いわおのジャーナル

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Journal no. 54

釧路湿原 (2004年8月29日)

 8月25日から29日まで、釧路で開かれていた日本生態学会の第51回大会に行ってきた。釧路湿原を見るのが楽しみだった。結局展望台から眺める程度に終わってしまったけれど、雄大な眺めはすばらしいものだった。

釧路湿原の写真

 しかし、釧路湿原は今危機に瀕している。乾燥化と富栄養化により湿原がハンノキの森林へと変化しつつある地域が増えている。それは決して自然な変化ではなく、人為の影響によるものだ。湿原を形作るもっとも重要な要因は水だ。上流から流れてくる水が、農地から流れ出る肥料分で富栄養化し、農地を造成するために改変された河川が土砂を湿地に運び込んでいる。上流域の変化が下流域の湿地をいやおうなしに破壊しているのだ。

 釧路湿原自体はもちろん、法的に保護されている。天然記念物として、ラムサール条約登録湿地として、国立公園として、開発を規制されている。しかし、乾燥化・森林化の原因は上流の農地開発にある。そこは、湿地の外であるから規制の対象にならないのである。

 生態学会に集まった生態学者たちは、もちろん釧路湿原を貴重な財産と思っているから、なんとしても湿原を以前の状態にもどしたいと思っている。過激な人は、上流地域で農業を営んでいる農家をどこかよそに移転させてでも根本的な対策をすべきだと言っている。でも私は、生態学者でありながら、こうした湿原第一の考えに違和感を持つようになってしまった。

 5日間滞在した釧路の町はさびれていた。そう感じるのは、もちろん私が大阪のような大都会から来たせいはあるだろう。北海道の多くの町に比べればいいほうだろう。それでも、うらぶれた印象はぬぐえなかった。釧路湿原という観光資源があってもこの程度。観光業に従事しないものにとっては、湿原など何の役にも立たない荒地に過ぎない。それを、なにがなんでも守れ、ということができるのか。

 釧路湿原は、人類にとってかけがえのない唯一無二の貴重な財産だ。それはまちがいない。しかし、その財産は大して生活の足しにならない財産なのだ。その財産を守っていくために、地域の人々にがまんを強いるのか。人と湿原の共存の道が探られてはいるが、道の先はまだ暗闇のままだ。

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