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Journal no. 26

エンドレス・ラン (2001年8月6日)

 前回に引き続いて今の経済のあり方についての素朴な疑問。

 前からほんとに気になっているのが、歯ブラシのCMだ。歯ブラシのCMっていうのは、かなりすごいんじゃないだろうか。

 なにがすごいって、歯ブラシほどすでに完成された商品を、あの手この手でいじくりまわして、さもすごい進歩が起きたかのような表現で新製品をアピールしようとするあのCMの涙ぐましい努力がすごいではないか。やれ柄が丸くなった柔軟になった滑り止めがついた、毛先が丸くなって歯ぐきを傷つけませんいやこちらは細くなって歯周ポケットの中まできれいになりますなどなど、よくあれだけいろんなことを考えるものだと感心する。歯ブラシの原型がいつ頃できあがったのか知らないけれど、今じゃつつける重箱の隅は全てつつき尽くしてそろそろ途方に暮れているのではないだろうか。

 他の人は知らないが、私なんかはたまに旅行の時に使ったホテル備え付けの使い捨て歯ブラシを持って帰ってきて、そのまま使っていたりする。しばらく旅行に行かなくてそういうのがなくなると仕方なく買ってきたりするが、技術の粋を集めた最新鋭歯ブラシでも旅館の使い捨て歯ブラシでも、たぶん歯がきれいになる程度は大して違ってないように思う。もちろん厳密に調べれば効果はあるのかも知れないけれど、そんな微妙な差よりも磨き方や磨く頻度による効果の差の方が圧倒的に大きくて、歯ブラシの違いなど問題にならない。毛先の形状をどうするのがベストか日夜必死に研究している歯ブラシメーカーには悪いが、そんな研究は消費者にはどうでもいいことなのだ。

 そんな無駄なことがなぜ続けられているのか。答は簡単だ。複数のメーカーが歯ブラシという市場で競い合っているから、その中で競争に勝つためには何でもいいから他者より目立つことをして、消費者により多く買ってもらわなければならないからだ。だから極端な話、毛先の形を変えることが歯を磨く上で効果があるかどうかなど、どうでもいいのだ。なんとなくよさそうに見えて、それが売上げ増加につながれば、それで目的は達せられる。不毛な話ではないか。莫大な研究費と広告費を投じて新型の歯ブラシが市場に出回るが、それは決して消費者のために改良された歯ブラシではなく、ただ競争を続けるためだけに生み出されている。

 むろん、こういう競争がいろいろな製品を進化させてきた。ケータイがいい例だ。必要のあるなしに関わらずいろんな機能が追加されて、ただの電話からそれ以上のものに進化した。その背景に、メーカー間の激烈な競争があるのはまちがいない。だけど、歯ブラシをはじめとしてもう進化する必要のない無数の製品まで、ただ競争し続けるためだけに無用の「改良」を加え続けているとしたら、時間・エネルギー・お金・労働力の莫大なムダではないだろうか。

 あいにく、競争というやつはひとりだけ「やーめた」というとたちまち敗者になってしまう。全国歯ブラシ協会とかなんとかそういうのがあったら、「向こう50年、新しい歯ブラシの開発はやめましょう」とか決議したら、関係各位みな内心ホッとするんじゃなかろうか。それで失業する歯ブラシ研究者や歯ブラシ製造技術者をどうしてくれるんだという文句には、そんなことは知りませんとあらかじめお答えしておこう。ただ、そんな不毛なことでかろうじて雇用が確保されているような社会は、決してまともとは思えないということも付け加えておこう。

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