松永俊男・野村孜子・共編『それいけ!情報公開』
せせらぎ出版、1992年


まえがき

 一九八九年五月、私の住んでいる大阪南部の河内長野の住宅地の裏山に、ゴルフ場建設計画のあることが明らかになりました。ゴルフ場は自然破壊の最たるものです。近隣の住民が反対運動に立ち上がり、私も新興住宅地の自治会長として運動に参加しました。運動は盛り上がり、同年十一月に業者が計画を断念しました。
 この時、大きな力になったのが「情報公開」です。市民グループ「知る権利ネットワーク関西」の助言を受けて、ゴルフ場開発に関係する文書を大阪府から入手し、その結果、市長が開発についての「意見書」を知事に提出しなければ、計画がストップすることが判明したのです。こうして、運動の方向を見定めることができました。この時以来、私も「知る権利ネットワーク関西」の活動に参加することになりました。
 情報公開とは、お役所の握っている情報を、市民の請求で公開させることです。憲法がうたう国民主権を実現するためには、行政が情報を独占せず、市民に公開することが不可欠です。日本では国レベルの情報公開法はありませんが、数多くの都道府県や市町村で情報公開条例が制定されています。
 情報公開の重要性を身に染みて感じているのは、実際にこれに取り組んだ市民でしょう。そこで、私の勤務先の桃山学院大学で、一九九一年度の「総合講座」の一つとして「情報公開と環境問題」を開講し、主として「知る権利ネットワーク関西」のメンバーを講師にお願いしました。この講座はユニークな授業として注目され、新聞やテレビで紹介されました。また、この講座が本書を出版するきっかけにもなりました。
 情報公開についての本は、たいてい、法律の専門家の手になっていますが、本書は、情報公開を利用する市民の立場で作られています。市民による市民のためのガイドブックです。同時に、全国的に見ても最も活発な活動をしている市民グループ「知る権利ネットワーク関西」の活動記録でもあります。
 最初の「図解・情報公開制度の利用方法」は、堺市の主婦、野村孜子さんの力作です。公文書の公開請求が、意外と気楽にできることが分かるはずです。
 第一章を執筆している岡本隆吉さんは、「知る権利ネットワーク関西」設立以来の事務局長です。民間会社のサラリーマンですが、医療過誤(一九七一年・斉藤病院にせ医者事件)でお子さんを亡くされ、それをきっかけに市民運動にかかわるようになりました。
 その他の章でも、同会の中心メンバーが、それぞれの体験を通じて情報公開を語っています。情報公開は、環境問題や医療問題に関係するだけではありません。市民の生活のすべてに関係します。お役所や議員の無駄遣いをただす力にもなります。最近は、教育に関する情報公開も注目されています。
 情報公開は難しいものではありません。本書が情報公開制度の利用を促進し、ひいては情報公開法制定の力になることを願っています。
一九九二年一月   松永 俊男

目次

まえがき  松永俊男

第1部 まんが・やさしい情報公開  野村孜子
第2部 情報公開にとりくんで
  第1章 ひろがる市民運動  岡本隆吉
  第2章 めげない女たち  野村孜子
  第3章 飲み屋からダム建設反対運動へ  江管洋一
  第4章 まちづくりにロマンを  有田具弘
  第5章 マスコミの現場から  神野武美
第3部 情報公開の基礎知識
  第1章 情報公開はなぜ必要か  熊野実夫
  第2章 どうなっている?役所の文書  水田謙
  第3章 アメリカの情報公開制度  奥津茂樹
  第4章 日本の情報公開は今‥‥  中島昭夫
あとがき  野村孜子
「情報公開とSTS」

STS関西ニュースレター『科学・技術・社会』第9号(1994年5月15日)、pp.4-6

松永俊男(桃山学院大学)

(1)はじめに
 話題のアメリカ映画「ペリカン文書」に、主人公の女子大生が裁判記録の閲覧を拒否しようとする担当者に対して「情報公開制度を知らないのか」と反撃する場面がある。アメリカでは情報公開がごく当たり前のことになっている状況を反映したものであろう。
 情報公開とは、一言でいえば、お役人の握っている情報を市民の請求で公開させることである。行政にとって都合のよい情報だけを公開する広報とは違って、市民自身が、自ら知りたい情報を政府や自治体に請求して公開させるのである。
 サリドマイド事件や血液製剤によるエイズ感染のように、政府が重大な情報を意図的に隠したために重大な被害が生じたこともある。「民は由らしむべし、知らしむべからず」という論語の言葉にはさまざまな解釈があるが、一般には、民衆を施政方針に従わせるだけで、その根拠となる情報を民衆に提供しようとしない官僚や政治家の実態を表していると理解されている。このような政治を変え、憲法でうたう国民主権を実現するためには、情報公開制度が不可欠である。
 日本では未だに情報公開法が制定されていない。しかし情報公開条例を制定した地方自治体は、全国で239(1993年11月現在)にのぼる。環境問題などに取り組む市民が積極的にこの制度を活用しており、今後はSTSの研究者にとっても情報公開制度の利用が欠かせないものになるだろう。お役人は特定の研究者にだけ特別に情報を提供することがあるが、お役人のお情けに頼っての研究は「ご用学者」に陥る道である。研究者も一市民の当然の権利として情報の公開を請求すべきであろう。

(2)ゴルフ場開発と情報公開
 筆者が情報公開に関わるようになったきっかけは、地元の河内長野市でゴルフ場建設反対運動に参加したことである。ゴルフ場は広大な山林(18ホールで130ヘクタール)を伐採し、大量の農薬で無理に芝生を維持し、1日に200人が利用するだけ。まともな精神の持ち主なら耐えられないような環境破壊である。ゴルフ愛好者と喫煙者には環境問題やSTSを論じる資格はない。
 1989年5月、筆者の住む新興住宅地の裏山にゴルフ場建設計画のあることが明らかになった。近隣の住民が反対運動を展開し、その年の11月、業者(ご存じウイング・ゴルフクラブ)に計画を撤回させることができた。この時、大阪府の情報公開制度によりゴルフ場建設の手続きの詳細が判明したことが、運動に不慣れな住民の大きな力になったのである。
 大規模開発の場合は市町村長の「意見書」が知事に提出される。公開請求によって能勢町と和泉市のゴルフ場建設についての「意見書」を入手し、「意見書」の内容を具体的に知ることができた。「意見書」には開発にともなうさまざまな問題点が指摘されているが、それをすべてクリアするのでゴルフ場開発を許可して下さいというお願いで終わっている。「開発ノー」の「意見書」は存在しない。市長が開発に反対の場合は「意見書」が提出されないということが判明した。それまでの市の説明とは違って、開発の是非の判断は実質的に市長にあることがわかったのである。
 そこで反対運動の焦点を「市長に意見書を書かせない」ということにしぼることができた。それに向けて連日のビラ撒き、市議会への働きかけ、新聞・テレビによる情宣活動など、思いつくことをなんでも試みた。最後は大規模な署名活動を展開し、河内長野(人口11万)の市民だけで3万人、合計で6万人の署名を集めて市議会に開発反対の請願書を提出した。その結果、業者の計画撤回に加えて、12月には市長が開発を許可しないと約束し、市議会でも開発反対の請願が採択された。圧倒的に保守系の強い地方議会では珍しい事例といえるだろう。(この運動の記録をまとめたパンフレットがあるので、関心のある方は筆者までご連絡ください)

(3)情報公開活用の実例
 当然のことだが、情報公開の対象はあらゆる分野に及んでいる。最近では内申書や入試成績の本人開示、体罰や校内暴力についての資料、教育委員会や職員会議の議事録など、学校教育に関連した公開請求も多い。
 環境問題では、ダム建設計画に関する資料や既設のゴルフ場の農薬使用に関する資料が各地で公開されている。
 予防接種の副作用による被害は国の責任であることが、最近の各地の裁判によって確定したが、これについても情報公開が大きな役割を果たしてきた。1989年にMMR(新三種混合ワクチン)が導入された当初、厚生省は10万人に1人の割合で副作用被害が出ると発表していた。ところが被害者のグループが大阪、東京、神奈川、兵庫などで副作用被害に関する資料を情報公開によって入手したところ、数百人に1人の割合であることがわかり、予防接種の危険性が明らかにされたのである。
個々の医療については患者本人にも十分な情報が示されないことが多いが、昨年、全国で初めて、横浜市で市立病院のカルテが制度に基づいて患者本人に全面開示されている。
 原発関係では核燃料の輸入ルートをつき止めた例がある。1990年に反原発グループが東京港に入港した放射性物質の東京消防庁への届け出資料を公開させ、1年間に41回、計1,453トンの核燃料が貨物ターミナルで陸揚げされていることが明らかになった。ところが東京都は翌年からこの届け出資料を「単なるメモ」扱いに切り替え、事実上、情報公開の門を閉ざしてしまった。
 1989年1月に起きた福島第二原発三号炉の再循環ポンプ事故について通産省や東京電力は1カ月も事故を隠し、事故を公表した後も関係資料をほとんど公開しなかった。そこで日本の一市民がアメリカの情報公開制度に基づいてアメリカの原子力規制委員会に関係資料の公開を請求したところ、通産省がアメリカに送った文書が公開され、この事故が原子炉の構造的欠陥によるものであることが明らかになった。1991年3月に起きた美浜原発二号炉の事故についてもアメリカから資料を得ている。
 アメリカの「情報自由法」では世界の全ての人が請求権者になれる。しかも非営利目的の場合は外国人であってもほとんど無料になることが多い。予防接種、航空機事故などについても日本の市民がこの制度を活用している。

(4)情報公開制度の現状と利用
 日本で入手できない日本国内に関する情報が、アメリカの情報公開制度によってアメリカから入手できるという奇妙な現実を見ても、日本の情報公開制度の遅れが明らかであろう。昨年7月の連立政権発足時の「八党派合意」には「情報公開法の推進」が明記されていたが、羽田政権の政策の基本になる「新たな連立政権樹立のための確認事項」ではこれが抜け落ちてしまった。早急に情報公開法の制定される望みはなくなったが、情報公開は世界の大きな流れである。いずれ遠くない将来に日本の政府も情報公開法を制定することになるだろう。
 国は遅れているが、近畿では奈良県と和歌山県以外の5府県、すなわち、大阪府、京都府、兵庫県、滋賀県、および三重県で情報公開条例が制定されている。大阪市、堺市、吹田市、京都市、神戸市、尼崎市など、情報公開条例を制定した市町村も多い。通常は地域内の住人だけでなく、地域内に通勤・通学する人も請求権者になれるので、「STS関西」の会員のほとんどが、いずれかの情報公開制度が利用できると思う。
関西では情報公開を推進するための市民グループ「知る権利ネットワーク関西」(事務局長・岡本隆吉。連絡先・野村孜子・電話 0722-32-8398)が活動している。初めて情報公開制度を利用する場合はこのグループに連絡するとよい。喜んで手助けしてくれることだろう。また、このグループのメンバーによる下記の著書は情報公開の入門書として手ごろなものと思うので、一読していただければ幸いである。

 松永俊男・野村孜子編『それいけ!情報公開』せせらぎ出版 1992年 1,500円

<追記>
上記拙文は、「知る権利ネットワーク関西」の機関紙『知る権利ネットワークNEWS』1994年5月30日号に転載された。
『みんなの力が集まれば−加賀田地区ゴルフ場建設ストップの記録−』
大阪府河内長野市南ヶ丘自治会

は じ め に

南ケ丘自治会 1989年度会長 松永俊男

 1989年度(平成元年度)の自治会は、ゴルフ場建設反対という大きな問題に取り組み、成功を収めました。この冊子は、この運動を記録し、今後の自治会活動に役立たせるために作製したものです。
 自治会が運動に立ち上がった当初には、「ゴルフ場建設阻止など、できるはずがない」という批判もありました。ところがどうでしょう。11月に表向きの事業主が建設計画を取り下げました。12月には市長が「任期中は認可しない」と発言。そして12月26日の市議会本会議で、私たちが提出していたゴルフ場建設反対の請願が採択されました。
 ゴルフ場建設反対運動で、これほどの成果をあげた例は他にないと聞いています。これは私たちの住環境の悪化を防いだだけでなく、市の緑を護り、ささやかながらも日本の国土を保全する役割も果たしたといえるでしょう。この運動の中心となった南ケ丘自治会として、誇りにしてよいことだと思います。
 この成功を生んだのは、自治会員のねばり強い活動です。ビラ配りや署名活動、あるいは役所への陳情や交渉、市議会の傍聴など、さまざまな活動がこの冊子に記録されています。
 南ケ丘に隣接する北青葉台自治会と南青葉台自治会も反対運動に立ち上がり、3自治会がこの問題で団結しました。これがゴルフ場建設を阻止するうえで決定的な力になりました。これからも自治会として大きな問題に取り組むときには、他の自治会と協力することが重要になるでしょう。
 9月にこの3自治会のほかに他の団体も加わり、「加賀田地区ゴルフ場建設反対連絡協議会」が結成され、以降、この協議会を中心にゴルフ場反対運動を展開していきました。ほかにも、市内の7自治会が私たちの運動に協力するなど、運動は全市を巻き込んだものになりました。
 南ケ丘自治会にとって歴史的大事件といってもよいこの運動の記録は、将来、なつかしい思い出のよすがともなるでしょう。
 ゴルフ場に予定されていた土地に、今後どんな計画がでてくるかわかりません。ほかにも、私たちの住環境に関係した問題がいろいろあります。自治会がこうした問題に取り組むとき、この冊子が大いに役立つものと期待しています。 (1990年3月31日)
ある若き市民運動家の死

桃山学院大学広報誌『アンデレクロス』第62号(1993年10月)

 去る7月18日、衆院選の当日に高槻市で一人の若者が亡くなった。棄権したことがないのに夕方になっても部屋から出てこないので、母親が不審に思って見に行った時には、すでに冷たくなっていたという。心臓マヒによる急死である。まだ三十歳になったばかりであった。
 彼の名は水田謙という。本学の総合講座「情報公開と市民」の講師としてこの三年間に数回、教壇に立っていただいたので、三・四回生の中には、水田氏の生まじめな授業を記憶している諸君もいることだろう。この講座のテキストとして使用した共著『それいけ!情報公開』(せせらぎ出版)では、「どうなっている?役所の文書」という章を担当していただいたが、これが水田氏の最初で最後の出版物になってしまった。
 水田氏は大阪府庁の職員として働く一方で、さまざまな市民活動にかかわってきた。私が参加していた情報公開の市民グループ、「知る権利ネットワーク関西」も彼の重要な活動の場であった。大阪各地の自治体で情報公開請求を行い、また、ニュース作成、会員名簿の管理、会計、集会場の確保など、裏方的な仕事をほとんど全部引き受けていた。嫌な顔をせず、淡々と仕事をこなしていく彼に、仲間たちもつい甘えてしまっていた。情報公開に関連した運動だけでなく、身障者問題に取り組むボランティア・グループにも積極的に参加していた。水田氏は公務員だったこともあって新聞紙上に名前が出ることは少なかったが、水田氏に支えられていた市民活動がいくつもあったのである。水田氏の死は、社会の不正と闘う市民活動に殉じた壮烈な戦死であった。
 本業のかたわら市民活動にかかわるのは、物心ともに容易なことではない。できるだけ多くの参加者が負担を分かちあわなければ、運動は長続きしにくい。残念なことに、日本の市民運動には若いエネルギーがなかなか加わってこないようである。世界の市民のための行動は、外国に出かけなくてもいくらでも可能である。経済大国日本を内側から改革していくことが、最も確実で身近な道だろう。水田氏の情熱を支えていたのも、そんな思いではなかったろうか。日本でもさまざまな市民グループが、さまざまな問題に取り組んでいる。そうした活動につぎつぎと新しい力が加わっていくことを期待したい。
水田氏の死はまことに痛恨の極みであった。ご冥福を祈りたい。
(文学部 松永俊男)

<追記>
故人の友人たちの文集『想い出−水田謙さんを偲んで』が私家版で1993年12月に刊行された。
上記の拙文も、同書に収録された。
活動の経過

1989年
 5月 1日   南ヶ丘などの主婦たちが計画を察知、自治会に反対運動を働きかける。
 5月25日   南ヶ丘自治会臨時総会でゴルフ場反対を決議
 9月17日   自治会臨時総会で役員交代。松永が会長に就任。
 9月17日   近隣の自治会と住民の会で「加賀田ゴルフ場建設反対連絡協議会」結成
11月17日   業者が建設計画を取り下げ
11月22日   ゴルフ場反対の請願を市議会に提出
12月12日   市長がゴルフ場建設を認めないと表明
12月26日   市議会本会議でゴルフ場反対の請願を採択
 
計画の概要
業者が河内長野市に提出した資料による

1.名称      (仮称)ウイング加賀田ゴルフクラブ
2.所在地     河内長野市加賀田3727−6外
3.設計・施工   大末建設
4.事業主     株式会社ウイングゴルフクラブ(名古屋市)
5.面積       1,306,400u
6.土地の現状  山林

「計画の概要」

「運動の経過」

パンフレット『みんなの力が集まれば』(1990年)序文

「ある若き市民運動家の死」(1993年)


「情報公開とSTS」(1994年)


『それいけ情報公開』(1992年)序文と目次
  1989年、我が住宅地の隣接地にゴルフ場建設計画が持ち上がりましたが、住民挙げての反対運動により中止になりました。なんと、学生運動には無縁のノンポリだった私がこの運動の旗振り役を務めたのです。昔を知る友人たちには信じられないことだったようですが、当の本人が一番びっくりしています。
  この運動に勝利した決定的要因の一つが、大阪府の情報公開制度を利用したことでした。
  運動の経過については詳細な記録を保管していますが、個人名など、公にするには差し障りのあるものが多いので、ここでは私が著名入りで発表した文書を掲載します。
  この運動に参加してつくづく感じたことは、開発に絡んで一儲けしようとするミニ角栄が町中にいること。これが日本の社会の基礎構造になっていて、日本を滅びの道に追い込んでいるのですね。
  ゴルフは本来、不毛な原野の広がるスコットランドはハイランドのスポーツ。森林地帯の日本でゴルフ場を建設するのは、南極で海水浴場を建設するとか、赤道直下でスキー場を建設するといったことと同じ。愚の骨頂だ。

市民活動