Journal no. 16
人を動かす方法 (2000年11月29日)
我が家では、リサイクルのための分別や回収場所への持参はもっぱら私の役目だ。妻も協力はしてくれるが、私ほど熱心ではない。その理由として彼女は、やりがいのなさを指摘してくれた。いくら分別して回収に出しても、いくら節水しても、それでどれだけプラスになったか何も目に見えるものがない。「ほーら、こんなにきれいになりました」「こんなにましになりました」というような直接の反応がなければやりがいがない。別にお金の問題ではないけれど、お金で返ってくるような目に見えるシステムはわかりやすくてよい。そういうかなりはっきりしたやりがいがなければ、やった方がいいとわかっていてもなかなか忙しいときにわざわざやろうとは思わない、というのである。
「そんなこと言っててどうすんの。子どもたちの未来がかかっているんだよ。地球の未来が、人類の未来がかかっているんだよ。その程度のことも考えられないなんて、なんて利己的な人なの。」と目くじらをたてることもできるが、実際のところこういう「わかっちゃいるけど、ちょっとね」という人々は世の中のかなりの部分を占めているに違いない。これらの人々を取り込まない限り環境問題の大きな前進は望めない。そういう人々をひたすら壮大な理念だけで説得しようとすれば、かえってうっとおしがられて遠ざけることになるだけだ。餌で釣る、という言い方は失礼だが、お金に限らず目に見える達成感を与えながら上手に先導することが必要だ。
そのためにできるはいろいろあると思うけど、比較的楽にできるはずなのに見逃されがちなのが情報公開だ。どれだけのゴミが出されたか、その処理にどれだけのお金が使われたか、どれだけの電気、ガス、水道が使われたか、そんな基本的なことでいい。なるべく人々の身近に感じられるスケールで公表する。市全体の値より各自治会やブロックごとに、年間トータルより月ごと、週ごと、できれば日ごとに。毎日上下する自分の環境負荷度を目にしていれば、少しでも減らそうとそれなりに努力するような気がする。
うん、そうだな。それをひとつ我が家でやってみよう。毎朝起きたらまずガスと電気のメーターをチェックして、前日と比べて昨日一日のエネルギー使用量を張り出す。グラフを描いてもいい。うちの子はまだ小さくて無理だけど、小学生ぐらいの子どもにやらせるといいかもしれない。同じことを大学にも提案してみるかな。
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前回のジャーナルで桃山の環境宣言と環境ニュースのことを書いてから、ジャーナルのページへのアクセスが多くなった。アクセスログの解析ができないのでわからないのだが、どこからどんな人が見に来てくれているのか興味があるので、よかったらメールをいただけませんか?学内なのか学外なのか、どっちだろう。
見られているとなると今までよりいっそう緊張してしまうし、ご期待に応えて環境問題について書こうと思ったら、また間が空いてしまいました。
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