人の生活は自然の恵み・生き物の恵みによって支えられてきた。自然界の多くの生き物の恵みなくして人の生活は成り立たなかった。またその一方で、人の営みが作り出した景観が、多くの生き物の生活場所となってきた。こうした「ひとと自然のまじわり」の歴史を感じられる場所が南大阪にはまだ多く存在する。各地に無数に点在するため池もそのひとつである。このプロジェクトでは、まず大学近隣のため池の現状を調査し、人間と生き物が共存できる環境としてため池をどのように活用し保全していけばいいかを考え、次に自然の恵みを学ぶことを念頭に置いた散策ルートの作成を行った。
対象エリア
- 大阪府和泉市 桃山学院大学近辺
- 泉大津市 織編館 〜 和泉市 池上曽根史跡公園 〜 信太山
調査チーム
- 桃山学院大学 社会学部社会学科 巖ゼミ所属2004年度4回生14名
- 指導教員 巖圭介(桃山学院大学助教授)
フィールド調査1:ひととため池のまじわりを考える
大学近隣のため池の現状を調査し、現在のため池のあり方が人間の生活とどのような関係にあるかを把握した上で、人間と生き物が共存できる環境としてため池をどのように活用し保全していけばいいかを考えた。水辺の生き物にとっての生息場所として適当かどうかという自然的な側面と、人間の生活との距離という人的な側面の両方から、それぞれのため池を評価することを目標とした。
調査結果
10カ所のため池を調査してみて、池の周りの状況によって、自然環境も人との関係性もかなり異なり、いくつかのパターンに分かれることがわかった。
Type 1:7の谷山池のように、ほぼ自然のままの状態で残っており、生物の住みかとしての池となっているもの。(生物のための池)
Type 2:4の池のように、農業用水の供給源としてのみ存在していると考えられるもの。
Type 3:5の蜻蛉池公園の大池のように人工的な公園となっており、人にとっての憩いの場や観光地となっているもの。(人の娯楽のための池)
Type 4:3の池のように、不法投棄の場となってしまっているもの。
ため池と人の距離感という側面については、どのような柵があるかということが、その関係を表しているように思える。アクセスが悪く人があまり近づくことがなくて結果的に自然豊かな池(7.谷山池)では、柵は低く部分的である。また、完全に人の娯楽のために整備された池(5,6. 蜻蛉池公園)でも柵は低い。こうした低い柵は、最低限の安全を守りながら、人を水辺に誘う効果がある。しかし、むろん柵が低いと場所によっては不法投棄を誘発することも考えられる(1,3)。
一方、住宅地に近い多くのため池では、人の背よりも高いフェンスや高い護岸で、ため池を人から切り離している(4, 10など)。こうした所では、ごみが多く雑草が茂り、なんとなく汚らしい雰囲気になっているところが多い。人がこうしたため池を憩いの場としてとらえることはあり得ない。ため池を無用の、汚い存在としか見なくなると、それを大事にする気持ちも起こらないので、ますますごみなどを投げ入れるようになり、荒れるのだろう。
生き物の生息場所としてのため池を考えると、当然人の少ない、自然度の高いため池(7. 谷山池、6. 蜻蛉池)が好ましいが、意外に多くのため池に、一部にせよ、アシの群落があることが今回わかった。アシの群落は、多くの小動物の生息場所になると同時に、水を浄化するはたらきも備えている重要な水辺の要素である。植物が生えることのできる土の護岸と、適度に浅い水深の部分があれば、一部だけでも生き物の生息場所として機能させることはできそうである。
ため池を地域の財産に
ため池は、長い農業活動の中で多くの水辺の生き物を支えてきた二次的自然である。ため池の実用的な価値が低下している現在、本当は生物保全を目的としたため池を残していく必要があるが、人がまったく必要としないものを生物のためだけに保全していくのは現実的には厳しい話である。そのため、地域の人にとって憩いの場となると同時に、生き物の生息場所としても機能する、そういうため池管理が求められているといえる。
今回調査した中で一番そうした目的に近いのは、6の蜻蛉池公園の蜻蛉池であると考える。人にとっても生き物にとってもため池が安らげる場所になるには、人がアクセスしやすい場所を一部に作りながら、奥(対岸)のほうは森に囲まれたアシの群落が育つ場所を残すなどして、場所によって目的を切り替える工夫が必要である。小さなため池ではそれは難しいようにも思えるが、市街地の小さなため池でもカワセミが目撃されており、可能性はじゅうぶんにある。公園としての整備もいいが、池の中には過度に手を加えないことが大切だ。人と自然が支えあい共生していくためには、自然が財産であることを忘れてはいけない。
フィールド調査2:ひとと自然のまじわりをめぐるモデルコース
「ひとと自然のまじわり」という視点は、地域のさまざまな特徴をそれまでとはちがった側面から見直すひとつの助けとなりうる。そう考えて、われわれは和泉市北部地域を中心に、いくつかのスタンダードな見所をオリジナルな視点で見直して、それらをつないでひとつの体験散策ルートとすることを試みた。
概略は以下の地図の通りである(印刷用マップ PDF形式 2.4MB)。南海本線泉大津駅を出発し、泉大津市立織編館を最初に見学、そこから約2.5km歩いて、和泉市の池上曽根史跡公園と、隣接する池上曽根弥生学習館や弥生文化博物館を見学、JR阪和線信太山駅前を通過して信太山方向へ登り、中腹にある惣ヶ池をとりまく自然を満喫した後、山を下り信太山駅に戻る。信太山を下るルートはいくつかある。総行程約7キロのコースである。
モデルコースのつながり
織編館と池上曽根遺跡と惣ヶ池。このコースの3つの見所は、それぞれ時代も性格もまったく異なるものの寄せ集めに見える。しかし、われわれは「ひとと自然のまじわり」という切り口でこれらを見直し、そこにひとつのつながりを見た。それは、信太山からの自然の恵みが、この地に人を集め文明を起こし、この地域のその後の発展につながったということである。
池上曽根の地に、弥生時代に大きな集落が成立した要因として、信太山と大阪湾に挟まれたこの地が多くの人が住むのに好適な条件を備えていたということが挙げられよう。信太山から流れ出る豊かな水が、生活用水と稲作のための水を提供し、山の豊かな森から得られる豊富な木材が、建築材料として利用され多くの大型建造物を造り出した。海岸線は現在のものより内陸にあり、沿岸から多くの魚介類が獲られていたことは、出土したたこつぼなどから伺われる。こうした条件は、食料の安定供給を保証することになり、食料の安定は文明の隆盛をうながす。それはさらに多くの人を呼び寄せることになり、集落は周辺地域に拡大していったことであろう。時代が下り、綿花栽培が南大阪で盛んに行われたのも、土質や水、温度などの自然条件がもたらしたものであり、それが繊維産業の隆盛につながった。このように考えることで、一つの地域の歴史がまさに「ひとと自然のまじわり」によって形作られてきたことに気づかされるのだ。
まとめ
ため池調査とモデルコース作成を通じてわれわれが念頭に置いていたことは、人間が自然を改変するだけでなく、自然が人間の生活を作り出し影響してきたということである。自然を、人間が管理し保護すべき対象として、人間の生活から切り離して考えがちな傾向にあるが、そうした態度は自然を人間より劣ったもの、弱いものとしてとらえることになりかねない。しかし実際には、人間は自然界の生き物の力によって生かされているのであり、自然の中に人間は内包されている。そのことに気づくためには、普段から自然と人が身近にふれあい交わり続けている必要がある。ため池という人工的な環境であっても、そこに見られる多くの生き物の営みは、人と自然の関係を見つめる機会を与えてくれる。ため池を、地域の資源として、普段の暮らしの中で自然とふれあうことのできる場所として活用していくべきだと思う。