自己最高記録となる923名の受講者に社会人聴講生10名を加え、500人しか入らない教室ではどうあがいても満足なサービスを提供できないことに苦悩した授業だった。結局、授業内容を録音したテープを貸し出し要約したプリントを配布し、出席はもちろんとらず試験もそのプリントから読みとれる範囲のことのみを出題すると約束した上で、授業を直接聞く必要をあまり感じない受講者に自主的に退室をお願いしてなんとか事態を収拾した。したがってこの授業評価に参加した165名は、そのような状況であえて出席していた意欲と忍耐のある受講者であり、それだけ授業内容に興味を持って好意的に評価してくれる可能性の高い集団に偏っていることはまちがいない。
そのせいか、昨年の結果に比べるとおおむね少し評価が高めになっている。「2. 授業の内容に興味がもてた」「3. よく理解できた」「12. 有益な授業であった」「13. 意欲的に学ぼうとした」あたりで「そう思う」と答えてくれた人の割合がわずかずつだが高いことに安堵を覚える。
一方で、「10. 教員の遅刻や休講が少なかった」は去年より大きく下がっている。さほど目立った遅刻をした記憶はないから、これは風邪で声が出なくなってやむなく休講した1回が効いているということだろうか。「9. 遅刻や私語に厳しく対処」は残念ながらこの程度だと自分でも思う。去年より少し要領がわかって、まめに注意していたつもりだが、それでも後ろの方がうるさいということを前方に座る学生から何度も苦情申し立てされたぐらいにざわついていた。
「6. テキスト、プリントの活用」については、上記のような事情でやむなくプリントを配布することになった。授業が終わってからその日の内容をまとめてプリントにして後日配布という形にしたので、授業中にそのプリントを活用するということはなかった。どうせ作るなら授業中に配って利用した方が能率がよかったかも知れない。「7. 視聴覚教材の活用」としては、写真などをときどき書画装置で提示した程度である。
実際に受講してくれたものの評価はよかったとはいえ、登録者の半数を追い出してようやく成り立った授業であり、このようなことがいつまでも容認されていいはずはない。どんな方法を使ってでも、とにかく登録したものにはちゃんと受講する機会を平等に与えられるように変えていかなければならない。