『緋色の研究』A Study in Scarlet. 1887.
1)先駆者批判。
ミステリーとしては穴だらけで傑作とはいえないが、名探偵登場ということで我慢しよう。作者はポオやガボリオに学んでいるにもかかわらず、作中ではホームズにそれぞれの探偵、デュパンとルコックを厳しく批判させている。ダーウィンもラマルクとジョフロアを厳しく批判していた。現在ではダーウィンやドイルのオリジナリティを疑う者はいないが、作品を世に出した当初の彼らにとっては先駆者との違いを明確にすることが不可欠であり、そのためには先駆者を厳しく批判するほかなかったのだろう。(2022年1月23日)
2)ワトソンの兵歴
冒頭部分に記されているワトソンの兵歴を英文でじっくり読んでみた。イギリス人なら現在でも、地名のNetleyだけで当時の陸軍病院のことだと分かるのだろうか。ワトソンは1878年に医学博士の学位を取得し、Netleyで軍医としての訓練を受けた後、インドに赴くが、その時には第二次アフガン戦争が勃発していたという。第二次アフガン戦争は1878年に始まっているので、Netleyでの訓練は半年程度だったことになる。ワトソンはノーサンバランド連隊からバークシャー連隊に転属となり、マイワンドの戦い(1880年7月)でひどい目にあったという。マイワンドにおけるバークシャー連隊の苦戦は、イギリスでは今でも有名なのかもしれない。(2022年5月2日)
3)阿部知二の誤訳
手元にある翻訳書は訳(創元社、1960)だが、‘enteric fever’を「腸チフス」と訳しているのには疑問がある。医師でもある原作者が用いていない「チフス」という術語は訳でも使うべきではないだろう。‘through the passes’を「山岳地帯から」としているのもおかしい。‘a paternal goverment’を「本国政府」としているのは、誤訳であろう。他の訳書とも比べてみたいと思う。(2022年5月2日)
4)ダーウィン登場
『緋色の研究』にはダーウィンの名が2回、登場する。最初は第5章の冒頭部分で、ヴァイオリン・コンサートから帰宅したホームズがワトソンにいう。「音楽についてダーウィンが語ったことを憶えているかい。ダーウィンによれば、音楽を創り鑑賞する能力は言語能力を獲得するはるか以前から人類に存在していたのだ」(Do you remember what Darwin says about music? He claims that the power of producing and appreciating it existed among the human race long before the power of speech was arrived at.)。ダーウィンの音楽論は『人間の由来』第2版(1874)第3部第19章の「音声と音楽的能力」(voice and musical power)の節(pp.566-573)に見ることができる。その終わりの部分(p.572)で音楽が言語に先立つことが強調されている。作者がダーウィンを高く評価していたことがうかがえる。
ところが、『緋色の研究』第6章の冒頭部分では、ワトソンが紹介するThe Daily Telegraphの記事には次のように書かれているという。
After alluding airily to the Vehmgericht, aqua tofana, Carbonari, the Marchioness de Brinvilliers, the Darwinian theory, the principles of Malthus, and the Ratcliff Highway murders, the article concluded by admonishing the Government and advocating a closer watch over foreigners in England.
「フェイム法廷」は中世末のウエストファリアで行われた秘密裁判、「トフォナ水」は17世紀シシリアの女性トフォナが作った毒薬、「カルボナリ党」は19世紀前半にイタリアやフランスで活動した革命的秘密結社、「ブランヴィリエ侯爵夫人」は父親など多数を殺害した17世紀フランスの女性。すなわちダーウィンの理論とマルサスの原理が凶悪な犯罪などと同列に置かれているのである。ドイルがダーウィンを高く評価していたとするなら、これはどう理解すべきなのだろうか。作中では警察官の愚かさが強調されているのと同様、新聞記事の愚かしさを強調しているのではなかろうか。(2022年1月24日)
『サイン・オブ・フォー』The Sign of Four. 1890.
最後のテムズ川の追撃が印象に残る作品である。しかし、書名のThe Sign of Four を『四つの署名』とか『四人の署名』と訳すのは誤訳であろう。そもそも「サイン」を「署名」の意味で用いるのは和製英語であり、名詞のsignに「署名」の意味はない。しかも単数である。『四人組の印』とでも訳すべきだろう。
(2022年1月27日)
『シャーロック・ホームズの冒険』The Adventures of Sherlock Holmes. October 1892
(1)「ボヘミアの醜聞」"A Scandal in Bohemia" July 1891
初めて読んだときから愚作だと思っていたが、それを再確認することになった。ドイルのホームズ譚自薦で第5位ということが信じられない。ポオの「盗まれた手紙」の焼き直しであることが歴然としているが、はるかに劣る。『緋色の研究』ではポオを厳しく批判していたのに、ストランド誌連載の第一号にポオ作品の焼き直しを持ってきたのはなぜなのか。理解できない。
そもそも若き日の写真一枚で王室同士の結婚が破談になるわけがない。文中で強調されているほどアドラーが素敵な女性なら王を脅迫するはずもない。事実、最後は脅迫を止めると述べて終わっている。一国の王たる者が一人で訪ねて来るのもおかしい。部下に秘密を知られたくないというが、すでに盗賊などを雇って家捜ししたり、女性を襲ったりしている。プロの泥棒なら写真を発見したはずだ。などなど、納得できない部分満載である。ミステリーとしては愚作の最たるもの、ホームズ譚の中でも最低ランクではないか。
ドイルはこの作品のどこが気に入っていたのだろう。前作『サイン・オブ・フォー』ではヒロインに対するワトソンの恋心が描かれており、本作ではヒロインに対するホームズの好感情が描かれている。ドイルは自ら描いた理想の女性像が気に入ったのだろうか。しかし両作品とも、ヒロインへの思いはミステリーとしての展開に無関係であり、むしろ邪魔な要素であった。
(2022年2月8日)
(2)「赤髪連盟」"The Red-Headed League" August 1891
これこそ連載第一作とすべきだった傑作である。掘り出した土をどう処理したのかなど、納得できないところもいくつかあるが、『ブリタニカ』を書き写すという理由で家から引き離すという奇策が愉快で、殺人も起きない。当方も子供の時に読み、ホームズに魅せられた作品である。
34年後の作品「三人のガリデブ」は本作の焼き直しだが、本作の方がはるかに楽しい。2年後の作品「株式仲買店員」も同工異曲である。ドイルはこの設定が気に入っていたのだろう。
(2022年2月13日)
(3)「花婿の正体」"A Case of Identity" September 1891
「ボヘミアの醜聞」より劣る愚作であり、読後も不快感が残る。ヒロインが恋人の正体に気付かないはずがない。ヒロインの目が悪いという設定で辻褄を合わせようとしているが、タイピストなのだから原稿は読めていたことになる。ホームズならずとも、ヒロインの話を聞いただけで恋人の正体が分かってしまう。原題「同一人物の事件」も正体を示唆している。邦訳の多くが「花婿失踪事件」としているのは、少しでも読者をミスリードする配慮といえよう。
(2022年2月23日)
(4)「ボスコム渓谷」"The Boscombe Valley Mystery"October 1891
題名に「ミステリー」を冠した唯一のホームズ譚である。前夜のNHK.BSPでもドラマを放映していた。原作ではヒロインがレストレイド警部を介してホームズに依頼しているが、ドラマではヒロインが直接、ホームズに依頼しており、話がすっきりしている。ドラマでは「クーイー」(cooee)の呼び声が省略されているが、ミステリアスな雰囲気を醸す要素である。横溝正史『 悪霊島 』の「鵺の鳴く夜は恐ろしい」の元ネタではなかろうか。
話の骨子は、被告が被害者と別れた直後に真犯人が犯行に及ぶというもので、2時間サスペンスでもおなじみの設定であり、そうした設定の嚆矢といえよう。その場合、真犯人を明らかにしなければ被告は無罪にならないだろう。ホームズが真相を隠したまま被告の無罪を勝ち取ったという結末は無理な気がする。
本筋とは無関係に気圧計が登場し、ホームズが「気圧計は29インチだ」(How is the glass? Twenty-nine.)という。これは作者が新奇な科学機器を書きたかっただけだろう。ホームズは29インチを好天気の証としているが、水銀柱30インチがほぼ1気圧なので、29インチは低気圧になる。ホームズ(すなわちドイル)の気圧についての知識は不正確だったようだ。
(2022年3月3日)
(5)「オレンジの種五つ」"The Five Orange Pips"November 1891
ドイルが得意とする過去の外地生活に由来する因縁話で、ミステリーとしての要素は乏しい。因縁話としても、依頼者の青年を秘密結社が殺害する必然性はない。標的にされている依頼者をホームズがそのまま帰宅させるのもおかしい。ホームズ譚の中では愚作といえよう。
ホームズは推理の極意を語る中で、「キュヴィエは一本の骨からその動物の全身を正しく導くことができた」(Cuvier could correctly describe a whole animal by the contemplation of a single bone,)と述べている。キュヴィエ自身が語った言葉として知られているが、『オクスフォード科学者引用句辞典』(2005)によると、この言葉はエチエンヌ・ジョフロア=サンチレール(1837)が記載しているだけで、キュヴィエ本人の著述には存在しないようである。科学史家としては引用しない方が無難であろう。
(2022年3月5日)
(6)「唇のねじれた男」"The Man with the Twisted Lip" December 1891
ホームズ譚の中でも傑作の一つだと思う。初期のホームズ譚にはやたらと変装が登場する。『緋色の研究』では老婆に変装した青年が登場する。『サイン・オブ・フォー』ではホームズが変装する。「ボヘミアの醜聞」の結末部ではホームズとヒロインが変装している。「花婿の正体」と本作では変装がメイントリックになっているが、本作の方が遙かに優れている。日本でも「乞食三日すると忘られぬ」というが、本作の主人公が週給2ポンドの生活にもどるのは難しいだろう。1日で2ポンド以上稼げる乞食生活を再開するに違いない。本作に刺激されて乞食生活を試みたイギリス人がいたとしても不思議ではない。
また、19世紀末になっても合法的な阿片窟がロンドンに存在していたというのは、驚きである。
(2022年3月13日)
(7)「青いカーバンクル」"The Adventure of the Blue Carbuncle" January 1892
まず気になるのはタイトル。当方、宝石の知識はないのでネットで宝石商の解説などを読むと、「カーバンクル」とは赤色の宝石の総称で、ルビー(紅玉)、あるいはガーネット(石榴石)のことであるという。いずれにせよ、青色のカーバンクルは存在しないという。そのため、ホームズ譚愛好家の間では、「青いカーバンクル」についてさまざまな意見があるらしい。邦訳題名は「青い紅玉」、あるいは「青いガーネット」となっているが、どちらかが正しいということもないようだ。ただ、「青い紅玉」という表現は、論理学書でおなじみの「黒い白鳥」と同じ問題をはらむことになる。
冒頭で語られる帽子についての推論(当てずっぽう)はホームズ譚の魅力の一つだが、「頭が大きい人は頭が良いはずだ」(a man with so large a brain must have something in it.)とは、いくらなんでも無茶だ。ドイルはわざと馬鹿馬鹿しい推論を書いたのだろうか。
本作の中核は、盗んだ品物の隠し場所。その意味では、「六つのナポレオン」と同工異曲である。どちらを好むかは人によって異なるだろうが、「ナポレオン」の方が無理がないように思う。
「ボスコム渓谷」と同様、本作の結末もホームズが真相を隠したまま容疑者の疑いを晴らすことになっているが、それが可能とは思えない。
(2022年3月19日)
(8)「まだらの紐」"The Adventure of the Speckled Band"February 1892
ホームズ譚の中で最も知られている作品だろう。ポオの「モルグ街の殺人」を下敷きにしているが、それよりも優れたミステリーになっている。しかし、動物作家の実吉達郎によると、この犯罪は成立しないという。まず、蛇はミルクを飲まない。蛇には聴覚がないので口笛で呼びもどすことはできない。紐を降りてくる蛇をたたいても方向転換しない。そもそも蛇を金庫に入れていたら窒息死する、という。ミステリーとして成立しないとしても捨てがたい魅力がある。乱歩の「屋根裏の散歩者」の犯罪も「二階から目薬」で成立しないが、やはり捨てがたい魅力がある。こういう作品をどう評価したら良いのだろうか。
今回、再読して気がついたのは、なぜ本筋に無関係なジプシーが登場するかということ。英語のbandには、「無法者の集団」といった意味もある。読者をミスリードするためのジプシーであった。初めてこの作品に触れた19世紀のイギリスの読者たちは、案外素直にミスリードされていたかもしれない。邦訳では「紐」と訳さざるを得ないのでミスリードされることはない。翻訳の限界だろう。
翻訳といえば、阿部知二訳ではDr.Watsonを「ワトソン博士」、 Dr.Royottを「ロイロット博士」と訳しているが、明らかに誤訳である。「ドクトル・ジバゴ」を「ジバゴ博士」と訳す人はいないだろう。そもそも、ワトソンは確かに博士号を取得したことになっているが、ロイロットは「医学士の学位を取得」(take a medical degree)しただけで、博士号は取得していない。
2年前に亡くなった依頼者の姉のダイイングメッセージの冒頭 Oh, my Got! を阿部がどのように訳しているか見たら、なんと、「おお!」と書いてあるだけ。翻訳を放棄している。この人は本当に英文和訳の大家なのだろうか。
(2022年6月26日)
(9)「技師の親指」"The Adventure of the Engineer's Thumb" March 1892
ポウの「落し穴と振り子」の最後の拷問、壁が迫ってくる恐怖をそのままいただいている。しかしポウ作の緊張感には及ばないし、作品としては根本的な欠点がある。偽金作りで不可欠なのは技術者である。犯罪者仲間に機械の故障を修理できる技術者がいないなど考えられない。そもそも農村にこんな機械を持ち込んだら怪しまれるに違いない。失敗作といってよい。
(2022年8月14日)
(10)「独身の貴族」"The Adventure of the Noble Bachelor" April 1892
あまりにもつまらない。謎らしきものはなにもない。結婚式の後、花嫁が自主的に姿を消した。ホームズの推理を待つまでもなく、昔の男が現れたので逃げたとしか考えられない。細部を論じる気にもならない。ホームズ譚の中でも駄作の筆頭だろう。
(2022年8月21日)
(11)「緑柱石の宝冠」"The Adventure of the Beryl Coronet"May 1892
前作「独身の貴族」と同様の愚作である。ホームズ譚には、大事なものをそんなところに保管するはずがない、といいたくなる作品がいくつもあるが、これもその一つ。大銀行の金庫より自宅の金庫の方が安全なはずがない。それを言っては身も蓋もないので、自宅の金庫から金品が盗まれたとしてみよう。その場合も登場人物が少ないので犯人が特定されてしまう。謎など、まったくない。
本筋とは関係ないが、ホームズのサンドイッチが気になった。He cut a slice of beef from the joint upon the sideboard, sandwiched it between two rounds of bread, イギリス紳士が居室の棚に牛肉の塊(joint)を入れておくのか。生肉を食べるのか。納得できない。
(2022年9月2日)
(12)「ぶな屋敷」"The Adventure of the Copper Beeches"June 1892
知らぬ間に身代わり役を演じさせられていたというのが話の骨子だが、父親が実の娘をいじめるとか、監禁されている娘の食事やトイレはどうなっているのかなど、話の展開には納得できない所が多い。婚約者が使用人から情報を得ていたのなら、身代わりなど意味が無かったことになる。とはいえ、知らぬ間の身代わりというアイデアは悪くない。『半七捕物帳』の「奥女中」は明らかに本作を改編したもの。原作は家庭内暴力だが、こちらは人情話になっている。最後には参勤交代制の廃止まで織り込んでいる。さすがは岡本綺堂、見事なものだ。
(2022年9月15日)