるので、ハナが好むフードを店ごとに選んでいる。これだけで、帰宅後は疲れて何も出来ない。ぼんやりテレビを見て過ごしていた。
 NHKBS で「這う男」を放映していたので、原作と比較しながら見てみた。ホームズがワトソンを呼び出す電報文が面白い。Come at once if convenient -- if inconvenient come all the same.
 ストーリーの骨子は、精力回復のためにサルの血清を注射した老教授が心身ともにサル的になってしまうというもの。荒唐無稽。愚劣な作品といわれてもしかたない。しかし古いホームズ読本(1978)に収録されている動物ライター・實吉達郎(さねよし・たつお)の解説を読んで見方が変わった。實吉によると、血清の提供者のモデルはセルゲイ・ボロノフであり、この作品が発表された1923年当時、ボロノフの提唱したサルの精巣の移植による精力回復が大きな話題になっており、日本でも石川千代松が注目していたという。ネットで調べると、セルジ・ヴォロノフ(Serge Voronoff, 1866 - 1951)はユダヤ系ロシア人で、18歳の時にフランスに移住して外科医になっている。チンパンジーの睾丸移植による精力回復が世界中で注目されたらしい。
 当時の「這う男」の読者は、この手術を思い浮かべたはずである。ドイルはこの馬鹿馬鹿しい作品によって、精力回復手術の馬鹿馬鹿しさを訴えようとしていたのではなかろうか。
 小説にせよ、科学研究にせよ、生まれた当時の背景を知らないと評価を誤るということだろう。

 
2015年1月16日(金)書評用献本:ラインバーガーほか『遺伝の文化史』
 昨年10月に刊行された下記の著書のReview Copyが出版元から送られてきた。
 S. Mueller-wille & H.Rheinberger, A Cultural History of Heredity (pbk). U of Chicago P, 2014.
 刊行前に日本科学史学会から献本要請していたものがようやく到着した。もとはドイツ語(2009)で、英訳ハードカバー(2012)の廉価版である。遺伝学通史だが、全8章のうち最初の5章はメンデル以前、最後の2章が分子遺伝学、第6章だけがメンデルと古典遺伝学に当てられている。この章にざっと目を通してみた。メンデルのエンドウ論文はリンネ以来の雑種研究の伝統を受け継いだものであり、メンデルの関心はあくまでも「コンスタントな雑種」にあったという。エンドウ論文が遺伝学の論文ではないことについて、現在の遺伝学史家の見解は一致していると見てよいだろう。
 5月の学会までには全編を精読し、書評を書き上げたいと思う。

 
2015年1月15日(木)キャットフード
 買い置きのフードもかなりあるのだが、ハナが食べてくれない。雨の中を河内長野駅前まで出掛け、キャットフードその他の買い物をしてきた。なんとかハナの食欲を満たすことができたようだ。本日もまた、これだけで一日が終わってしまった。

2015年1月14日(水)遺伝学史
 メンデル「エンドウ論文」の結論を読み直す。全体に何を言いたいのか分かりにくし、とくに最終節についてはメンデル研究者たちの解釈も対立している。しばらくはこの問題にこだわってみたい。
 遺伝学史に取り組むのは3週間ぶり。いろいろ事情があるにしても、こんな調子では通史なぞ無理な話だ。それでも行けるところまで行ってみよう。体力よりも気力の問題かもしれない。

2015年1月11日(日)動物病院
 昨日から老猫ハナの食が進まなくなったのは口内炎悪化のためと思われるので、千代田動物病院へ連れて行った。車にはねられた猫の緊急処置があったので、長時間、待たされたが、帰宅するまでオシッコを我慢していたのは偉いものだ。

2015年1月9日(金)奈良国立博物館
 散髪に出掛けたついでに、奈良へ。久しぶりに自分自身のための時間を過ごしてきた。
(1)氷室神社
 いつもは近鉄奈良駅から奈良博まで歩いて行くのだが、今日は体力温存のためバスに乗った。バス停「氷室神社・国立博物館」で降りると、目の前が氷室神社。時間の余裕があるので立ち寄ってみた。三間社流造の本殿、舞楽上演の舞台となっている拝殿など、県あるいは市指定の文化財があるが、当方の興味を引いたのは、清国北洋艦隊の戦艦「鎮遠」の砲弾が展示されていたこと。古都奈良の神社で日清戦争の遺物に出会うとは意外であった。
(2)奈良国立博物館
 本館(仏像館)が改修のため2016年3月まで休館するとのこと。この間、仏像展示がどうなるのか気になっていた。西新館の常設展「珠玉の仏教美術」の一部として仏像も展示されていたが、如来と菩薩が各2体、明王、天、肖像、神像が各1体、計8体とは少なすぎる。来年度の1年間は展示室のレイアウトを大幅に変えて、豊富な仏像群を見せるべきではなかろうか。今回、展示されている仏像の中では、国宝・薬師如来立像(元興寺)に注目したい。
 東新館では特集陳列「おん祭りと春日信仰の美術」が開催されていた。「威儀物」(おん祭特有の神前かざり)についての詳細な解説など、充実した展示であった。
(3)興福寺
 いつものように帰途、国宝館と東金堂に寄ってきた。今回、国宝館では金剛力士立像、東金堂では四天王像に注目してきた。法相六祖坐像の概要はなかなか頭に定着しない。奈良博に寄託されている二体のうち、現在、伝神叡像だけしか展示していないのにも疑問をもった。

2015年1月7日(水)今年は何をするか。
 夜、ハナにリンゲル輸液を済ませ、久しぶりに落ち着いてパソコンに向かっている。ジャーナルをまとめ書きし、例年通りに今年の目標を整理してみた。研究面では、まず、「メンデルは遺伝学の祖か」を5月の科学史学会で口頭発表し、その後、ペーパーにまとめて『生物学史研究』に投稿する。さらに、通史の一部として、古典遺伝学史をまとめておく。 趣味の世界では、「文楽友の会」、「興福寺友の会」、「ラブリーホールL会員」の入会を継続し、文楽、古代史と仏像、それとクラシック音楽を楽しむ。
 日常的にはハナの世話が大きな要素になっているが、いつまで元気でいてくれるだろうか。記録上は30年を越える猫もいるようだが、直接、見聞きする範囲では、22年あたりが現実の限界らしい。覚悟はしているが、できるだけのことはしてやりたい。

2015年1月6日(火)近大眼科
 午前中は近大眼科。ついでに桃大図書館まで出掛ける予定だったが、連日の外出のため疲労感が甚だしいので、そのまま帰宅、ぼんやりと過ごす。我ながら情けないが、基礎体力が無いので仕方ない。

2015年1月5日(月)キャットフード購入
 他の買い物もあるので、午後はバスで市内を回ってきた。河内長野駅前から千代田駅前へ。さらに市役所前からホームセンターに行き、河内長野駅前へもどってから三日市駅前へ。帰宅後は疲労でなにもできない。

2015年1月4日(日)ジャーナル下書き
 気力体力がやや回復。雑件をいくつか片付けることが出来た。

2015年1月3日(土)漢字パズル
 外出が続くと、もう駄目だ。家でごろごろして体力・気力の回復を待つしかない。新聞の漢字パズルに取り組んで時間を過ごした。正解に達したはずだが、読み方も分からない四字熟語が二つあった。辞書とネットで確認できたが、まだまだ知らないことが多い。

2015年1月2日(金)二尊院
 例年通り、カミさんのお供で京都嵯峨の二尊院へ。昨日の雪が残っていて、風情ある光景となっていた。写真の趣味があれば絶好の被写体であろう。幸い、昨日ほどの寒さではなく、渡月橋付近はかなりの人出で賑わっていたが、和服の女性を見ることはできなかった。

2015年1月1日(木)初詣
 時々粉雪が舞う寒い元日となった。それでも地元の加賀田神社はかなりの人出で賑わっていた。しかし本殿には工事中で近づけない。3年を掛けて大がかりな修復をするらしい。毎年、なにか新しいものができていたが、いよいよ本殿にとりかかったか。我が家のように新興住宅地の住民がお参りするようになって、経済的にも余裕があるのだろう。
 初詣の後は駅前のスーパーへ。ここもかなりの混雑で、レジ前の行列が切れることがなかった。近隣のスーパーのほとんどが元日も営業するのは無理もない。帰宅後は年賀状の宛名書き。年々ずぼらになって、年末に書いたのは4通だけであった。ハナは下痢が治まり、フードもかなり食べるようになったので、一安心である。

2014年12月31日(水)ジャーナルまとめ書き
 ここ数日は慢性的な疲労感と気力喪失で、ぼんやりテレビを見ていることが多かった。本日はやや気力ももどってきたので、まずは電動車いすで近くのスーパーに出掛け、ハナが好む食料を購入。ハナも昨日よりは食べるようになってきた。帰宅後はここ1週間のジャーナルをまとめ書き。テレビでNHKの第九など、クラシック番組を拾いながらパソコンに向かっている。

2014年12月30日(火)老猫ハナの体調不良
 快調だったハナが一昨日から急に食欲が減退し、昨日からは下痢便になった。元気に動き回ってはいるが、老齢なので心配である。病院に連れて行きたくても、主治医の千代田動物病院は年末年始の休暇に入っている。ネットで探すと比較的近くのココア動物病院が午前中、開いていることが分かったので、カミさんが連れて行った。点滴と注射のおかげで、どうやら快方に向かっているようではある。

2014年12月29日(月)難波へ
 整形外科で骨粗鬆症の薬をもらい、郵便局から送金した後、カミさんのお供で難波・高島屋へ。地下の食品売り場はいつもにも増した混雑。買い物と食事だけでは情けないので、6階・美術画廊に寄ってきた。「上村淳之・カレンダー原画展」と洋画の「十騎会」を開催していた。こういう機会でなければ「十騎会」といった名称を知ることもない。展示品の中では山田嘉彦の点描画に興味を持った。後期印象派の画法が現在の日本で生きている。知る人ぞ知る作家のようだが、こういう機会でなければ知ることもなかったろう。

2014年12月26日(金)誰がES細胞を入れたのか
 理研調査委が、STAP細胞はすべてES細胞であり、意図的に混入された可能性もあるとする報告書を発表した。これも4月段階で明らかであったし、意図的にES細胞を入れた人物も明白である。しかし裁判沙汰になるとやっかいなので曖昧な表現になるのだろう。この騒動を分析した著書が来年中に複数、刊行されるであろうが、この件についてどこまで踏み込んだ表現をするか、科学ジャーナリストたちの正念場だな。

2014年12月23日(火)動物病院
 今日になって老猫ハナの食欲が急激に低下したので、夕刻、千代田動物病院へ連れて行った。祭日は午前だけであることを失念していたが、幸い、緊急治療のため院長が在院していたので、時間外診療の扱いで抗炎症剤を注射してもらった。ハナは帰宅するや否や、まずトイレに駆け込んでおしっこ。それから餌場で朝は食べなかったフードをもりもり食していた。注射に即効性はないということなので、心理的な効果が大きいのだろう。とりあえず元気になってくれたので、一安心である。

2014年12月21日(日)二尊院
 カミさんのお供で嵯峨野の二尊院へ。夕刻になっても人出が落ちない。なぜかと思ったら、本日までの10日間、「嵐山花灯路」というイベントを開催中であった。5時になると一斉に灯が点るらしいが、その前に退散。有名な観光地でも人集めの工夫を怠っていないということだろう。比較的に暖かい日だったので助かった。

2014年12月20日(土)メンデルの手紙
 メンデルのネーゲリ宛書簡10通(スターンほか編「メンデル関係資料集」 (1966)収録の英訳版)にざっと目を通した。我が書架に何十年もあったのに、きっかけがないと読まないものである。メンデル第2書簡(1867年4月18日)ではエンドウ論文(1866)に対するネーゲリの批判に応えているが、第3書簡(1867年11月6日)から第10書簡(1873年11月18日)までのほとんどはヒエラキウム属(ミヤマコウゾリナ属)などの実験についての報告に終始している。
 第1書簡(1866年12月31日)でメンデルはヒエラキウムの交雑実験について報告し、ネーゲリの助言を要請している。ところが遺伝学史の概説では、メンデルが遺伝研究に不適当なヒエラキウムに取り組んだのはネーゲリの助言に従ったためであると記されていることが多かったように思う。1905年にコレンスがメンデル書簡を公表しているにもかかわらず誤った解釈が受け継がれてきたのはなぜだろう。メンデルを称揚し、ネーゲリを貶めるためではなかろうか。

2014年12月19日(金)幻想のSTAP細胞
 新聞・テレビが理研の検証結果を大々的に取り上げているが、4月段階でSTAP細胞は小保方の幻想の中にだけ存在することが明らかになっていた。したがってこの検証実験に科学的な価値はない。理研が華々しく花火を打ち上げたため、社会的に決着を付けるにはこうした手続きが必要だったのだろう。むなしい実験に駆り出された研究者たちは気の毒だった。
 小保方のようなインチキ研究者は、理系・文系、有名・無名、過去・現在を問わず珍しくない。理研が小保方に騙されなければ、小保方もこれほど注目されることは無かったろう。今回の騒動に関連した一般向けの解説でも、再現性のない実験は認められないと語られている。ところが、一般向けの日本史年表の1911年の項には「野口英世、梅毒スピロヘータ純粋培養」と記されていることが多い。誰も追試に成功していない典型的な事例なのにである。野口英世神話の続く限り、研究不正の防止は難しい。

2014年12月16日(火)忠臣蔵
 我が書架の忠臣蔵本もかなりの量になってきた。それも、史実を追ったもの、純然たるフィクション、歌舞伎・文楽関係など、さまざまである。昨日から改めて気になったことが2点ある。一つは吉良上野介義央の読み方である。近年の史書には「よしひさ」とある一方、辞典類では依然として「よしなか」となっている。「よしひさ」説の根拠となっている吉良家菩提寺華蔵寺所蔵の古文書の花押はネット上に公開されており、確かにその中央に「久」の字がある。ただしこれを「央」の読みを示すという解釈が正しいのかどうか、自分には分からない。もっと気になるのが、いわゆる「松の廊下刃傷」の場所である。これについての根本資料とされる「梶川与惣兵衛日記」では必ずしも明確ではなく、事件は「柳の間」で起きたという説もある。これほど有名な事件でも肝心なところが不明確なままである。歴史の復元がいかに難しいかを示す格好の事例といえるだろう。

2014年12月15日(月)忠臣蔵本
 キャットフードを買いに出たついでに河内長野駅前の書店で一律250円の古書をあさり、忠臣蔵本を2冊、購入。昨日も今日もテレビで忠臣蔵ものを見られなかったのが寂しい。せめて本でも読むことにしよう。、

2014年12月14日(日)高野山
 カミさんのお供で高野山へ。ときおり雪がちらつく寒い日だというのに、休日なのでケーブルの座席が7割程度埋まるくらいの観光客が来ていた。千手院橋バス停近くの一乗院で昼食をいただいたが、さすがに他の客はいなかった。奥の院灯籠堂の背後、大師御廟の前では通常、般若心経を唱える団体の絶えることがないのだか、本日は静かなままだった。やはり冬の高野山は厳しい。

2014年12月12日(金)期日前投票
 外出のついでに市役所で期日前投票。投票者が切れ目無く来ていた。ここ大阪15区も自民、維新、共産の三択。白票が多くなるのも当然か。とにかくこれで、日曜日は選挙を気にせず行動できる。

2014年12月9日(火)ネーゲリの功罪
 朝、北野田の日野歯科で半年ごとの検診を受けた後、3ヶ月ぶりに桃大図書館へ。本日はネーゲリ関連の文献調査である。11月19日(水)から12月6日(土)までの間に延べ8日を費やし、手持ちの資料でネーゲリの研究歴を調べてみた。ネーゲリといえば、細胞分裂を観察する一方でシュライデンの細胞新生説も認めて細胞学を混乱させた、微生物の「種」を認めずコッホの病原菌説を否定した、ラマルク的な進化論を主張してダーウィニズムを否定した、そしてメンデルの遺伝論の価値に気付かなかったなど、マイナスのイメージで語られることが多い。我が生物学通史ではネーゲリをどのように語ればよいだろうか。顕微鏡を駆使したネーゲリの植物研究は当時、生物学の最先端であったろう。また、オーケンやシュライデン、ヘーゲル哲学の影響を受けて理論も得意としたため、影響力が大きかったのだろう。通史で扱うとすれば、植物学に関連して詳説するのが妥当だろう。これは先のこととして、今はメンデルとの関係に集中しなければならない。

2014年12月8日(月)三毛猫ハナの脱走
 朝、ハナが玄関から庭に出てしまったので、我が家は大騒ぎ。見つけても逃げ回って帰ってこない。結局、1時間後に自主的にもどってきた。20歳を越えているのに、元気な証拠であろう。しかし食事は相変わらず好き嫌いが激しい。今日も駅前スーパーで1週間分のフードを2割引きで購入してきたが、食べてくれるかどうか、迷いながらのフード選びであった。

2014年12月7日(日)一斉清掃
 朝の9時から団地の一斉溝清掃に1時間ほど参加。昨日までの厳しい寒さも緩み、日も差してきたので助かった。この後、庭の落葉の片付けをしたので疲労困憊。午後からはぼんやりテレビを見て過ごした。
 夜は高倉健主演の映画「四十七人の刺客」を見る。1994年の封切り時に映画館で見たし、その後もテレビで何度か見ているが、師走なので忠臣蔵を見たいし、健さん追悼の意味もある。池宮彰一郎原作のストーリーは史実から離れていると思うが、映画としてはよくできていて飽きが来ない。健さんの内蔵助には「昼行灯」のイメージがないが、こういう内蔵助があってもいい。しかし健さんの魅力は、なんといっても任侠もののかっこよさにあったと思う。

2014年12月2日(火)桃太郎・侵略者説
 今日もまた、家事手伝いで一日が終わってしまった。何もなしで終わるのは情けない。科学史の研究ができなくとも、わずかでもいい、なにか新たなものを得たいものだ。
 本日の朝日新聞夕刊に、池澤夏樹がエッセー「狩猟民の心」(1992)で展開した桃太郎・侵略者説に対する批判への反論が掲載されている。この中で池澤が「二十年以上前に『狩猟民の心』を書いたときは、これは自分のオリジナルな発見だと得意になった」と述べているのには、いささか驚いた。当時から桃太郎・侵略者説はかなりありふれた説で、あちこちで見聞きしていたように思う。おそらくエッセイストと呼ばれる人々は、先人の意見を確認するような作業はしないのであろう。もっとも、諸大学の紀要類には先行研究を無視した独りよがりの論文も多い。この種の紀要論文は非学術的なエッセーとみなすべきなのであろう。

2014年12月1日(月)キャット・フード
 散髪に出たついでに梅田で開催されている三中氏の系統樹展を見に行くつもりだったが、念のためネットで確認したら、月曜は休みだという。残念。久しぶりに梅田に出る機会を失った。やむを得ないので、散髪の後は三日市町駅前のスーパーでハナの食料などを購入して帰宅。ハナがせっせとフードを食べてくれたのは昨日までで、またしても、あれは嫌、これも嫌といいだして、食べさせるのに苦労している。20歳の老猫だから仕方ないか。

2014年11月29日(土)動物病院
 数日前から三毛猫ハナの食事が進まなくなり、昨日はスープしか口にしなくなった。口内炎が悪化していると思われるので、午前中に千代田動物病院に行き、消炎剤を注射してもらう。効果てきめん。帰宅するや否や、昨日は口にしなかったフードもぱくぱく食べる。ハナが元気になったのは嬉しいが、2時間、外出しただけで、こちらは疲労困憊。後はなにもできない。情けないが、こちらの体力、気力の衰えも否定しがたい。

2014年11月24日(月)大安寺
 大官大寺の後継寺院が今、どうなっているのか、一度は行ってみたいと思っても鉄道の駅からは遠く、わざわざ出掛けるほどのことはないと敬遠してきた。しかし気になる存在なので、思い切って訪ねてみた。近鉄奈良駅前からバスで10分、バス停から歩いて15分。バスは10分おきに出ているので、意外とアクセスは良い。
 境内に往古の姿をしのばせるものはないが、奈良時代後期の仏像9体が現存し、いずれも重要文化財に指定されている。すべて榧(かや)の一木彫像で、7体は常時、讃迎殿(宝物殿)で公開されており、秋のこの時期には本尊とされている十一面観音像も公開されている。5体の菩薩立像はそれぞれ六観音の一つとされ、四天王像にもそれぞれ四天王の一つが割り振られているが、すべて当初の尊名は定かではないという(大安寺編『大安寺の美術』2014年11月)。伝・楊柳観音像以外の8体は、腕などが近世の後補であり、本尊は頭部全体も後補であるという。美術書などでは大安寺の仏像としてもっぱら伝・楊柳観音像が紹介されているのはそのためであった。大安寺様式という用語があるように、美術史上は平安彫刻の先駆として重要な意味を持つようだが、正直、一般人にはそれほど魅力のある仏像群ではない。
 境内には自由に飲食のできる机・椅子なども置かれ、開放的な雰囲気である。マイカーで動く人には気楽に立ち寄れるお寺だろうが、電車・バスで繰り返し訪れるのは難しい。

2014年11月21日(金)辞書にない語義
 2日前からネーゲリの生涯と業績について調べている。メンデル論の中で必ず言及しなければならない人物だが、ついでに業績全体についても整理しておこうと、まずはDSB旧版(1974)のオルビーの解説を読み、ついでハリス『細胞の誕生』(1999)の該当箇所(pp.114-16))に目を通した。ネーゲリによる細胞分裂の観察について次のように書かれている。The 1844 paper is mainly concerned with silkweeds and other primitive plants. ニュートンプレス刊(2000)の荒木文枝訳では、「1844年の論文は、主にトウワタや他の原始的植物に関するものだ」(p.142)となっている。トウワタは「原始的植物」ではないから、この文だけでも不可解であるし、続く文を読めば silkweed はトウワタのはずがないと分かる。確かに英和辞典にはトウワタの意味しかないし、『ウェブスター』でも同様である。グーグルで検索してもトウワタに関する項目しか出てこない。しかし著者ハリスが別の意味で用いていることが明らかなので、検索方法を工夫して調べたところ、釣り人の用語ではconferva(糸状の藻)と同じ意味であると分かった。同書には古い属名の Conferva が頻出するので、著者は普通名詞の conferva を用いることを避け、彼にとっては同義語の silkweed を用いたのであろう。おそらくハリスは釣りを趣味としているのであろう。
 生物学関係者が訳せば、「トウワタ」とすることに疑念を持ったであろうが、英文学を専門とする訳者は辞典に頼るほかないのであろう。以前、このジャーナルで指摘したように、この訳書には関係者なら間違えるはずのない誤訳が多い。やはり翻訳は、同じ分野で内容の理解できる者に依頼すべきであろう。

2014年11月19日(水)追憶・岡部昭彦さん
 『生物学史研究』第91号が届いた。昨年の12月8日に亡くなられた岡部昭彦さんについて、鈴木善次さんによる追悼文が掲載されている。岡部さんは1955年に始まった生物学史研究会の創設から関わっておられ、鈴木さんは当時からのお仲間であった。当方が岡部さんを知ったのは研究会に出るようになってからで、すでに雑誌『自然』の編集長であった。以来、当方の生物学史研究をそれとなく応援していただいた。しかし、この10年間は病で床につかれたままと聞き、拙著を贈呈するのも遠慮していた。『自然』のバックナンバーをひもとけば、さまざまな思い出がよみがえってくると思うが、研究室を引き払うときに全て処分したため手元にないのが残念である。いまはただ、ご冥福を祈るのみである。

2014年11月18日(火)遺伝学史
 ワクチン接種をした左腕の痛みはほとんど消えたが、腰痛は消えない。姿勢を変える時、「イタタ、イタタ」とわめいているが、パソコン操作には支障ない。
 先週の12日(水)にコレンス関係の文献を検索したら、ラインバーガーが総説的な記事を2013年に雑誌『サイエンス・アンド・エデュケーション』に掲載していることを知った。有料でネット上に掲載されているが、料金39ドルとは高額すぎる。冊子体からのコピーを依頼しようと、本日は掲載巻号を調べてみた。2013年の全10号の目次を見たが、当該論文はない。困惑の果てに分かったことは、2015年に刊行予定の「メンデル論文150周年記念号」に掲載予定の論文の一部が前以てネット上に掲載されており、ラインバーガーの論文もその一つであった。論文発表にこんな形があるとは知らなかった。現段階で入手するには39ドルを支払うしかない。現役の時なら迷わず購入しているが、年金生活の今は難しい。記念号が刊行されるまで待つとしよう。
 メンデルの口頭発表を基準にすれば来年が150周年だが、紀要掲載年を基準にすれば再来年が150周年になる。いずれにせよ、科学史関係の雑誌にメンデル関係の論文が多数、掲載されることになるだろう。

2014年11月17日(月)電動車いす
 肺炎ワクチン接種のため福岡医院に出掛けたついでに三日市町駅前のスーパーまで足を伸ばし、月曜2割引きのキャット・フードをまとめ買い。今日は電動車いすで往復してみた。途中、無理な走行をしたため、車いすを持ち上げなければならなくなり、腰を痛めてしまった。手動に切り替えれば簡単に処理できたのに、馬鹿なことをしたものだ。腰痛が悪化しないことを祈る。
 先週のインフルエンザ・ワクチン接種では体になんの影響も無かったが、今日はワクチンを接種した左腕が痛む。ぱっとしない1日だったが、夜になって1週間分のジャーナルを書くことができた。

2014年11月15日(土)嵐山
 カミさんのお供で嵯峨・二尊院へ。紅葉見物の観光客が多く、渡月橋をタクシーで渡るのに歩くよりも多くの時間が掛かった。来週の連休は交通が規制されるらしい。タクシーの運転手さんによると、観光客の多くは中国からの団体客とのこと。普段なら渡月橋周辺の商店はみな、5時には閉めていたが、今日は6時を過ぎても開いていた。今が稼ぎ時ということだろう。

2014年11月14日(金)文楽・奥州安達原
 国立文楽劇場・11月公演・夜の部を、いつもの床直下の席で楽しんできた。「奥州安達原」三段目と四段目の半通しで、最初が「朱雀堤の段」。「しゅしゃかづつみ」と読む。人名と同様、地名漢字の読み方もまことにやっかいである。京都の七条朱雀、現在の七条千本、この作品が書かれた宝暦年間には貧民窟があったのだろう。背景が次の「環の宮明御殿の段」と対照的である。「袖萩祭文」は呂勢大夫・清治、「貞任物語」は千歳大夫・富助。彼らが次代の義太夫の担い手として期待されているのだろう。「道行千里の岩田帯」では6丁の三味線が耳元で響き、理屈抜きで楽しい。「一つ家の段」は老婆が妊婦(実は老婆の娘と孫)を殺すというグロテスクな幕である。人形だから可能なので、歌舞伎で役者が演ずるのは無理だろう。三段目も四段目も、暗い話の後、武者が派手に動く場面で終わるので、気分的に救われる。時代物の良さである。この作品、第一級の名作とはいえないが、忠臣蔵などの名作ばかりでは飽きが来るので時折は上演しなければならないだろう。二段目「善知鳥安方」も久しぶりに見てみたい。

2014年11月11日(火)遺伝学史
 4日ぶりにMeijer(1985)のド・フリース論に取り組み、一応、読了。「一応」というのは、Meijerによるド・フリースの論文やノートについての綿密な分析を忠実にたどる余裕がなかったからである。それでも、ド・フリースがメンデル論文を読む前には遺伝法則を把握していないという結論は妥当だと思える。それにしても遺伝学史に取り組む時間が少ない。焦ることはないものの、もう少しペースを上げる必要があろう。

2014年11月10日(月)キャット・フード
 インフルエンザ・ワクチン接種のため福岡医院に出掛けたついでに三日市町駅前のスーパーまで足を伸ばし、月曜2割引きのキャット・フードをまとめ買い。3月に20歳になった三毛猫ハナだが、目に見えて老化が進んでいる。フードの好き嫌いが激しくなり、それも日々変動する。何を食べてくれるか、出してみないと分からない。それでも食欲があることを、よしとしなければならないだろう。

2014年11月5日(水)京都国立博物館・平成知新館
 所用で難波に出たついでに淀屋橋から京阪七条に出て、京博へ。常設展用に新築された平成知新館を訪ねるためである。本館では特別展「鳥獣戯画と高山寺」を開催中だが、これを見る気は無い。入館するまでに90分、館内で鳥獣戯画を見るのにさらに50分並ぶという。常設展には並ばずに入れるが、特別展からの観客が流れてくるので展示室はかなり混雑している。雪舟「四季花鳥図屏風」など、ゆっくり見たいものもあるが、日を改めて来ることにしよう。
 今回の目的は、河内長野・金剛寺・金堂の大日如来と不動明王。常設展示場に入ると真っ先に目に付く巨像だが、なんと、台座がない。奈良博で展示していた降三世明王は瑟々座に座し、それも含めて見る者を圧倒する力を見せていた。京博の学芸員に聞くと、本体を見やすくするためと文化財保護のため、台座なしのままにしたという。悪く解釈すれば、台座を復元する技術に自信が無かったのではないか。仏像の処理については、当然のことながら奈良博の方が優れていると思われる。

2014年11月4日(火)興福寺
 午前中を近大眼科で過ごした後、難波から近鉄奈良に出て興福寺へ。せっかく「友の会」に入っているのだから、特別公開のこの時期を逃すのはもったいない。まずは北円堂。運慶作の本尊と無着・世親が有名だが、大安寺由来の四天王(国宝)も魅力的である。とくに入口右手から迎えてくれる持国天が楽しい。それにしても、北円堂本来の四天王(国宝)は南円堂にあり、南円堂本来の四天王(重文)は中金堂にあり、東金堂の四天王(国宝)は別の堂から移された9世紀の作品だという。なんともややこしい。
 北円堂から東金堂に行く道で五重塔を仰ぐと、相輪が秋晴れの空に向かって突き出ている。本来の目的は知らないし、仏教の教義にもないことだろうが、ゴシック建築の尖塔と同様、天へのあこがれを示しているように見える。
 東金堂では後堂が特別公開中。最後に国宝館でゆっくりした時間を過ごす。友の会会員の特典を十分に活用した半日であった。

2014年11月3日(月)遺伝学史
 先月末までに「メンデルの先駆者」についての勉強をを打ち切り、断続的にド・フリース関連の二次文献を読み散らかしてきた。DSB旧版(1976)では「ド・フリースは確かに、1896年に独自に分離の法則を導いていた」とあるが、DSB新版(2008)では、「ド・フリースがメンデルの法則を独自に発見したとは考えられない」となっている。この間のド・フリース研究論文を読まなければならないが、本日、書斎のファイルを探したところ、Meijer(1985)などの文献が出てきた。現役時代にコピーを取っておいてよかった。当面、大学図書館に行かなくても困らない。しばらくはド・フリースの世界に遊ぶとしよう。

2014年11月1日(土)キャット・フード
 老猫ハナの食料を買いにロイヤル・ホームセンターへ。1年前まではいつも同じ固形フードで満足していたが、今は缶詰類しか食べないし、それも好き嫌いが激しい。しかも喜んで食べていたフードも、ある日突然、食べなくなる。そこで、いつもの駅前スーパーには無いものを中心に1週間分を購入してきた。しかし目新しいフードを喜ぶとは限らない。むしろそっぽを向くことが多い。本日も駄目だったフードがあり、がっかりさせられるが、20歳7ヶ月、人間でいえば百歳を越えているのだから、やむを得ないだろう。

2014年10月30日(木)『科学史研究』271号
 ラドウィック『化石の意味』についての拙著の書評がようやく掲載されたが、今号は全100ページのうち、半分が書評に当てられ、20点を越える書評が掲載されている。書評原稿が大量にたまっていると聞いていたので、一気に片づけたのだろう。ほとんどの書評が2ページを越えているのに、拙著の書評は1ページ足らず。書評の海の中に埋没している感がある。それでも読むべき人は読むと期待しよう。

2014年10月27日(月)奈良博・正倉院展
 なかばカミさんのお供で正倉院展へ。家を出るのが遅いので、博物館に着いたのは4時。行列は無く、すぐに入館できた。しかし会場内では、「鳥毛立女屏風」を見るための長い行列ができていた。時間の余裕がないので、遠くから屏風全体の様子を見るだけにした。
 個人的には、奈良時代の古密教の法具とされる「銅三鈷」が印象に残った。「古密教」という用語に初めてであった気がする。帰宅してから調べると、奈良博では2005年に古密教をテーマにした特別展を開催していた。古密教の仏像について学ぶのも面白そうだ。

2014年10月26日(日)動物病院
 今日もまた、薄い雲がまばらに浮かんでいるだけの青空だが、老猫ハナを連れて千代田動物病院へ。ハナ自身、歯が痛んで食が進まないため、医者に行くのは仕方が無いと分かっているようだ。抗炎症剤の注射に即効性がないことは獣医師にも確認したが、帰宅するや否や、食べ始める。注射したのだから食べられるはずだと思っているのではなかろうか。

2014年10月24日(金)近大眼科
 朝から雲一つ無い青空。東京で気楽な一人暮らしをしていた40年前なら、ザックを担ぎ「8時ちょうどのあずさ2号」で八ヶ岳へ出掛けるところである。それが今は病院通い。しかしまずは千代田動物病院に行き、老猫ハナの輸液セット廃棄物の処理を依頼。外出のついでに、行きつけの理髪店で調髪。
 午後は近大病院眼科へ。本日は検査だけだが、10種類ほどのさまざまな検査があり、疲れ切ってしまった。視野検査は別として、その他の検査は治療のためというよりも症例報告のためであろう。それはそれで有意義なことではあろうが、病院を出たのが5時。今日はハナのリンゲル皮下注射も中止だ。

2014年10月20日(月)検診結果
 血液検査の結果を聞きに福岡医院へ。おおむね正常だが、塩分と糖分を控えるようにといわれた。毎年、注意されることで承知はしているものの、食事に漬け物は欠かせないし、脳が疲れてきたときにコーヒーと甘味が欠かせない。できるだけ意識するようにしよう。
 医院を出てから駅前スーパーで月曜2割引のキャットフード1週間分を購入。たったそれだけの外出なのに、帰宅後は疲労感で何もできない。情けないことではある。

2014年10月18日(土)科学史学会年会予稿
 数日前からの厳しい冷え込みの中、カミさんのお供で嵯峨・二尊院へ。暇な時間に頭の中で、来年5月ころに大阪市大で開催される日本科学史学会年会で発表する予定のメンデル論についての予稿を考えていた。発表申し込みが1月で、予稿締め切りが3月のはずだから気が早すぎるが、他にすることが無い。せっかく考えたことが消えてしまわないよう、ここに書き留めておこう。研究発表の前宣伝にもなるだろう。

メンデルは遺伝学の祖か
 1979年以来、メンデルを遺伝学の祖とする通説に疑問を呈する論考が相次ぎ、通説は神話にすぎないとみなされるに至っている。こうした遺伝学史研究の成果にもかかわらず、依然としてメンデル神話が広く語られている。本講演では、近年の諸家の研究を整理し、メンデル神話の誤りを明らかにしたい。
 植物雑種の研究は分類学の父リンネに始まる。1750年代以降のリンネは、神が創造した種は限られており、その間の交雑によって多数の種が誕生してきたと考えるようになった。しかしリンネはほとんど交配実験を実施していなかった。ドイツのケールロイターが1760年代に発表した4本の論文によって、人工授粉による植物雑種研究が始まった。ケールロイターはリンネの考えを否定し、自然界では種間雑種が生起せず、人工的に得られた種間雑種は不稔であると主張した。
 以降、有用植物の改良手段として各地で雑種研究が活発になるが、生物学上は雑種による新種形成の有無が大きな課題であった。1860年代になるとダーウィニズムとの関係も問題になった。種を不変とする立場では種間雑種は不稔で種内雑種には稔性があるとされ、雑種による新種形成を認める立場では種間雑種と種内雑種に本質的な違いは無いとされた。
 メンデルのエンドウ論文(1866)はこうした植物雑種研究の伝統に則ったものであり、論題もずばり「植物雑種の研究」(Versuche uber Pflanzen-Hybriden)であった。その序論と結論でメンデルは、その目的を「進化研究」(Entwicklungsgeschichte)に資するものと明言している。メンデルは雑種による新種形成があるとみなし、種間雑種と種内雑種とを区別しなかった。その後、この点をさらに追究するため、ヒエラキウムを材料とした実験に積極的に取り組んだ。エンドウ論文のいわば副産物であった遺伝論について、メンデル自身の関心は大きくなかった。
 19世紀末にドフリースやベーツソンらが跳躍的な遺伝変異による進化を主張し、親から子への形質の伝達を発生の問題と切り離して考察するようになった。その先行研究としてメンデルの論文が注目され、エンドウ論文が遺伝学の論文とみなされるようになった。不運な英雄としてメンデルを押し立てることは、遺伝学を新しい研究分野として社会的に認知させるためにも有益であった。かくしてメンデルを遺伝学の祖とする神話が語り継がれてきた。
 ライエルが近代地質学の祖ではないのと同様、メンデルは遺伝学の祖ではない。

2014年10月15日(水)メンデルの先駆者
 7月以来、いわゆるメンデルの先駆者たちの事跡を追ってきたが、いささか厭いたので、昨日からオレル『メンデル伝』(1996)の第2章「メンデル以前の遺伝論」に目を通してみた。その内容はロバーツ(1929)やオルビー(1985)とまるで違っていた。ケールロイターやゲルトナーについては短く、ブリュン市に関連した話題が中心になっている。オレルの立場なら当然のことかもしれない。

2014年10月14日(火)健康診断
 朝早くに電動車いすで検診の予約をしていた福岡医院へ。台風襲来が心配だったが、早くに抜けていったので、道路も乾いていた。電動車いすでの往復に全く問題は無かった。胸部X線など、当日分かる範囲ではすべて正常。後日、血液検査の結果を聞きに行くことになる。

2014年10月13日(月)台風19号
 嵐が来ないうちに月曜日2割引のキャットフードを買ってこようと、朝の9時過ぎに三日市町駅前のスーパーへ。普段の夕刻並みの混雑であった。みなさん、考えることは同じだ。ペット用品売り場では女性3人が猫談義で盛り上がっていた。動物病院の比較などを耳にしながら、我が家のハナが好む缶詰を選び、1週間分をカゴに入れていた。
 台風は夜の8時に岸和田に上陸し、10時には伊勢湾方向に抜けていったようだ。当地への影響は9時ころがピークだったろう。さしたることも無く通り過ぎていったので、ほっとした。

2014年10月12日(日)遺伝学史
 昨日と今日の河内長野市内は、だんじり運行で交通麻痺。こういう日は家にいるに限る。最近は疲労感が抜けず、メンデル論の準備もはかどらないでいるが、今日は体調も良く、ノーダンについての二次文献、森脇(1986)などを読むことができた。こうした植物雑種研究の系譜の中にメンデルを位置づけることから始めてみたい。
 体調が悪いとジャーナル執筆もつい、おろそかになる。

2014年10月4日(土)鈴木善次『環境教育学原論-科学文明を問い直す』東京大学出版会
 昨日、表記の著書が送られてきた。日本で環境教育が始まってからの40年間、それにかかわり続けてきた著者の総決算というべきものであろう。当方より6歳、年上で。これだけ充実したものが出版できるのはうらやましい。当方の励みにもなる。

2014年10月3日(金)ハンドル型電動車いす
 足の悪いカミさんがハンドル型電動車いすでバス停まで行ってバスに乗ったあと、自宅まで車いすに乗って帰ってきた。1週間前にレンタルの車いすが来たとき、メーカーの担当者から基本的な説明を受け、試運転もしていたが、短時間とはいえ本格的に使用したのは初めてである。操作は簡単で乗り心地はいいし、上り坂も苦で無い。バックでカーポートに入れるのに手間取ったくらいである。
 たまたま今朝の朝日新聞・生活欄に、ハンドル型電動車いすの事故多発が大きく取り上げられていた。とくに下り坂に注意しなければならないようだ。
 今から頭が痛いのは、我が団地のメイン道路でも歩道駐車のあること。段差があるので車道に降りるのも難しい。歩行者や車いすのことを配慮してほしいものだ。

2014年10月2日(木)文楽劇場11月公演ネット予約
 本日は国立文楽劇場11月公演の会員先行予約日。今年度からネット予約でも座席が指定できるようになったので、10時直後にアクセスしてみた。いつもの床直下の席は、第1希望日と第2希望日ではすでに売れていて、ようやく3回目で確保できた。それでも電話をつながるまで掛け続けるよりもはるかに速く済んだ。
 昼の部が「双蝶々曲輪日記」、夜の部が「奥州安達原」の半通し。嶋大夫も咲大夫も昼の部だが、時代物を楽しみたいので夜の部だけにした。二段目「善知鳥安方」はなくて、三段目「袖萩祭文」と四段目「一つ家」である。かなり前に二段目も見た記憶があり、結構面白かったという印象が残っているので、今回出ないのが残念だが、歌舞伎でもおなじみの「袖萩祭文」などを楽しんできたい。 

2014年10月1日(水)藤原宮跡
 予め桃大の教務課から大学院生の履修登録無しとの連絡があったので、本日は久しぶりに外歩きをすることにした。未知の土地を歩けば気が晴れるだろうと、藤原宮跡に出掛けた。
(1)ホテイアオイ
 橿原御陵前駅から東に歩いて行くと、間もなく右手の田園地帯に群生するホテイアオイの花が目に飛び込んできた。その裏手が本薬師寺跡になる。ホテイアオイは休耕田対策として橿原市が植え付け、観光資源としてそれなりに成功しているらしい。しかしホテイアオイは繁殖力旺盛な外来植物で日本本来の生態系を破壊する。すでに各地で野生化したホテイアオイの被害が報じられ、環境省の「要注意外来植物」にも指定されている。このような植物を観光資源に利用するのはいかがなものだろうか。
(2)朱雀大路跡
 飛鳥川を渡ってしばらく北に向かい、さらに東に行くと、発掘によって確認された朱雀大路の跡に出る。芝生で大路を、バラスで両側の溝を表示している。ここから北方を望むと真っ正面に耳成山が見える。なるほど、そういうことか。北に耳成、東に香具山、西に畝傍。藤原京は大和三山を意識して作られたことが、歴然としている。地図を見れば分かることだが、現地での体験には代えられない。
 途中、あちこちで彼岸花を見かけたが、すでに盛りを過ぎていた。
(3)天香具山
 朱雀大路跡の南東にある紀寺跡は何も無い原っぱだが、周囲の木陰にベンチがある。ちょうど昼時になったので、香具山の姿を目の前にしながらコンビニおにぎりで昼食。その後、香具山の麓に至るが、山に登らず北へ向かう。
(4)奈良文化財研究所・藤原宮跡資料室
 奈文研の展示コーナー(無料)がある。ゆっくり見て回る余裕はなかったが、ほかに来館者はおらず、適度に体を休めることができた。手元のガイドブック類には「土日・祝日は閉館」となっているが、今は開館されるようになった。独立行政法人化の効果だろうか。
(5)藤原宮跡
 資料室からさらに北に向かい、左に折れれば藤原宮跡に出るはずなのだが、曲がるべき地点を通り過ぎてしまったため、宮跡の北側を通る道から宮跡を見下ろすことになった。道から降りて宮跡を歩く余裕は無いので、そのまま北へ向かう。宮跡のコスモス畑は種まきが遅かったので、花は無かった。
(6)八木・札の辻
 JR桜井線の線路を渡ってさらに北に向かい、近鉄大阪線の線路を渡って耳成山の麓に行くつもりだったが、道を間違えたため、近鉄の線路を渡ることができない。やむを得ず線路に並行する南側の道を西に向かうと、「札の辻」という案内板があり、歩いてきた道が「横大路」(伊勢街道)、南北に交差する道が「下つ道」であることを知った。道を間違えたおかげで、面白い所に出た。「八木札の辻交流館」(旧旅館・橿原市指定文化財)で一服してから「下つ道」を北に歩き、近鉄の踏切を渡って大和八木駅に向かった。
(7)まとめ
 現在の体力では歩き過ぎであった。しかしそのおかげで藤原京の概要が分かったので、次はバスをうまく利用し、何を見るかを決めていきたい。藤原京の壮大さを知ると、なぜ短期間で放棄されたのか知りたくなる。関連する古代史の文献を読んでみたい。
 久しぶりの外歩き。それも未知の土地だったので体力は消耗はしたが、精神の活性化にはなったと思う。

2014年9月27日(土)大阪市立東洋陶磁美術館・特別展「伊万里」
 「ヨーロッパの宮殿を飾った日本磁器」190点を展示。館蔵品のほかにサントリー美術館と佐賀県立九州陶磁美術館からの出品もあった。いいなと思う品はサントリー、風変わりな作品は佐賀のことが多かった。全体にいえることは、いかに華麗な作品でもヨーロッパ向けのものはこちらの感性に合わないということ。最後に常設展の部屋に入って、ほっとした。

2014年9月26日(金)動物病院
 朝早くに三毛猫ハナを連れて千代田動物病院へ。歯肉炎が悪化したのであろう、昨日はスープしか口にしなくなったので、病院で抗炎症剤を注射。帰宅するや否や、猛然と食事をするようになった。抗炎症剤にこれほどの即効性があるのか疑問なのだが、とにかく元気になってくれたのは嬉しい。

2014年9月24日(水)大学図書館
 午前中に大学院の授業が組まれているので桃大へ。受講生無しのようだが、念のため来週もこなければならない。午後は図書館で文献調査。ダーウィンの『マージナリア』を見ると、植物雑種の仏語文献にも広く目を通していることが確認できる。

2014年9月22日(月)論文捏造の先駆者・野口英世
 散髪のため外出したついでに近大病院に忘れ物を受け取りに行き、帰途、三日市駅前のスーパーでキャットフードをまとめ買い。途中、河内長野駅前の書店に立ち寄り、新刊の新書類を見る。購入したいものが数冊あったが、1冊だけで我慢することにした。それが、杉晴夫『論文捏造はなぜ起きたのか?』(光文社新書 2014)。
 STAP細胞事件をきっかけに日本における論文不正がさまざまな場で論じられているが、野口英世の不正に言及したものがない。やっと本書でこの問題の指摘に出会えた。「野口は現在蔓延する論文捏造の先駆者ともいえるであろう。(中略) 野口の研究者としての虚像が、わが国では現在もまかり通っている事実は、現在の政府の暴挙を生ずるわが国の風土を表しているように思われる」(p.121)。
 日本で科学者の不正を本気でなくそうとするのならば、まず、野口英世の論文捏造を認識し、野口の偉人視を止めることから始めるべきだろう。

2014年9月18日(木)colour とcolor
 ロバーツ『メンデル以前の植物交雑』(1929)で気になることの一つは、「カラー」(色)を常にcolorと表記し、一切colourを用いていないことである。本文中はとにかく、文献欄でも同様なので困る。イギリスの文献名でcolorを用いたら、誤記といわざるを得ない。
 メンデルに先立つエンドウ交雑実験の論文として知られるゴス(John Goss)の論文もその一つである。この論文は『ロンドン園芸協会紀要』第5巻(1824)に掲載されているが、今はこれをネット上で読むことができる。便利な世の中になったものだ。ロバーツ(1929)の文献欄によれば、ゴスと並び称されるセトン(Alexander Seton)の論文も同じ号に掲載されているはずだが、雑誌の目次にはない。かなり悪戦苦闘した後で分かったのは、セトンの論文など、どこにも存在しないということ。ゴスの論文の後に「編集者注」(Note by the Secretary)が付記されており、ゴスの論文が会合で読まれた1822年10月15日 以前の同年8月20日にセトンの類似論文が読まれていたと記され、その概要が紹介されている。ロバーツ(1929)の記述はあまりにも不正確で誤解を招く。オルビーは一次資料を確認することなく、ロバーツ(1929)に基づいてゴスとセトンを論じているように思われる。メンデル論に影響を及ぼすことではないが、二次資料を頼りにする危うさを思い知らさせる事例であろう。

2014年9月16日(火)メンデル以前
 メンデルがエンドウ論文で言及している植物雑種研究の先駆者については13日までに執筆を済ませた。引き続き、「エンドウ論文の目的」というメンデル論の核心に着手する予定だったが、その前にメンデルが言及していない先駆者についても整理しておく必要を感じた。14日からはロバーツ『メンデル以前の植物交雑』(1929)とオルビー『メンデリズムの起源・第2版』(1985)とを精読することにした。丁寧に読んでいくと、両書にけっこう間違いのあることも分かる。たとえば、オルビーはドイツの植物学者ヴィーグマンについて「『ヴィーグマンの自然史雑誌』の編集者として知られている」(p.22)と書いているが、これは息子の動物学者のことである。評価の高い著書でも無条件に信用してはならないということだろう。
 日付が変わる頃に東の空を見ると、二十三夜の月がくっきりと浮かんでいた。手元の歳時記にも秋の季語として「二十三夜」が掲載されているが、例句のないのが残念。

2014年9月11日(木)ラドウィック『化石の意味』書評の校正
 ヴィヒュラ(1865)からの英訳抜粋をオルビー(1985)で読む。ヴィヒュラはダーウィンの自然選択説を支持しており、ダーウィンもまたヴィヒュラを高く評価していた。メンデルはヴィヒュラを誤読しているというオルビーの指摘には留意しなければならないが、メンデルはそのことを承知していたという気もする。
 1月末に『科学史研究』編集部に送った書評の校正刷りが昼前に届いた。ようやく次号に掲載されるようだ。原稿は電子データで送っているので誤植はない。そのまま返送。この地質学史でも、メンデル論でも、ダーウィンが登場してくる。これがダーウィンのすごいところだろう。
 日付が変わる頃に外に出ると東の空に少し欠けた月が出ていた。歳時記によると18日の月は「居待月」というらしい。「暗がりをともなひ上る居待月」(夜半)。

2014年9月8日(月)名月
 今日は体調も良く、ハーバートについて調査が進んだ。夕刻、三日市町駅前のスーパーにキャットフードのまとめ買いにでかけた。帰途、東の空に満月が大きく光っていた。深夜、小さくなった満月が南の空にあった。久しぶりに書棚から歳時記を取り出し、「名月」の項をひらいてみた。50句ほど並んでいるが、一つだけ選ぶなら、「名月や夜は人住まぬ峰の茶屋」(蕪村)だろうか。今夜の月にぴったりなのは、「名月や只美しく澄みわたる」(樗良)。

2014年9月6日(土)メンデルの先駆者
 ゲルトナーについての執筆をようやく終えた。作業日誌を見るとゲルトナーについては先月25日と本日の2日しか費やしていない。なぜか雑事に追われ、メンデル論に集中できていない。ゲルトナーについて今回はごく簡単な紹介ですませたが、いずれメンデルのエンドウ論文におけるゲルトナー論を詳細に考察しなければならない。

2014年9月1日(月)動物病院
 昨日の今日で疲労困憊。ぼんやり、ごろごろしていたが、雨模様の夕方になって千代田動物病院へ。三毛猫ハナに毎日、施しているリンゲル皮下注射の廃棄物処理の依頼である。このところハナはすこぶる元気で、食も順調。三日市町駅前のスーパーでは月曜日にペットフードが2割引になるので、1週間分を購入。昨年までのハナは同じ固形飼料で満足していたのに、今は缶詰類しか食べない。それも同じものが続くと飽きて拒否するので、各種フードを取りそろえ、毎日、組み合わせを考えて与えなければならない。老猫は世話がやける。それでも元気でいてほしいと思う。

2014年8月31日(日)ベートーヴェン交響曲全曲演奏会
 河内長野市ラフリーホールのコンサート「ベートーヴェン振るマラソン」。この日、44歳の誕生日を迎えた指揮者の井村誠貴が、1日で全9曲指揮に挑戦した。44歳か。この年代でなければ、こうした企画は実行できないだろう。オーケストラは井村の呼びかけによる「寄せ集め」だが、演奏の質は高かったと思う。
 10時に第1番が始まり、第九が終わったのは8時。文楽なら「忠臣蔵」の通しに匹敵する。演者だけでなく、聞く方にも気力・体力がいる。「忠臣蔵」なら細部まで頭に入っているので、要点を押さえながら余裕を持って楽しめるが、クラシックはそうはいかない。午後前半の5番「運命」、6番「田園」のころに疲れがピークになり、聞き慣れた曲も頭を通り過ぎていくだけだったが、休憩後の7番の時には疲れが抜け、第九の最後まで楽しむことができた。
 ベートーヴェンの交響曲は聞く機会が多いが、1番、2番、それと4番は滅多に聞けない。今回、4番に魅力を感じたので、CDで改めて聞き直したいと思った。
 第九にはオーケストラ総員150名のうち120名が参加。合唱が180名。舞台は際まで演奏者であふれ、上手の袖にはコントラバスが押し出され、下手の袖にはパーカッションが押し出されていた。太鼓の音が正面ではなく、左側から聞こえてきたのには、いささか違和感があった。ソリストがオーケストラの背後にいるのも普通ではない。ソプラノ平野雅世、テノール松本薫平など、ラブリーホールでおなじみのメンバーであった。
 午前中は空席が目立ったが、しだいに入場者が増え、最終的には八分か九分の入りになったろうと思う。しかし第九を含めて3千円なら満席になると思っていた。客層は中高年が中心で、中学生・高校生が少なかった。好奇心でベートーヴェンの交響曲全曲を聞いてみようとする近隣の学生が、もっといてもよさそうなものだが。
 7番の最中、隣席のおばちゃんがケータイでメールを見ていた。休憩時間に注意しようかとも思ったが、ますます不愉快になりかねないので、我慢した。その後、同じことはなかったので助かった。いい大人がこれだから、授業中に学生がケータイのメールで遊ぶのも無理ないか。

2014年8月27日(水)NTT光回線の更新工事
 2週間ほど前、NTT関連会社から電話があって、光回線を「隼」という新方式に変えるとネットが速くなり、しかも料金は変わらないという。それならと変更を申し込み、工事は本日と決まった。「工事」というからにはNTTから人が派遣されると思い込んでいたが、夕方まで待ってもなんの連絡も無い。担当先に問い合わせたら、工事は自分でやるのだという。かなり不安だが、やるしかない。数日前に送付されてきた機器を取り出し、配線の付け替えをやってみた。機器の数が半減して、すっきりした。無線LANを使ったインターネット接続に手間取ったが、最終的には成功したようだ。確かにネットは速くなったような気がする。
 それにしても、NTT側では顧客自身の作業が当たり前なのだろうが、こちらとしては「工事」というからにはNTTがやるものと思い込む。今回の「工事」とは、端末の配線を自分で付け替えることだと、ていねいに説明してほしかったな。

2014年8月26日(火)桃大図書館
 午前中は近大病院眼科。午後は桃大図書館の収蔵庫へ。1990年に刊行されたダーウィンの『マージナリア』は、ダーウィンの蔵書の書き込みを収録した大型本である。ダーウィンがどんな本をどのように読んだのか、具体的に分かるので、現役時代に個人研究費で購入し常に参照してきたが、退職に際して図書館に寄贈してきた。
 今回は植物雑種の研究書について確認してきた。ケールロイターの報告(1761-66)を入手し、熟読していることに感服する。ゲルトナーの大きな本(1849)も精読している。メンデルがエンドウ論文(1866)で言及している他の3人の報告も読んでいる。ダーウィンはこれらを種の問題、すなわち進化についての先行研究として読んでいるのであり、メンデルもまた同様であった。メンデルのエンドウ論文は、遺伝の研究ではなく、進化の研究論文であったことの、一つの証拠になるであろう。

2014年8月24日(日)ジャーナル執筆
 昨日も所用(カミさんのお供)で難波に出たので3日続けての外出となり、疲労蓄積。本日も昼は家事手伝い。深夜になって落ち着いた時間が持てたので、8日ぶりにジャーナルを書いている。間が空きすぎている。メンデル論の執筆も途絶えがち。ケールロイターについては延べ2日で簡単に終えたが、ゲルトナーでストップしている。下調べが不足していた。なんとかまとまった時間を得て、先に進みたいものだ。
 本日の朝日新聞の読書論の「ニュースの本棚」に、桃大の同僚だった高田里惠子教授の「博士の社会史」が掲載されているが、いつもの高田節の小気味良さが影を潜めている。著者の自己規制か、編集者の意向か。

2014年8月22日(金)動物病院
 朝早く、三毛猫ハナを連れて千代田動物病院へ。ハナは10日ほど前から元気を回復し、よく寝て、起きたら食事を催促する。しかし昨日から口内炎のため食欲が落ちてきたので、抗炎症剤を注射してもらった。即効性があるのか、帰宅するとすぐに食事をしていた。
 ペットフード売り場などで猫好きの人と話をすると、数人が23歳の猫がいるといっていた。ハナもまだまだ、いけるはずだ。

2014年8月21日(木)散髪
 45日ぶりに行きつけの理髪店へ。ほとんど家にいて人目を気にすることもないのでこの間隔になってしまったが、さすがにうっとうしくなっていた。外出ついでにラブリーホールに立ち寄り、「ベートーベン交響曲全曲演奏」(31日)のチケットを購入。1日でベートーベンの交響曲全曲が演奏される。第九にはソリストと合唱団も出演する。3,000円足らずのチケット代でなぜ可能なのか不思議な気もするが、とにかく行く価値はあるだろう。

2014年8月16日(土)文献記載
 これまではとにかく本文を書かなければと、文献記載を後回しにしてきたが、ようやく落ち着いて取り組める気分になったので、本日はここまでの文献を記載することに集中した。なかば機械的で面倒な作業だが、専門家向けの論考では手を抜けない。

2014年8月15日(金)一休み
 リンネの雑種論についての部分を昨日、書き終え、本日はなんとなく解放感に浸っている。ジャーナルをまとめ書きする気にもなった。「メンデル論」の先は長いが、じっくり取り組んでいこう。

2014年8月14日(木)リンネの雑種論
 我が「メンデル論」の最初の部分、先駆者の一番手リンネの雑種論についての執筆をようやく終えた。下調べは済んでいたはずなのに、延べ5日も費やしてしまった。体調不良などで集中できなかったこともあるが、リンネの理論の変化をリンネの著作できちんと押さえなければならず、その確認に手間取ってしまった。勉強するだけならそこまで気にしないのだが、執筆するとなると正確な記載が必要になる。時間を要するが、自分にとっても有益なことといえよう。
 リンネの雑種論を本格的に考察しようとすると、分類体系と分類実務との関係や「皮層・髄」仮説などについても論じなければならない。メンデル論には必要ないので今回はそこまで踏み込まなかった。
 拙著『博物学の欲望 - リンネと時代精神』(講談社現代新書 1992)では、リンネの種概念や雑種論についてほとんど触れなかったが、それでよかったのだと思う。

2014年8月12日(火)二尊院・八社宮
 昨日、二尊院で八社宮(はちしゃのみや)をじっくり観察していて、妙なことに気付いた。まつられている神社は、向かって右から、松尾神社、愛宕神社、石清水神社、伊勢皇大神宮、熱田神宮、日吉神社、八坂神社、北野神社となっている。中央に伊勢神宮と熱田神宮をまつり、その左右に京都の神社を配しているが、なぜこの6社なのか分からない。松尾神社と愛宕神社は二尊院の近くということで理解できる。お寺との関係で日吉神社も分かる。しかし残りの3社がなぜ、石清水と八坂と北野なのか。京都で最も重要な賀茂社が無いのはなぜか。そもそもこの社の由来はなにか。
 今日は疲労感が強く、遺伝学史はあきらめて、ネットで上記の件を調べてみた。しかし、なんら情報は得られなかった。八社宮は京都市指定の文化財になっており、京都市のホームページでは江戸時代前期と記されているが、二尊院の案内には室町時代とある。専門家でも分かっていないことなのかも知れない。

2014年8月11日(月)京都嵐山
 昨日、台風11号が日本海に抜け、本日は晴天となった。カミさんの墓参につきあって二尊院へ。途中、渡月橋から見た桂川では、濁流が渦巻いていた。水があふれる直前だったのではなかろうか。今日は駅でも嵐山でも浴衣姿の女性がたむろしていて、目の保養になった。 

2014年8月7日(木)リンネが書いた学生の学位論文
 相変わらず体調不良でぐったりしている時間が多いが、夜になって、とにかくリンネの雑種論の部分の執筆に着手した。リンネの重要な論文には学生の学位論文として発表されたものが多いが、科学史ではリンネ執筆の論文として扱われている。メンデルなどの植物雑種研究の原点とされるリンネの「雑種植物」(1751)も、そうした論文の一つであった。このような論文をきちんと記載しようとすると、かなりやっかいである。名目上は学生の学位論文なのだから、まずその形で記載し、その後、リンネの論文集『学問の喜び』に収録されていることを記載しなければならない。通常の文献記載よりも数倍のスペースが必要になる。我がメンデル論では、そこまでこだわらなくてよいだろう。
 現在では指導教員が執筆したものであっても、一旦、学生の論文として発表したものを指導教員が自分の論文として用いれば盗作とみなされる。リンネの場合、何ら問題になっていなかったのである。

2014年8月2日(土)ジャーナル執筆
 連日の動物病院通いなどで疲労がたまり、この1週間は遺伝学史研究どころか、ジャーナルを執筆する余裕もなかった。横たわると、磁石で押さえつけられたような感じになり、起きるのが嫌になる。本日は夜になってやや疲れも抜けてきたので、とにかくジャーナルを書くことにした。これも老化防止の一つだ。
 今日は久しぶりに終日の雨。庭の草木も喜んでいる。ハナも若干、食事が回復してきた気がする。

2014年8月1日(金)初めての支援サービス
 午前にヘルパーさんが上司とともに来宅し、掃除のサービスをしてくれた。風呂場などは長年、本格的な掃除をしてこなかったが、おかげでずいぶんときれいになった。
 これから定期的にヘルパーさんが来ることになるが、こちらもそれに合わせて自宅待機しなければならない。どんな生活になるのか、しばらく続けてみないと分からない。

2014年7月31日(木)動物病院/介護保険・支援サービス
 朝早く、ハナを連れて千代田動物病院へ。腎臓については既定方針通り、家でリンゲルの皮下輸液を続けることになった。口内炎で食事がしにくくなっていることについては、とりあえずステロイドの痛み止めを注射することになった。
 午後、ケアマネジャーと福祉用具の関係者が打ち合わせに来宅。今日もこれだけで疲労し、後は何もできない。

2014年7月30日(水)立花明彦『何かお手伝いしましょうか~目の不自由な人への手助けブック~』産学社 2014年
 数日前に著者から送られてきた標記の著書を読了。新書サイズ、94ページ。短時間で読み通せる分量である。内容はタイトルの通りで、一般人に向けて、「やさしい言葉でわかりやすく書くように」(p.91) したという。そのためか、やや冗長でくどいと感じられるところもあるが、それも編集者の要請だったのだろう。しかし帯には、「ガイドヘルパー・訓練士などの視覚障害支援者も必読の書」とあり、価格設定(本体1200円)からも営業的には関係者への販売を目指しているように見える。
 ヘルプのための単なるハウツー本ではなく、視覚障害者の実態について基本的なことを知ることができた。しかし、「何かお手伝いしましょうか」と実際に声を掛けられるかとなると、自分には難しい。英語の May I help you ? は気楽に使える表現だが、「何かお手伝いしましょうか」は重く感じられる。だからといって対案があるわけでもない。若い世代なら気楽に使えることを期待したい。

2014年7月29日(火)近大病院/桃大図書館
 午前中を近大病院眼科で過ごした後、桃大へ。まずは図書館で他大学に複写依頼していたメンデル関連の文献を引き取る。このところ遺伝学史研究を中断しているが、論文コピーを目にするとやる気が沸いてくる。予定では図書館収蔵庫にもぐって文献調査をするつもりだったが、眼科で点した散瞳薬の影響が残っていて活字が見にくい。あきらめて、早めに帰ることにした。
 大学は期末試験の真っ最中。図書館の閲覧室も学生でいっぱいだった。こういう情景に出会うのも久しぶりの気がした。

2014年7月28日(月)動物病院
 朝早く、ハナを連れて千代田動物病院へ。ハナがやや元気を失い、食事もしなくなったので、老齢でもあり、早めに見てもらうことにした。半日入院の点滴で様子を見ることになり、ハナを預けて一旦、帰宅。夕刻7時に引き取りに行く。朝晩の通勤ラッシュの時間帯なので、電車バスの乗客に迷惑をかけないよう気を遣うので疲れる。

2014年7月26日(土)動物病院/介護保険・支援サービス
 朝早くにハナを千代田動物病院に預け、近くの国立病院のロビーで時間を過ごしてから、昼過ぎに引き取りに行く。肝機能は正常になっていた。腎機能もかなり改善されていたが、まだ、正常値には達していない。しかし明日からは家で皮下輸液を続け、様子を見ることになった。元気に動き回るハナを見ていると、こちらも元気になる。
 夕刻近くに介護保険・支援事業の関係者3人の訪問を受け、8月からの支援サービスの手続きを進めた。夫婦とも、2年前に「要支援」の判定を受けているが、家の中に他人が入り込むことに抵抗感があり、いままで支援サービスを受けていなかった。しかし、そんなことはいっていられない状況になってきたので、支援を受けることにした。生活パターンが少し変わるかもしれない。

2014年7月25日(金)動物病院/奈良国立博物館・醍醐寺展
 朝早くにハナを動物病院に預け、そのまま難波に出て奈良に向こう。まずは奈良博の特別展「醍醐寺のすべて」へ。
 下醍醐は数回、訪れているが、いつも上醍醐に登る余裕がなかった。今後も、下醍醐を訪れることはあっても上醍醐まで登ることはないであろう。その点、今回の展覧会で注目すべきは上醍醐・五大堂の五大明王像であろう。この機会を逃したら生涯、実物を拝観することがないかもしれない。
 上醍醐・薬師堂の本来の本尊も、上醍醐・清瀧宮に安置されていた如意輪観音坐像も、現在は下醍醐・霊宝館に収蔵されているので拝観したことがあるはずなのだが、まったく記憶に残っていない。三宝院本堂の弥勒菩薩坐像も同様である。今回はこうした仏像に集中して見て回った。国宝の文書類こそが重要な展示品なのであろうが、素通り。宗達の「舞楽図」は展示されていたが、国宝「絵因果経」が出展されていないのが残念だった。
 奈良博・旧館に回り、おなじみの仏像を見てから、青銅器館へ。いつもは閑散としている青銅器館が賑やかだった。7日5日付け朝日新聞の「名宝細見」で展示品の一つが紹介されたおかげであろう。興福寺の国宝館と東院堂に立ち寄ってから、近鉄奈良へ。
 7時に千代田動物病院でハナを引き取り、帰宅。ハナはますます元気になっていた。薬を誤飲する以前よりも、体調が良さそうである。

2014年7月24日(木)動物病院
 一昨日の昼前に20歳の三毛猫ハナが人間用の薬を誤飲し、様子がおかしくなった。水曜日は休診日なので、本日、午前中に千代田動物病院に連れて行ったところ、肝機能・腎機能がきわめて悪くなっていることが分かった。いつ死去しても不思議ではないほどで、数日間、点滴を続ける必要があるという。しかし老齢なので夜は家に帰ることにし、とりあえず、半日入院となった。
 夕刻、ハナを引き取って帰ったところ、大幅に病状は改善され、元気に歩き回るようになっていた。よかった。一日振り回された疲れも飛んでしまった。

2014年7月21日(月)旧式デジカメ利用不可
 15年前に購入したデジカメ、富士フイルムFinePix1200 を利用しようと努力してみたが、結局、本体も付属品もWindows7 に対応していないことが分かった。撮影できても映像が活用できないのでは、実質的に利用不可といえよう。つくづくXPパソコンの廃棄が悔やまれる。廃棄する時にはデジカメのことなど、全く念頭になかった。三毛猫ハナの写真はケータイか使い捨てカメラで撮影するほかないだろう。

2014年7月20日(日)ラブリーホール「アイーダ」
 河内長野市ラブリーホールで市主催のオペラ「アイーダ」を見る。ほぼ満席のようだった。例によって経費節減のため舞台装置はごく簡素で、服装もほとんど通常の洋服のまま。それでも今回はフルオーケストラ(大阪交響楽団、指揮・牧村邦彦)で、歌手も実力者ぞろいのため、十分、楽しむことができた。アイーダはラブリーホールでおなじみのソプラノ平野雅世。ラダメスのテノール二塚直紀は小柄でエジプト軍司令官という柄ではない。今回のような演出だからよいものの、本格的な扮装の場合はとうていこなせる役ではないだろう。役者として最も存在感を示していたのは、祭司長ランフィスのバリトン片桐直樹。オペラは音楽だけでなく、「見る」要素も重要なはずである。その点でいえば、有名な第2幕第2場「凱旋」の場は、いつか豪華な舞台で見たいものだ。
 ところで帰宅後、「片桐直樹」をネットで検索したところ、同姓同名の映画監督と画家がいて、それぞれ、その分野では知る人ぞ知る存在らしい。ネット上ではこの3人の映像やデータが混じり合っていた。ネット情報には用心が必要な事例の一つだろう。

2014年7月17日(木)カメラ嫌い
 「嫌い」というわけでもないが、旅行先でも面倒なので写真は撮らない。15年前に購入したデジカメも、ここ数年は使用していないので使い方を忘れてしまった。ケータイで写真を撮ったこともない。ところが三毛猫ハナの長寿を獣医師会に表彰してもらうためには写真が必要だという。そこでデジカメとケータイ写真の使い方をそれぞれのマニュアルで学ぶことにした。
 デジカメの写真をパソコンに取り込むのに、フロッピーディスクドライブを利用していたことをすっかり忘れていた。現在利用している7パソコンにはFDDがない。FDDが付いていたXPパソコンを廃棄しなければよかったと悔やんでも、後の祭り。安価な外付けFDDを通販で購入し、デジカメを活用することにした。ケータイよりも良い写真が撮れるだろう。このところ、ハナの老化が急激に進行している気配がある。できるだけ元気な姿を記録に残しておきたいと思う。
 ところで、今日まで9日間もジャーナルをサボっていたことになる。この間、リンネの雑種論に関する二次文献を読んだり、奈良博・醍醐寺展の予習をしたり、キャットフードまとめ買いに出掛けたりしているのだが、ジャーナルに書くほどのことではないと執筆を見送ってしまった。日々の雑感を書き留めておくほうがよいのかもしれない。

2014年7月9日(水)メンデル論
 先月の22日以来、断続的に読んできたMueller-Wille& Orel の論文「リンネの種からメンデルの要因へ:雑種形成の要素,1751-1870」(2007) をようやく読み終えた。メンデルのエンドウ論文(1866)を遺伝学の古典とみなす通説に対し、オルビー(1979)、ブラニガン(1979)、カレンダー(1988)らが、エンドウ論文はリンネからケールロイター、ゲルトナーと受け継がれてきた雑種研究の伝統的な課題である「種の変化」、すなわち進化を論じたものであり、遺伝を課題としたものではないと指摘していた。このオルビーらの主張に対し、正統的なメンデル論の旗手であるオレルが若手研究者の協力を得て反論している。しかしオルビーらの主張を全面的に否定しているわけではなく、エンドウ論文が雑種研究の伝統を受け継ぐものであることを認めている。ただ、先駆者たちが個体全体の形質に注目したのに対し、メンデルは個々の形質に注目することによって生物学に新機軸を開発したというのである。このオレルの主張を見ても、メンデルのエンドウ論文が本来、遺伝学の論文ではなく、あくまでも伝統的な植物雑種の研究論文であったことには異論がないといえるだろう。
 それにしても、この論文を読むのに延べ6日とは、時間が掛かりすぎた。この論文の前半はリンネ、ケールロイター、それとゲルトナーの雑種論を分析し、後半はメンデルのエンドウ論文を分析している。この後半は明快なのだが、前半が理解しにくいし、誤りも目立つ。リンネの唯一の交雑実験の材料である Tragopogon(バラモンジン属)を繰り返し、Tragopon と誤記しているが、著者、レフェリー、あるいは編集者の誰かが気がついてもよさそうなものだ。ケールロイターからの英訳引用文(p.183)にも、おかしなところがある。この前半部分を理解しようとしてエネルギーを使いすぎた。

2014年7月7日(月)古代史
 38日ぶりの散髪のため外出。散髪の後はどこかに出掛けるようにしているので、本日は七夕の行事を見物する予定だった。しかし、この雨では出掛ける気にならない。その代わりに、河内長野駅前の書店の古書200円均一の山の中から、吉田孝『日本の誕生』(岩波新書 1997)と朧谷寿『藤原氏千年』(講談社現代新書 1996)とを購入し、一気に読了。『日本の誕生』では、国号が「倭」から「日本」に変わった経過が理解できた。冒頭部分(p.6)で古代人は「倭」を蔑称とは考えていなかったとし、中世後期に「蔑称としての性格を強めていった」(p.199)という一方で、奈良・平安時代には、「『和』は『倭』と同音で、『倭』よりも雅な意味をもつので、『倭』とともに用いられるようになる」(p.201)とある。すっきりしない。古代人も「倭」が蔑称であることは承知していたのではなかろうか。現代の我々も、「和(倭)」が本来、蔑称であることを承知の上で、「和食」「和菓子」「和服」などといっているではないか。
 『藤原氏千年』では、鎌足の出生地について大和説と常陸説とを紹介している。鎌足について詳しいことは分かってないようだが、ほかの文献にも当たってみたいと思う。

2014年7月3日(木)動物病院
 午前中に三毛猫ハナを連れて、千代田動物病院へ。口内炎が悪化して食べたいのに食べられないという状態になっていたので、抗炎症剤を注射してもらう。効果てきめん。帰宅後、もりもり食べるようになった。
 夜になって気力、体力に余裕ができたので、5日分のジャーナルをまとめ書き。遺伝学史の方は8日間、お留守になっている。明日は再開したいものだ。

2014年7月2日(水)外猫シロの死
 昨夜の11時半ごろ、家の外で面倒を見てきたシロが亡くなった。日曜日には掃除をする当方の後を追いかけていたのに、昨日の夕方にはウッドデッキの下にもぐったきりになった。それが夜半に勝手口の近くまで来て、人を呼び、そのまま息を引き取った。6月26日に獣医師から予後不良と告げられてはいたが、これほど早いとは思わなかった。遺体は今日の午後、市の担当部局に有料で引き取ってもらった。
 2010年春に我が家の庭に居着いてしまったシロを保健所に突き出すわけにもいかず、面倒を見ることになった。人を怖がらないので、おそらく野良猫ではなく、飼い猫が捨てられたものだろう。我が家には老猫のハナがいるので、シロを家の中に入れることはできなかった。それでもシロは、ときおり玄関を強行突破して家の中に飛び込んだが、「家の中は駄目だよ」というと、すごすご出て行った。賢い猫だった。
 最期だけでも家の中で過ごさせてやりたかったが、現状では不可能だった。外でできるだけのことはしてやったつもりだが、結局は中途半端なことになったのかもしれない。

2014年7月1日(火)集団的自衛権
 本日、集団的自衛権を閣議決定。朝日新聞にときおり掲載される池澤夏樹のコラム「終わりと始まり」には共感することが多いが、本日の「喧噪を遠く離れて」の冒頭部分もその一つである。「ぼくのような非戦主義者はこのところアウェー感が強まっているからいよいよかっとなりがち」だが、「今の政治の惨状から離れて、人間というものを悠然と広く見る視点に立ちたい」。
 それにしても、特定秘密保護法や集団的自衛権があっさり認められる日が来るとは思わなかった。次は核武装か。まさか、と思いたいが、集団的自衛権も「まさか」ではなかったろうか。

2014年6月30日(月)映画「超高速!参勤交代」
 所用で難波に出たついでに、標記の映画を見る。冒頭で農作業中の農民が気楽に藩主に話しかけたり、最後は江戸城内で宿場女郎が老中に人間平等を説くなど、あり得ない場面の連続。幕府隠密が「死して屍、拾う者なし」と叫んだのには笑ってしまった。テレビ東京がこの映画のスポンサーになっているが、「大江戸捜査網」も同局の作品であった。目くじら立てず、笑って見るべき映画だろうが、そのためにわざわざ出かけるほどのものではない。

2014年6月29日(日)団地自治会・ミゾ掃除
 朝9時から自治会恒例の一斉清掃で溝掃除をしたついでに、庭の落ち葉掃除もしたので疲れた。その間、ずっと外猫のシロがついてきた。シロにはそれが楽しいのだろう。

2014年6月26日(木)奈良博・興福寺/動物病院
 朝早く、半日の検査入院のためシロを連れて千代田動物病院へ。夕刻まで時間があるので、難波から近鉄奈良へ。まずは奈良国立博物館・旧館「なら仏像館」へ。3月19日に訪れた時と同様、特別公開の二体、桜井市外山区の「定朝様の丈六阿弥陀像」と河内長野市金剛寺の「降三世明王坐像」とが圧倒的である。ただし今回の目的は、興福寺蔵「法相六祖像」のうちの立て膝の二体である。予備知識を得て二体を見比べると、今まで気づかなかった面白さがある。本当は六体を一度に見比べるべきなのだろう。同じ第二室には兵庫・浄土寺の「阿弥陀如来立像(裸形)」が展示されているが、いつも「早くおいで」といわれている気がする。まさに「お迎え」の阿弥陀さんなのだろう。
 ついで、興福寺・国宝館へ。主目的は「法相六祖像」のうちの四体だが、今回は国宝「華原磬(かげんけい)」にも注目することにした。友の会会員に送られてきた広報誌「興福」最新号に掲載の橿原考古学研究所長・菅谷文則「国宝華原磬の台石復元」を読んでのことである。国宝館・中央の旧食堂本尊「千手観音菩薩立像」の前に置かれており、何度も目にしてきたはずなのに、記憶に残っていなかった。
 突然、降り出した雨の中を東金堂に移動し、雨が止んでから近鉄奈良駅へ。7時前に動物病院に行き、シロの状態を聞くと、予後不良。成り行きで面倒を見ているだけとはいえ、悲しいことになった。なるべく大事にしてやるほかない。

2014年6月20日(金)高島屋史料館
 所用で難波に出たついでに日本橋の高島屋史料館「工芸と彫刻にみる・いろとかたち展」へ。有田三右衛門や三代の三輪休雪など、近現代の著名陶芸家の作品が並んでいる。これが無料で楽しめるは、ありがたい。先客が三人ほどいたが、全員が男性高齢者。年金生活者の暇つぶしか。自分も同様に見えているのだろうな。

2014年6月18日(水)メンデル論の執筆に着手
 『生物学史研究』に投稿予定の原稿執筆に着手。まだまだ読まなければならない論文が多数あるが、読んでばかりでは埒が明かないので、とにかく書き始めることにした。執筆の進行に合わせて文献を確認していくことにしよう。

2014年6月17日(火)近大病院/桃大
 朝、近大病院眼科に出かけたついでに、午後は桃大へ。まずは12日(木)の「総合・人間学」の最後に受講生が書いた感想文を担当教員から受け取り、目を通す。講義では、「唯一生き残るのは、変化できる者である」という言葉はダーウィンの言葉ではないことにも触れたが、学生によると、アルバイト先の訓示などで今でもダーウィンの名言として引用されているという。一旦、広まった誤りを正すのは容易ではない。

2014年6月14日(土)動物病院
 ハナとシロを連れて千代田動物病院へ。ともに口内炎が悪化してきたので、抗炎症剤を注射してもらう。2匹同時となるとタクシーで往復するしかないが、帰りの車の運転手さん宅には23歳の老猫がいるという。20歳までは元気だったが、今は目が見えず、歩行も困難になっているという。ハナはずっと元気でいてほしい。

2014年6月12日(木)桃大「総合・人間学」出講
 本日のテーマは「ダーウィンの人間論」。話のネタはいくらでもあるが、予定通り10分前に終えた。午後は名誉教授室でメンデル関連の文献を読む。『アメリカ植物学雑誌』(2001)掲載の総説がネット上に公開されているが、植物学者の立場でフィッシャー問題や連鎖についてメンデルを擁護しており、精読する必要があるようだ。

2014年6月10日(火)歯科検診/桃大図書館
 半年ごとの検診のため、北野田の日野歯科医院へ。外出ついでに桃大へ。図書館で明日の授業の教材を借り出し、遺伝学史の文献を探す。早めに帰るため、3時10分発の金剛駅行き通学バスに乗るつもりだったが、すでに長蛇の列。とても座れる状況ではないので、和泉中央駅まで歩いて帰ることにした。

2014年6月5日(木)桃大「総合・人間学」出講
 3ヶ月ぶりに桃大へ。今週と来週の2回、2時限「総合・人間学」に出講する。本日のテーマは、「人間についての科学的研究の誕生」。受講生は200名ほどだが、意外と静かに聞いてくれた。
 午後は図書館でさまざまな調査をする予定だったが、結局、メンデル関連の論文を1本、コピーしただけで終わった。
 今年の3月で定年退職した教員の数が多く、名誉教授室のロッカーも倍増していた。個人別メール・ボックスに入っていた販売目録類は1通だけになった。書店などには昨年のうちに目録送付の中止を要請していたので、その成果であろう。

2014年6月2日(月)配布資料送信
 桃大「総合人間学」の担当教員に、配布資料のpdf ファイルを送信し、提示用スライドの修正・追加を行う。久しぶりに遺伝学史から離れ、生物学的人間論の歴史に取り組んだので、新鮮な気分である。

2014年6月1日(日)教材スライド修正
 ようやく「総合人間学」出講のpptスライドの修正に着手。どうしてもスライドの数が増えてしまうので、とりあえず配布用を準備。提示スライドは出講前日の4日(水)までに作成すればよかろう。
 シロは食欲回復。病院通いは終わりにしていいだろう。

2014年5月31日(土)動物病院
 シロの病院通いも3日目、今日もこれだけで一日が終わってしまった。

2014年5月30日(金)動物病院
 今日も朝早くにシロを連れて千代田動物病院へ。帰宅後、疲労ついでに再び外出して散髪に。5日(木)の出講までに、少しは身だしなみを整えておこう。
 教材修正は今日も無理。シロは相変わらず汁気を口にするだけ。明日もまた、病院に行かねばならない。

2014年5月29日(木)動物病院
 一昨日の27日は食欲旺盛だったシロが、昨日は一転、何も口にしない。これは獣医師に診てもらうほかないと、朝早くに千代田動物病院へ。医師の見立てでは、喧嘩をして顔にけがをし、それが膿んで食べにくくなっているということだった。手当を済ませて帰ると、汁気のものを少しは口にするようになった。
 いつものことだが、5キロのシロを抱いての往復で疲労困憊、帰宅後、何もできない。夜になって、来週の5日(木)に出講予定の桃大の「総合・人間学」の昨年度の教材スライドを開いた見た。大きく修正したくなったが、今日は無理だ。

2014年5月27日(火)メンデル神話
 この3日間で、「遺伝学の父・メンデル」は神話に過ぎないと論じたブラニガンの雑誌論文(1977)と、その著書(1981)の邦訳『科学的発見の現象学』(1984)の第6章「メンデルの物象化」(pp.188-246)とを読み比べた。我がメンデル論で引用する場合に、両者の違いを注記したいと考えたからである。
 雑誌論文の本文と注はほとんどそのまま著書に転載されている。ただし、冒頭の序論に該当する部分は、著書(pp.188-191)で2倍程度に加筆されている。さらに、著書では雑誌論文の結論の後に大幅な加筆(pp.234-246)があり、発見の文脈と正当化の文脈との区別、多重同時発見、それと時代精神との非両立性、それぞれの事例として好んでメンデルが挙げられるが、それは誤りであるという。最後に、メンデルがかくも長い間重視されてきたのは、偉大な業績が報われなかった悲劇として一般的関心をかき立てたためであると述べている。
 ブラニガンの論点の一つは、メンデルの研究は当時の植物雑種研究の伝統に沿ったものであり、メンデル自身、その「遺伝法則」を重視することはなかったということであり、第二の論点は、1900年にコレンスがド・フリースとの先取権争いのためにメンデルを担ぎ出し、ベートソンが生物計量学派との論争のためにメンデルを担ぎ出したため、エンドウ論文が1866年の時点とは異なる意義を持つようになったということである。
 これは妥当な指摘ではなかろうか。なお、ブラニガンはメンデルが粒子的遺伝を想定していたとみなしているが、オルビーは同じ1977年に出た論文「非メンデル主義者・メンデル」でそれを否定している。以来、正統的なメンデル像を修正する論考が続出している。その状況をなんとかまとめたいものだ。

2014年5月22日(木)動物病院
 シロを連れて、千代田動物病院へ。口内炎が悪化したのだろう、食事の量が激減してきたので、抗炎症剤を注射してもらった。これでまた、食欲が回復するだろう。5キロのシロを抱えての往復で疲労困憊。何もできない。
 夜になってNHK-BSで近藤勇についての番組を見た。松浦玲さんが、ほんの短時間だけ登場していたが、信頼できる幕末史の専門家として、もっと長時間、語ってもらうべきではなかったろうか。体力的に難しかったのだろうか。

2014年5月21日(水)植物雑種の研究者
 昨日と今日で、フランスのナチュラリスト、アンリ・ルコックについての概要調査を終えた。メンデルはエンドウ論文の「序論」でルコックに言及しているが、ルコックのどこに注目したのかは分からない。ダーウィンはルコックの複数の文献に目を通し、『変異』と『花の異形』で、それぞれ数回、引用している。
 驚いたというか、あきれたというか、英語版ウィキペディアの「アンリ・ルコック」の項目には、ダーウィンが『種の起源』初版の序文でルコックに言及しているとある。この序文「種の起源に関する意見の進歩の歴史的概要」は第3版になってから付記されたもので、初版と第2版には存在しない。ただし、後年の刊行物の中には、初版の本文の前にこの「歴史的概要」を付記しているものがある。この英語版ウィキペディアの項目の執筆者は、そうした後年の刊行物を根拠にしているのである。
 ウィキペディアは便利ではあるが、ときに、いい加減な解説があることを忘れてはならない。

2014年5月18日(日)ピアノ(田尻洋一)&フルート(安藤史子)
 河内長野市ラブリー・ホールで2時開演。第1部の最初がベートーヴェン「ピアノソナタ第8番・悲愴」、最後はフルートで「チャルダッシュ」。第2部はフルート曲・ドップラー「ハンガリア田園幻想曲」で始まり、リストのピアノ曲が続き、最後はボルン「カルメン幻想曲」。ポピュラーな曲で構成されており、最前列中央の席で楽しんできた。
 アンコールは、全員で唱歌「ふるさと」を歌い、その間、フルート奏者が会場を歩いて回るという趣向。若き日の彼女には考えられなかったことだ。
 フルート奏者の父親、数学史家の安藤洋美・名誉教授のほか、元同僚に会うことができた。
 本日は、河内長野市制60周年記念事業の一つ、市内のだんじり24台のパレードがあり、ちょうどコンサートの時間帯にホール前を通っていた。その交通規制のため、開演時間に遅れた人もかなりいたらしい。コンサートの休憩時間に外を見ると見物客であふれていたが、終演時にはいつも通りになっていた。

2014年5月17日(土)奈良の考古学博物館・2館
 外歩きに絶好の日和だが、かねてから訪ねようとしていた二つの博物館に出かけた。まずは近鉄電車で桜井市埋蔵文化財センターへ向かった。途中、尺土駅では、葛城山ケーブルカーが1時間半待ちと告げていた。桜井駅からは、運良く本数の少ない天理行きバスに乗ることができ、「三輪明神参道口」で下車。大鳥居の向かいにある文化財センターの展示室へ。ここに来た目的は、纒向遺跡についての展示。書物で学んでいたことを再確認し、整理することができたが、繰り返し訪問するほどのことはないだろう。1時間後のバスに乗るべくセンターを退去したが、この間、他に来館者はいなかった。
 桜井駅にもどり、近鉄に乗って「畝傍御陵前」で下車、奈良県立橿原考古学研究所付属博物館へ。65歳以上は常設展無料のつもりだったが、特別展開催中は一律800円とのこと。予想外の出費になった。現在の特別展「弥生時代の墓」は専門的に過ぎて興味が持てない。今回、ここへ来た目的は常設展の南郷遺跡の展示だったが、ここでも書籍で学んだことを確認するにとどまった。ただ、宮山古墳の立派な家型埴輪は印象的で、葛城氏の繁栄がうかがえるものであった。ここの常設展は充実しており、機会があればまた訪れたいが、特別展開催中は避けることにしよう。 

2014年5月16日(金)植物雑種の研究者
 昨日と今日で、ヤナギ属の雑種の研究者ヴィヒュラについての概要調査を終えた。メンデルはエンドウ論文でもヒエラキウム論文でもヴィヒュラに言及している。ヴィヒュラの代表作(1865)を贈られたダーウィンは同書を熟読し、詳細なメモも作成している。その内容を記している『マージナリア』(1990)を桃大図書館に寄贈してしまったので、すぐに確認できないのが不便である。ダーウィンは当時の植物雑種研究に広く目を通していたのに、メンデルにはまるで無関心だったのは、なぜか。

2014年5月13日(火)異様な暑さ
 3日ぶりにシロを連れて千代田動物病院へ。顔の腫れは収まり、とりあえずは完治。食欲も旺盛。それにしても本日のこの暑さはなんだろう。市街地より涼しいはずのこの山間地でも、部屋着用のステテコを引っ張り出し、半袖シャツという真夏の服装で十分だった。この暑さとシロの世話で疲労困憊。何もできなかった。

2014年5月12日(月)メンデル論
 昨日、ようやくカレンダー(1988)を読了。これから先、メンデル研究をどのように進めるか検討してみた。とにかく論文執筆に着手しようかとも考えたが、まだ早い。メンデルが何を目的に研究していたかを明らかにするには、植物雑種についての当時の研究状況を詳細に知る必要がある。メンデルが読んでいたはずの当時の論考を、さらに調べておくことにしよう。

2014年5月10日(土)動物病院/法相六祖坐像
 今日もまた、シロを連れて千代田動物病院へ。当のシロは自覚症状がなくなったのだろう、珍しく医者に行くのを嫌がっていた。帰宅してから回復した旺盛な食欲を満たすのが、これまた大変なのだ。
 昨日は、法相六祖坐像の本来の像主をネット上で確認するのに失敗し、あきらめることにしたのだが、どうもすっきりしない。像主同定の根拠になっている「法相曼荼羅図」から検索したらどうかと思いつき、やってみたら、あっさり出てきた。検索方法も工夫しなければならない。これで区切りがついたので、明日は遺伝学史にもどろう。

2014年5月9日(金)動物病院/法相六祖坐像
 朝早くにシロを連れて千代田動物病院へ。体調も回復してきたようで、夕方には普通に食べるようになってきた。
 午後、昨日の見聞を確認するため手元の写真集などを見る。本来は南円堂にあった国宝・法相六祖坐像は現在、国宝館に4体、奈良国立博物館に2体あるが、いずれの解説でも、僧侶名の伝承が違っていると書かれている。解説文をノートするのは面倒。ネットで簡単に分かると思っていたら、意外なことに出てこない。専門書もあるようだが、アマチュアがこだわるほどのことでもなかろうと、あきらめることにした。

2014年5月8日(木)動物病院/興福寺
 昨日から急にシロが固形物を食べなくなったので、千代田動物病院へ。口の横の腫れた部分に膿がたまっているとのことで、その部分を切開した。 当分、傷口の消毒に通わなければならないらしい。猫に奉仕する日が続くと思うと気が滅入るので、一旦、シロを家に連れ帰った後、難波に出て奈良へ向かった。
 近鉄奈良駅に着いたのが3時近かったので、本日は興福寺だけ。まずは特別開扉中の北円堂。拝観者も多く無いので、無着・世親菩薩像もじっくりみることができた。東金堂の諸仏にも大分なじんできた。国宝館では修学旅行生が次々と押し寄せてきたが、さっさと通り過ぎていくので、意外と邪魔にならなかった。ここはテーマを決めて見ないと頭の整理がつかないので、今回は法相六祖坐像に注目してきた。記憶の新たなうちに家にある文献でさらに楽しんでいきたい。
 本日、奈良まで往復しても現金を全く使わなかった。電車はピタパ。昼食の難波・江戸川も、夕食の難波・月日亭もピタパ。興福寺は「友の会」に入会したので、会員証を見せるだけ。半日遊んでとりあえずの出金ゼロは、珍しい体験であった。とにかくこれで、いささか気が晴れた。明日からは連日、シロの介護に取り組むとしよう。

2014年5月3日(土)元気なハナとシロ
 昨日の疲れが出て終日ごろごろしていたが、夜になってやや回復。5日分のジャーナルを書く。
 シロの顔の腫れは引いていないが、気にならないらしく、食欲旺盛。こちらはしんどいのに、シロの食欲に応じなければならない。シロの世話ばかりしていると、ハナが怒りに満ちた目をし、大声で抗議してくるので、ハナのご機嫌も取らなければならない。ハナは3月14日に20歳を迎えた後も元気に動き回っているが、ときどき、よろよろっとする姿を目にする。年相応に体力は落ちているのだろう。それでも、シロほど手間の掛からないのが助かる。

2014年5月2日(金)高野山
 天気がいいので急に思いつき、カミさんのお供で高野山に出かけた。例によって家を出るのが遅く、昼過ぎに高野山上に着き、奥乃院灯籠堂と金剛峯寺を訪ねただけで終わった。観光客は多くなかったが、以前と比べると欧米人の姿が目立った。明日からは連休で大変な混み具合になるとのことだった。山上では垂れ桜が盛りだった。日当たりの良い場所ではシャクナゲも咲いていたが、有名な金剛三昧院のシャクナゲなどは連休後になるらしい。
 山上ではNTTの携帯電話しか使えないことを初めて知った。また、5時にはほとんどの店が閉まり、タクシーも営業を終えてしまうので、帰り際には困ってしまった。世界的な観光地を目指すのであれば、夏場だけでも、もっと遅くまで営業してもよいのではなかろうか。

2014年5月1日(木)動物病院
 外で面倒を見ている猫シロの顔が腫れて、ふくらんでいる。当のシロは元気にしているものの、放っておくわけにもいかない。千代田動物病院に連れて行くと、虫に刺されたのだろうとのことで、注射を2本、打ってもらった。5キロのシロを抱えて往復するだけで疲れてしまうし、出費も馬鹿にならないが、成り行きで致し方ない。

2014年4月30日(水)ブレーカー・ダウン
 夜の8時ごろ、突然、家中の電気が消えた。暗闇の中、手探りで懐中電灯を探し、メインのブレーカーが落ちているのを確認した。これを上げると一瞬、灯りがつくが、すぐにバタンと落ちてしまう。どうしたら、よいのか。関電に聞こうとしても固定電話は電源が切れて使えない。携帯電話では通じない。外に出て公衆電話を使い、ようやく対処法を聞くことができた。庭の照明の配線につながるブレーカーを切っておけば復旧することが分かった。
 この事件で懐中電灯の管理がおろそかになっていたことを反省した。複数の場所に設置し、電池の状態を確認しておかなければ、夜間の震災など、いざというときに役に立たない。

2014年4月29日(火)メンデル論文の邦訳
 4月11日以来、カレンダー(1988)のメンデル論を断続的に読んできたが、まだ読み終わらない。まとまった時間が作れないという事情もあるが、引用文献を原典で確認しているため、時間を要している。カレンダーはこの論文で、メンデルの目的がダーウィン学説に対抗して雑種による新種形成を説くことにあったと主張している。刺激的な論文ではあるが、『種の起源』初版をペリカン叢書版(1981)から引用するなど、あまりに安易である。メンデルの論文についてベーツソン(1909)の英訳を利用するのはよいとしても、遺伝学の教科書(1958)に転載されているものから引用しているのも困ったものだ。せめてドイツ語原典のページを記載してあれば確認しやすいのだが、それもない。引用文の内容から原典の場所を探さなければならないので、手間が掛かる。
 この作業に関連して、『植物雑種の研究』の邦訳2点を読み比べてみた。岩槻邦男・須原準平訳『雑種植物の研究』(岩波文庫 1999)と山下幸介訳編『メンデリズムの基礎』(裳華房 1972)である。岩波版では「対立形質」という後世の遺伝学用語を用いていることからも明らかなように、メンデル遺伝学の立場で翻訳しているため、メンデルは後世の遺伝学を予見していたとしか読めなくなる。その点、山下訳の方が原典に忠実である。そればかりでなく、岩波版には重大な誤訳がある。たとえば原典の最後に、ゲルトナーが「不断の植物種の新成(山下訳)」(eine staete Fortbildung der Gewachsarten)に反対していたとあるが、岩波版では「種は常に進んでいるもの」と訳している。ゲルトナーが反対しているのは、リンネらが唱えた雑種による新種形成であって、それは「進んでいる」わけではない。岩波版の訳者はそうした歴史的事情を理解せずに訳している。
 一般読者がメンデルの論文がどんなものか、おおざっぱに知るためには岩波版も役立つだろうが、科学史の参照文献としては不適切である。科学史家が利用する邦訳としては、山下訳を選ぶべきであろう。

2014年4月28日(月)訃報:中村禎里さん
 朝、郵便葉書で禎里さんの訃報が届いた。「3月13日に、虚血性心不全のため急逝」され、葬儀はすでに「故人の生前の意志に従い身内だけで」済ませたとのことであった。体調が芳しくないと聞いてはいたが、急なことでびっくりした。
 戦後の生物学史研究を牽引され、また、後輩のためにさまざまな形で尽力されてきた。小生が大学に籍を置けることになったのも、禎里さんのおかげであった。禎里さんに恩義を感じている科学史家は多いはずである。
 代表的な著作としては、『ルイセンコ論争』(1967)、『生物学の歴史』(1973)、『血液循環の発見』(1977)の3点を挙げておきたい。小生としては、生物学の新たな通史を書くことで禎里さんの恩義に報いたいと思うが、寿命との競走になりかねない。遠くから禎里さんも励ましてくれていると信じていこう。

2014年4月26日(土)心身疲労
 昨日、朝から晩まで文楽劇場の床直下で過ごしてきた疲れが出て、体も頭も動かない。せめてジャーナルに観劇記を書いておこうとしたが、それもできない。芝居見物も実質2日がかりになってしまった。

2014年4月25日(金)文楽「菅原伝授手習鑑」通し
 国立文楽劇場。朝10時前に劇場に着くと、チケット売り場に当日券購入の長い行列ができていた。第2部は完売。第1部もほぼ満席。第2部では客席最後尾に椅子を置いた補助席も作られていた。
 「菅原」の通しを見るのは1989年4月、当劇場の「越路大夫引退公演」以来である。この間に2度、通し公演があったが、見てはいない。現役のときは時間的にも気分的にも余裕がなかった。
 今回は客席の熱気に演者たちも気合いが入っていたと思う。第1部最後の「道明寺」は咲大夫。第2部最後の「寺子屋」は嶋大夫。いずれも熱演であった。「桜丸切腹」の住大夫はこれで引退となるが、それもやむを得ないだろう。文字大夫のころから50年間、楽しませてもらった。ありがとうといいたい。
 昼夜とも十分に楽しめたが、堪能したとまではいえない。大夫にも人形にも、いくつか不満が残った。「寺子屋」の千代はベテランの紋壽だったが、形を追うだけで、千代の悲しみが伝わってこない。美しくて悲しい「いろは送り」は、簑助だけなのだろうか。三業の中では人形の芸の伝承が一番気になる。人形には、役者の限界を超えた理想の姿を見せてほしいのだが、難しいかもしれない。

2014年4月20日(日)市会議員選挙
 昼過ぎに市議会議員選挙のため、団地の自治会館へ。定員18に対して立候補は19。もともとは立候補を調整して18、選挙なしのはずだったらしいが、これに反抗する立候補者が出て選挙になった。とはいえ、組織のないこの立候補者の当選は難しく、調整された18名が当選すると思われるので、投票率が低いのも当然だろう。ところが、ネットで速報を見て驚いた。この最後の立候補者が当選し、現職の民主党系の議員が落選した。これは何を意味しているのか。いずれ誰かが分析してくれるだろう。

2014年4月19日(土)動物病院/テレビにインターネッド接続
 家の外で面倒を見ている猫のシロの食べ方が14日から急激に低下し、昨日はスープの水分を取るだけになってしまった。抗炎症剤の効果が長続きしなくなったのだろうか。とにかくほったらかしにできないので、朝早くに千代田動物病院に連れて行った。やはり口内がはれているので、抗炎症剤の注射になった。早速、固形物を食べるようになったのだから、効果はてきめんである。なるべく長続きしてほしい。
 帰宅後は、NTTの「光ボックス」を利用してテレビでインターネットが使えるようにした。「光ボックス」はNTT西日本のポイントにより、昨年末に送られてきたが、初めて設定に取り組んだのが4月4日。しかし無線LAN接続の方法が分からず、中断。SSIDとはなんのことか、などを勉強した後、本日、再挑戦。SSIDのことなど、よく理解しないまま、とのかくマニュアルに沿ってやってみたら設定が完了した。結果オーライとはこのことか。どれだけ利用価値があるか分からないが、一仕事済ませた気分である。

2014年4月17日(木)近大病院/観心寺
 早朝に近大病院眼科へ。本日は検査だけだが、視野検査や眼底写真など10種類ほどの検査が続き、うんざりした。おそらく、その多くは担当医の論文執筆のためのと思われる。それをきちんと告げてもらう方がすっきりするだろうに。
 昼過ぎに、そのまま観心寺に向かう。例年通り、17・18両日が秘仏・如意輪観音像の御開扉。本日は天候にも恵まれているのに、ここ数年では最も来訪者が少ないと思われる。お寺の説明では、明日18日は、葛井寺と道明寺の秘仏・観音像も拝観できるので、首都圏からも来訪者があり、混み合うという。今日はゆっくり拝観することができた。当然のことながら、写真では得られない迫力がある。帰りに門前の茶店、阿修羅窟に寄ると、名物の「わらび餅」は最後の一人前が残っているだけであった。

2014年4月14日(月)葛城古道
 昨年9月に葛城古道を六地蔵から葛城一言主神社まで歩いたので、その南方、南郷から風の森まで歩いてみた。前回は山沿いの、のどかな道から遠く大和三山も望めて気分爽快だったので、今回も同じだろうと思っていたが、まるで違った。今回は近鉄御所駅からバスで一気に南郷まで行った。バス停から極楽寺までは近かったが、極楽寺から橋本院までの道がとんでもない道だった。杉の植林地帯を抜ける登山道であった。ただし、橋本院には見事な花の庭園があり、訪ねた価値はあった。橋本院から高天彦神社までの道は舗装された車道で歩きやすかったが、樹木などで視野がふさがれ、大和盆地全体は見えない。それに晴天ではあったが、春霞のためか、遠方がかすんでいた。高天彦神社ではこれから金剛山に登るという中高年の男性数人に出会ったが、ほかには途中で出会う人もいなかった。(訂正、市会議員候補の選挙カーが数台、この山間部でも走り回っていた)。
 高天彦神社から高鴨神社に向かうつもりだったが、その道が分からない。結局、菩提寺に抜けるのが無難だろうと、その方向に行ったが、これがまた、山の中の道なき道。迷ったかと一時は不安になったが、舗装道路に出たのでほっとした。帰りのバスの時間が限られているので、菩提寺には寄らず、ひたすら高鴨神社を目指した。今度は町の中の舗装道路をうんざりしながら歩き、高鴨神社も外側から見ただけで、さらに歩いて国道沿いの「風の森」バス停に出た。なんとか2時半の御所駅行きに間に合った。
 本日訪れたところは車で回るべきであって、歩いて行くところではないと思う。車に縁の無い当方としては、二度と行くことはないだろう。本日の収穫は、橋本院の庭園。それと、南郷遺跡に関連した地名、「南郷」「極楽寺」の場所を確認したことか。

2014年4月9日(水)その2 理研の不正論文
 朝刊も夕刊も、一面トップはSTAP細胞。夕方6時のテレビ・ニュースを見ようとしたら、どのチャンネルでも小保方の顔がアップで映っていた。異常な扱い方で、うんざりする。先日、理研の調査報告が出たことで、一応の決着がついている。理研と小保方との争いが残るが、マスコミがこれほど騒ぐことではない。これまでの経過を見れば、STAP細胞は小保方の幻想の中に存在するだけと見ることができる。分化した細胞が単純な外部刺激で初期化されることはないということだろう。
 この事件はアメリカのベル研究所で起きた超伝導に関するシェーン事件とよく似ている(村松秀『論文捏造』)。無名の若年研究者の「画期的成果」を、その分野では知られたベテラン研究者が世に出し、所属研究所の社会的評価を高めようとした。シェーンの場合は、『ネイチャー』と『サイエンス』に何本も論文が掲載された後で捏造が発覚した。小保方はSTAP細胞の存在を信じているが、結果さえ正しければ何をしても許されるとみなして、でたらめな論文を書いているのだから、シェーンと大差ない。
 本日、午後、小保方の記者会見がテレビ中継されていたようだが、彼女のいうこと、書くことは一切、信用できないので、記者会見も馬鹿馬鹿しくて聞く気がしなかった。しかしこの事件で最も責任があるのは、彼女を世に売り込もうとした理研のベテラン研究者ではなかろうか。旧石器捏造事件でも、本当に悪いのは旧石器研究の大ボスだった。
 この事件もいずれ複数の科学ジャーナリストによって本にまとめられるだろうが、とりあえずマスコミがもっと冷静になることを願っている。

2014年4月9日(水)ホームページ新アドレスへの転送
 桃山学院大学の担当者から、「旧トップページのアドレスを訪問した方のために、新ページへ自動的に飛ぶリダイレクト設定をいたしました」とのメールがあった。これで、常連の訪問者に再び我がホームページを見てもらうことができるだろう。このホームページは自分自身の記録と記憶のために記しているとはいうものの、読んでもらえないとなると更新の意欲も減退する。今や唯一の意見表明の場なので、できるだけ頻繁に更新したいと思う。

2014年4月8日(火)ケールロイターの教授職
 最近は11時に寝床に入るや、たちまち寝付いてしまうのだが、昨夜は1時を過ぎても寝付けない。仕方ないので起きて一仕事することにした。といっても本を読むのは無理なので、パソコンで検索作業に励むことにした。探すのは、ケールロイターについての唯一の信頼できる伝記とされる J.Behrens(1895) の論考である。『カールスルーエ自然科学会紀要』第11巻に掲載されているので、まず、この雑誌の電子版を探してみた。電子版は存在するようだが、なぜかこの第11巻が公開されていない。では目的の論文だけでも、どこかにないものかと探っていくと、別刷(Sonderabdruck)のPDFが公開されているのを見つけた。ここまで来るのに相当な時間を費やした。昼間なら時間の空費となりかねないが、真夜中の作業にはうってつけである。しかも成果があったのだから、けっこうなことだ。
 ケールロイターについて気になっていたのは、カールスルーエにおける教授職のことである。大学教授とするのは間違いであるが、以前、このジャーナルで植物園の教授と書いたことにも自信がもてなくなった。ベーレンスはつぎのように述べている(原文のウムラウトはeの付記で代用)。
Mit dem Schlusse des Jahres 1763 trat ein Wendepunkt in Koelreuter's aeusseren Verhaeltnissen ein, indem er von dem Markgrafen Karl Friedrich von Baden-Durlach einen Ruf als Aufseher und Direktor der fuerstlichen Gaerten mit dem Titel und Rang eines Raths und Professors der Naturgeschichte nach Karlsruhe erhielt und annahm.
 「自然史の参与および教授としての称号と地位」は、植物園所属ではなく、それとは独立した地位と理解できる。そのため1783年に園長職を解任された後も、教授の地位は持続したのであろう。小辞典的に表現すれば、たとえば、「1763年末に、バーデン=ドゥルラハ辺境伯カール・フリードリヒによって、自然史教授としての称号と地位を与えられ、カールスルーエにある辺境伯の植物園の園長に就任した」と記すことができよう。
 科学史としてはきわめてマイナーな問題だが、こうしたことにも注意を払うのが専門家の為すべきことだろう。

2014年4月2日(水)ホームページのアドレス変更
 先月末に桃山学院大学からウェブ・サーバー変更と、新たなホームページの更新手続きの通知が届いていた。その手順書の通りにしても、新しいサーバーに接続できなかったが、本日、大学に電話して、つまらないミスがわかった。パソコン関係では、よくあることだ。とにかくこれで、ホームページの更新ができるようになった。しかし旧アドレスのページは更新できないので、新しいアドレスを読者に通知する方法がない。
 旧アドレスにアドレス変更の件を掲載するよう、大学の担当者に依頼しているので、いずれ分かってもらえるだろう。

2014年4月1日(火)大阪城公園の桜
 絶好の桜日和。桜好きのカミさんのお供で大阪城公園へ。大阪城港から初めてアクアライナーに乗り、淀屋橋、源八橋をまわり、1時間後に大阪城公園にもどってきた。一度は乗ってみても悪くない。帰りは阿倍野に出て、話題の近鉄ハルカスへ。消費増税初日のためか、百貨店も食堂街もさしたる混雑ではなかった。大和路散策のような充実感は得られないが、たまにはこんな日があってもいいか。

2014年3月31日(月)動物病院
 歯肉炎が悪化したのだろう、外猫シロの食欲が落ちてきたので、抗炎症剤注射のため、朝早く千代田動物病院へ。帰途、三日市駅前のスーパーでキャットフードを大量に買い込む。本日はペットフード2割引で、明日からは消費増税なので、買い置きすることにした。
 昨日は家の近くの桜もつぼみの状態で激しい風雨に絶えていたが、本日は行き帰りに見るあちこちの桜が一気に開き始めた。お花見に行くなら、ここ数日のうちだろうな。

2014年3月30日(日)ハクモクレン満開
 午前中は激しい雨と風。庭の椿の花が大量に落とされていた。ところが、ハクモクレンとヒメコブシは、花弁がばらばらになって散ってはいたが、たいしたことはなかった。2階の部屋の窓の向かいに、満開のハクモクレンが見える。半世紀前に植物の系統を学んだころ、被子植物の中でモクレンなどのマグノリア類が最も原始的なグループとされていたが、この位置づけは現在のAPG分類法でも変わっていない。イチョウなどでは「古さ」が実感できるのだが、庭のハクモクレンとヒメコブシをいくら見ても、「原始的」という感じがしない。観察眼に欠けているところがあるのだろうか。毎日見ているのだから、なんとか「古さ」を感じたいと思う。

2014年3月25日(火)会費納入
 昼過ぎにバスで河内長野駅前へ。スプリングコートも邪魔になるほどの暖かさである。まず、ラブリー・ホールで新年度の会費を払い、郵便局まで歩いて、その他の送金を済ませた。朝日新聞出版にも自著『チャールズ・ダーウィンの生涯』2冊買い取り分を送金した。大量に買い取っておきたいところだが、その余裕はない。
 駅前の書店でぶらぶらしたあげく、関祐二『大和路の謎を解く』(ポプラ新書 2014)を購入してしまった。この著者の遺跡案内には、通常のガイドブックにはない楽しさがある。
 これで7日間、遺伝学史から離れている。やむを得ないともいえるが、集中力が衰えているのだろうな。

2014年3月23日(日)パソコン廃棄準備
 XPパソコンを処分するに先立って、まず、パソコン関係の書類を整理し、廃棄方法を確認した。処分予定のパソコンにはリサイクル・マークがあったので、しかるべき手続きをすれば無料で郵便局に依頼できることがわかった。しかし、現在使っているパソコンは格安で購入したためか、このマークがない。廃棄の時は別の方法を探す必要があるようだ。

2014年3月20日(木)資料廃棄
 観劇や観光した折りの資料はクリアーファイルカラーベースに入れて保存している。これが満杯になり、買い置きもなくなったので、古いものを再利用することにした。1989年にゴルフ場建設反対運動に関わって以来、1990年代前半まで、全国のゴルフ場に関する資料や河内長野市政関連の資料を集めていたが、これを廃棄し、2冊のベースを開けることができた。いわば、過去を捨てて未来に備えたということである。
 いちいちファイルから資料を取り出すので、かなりの時間を要した。その資料を見ていくと、当時の全国的なゴルフ場反対運動の盛り上がりや河内長野市のさまざまなスキャンダルが思い出される。
 しかし今やゴルフ場どころではない。原発の怖さは福島原発の事故で学んだはずなのに、原発再稼働が迫っている。そのことに恐怖を感じる。

2014年3月19日(水)奈良国立博物館
 散髪のため外出したついでに奈良へ。近鉄奈良駅に着いたのが3時近かったので、本日の訪問先は奈良博に限定。それも新館は閉館中で、旧館(奈良仏像館)の仏像群をゆっくり見ることにした。70歳以上は無料というのもありがたい。
 第一室に特別公開として展示されている「定朝様の丈六阿弥陀像」がすばらしい。桜井市外山(とび)区の所有で、同地の報恩寺本尊としてまつられているという。近年になって注目されるようになったらしいが、鑑賞というよりも、思わず拝みたくなる仏さんである。この仏さんに出会えたのが、本日の最大の収穫であろう。
 仏像館で1時間以上過ごした後は、鹿と遊び、猿沢の池をめぐって近鉄奈良駅へ。それだけのことなのに、なぜか楽しい気分で満たされた。電車に乗って遠出するだけでも気分転換になっているのかもしれない。

2014年3月18日(火)ケールロイター「種の変化」
 ケールロイターの著作も電子書籍としてネット上に公開されているだろうと予想して先月から探してきたが、見つからなかった。ところが今日になって、なぜか簡単に見つかった。グーグル・ブックスに、オストヴァルト古典叢書版も4点の原典も電子版が収録され、無料公開されていた。やれやれ、冊子体を入手しなくても、当面はこれで間に合う。原典はドイツ文字(ひげ文字)で読みにくいので、もっぱらラテン文字のオストヴァルト古典叢書版を利用した。
 まず、「種の変化」を意味する用語を調べたが、ケールロイターは一貫して Verwandlung を用いている。これをマイアは transformation と訳していたのである。全編を精査したわけではないが、transmutation という用語は使われていないと思われる。オルビーなどの英語文献には、「種の変化」を意味する用語としてケールロイターが transmutation を用いたと記されているが、これは Verwandlung を英訳した上での説明と理解すべきであろう。英語の二次資料だけを頼りにしていたら、とんでもない間違いをするところであった。やはり通史であっても、一次資料での確認が欠かせない。

2014年3月17日(月)ロバーツ『メンデル以前の植物交雑』
 標記の本の第2章「ケールロイター」を読了。オルビーやマイアとは違って、オストヴァルト古典叢書収録の4論文を順に紹介する形を取っているので、ケールロイターの実験の経過は見やすい。ただ、遺伝学との関係が希薄とみなされた部分は省略されているので、ケールロイターの研究の全容を伝えるものにはなっていない。この後の章でもこの点を注意する必要があろう。
 遺伝学史に取りかかるのは2週間ぶりになってしまった。気合いを入れ直そう。

2014年3月14日(金)三毛猫ハナ20歳
 ハナが20回目の誕生日を迎えた。人間に換算すると96歳だというが、そんな年寄りには見えない。2階のトイレで用を足した後は、相変わらず興奮して階段を駆け下りてくる。ところがこの数日、ほとんど食事をしなくなった。口内炎が悪化したようなので、動物病院に連れて行くことにした。
 まず郵便局に寄って確定申告書を発送してから、千代田動物病院へ。抗炎症剤を注射したので、シロと同様、まもなく食欲は回復するだろう。

2014年3月13日(木)『生物学史研究』第90号
 午前中に確定申告書の作成を完了したが、プリンターの調子が悪く、予想外に手間取ってしまった。
 午後になって、昨日届いた標記の雑誌に目を通す。特集「シンポジウム・柴谷篤弘」とあるが、生物学史分科会がこんなシンポジウムを開催した記憶がない。斎藤光の概説によれば、2011年に京都精華大学が主催したシンポジウムである。通常、大学主催のシンポジウムの内容は当該大学の紀要類に掲載されるはずなのに、なぜ、本誌に掲載するのだろうか。編集後記にも説明されていないのが不可解である。
 当方が生物学科に進学した1959年のころ、生物学を学ぶ学生の間で柴谷篤弘は関心の的になっていた。『生物学の革命』(1960)より前、雑誌『自然』の連載記事で注目されていた。関東地区の大学の生物学科の学部生の連合組織が、柴谷の議論をテーマにした勉強会を開催し、当方もそれに出席した記憶がある。柴谷本人も参加していたように思うが、定かではない。植物学教室の先輩院生に熱烈な柴谷信奉者がいたことも記憶している(数年後、彼は自殺した。学生時代の忘れ得ぬ出来事)。伝統的な生物学を批判する「枚挙」という言葉も懐かしい。当方が目指している生物学史通史に柴谷が登場することはないが、日本の戦後生物学史では省けない名前であろう。
 この特集のほかに、原著論文が2本、掲載されている。森脇靖子「札幌農学校の星野勇三によるメンデリズム紹介から育種・遺伝研究への展開」は、初期のメンデリズム導入史を克明に調査した労作で、当方のメンデル論にとっても有益である。天野陽子「内部環境概念からホメオスタシス概念への展開」も、いずれじっくり読まねばならないであろう。

2014年3月12日(水)確定申告書作成
 昨日から、確定申告の作成に取りかかる。時間はたっぷりあるのに、乗り気のしない作業はどうしても締め切りぎりぎりにならないと着手しない。国税庁のサイトを利用するので、申告書への書き込みは楽になった。情けないことに、作業のほとんどは医療費関係の書類の整理である。これもおおむね終わったので、明日には申告書作成が完了するだろう。

2014年3月6日(木)ロバーツ『メンデル以前の植物交雑』(1929)
 紀伊國屋書店の洋古書サイトで発注した標記の本が届いた。アメリカの古書店から買い付けたもので、1929年刊の原本ではなく、1965年刊のリプリント版だったが、利用する上では差し支えない。ノース・カロライナ州立アパラチア教員大学図書館の廃棄本である。大学図書館に備えておくべき古典的な科学史書の一つであり、廃棄すべきではないはずだが、当方としては安価で買えたのでありがたい。
 早速、ぱらぱらと拾い読みしてみた。なんと、第2章「ケールロイター」の冒頭部分に「カールスルーエ大学の自然史教授」とある。邦語文献の多くがケールロイターを大学教授とする誤りを犯しているが、その元は本書だった。
 メンデル論を書こうというのに、メンデル以前にこだわりすぎているかもしれないが、急ぐ旅ではなし、納得いくまで調べながら行くことにしよう。

2014年3月5日(水)朝日選書『チャールズ・ダーウィンの生涯』在庫処分
 朝日新聞出版から標記の拙著について、在庫僅少となったが注文も少ないので在庫を処分し、「品切れ・再版予定なし」とする、との通知があった。著者としては、科学史の基本文献の一つとして長期にわたって提供してほしいと思うが、「売れていない」というのでは仕方が無い。いずれ電子書籍化されるようだが、紙の本に未練がある。75歳になって、大学の授業もなくなり、著書もなくなる。人生の終わりを告げられたような気分だが、生物学史通史の執筆を目的に、生きてみよう。

2014年3月3日(月)E.マイアのケールロイター論(1986)
 先月の26日以来、断続的に読んできた標記の論文を読了。著者によると、この論文は本来、ケールロイター(1761, 63, 64, 66)全文の英訳に付記する解説として執筆したものだが、英訳書の出版を断念したので、独立した論文として発表したとのことである。翻訳は主として妻マーガレットが担ったようだが、それにしても、ケールロイターの主論文の全文を英訳するというマイアのエネルギーには恐れ入る。その上で、ケールロイターの実験結果と主張を整理している。実験材料の植物名も現行の学名と対比しているので、ケールロイターを理解するのに有益である。
 ケールロイターの実験がきわめて優れていたと評価する一方で、当時、それが無視され、歴史的には大きな影響をもたらさなかったとしている点には疑問がある。直接的ではなくとも、ゲルトナーを介して、その後の雑種研究の基礎となったとみるべきではなかろうか。
 原文からの引用は、当然、著者自身の英訳が用いられ、「種の変化」を意味する語句は、一貫して、transformation of species と訳されている。しかしケールロイターは錬金術用語の「転成」(Trasmutation)を用いていたはずである。ダーウィンの時代まで続く「トランスミュー丁ション」の用法の原点なので、別の語に訳すのは不適切である。これは、なんとかドイツ語原文で確認する必要があろう。

2014年3月2日(日)文楽予約
 国立文楽劇場4月公演の会員先行予約。例によっていくら電話しても「お掛け直しください」ばかりだったが、昼近くになってようやくつながった。ところが夜の部では、いつもの床直下の席が取れない。それどころか、すでに床に近い席はほとんど埋まっているという。かろうじて楽に近い一日だけ、いつもの席の一列前があるという。その日に予約するしかない。友の会会員になってから、異なる席で見るのは初めてである。住大夫引退の報に、文楽好きがこぞって床近くの席を確保したのだろう。明日からの一般予約でも、好みの席が取れずにがっかりする人たちが多いことだろう。公演当日の混雑も覚悟した方が良さそうだ。

2014年3月1日(土)池宮正信ピアノリサイタル
 河内長野市ラブリーホールで3時開演。「音の語らい」主催。演者は1946年生まれというのに、うらやましいほど颯爽としている。プログラムに「クラシックとラグタイム」とあったが、ラグタイムとはなんのことか分からない。会場で説明もなかったので、帰宅後、調べてみた。要は、ジャズに似たアメリカ生まれの音楽のことで、会場で演奏された映画「スティング」の主題曲が代表曲の一つらしい。これも楽しかったが、やはりクラシックがいい。ブラームスの大曲「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」のほかにショパンとラフマニノフ。久しぶりのコンサートで気分転換になったが、会の性格もあって、「しあわせ、ありがとう」と全員で唱和するのには同調しきれなかった。

2014年2月26日(水)ケールロイターの経歴
 桃大図書館へ。貸出期限の来たメンデル本数冊を返還し、他館にコピー依頼していた御大マイアのケールロイター論(1986)を受け取る。ついでに邦語文献でケールロイターの経歴がどう記載されているか、調べてみた。
 ケールロイターは1763年にバーデン辺境伯の植物園(カールスルーエ)の自然史教授・兼・園長に就任した。1763 wurde er Professor der Naturgeschichte und Direktor der Hofgarten in Karlsruhe (NDB). 邦語文献では「カールスルーエ大学教授」と記載しているものが多いが、当時、カールスルーエに大学は存在しない。岩波の辞典類では「カールスルーエの博物学教授」としている。あいまいな書き方で、読者は大学教授と理解するであろう。こうした間違いが起こるのは、「プロフェッサー」なら大学という思い込みのためではなかろうか。ヴィクトリア朝の動物学者オーエンも大学ではなく、外科医師会の教授であった。ケールロイターを大学教授とする誤りは、どうやら戦前の科学史書に由来するようだが、確認できていない。細かい問題ではあるが、孫引きの危うさを認識する事例といえよう。
 本日、名誉教授室ロッカー内を探したら、先日、見失った図書館カードかあっさり出てきた。先日は必死になって探して見つからなかったのに。とにかく、ほっとした。

2014年2月20日(木)動物病院
 外で面倒を見ているシロを連れて千代田動物病院へ。口内炎が悪化して食べにくいようなので、抗炎症剤を注射してもらった。シロも目的を理解していてるのだろう、おとなしかったし、帰宅するやいなや、スープ仕立てのフーズ70グラムを平らげた。そんなに早く効果が出るかなとも思うが、明日からは旺盛な食欲がもどってくるだろう。しかし、5キロのシロを抱えて動物病院まで往復するのは楽ではない。本日の仕事はこれでお仕舞いという気分になる。
 これを書いている目の前のテレビでは、NHK・BS「岩合光昭の世界ネコ歩き・沖縄編」を放映している。花にじゃれる子猫など、飽きない場面が続くが、海面を泳ぐ猫の映像は珍しいのではなかろうか。なつかしき猫漫画・小林まこと『What's Michael?』の一編「セッション?」に登場する「天才動物写真家・岩合光明」よりも本物の方が猫を愛しているようだ。

2014年2月18日(火)ロッカー整理
 近大病院眼科に行ったついでに桃大へ。名誉教授室のロッカーに備えていた学部授業と司書講習関連の資料類を廃棄、あるいは持ち帰ることにした。
 大学に着いたとき、どこかで手袋を紛失したことに気がついた。名誉教授室から帰ろうとしたとき、図書館入館証(パソコン利用カード)が無いのに気がついた。室内でパソコンを使っていて紛失するはずがないのに見つからない。やはり注意力が低下しているのか。

2014年2月17日(月)ゲルトナーの父
 メンデルの先駆者として知られるカール・ゲルトナーの項目をDSB(1972)で見ると、その直前に父ヨゼフ・ゲルトナーの項目があった。ヨゼフも当時は有名な植物学者で、イギリスのバンクス卿、フランスのキュヴィエやジュシューらと親交があり、ケールロイターの協力者でもあったという。日本からもどったばかりのツンベリーにもロッテルダムで会っている。拙著『博物学の欲望』で紹介したナチュラリストたちがこういう形で結びついており、やがてメンデルやダーウィンに影響を及ぼしていく。このような人的つながりを知ると、科学史がますます面白くなる。

2014年2月15日(土)黒田龍之助『はじめての言語学』(講談社現代新書 2004)
 ケールロイターについて見通しがついたので、気分転換のため、一昨日、購入してきた標記の本を読む。著者の名前がすごい。父親が『大菩薩峠』の愛読者だったのか。
 内容は気楽に読める言語学の入門書で、教師としてのぼやきにも共感する。導入部(p.21)の「蒲焼」の語源論は記憶に残るだろう。「現在の言語学では<ウラル・アルタイ語族>は認めていない」(p.193)とあるのには驚いた。学生時代に、日本語はウラル・アルタイ語族と教わった(あるいは何かで読んだ)気がするが、これは戦前に流行した説に過ぎないという。こういうことがあるので、さまざまな分野の新しい啓蒙書で知識を確認し、間違った思い込みを正していく必要があるのだろう。

2014年2月14日(金)雪かき
 予報通りに雪の一日となった。朝、起きるとすでにかなりの積雪で、朝刊を取りに行くのも楽ではない。夕刻には雪も収まったので、玄関から道路までの数メートルで雪かきをし、歩行路を確保した。まだ、このくらいの作業はできる。

2014年2月13日(木)古書購入
 散髪に出かけた帰りに河内長野駅前の書店によると、一律120円で古書が並んでいた。この価格なら気楽に買って、いらなくなったら捨てればいい。ポミアン『ヨーロッパとは何か』はお買い得。紫藤貞昭『科学史を飾る人々』(1978)は一般向けの化学史。ほかに言語学の入門書と、久しぶりに『ゴルゴ13』。ミスター・トウゴウは相変わらず超人的能力を発揮している。作者も読者も、年齢のことは棚上げしているのだろう。
 これを書いている今、間もなく日付も変わるが、とにかく寒い。まだ雪は降り出していないが、この冬、一番の冷え込みではなかろうか。それなのにエアコンの暖房が効かない。マニュアルをよく読むと、「屋外の熱を取り入れて暖房するため、屋外温度が零度以下になると暖房能力が低下します」とある。本当に寒い時に暖房が効かないとは知らなかった。

2014年2月12日(水)「ケールロイター」の検索
 DSB旧版(1973)では「ケールロイター」をオルビーが執筆しているが、オルビー『メンデリズムの起源』第2版(1985)の方がはるかに詳しいし、一部DSBの記載も修正されている。ケールロイターの原著も見たいが、元の論文(1761, 63, 64, 66)を見るのは無理で、オストヴァルト古典叢書41(1893)で見るほかない。ところがNACSISで検索すると、所蔵館がない。しかし古い大学がオストヴァルト古典叢書を所蔵していないはずはないので、東大図書館などにアクセスして検索すると、やはり所蔵している。NACSISが頼りにならない事例の一つである。
 国内で借り出す費用が高額なので、古書も調べてみた。その際、データベースによってオー・ウムラウトの扱いが異なるので、やっかいである。oe で検索できることもあれば、それでは駄目で、o だけなら検索できることもある。欧米のいくつかの古書店に在庫があったが、かなり高額である。借りるか、買うか、迷うところだ。

2014年2月9日(日)遺伝学史再開
 ようやく気分が乗ってきたので、メンデル問題に取りかかる。まずはケールロイターから。いままでは素通りしてきた名前だが、メンデルを理解するためにはある程度詳しく知る必要がある。とはいえ急ぐ旅ではないので、18世紀のバーデン辺境伯のことなど、周辺の事情を調べながらゆっくり進むことにしよう。締め切りのない仕事の長所でもあり、弱点でもある。

2014年2月5日(水)気分転換
 一日中、暖房の効いた部屋でごろごろしていたというのに、夕方になって寒気をおぼえた。学部授業、司書講習、それと学会誌の書評と、締め切りを気にする作業がとりあえず全て終了したので、心身の緊張がゆるんだのだろう。中断していた遺伝学史に直ちに取りかかるという気にもならない。一昨日、書店で買ってきた中国古典の解説書を読み散らかして気分転換をはかることにした。

2014年2月4日(火)司書講習・最終回
 「図書館情報資源特論」の最終日。前半にpptスライドとビデオで復習し、後半に試験を実施。答案を名誉教授室に持ち帰り、直ちに採点評価を済ませた。今回も、ごく少数とはいえ、ほとんど白紙の答案がある。わざわざ時間とお金を使って講習に通っているのに、どうしてだろうか。毎年のことながら、不思議でならない。
 帰りが遅くなったので、久しぶりに河内長野駅近くの王将で夕食を済ませてきた。味もサービスも悪くはないのだが、やはりここは若者が腹を満たす所で、ロートルが一休みする場所ではなかった。

2014年2月3日(月)文楽4月公演「菅原伝授手習鑑」
 所用で河内長野駅前まで出かけると、あちこちで巻寿司を売っている。今日は節分だった。帰宅すると「文楽友の会」の会報が届いていた。4月公演「菅原」の通しの配役表が同封されている。文楽では2度ぐらいは「菅原」を通しで見ていると思う。歌舞伎では国立劇場のこけら落とし。先代仁左衛門の伝説の名演を記憶している。
 今回、「丞相名残の段」は咲大夫。玉女は菅丞相の風格を出せるだろうか。「車曳」で松香大夫は時平の豪快さを出せるだろうか。「桜丸切腹」は住大夫、人形は桜丸が簑助、八重が文雀。なんと、ぜいたくな。「寺子屋」は嶋大夫。紋壽の千代はどんな舞を見せてくれるか。期待と不安。とにかく3月2日の先行予約日に、いつもの床直下の席を確保しなければならない。
 ところで、橋下・大阪市長が身勝手な市長選をやるため、数億円が消えるという。そんな金があるなら、文楽の補助金を減らすなといいたい。

2014年2月2日(日)講習準備
 明後日の司書講習の補足教材を作成。当方担当の最終日で試験を実施するため、例年は新たな教材を準備することはないのだが、今年は百科辞典について語り足りなかったことと、STAP細胞論文を材料にして学術雑誌について復習することにした。データを整理することで、自分にとっても勉強になった。

2014年1月31日(金)STAP細胞
 昨日からSTAP細胞が大きな話題になっている。ネイチャー・ジャパンのホームページで確認すると、『ネイチャー』 (1月30日号)に、原著論文「外界刺激が誘導する体細胞から多能性細胞への運命転換」(Stimulus-triggered fate conversion of somatic cells into pluripotency) とレター「多能性を獲得した再プログラム化細胞における二方向性の発生能」(Bidirectional developmental potential in reprogrammed cells with acquired pluripotency) が掲載されている。いずれもHaruko Obokata を筆頭執筆者とする共著論文である。
 テレビの解説などではもっぱら再生医療への期待が語られているが、まずは、遺伝子の制御機構についての基礎研究に大きく貢献するのではなかろうか。先月25日の我がジャーナルに「おそらく今後も、DNA関係で驚くような技術の展開があるのだろう」と書いたが、早くもそれが現実になった。これから世界中で追試がなされ、細胞の分化と遺伝子の働きについて、さまざまなことが解明されていくと思われる。その先に、iPS細胞を越えた再生医療の道が開けてくるのだろう。
 現在、出講中の司書講習では、雑誌『ネイチャー』、原著論文とレター、それと学術雑誌の査読制についても解説しているので、次回にSTAP細胞の件を題材にして再説しておこう。

2014年1月30日(木)ラドウィック『化石の意味』書評送信
 「一太郎」で書いた原稿を「ワード」に移し、書式を『科学史研究』の執筆要領に合わせてみたところ、やはり、かなり短い。書き足すつもりでいたが、もうその気力がない。簡にして要を得た書評とみなしてもらうことにして、担当の編集委員に送信。
 訳文は正確で安心して読めたが、気になったところもある。オーウェンに関して「王立外科学校」(p.242)とあるのは、「王立外科医師会」とすべきであった。the Royal Collage of Surgeons の Collage は「同業組合」(ギルド)の意味で用いられているのである。
 ビョフォンの『自然の諸時期』に関して、「数百万年あれば足りるであろうと憶測していた」(p.120)とある。これでも文意は通じるが、「数百万年という年月だけが可能にすると考えていた」とでもする方が正確だろう。このonly は、「たったのナニナニ」ではなく、「ナニナニだけ」の意味だろう。『自然の諸時期』には地球の年齢は7万5千年と記されているが、ロジエ(1962)によって原稿段階では3百万年であったことが明らかにされており、ラドウィックはこのことを踏まえている。
 以上の2点、わざわざ書評に書くほどのことではないので、ここに記しておきたい。

2014年1月29日(水)ラドウィック『化石の意味』書評執筆
 いつものことだが、出講日の翌日は心身ともに疲れが出て、なにもできない。夜になって元気が出てきたので書評執筆に取りかかり、一応、書き上げてみた。ところが、できるだけ簡潔にと意識しすぎたためか、標準とされている長さ(2000字)より短くなってしまった。材料はいくらでもあるので、明日、書き足すことにしよう。

2014年1月28日(火)司書講習3回目
 「図書館情報資源特論」の3回目。本日は2コマ続けて百科辞典について語った。昨年度のように新たな教材を準備することもなく、例年通りの慣れた講義になりすぎて、語るべきことが抜けてしまった。反省。

2014年1月27日(月)ラドウィック『化石の意味』書評執筆着手
 できれば本日中に一次原稿を書き上げたかったが、分量的には半分にもならなかった。明日は出講で駄目だが、月末まで残り3日あるので、なんとかなるだろう。

2014年1月26日(日)ラドウィック『化石の意味』第2章再読
 本書は半ば独立した5章から成り、各章の中心的な論点は明確で、まとめやすい。ただ、17・18世紀を扱った第2章は話題の幅が広く、整理しにくいので再読し、まとめ方を考えた。

2014年1月25日(土)ラドウィック『化石の意味』訳文比較
 海鳴社版(1981)の訳書・第2章の誤訳のいくつかを、2012年2月のジャーナルに記載しておいたので、これを抽出し、原文と新訳、それと当方の訳文とを比較したファイルを作成した。あまり生産的な作業とはいえないが、せっかくの機会なのでまとめておいた。今回、学会から本書の書評を依頼されたのも、このジャーナルの記事のためかもしれない。

2014年1月24日(金)ラドウィック『化石の意味』読了
 著者の「初版への序」と「第二版への序」、および「訳者あとがき」を読み、「文献案内」などにも目を通した。原書の初版から40年以上、経過しているが、本書の内容は古びていない。とはいえ、この40年間の科学史研究の成果も大きい。「文献案内」の訳者による追加書目にある程度それが反映されているが、できれば本格的に「本書以降の研究成果」を解説してほしかった。しかしこれは訳者には無い物ねだりであって、どなたか地質学史の専門家が、別途、書くべきものかもしれない。

2014年1月23日(木)web成績入力
 2日続けて出講した後のため疲れが出て、一日中、ぐずぐずしていた。それでも、なんとかweb成績入力を済ませた。さらに次回の司書講習の教材、百科辞典の歴史に関する資料を確認することができた。昨年は西洋中近世の百科辞典の原典について調査する余裕があったので、今回もそれを踏襲することになろう。

2014年1月22日(水)最終授業日
 本日が今年度の最終授業であり、また、5年間に及ぶ非常勤出講の最終日でもある。3限「論述作文」ではレポートの書き方の最終確認をし、添削済みの800字小論文を返却した。今年度ほど、「我、笛吹けども、汝ら踊らす」と感じたことはなかったが、受講生たちはそれぞれに得たものがあったようである。
 4限「科学技術史」では簡単な客観テストを実施し、直ちに採点評価を済ませた。平常点が良好なので高得点を期待していた受講生もいたのだが、結果は平凡な成績だった。それが意外であり、残念だった。
 帰りは久しぶりに泉ヶ丘に出て、紀伊國屋書店をのぞいてきた。人生に一つの区切りがついた日でもあるので、ちょっとした気晴らしである。

2014年1月21日(火)司書講習
 「図書館情報資源特論」の2回目。時間のロスもなく、「二次資料」など、予定の内容を全てこなすことができた。

2014年1月19日(日)ラドウィック『化石の意味』読了
 一昨日からの3日間で訳書の本文第2章から第5章までを読了した。内容を整理し、評論を書くのはこれからだが、月末には間に合うだろう。すでに海鳴社版の訳書、および原書を読んでいるのに、ほとんど記憶に残っていないのが情けない。
 今回、新訳で読み直して改めて感じたのは、地質学史の必読書ではあるが、入門書ではないということ。ライエル『地質学原理』など、さまざまな地質学の古典について初歩的な解説がない。ラマルク『動物哲学』についても読者に予備知識がないと、著者のラマルク批判が分かりにくいのではなかろうか。ダーウィン『種の起源』についても同じことがいえる。地質学史と進化論史の概要を学んだうえで、じっくり取り組むべき科学史書であろう。

2014年1月15日(水)授業日
 4限「科学技術史」では、1年間の講義の「まとめ」としてアリストテレス以来の生物学の発展を要約した。今後も大学院や司書講習などで出講することはあるだろうが、通常の講義はこれが最後である。授業終了後、社会人聴講生の一人から豪華な花束を贈られた。受講生から花束を贈られるのは長年の教師生活の中でも初めてのことで、嬉しかった。
 当の聴講生からは、これからもブログを読むのを楽しみにしているといわれた。「ジャーナルを読んでいます」と書き込まれた年賀状も数通あった。我がジャーナルは基本的に自分の体験の整理と記録のために書いているが、読者がいるのはありがたく、励みになる。

2014年1月14日(火)司書講習
 社会人対象の「図書館情報資源特論」の第1回目。受講生数は例年の半分くらいか。図書館職員の待遇が悪化しているため、司書の資格を取る意欲が削がれているのかも知れない。

2014年1月13日(月)ラドウィック『化石の意味』の新訳(みすず書房、2013)
 すでに同じ原書からの翻訳が海鳴社から刊行(1981)されていたが、以前、このジャーナルでも書いたように、この海鳴社版は誤訳だらけで、せっかくの地質学史の必読書が台無しであった。今回の新訳は訳者(菅谷暁・風間敏)の実績から見ても信頼できるし、訳文も抵抗なく読むことができる。
 『科学史研究』に書評を掲載するため、本訳書を通読することにし、本日、第1章「化石物」を読み終えた。改めて、優れた科学史書であることを確認した。信頼できる邦訳で読めるようになったことを喜びたい。

2014年1月10日(金)論文不正
 一日休んだおかげで元気回復。例年のように、司書講習の教材に論文不正の新しい資料を追加した。たまたま本日の朝日新聞に、国家プロジェクト「J-ADNI」のデータ改ざんが報じられている。ネットで検索してみると、かなり前から疑惑が取りざたされていたのに、プロジェクト代表の岩坪・東大教授らによって押しつぶされていたらしい。テレビ報道でも岩坪教授は、不正ではなく問題ないと平然としている。研究者の態度ではなく、失敗を言い逃れようとする役人の態度である。国家公務員としての東大教授の本質があらわになったといえよう。

2014年1月9日(木)疲労困憊
 疲れが出て、一日中、ごろごろしていた。暮れの26日(木)から昨日までの2週間のうち、10日も外出していたので疲れがたまったのだろう。毎日のように研究室に通っていた現役の時と比べ、体力の低下は否定しがたい。

2014年1月8日(水)授業日
 桃大での授業も残すところ、本日分を含めて3回となった。3限「論述作文」では、今年度のクラスの受講態度が例年より劣ることを指摘し、注意を喚起しておいた。4限「科学技術史」では遺伝子工学と遺伝子診断の現状を説明し、通常の講義の最後とした。用意した材料が多すぎたが、受講生もいつもより興味を持って聞いてくれたのではないだろうか。

2014年1月7日(火)動物病院
 朝、ハナとシロを連れて千代田動物病院へ。ハナは口内の処理、シロは体毛の処理で両者ともに半日入院し、夕刻、帰宅。ハナは医者を嫌がるが、シロは動物病院に行くのを喜んでいる気配がある。シロは昨年、抗炎症剤の注射をしてから食欲が増大し、体重も増加してきた。そのため、病院は自分に良いことをしてくれると考えているようだ。診察台の上でもリラックスしていた。

2014年1月6日(月)授業準備
 今日は一日、授業の準備に費やす。まず、司書講習「図書館情報資源特論」のテキスト原稿を事務局に添付で送信。pptは問題ないのだが、一太郎文書を送ると事務方が苦労するらしいので、その部分はワードに変換して送った。この時、うっかりすると文字がはみ出したりするので、けっこう、気を遣う。つぎは「科学技術史」の教材pptスライドをVDIを利用して大学の送る。ここまではほとんど、機械的な作業である。最後は「論述作文」の提出作品の添削。これも決して楽しい仕事ではない。為さねばならないことを処理した一日であった。

2014年1月5日(日)京都国立近代美術館「皇室の名品」
 標記の特別展を見に、京都へ。会期は13日までなので大混雑を覚悟していたが、それほどのことはなく、ゆっくり見てまわることができた。常設展示場に須田国太朗の作品が多数並んでいて、特別展の部屋と連続しているため、これも皇室のものかとびっくりしたが、そんなことはありえない。皇室の日本画とは対照的なのが面白かった。

2014年1月4日(土)島田裕巳の神社論
 年賀葉書を投函し、不足分を購入するため、バスで河内長野局へ。ついでに河内長野駅前の書店をのぞき、島田裕巳『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』(幻冬舎新書 2013)を購入。この著者の解説書は、信頼できる。オウム騒動で日本女子大を追われることがなければ、宗教学者として別の道を歩んでいたことだろう。本人にとって、また日本社会にとって、どちらの方がよかったか分からないが、当方にとっては現在の島田の啓蒙書を読むのが楽しみである。

2014年1月2日(木)京都へ
 例年の通り、かみさんのお供で京都嵯峨野へ。阪急の桂駅前からタクシーに乗るのだが、初詣で混雑する松尾大社の前を通り抜けるのに掛かる時間で、料金も違ってくる。運良くスムースに抜けられることもあるが、本日は10分以上を要した。遊びがてら訪れる神社としてはそれほど魅力があるとは思えないのだが、秦氏以来の古社のための人気なのだろうか。

2014年1月1日(水)その2 初詣
 例年通り、地元の加賀田神社に初詣。狭い社殿の前から階段にかけて行列ができるほど賑わっていた。帰宅後に年賀状書き。穏やかな元日であった。

2014年1月1日(水)その1 今年は何をするか
 夏までにはメンデル神話についての研究展望を投稿する。これを中心に遺伝学史をまとめて、生物学通史の一部を具体化したい。桃山学院大学の「科学技術史」の非常勤出講も事実上、今月で終了するが、家にいても気力が衰えないようにしたいものだ。

2013年12月31日(火)その2 今年は何をしたか
 桃山学院大学での「科学技術史」の講義と並行して生物学通史の準備を進めてきたが、7月からはメンデル神話の問題に集中し、12月の科学史西日本大会で一応のまとめを報告した。
 趣味の世界では、文楽の運営がどうなるか、気になる。文楽をいじめる橋下市政が早く終わることを願っている。葛城古道歩きが中途半端で終わったのは残念だった。暖かくなったら再開しよう。

2013年12月31日(火)司書講習準備
 司書講習「図書館情報資源特論」の教材見直しを進めてきたが、年内に終了することはできなかった。しかし受講生に配布するプリントの原稿はできたので、桃大の業務が始まる1月6日(月)には事務方に送信できるだろう。論文不正のデータ追加などについては、新年になってからゆっくり取り組めばよいだろう。

2013年12月30日(月)二つの科学史メーリングリスト
 北大の杉山さんが管理してきた科学史MLが今月末で廃止されるというのに、継承者が現れず、不安だったが、今日になって住田朋久さんから「科学史メーリングリスト(Google グループ)」開設、大阪府立大の斎藤さんから通常の「科学史ML」開設の通知があった。ほっとしたが、今度は同種のMLが二つできてどうなるか、心配になった。それぞれ性格の異なるMLに発展していくかもしれない。とりあえず、両方に参加することにしよう。

2013年12月29日(日)市川中車(香川照之)の演技
 NHKテレビで中車襲名披露の「小栗栖の長兵衛」の長兵衛、「楼門」の五右衛門、それと「元禄忠臣蔵」の富森助右衛門を見た。岡本綺堂作の「小栗栖の長兵衛」、真山青果作の「元禄忠臣蔵」には違和感がなかったが、「楼門」の五右衛門は無理。これは座頭級の役者が貫禄で見せる役だろう。
 多分、歌舞伎座だったと思うが、長兵衛は二代目猿之助で見ている。澤瀉屋の家の芸の一つといっていいのだろう。「御浜御殿綱豊卿」は何度か見ているはずだが、記憶に残っているのは前進座の舞台。長十郎の綱豊卿と翫右衛門の助右衛門。二人の激しいやり取りが今でも目に浮かぶ。長十郎についてはいろいろと批判もあるが、華のある舞台であった。

2013年12月28日(土)年賀状投函
 今日も寒い。昼にかなりの降雪があったが、さいわい、道路に積もることはなかった。所用で駅前に出たついでに5通の年賀状を投函。帰宅後、司書講習「図書館情報資源特論」のppt教材の見直しに着手。年内にまとめるのは無理かな。

2013年12月27日(金)年賀状印刷
 冷たい雨に雪も交じる寒い日だったが、昼前に福岡医院に行き、血液検査の結果を聞く。異常なし。ついで三日市町駅前の郵便局に行き、年賀状を購入。家で印刷し、5枚だけ宛名を書く。後は新年になって返礼の形で出すことになるだろう。年々、ずぼらの度合いが大きくなる。

2013年12月25日(水)授業準備
 「科学技術史」ppt教材の作成を終了。最後の講義は遺伝子工学関連の話題をテーマとした。専門的なことは省くにしても、遺伝子診断の技術などが日々、進歩している状況を概観しておきたかった。我が生物学史通史でも、最終章はこの問題で締めくくることになるだろう。
 これに関連して、10年ほど前からの新聞・雑誌の科学記事のスクラップを整理した。ゲノム解読の速度の進歩を伝える記事もあった。この件でいつも思い出すのは生化学の大学院の時の講義で故・江上不二夫教授が、当時の技術を前提にして、全ゲノムの塩基配列解読など現実には不可能だと力説していたこと。DNA関連技術がこれほど進歩するとは、当時、だれも想像できなかったのである。おそらく今後も、DNA関係で驚くような技術の展開があるのだろう。楽しみではあるが、恐ろしい気もする。

2013年12月23日(月)B級映画「47RONIN」
 気分転換に難波に出て、標記の映画を見てきた。忠臣蔵関連の映画と聞いていたが、前日にネットで概要を見たところ、わざわざ出かけるほどの映画ではないと分かった。やめようかとも思ったが、忠臣蔵フアンとしては駄目なものは駄目と確認しておくことにした。
 案の定、時代考証もなにもあったものではない。政治制度も風習も衣装も、全てでたらめ。赤穂という地名、浅野、吉良、大石といった人名も出てくるが、赤穂浪士の事件とは関係が無い。江戸時代の日本ではなく、空想の世界の話と解釈するほかないのだが、それにしても何を描こうとした映画なのか、さっぱり分からない。ハリウッドで時代劇を作るとばかばかしい作品になるという見本か。

2013年12月19日(木)一段落
 朝寝坊したうえに、昼間も寝ている時間が多かった。9日からの10日間のうち、9日は、授業、学会、通院、あるいは買物のため外出していたので、その疲れが出たのだろう。今日は仕方ないが、のんびりもしていられない。「科学技術史」の最後の3回分の教材作成と司書講習の教材作成を年内に終えたいし、忠臣蔵映画も見に行かねばならない。1月末までに学会誌の書評を送る予定もある。メンデル神話はしばらくお休みだな。

2013年12月18日(水)授業日
 年内最後の授業。名誉教授室でも当然、泉北高速の件が話題になった。一連の騒ぎで大阪南部のイメージがますます低下したので、桃山学院大学も北部に移転しなければ発展しないという意見もあった。
 学内では控室も教室も適度の暖房で、授業も通常通りに終えた。しかし、帰宅時の金剛駅直行バスの中で体がかなり冷えてきた。これは危ないと判断し、金剛駅前のそば屋に飛び込んだ。常備薬の葛根湯を飲んでから、熱燗と親子丼で体を温め、無事、帰宅。最近は外での(家でも)飲酒など、滅多にないことだが、今回は風邪の予防に有効だったように思う。

2013年12月17日(火)大阪の南北格差
 朝刊の一面を見てびっくり。「府議会・泉北高速株売却否決」とある。前日の紙面では、維新の会が会派として賛成の決定をし、議案は可決の見込みと報じていたが、維新の4議員が反対票を投じ、否決されたのだという。
 大阪南部の鉄道を米投資ファンドに売り飛ばし、その金で北部の開発を進めるというのだから、ひどい話だ。大阪府の南部軽視・北部重視の姿勢が露骨に出ている。南部の住民がもっと怒っても良いはずだが、南部の住民も北部重視の風土を仕方ないと思っているようだ。南北格差が歴然とした形で出てきたことに唖然としているが、最終的にまともな判断がなされ、良かったと思う。

2013年12月14日(土)科学史西日本大会
 この冬一番の冷え込みという予報なので、しっかり寒さ対策をして出かけた。自宅から龍谷大学深草学舎の会場までは、ドア・トゥー・ドアで3時間。自分の報告時間までには余裕を持って着いた。参加者は20人ほどで、その大半は理工系の研究者である。そのためか、メンデル神話についての当方の報告にまるで反応がない。ある程度、予想していたことではあるが、誰でも知っている「遺伝学の祖・メンデル」の通説が揺らいでいることに、もっと関心があってもよいように思える。数少ない生物学系の参加者から、良い勉強になりましたと声を掛けられたのがせめてもの救いか。
 午後に3本の報告を聴き、3時の休憩時間に退席。いつもなら懇親会に出席するのだが、本日は体調も心配なので早めに帰宅した。どうやら腸の過敏性は収まってきたようだ。寒さも心配したほどではなかった。
 研究会での反応は鈍かったものの、こういう機会に一応のまとめができるので、規模の小さい研究会も貴重である。次は、「展望」としてペーパーにまとめるべく努力しなければなるまい。

2013年12月13日(金)研究会準備
 明日の研究報告に用いるpptスライドの点検、修正に取り組む。配布資料はすでに印刷しているので、展示スライドとは異なる場合も出てくるが、やむを得ない。

2013年12月12日(木)内科検診
 早朝に福岡医院で年に一度の健康診断。血液検査の結果は後日になるが、胸部X線など、とりあえずは異常なし。

2013年12月11日(水)授業日
 体調を心配しながらの登校となった。おおむね大丈夫だったが、4時限「科学技術史」の授業の前後で体に危険を感じたので、短縮授業になってしまった。講義内容は20世紀前半の生化学の発展で、生物の構造と機能を担う基本物質としてのタンパク質について話した。余談として、コラーゲンをサプリメントとして服用する馬鹿馬鹿しさに触れておいた。消化されずに排泄されるだけだし、仮に消化されるのであればアミノ酸に分解されるので、コラーゲンがそのまま体内の必要な部分に届くことはない。そんなことは中学校の理科の知識でも分かるはずだと話しておいた。

2013年12月10日(火)歯科検診
 半年ごとの歯科検診に北野田の日野歯科医院へ。桃大が北野田にあった時から30年近く通っているだろう。おかげで親知らず以外の歯28本全てが健在である。歯への刺激が腸を刺激し、やっかいな症状が出ないか心配だったが、無事に過ぎた。いつもなら検診後に喫茶店で一服していくのだが、本日は危ないので、帰宅するまで飲み食いなし。
 夜になって腸の具合も落ち着いてきた。研究会の講演スライドも作成途中だが、とりあえず会場で配布する印刷用のスライドをまとめた。
 体調が良くなるとジャーナルを書く元気も出る。久しぶりにジャーナルをまとめ書きしている。

2013年12月9日(月)内科医へ
 午前中に福岡医院へ。予想通り、過敏性腸症候群の診断で、薬の服用で直るとのことだった。研究会用スライドの作成を続け、一応の目安が立った。

2013年12月8日(日)講演スライドの作成
 昨日から下痢は治まったものの、やたらと便意を催すようになった。ネットで調べてみると、どうやら過敏性腸症候群に当たるようだ。落ち着かないが、研究会の準備は進めなければならない。科学史家向けのスライドを作成するためには、事実を一つ一つ確認しておくことが必要なので、良い勉強になる。

2013年12月6日(金)西日本大会の準備に着手
 日曜日からの風邪のためか、昨日までは便秘状態だったのが、本日は一転、下痢。しかし研究会も迫ってきたので準備を始めなければならない。「科学技術史」の授業で用いたメンデル関係のスライドを再構成し、不足の部分を確認して今後の作業の手順が決まった。

2013年12月4日(水)授業日
 依然として体調は良くない。売薬で症状を押さえ込んで3コマの授業をこなす。4限「科学技術史」のテーマは「メンデルの法則の再発見」。14日(土)の研究会の報告とも重なるので、タイミングもよかった。

2013年12月1日(日)科学史メーリングリスト閉鎖
 日付が変わって間もなくの時間だろう、のどが痛くて目が覚めた。ずっと家にいるのに風邪を引いたらしい。暖房で部屋が乾燥しすぎていたのかも知れない。あいにく本日は団地自治会の一斉清掃の日。トローチをなめ、薬を飲んでなんとか参加することができたが、一日中、体がだるい。
 夜になってパソコンを開けると、科学史MLを管理している北大の杉山滋郎さんから、「科学史メーリングリストを、今年2013年の年末をもって、閉鎖いたします」という通知があり、びっくりした。2014年3月に定年を迎えるためとのこと。長年、面倒なMLの世話をされてきた杉山さんに深く感謝したい。日本の科学史家にとって不可欠な情報交換の場となっていた。これが無くなったままでは困るので、何らかの形で復活することを期待したい。

2013年11月27日(水)授業日
 大学には余裕を持って着いたはずだが、教務課に学年末テストの書類を提出したり、保健室に寄ったりしているうちに、2時限の大学院の授業開始になってしまった。3時限「論述作文」では修正した研究レポートの発表3本。一次発表に比べ、それぞれ、だいぶ様になってきた。4時限「科学技術史」はメンデルの話。科学史家による評価はとにかく、社会常識としては知っていなければならない名前である。「優劣の法則」の「優性」と「優生学」の「優生」とは無関係であることを強調しておいた。この二つの「ユウセイ」が一般社会で混同されていることに、遺伝学者たちはあまりにも鈍感である。

2013年11月25日(月)科学史西日本大会プログラム
 12月14日(土)に龍谷大学深草学舎で開催される科学史西日本大会のプログラムが、世話人の小長谷大介さんからメールで送られてきた。当方の報告「メンデル神話と同時再発見神話」は午前の部の最後(11:55-12:20)になっていた。13本の報告のうち、生物学史は当方のものだけで、後は数学・物理学史あるいは技術史分野である。したがって生物学史関係の参加者はほとんどいないと思われる。メンデル神話についての報告内容をブラッシュアップする機会にしたかったのだが、それはかないそうもない。他分野の科学史家の反応を見るだけでも意味はあるだろう。

2013年11月22日(金)『生物学史研究』No.89
 標記の新刊雑誌が届いた。内容は、原著論文1本と、今年の6月30日に大阪で開催されたシンポジウム「生物学史と生物教育」の報告集、および今年の7月にマンチェスターで開催された国際科学史会議の報告集の3本立てである。花岡龍毅による原著論文は生殖補助技術のリスクについての言説の変遷を分析したもので、詳細な文献注も付記されたハイレベルの論文と思われる。国際科学史会議については、特集の序に編集責任者(月澤美代子)の熱い思いが語られている。6月と7月の会合の報告集をこれほど早く掲載するには、編集者の大変な努力があったと思われる。
 シンポジウム「生物学史と生物教育」には当方も出席し、その様子は当日付のジャーナルに記した。会合では繰り返し「遺伝学の祖」としてのメンデルへの言及があり、当然、この報告集でも同様だが、「遺伝学の祖・メンデル」は神話に過ぎないという見解が生物学史の専門家に広く支持されている状況をもっと知ってほしいと思う。今回の報告集を読むと、フィッシャー(1936)の批判を授業に持ち込みたいという意見が複数あるが、とんでもないことである。フィッシャーの批判が妥当か否かについては、統計学者、遺伝学者、および科学史家による議論が延々と続いている。中等教育の場に持ちこめるようなレベルの問題ではない。科学史を授業の材料にするのであれば、概説書などに頼るだけでなく、ある程度は科学史研究の現状を把握してほしいものである。

2013年11月21日(木)動物病院
 家の外で面倒を見ているシロをつれて千代田動物病院へ。1週間前に抗炎症剤を注射したところ、食べる量がそれまでの倍以上になり、一日中、シロの餌やりに追われている。体重は1週間で300グラム増えていた。例年、ワクチン接種の後は数日間、元気がなくなるので、この処置は大成功であった。

2013年11月20日(水)メンデル教材作成
 桃大は学園祭の関係で本日までの1週間休講。来週の授業「科学技術史」で予定している「メンデル」についてppt教材を作成した。12月14日の科学史西日本大会での発表「メンデル神話」とも重なるので、都合はよいのだが、講義の教材としては専門的になりすぎたかも知れない。

2013年11月18日(月)エンドウの染色体地図
 一日掛けて、メンデル論文(1866)を読み直す。メンデル問題に取り組むのは先週の火曜日以来のことである。メンデルの実験については、Bateson(1909)やFisher(1936)が疑問を呈しているが、いわゆる「独立の法則」についても問題がある。1950年代にエンドウの染色体が7対であることが判明すると、メンデルが実験で用いた7形質の遺伝子は全て別々の染色体にあったという解釈が広まった。当方も学生時代にそのように習った記憶がある。邦語文献の中には、今でも、メンデルは期せずして染色体数を把握していたと書いているものさえある。
 雑誌『ネイチャー』への投稿記事Blixt(1975)で、7形質の遺伝子は4本の染色体に分布しているとされ、なぜメンデルは連鎖を見逃したのかが問題とされるようになった。この記事の染色体地図はNovitski & Blixt(1979)によって修正された。近年の科学史論文でも、この染色体地図に基づく議論が見られる。ところがウェブ上で調べてみると、1998年には、さらに大幅に修正された染色体地図が専門誌Pisum Genetics に掲載されている。科学史の文献を追いかけているだけでは気がつかなかったろう。
 この染色体地図によれば、メンデルの7形質の遺伝子は、ⅠからⅤまでの5本の染色体に分布している。メンデルが独立遺伝の実験結果を掲載している3形質、すなわち種子の形(丸・角)、子葉の色(黄・緑)、種皮の色(灰褐色・白)の染色体は順に、ⅤⅠⅡなので、「独立の法則」が成立することになる。しかしⅢとⅤには2形質があるので、連鎖が生じるはずである。メンデルが「全ての組み合わせで同様の結果を得た」と述べているのを、信じることはできない。このことを含めてメンデルは実験結果をそのまま正直に報告しているわけではない、といわざるを得ない。
 今回、エンドウの染色体地図を確認するのに、延べ2日を費やしてしまった。あまり本質的な問題ではないので、内心、いらいらしたが、間違ったデータに基づく議論を避けるためには、やむを得ない作業だったろう。

2013年11月15日(金)文楽「伊賀越道中双六」
 日本橋の国立文楽劇場。朝10時半から夜8時50分までの通し公演を、いつもの床直下の席で見てきた。
 「伊賀越」といえば通常、六段目「沼津」だけが上演されているが、まれには他の場面が上演されることもあり、当方もかつて見たことがあるような気がする。しかし、なにも記憶に残っていないので、「沼津」以外は初めて見るのと同じである。大序「鶴が岡」の傾城瀬川、三段目「円覚寺」の呉服屋十兵衛を見て、「沼津」における彼らの言動の背景を知ることができた。しかしこの大序をはじめ、随所に無理な設定があって、「いくらなんでもそんな馬鹿な」といいたくなる。近松半二の作品としては「二十四孝」や「妹背山」よりも劣り、上演回数が少ないのも無理はない。
 しかし今回はそうした疑問のある場面でも、終始、舞台に引きつけられた。三業とも端役に至るまで気合いが入っていた。NHKが数台のカメラで全幕を録画していたので、演者たちも気を抜かなかったのだろう。作品に問題があっても、演者次第で見応えのある舞台になる。とはいえ、今後、「沼津」以外の場面を繰り返し見たいとは思わない。
 初春公演の予告を見ると、景事の後、昼の部は「九郎助住家」と「新口村」、夜の部は「堀川猿廻し」と「阿古屋」。典型的な見取り公演で、分かりやすい演目が並んでいるが、どうも食指が動かない。4月公演まで待つとしよう。

2013年11月14日(木)動物病院
 ハナとシロを連れて千代田動物病院へ。ハナは爪切り。シロはワクチン注射のつもりだったが、予定変更。抗炎症剤を注射して口内の霽れを抑えることにした。
 ハナの輸液セットを持ち帰るため、タクシーで帰宅し、料金を支払おうとしたら、財布がない。動物病院の窓口に置き忘れてきたのだ。やむを得ない、そのタクシーで動物病院にもどって財布を受け取り、支払いを済ませた。
 ここ2週間ほどの間にピタパ・カードを無くし、南海バスカードを無くしている。今度は財布を忘れてきた。歳のせいか、注意力が衰えている。まだ認知症にはなっていないと思うが、用心、用心。

2013年11月13日(水)授業日
 3限「論述作文」では最後の研究レポート発表。この発表も含めて、今年度の受講生が選んだ研究テーマの多くが大学の授業に関連したもので、必ずしも彼ら自身の興味に基づくものではない。そのため通り一遍のレポートにしかならず、つまらない内容になっている。若者らしく、もっと自由に思考の幅を広げられないものだろうか。

2013年11月10日(日)「事典」は和製漢語
 朝日新聞の教育欄に「漢話字典」という連載記事がある。ほとんど読んだことはなかったが、たまたま本日の「典」の字の解説を読んで、がっかりした。「辞典」「事典」などに「規範となる」という意味が含まれていた、と書かれている。「辞典」は言葉の規範、「事典」は事の規範、すなわち規則を意味しているのだから、この説明は間違いではない。しかし、日本では「事典」がもっぱらディクショナリーの意味で用いられており、この新聞の解説でも「辞典」と並べているのだから、その意味で例示していると見るほかない。この意味で「事典」を用いたのは平凡社の『大百科事典』(1931-35)が最初である。これは和製漢語なので、中国での用法だけを掲載している諸橋の大漢和にはディクショナリーの意味は記載されていない。
 漢字の専門家までも、「事典」が平凡社の造語であることを知らないとは、情けない。

2013年11月8日(金)アマゾンおすすめメール
 アマゾンからハヤカワ・ミステリーの『幻の女』を紹介するメールが届き、びっくりした。『幻の女』に言及した11月2日付けのジャーナルに基づいて発信されたとしか思えない。2ヶ月ほど前には、『葛城の王都・南郷遺跡群』(新泉社)のおすすめメールが繰り返し届いた。どうやら我がジャーナルの記載に基づいて、おすすめ本が選ばれているようだ。
 アマゾンにメールアドレスは通知しているが、ホームページのアドレスは通知していない。何らかの方法でホームページのアドレスを入手し、広く機械的に購入者のホームページを調べ、機械的におすすめ本を抽出しているのだろう。公開しているジャーナルなので、このように利用されても仕方無いが、なんとなく薄気味悪い。ジャーナルばかりでなく、記載内容全体により多くの注意を払わなければならない。
 ついでにアイリッシュ『幻の女』について。中学生の時に読んで受けた衝撃を今でも忘れない。しかし、その数十年後、改めて読み直してみると、犯人は最初からバレバレ。傑作ミステリーとは思えなかった。今読むとすれば、ミステリーとしてではなく、風俗小説として読むことになるだろう。

2013年11月6日(水)授業日
 多分、退職以来、初めてのことだろう。1時限開始時間よりも早くに大学に着き、張り切って図書館書庫へ。製本雑誌コーナーに行き、ブラニガン(1979)の掲載誌を取り出そうとしたら、1979年の巻がない。購読開始はその3年後であった。創刊号(1971)から購読しているはずだと思い込んでいたが、甘かった。この雑誌の論文(PDFファイル)もネットで購入できるようだが、今回は他大学への複写依頼をすることにした。
 3限「論述作文」では3人が研究レポートを報告したが、3人ともネットからコピーしたものを読み上げるだけ。読めない漢字があっても気にしない。これでレポートになると確信しているが、頭から駄目と切り捨てるわけにも行かない。おそらく、ほとんどの教員が悩んでいる問題だろう。
 4限「科学技術史」では生物学史という今年度のテーマからやや離れ、「ダーウィンの生涯」についての気楽な話。これだけで30回の講義もできるが、今回は「ジェントルマン」についての解説を中心にしてみた。

2013年11月2日(土)映画「グランド・イリュージョン」(ネタバレ)
 カミさんの買い物のお供で難波に出たついでに、標記の映画を見ることになった。退屈はしなかったが、優れた映画とはいえない。トリックなどに疑問が残る。現金輸送車が簡単に襲われるはずもないし、大量の偽札を跡形もなく消滅させることも不可能だろう。とはいえ、こうした荒唐無稽さを楽しむのも映画なのかもしれない。ミステリーとしての基本構造はアイリッシュ『幻の女』と同じである。犯人が分かってびっくりはするが、すっきりはしない。

2013年11月1日(金)メンデル神話
 大学図書館から借り出してきたブラニガン (大谷 隆昶訳)『科学的発見の現象学』(1984) のうち、メンデル神話を論じた第6章を読む。原書は1981年で、この章は1979年の雑誌論文の転載だと思われるが、来週の水曜日に万難を排してこの論文をコピーし、確認しなければならない。
 それにしても、「遺伝学の父・メンデル」はコレンスの捏造であるという説が日本語でも30年前に紹介されているのに、その後の邦語文献でもメンデル神話に揺るぎがないのはなぜだろうか。

2013年10月30日(水)授業日
 授業前に図書館で単行本2冊を借りだしたが、まだ書庫に潜って雑誌論文をコピーする余裕はない。2限の大学院では、受講生の能力と意欲が把握できてきたので、ようやく授業も軌道に乗ってきた。3限「論述作文」では研究レポートの発表が3件。中には研究とは呼べないレベルのものもあり、頭が痛い。4限「科学技術史」は進化論史の第1回目。うっかりすると専門的な内容になりすぎるので思い切って簡略化したが、それが過ぎて、短い講義になってしまった。

2013年10月28日(月)メンデル神話
 メンデル神話に関する論文サップ(1990)を再読し、要点をパソコンに入力する作業を終えた。ようやく心身の疲れが取れ、集中力が回復してきたので、2週間ぶりに研究テーマに取り組むことができた。
 一読しただけでは議論の流れが分かりにくい論考だったが、再読して著者の意図が理解できたように思う。メンデル神話の真偽は議論しないと述べてはいるが、メンデルはいわゆる「メンデルの遺伝法則」を提案していないというオルビー(1979)らの説や、メンデルを「遺伝学の父」とする神話は先取権争いにからんだコレンス(1900)の捏造であるとするブラニガン(1979)の説を受け入れていると思われる。その上で、遺伝学の変化に応じてメンデル神話も変化してきたと指摘し、ベーツソン(1909)とフィッシャー(1936)のメンデル論を対比している。メンデル神話についてまとめるうえで、柱になる論考の一つである。

2013年10月25日(金)瀬田敦子ピアノリサイタル
 台風27号がらみの雨の中をラブリーホールへ。7時から小ホールで標記の演奏会がある。前売り券を購入していなければ、この雨の中を出かける気にはならなかったろう。それでも客席は200近く埋まっていたと思う。演者の弟子や孫弟子も多く、最前列の当方の後ろの席にはデュオ・スケルツォのお二人も座っていた。昨年12月の瀬田敦子リサイタルの時にはゲスト出演していたが、今回はお弟子さんたちを連れての客席であった。
 プログラムの第1部はショパン、「幻想即興曲」や「雨だれ」など7曲。第2部前半はリスト、「ハンガリーラプソディー第2番」など2曲。第2部後半はアルゼンチンの作曲家ヒナステラ。ヒナステラは来年が没後30年になる現代音楽の作曲家であり、演者は現在、その作品紹介に熱心に取り組んでいるが、当方には興味が無い。それはクラシック・マニアの世界でやってください。アンコール曲は客席(多分、お弟子さん)からの要請で、リスト「カンパネラ」。こういう名曲を生で聴くのが楽しい。

2013年10月24日(木)病院通い打ち止め
 昼過ぎに千代田の国立病院へ。カミさんが25日間の入院を終え、退院となった。これで当方の体も少しは楽になるだろう。

2013年10月23日(水)授業日
 10月だというのに3週続けて台風を気にしながらの登校となったが、授業に支障はない。とはいえ、まだ連続3コマをこなすのが精一杯である。

2013年10月22日(火)市職員2億円横領
 昼過ぎにバスで国立病院に出かけたが、その途中、市役所のバス停でテレビ・クルーが市民にインタビューしていた。我が町、河内長野が不名誉な事件で全国に知られることになってしまった。警察の捜査と市の調査の結果を見ないと正確なことは分からないが、犯人の上司の責任が重いのではなかろうか。管理職としての給与をもらっているだろうに、為すべきことをしていなかったらしい。一事が万事。市役所全体に緊張感が無いのかもしれない。この事件を教訓に、とくに中間管理職の意識を高めてほしいものだ。

2013年10月16日(水)授業日
 台風26号のため休講になる可能性もあるので、昨日は一日中、台風情報が気になっていたが、朝までに台風は大阪から遠ざかり、授業に影響はなかった。とはいえ、伊豆大島の惨状には胸が痛む。
 秋学期は2・3・4限と3コマ続けての授業のため、図書館で文献調査をする余裕がない。3限「論述作文」は研究レポート発表の初日。本日の発表予定者たちは、それぞれ彼らなりに精一杯の努力の成果を準備してきた。他の受講生にもよい刺激となるだろう。

2013年10月14日(月)メンデル神話
 メンデル神話に関する論文サップ(1990)にようやく着手することができた。ちょうど2週間前の9月30日に読み始めようとして中断したままだった。サップによれば、いくつもの異なるメンデル像が生まれたのは、遺伝学者らがそれぞれの立場に合致するようにメンデルを解釈してきたためであるという。メンデル神話を語る上では、ていねいに読まなければならない論考であろう。

2013年10月13日(日)ヨハネス・ミュラーの偉大さ
 ここ、山の中の新興住宅地でも、朝から晩まで、どこからか、だんじりの音が聞こえてくる。この時期、近隣のあらゆる道路が渋滞するので、家を出ない方がよい。
 16日(水)の授業「科学技術史」では「19世紀の生理学」と題してミュラーとベルナールを取り上げる予定だが、昨年の同じ授業では受講生から、ベルナールの偉いことは分かったが、ミュラーがなぜ偉いのか分からないとの指摘があった。確かに研究業績を羅列しただけでは、ミュラーの重要性は分からない。当方のミュラー理解にも欠けているところがあったので、川喜多・医学史とDSB旧版によって、ミュラーの歴史的意義を整理してみた。一応のまとめはできたものの、この人物もまた単純ではない。調べだしたら切りがないだろう。

2013年10月11日(金)ジャーナル執筆
 朝はまず河内長野駅前の書店で『大法輪』11月号「特集・密教入門」を購入。ダラニに興味を抱いたが、まったく語意の解説がない。他の特集で扱っているということなのかもしれないが、せめて「オン」や「ノウマク」などについては、この入門編でも解説が欲しかったな。
 千代田の眼鏡店に寄った後、国立病院へ。帰りにホームセンターに寄り、キャットフードを購入。帰宅した後も、連日の外出で疲れているため、何もできない。このところジャーナルを書く気にもならなかったが、夜になってやや元気を取りもどし、1週間分をまとめ書きしている。

2013年10月10日(木)キャットフード
 19歳の三毛猫ハナは獣医師の指示で消化器サポートのフードだけを食べている。2ヶ月に1回、ホームセンターに注文して取り寄せているが、今回は注文から2週間経っても入荷していない。本日、ホームセンターに電話したところ、3時間近く掛けて伝票などを調査し、とにかく明日、入荷することになった。かろうじてハナの食料を切らさないで済むだろう。この騒動のため、午前中はずっと電話のそばにいなければならなかった。昼過ぎに家を出て病院へ。

2013年10月9日(水)授業日
 10時前に名誉教授室に着いて間もなく、季節外れの台風24号の影響で一時的に激しい風雨になった。タイミング悪く、びしょ濡れになってしまった同室者もいた。
 秋学期は2時限に大学院の授業があるので、3限「論述作文」と4限「科学技術史」の準備の時間が不足がちだが、予定通りに終え、金剛駅直行バスで帰宅。

2013年10月6日(日)難波ジュンク堂
 午前中に難波まで行き、ジュンク堂で本を2冊購入してから千代田駅にもどり、国立病院へ。
 購入した本の一つ、ウォルパート『発生生物学』(丸善出版 2013)は期待外れ。総花的で、詳しい説明がほとんど無い。「サイエンス・パレット」という新書版のシリーズなので、スペース的にも限界があるのだろう。
 坂靖・青柳泰介『葛城の王都・南郷遺跡群』(新泉社 2011)は楽しく読めた。「遺跡の大部分は、棚田の地下に今は静かに眠ってい」(p.91) というのでは、現地に行っても何も分からないのだろう。やはり橿原考古学研究所の博物館に行かなければならない。

2013年10月4日(金)市役所
 午前中に市役所に行って高額医療費補助の手続きをしてから国立病院へ。年金生活者にとってこの補助制度はありがたいが、それでも、かなりの支払額になるだろう。

2013年10月3日(木)入院見舞い
 重い荷物を抱えて国立病院へ。入院といっても患者の症状は治まっているので、暗い雰囲気はないし、病室も明るい。ただ、病院に通うこちらの体力が問題である。当面、科学史研究など無理だな。

2013年10月2日(水)授業日・文楽予約
 本日は授業日で、しかも秋学期は2時限に大学院の授業もあるというのに、10時から国立文楽劇場11月公演「通し狂言・伊賀越道中双六」の会員先行予約が始まる。名誉教授室の電話を使うのは、はばかれるので、10時直後から学内の公衆電話から繰り返し掛けたが、「混み合っていますのでお掛け直しください」のメッセージばかり。授業開始の11時直前になってつながり、第1希望日の昼夜通しで、いつもの床直下の席を確保することができた。
 3時限「論述作文」では先週の欠席者のうち、課題を放棄していた2名に除籍を通告。クラス全体が引き締まってきた。
 本日は国立病院に寄るのはやめたが、それでも疲労感は抜けない。

2013年10月1日(火)通院・授業準備
 朝、近大病院眼科で受診した後、昼前には桃山学院大学へ。図書館で遺伝学史関係の文献調査をするつもりだったが、それは取りやめて、最低限の授業準備を済ませ、千代田の国立病院へ。

2013年9月30日(月)突発事態
 今週と来週の「科学技術史」(細胞説、発生学)の教材の見直しを終え、メンデル神話関連の論文を読もうとしたところに、外出中のカミさんが体調異変のため千代田の国立病院に救急搬送されるとの電話があった。病院では体調も正常になり、一過性の異常であろうと診断されたが、再発予防のためもあって入院することになった。そのため自宅と病院とをタクシーで2往復し、当方が寝についたのは日付が変わってからになってしまった。

2013年9月25日(水)授業日
 3限「論述作文」では半数近くが欠席。出席者も夏期休暇前に告げておいた課題を忘れている。昨年度まで、こんなことはなかった。このような実習的な授業では受講生の意欲がないと、こちらの意欲も萎えるのだが、今年度限りのことなので、なんとか努力してみよう。4限「科学技術史」の今年度の講義内容は、こちらの取り上げたいテーマ「生物学史」に絞っているので、受講生の意欲はそれほど気にならない。昨年度から講義内容を生物学史にしているが、おかげで現在の生物学史研究が抱える諸問題を見渡すことができている。こういう機会を与えてくれた桃山学院大学に感謝しなければならない。

2013年9月24日(火)ラブリーホール「ヴェルディ」
 夜7時からラブリーホール・小ホールで「ヴェルディ三昧・とことんヴェルディ」と銘打ったコンサート。テノール竹内直紀、バリトン松澤政也、ソプラノ北野智子、メゾソプラノ山田愛子、ピアノ井原敏行。ラブリーホールでおなじみのメンバーである。「リゴレット」の「女心の歌」で始まり、「椿姫」の「乾杯の歌」で終わる。後半、「イル・トロヴァトーレ」の筋を追いながら代表曲が紹介されたので、このオペラの概要を知ることができた。司会も兼ねたテノールの竹内は、いつも悪ふざけをして客席を沸かすが、今回は浮いていたな。
 今日は最前列に座ったので、数メートル先でプロの歌手が唱っている。久しぶりのクラシック・コンサートを楽しんできた。

2013年9月23日(月)「科学技術史」教材送信
 祭日といっても、毎日が日曜日の身には実感がない。夕刊が来ないのでそれに気付くくらいである。本日は、明後日の秋学期第1回目の講義「科学技術史」のpptスライド教材を見直して補充し、PDF に変換して大学の教材公開フォルダーに送った。しばらくは同様の作業を続けることになるだろう。

2013年9月20日(金)葛城古道
 好天に誘われて葛城山東麓へ。近鉄御所駅から古道の出発点の六地蔵まではバスもあるが、今回は初めてなので歩いてみた。時間と労力を費やすほどの道ではなかったが、途中、崇道神社と鴨山口神社に詣でることができた。崇道神社の案内板には履歴不詳とあるが、なぜ早良親王を慰撫する神社が平安京から遠いこの地にもあるのか、気になる。
 山麓のあぜ道を南に向かう。左手の田んぼでは稲が稔り、彼岸花が群生し、その向こうに大和平野が広がる。来て良かった。九品寺と一言主神社には大勢の観光客がいたが、道の途中で出会う人はそれほど多くない。どうやら、マイカーや団体バスの利用者がかなりいるようだ。
 一言主神社の手前の楢原休憩所に着いたとき、ちょうど正午のサイレンが聞こえたので、2週間前と同様、大和三山を眺めながらコンビニのおにぎりでの昼食となった。
 一言主神社では地元の女性二人がお百度参りをしていた。地域に生きている神社なのだろう。この神社の鳥居から県道に出るまでの参道の右手の田んぼに彼岸花がまとまって咲いており、三脚で撮影するカメラマンたちが10人以上いた。
 県道を越えて町の中を南に下り、長柄神社に詣でてから東に向かい、国道を越えて宮山古墳を目指した。古墳の上に登って少しだけ内部にも入れるはずなのだが、古墳を一回りしても、どこが登り口か分からない。葛城氏の祖、葛城襲津彦の墓と見られている古墳の大きさを実感しただけでよしとしよう。
 町の中を歩くのにうんざりしてきたので、国道の宮戸橋バス停から路線バスに乗り、近鉄御所駅にもどった。
 次回はコミュニティバスを利用して一気に南郷まで行き、そこから山道を歩いて、葛城古道の南端、風の森神社まで行ってみたい。

2013年9月19日(木)教材作成に着手
 来週から秋学期の授業が始まるので、「科学技術史」の教材を準備しなければならない。とりあえず、最初の5回分について昨年度の ppt教材を今年度用に書き換えた。これから内容を見直し、必要があればスライドを補充しなければなるまい。

2013年9月18日(水)遺伝学史文献
 初期遺伝学史関連の文献を読み散らかしてきたが、そろそろ西日本大会に向けて論点を整理し、pptスライドも作成しなければなるまい。
 「ベーツソン」(William Bateson)が『科学史技術史事典』(弘文堂 1983)に立項されていないのには、びっくりした。日本の科学史家からは軽視されているということか。ベーツソンが初代所長を務めたロンドンのジョン・イネス園芸研究所をケンブリッジあるいはオックスフォードとしている内外の文献を目にするが、これもベーツソンが軽視されているためかもしれない。ところで表記は、「ベーツソン」か「ベートソン」か「ベイトソン」か。自分なりの基準を作らなければなるまい。

2013年9月10日(水)科学史西日本大会に発表申し込み
 科学史MLに第17回科学史西日本研究大会(12月14日、龍谷大学)の開催通知が掲載されたので、早速、世話人の小長谷さんに、「メンデル神話と同時再発見神話」と題した報告の申し込みをした。オリジナルな研究成果ではなく、しかも、まだまとまっていないが、この研究会を目指して問題を整理していきたい。
 本日はチェルマクに関して確認作業を進め、彼の1900年の論文(要約版)も読んでみた。当時から指摘されてきたことだが、この論文で「メンデルの遺伝法則」が再発見されているとみなすことはできない。論文の主テーマは、ダーウィンの研究した自家受精と他家受精の比較であり、メンデルの「3対1」の分離に言及するだけで、遺伝法則についての議論はない。この50年後、80歳のチェルマクは回顧録で、当時も遺伝法則に気がついてはいたが、まだそれを論じる段階ではないと考え、論文で触れなかったと述べている。しかし、一般に、老年になってからの回顧録は鵜呑みにできない。
 チェルマクは後にウィーン農科大学(Hochschule fur Bodenkultur Wien)の教授になるが、「ウィーン大学植物学教授」としている著名な辞典もある。チェルマクに対する関心の薄さを反映しているのであろう。

2013年9月7日(土)甘樫丘と御所駅
 昨日の新聞に甘樫丘東麓遺跡現地見学会(奈良文化財研究所)の記事があったので、出かけることにした。秋の遺跡散歩の足慣らしにちょうどいい。しかしバス停「飛鳥」から発掘現場まで歩いただけで、かなりの汗。まだ夏は終わっていない。それでも彼岸花は、ちらほら咲き始めていた。
 奈文研では継続的に甘樫丘東麓一帯の発掘調査を実施しているが、その中で今回の現場は狭い谷筋であった。見学者には当方と同様、単独行の男性年配者が多かった。遺跡見学の後は展望台に登り、大和三山を眺めながらコンビニのおにぎりで昼食。本日はこれで飛鳥を終わり、バスで橿原神宮前駅にもどる。
 尺土駅で御所線に乗り換え、近鉄御所へ。この秋は葛城古道を歩いてみようと思うので、駅の周辺を下見しておこうと考えた。駅前の観光案内所で地図やパンフレットをもらうつもりでいたら、なんと、閉まっているではないか。後で確認したら1時に閉めてしまうとのこと。土日くらいは午後も開けておくべきだろう。仕方なく駅前の案内板で方向を確かめ、交通量の多い国道を歩いて鴨都波神社へ。境内は想像していたよりも広かったが、再訪したいと思うほどの魅力はないし、弥生時代から古墳時代まで続くという遺跡についての説明板もなかった。駅前にもどり、「おひさまカフェ」で一休み。市の外郭団体が運営する店だが、価格の割に味もサービスも悪くない。葛城古道を歩くときの拠点にしよう。

2013年9月4日(水) ヨハンセンの「ゲン」
 いつ、どこで豪雨になるか分からない不安定な天候が続いている。こういう時は家に閉じこもって文献を読むのが無難であろう。といっても体調がすぐれず、読書もはかどらなかったが、昨日から集中力が回復してきた。ヨハンセンについても、こだわれば切りが無いので、いったん、昨日で中断し、本日からメンデル本人について気になる点を押さえておくことにした。12月14日に予定されている科学史の西日本大会で「メンデル神話と同時再発見神話」と題して報告する予定なので、それまでに概要をまとめておかなければならない。その後、細部を詰めて『生物学史研究』に投稿したいと考えている。
 ヨハンセンについての研究論文をいくつか読み、概説書では知り得ない事実が分かった。ヨハンセンは1909年の著書『精密遺伝学要論』で遺伝を担う「なにか」(Etwas)を「ゲン」(das Gen)と名付けたが、これが物質的、粒子的存在であることは強く否定していた。ところがモーガンは早くもその翌年から、「ジーン」(gene)を物質的、粒子的存在として用いている。モーガンの「ジーン」を「遺伝子」と訳すのは妥当だが、造語者ヨハンセンの「ゲン」を「遺伝子」と訳すのは不適切なことだった。
 ヨハンセンはこの著書の第3版(1926)でモーガン一派の研究成果を高く評価しているものの、「ゲン」についての見解は変えていない。また、この版ではメンデル論文(1866)について、現象を分析しただけであって、遺伝の仕組みについては論じていないと指摘している。オルビー「非メンデル主義者・メンデル」(1979)を待つまでもなく、すでにヨハンセンが同様の指摘をしていたといえよう。我々はモーガン流の古典遺伝学に慣れ親しんだため、メンデルについても古典遺伝学的に解釈しすぎるのかもしれない。

2013年8月27日(火) 国立国際美術館「貴婦人と一角獣」
 近大病院眼科へ受診に出かけたついでに、中之島の国立国際美術館へ。タビスリー「貴婦人と一角獣」の展覧会を開催している。修復されているとはいえ、1500年ころの作品がよくぞここまで残されたものだと思う。一見の価値はある。プリニウスの伝えた一角獣が誤訳によって聖書に取り込まれ、キリスト教圏で大きな存在になったということを、展示解説で初めて知った。背景に描かれている動植物の種類と描き方は、16世紀自然史の復活を考える上で参考になるかも知れない。猫が描かれていないのも気になる。本日はほどほどの混み具合だったが、おそらく10月には大混雑になることだろう。

2013年8月26日(月)大学図書館
 狭山駅前まで散髪に出かけたついでに、桃大へ。本日も涼しいので、和泉中央駅から大学まで真昼に歩いても苦にならなかった。名誉教授室に荷を置き、図書館地下書庫にもぐって文献調査。予め検索しておいたヨハンセン関連の論文だけでもかなりの数になるが、その全部に目を通す余裕はない。今回はそのうちの2点だけをコピーして読むことにした。

2013年8月25日(日)恵みの雨
 一昨日(23日)の夜10時ころから本日の夕方まで雨が降り続いた。列島各地で大雨の被害が出ているが、大阪では干天の猛暑日が続いていたので、恵みの雨となった。気温も下がり、窓を閉め切ってクーラーを止めても、まだ涼しい。文献に取り組むには絶好の日なのだが、今度は体力が追いつかない。それでもヨハンセンに関して読むべき文献をいくつか検索することができた。
 現在の予定では、とりあえずメンデルからヨハンセンまでの遺伝学史をまとめることにしているが、その範囲内では最後のヨハンセンについて、まず確認作業をしておきたい。ヨハンセンが定義した「ゲン」(Gen)は、我々になじみの「遺伝子」とはかなり異なっている。これを明確にしておくことは、メンデル論文(1866)の理解にも役立つだろう。

2013年8月19日(月)ボウラー『メンデル革命』(1989)
 標記の著書を断続的に読んできたが、ようやく全体に目を通すことができた。体調と気候さえ良ければ3日で読み切れるはずが、ずいぶんと時間が掛かってしまった。著者によれば、従来の正統的なメンデル遺伝学成立史は、科学史家による近年の研究によって大幅に修正されている。それにもかかわらず、そのことが一般にほとんど知られていない。そこで近年の遺伝学史の研究成果を整理して、一般向けに提供するのが本書の目的であるという。著者は進化論史の専門家として知られているか、遺伝学史は専門外である。したがって本書は著者独自の研究成果ではなく、遺伝学史の専門家の研究に依拠している。なかでもオルビーのメンデル論の影響が大きいと思われる。
 日本では科学史家のなかでさえ、従来のメンデル遺伝学史が通用している。本書は20年以上前の著作ではあるが、新鮮さは失われていない。邦訳があってもしかるべきだと思うが、一般向けの概説書としては、その構成上、問題点が二つあると思う。
 その一つは、全9章のうち、メンデルの登場が第5章になっていることである。第2章から第4章までは、19世紀まで遺伝現象が発生過程の一部として扱われていたことに費やされている。簡潔な発生学史の観がある。これは、メンデル論文(1866)が当時、遺伝学の論文として読まれなかったことを説明するものではあるが、メンデルについて勉強しようとする一般読者の気を削ぐものであろう。
 本書の第1章では、科学者による科学の歴史記述は現代の科学を基準にして歴史をゆがめており、従来のメンデル遺伝学史はその典型であるとしている。この章の後半では、科学哲学、および科学社会学の科学観も批判し、科学を最も正確に理解しているのは科学史家であるという。こうした批判は本書の至る所で展開されており、一般読者には、わずらわしいであろうと思われる。
 おそらく本書の邦訳を検討した出版社もあったのだろうが、こうした問題点から、翻訳しても売りにくいと判断したのではなかろうか。
 第7章「古典遺伝学」の最後の部分で、ルイセンコ派が遺伝学を弾圧したことと、英語圏の遺伝学者が細胞質遺伝説などを異端とみなしたこととを同列に扱っているが、この二つは全く異質の問題である。学界主流による異説の排除は、分野、地域、時代を問わず、珍しいことではない。しかしルイセンコの場合は、権力を得るために政治を利用して学界主流を陥れた事件である(藤岡毅『ルィセンコ主義はなぜ出現したか』)。科学は科学者たちが自負するほど、清く・正しく・美しいものではないといいたいがために、かえってルイセンコを弁護する形になっている。 
 当方としては、本書の引用文献も参照しつつ、メンデル遺伝学成立史研究の現状を展望してみたい。

2013年8月18日(日)クーラー設置
 我が家では一階の居間だけにクーラーを設置していた。それでも昨年の夏まではなんとかなっていたのだが、今年の夏は厳しい。文献に取り組むのも難しい状況になってきたので、二階の我が個室にもクーラーを設置することになった。これで当面の遺伝学史研究もはかどることを期待しよう。

2013年8月6日(火)今日は一日、市内で用事
 朝から晩まで河内長野市中心部を南海バスで周り、用事を一気に片付けてきた。まずは河内長野駅前の銀行で文楽のチケット代を会員カードの口座に振り込む。千代田駅前に出て動物病院に三毛猫ハナの輸液廃棄物の処理を依頼し、洋食店「プシューケ」で早めの昼食。フランス料理店だが、欧文綴りはPsyche 。多分、「霊魂」ではなく、ギリシア神話エロスの妻を意味しているのだろう。数年前、読売新聞地域版に紹介され、先月は朝日新聞にも紹介されていた。記事を読んで来店したと思われる客で、早い時間から賑わっていた。当方の定番は、1,470円のランチ。
 この後、バスで市役所に着いたのは昼休みの時間帯だった。窓口の再開は1時と思い込んでいたら、12時45分にチャイムが鳴り、受付が再開された。職員の休憩が45分しかないとしたら、働く者にとっては厳しいだろうな。用件を済ませ、バスでラブリーホールへ。手頃なクラシックのチケットを購入。かなりの疲労感が出てきたので冷房の館内でゆっくり休憩した後、歩いて河内長野駅前へ。途中、郵便局に寄って、「知る権利ネットワーク関西」の年会費を送金。会合に参加しなくなって久しいが、せめてもの応援として3千円の年会費を納めている。河内長野駅前から三日市町駅方面のバスに乗り、田中整形クリニックへ。今のところは腰痛もなく、その限りでは体調良好である。
 マイカーならば半日コースだろうが、暇な身なのでバスでのんびり回るのも苦痛ではない。用件が片付き、これからメンデルに集中すると宣言したいところだが、当分、猛烈な暑さが続くとのこと。どこまで集中できるか、自信は無い。

2013年8月3日(土)文楽・夏期公演
 暇な身としてはなにも土曜日に出かけることはないのだが、第2部・第3部と続けて床直下のいつもの席を確保しようとしたら、この日になってしまった。昼夜とも、客の入りは上々である。
 2時開演の第2部は「妹背山」の四段目。清治に率いられた「道行恋苧環」の演奏が楽しい。大夫ではやはり「金殿の段」の咲大夫。
 今回、「鱶七上使の段」の冒頭、仕丁たちの地口のやり取りが上演された。歌舞伎で上演されることはまずないし、文楽でも珍しいのではなかろうか。劇の進行上は不必要な場面だが、「嘲弄、長老、女郎、如雨露」など、江戸時代の庶民の言葉遊びがうかがえる。「富楼那の弁」と「くずなの弁」のつながりが分からなかったが、このジャーナルを書いていて気がついた。多分、「富楼那、ふるな、古菜、屑菜、くずな(甘鯛の大阪語)」というつながりなのだろう。「富楼那の弁」が当時の庶民の常識になっていたことも分かる。
 この件を確認するために院本の翻刻を読んでいて、2010年4月「妹背山」通し公演について書いたジャーナル(2010年4月16日)に間違いのあったことに気付いた。入鹿の首が飛び回るのは四段目の最後であり、五段目は近江宮での目出度し目出度しであった。この五段目を上演する意味は無いだろう。
 6時半開演の第3部は「夏祭浪花鑑」。歌舞伎でも人気があるが、あまり好みの芝居ではない。侠客たちの意地の張り合いに違和感がある。ただ、最後の長町裏の舅殺しは、見応えがある。今回、それよりも印象に残ったのが簑助の「お辰」。首の角度やちょっとした動きにほれぼれする。こうした芸は努力だけで継承するのが困難なのだろう。
 住大夫が「釣船三婦内」の切りを語ったが、よくぞ、ここまで快復したものだ。筋書きにインタビューの形で闘病生活が語られている。「何とかしてもういっぺん舞台に出たい」という一念で必死の努力を重ねてきたという。88歳で「やりたい浄瑠璃はぎょうさんある」という。74歳の当方もがんばろう。今回、第1部に出演している嶋大夫が病気休演との掲示があった。軽い病であってほしい。

2013年8月2日(金)非メンデル主義者・メンデル
 連日の暑さにまいりながらも、メンデル関連の文献を読み進めている。メンデル研究の画期となったオルビーの論文「非メンデル主義者・メンデル」(1979)にもようやく目を通すことができた。メンデルの論文「植物雑種の研究」(1866)のテーマが雑種による新種形成の可否であること、すなわち遺伝(Erblichkeit)の研究ではなく、進化(Entwicklung)の研究であることについては専門家の意見は一致していると思われる。そのことは、メンデル論文の「序論」と「結論」からも否定しがたいであろう。研究者の見解が分かれるのは、雑種研究の副産物として得られた遺伝法則をメンデル本人がどこまで理解していたかについてである、。生物学史の専門家の間では、オルビーの見解、すなわち、メンデルには後世の「遺伝子」に該当する概念はなかったという見解が支持されていると思われる。
 遺伝子が当たり前の存在になっている我々は、どうしてもそれを前提にメンデル論文を読んでしまうが、できるだけ19世紀のレベルに頭を切り換えて読むことが必要だろう。
 メンデルに関連した邦語文献をざっと検索した限りでは、こうした近年のメンデル研究を反映したものがないようである。これは自分も含めて、日本の生物学史家の怠慢といえるかもしれない。

2013年7月28日(日)ラブリーホールでオペラ二本立て
 大ホールで「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「ジャンニ・スキッキ」の二本立て。会場は多分、満席に近かったろう。当方は会員チケット販売初日にネットで申し込んだので、3等席(3千円)の中では最良の席を確保できた。今回はフルオーケストラ(大阪交響楽団)での公演。当然のことながら小編成の楽団やピアノだけよりも聴き応えがある。舞台装置が無きに等しいのは経費節減のためか。
 いずれのオペラも予備知識なしで楽しんできた。「カヴァレリア・ルスティカーナ」は要するに女敵討ち、すなわち女房を寝取られた男が相手の男を殺すという話。シチリアの農村が舞台なので、「田舎の騎士道」というタイトルになっている。日本人には意味不明なカタカナのタイトルが使われ続けているのは、この邦語名ではオペラのバタ臭さが感じられないためだろうか。
 こうした世話物的なオペラを「ヴェリズモ・オペラ」というとのことだが、当方の好みでは、オペラは奇想天外な方がいい。文楽でも心中物より時代物の方が楽しいのと同様である。ところで、このオペラは復活祭当日の出来事になっている。文楽・歌舞伎でも、「夏祭浪花鑑」など、祭りの日の殺人が少なくない。華やかな祭りと陰惨な殺しの対比を狙ってのことだろうが、キリスト教圏のことなので復活祭の当日ということには、なにか別な意味が込められているのではないのか、気になる。
 「ジャンニ・スキッキ」は13世紀のフィレンツェが舞台。劇中で唱われるフィレンツェ賛歌の中でメディチ家が讃えられていたが、メディチ家が台頭するのは15世紀だから、台本作家の時代錯誤か。医者がサレルノ医学校を讃えていたが、これは年代的にも合うし、19世紀のイタリア人にとってもサレルノが誇りだったのだろう。知恵者スキッキの娘(ソプラノ)のアリア「私のお父さん」は聞き覚えのある曲だったが、少々、不満が残った。
 堪能したとまではいえないが、満ち足りた半日であった。それにしてもホールに出かけるのが4ヶ月ぶり。我ながら出不精の度合いが強くなっているのは、よろしくない。秋には積極的に外に出たいものだ。

2013年7月24日(水)授業日
 春学期の最終授業日。明日からの1週間は試験期間なので、7月中は夏休みにならない。一昔前と比べ、大学も様変わりである。文科省の方針なのでやむを得ないが、授業回数を増やしたからといって学力が上がるとは思えない。3年次の後半から就活のため大学に来なくなる現状の方が深刻だろうに。
 当方は当面、メンデル関係の文献に集中する予定だが、自分でもあきれるほど進展しない。暑さのためだけでなく、気力体力の衰えもある。締め切りがあるわけでもないので、つい、のんびりしてしまう。ここで宣言することによって、活を入れよう。

2013年7月17日(水)授業日
 昼前、久しぶりに図書館の新着・洋雑誌コーナーに行くと、かなりの雑誌が今年度から購入中止になっていた。予算削減と円安のため、やむを得ないとはいえ、残念なことではある。地下書庫に降り、購入中止になった統計学雑誌の3年前の号から、メンデル=フィッシャー問題関連の論文をコピー。統計学者の論文なので、理解に苦労するかも知れない。
 3限「論述作文」では2回目の読書報告を終えるはずだったが、サボリマン2名分が次回に持ち越しとなってしまった。4限「科学技術史」は18世紀の自然史。話の材料はいくらでもあるし、本日は気楽な余談集。

2013年7月16日(火)メンデル文献
 連日の暑さで精神集中が難しい。断続的にメンデル文献に取り組んでいるが、まずは手元の文献の確認。メンデル=フィッシャー問題(the Mendel-Fisher controversy)については1990年までに決着していると思っていたが、ネット検索してみると、最近も続々と関連文献が出ている。科学史家だけでなく、遺伝学者や統計学者らの関心も衰えていないようだ。科学史上はそれほど重要な問題ではないはずだが、フィッシャー(1936)以降、どんな議論がなされているのか、整理しておく必要はあるだろう。

2013年7月11日(木)古代史
 何もしなくても暑さだけで疲れてしまう。気分転換に購入したばかりの平林章仁『謎の古代豪族 葛城氏』を読む。昨年、葛城古道を歩いてみようかとガイドブックで検討してみたが、不便だし、魅力も感じなかった。しかし、この本を読んで出かける気になった。鴨都波神社や宮山古墳は訪ねる価値があるようだ。まずは橿原考古学研究所の博物館で予備知識を得て、秋になったら近鉄御所から歩いてみよう。

2013年7月10日(水)授業日
 先週までの3回は雨の中の往復だったが、本日は猛暑の晴天。数冊のデカルト本を図書館に返却し、メンデル本を抱えての帰宅となった。
 帰宅途中、河内長野駅で途中下車し、朝刊の広告にあった新刊の新書、平林章仁『謎の古代豪族 葛城氏』(祥伝社)を購入。新書のコーナーに平積みになっていた。それも他の本の数倍の高さ。河内長野市内からは葛城山・金剛山が目の前で、その向こう側が葛城氏の本拠になる。そのため、この本も売れると見込まれているのだろう。

2013年7月8日(月)書類作成
 猛烈な暑さと湿気で心身ともにふらついているが、それでもなんとか、やっかいな書類作成をほぼ終え、肩の荷を下ろした感じでほっとしている。明日、若干の修正の後、指定の書式で印刷して完了。授業・兼・生物学通史の準備にもどることができる。
 この暑さでも家猫のハナは冷房の部屋でふとんにもぐっているが、外で面倒を見ているシロは涼しい場所を求めて転々としている。家の裏の方が涼しいのだが、玄関の見える範囲で移動しているのがいじらしい。

2013年7月4日(木)書類作成
 授業日の翌日は疲れてぼんやりしていることが多いが、期日の限られた書類作成を2件、抱えているので、そうもしていられない。午前中に簡単な方の書類作成を片付け、午後は来週の「科学技術史」のテーマ、前成説の教材pptスライドを修正、作成した。これで明日からは、やっかいな書類作成に集中できるであろう。

2013年7月3日(水)授業日
 3限「論述作文」では、久しぶりに基本の八百字論文。4限「科学技術史」のテーマは、ハーヴィの血液循環論。準備不足で、ハーヴィの実験内容をうまく伝えられなかったことに悔いが残る。

2013年7月1日(月)クララ・ピントコレイア『イヴの卵』白揚社 2002
 先週の金曜日から延べ3日掛けて、ようやく標記の訳書を読み終えた。本訳書は、小さな活字の二段組みで本文300ページ。17・18世紀の前成説が、当時としてはそれなりの合理性をもっていたと主張している。一次文献を丹念に読んでいることには敬服するが、この半分の分量でも十分だったろう。原書(1997)は手元にないが、佐藤恵子による翻訳は正確だと思われる。邦訳がなければ、とうてい、読み通す気にはならなかったろう。
 奇形の問題は卵子説の弱点とみなされていなかったこと、「ホムンクルス」という用語は前成論者たち自身の文献にないのに、1930年以降の二次文献で精子論者の用語とされるようになったことなどは、大量の一次文献を読んだからこそ断言できることだろう。
 後成説が不人気で前成説が支持された最大の理由はデカルト主義の影響で、ニュートン力学が不人気だったことと関連しているはずである。本書(p.177)にもこの点についての指摘があるが、他の部分の冗長さに比べ、簡潔にすぎる。
 本書の最後に近いところでフックとグルーの顕微鏡観察に触れ、「王立協会が借り上げた一台きりの顕微鏡を交替で使っていた」(p.292)と述べている。これはヒューズ『細胞学史』(1959)の記述を丸写ししたものだが、とんでもない間違いである。『ミクログラフィア』はフックが自ら製作した顕微鏡を宣伝するための本であり、グルーが用いた顕微鏡も王立協会が費用を負担してフックが製作したものであった。丹念に一次資料に当たってきた著者も、ここまて来て疲れてしまったのか、古い二次資料を引用するだけという安易な道を取ってしまったのは残念である。
 結論として著者は、前成説が「生殖に関する議論の中で行く手を阻むさまざまな苦難をうまく排除してくれた」(p.314)と述べている。すなわち、生物学の進歩に貢献した学説として前成説を位置づけている。これは肩すかしの結論であった。進歩観にこだわらず、過去の学説を時代背景の中で理解することが科学史にとって重要であり、前成説研究はその好例であると宣言してもよかったのではなかろうか。

2013年6月30日(日)生物学史分科会シンポジウム「生物学史と生物教育」
 2ヶ月ぶりの大阪市内。難波・高島屋で早めの昼食を済ませ、美術画廊をのぞいてから天満橋の「エルおおさか」へ。市民運動に関わっていたころは頻繁に訪れていたので、懐かしさも感じた。
 今回の研究会は、「2012 年からはじまった高等学校の新課程の生物では、メンデルの法則などの古典的な記述が削られ、現代的に改訂されたことが話題になりました。このシンポジウムでは、この機会にこれまでの生物学教育と生物学史を振り返り、これからの生物学史の役割を議論したいと思います」という趣旨で、瀬戸口明久(京大)さんが企画したものである。加納圭(滋賀大)、塩川哲雄(府立布施高)、福井由理子(東京女子医大)、田中幹人(早大)、各氏の発表の後、フロアからの発言が続いた。参加者は40名を越えていたろう。この種の研究会としては大盛況といえる。
 個人的な見解としては、理科の教科書の執筆者たちに歴史への関心がなく、中途半端な知識しかないのだから、教科書に科学史の記述がなくてもやむを得ない。意欲的な教員が自主的に歴史を語ればよい、と思う。自分の高校時代の記憶でも、教科書にない科学史的な余談の方が印象に残っている。しかし現実は、教科書に無いことを授業で語る教員は糾弾されかねないらしい。教員の自主性を尊重する教育の確立こそが重要なのかもしれない。
 新しい教科書ではDNAが重視され、メンデルの名が削除されたため、本日の会合でも繰り返しメンデルへの言及があった。ただし、そこで前提されているのは、「遺伝学の祖」としての古典的なイメージであった。一般的にはそれでもよいが、科学史家の会合ではより正確な理解が必要だろう。メンデル本人は何を目指していたのか。コレンスらはメンデルの論文をどのように理解したのか。遺伝学を広める上でメンデルの名がどのように利用されたのか。統計学者フィッシャーの批判は妥当なのか。こういった問題について近年の研究成果を至急、まとめておく必要を感じた。生物学史通史の執筆に関連してさまざまな課題を抱えているが、まずはメンデル問題を最優先しよう。
 研究会終了後は、京阪・天満橋駅の上にあるビア・ガーデンで懇親会。東京や名古屋からも科学史の仲間が来ていたので、久しぶりの歓談。二次会には参加しなかったが、よい刺激を得た一日であった。

2013年6月26日(水)授業日
 終日の雨。それでも通学バスは行き帰りとも、先週と同様、晴天の日よりも順調に走っていた。3限「論述作文」では、全員の読書報告を一応、終えた。ケータイ小説や他の授業での教材など、お手軽な報告が多いが、なにも読まないよりはましだろう。4限「科学技術史」の顕微鏡の解説では、まず、フックの『ミクログラフィア』。図はネット上のものを利用したが、できれば実物大の復刻版で示したかった。

2013年6月25日(火)授業準備
 朝、早くに近大病院眼科へ。点眼薬を変更した結果、眼圧が10まで低下したことが確認できた。患者も医師もご機嫌である。
 滞在2時間程度で帰宅し、明日の「科学技術史」のpptスライドを再点検した。明日のテーマは「顕微鏡」。さまざまな生物学通史のなかには、生命論に傾斜し、顕微鏡にさしたる興味を示さないものもある。しかし、17世紀後半の単眼顕微鏡、19世紀後半の色消し複眼顕微鏡、20世紀後半の電子顕微鏡、それぞれの登場が生物学を大きく変貌させてきたのではないだろうか。わが生物学通史では、この問題を丁寧に扱ってみたいと思う。

2013年6月19日(水)授業日
 昨日までの空梅雨模様とは打って変わって終日の雨。金剛駅前からの桃大直行バスの走行時間が心配だったが、意外なことに道路の渋滞はなく、往復とも普段よりも早いくらいだった。
 3限「論述作文」は久しぶりに全員出席。4限「科学技術史」のテーマは「17世紀科学革命の概要」。コペルニクス、ガリレオ、デカルト、およびニュートンについてである。本来なら6回程度の授業回数が必要なテーマだが、生物学史中心の今年度は1回、90分にまとめてみた。わが生物学通史では科学革命についての古典的解説は不必要であろうが、デカルトの動物機械論とその影響については十分に注意を払わねばならないだろう。

2013年6月17日(月)授業準備
 体調もだいぶ快復してきたので、やっと、次回からの「科学技術史」3回分のpptスライドを作成し、桃大サーバーの教材公開フォルダーにPDFファイルを送ることができた。

2013年6月13日(木)真夏日
 この暑さと疲労、それに、数日前からぶり返した腰痛のため、何もできない。ぼんやりテレビドラマを見ている時間が多かった。また、昨日、金剛駅前の書店で購入した『大法輪』7月号「特集・宗派の違い」に寝転がって目を通し、臨済宗と曹洞宗の違いに改めて興味を抱いた。

2013年6月12日(水)授業日
 3限「論述作文」では読書報告を始めた。作品は例年のレベルと大差ないが、毎回、欠席者がいるなど、今年のクラスは緊張感が欠けているようだ。4限「科学技術史」のテーマはヴェサリウス。『ファブリカ』の図版はネット上のものを利用したが、できれば復刻版を利用したかった。

2013年6月11日(火)歯科検診
 朝早くに猫の輸液セット廃棄物を持って千代田動物病院へ。引き続いて、北野田の日野歯科へ。3月末の検診予約が医師急病のため、今日になった。医師はすっかり快復し、以前よりも元気に見えるほどであった。
 退職後は歯科も理髪店も自宅近くに変更するという選択肢もあるが、通い慣れたところは安心感もあるし、外出するきっかけにもなるので、このままでいこう。

2013年6月8日(土)山田弘明「デカルトと医学」(2004)
 10日前に桃大図書館でデカルト本を数冊、借り出したものの、体調が芳しくないため、ほとんど手つかずである。本日は体調ももどり、ネット上に公開されている標記の論文(名古屋大学の紀要に掲載)を読み通すことができた。デカルトはオランダで本格的に解剖学に取り組んでおり、デカルトにおいて解剖学と形而上学とは相互補完的な関係にあったという。デカルトの医学研究の経緯とその成果がまとめられており、有益な論考であった。ただ、「バウヒン」(Gaspar Bauhin)という解剖学者の名に一瞬、とまどった。邦語の科学史文献では、「ボーアン」あるいは「ボアン」と表記している。この論考でも、英語読みではなく、フランス語読みにすべきだったろう。

2013年6月6日(木)「総合人間学」
 2限「総合人間学」出講のため、金剛駅前8時20分発の桃大直行バスに初めて乗車した。昨年、乗車待ちの学生の長い列を見てあきらめたことがあったが、本日はかろうじて最後の空席に座ることができた。本日の講義のテーマは「ダーウィンの人間論」。このテーマなら材料はいくらでもあるのだが、前回の受講レポートに誤字か多く、授業の冒頭でこの件に時間を割いたため、肝心の講義の時間が足りなくなってしまった。それでも「講議を授講する」といった間違いに気付いてもらうことは重要だろう。

2013年6月5日(水)授業日
 4限「科学技術史」のテーマは「ルネサンス期の自然史」。受講生のレベルを考慮すると、ルネサンス美術、印刷術、宗教改革、ペストの流行などの説明に、かなりの時間を割かざるを得ない。ゲスナーを中心にして当時の自然史の状況をまとめたかったが、中途半端に終わった。それにしても、典型的なルネサンス人の一人として、ゲスナーの名はもっと知られてもよいのではなかろうか。

2013年6月2日(日)文楽予約
 朝は9時から団地自治会の一斉溝掃除。今年は梅雨入り後になってしまったが、さいわい、本日は雨も降らず、普段は手つかずの場所も掃除することができた。
 10時から文楽夏休み公演の会員先行予約が始まったが、なかなか電話がつながらない。ようやく昼前になってつながり、いつもの床直下の席を確保した。しかし第1希望日はすでに埋まっていた。以前は予約開始の翌日でも希望の日にこの席を確保できたが、最近は予約開始日でも難しくなってきた。観客が増加したためなのであれば、けっこうなことだが、これ以上、席が確保しにくくなるのは困るな。

2013年5月30日(木)「総合人間学」
 今週と来週は木曜2限の「総合人間学」に出講。本日は「人間についての科学的研究の誕生」というテーマで、コントとスペンサーの社会学と、ブルーメンバッハの人類学を紹介した。大教室で300人の受講生を相手にするのは久しぶりである。人数の割には静かだったが、残念ながら講義を聴いているからではなく、寝ている学生が多かったにすぎない。チーフの梅山先生はけしからんと怒っていたが、学生には退屈な話だったとしたら、こちらにも責任がある。とくに失敗だったと思うのは、「人類学」という用語の多義性についての解説が詳しすぎたこと。生物学通史では具体例の羅列も必要だろうが、授業では簡単に済ますべきだった。来年度も出講する場合は、骨相学の話を入れてみたい。

2013年5月29日(水)その2 中世科学史
 本日は授業日。3限「論述作文」ではワープロによるレポートの書き方。4限「科学技術史」のテーマは中世科学史。関連文献を見ていくと、近年の科学史研究ではアルベルトゥス・マグヌスによるアリストテレス主義の復活が重視されている。授業では名前を紹介する程度だが、我が生物学通史では、きちんと扱わなければならないだろう。ウェストフォールの一連の論文も読み始めたのだが、先に進まなければならないので、やむを得ず中断。それにしても『ケンブリッジ科学史・第2巻・中世』の刊行はどうなっているのだろう。近刊予告が繰り返され、その度に刊行予定が延びている。最新の予告では7月刊行となっているが、本当に出るだろうか。

2013年5月29日(水)その1 高齢の山女
 今朝は早めに家を出て、南青葉台口バス停8時12分発のバスに乗った。この時間、このバス停に必ずいるのが、ザックを背負った小柄の女性である。毎日、金剛山に登っている。金剛登山はすでに6千回を越え、百名山も全て制覇したという。三浦雄一郎さんより2歳年上とのことだが、そんな歳には見えない。三浦氏のエベレスト登頂もすごいが、我が団地の彼女もそれに劣らないほど、すごいのではなかろうか。雑誌やテレビで取り上げたら話題になるだろうに、取材する記者がいないものだろうか。

2013年5月28日(火)授業準備
 朝は近大病院眼科へ。今日は2時間ですべて終了し、泉ヶ丘駅を経由して桃大へ。明日の「論述作文」の教材を印刷し、前回の作品を添削しただけで疲れてしまった。図書館での文献調査はあきらめた。梅雨入りらしく、しとしとと降る雨の中を早めに帰宅。

2013年5月25日(土)動物病院
 朝、ハナを連れて千代田動物病院へ。待合室で、19歳と2ヶ月の三毛猫といって紹介すると、みなさん、びっくりしてくれる。土曜日は動物病院が最も混雑するので、診察はあきらめて爪切りだけにした。まとめ買いした輸液セットを運ぶため、タクシーで帰宅。今日のハナは、往きのバスの中でも帰りのタクシーの中でも騒がず、おとなしかった。
 ハナには、ほぼ毎日、リンゲルを注入している。どこかにもぐっていても、器具の用意を始めると出てくる。しかし針を刺す直前には尻込みをする。輸液の必要は理解していても、針は嫌なのだろう。人間と同じ行動パターンではないか。

2013年5月24日(金)接続詞「なので」
 体調がもどり、来週木曜に出講する「総合人間学」の教材スライドを点検、修正し、大学のサーバーに転送することができた。
 昨日、郵送されてきた東大同窓会の会報『淡青』26号に目を通す。「時間」をテーマにした特集号で、動物学教室の変遷、宇宙論、地下生物圏などの話題を専門家が語っている。気楽に面白く読むことができたが、文献案内のないのが残念だった。
 同誌には、院生による360字程度の小文が4本、掲載されており、その一つがゲーテ研究者によるものであった。内容、表現とも稚拙だが、とくに、「なので」を接続詞として用いていることが気になった。「論述作文」の授業の作品にもしばしば、接続詞「なので」が登場する。そのたびに、「書き言葉で使ってはならない」と指摘してきた。しかし東大の広報誌で文学研究者が堂々と用いている。もしかすると自分の言語感覚がおかしいのかも知れないと心配になった。手元の辞典類では判然としないので、ネット検索すると、数多くのサイトでこの問題を取り上げていた。放送局のアナウンサーの世界では、話し言葉としても接続詞「なので」は不適切とされていた。自分の言語感覚がまともであったことが確認できて、ほっとした。
 改めて指摘されなくても、読書を重ねていれば、接続詞「なので」は不適切という感覚が身につくのではなかろうか。この小文を書いた院生は、あまり本を読んでいないのだろう。これが現在の東大の実態なのかも知れない。とんだ「広報」になってしまった。

2013年5月23日(木)文楽・夏休み公演
 疲れと暑さで(それと多分、老齢のせいもあって)、体が動かない。意欲があっても作業にかかれない。そんなところに、「文楽友の会」の会報が届いた。7月20日からの夏期公演の案内が掲載されている。その演目と配役を見て時間を過ごすことにした。
 第1部「瓜子姫とあまんじゃく」の嶋大夫を聞いてみたい気もするが、結論はパス。第2部「妹背山」の「井戸替」から「金殿」までと、第3部「夏祭浪花鑑」には行かねばならない。「妹背山」の切が咲大夫。「浪花鑑」の「釣船三婦内」の切が住大夫。しばらく住大夫を聞いていないので、体調を崩さず、元気に出演してほしいと思う。「長町裏」の団七・千歳大夫と義平次・松香大夫も面白そうだ。
 三味線と人形の配役も見ながら舞台を想像するのが実に楽しい。4月公演は気が乗らず、見送ったので、半年ぶりの文楽になる。今の自分にとっては文楽を見るのがなによりも楽しいことなのかも知れない。

2013年5月22日(水)授業日
 3限「論述作文」に、今回、初めて出てきた受講生がいたのにはびっくりした。一般の講義科目とは違うので、これは認めるわけにいくまい。

2013年5月19日(日)山田寺仏頭
 奈良歩きの疲れのためだろう、一昨日・昨日はぼんやりしている時間帯が多かったが、本日までの3日掛かりで、なんとか興福寺仏像群の概要を頭に入れることができた。手元の資料は興福寺発行のガイドブックと週刊「国宝の美」だけだが、とりあえずはこれで十分だろう。
 今や国宝館の人気は阿修羅像に集中しているらしいが、自分としては山田寺仏頭の方に親しみを感じている。日本史の教科書にでも掲載されていたのだろうか、かなり以前から知っていたような気がする。今回、これは文治3年(1187)に興福寺の僧兵が飛鳥の山田寺講堂から強奪してきた薬師三尊中尊の頭部であることを知った。興福寺の横暴さを示す歴史的証人でもあったのだ。この薬師如来の両脇侍、日光菩薩と月光菩薩は現在も東金堂薬師如来の脇侍として健在である。東金堂には21体の仏像があって、どのように拝観すればよいか、いつもとまどってしまうが、これが一つの手がかりとなるだろう。
 近鉄奈良駅に来ると、ほとんどの場合、興福寺の国宝館と東金堂に寄っていくことになるが、毎回800円は馬鹿にならない出費である。「興福寺友の会」というシステムがあることを知ったが、年会費3千円は微妙だな。

2013年5月16日(木)ふらりと奈良へ
 特別公開中の興福寺南円堂へ行く以外は確たる目的もなかったが、難波からの近鉄電車の中で、まだ訪ねたことのない大乗院庭園のことを思いついた。近鉄奈良駅の上にある案内所で地図をもらい、のんびり歩いて行く。猿沢の池の脇を抜けて元興寺へ向かう道を途中で左に逸れて行くと、「名勝大乗院庭園文化館」に到達する。駅から20分ほどだろうか。文化館の中から見るだけなら無料だが、庭園に入るには100円を要する。広々とした気持ちの良い庭園であった。これを維持する費用も気になるが、意外なことに、現在は、ほとんどJR西日本が負担しているらしい。
 ここから少し先まで歩けば頭塔があり、さらにその先に新薬師寺がある。しかし今回は見送って興福寺にもどることにした。
 南円堂の前までは何度も来ているが、内部に入るのは初めてである。通常は10月17日の大般若経転読会のときにしか開扉されないが、今年は6月2日までのほぼ2ヶ月間、特別公開している。康慶の最高傑作といわれる国宝・不空羂索観音座像を初めて実物で見た。光の加減もあって細部はよく分からないが、安置されている場所と大きさを実感できたのでよしとしよう。
 続けて北円堂に行くには疲れているので、北円堂から坂道を下ったところにある喫茶「そよご」で一休み。元気を取りもどして北円堂へ。ここは毎年、春秋の一定期間、開扉しているので、中に入るのも初めてではない。本尊・弥勒如来座像よりも無着・世親、両像の存在の方を大きく感じてしまう。この後も思ったより気力が残っていたので、国宝館と東金堂にも寄ってきた。
 これだけ一度にいくつもの国宝級の仏像に出会うと、整理がつかない。現在の南円堂四天王像は本来、北円堂四天王像であり、現在、仮金堂にある四天王像が本来の南円堂四天王像である、といった最近の学説を聞くと、ますます頭に中が混乱してくる。明日・明後日は生物学史の勉強を休み、興福寺の仏像群について整理しておこうか。

2013年5月15日(水)授業日
 3限「論述作文」では、まだ原稿用紙の使い方も危うい段階だが、800字論文を出題。課題は少々、難しい方がよい。4限「科学技術史」はローマ科学史で、ケルスス、ディオスコリデス、プリニウス、ガレノスの話。講義の準備をきっかけにすることで、自分自身にもよい勉強になっている。

2013年5月13日(月)リドル『ディオスコリデス』(1985)
 標記の著書の紙装版が昨日、届いた。インクが生々しい。どうやらオン・デマンドのようだ。そのため、注文してから届くまでに時間が掛かったのだろう。明後日の授業「科学技術史」でディオスコリデスを取り上げるので、今日は一日、これを読むことにした。
 『薬物誌』が全5巻であることに合わせて、同書も全5章にしたという。第1章の伝記では、ディオスコリデスは医師であったが、軍隊勤務はしていないという。第2章では『薬物誌』における各薬物の記載方法を解説し、第3章では薬用植物の分類・配列が薬効に基づく科学的なものであるという。第4章では動物製剤と鉱物薬の配列も同様であるという。第5章では原本と写本の図解について論じている。
 著者自身が強く主張したいのは第3章の内容だが、読者としては第5章に興味がある。『薬物誌』原本に図があったか否かについては専門家の見解も割れているが、本書では、最初から図があったと断言している。しかしパピルス紙に精密な図を描くのは困難なので、ごく簡単なものであったという。羊皮紙の写本が登場した段階で精密な図が描かれ、ウィーン写本(同書ではアニキア写本と呼ぶ)に引き継がれたという。ウィーン写本の図がディオスコリデス以前からの伝統を引き継いでいるというシンガーらの説が定説のようになっているが、その根拠はないという。パピルス紙には精密な絵が描けないという指摘は、専門家ならではであろう。
 ディオスコリデス『薬物誌』に集中した本書に続けて、『薬物誌』の伝承に関する著書を出版予定であると述べているが、出版されていない。ルネサンス期の植物学再生の経過を見る上でも役立つ著書のはずなのに、残念なことである。

2013年5月11日(土)ファイル転送に四苦八苦
 9日(木)の夜、下記のジャーナルを書き終えて桃大のサーバーに転送しようとしたところ、「FTPパスワードが違います」というメッセージが出て、転送が拒否された。翌日、大学に問い合わせると、安全確保のため、一斉にパスワードを変更したという。本日、郵便で新しいパスワードが届いたので、これを入力し、ホームページビルダーから転送できるようになった。ところが、転送したはずのファイルがサーバーでは更新されていない。いろんなことを試してみたが、駄目。そのうち、hpbに頼らなくても、FTPでファイル転送できることに気がつき、ようやくジャーナルを更新できた。hpbによる転送・更新ができないという不具合はそのままだが、さしあたり困ることはなさそうなので、放っておこう。

2013年5月9日(木)ディオスコリデス写本の植物図
 来週の授業「科学技術史」では大槻真一郎『ディオスコリデス研究』巻頭に掲載されているウィーン写本の植物図を紹介しようと思うが、同書の写真にはフォリオ番号があるだけで、植物名が付記されていない。たとえば Folio 15r に「アロエ」、Folio 17v に「ウマノスズクサ類縁種」とあれば分かりやすいのだが、それを確認するには各フォリオについての同書の解説を読み、さらに、そこに付記されている本文掲載番号を基に大槻の注釈を読まなければならない。かなりの手間だが、覚悟を決めて取り組むことにした。
  Fol.28v の本文番号「Ⅱ298」(p.57) は「Ⅱ208」の誤植であった。また、Fol.162v の解説(p.66)に現行の学名を Erythrea centaurium と記しているが、Erythraea とすべきであろう。ネットで調べてみると、この和名「ベニバナセンブリ」の学名は通常 Centaurium erythraea とされており、Erythraea centaurium は異名の扱いになっている。この植物の本文番号(Ⅲ 9)の注釈(p.172)ではギリシア語名 KENTAURION MIKRONの語義を「小さなヤグルマギク」と記している。現行の学名では Centaurium が「シマセンブリ属」で、Centaurea が「ヤグルマギク属」である。『植物学ラテン語辞典』によると、古代ギリシアでは Centaurion がシマセンブリを意味し、Centaurie がヤグルマギクを意味していた。したがって上記の語義は「小さなシマセンブリ」とすべきであった。著者も混乱していたのだろう。
 現在の植物図鑑も参照しながらこんなことを調べていくと、ウィーン写本の植物図が正確であることが分かる。この写本の画家は、もとの図を模写するだけでなく、実物も観察していたのではなかろうか。

2013年5月8日(水)授業日
 連休が終わり、3限「論述作文」も、4限「科学技術史」も、教室が落ち着いてきた。午前中に図書館で中世科学史関連の文献を調べてみたところ、見逃していた文献がいくつか見つかった。のんびりはしていられない。家に閉じこもりでは刺激不足になるようだ。
 
2013年5月7日(火)授業準備
 明日からの授業に備えて、まず、「科学技術史」5月4回分の教材をVDIを利用して桃大のサーバーに送信。午後は「論述作文」の提出作品の添削。
 ジャーナル執筆をちょうど1週間、サボっていたことになるが、大型連休といっても、ほぼ毎日が休日の身では特別のことはない。それでも浮かれ気味の世間につられて、なんとなくぼんやり過ごしてしまった。ある程度、まとまったことといえば、リンドバーグ『近代科学の源をたどる』の後半、中世科学史の部分を再読したことだろうか。
 
2013年4月30日(火)紀伊國屋書店グランフロント大阪店
 朝は近大病院眼科へ。外出ついでに話題のグランフロント大阪へ。平日だというのにJRの駅からぞろぞろと人の波。北館に入っても大変な混み具合だが、当方の関心は6階の紀伊國屋だけ。売り場面積はジュンク堂を超えているというので、専門書が充実しているかと思ったのだが、期待外れだった。医学書だけは充実しているようだが、他は駄目。科学史関係は「科学読み物」のコーナーに混じっている程度。結局、専門書を見るなら、少々足場が悪くても、ジュンク堂の梅田店か大阪本店に行くしかないようだ。
 
2013年4月28日(金)ディオスコリデスの邦訳
 ディオスコリデス『薬物誌』についてのまとめを、ようやく終えた。利用した文献は1983年エンタプライズ刊の邦訳書(鷲谷いづみ訳)と注釈書(大槻真一郎)、それとDSB旧版(1971)のリドル執筆の項目である。リドルは後にディオスコリデス研究書(1985)を刊行し、その紙装版(2011)も出ている。これにも目を通さねばなるまい。
 鷲谷いづみ訳は英訳からの重訳である。大槻はプリニウスについても、ディオスコリデスについても、原典に取り組んでいる間に英訳からの重訳に先を越されるという目に遭っている。それでもディオスコリデスの場合は重訳者が植物学者であり、その出版にも関わり、別途、注釈書も刊行できたので、まだ救いがあったのではなかろうか。
 ネット検索したところ、明治薬科大学で大槻の協力者であった岸本良彦が同大学の紀要(2009, 2011)に『薬物誌』の翻訳を掲載していることを知った。ただし、同誌の記事はネット上に公開されていない。分量も多いので、コピーを取り寄せるべきか否か、迷うところだ。
 
2013年4月24日(水)授業日
 3限「論述作文」は情報センターでのワード講習。学生スタッフが講師になるのだが、当たり外れが大きい。本日は大外れ。早口で指導マニュアルをこなすだけなので、30分くらいで終了。ワード初心者はまるで理解できなかったという。上級生にはページレイアウトを指導するように申し入れていたのに、メニューを示すだけ。受講生には気の毒だったが、これをきっかけに各自で練習し、ワードを使いこなせるようになってほしい。
 4限「科学技術史」は、アリストテレスとテオフラストスの生物学。我が生物学通史では詳細に論じるべきテーマだが、授業では二人の独自性を理解してもらうだけで十分だろう。

2013年4月20日(土)アリストテレス本
 今週と来週の授業「科学技術史」のテーマはアリストテレスなので、なにか関連文献を読んでおこうと思った。オクスフォード古典概説叢書の一つ、ライル『ギリシア科学』(1999)の生物学関係文献案内(p.135)にロイド『アリストテレス的探求』(1996)が強く推されていたので、アマゾンから取り寄せてみた。アリストテレス生物学についての包括的議論を期待していたのだが、違っていた。自然学全体におけるアリストテレスの方法論を論じたもので、アリストテレスは課題によって複数の方法を使い分けているとロイドは主張する。ロイドは、アリストテレスの学問方法論を単一と見る学者をランパー(併合派)、複数と見る学者をスプリッター(細分派)と呼んでいるが、これは生物分類学者についての用語の転用である。DSB新版の項目「アリストテレス」を執筆しているレノックスは代表的なランパーで、同辞典の解説でもその立場が強調されている。
 リンドバーグの古代中世科学史(高橋憲一訳、p.67)には、「アリストテレスの生理学理解は、彼の自然哲学の他の領域で機能したのと同一の諸原理にもとづいていた」とあるが、このようにまとめてよいのか、いずれじっくり検討してみたい。

2013年4月17日(水)授業日
 3限「論述作文」では、思いついたことを書き連ねるだけでは駄目と注意しているそばから、同じレベルの「小学生の作文」で済ませる者もいる。自ら向上する意欲がなければ受講する意味がないのだが、今後、どうなることやら。

2013年4月16日(火)京都国立博物館「狩野山楽・山雪」
 初夏のような陽気に誘われて京都へ。標記の特別展は注目すべき展覧会の一つだと思うが、行列もなく、ゆっくり楽しむことができた。今はアイルランドにあるという山雪の「長恨歌図巻」も無理せず見ることができた。京狩野のことは美術史で読んだ程度だったが、この展覧会で、少なくとも山楽と山雪については脳裏に刻みつけることができただろう。

2013年4月15日(月)授業準備
 明日は外出予定なので、本日中に「論述作文」の作品を点検。まだ添削というほどの段階ではない。幼い自己紹介文ばかりだが、これから成長するか否かは本人次第だろう。

2013年4月13日(土)ケルススの邦訳
 早朝の5時半、布団の中でうつらうつらしていると、突然、激しく揺れ出した。一瞬、南海地震か来たかと思ったが、短時間で揺れも収まり、それほどの地震ではないことが分かった。
 起き上がろうとすると、腰が痛い。腰痛の再発である。最近は痛みを感じることもなく、腰痛のことを忘れるほどだったのに、なぜだろう。地震に触発されたわけでもないだろう。腰をかばいながらの一日となった。
 本日は、ケルスス『医術について』についてまとめる作業を終えた。同書の邦訳(邦訳書名『医学論』)が岩手医科大学の紀要に掲載され、ネット上で公開されているのはありがたい。全編を読む余裕はないが、冒頭の「序論」を読むだけでも面白い。この「序論」には、ヘロフィロスとエラシストラトスの二人が「犯罪者の生きた身体を切開し」とある。この二人が生体解剖をしたか否かについては医学史家の中でも議論があるようだが、ケルススの記述は信頼できると思えた。ケルススは「序論」の結論の部分で、「生きている人間の身体を切り開くことは残酷であるし、また不必要である。ただし、死んだ人間の身体を切り開くことは医学を学ぶ者にとって必要である」と述べている。ガレノスの時代には死体解剖も禁止されてしまうが、ケルススの時代のローマではまだ死体解剖が実施されていたのであろう。

2013年4月11日(木)国立国際美術館「美の饗宴 関西コレクションズ」
 近大病院眼科の検査予約があるため、朝早くにバスを乗り継いで病院へ。「見えたらボタンを押す」という検査を3種類、ほぼ1時間。うんざり。いまさら検査しなくてもと思うのだが、現在の主治医の方針なので仕方ない。
 外出ついでに難波から四つ橋線の肥後橋へ出て、標記の展覧会へ。展覧会の名称から関西6美術館の名品展だろうと勝手に思い込んでいたが、違っていた。最初の部屋こそ、マチス、ピカソ、カンディンスキーなど、それぞれの美術館で見たことのある絵が並んでいたが、第2室のオブジェ、第3・4室の戦後美術、第5室の現代美術となると、当方の理解を超えた作品群のオン・パレードであった。入館料(1,200円)を損したとまではいわないが、内容を知っていれば出かけなかったろう。下調べをしなかったこちらの責任ではあるが、展覧会名も「20世紀西洋美術の変遷」といった明確なものにしてほしかった。
 大阪市立近代美術館(予定)所蔵のなじみの絵を見たかったが、これは無理な期待だった。それにしても、大阪市立近代美術館(予定)心斎橋展示場(旧出光美術館)の閉鎖は残念である。気楽にさまざまな作品が楽しめたのに、これも橋下市長による文化予算削減のせいだろう。
 展覧会の後は肥後橋までもどり、新築のフェスティバルタワーの様子を見てきた。2階フェスティバルホール・チケットセンターの電子掲示板で、手ごろな価格のクラシック・コンサートがないか見てみたが、安くても7千円。当分、ホールに入るのはあきらめよう。

2013年4月10日(水)授業開始
 今年度で桃山学院大学での授業担当が終わるが、その最終年度の授業が今日から始まった。水曜日には直行バスで金剛駅と大学間を往復することになる。本日も分厚い返還図書を数冊抱えての登校である。初日で気になるのは受講生の数だが、3限「論述作文」も、4限「科学技術史」も適度な人数で、ほっとした。
 「科学技術史」の社会人聴講生の一人から、当方のブログを読んでいると告げられた。読者の顔が見えるとジャーナルにも気合いが入る。本当は毎日、更新すべきなのだろうが、基本的には家にいて文献を読む日々では、それも難しい。ニュースネタは避けたいし、奥河内の自然の移り変わりを描写する力もない。結局、今まで通りのペースでいくしかないか。

2013年4月9日(火)授業準備
 明日から始まる桃山学院大学の授業に備えて準備することがあるので、大学へ。生物学通史執筆のために大学図書館からかなりの数の本を借りだしているが、これもいったん返却することにしたので、重い本を抱えての登校となった。
 図書館書庫にこもってプリニウスによるケルスス引用4箇所を確認した。八坂書房版邦訳の訳注によると、1カ所はケルススの失われた著書『農業論』からの孫引きであり、2カ所は『医術について』から直接、引用している。ところが『博物誌』第27巻にあるケルススからの引用については八坂書房版に訳注がなく、人名索引にもない。厳密な校閲を経ていると思われる同訳書でも、こんなミスがある。西洋古典を扱う際には、慎重に取り組まないと危ないな。

2013年4月5日(金)大阪市立美術館「ボストン美術館展」
 2日に始まったばかりで、まだ2か月以上の会期があるが、次第に混雑してくると思われるので早めに出かけた。予想以上に空いていて、絵巻物もゆっくり見ることができた。「平治物語絵巻」と「吉備大臣入唐絵巻」は、ボストン美術館所蔵として最もよく知られているものだろう。しかし今回の圧巻は、曽我蕭白ではなかろうか。ボストンがこれほど多くの蕭白作品を所蔵しているとは知らなかった。早くに蕭白に注目していた鑑識眼はたいしたものだ。展覧会場に行ったら、まず一番奥の蕭白のコーナーから見たらどうだろうか。
 特別展会期中に常設展はない。市立美術館の所蔵品を市民に公開するよい機会なのに、もったいない。文化を軽視する橋下市長のもとで運営予算も削減されているのだろう。せっかくの文化財を活用させない愚策である。

2013年4月1日(月)薬師寺花会式
 薬師寺には何度か詣でているが、修二会花会式の時期に訪れたことがない。3月30日付朝日新聞のコラム、高橋睦郎「季節をひろう・花会式」にあおられたこともあって出かけてみた。久しぶりの遠出である。
 河内長野から近鉄の西ノ京駅へは、難波・西大寺駅経由の北回りも、古市・橿原神宮前駅経由の南回りも、90分程度で時間の差はない。往きは南回りで行くことにした。西ノ京駅からは薬師寺を左に見て南に向かい、初めて休ヶ岡八幡宮にお参りしてから薬師寺境内に入った。
 まずは金堂で薬師三尊に供えられた紙製の花を鑑賞。講堂や東院堂を回っているうちに、法要のため金堂に向かう僧たちの行列が始まった。30分ほど後には飛鳥太鼓の奉納演奏があるのだが、今日は先を急ぐことにした。来年から「花会式」の期間が5日早まるとのことだが、その時期に詣でることがあれば予め奉納芸能の日程などを確認しておきたい。
 東塔は解体修理のため覆われている。特別公開中の大宝蔵殿では、国宝「吉祥天画像」を見ることができた。「見たことあるでしょ、教科書で」の一つだろう。厨子に収まっていて、なんとなくイメージしていたものより小さく感じた。
 與楽門を出てまっすぐ北へ歩き、唐招提寺へ。薬師寺・玄奘三蔵院には寄らなくてもいいだろう。薬師寺の賑わいと比べ、唐招提寺は静かだった。金堂の巨大な三尊を金網越しに拝観してから講堂へ。現在の講堂には弥勒如来座像と持国・増長二天が安置されているだけだが、ここに「薬師如来立像」やトルソー「如来形立像」など、多数の仏像が並んでいたという記憶がある。ガイドブックよると、この仏像群は1970年に新宝蔵に移されたという。そうだとすれば、自分の記憶は学生時代のものだろう。新宝蔵の仏像群になんとなく懐かしさを感じた。
 唐招提寺の後は宝来山古墳(垂仁稜)へ。考古学ではこの古墳の築造は5世紀前半で、垂仁天皇の息子・景行天皇の稜(渋谷向山古墳)が4世紀後半とされている。つじつまが合わない。それはとにかく、美しい古墳であることには違いはない。道の脇には菜の花畑が広がっていた。「一面の菜の花」にはほど遠いが、穏やかな日和の中で、壕に古墳、桜に菜の花と、日本の春を堪能できた。本日の最大の収穫かも知れない。さらに歩いて「尼ヶ辻」駅へ。西大寺・難波経由の北回りで河内長野にもどった。
 東京銀座の歌舞伎座再開が繰り返し報道されている。駆けつけられないのは悔しいが、4月には関西でもさまざまな展覧会や寺社公開がある。関西に住む利点を活かして出かけよう。負け惜しみではないぞ。

2013年3月29日(金)成績調査
 朝、バス停までの桜並木は満開に近かった。バス停に植えられているユキヤナギも今が盛り。彼岸の後も寒い日が続いていたが、ここにきて、一気に春になったようだ。
 河内長野駅前で日本科学史学会・年会費などの振り込みをした後、桃大へ。年金生活者にとって九千円の年会費は重荷だが、この学会をやめるわけにいくまい。
 桃大ではまず司書講習事務室へ。当方が担当した「図書館情報資源特論」の評価について受講生の一人から成績調査依頼があったという。C評価だったが、本人としてはBかAのはずだという。答案を再確認したところ、むしろ不合格にすべき答案だった。それでも本人は、よくできたと思い込んでいる。学部学生にも時折、実力とは掛け離れた自信の持ち主がいて、始末に負えないことがある。こういう人たちは挫折することもなく、その自信で人生を乗り切っていくのだろうか。それはそれで幸福なのかもしれない。
 それにしても、これだけのために時間と運賃を費やして大学まで出かけたのならば腹が立つところだが、テオフラストスについて確認するため図書館に行くつもりだったので、その腹立ちはなかった。学内の桜も見事だった。

2013年3月26日(火)授業準備
 今日は半年ごとの歯科検診の予約日なので、1週間ぶりに外出する準備を整えていたところ、医師急病との電話があり、外出は取りやめとなった。出鼻をくじかれるとは、こういうことか。
 結局、いつものようにパソコン相手の一日となり、「科学技術史」の最初の3回分の教材作成に取り組んだ。アリストテレスについてはほぼ、昨年のものを利用したが、新たにテオフラストスについても取り上げることにしたので、その教材化に時間を要した。
 作成したppt教材と公開用pdfファイルは、早速、VDIを利用して桃大のサーバーに送った。なぜか、送ったファイルのダウンロードが拒否されたが、ファイルを開いてのコピペで目的は達した。しかし、ダウンロードできないのも困るので、いずれ専門家に聞いてみよう。

2013年3月25日(月)VDI初体験
 VDI(Virtual Desktop Infrastructure)とは、要するに、自宅のパソコン画面上の仮想パソコン画面を操作してサーバー内のフォルダーを利用することらしい。桃大サーバー内の個人用Zフォルダーと教材公開用SフォルダーもVDIで自宅から利用できるというので、本日はそのシステムを我がパソコンに導入してみた。パソコンに詳しい人なら簡単なのだろうが、素人はつまらないところでつまずくので、四苦八苦であった。それでもなんとか成功した(と思う)。

2013年3月24日(日)澁澤龍彦『私のプリニウス』
 プリニウス『博物誌』について調べるついでに、標記の本を拾い読みしてみた。雑誌『ユリイカ』に1985年から翌年にかけて22回、連載した記事をまとめたものである。著者は『博物誌』をベル・レットル版仏訳とローブ版英訳で読んだという。フランス語の得意な著者は、ほとんど仏訳で読んだのだろう。仏訳はローブ版英訳ほどお粗末ではないはずである。
 「迷宮」「怪獣」「畸形人間」など、いかにもこの著者らしい項目を選んで読んでいる。はじめは、好きな本を拾い読みして原稿にすれば、それが収入になるとはうらやましいと思ったが、古典期から現代までの文人たちがつぎつぎと登場する博覧強記には恐れ入った。この人でなければ書けないプリニウス入門書といえるかもしれない。
 といってもこの本を読むまでは、この著者を知らなかった。今回、ウィキペディアなどで 有名著者であることを知ったが、自分とはまるで違う世界の人物のようだ。この著者の別の作品を読んでみようという気にはならない。

2013年3月23日(土)プリニウス『博物誌』の英訳・邦訳
 生物学通史の一節となるプリニウスについてのまとめをほぼ終わったが、まだ、図書館で確認すべきことが残っている。
 『博物誌』「序文」14には、後世の「エンサイクロペディア」の語源となる重要な一節がある。
ante omnia attingenda quae Graeci τῆς ἐγκυκλιου παιδειας vocant,
 ローブ叢書では下記のように英訳している。
Deserving of treatment before all things are the subjects included by the Greeks under the name of‘ Encyclic Culture ’
 ネット上に公開されている別の英訳では下記のようになっているが、この訳の方が原意に近いだろう。
My object is to treat of all those things which the Greeks include in the Encyclopædia,
 ローブ叢書の英訳を基にした雄山閣版では、下記のようになっている。
「何よりもまして論述に値するものは、ギリシア人によって「百科に亘る文化」として知られているものを含めた分野のものであります。」
 日本語としても意味不明であるし、「エンサイクロペディア」との関係が全く分からなくなっている。
 ローブ叢書『博物誌』の第2巻(1942)の「まえがき」に、「英訳はラテン語原文を読む学生の補助のためであり、英語読者が読むための英文を提供しているのではない」とある。わざわざ妙な断りを入れているなと、不審だったが、おそらく、第1巻(1938)の英訳に対して厳しい批判が出たので、それに対する言い訳を書いたのだろう。
 それにしても、重要な西洋古典がこのような英訳を基にした粗末な邦訳でしか読むことができないのは、残念なことである。

2013年3月19日(火)プリニウス『博物誌』
 プリニウス『博物誌』の原典に当たるため、桃大図書館へ。書庫内の机に、ロープ叢書10巻、雄山閣版邦訳3巻、八坂書房版邦訳2巻を並べ、全体の構成を確認し、ところどころ読み比べてみた。原著第12巻冒頭は、雄山閣版では下記のようになっている。
 「わたしが見聞することができたすべての動物の、属としてのまた種としての諸特徴は以上のごとくである。大地によって造り出される、あるいはそれから掘り上げられるいろいろな物——こういうものも生気をもっていないわけではない、それがなくて生命のあるものはないのだから——について記述し、そして自然のつくったものは何一つ見逃さないという仕事が残っている。」
 同じ箇所が八坂書房版では下記のようになっている。
 「これまでに知ることができたすべての動物の性質は、概括的、また個別的にみて、以上に述べたとおりである。しかし、同様に精気をもつもの、つまり大地から生み出されたもの(植物)のことが残っている。実際、精気がないと何も生きてはいけないのである。つづいては大地から掘り出されるもの(鉱物)についても述べなければならない。自然界にできたものは、何ひとつ語らないまま放っておくことがないように。」
 訳文としての質の違いは明白であろう。この後に雄山閣版には「生物学的順序」という訳語が登場するが、これは原文の ordinem vitae の英訳が biological order となっているのに従ったのであろう。八坂書房版では、「生活の仕方の移り変わり」と訳されている。
 もともとローブ叢書の英訳に問題があるのに、雄山閣版はそれを鵜呑みにした重訳であり、科学史の資料としては役に立たない。同書が1986年に雄山閣創立70周年記念として鳴り物入りで刊行されたとき、ラテン語原典からの本格的な訳業が阻害されるのではないかと心配だった。後で知ったことだが、当時、進行中だった大槻真一郎を中心にした翻訳プロジェクトが、やはり中止に追い込まれていた。その成果の一部、『植物篇』と『植物薬剤篇』は1994年に八坂書房から刊行されたが、他の部分は未刊である。雄山閣版が無ければ、『博物誌』の全てについて信頼できる邦訳が利用できただろうに、残念である。
 「プリニウス」(Pliny the Elder) はDSB新版(2008)にも立項されており、『博物誌』の評価が旧版(1975)の時代から大きく変わったという。それによると、同書は無原則に興味ある話題を集めたものではなく、ストア学派の自然観に合致するように編集されており、また、同書はローマ帝国の理念を反映しているという。
 本日、大学で洋書新刊案内を手にしたところ、『プリニウスの帝国擁護』なる書名が目についた。同書の宣伝文句には、『博物誌』がローマ帝国の理念の正当性を説く政治的な著作であることを明らかにした画期的な業績、とある。後で調べてみると、著者(Thomas R. Laehn)は政治学者で、同書はルイジアナ州立大学に提出された学位論文(2010)であった。しかしDSB新版によれば、『博物誌』とローマ帝国の理念との関連については1990年代以降に多くの研究が発表されている。今回の新刊書もその流れに沿ったものであろう。古典学者ではなく、政治学者の著作であることに新味があるのかも知れない。
 わが生物学通史でもプリニウス『博物誌』に触れることになろうが、どのように紹介すべきか、悩むところである。

2013年3月15日(金)映画「天地明察」
 朝はまず、ハナの輸液セット廃棄物の処理を依頼に千代田動物病院へ。ハナは昨日、19歳の誕生日を迎えたが、まだまだ元気に走り回っている。来年はいよいよ、長寿20年の表彰である。
 午後は映画「天地明察」を見に河内長野市ラブリー・ホールへ。昨年9月の公開時に見に行くつもりだったが、難波まで出かけるのが億劫で、結局、見ずじまいだった。地元で上映されるのならば、見に行かねばなるまい。このホールで映画を見るのは初めてである。封切館に比べスクリーンはかなり小さいが、こうした「健全なる映画」では大きな欠点にはならない。100人以上の観客がいたと思うが、ほぼ全員が年配者であった。
 劇映画としては退屈な失敗作である。安物のテレビ時代劇のようにお定まりの展開で、まるで緊張感が無い。脚本がまずいのか、監督の能力によるのか。わざわざ難波まで出かけていたら腹が立ったろうが、今回は地元での気楽な鑑賞なので許すとしよう。自分にとっては、渋川春海(安井算哲)について学ぶ一つのきっかけとしたい。

2013年3月13日(水)申告書郵送
 一昨日に医療費を整理し、昨日は国税庁のシステムを使って申告書を作成、本日、郵便局のレターパックで税務署に郵送。定年退職後は納税のためではなく、還付のための申告になってしまったのが情けない。長野駅前の郵便局までバスで往復しただけなのに、疲れてしまったのも情けない。
 外出ついでに駅前の書店に立ち寄ったところ、新刊の新書に大場秀章『はじめての植物学』(ちくまプリマー新書)があった。テオフラストスを勉強した直後なので、これもなにかの縁と購入することにした。この種の解説書は書き慣れている著者なので内容については安心できるが、「はじめての」と唱っている割には解説図が少ないし、掲載されている図も小さすぎる。価格を抑えるためなのだろうが、気楽に読める入門書とはいえない。子房と卵巣、胎座と胎盤の「英語名は同じである」(p.167)といいながら、その英語名を紹介していない。多分、これも新書の編集方針なのだろうが、せめてカタカナででも紹介すべきではなかろうか。なぜ英語では同じで日本語では別なのか。我が生物学史でも言及すべきかもしれない。

2013年3月10日(日)ラブリー・ホールでバッハ「ヨハネ受難曲」 
 小雨の中を昼過ぎにバスでラブリー・ホールへ。市民合唱団の記念演奏会で、大阪交響楽団(指揮・船橋洋介)に清水徹太郎(福音史家)など5人のソリスト。40年ほど前、東京でマタイ受難曲を聴きにいったように思うが、定かでは無い。今回はジャーナルを書くことで記憶に定着するだろう。
 キリスト教信仰に無縁な者としては音楽劇として楽しむだけだが、当時の信者たちは真剣に受け止めていたのだろう。イエスを「殺せ」という合唱は、ユダヤ人への憎悪をかき立てることにもなったろう。民衆(合唱)の「バラバ」という叫びはマタイ受難曲の方が強烈だった気がする。最後の鎮魂の曲もマタイの方が心にしみじみと響いたように思う。指揮者がプレトークで、3・10東京大空襲と3・11東北大震災の犠牲者たちの鎮魂の思いを語ったのは時宜にかなっていた。
 罪無くして米軍の爆撃に殺された人々、津波にのまれて命を失った人々、そして、原発事故で故郷を追われた人々の無念を思う。

2013年3月9日(土)テオフラストス
 数日前から取り組んでいたテオフラストスについて、一応のまとめを生物学通史の一節として書き終えた。『植物誌』の紹介が中心になるが、概説書ではその内容の凄さを伝えにくい。アリストテレスとテオフラストスの最高水準の生物学が、突如として出現したのはなぜか。そしてそれが間もなく消滅したのはなぜか。わが生物学史の大きな課題である。

2013年3月3日(日)大槻能楽堂「笛の会」
 森田流能笛・野口傳之輔一門の教室の発表会があるので、3時過ぎに大槻能楽堂へ。カミさんは大倉源次郎師の小鼓で一調一管「修羅之音取」。出だしの低音(呂音)が鳴らず、心配だったが、小鼓が入るころにはよく鳴っていたので、まずは上々。この後、能「葵上」(大槻文蔵)を見て、早めに帰宅した。
 今年は例年にも増して来場者が多く、ほぼ満席の状態が続いて立ち見客の絶えることが無かった。素人の会とはいえ、笛以外は実力派の本職が出演し、しかも気を抜くことなく演じているので、人気があるのかもしれない。
 大槻能楽堂に行く前に、時間調整のためもあって大阪歴史博物館の常設展に寄ってきた。といっても常設展示は見ずに、特集展示室の「和田呉山と仏の絵画」に直行。この博物館の常設展示は繰り返し訪ねるほどの魅力は無い。その割に観覧料600円とは高過ぎる。

2013年3月2日(土)モートンのテオフラストス論
 数日前からテオフラストス関係の文献を読んでいるが、本日はマルクス主義の植物生理学者モートン(Alan Gilbert Morton,1910-2003)の『植物学史』(1981)におけるテオフラストス論(pp.27-43)を読み終えた。植物学の樹立を当時の経済状況に関連づけ、実験の欠如を奴隷制のためとし、進化論の欠如を固定化された階級制のためとしている。日本でも一時は流行したマルクス主義科学史の典型といえよう。本書は1981年刊行なので、その後のテオフラストス研究の著しい成果は反映していない。また、モートンはテオフラストスの『植物誌』と『植物原因論』とをローブ叢書で読んでいるが、ローブ叢書で全3巻の『植物原因論』のうち、このときまでに刊行されていたのは第1巻だけであった。こうした問題があるにもせよ、テオフラストスの植物学については専門家の立場から的確な指摘をしていると思う。
 テオフラストス『植物誌』の邦訳には大槻・月川訳(八坂書房、1988)と小川洋子訳(京都大学学術出版会、全3巻の第1巻、2008)とがある。小川訳の巻末解説には近年のテオフラストス研究の成果がまとめられており、『植物誌』第9巻の真偽問題など、学ぶところが多かった。しかし、本文の日本語訳は、大槻・月川訳より必ずしも優れているとはいえないのではなかろうか。第1巻冒頭は、小川訳で「植物の間に見られる違いとその本性に関わる特徴を理解するには、」とあるが、原語の「フュシス」を「本性に関わる特徴」と訳すのは適当だろうか。大槻・月川訳の「植物相互の違いやその本性については、」の方が明快であろう。
 ギリシア語も読めるモートンは、この部分を “the distictive character and the general nature of plants” と訳している。すなわち「フュシス」は植物一般の本性のことと理解している。小川は、その解説文からも、「違い」(ディアポラ)の「フュシス」と理解しているようだが、この解釈の違いについての言及は無い。
 小川は関連文献に広く当たり、克明に注記している。グリーン(Edward Lee Green, 1843-1915)の『植物学史』(1983. 実質は1910)も頻繁に引用しているが、モートンは文献欄に記載しているものの、実際には無視しているようだ。
 小川とモートンで最も大きく違うのは、「高木・低木・小低木・草本」という分類体系の評価である。小川はこれを「テオプラストスが植物分類に残した遺産」(p.515) として高く評価している。モートンは、マイヤー(Ernst H. F. Meyer, 1791-1858) の植物学史に依拠して、これは当時、一般に広まっていた分類を取り入れた便宜的なものに過ぎないとし、テオフラストスは木本と草本とを対比させるだけのことが多く、この分類にこだわらないよう警告もしていた、という。木と草の区別はありふれたものである。テオフラストスの分類体系を過大評価してはならないというモートンの見解が妥当ではなかろうか。
 生物学通史に関わるさまざまなテーマに着手しては先を急ぐため途中で打ち切ってきたが、テオフラストスについては、3月中に通史の一節として原稿をまとめておきたいものである。

2013年2月26日(火)テオフラストス『人さまざま』
 朝早くに近大病院眼科へ。院内滞在は3時間だったが、うち1時間近くが検査の予約日の確定に費やされた。いくら混んでいるとはいえ、なぜ予約にこれほど時間を要するのか、理解しがたい。
 外出ついでに桃大まで足を延ばし、図書館でテオフラストスの邦訳とローブ叢書とを借り出してきた。帰途、岩波文庫の『人さまざま』を読んでいて、こんなことを想像した。テオフラストスが学生に「へつらい」などのお題を出す。学生がそれぞれに事例を集めて報告し、「そんなやつ、いるいる」と喝采されたら採用となる。その成果が『人さまざま』になったのではないか。さぞかし教室はにぎやかであったろう。植物学でも同様の情報収集があったかもしれない。
 ところでこの人物の日本語表記には、「テオフラストス」と「テオプラストス」とがある。迷うところだが、科学史関係では多くの場合、「テオフラストス」が用いられてきたので、我が生物学通史でも「テオフラストス」を用いることにしよう。

2013年2月22日(金)講演「ダーウィン資料」
 桃大で開催された阪神地区私立大学図書館の会合で、「ダーウィン資料に見る学術文献の多様性とその意義」と題する講演を行った。予定時間90分のうち、口演は60分で打ち切り、ゆっくり展示資料を見てもらうことにした。出席者は40名程度だったので、気楽に話をすることができた。全員が大学図書館の職員ということもあって、展示した資料にかなり興味を抱いてもらえたようだ。

2013年2月21日(木)資料展示の準備
 明日の講演会における資料展示の準備のため、桃大へ。地下書庫と講演会場の教室との往復で、いささか疲れた。かつては毎日のようにおつきあい願っていたダーウィン資料たちと、久しぶりの逢瀬であった。

2013年2月20日(水)講演スライド作成
 寒い日が続いているが、ここ数日は家に閉じこもり、22日の講演会の準備に取り組んでいた。本日はpptスライドを作成し、配布用に枚数を絞ったものを事務方に送った。事務方との連絡がメールの添付で処理できるので効率が良い。
 講演は、2009年学術会議ダーウィン・シンポのおりのダーウィン資料の展示と解説とを小規模な形で再現することにした。しばらくダーウィン資料に触れていなかったので、予想外に手間取ってしまったが、おおむね準備は終わった。後は資料を運び出して展示することだが、これだけは現場に行かなければならない。

2013年2月15日(金)講演準備の打ち合わせ
 朝、冷たいみぞれの中をバス停へ。よりによってこんな日に出かけたくはないのだが、22日の講演について事務方と詰めるのは今日しかない。ついでに司書講習の成績と答案を事務局に届けることもできる。さいわい午後は天気も回復したので、のんびり帰ってきた。
 和泉中央駅前の書店の古書コーナーで、神谷敏郎『骨と骨組みのはなし』(岩波ジュニア新書、2001)を購入。リチャード・オーウェン『脊椎動物の解剖学』が、「今日でも比較解剖学の研究には欠かせない」(p.ⅸ)とあるので、改めてオーウェンの偉さを認識した。このオーウェンについて「王立医科大学の解剖学教授」としているが、これは「外科医師会」とすべきであった。Royal Collage of Surgeon の collage は同業組合(ギルド)を意味しているのだが、英文学の専門家でも誤解していることがある。「大英自然史博物館(現在は英国自然史博物館と改称)」とあるが、英語表記がないと、どういうことか分からないだろうな。

2013年2月14日(木)講演の準備に着手
 来週の22日(金)に桃大で開催される阪神地区私立大学図書館の会合で、「ダーウィン資料に見る学術文献の多様性とその意義」と題する講演を行うことになっているので、その準備に着手した。司書講習の講義と無関係ではないものの、直接の結びつきはないので頭を切り換えなければならない。まずは2009年の学術会議ダーウィン・シンポジウムなどの資料を引っ張り出して、展示する資料と講演内容を検討することから始めた。事務方の作業時間を考慮すると、あまり余裕は無い。この1週間はこの準備に集中することになろう。

2013年2月13日(水)司書講習・採点
 昨日、家に持ち帰った100枚ほどの答案を採点し、評価を終えた。予め問題は通知してあるので実質的にはレポートと同じであり、大半の答案はきちんと書かれていて合否判定に困ることは無い。しかし、例年、白紙同然のものがある。わざわざ講習に通っているのに、なぜ、それなりの準備をしないのか、不思議に思う。

2013年2月12日(火)司書講習・4日目
 司書講習「図書館情報資源特論」も本日が最後。3限にビデオを使って復習をした後、4限にテスト。とりあえず肩の荷が下りた気分ではあるが、明日は採点地獄が待っている。

2013年2月11日(月)司書講習・3日目
 本日は祭日だが、桃大の司書講習は日程の都合で開講しており、午後は当方が担当する「図書館情報資源特論」である。定年前は休みの日でもしばしば登校していたが、退職後は初めてだろう。研究棟は数人の常連が来ているだけで、静かなものである。
 授業は3限、4限と続けて百科辞典の話。講師自身が大きな関心を抱いているテーマなので、話にも力が入る。多分、興味を持って聞いてもらえたろうと思う。

2013年2月10日(日)司書講習準備
 今年度は百科辞典の歴史を本格的に調べ直したので、補足のpptスライドを作成し、講義の手順を念頭に置きつつ、これを整理した。中近世の百科辞典については、概説書の誤りにも気づいた。調べたことの多くは授業で割愛することになるが、百科辞典の歴史がますます面白くなってきた。

2013年2月8日(金)動物病院
 暖かい日が続いていると思ったら、一転して今朝の寒さ。朝、バスを待っていると激しい雪となったが、短時間で止み、日も差してきたので一安心であった。狭山駅前の行きつけの店で散髪した後、千代田動物病院へ。ハナの輸液セット廃棄物の処理を依頼し、年末の血液検査の結果を聞く。ほとんどの数値が正常であった。とくに腎臓の値が顕著に良くなっていたのが嬉しい。費用と労力をかけて毎日、リンゲルを注入しているかいがある。
 スーパーで買い物をして夕方前には帰宅したが、疲れてしまった。情けないが、百科辞典の歴史の勉強はお休みとしよう。

2013年2月5日(火)司書講習・2日目
 3限は二次資料の概要。今年度は授業時間が減ったので二次資料の解説は削除する予定だったが、この授業の源流が「書誌解題」だったことを配慮して、昨年度の半分、1コマだけ残すことにした。それと、テレビ界の視聴率と同様に理系学術雑誌の世界で猛威を振るっているインパクト・ファクターを説明するためには、引用索引誌の説明が必要だし、そうなると二次資料についてまとめておく必要があるだろうと判断した。
 4限は不正論文の紹介。今年の新ネタは読売新聞大誤報のペテン師森口と捏造論文数新記録の藤井善隆・東邦大准教授。今日の朝刊には、京都府立医大・松原弘明教授らの件が報じられていた。浜の真砂は尽きるとも、世にインチキ学者の種は尽きまじ。
 本日の朝は無事、早くに大学に着くことができたが、帰りの通学バスに貴重な資料を入れたバッグを忘れてしまった。幸い、次の便で回収することができたが、老齢のためか、最近はこうしたミスが多くなった。取り返しのつかない事態が生じないよう、用心、用心。

2013年2月4日(月)司書講習・1日目
 朝のテレビ・ニュースで団十郎の死を知った。つい、関連の報道を見ていたため、駅に向かうバスに乗り遅れてしまった。やむを得ずタクシーで三日市町駅に行き、いつもの金剛駅前発の通学バスに乗るつもりだったが、大学が試験期間のため発車が10分早くなっていて、これにも乗り遅れてしまった。結局、電車を乗り継いでいつもより1時間遅く大学に到着という、踏んだり蹴ったりの朝であった。
 慌ただしく準備をして、3限・4限と続けての「図書館情報資源特論」の授業。昨年度の「専門資料論」とほぼ同じ内容を3分の2の時間で話すので、やや駆け足になったが、予定の内容は話すことができた。明日は本日よりゆっくりできるだろう。

2013年2月3日(日)司書講習準備
 明日・明後日の講習で提示するpptスライドを点検し直す。見直すと必ず手を入れたくなるが、きりがないので講義に差し支えなしと判断したところで終わりにする。
 この作業が済んでから、ロイヤル・ホームセンターへ。内猫のハナと外で面倒を見ているシロのキャット・フード2ヶ月分のまとめ買いである。寒さに負けず、2匹とも元気なのはありがたい。

2013年2月2日(土)ラブリー・ホール「トスカ」
 河内長野マイタウンオペラ・小ホールシリーズvol.10「トスカ」。チケットは完売とのことで、小ホールは客でびっしり埋まっていた。舞台も客の期待に応えた出来栄えだったと思う。トスカ・平野雅世、カヴァラドッシ・二塚直紀、スカルピア・松澤政也。伴奏は音楽監督・服部容子のピアノだけだったが、昨年9月の「ドン・ジョバンニ」の時の小編成楽団より、本日のピアノの方がはるかにましだった。トスカを舞台で見るのは初めてだが、やはり最後のテノール「星はきらめき」が印象に残ってしまう。
 今回、残念だったのは愚かな観客がいたこと。第1幕の途中、暗い座席の前方でなにかがピカッと光った。スマホの画面である。メールをやりとりしているのだろう、かなりの時間、光っていた。ほとんどの座席から見えていたはずだし、多分、舞台からも見えていたろう。授業中にケータイで遊ぶ学生には慣れてしまったが、オペラを見に来て、なぜこんな馬鹿なことをするのだろうか。不用意にケータイを鳴らしてしまうよりも悪質かもしれない。

2013年2月1日(金)中近世の百科辞典
 この5日間は、イシドルス(7世紀)、ヴァンサン(13世紀)、アルシュテット(17世紀)らの百科辞典について調べてきた。こうした著作に対して当時からオリジナリティがないという批判があるようだが、和漢書の類書と同じとみなせば、オリジナリティのないことはむしろ長所といえるだろう。
 こうした古い著作がネット上に無料で公開されていることに、改めて感服した。さらに二次文献で公開されているものも多く、パソコンを操作するだけでさまざまなことが学べる。文献を集めるだけで精力を費やしていた時代とは様変わりである。逆に言えば、日本にいる限り西洋の古い文献を見るのは困難だという言い分けが通じなくなってきたともいえよう。

2013年1月27日(日)司書講習準備
 このところ毎日、司書講習「図書館情報資源特論」の準備に取り組んでいるが、とりあえず、受講生に配布する資料の原稿と試験問題とを講習事務室にメールの添付で送った。ただし教室で提示するpptスライドの更新はまだまだ続けなければならない。前年度の「専門資料論」でも取り上げてきた百科辞典の歴史については、この際、中近世を中心にまとめ直しておきたい。授業では紹介する余裕はあまり無いだろうが、生物学通史にも関係するし、そうでなくても興味あるテーマである。
 この作業の中で、百科辞典の王者ブリタニカの印刷版停止を知った。冊子体の百科辞典が、ついにその役割を終えたのである。

2013年1月23日(水)不正論文
 18日(金)以来、断続的に司書講習の準備を進めてきたが、本日は不正論文についてのスライドを更新した。昨年、注目された事件に、東邦大学准教授による史上最大の172本捏造事件と、ペテン師森口のiPS騒動があった。しかしこれ以上に重要なのは、2007年から続く井上明久・東北大前総長の捏造疑惑であろう。当人は二重投稿の罪だけで逃げ切る目算のようだが、追究はますます厳しくなっているので今年中に大きな進展があるかもしれない。それにしてもペテン師森口であれだけ騒いだマスコミが、井上事件を取り上げないのはなぜだろう。こちらの方が日本の学術にとってはるかに深刻な問題ではないか。

2013年1月19日(土)文楽・初春公演
 文楽劇場の昼の部へ。橋下市長の文楽いじめの逆効果が続いているのか、客はよく入っていた。多分、満席だったろう。14日から昼と夜が入れ替わっているので、最初が景事の「団子売」。次が「盛衰記」の「松右衛門内」と「逆櫓」。「松右衛門内」には歌舞伎では味わえない充実感がある。切りを語った咲大夫は今が絶頂期かも知れない。「逆櫓」も何度か見ていて力強い場面という印象があるのに、今回の英大夫には迫力がなかった。若くて元気な大夫を起用するという選択肢もあったのではないか。
 最後はおなじみ、「二十四孝」の「十種香」と「奥庭狐火」。「十種香」は嶋大夫で、八重垣姫が簑助。咲大夫と嶋大夫の芸質の違いが面白い。二人が元気なうちに(そして当方も元気なうちに)、是非とも「山の段」の掛け合いを見たいものだ。「狐火」は呂勢大夫に清治。清治の名人芸を堪能するには短すぎたな。

2013年1月18日(金)司書講習の準備に着手
 今年度の桃山学院大学の司書講習は秋学期実施となり、当方の担当する「図書館情報資源特論」は2月上旬になった。この科目は今年度からの新課程で設置されたもので、名称からは旧科目の「資料特論」を引き継いでいるように見える。しかし関係者の間では旧科目「専門資料論」を引き継ぐものと了解されているようである。事実、他大学の状況をネットで調べてみると、「専門資料論」のテキストをそのまま用いているところも多い。
 当方の講義も昨年度までの「専門資料論」のままでよいのだが、実質的に時間が削減されたこともあって、1週間ほどかけて内容を再検討してみたい。この間、生物学史の勉強は、またしてもお預けだな。

2013年1月16日(水)最終授業日
 「論述作文」の受講生の一人が図書館書評賞の佳作に選ばれたので、昼休みに館長室で開催された表彰式に参加。その3限「論述作文」の前回の「青春」をテーマにした小論文では全員が高校時代のことを書いていた。現在、青春のど真ん中にいるのになぜかと聞くと、彼らにとって「青春」とは高校時代のことを意味しているのだという。これが一般的な傾向だとすると、老若で日本語が通じない事例の一つであろう。
 4限「科学技術史」の試験の後、直ちに採点、評価、成績入力を済ませた。これで今年度の授業関係の仕事はすべて終了。次は2月上旬の司書講習「図書館情報資源特論」の準備である。

2013年1月14日(月)ルネサンス期のナチュラリスト
 爆弾低気圧の影響が報じられているが、当地でも午前中の雪で数センチの積雪があった。午後は雨から曇りになったので、玄関から道路まで、中途半端に溶けかけた雪を除去して普通に歩けるようにした。そんなこんなで、今日もまた、まとまった時間が取れなかったが、ルネサンス期のナチュラリストの一人、ルカ・ギーニについて、一応のまとめを書くことができた。刊行された研究業績は皆無とはいえ、腊葉標本を開発したというだけでも通史に記載されるべきだろう。
 16世紀のナチュラリストたちについて調べていくと、文通や訪問によるネットワークの広がりに感銘を受ける。母語が違っても知識人の間ではラテン語による情報交換に支障がなかったのだろう。ギーニの元にも多くのナチュラリストが訪れていた。わが生物学通史でも、こうしたナチュラリストたちの実態を描きたいものだ。

2013年1月10日(木)『昆虫の劇場』1634年
 前に述べたように、『ケンブリッジ科学史第3巻・近世』(2006)の「自然史」(Paula Findlen)では個別の業績の解説はないが、『昆虫の劇場』(1634)について、トマス・ペニーの著作でトマス・モフェト編集と記しているので、びっくりした。シンガーなど、生物学史書ではみな、モフェト作としている。また、Findlenによると、ローリー卿のロアノク島植民に関わった画家ジョン・ホワイトの絵が『昆虫の劇場』の図版の原画として利用されているという。これは気になるので DSB やネット上の情報で調べてみたところ、『昆虫の劇場』はかなりやっかいな書物であることが分かった。複雑な成立過程を経ており、内容にも問題がある。木版技術が拙劣なため、図版は不正確であるという。それでもイギリスで昆虫への興味を広めたため、自然史書として言及されることが多いということらしい。こういうやっかいでマイナーな本は触れないでおく方が無難であろうが、自然史の実態をうかがう絶好の材料でもある。さて、どうしようか。

2013年1月9日(水)授業日
 朝の金剛駅前からの通学バスは、いつになく混んでいた。試験が近づいて登校する学生が増えたためだろう。3限「論述作文」では最後の小論文のテーマとして「青春」を課題にした。どんな青春論を書いてくるだろうか。4限「科学技術史」は最終のまとめの講義。案の定、普段の数倍の学生が出席していた。アテネのアリストテレスから始まって京都の山中教授まで、生物学2400年の歴史を一気に語ってきた。

2013年1月8日(火)近大病院
 朝は近大病院眼科へ。10時半の予約だったが、診察は1時半になった。緊急の患者が複数、あったらしい。大病院の場合は予約制であっても、時折、こういうことがある。遅すぎると怒っている患者もいたが、待ち時間に集中して本が読めるので、自分としてはあまり時間を無駄にしたという気はない。
 帰宅後は「論述作文」の小論文作品を添削。いまだに初歩的ミスを犯している作品もあるが、全体としては確実に進歩しているといえるだろう。

2013年1月6日(日)近世の自然史
 3日以降もなぜか雑用に追われ、まとまった時間がとれなかったが、本日、ようやく、『ケンブリッジ科学史第3巻・近世』(2006)の第19章「自然史」(Paula Findlen)に目を通すことができた。個々のナチュラリストの業績には触れず(というよりも、その知識のあることを前提にして)、当時の社会情勢と自然史との関係を俯瞰している。もう一度精読して必要な文献を拾い出さなければならないが、自然史も伝統思想革新の一翼を担っていたという主張に留意すべきであろう。
 アメリカで版を重ねているマグナーの生物学通史(3rd ed., 2002)では、ルネサンス期の自然史には触れていない。これも一つの書き方だと思うが、我が通史ではできるだけきちんと整理しておきたい。

2013年1月2日(水)京都へ
 京都嵯峨野へ。行きがけに立ち寄った難波の高島屋も、梅田の阪急も、買い物客でごった返していた。夕刻、帰りに立ち寄った三日市町駅前のスーパーでも、レジに行列ができていた。これでは三箇日休業なんていってられないわけだ。今年も着物姿の女性を一人も見かけなかった。一昔前と比べると、正月風景、様変わりである。

2013年1月1日(火)その2 初詣
 今年も早朝に年賀状の配達があったので、朝のうちに賀状書きを済ませ、午後は例年の通り、地元の加賀田神社に初詣。この神社は年々、立派になっているが、今年は幟が林立し、社殿を飾る幕も新しくなり、伊勢神宮の社も新設されていた。年に1度であっても新興住宅地の住民が訪れるので、神社も豊かなようである。

2013年1月1日(火)その1 今年は何をするか
 非常勤講師にも定年制があるので、桃山学院大学への出講も2013年度で終了する。「科学技術史」の講義も最後になるが、2012年度と同様、生物学史を中心にし、それを基礎に生物学通史の具体化に取り組むことになろう。今年は資料に当たるだけでなく、部分的にでも原稿を書きためるようにしたい。

2012年12月31日(月)その2 今年は何をしたか
 
桃山学院大学で担当する「科学技術史」を生物学中心にしたこともあって、生物学通史の構想が固まり、執筆の見通しがついてきた。その一方で、ペーパーにする予定だった「ヴィクトリア朝の人間論」は中断したままになってしまったが、通史の具体化を優先させているので、やむを得ない。
 趣味の世界では、文楽がますます好きになってきた。その一方、松竹座の歌舞伎に魅力を感じることが少なくなった。春と秋の大和探訪も、しだいに視野が広がってきた。体力を考慮しながら続けていきたい。