Journal no. 39
パワー・モンガー (2002年6月17日)
アメリカに留学していたときのことだ。マラソン仲間の家を郊外に訪ねた。車を走らせること30分、といっても時速100キロを越えるスピードだから、50kmも町から離れていたのか。家がまばらにしかなく、農地と牧草地ばかりの僻地だった。タバコ畑のまんなかに建つ二階建てのあばら家に彼は住んでいた。
その日、彼は男友達を集めて銃の試射会をもよおした。なにしろ付近に人家はなく、銃をぶっ放すには最適の場所だ(もっともその辺りでは狩猟も許可されているので銃声など珍しくもないが)。そこで私は生まれて初めて銃を撃った。
グロックという軍用拳銃。セミオートマチック。にぎりの部分に10発以上の弾が収まる。口径は聞いたはずだが忘れてしまった。ずっしりと重い。
持ち方、構え方の講習を受けてから、的に向けて引き金を引いた。1発、2発、3発。反動が少なく、照準で狙ったところにぴたりと命中する。4発。そこで銃口を地面に向けて彼に返した。
「もういいのか?」
と聞かれたが、ただうなずいてその場を離れた。
それ以上銃を持っているのが無性に怖かった。銃の破壊力を恐れたわけではない。銃の持つ魔力にからめとられそうな気がしたのだ。あと5発も撃ったら手放せなくなって、自分で手に入れようとしかねない。それが怖かった。
銃の魔力、それは圧倒的な「パワー」を所有者に与えること。銃を持てばどんな敵にでも立ち向かえるような気になってしまう。それほどあの弾丸の威力は圧倒的だ。映画やテレビで観るのとはまるでちがう、根源的なパワーを得た気分。もちろんそれは勘違いなのだが。
実際に銃を撃ってみて、銃の根絶が難しい理由がよくわかった。銃は人にパワーを与える。力を持たない弱い者ほど、銃を持てばそのパワーに酔いしれ依存するようになる。一度手に入れたそのパワーを手放せば前にも増して自分の無力さを知ることになるから、裸の自分に自信のない者ほど銃を手放すことを拒否することになる。手放すことができるのは、他のパワーをすでに手に入れている者。スティーブン・セガールのように素手で戦えるということではなく、財力や地位、あるいは信仰など、他の形の「パワー」を手にした者だけだ。頼るものをもたない人々は、たとえ破滅をもたらすとわかっていても銃のパワーを捨てられないのだろう。
日本は銃の所持が認められてなくてよかった。禁断の実を一度口にすれば、もとには戻れなくなるから。
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パワーモンガー(powermonger)とは、「力(パワー)を手に入れることに異常に熱をあげる者」とでもいうような意味です。
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