Journal no. 2
「書く」という技術 (2000年6月15日)
論述作文という講義を担当している。論文やレポートを書く能力を養う実習型の授業だ。1クラス30人を上限とし、毎年十数クラス開かれている。担当する教員によって取り組みかたが大きく異なるが、たくさん書かせるという点ではだいたい同じだろう。
論理的に書く、という技術の訓練は大切だ。大学生活や就職してから役にたつ、というだけのことではない。書く、ということは、考えることと密接な関係にある。論理的な文章を書く訓練は、論理的な思考の訓練になる。論理的な思考をする能力は、仕事でも生活の中でもきわめて重要なものだ。
日本の義務教育の中で、書く力の訓練はほとんど行なわれていないように思える(私の経験はもうずいぶん古いものだが)。小学校で書く「夏休みの作文」や「読書感想文」は論理的である必要はない。高校では入試の小論文対策で多少練習するのだろうか。
やはり、論理的な文章を書く訓練を始めるなら大学からだろう。ある程度視野も広がりものを考える力もできてきているはずだ。大学以前では書けることも知れているだろう。
ところが大学では、英語は必修でも日本語は必修ではないのだ。アメリカの大学では新入生には作文のクラス(Writing Class)を必修としているところが多いようだが、日本でそういう話はあまり聞かない。日本人なら自然に身につくはずだとでも考えられているのだろうか。
効果的な文章を書くには技術を要する。技術は、訓練を受け練習を積まなければ身につかない。大学でその訓練をやらねばどこでやるのか。もっと多くの学生が論述作文のような授業を受けられれば、と思う。
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