Journal no. 24
大学教育学会ほか (2001年6月12日)
しばらくさぼっていると再開のきっかけを失ってしまい、ますます更新しにくくなってきた。ここはとにかく更新したという事実をつくり、次につなげたい。よって、今日は思いついたことを日記的に。
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池田の児童殺傷事件。こういうことがあると安全性の確保が取り沙汰されて、警備員を配置することが要求されたりする。でも、誰でもいいからたくさん殺したいという意図を持った人物の前には、十分な安全などありえない。理不尽な話だが、「ある程度」から先は運を天に任せるしかない。
同じようなことは、大学でだって起きるかもしれない。外部の人間は大学の方がはるかに目立たない。実際、盗難のたぐいはよくある話だ(桃山で、という意味ではない)。刃傷沙汰が起こらないのは、警備ができているからではなくて、大学生が小学生ほど無力じゃないことと、単なる幸運のおかげだろう。めったにないことが一度起こったからといって、もう一度起こる可能性を過度に気にして神経質になっても仕方があるまい。むろん、当の小学校が警備を増強することは、生徒や保護者への精神的サポートという面があることは否定しないが。
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新しいiBookを買った。透明感のある白ボディの軽快な印象とはうらはらに、けっこう重い。片手でさっと持ち上げるには重過ぎる。とはいえ、PowerBook150以来のノート型パソコンに、技術の進歩の速さを実感する。AirMacカードを挿したので、一切のケーブルなしでもインターネットできるし、もう一つのコンピュータとファイルのやりとりもできる。なんか不思議。
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先週末、桃山で大学教育学会が開かれた。大学での教育のありかたを話し合ったり、新しい試みを報告したりする学会だ。私は桃山の20年におよぶ論述作文への取り組みについてまとめた話をした(講演要旨)。発表し慣れた自分の専門分野ではないし、問題とする20年を自分が直接体験したわけではないので、いまいちはんぱな気持ちで発表にのぞんだ。そんな具合だから、当然ながらあまり出来は良くなかった。自分個人がやっている実験的な方法のことなどをもっと前面に出すべきだったかとも思うけど、なんとなく担当者代表としての立場が気になって思うにまかせられなかった。でもとにかく、論述作文は続ける価値のある科目であることだけは確かだ。
私の前に話をされた、松阪大学宇田光氏の「当日ブリーフレポート方式による講義」は面白い試みだと思った。毎時間レポートを書くことを要求し、講義はレポートを書くのに必要な情報を提供するためにある。最初に教師がテーマを提示し、少しのあいだ構想を練らせた後、40分程度の講義をして、残りの20―30分でレポートを書き上げさせる。レポートにまとめるという明確な目標があるから、学生は講義に集中しやすい。通常の一方的な講義に比べて学生の満足度ははるかに高いという結果が出ている。むろん、講義できる時間が半分になることで教えられないことが出てくるし、レポートの採点は大変ではある。だが、一方的にしゃべるだけしゃべって、理解したかどうかのチェックは期末テストだけというやりかたよりははるかに良心的だし、理解度も上がるだろう。なにより、受身の受講者を能動的に関わらせることができる。教室を、講師の話をただ拝聴する場から、生産の場に変えることができる。採用できないか考えてみよう。
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