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Journal no. 17

喫煙という罪 (2001年1月6日)

 大学の環境問題プロジェクトチームが組織されて最初に取り組み始めたのは、大学に直接関わっている業者へのヒアリングだった。大学は教職員学生だけで構成されているわけではなく、建物管理、清掃、ゴミ処理、警備などは、いくつもの業者に頼っている。これらの業者に対し、日頃気づいた問題で環境がらみのことを話してもらった。

 その際、繰り返しでてきた問題が喫煙マナーの悪さだ。掃除してもすぐにまた捨てられる吸殻。絨毯の上でふみ消したものや、窓から投げ捨てたもの、窓枠のみぞにつめこまれたものなど、あらゆる所に吸殻が散乱しているという。先日は、近くの駅からも苦情が来た。下校ラッシュ時に大量の吸殻が投げ捨てられるらしい。面目ないことなのだが、大学としては啓発のための看板を立てるぐらいしかできそうにない。そんなもので意識を変えるようなまともな意識の持ち主なら、最初からポイ捨てはしてないだろうけど。

 まったく喫煙者の「社会的良識」の低さは驚嘆すべきものがある。べつにうちの大学に限ったことではない。どこにいっても吸殻は散乱している。信号で止まった車から吸殻のたまった灰皿を空にする、信じられない神経の持ち主がいる。なにより、他人の前で臭い煙をまき散らして平然としていること自体がインモラルだ。タバコがモラルの低さを露呈させるのか、低いモラルの持ち主がタバコを吸うのか、それとも人を厚顔無恥にする物質がタバコに含まれているのだろうか。

 マナーさえ守ってくれれば、自分の寿命を自分の意志で縮めるのは本人の自由だと思っていた。しかし、若い学生たちの高い喫煙率をみて考えが変わった。世の中のすべての喫煙者は、新たな喫煙者の再生産をうながすという点においてすでに有罪である。とくに、教壇に立って若者を指導する立場にある教員の喫煙者の罪は重い。いったいどのような論理で自分の行為を正当化しているのか聞いてみたいものだ。教育者を自認するならばただちに悪癖を正すべきであろう。

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 2001年明けましておめでとうございます。今年もぼちぼちと雑文を書いていきたいと思いますので、読んでくださっている奇特なみなさん、どうぞよろしくお願いいたします。

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