チャールズ・ダーウィンの生涯 進化論を生んだジェントルマンの社会』 朝日選書857
朝日新聞出版 2009年8月
ISBN 978-4-02-259957-5

目次


まえがき

序章.ダーウィンはなぜ、ビーグル号に乗船できたのか
1.二人の偉大な祖父
2.シュルズベリーの名医
3.エジンバラ医学校
4.ケンブリッジ大学
5.ビーグル号航海
6.ビーグル号航海の地質学
7.独身時代のロンドン生活
8.進化論への道
9.エマとの結婚
10.ダウン・ハウスの生活
11.大著『自然選択』
12.『種の起源』
13.『飼育栽培のもとでの変異』と『人間の由来』
14.植物の研究
15.晩年
終章.ダーウィンは何を成しとげたのか

あとがき

略年譜・系図
参照文献
索引


「まえがき」

 二〇〇九年は「チャールズ・ダーウィン生誕二百年、『種の起源』出版百五十年」に当たるため、世界中でさまさまな記念行事が催され、関連の図書もつぎつぎと出版されている。本書も期せずしてダーウィン年を記念する出版物の一つとなった。「ダーウィン生誕百周年」の一九〇九年、あるいは「百五十周年」の一九五九年の時も記念行事があったが、今回ほどのことはなかった。なぜ現在、ダーウィンはこれほど注目されるのだろうか。
 一つには、分子遺伝学の進歩と生態学の理論的研究の発展に基づいて生物の進化が論じられるようになり、生物学者によってダーウィンの進化理論が改めて高く評価されるようになったことがある。
 また、大量に残されているダーウィンの研究ノートなどについての研究が、近年、ますます活発になり、ダーウィンの生涯について正確で詳細な事実が明らかにされている。これもダーウィンへの関心を高める要因になっている。
 本書の目的の一つは、こうしたダーウィン研究の成果を踏まえて、正確な事実を伝えることである。根拠なく真実と思い込まれて広まっている虚説を神話と呼ぶが、チャールズ・ダーウィンについてもさまざまな神話が語られている。本書ではこうした数々のダーウィン神話を取り上げ、その誤りを指摘するようにした。とりわけ欧米にはなく日本だけに広がっているダーウィン神話に注意するようにした。
 また、ダーウィンの最大の功績は近代的な生物進化論を確立したことだが、ダーウィンの研究業績は地質、植物、動物の、いわゆる自然三界に及んでいる。本書ではダーウィンの進化論形成過程とその発展を見るだけでなく、ナチュラリストとしての広い業績についても一通りの解説を試みた。
 ダーウィンの業績の背景には、当時、世界の最強国であった大英帝国の力があった。大英帝国の中核となっていたのは、ジェントルマン層(上層中流階級)だが、ダーウィン家もその一翼を担っていた。チャールズ・ダーウィンの生涯も、ジェントルマンであるダーウィン家の伝統を踏まえたものであった。そのため、本書の第1章と第2章ではダーウィンの祖父エラズマスと父ロバートについてかなりていねいに見ることにした。
 第3章ではエジンバラ医学校時代、第4章ではケンブリッジ大学時代について述べているが、いままで日本の文献にはなかった大学の実態についての解説を試みた。第5章のビーグル号航海についても、正確な事実を提示したつもりである。
 第6章ではダーウィンの地質学、第14四章では植物学について解説した。
 進化論の着想とその発展については、第8章、第11章、第12章、そして第13章で論じている。
 ビーグル号航海以降の生活については、第7章、第9章、第10章、そして最後の第15章でたどり、最終章でダーウィン没後の妻と子どもたちの状況についても述べている。
 最後に、訳語について、いくつかお断りしておきたい。「イングランド教会」は通常、「英国教会」と表記されているが、同教会はイングランドの国教会であって、英国全体の国教会ではないので、本書では「イングランド教会」としている。また、「ナチュラル・ヒストリー」は通常、「博物学」と訳されているが、これは誤解を呼びやすい表現なので、本書では「自然史」と訳し、「ナチュラリスト」は「博物学者」ではなく「ナチュラリスト」のままにしている。
 なお、英文資料からの引用は、既刊の訳を参考にしつつ、すべて原文から、直接、訳出したものである。
 本書によって、ダーウィンの生涯についてだけでなく、その研究業績についても基本的な理解が得られることを期待している。


「あとがき」

 生物学者で最も多くの伝記が出されているのがチャールズ・ダーウィンであるが、一九五〇年代まで、その基礎資料となっていたのは、ダーウィンの息子のフランシスの編著『チャールズ・ダーウィンの生涯と書簡』であった。フランシスは『生涯と書簡』の編集作業を通して、入念な観察・実験と優れた洞察力により画期的な学説を提唱した偉大な科学者としてダーウィンを描いており、こうしたフランシス的ダーウィン像が一般に広まっていった。ビーグル号航海以来のダーウィンの草稿類が大量に残されていたが、それはほとんど利用されていなかった。
 一九六〇年以降、ダーウィンの草稿類が次々と翻刻され、ダーウィン研究の状況が一変した。本文で述べたように一九五八年に、ダーウィンの孫娘ノラ・バーロウによるダーウィンの自伝の完全な翻刻が出版され、ダーウィン資料見直しの先駆となった。一九六〇年には発生学者で大英自然史博物館館長のド・ビアが、一八三七年から一八三九年にかけてダーウィンの記入した「転成ノートブック」の翻刻を博物館の紀要に掲載し、ダーウィン研究に新しい時代を切り開いた。一九七五年には、ダーウィンが一八五六年から執筆していた未完の大著『自然選択』の草稿の翻刻も出版された。一九八〇年代には、「転成ノート」と同じ時期にダーウィンが記入していたその他のノートブックも次々と翻刻され、一九八七年にこうした初期の理論ノートの翻刻を集大成した『チャールズ・ダーウィンのノートブック、一八三六−一八四四』が刊行された。生物学者のド・ビアによる一九六〇年の翻刻は信頼性に欠けていたが、手書き資料の研究方法に通じた科学史家の手による一九八七年の翻刻は厳密なものとなり、詳細な注も付記されるようになった。一九八五年には、『チャールズ・ダーウィン書簡集』がケンブリッジ大学から刊行され始めた。これは、ダーウィンの発信した書簡とダーウィン宛の書簡とを合わせて現存する約一万五千通のすべてを収録するもので、二〇〇八年現在では、一八六八年の書簡を収録した第一六巻まで刊行されている。
 欧米ではこうした研究を踏まえたダーウィン伝がつぎつぎと刊行されてきたが、日本は大幅に立ち後れていた。戦前の日本でよく読まれたのは一九三二年初版の駒井卓によるダーウィン伝であったが、当然これはフランシス的ダーウィン伝であった。戦後は八杉竜一の岩波新書『ダーウィンの生涯』(一九五〇年初版)が広く読まれた。同書はフランシス的ダーウィン伝をルイセンコ学派の立場で脚色したものだが、日本におけるダーウィン理解の基礎となった。
 ダーウィン研究の発展を踏まえた日本人による初めての伝記が、江上生子『ダーウィン』(清水書院 1981年)であったが、出版形態の違いもあってその影響力は八杉のものに及んでいない。
 筆者は一八七〇年代に実験生物学の分野から生物学史の分野に転じ、まず、ダーウィンについて勉強した結果、日本におけるダーウィン理解が大きく遅れていることに気づいた。欧米におけるダーウィン研究の成果を広める目的で出版したのが、拙著の『ダーウィンをめぐる人々』(朝日新聞社 一九八七年)と『近代進化論の成り立ち−ダーウィンから現代まで』(創元社 一九八八年)である。さらにその後、自分自身の研究を中心に『ダーウィンの時代−科学と宗教』(名古屋大学出版会 一九九六年)と『ダーウィン前夜の進化論争』(名古屋大学出版会 二〇〇五年)を刊行した。本書は筆者のこうした研究を総括し、ダーウィンの生涯と業績についてまとめたものである。執筆には2006年4月以来、三年を要した。原則として執筆内容を原資料によって確認していたため、予想以上に時間がかかってしまった。
 スペースの問題もあって、根拠にした文献をいちいち注記することはできなかったが、主要な参照文献を一括して巻末に記載した。また、ダーウィンの著作には興味ある図版が数多くあるが、これも多くを省略せざるを得なかった。こうした限界があるものの、ダーウィンの生涯と業績について、いままでになく正確なことを伝えられたと自負している。
 なお、本書の成立に力になっていただいた朝日新聞出版の山田豊氏にお礼を申し上げたい。

二〇〇九年春

松永俊男