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Journal no. 21

センス・オブ・ワンダー (2001年4月12日)

 熊本県立大で開かれていた日本生態学会の大会に行ってきた。前回のジャーナルに書いたが、学会というのは研究者の発表会だ。今年の生態学会には、1000人を越える人が参加していて、じつに盛況だった。とくに、学部生や院生など、若い研究者の卵たちの比率が高くて、活気にあふれていたのが印象的だった。

 彼らのひとりひとりは、それぞれに興味を持った特定の生き物のことを調べている。たとえばある女子学生はボルネオ島のジャングルに何カ月も通って、アリに守られた植物のことを調べている。またある学生は、バッタがいろいろな植物を食べることに興味を持ち、一種類だけを食べるよりいろいろ食べたほうがバッタの成長がいいことを発見した。1000人の発表者のひとりひとりが、そうした新しい発見をかかえて学会にやってきて、お互いに情報を交換しあっていた。

 そんな虫とか植物とか調べてなんになるの?生態学を研究する人がしばしば尋ねられる質問だ。なぜそんなことを調べるのか。なぜなら、おもしろいからだ。研究を正当化するための公式の言い訳はいろいろあるが、一番の基本は「だっておもしろいじゃない!」だと思う。この世に生きる何百万、何千万という数の生き物たち。そのひとつひとつが、調べれば調べるほど不思議な生を営んでいる。どの生き物をとってもそれぞれに異なる、多種多様な命のあり方。その多様さに魅了された者たちが、好奇心を満足させようと今日も野山を駆けまわっている。

 『沈黙の春』を書いたレイチェル・カーソンが、遺作となった作品『センス・オブ・ワンダー』でこう言っている。自然の神秘に触れ、驚き喜ぶことのできる感性、センス・オブ・ワンダーがあれば、退屈することなど決してないと。生態学会に来ていた人たちはみな、センス・オブ・ワンダーの持ち主だった。

 ついこのあいだまで枯れているかのようだった街路樹の枝からわきでるように新しい緑が顔を出し、あっというまに新緑の季節になってきた。毎日大きくなっていく緑の葉を見てなんとなくうれしくなるようなら、あなたにもセンス・オブ・ワンダーがある。

参考:レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』(上遠恵子訳、佑学社 1991)

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