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Journal no. 9

勉強と研究(2000年9月1日)

 大学4年の秋、私は大学院に進むことに決めた。これを聞いて根っからビジネスマンの叔父は、「ほんとに勉強が好きなんだなぁ。」とあきれ顔でいった。その顔は、いつまでもつまらん勉強なんかしてないで、さっさと職について社会に貢献したらどうだ、といっていた。

 おじの意見の是非はともかくとして、大学院までいくと勉強好きという評価がついてくる。でもそれはちょっとちがうんだな。大学院でやるのは、勉強より研究が主なのだ。学部までの勉強の延長とはちょっとちがうのだ。

 え、研究も勉強もおんなじようなもんだろ?はた目にはそう見えるかもしれないが、それは違う。かなり違う。

 勉強というのは、先人が蓄積してきた人類の叡智をなぞって吸収していくことだ。ありていにいえば、他人がやってきたことを後追いするだけだ。いくら勉強しても、すでにわかっていることしか勉強できない。勉強すると自分自身の知識や理解は増えるけど、人類全体としてみればなにも新しいものは生まれない。

 これに対し研究というのは、まだだれもしたことのないことを調べたり考えたり発見したりすることを目的とする。人類史上いまだかつてだれもやったことのないことをやる、という快感、これが研究の醍醐味だ。もちろん研究をするには勉強しなければならない。何がわかっていて何がわかっていないかがわからなければ、何を研究すべきかわかるはずもない。

 私の場合、大学4年のときに研究室に配属になって、指導されるままにアオムシに寄生するハエの生態の研究を始めた。大したことをしたわけではないが、たまたまそのハエに関してはそれまで研究した人が少なかったので、私の見つけたことが新発見、ということがけっこうあった。それを論文にして発表すると、文字通り世界中のいろんな国の同業者が資料請求の手紙を送ってきた。駆け出しのまだ尻の青い研究者だった私にとって、これは感激モノだ。自分がやっていることに世界が注目している(錯覚だけど)!!これで私はすっかり研究者としてやっていく気になってしまったのだ。

 その後自分の力不足に気づいた私は、勉強のために留学する。研究ももちろんしたけれど、おもな目的はその後の研究のための勉強だった。学部生のときは目的もなかったから勉強なんて全然しなかったけど、留学中は目的がはっきりしていたからよく勉強した気がする。

 で、結論として、まず勉強と研究はちがうということ。もうひとつは、勉強って目的がないとつまらないということ。勉強すること自体は目的じゃない。研究のためとは限らないけど、就職のため、自分を豊かにするため、異性の前で知的に見せるため、なんでもいいから目的があったほうがいい。そうでなきゃ、なんでわざわざつまらない勉強なんかするもんか。

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